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2020-11-21

2020年11月18日 金山 - 擎天崗 - 天母 昔日の魚担ぎ屋が通った道を体験する

天籟からこれから登る擎天崗の峠を望む

台北の街の北側に陽明山山塊を越えた向こうに金山漁港がある。19世紀から20世紀初頭にこの漁港から魚を担いで峠を越え台北の街に運び販売する業者がいた。彼らが歩いた道は、金包里大路と呼ばれる道で、今は陽明山国家公園がメンテ管理をしている歩道だ。魚を運んだ道なので、金包里大路は魚路古道とも呼ばれている。一方、峠の擎天崗を過ぎた台北側は、絹絲瀑布があるので、絹絲瀑布歩道と呼称される。いずれも金包里大路の一部だ。なお金包里とは、金山の旧名で、金山漁港は磺港と称されていた。

北側の金山から山を越えて台北天母へ歩く
峠越えの道
筆者は、いままで何度か金包里古道の部分を歩いている。今回は、それを全部カバーし、金山から台北市の天母まで歩くルートだ。昔の魚担ぎ屋が通った道を歩いて、その苦労のほどを知る目的だ。文献によると、魚の行商は金山から台北士林へと全部を歩くのでなく、途中の擎天崗で別の業者に引き渡されるのも多いようだ。魚の鮮度を保つ目的もあり、三人一組で夜七、八時に磺港を出発夜道を登り、夜中に擎天崗に着き、翌朝市場に持ち込まれたという。金山から基隆へ軽便鉄道ができた後は、基隆から汽車で台北に運送できるので、次第に魚を担いで峠を越す業者は少なくなっていった。

21kmを歩き終えて@天母(水管)古道入口
勿論、古道で運ばれたのは魚だけではない。陽明山は火山で、硫黄が取れる。硫黄は火薬などの重要な原料である。硫黄も当然このルートで運ばれた。また、茶葉や大菁からとれる藍染料なども運ばれている。金山側の山腹には、集落もでき棚田も造られて人々が暮らしていた。すべては過去になり、今はもちろんハイキングの目的だけで歩かれている。


@新北市金山區公所
今日は金山區公所に8時半の集合だ。筆者は台北から953番区間バスで向かう。高速道路を降りた後、けっこう時間がかかる。8時半を少し過ぎたころ、金山區公所バス停に着く。数名の別のバスでやってきたメンバーは、さらに時間を要したようで1時間半ほどだという。8時50分、10名で歩きはじめる。港から金山區公所までは、1㎞ほどあるので担ぎ屋は、もう少し歩いていた。

街を抜けると竹子山が高い
雲一つない晴天の水田の向こうに磺嘴山,建物は台大医院、正面は竹子山
サツマイモのモニュメント、背後は竹子山
今日のはじめのセクションは、車も走る陽金公路を行く。街中を過ぎると、青空のもと前方に竹子山がくっきりスカイラインを画す。以前歩いた竹山北峰への稜線や竹里山などが明瞭だ。道の左には磺嘴山がそのすそ野を広げる。水田が広がる平らな道を行き、左に台大醫院、右に消防局を見る。道を行く車はそれほど多くない。

明安宮で休憩
高度も上がって海が見える
9時14分、南勢湖に入ってくると、道端に大きなサツマイモ(番薯)のモニュメントを見る。ここはサツマイモの有名な産地だ。そのすこし先で、左に南勢湖產道をとり緩やかな坂を登っていく。右に鉄骨だけの廃棄工場の建物がある。9時半、左に明安宮の廟がある。この建物の前で休憩をとる。11月半ばとはいえ、快晴のもと陽光を浴びての歩きは、少し暑いぐらいだ。

民家脇から南勢湖古道を歩く


更に道を進む。農夫が畑で仕事をしている。道の位置は標高100mぐらいになり、振り返ると海が見える。谷も狭まってきて、右の竹子山は近い。9時55分、南勢湖古道入り口の民家に着く。前回訪れたときは天気があまりよくなかった。前もちょっと苦労したが、入口がはっきりしない。地図上の右の道は果樹園の中で終わりになる。戻り左の道を行き、果樹園の中を進み古道につないだ。南勢湖古道は、最近藍天隊が手入れをしたが、果樹園は通らず別の登山口へとつないだようだ。

果樹園を横切る
藍天隊が草刈した道
水パイプが走る道を登っていく。草がしっかりかられている。藍天隊が10月に入っていなければ、藪漕ぎを強いられたところだ。沢際から離れ、灌木の間を行く。灌木の林は下草はない。10時38分、桂竹の生える大孔尾古道との分岐に着く。右に折れ、道を下っていく。こちらもしっかり草が刈られていて助かる。数分で橋を渡り、天籟社區の上に着く。舗装路を右に少し下り、すでに使われえていないようなバス停建物で休憩をとる。

天籟社區を行く
展望台から沢と背後の山を望む
11時少しまえ、住宅の建物の間を下っていく。天籟度假大酒店の前を通り、少し行くと右に展望台がある。鉱物のために河床が赤い磺溪の奥には、七星山や小觀音山が高く、その左の七股山を挟んで、金包里古道が登っていく擎天崗の峠がある。これから登っていく目的地だ。さらに左に追っていけば、大尖後山が大きい。

これから歩く方向を背景に
金包里古道の入口
陽金公路に向かってさらに下り、11時18分金包里古道三重橋入口にくる。我々は、できるだけ車道を避けるため南勢湖古道を歩いたが、少し遠回りになるので担ぎ屋は通らず陽金公路(当時は金包里大道の一部 )を歩いたのだと思う。古道はすぐに登っていき、小沢を橋で越す。その先には、廃棄された建物がある。一つは台所のように見える。以前は兵隊などが駐在していたのだろうか。建物自体は数十年前のもののようだ。

石畳の道を行く
古道脇の墓、墓参りはされていないようだ
道は基本石畳で、上り下りが続く。お墓の脇をいく。墓には大きな姑婆芋が生えており、おそらく長い間墓参りは来ていないようだ。見上げる竹子山は険しい山壁が迫り聳える。11時47分、陽金公路脇に降りる。ちょうど台北へ向かう1717番バスが通り過ぎていく。また登り返し、1.6K位置の木製桟道からは、先ほどの天籟社區が同じぐらいの高さに見える。この辺りで標高約300mだ。11時58分、八煙の登山口に着く。入口近くの涼亭で小休をとる。七年前にここから金包里古道を歩きはじめた。

陽金公路に降りる、ちょうど1717番バスが行く
八煙の古道入口
崖崩れ部分は新しい鉄梯子
ここから先、頂八煙までは一応通行禁止となっている。七年前も同じだ。実際のところ、ちょっと危なげなところもあるが、通行は全く問題ない。正規部分に比べれば、草刈などが行われていないので、踏み跡だけ草がないという場所もある。12時26分、崖崩れの部分には、新しい鉄製の橋が架けられている。いずれは正規に通行開放ということなのだろう。その少し先で,頂中股山への分岐を過ぎる。さらに10分ほど歩くと、石畳の設置作業場所を通過する。12時47分、上磺溪駐車場からの道を合わせる。

陽金公路と背後の竹子山
道の工事が進行中
少し下り日人路と呼ばれる、日本時代に金包里古道と並行するように開かれた、勾配の緩い道を少し行く。12時53分、木製階段を登りまた金包里古道を行く。その少し先で許顏橋を渡る。1896年地元石門の茶葉業者許顔が出資して、この橋を築いた。許顏は当時淡水、三芝及び石門地区の茶葉産出量の3分の一を占めた大手の業者だったということだ。茶葉が水を浴びて品質に影響を受けるのを避けるため、この石橋を築いた。勿論ほかの通行人も恩恵を受けている。橋からさらに少し登り、13時憨丙厝地涼亭(標高約520m)で食事休憩をとる。説明によれば、此の地には金包里大道を行く通行人を相手にした小さな茶屋があったようだ。

許顏橋
憨丙厝地涼亭
森から出てススキの坂道を登る
13時半、峠の擎天崗に向けて歩きはじめる。左に棚田あとをみて、石段道を登っていく。土地公祠を過ぎ森から出ると、勾配が急になる。ススキの穂が陽光に輝る。いったん緩くなり、また勾配がきつくなる。直線的に登っていく金包里古道に対し、つづれ折れで高度を稼ぐ日人路が三か所横切る。20kgから30kgを担いだ魚担ぎ屋は、この急坂で何を思ったのだろうか。13時58分、登りが終わり金包里大道城門に着く。通り過ぎた天籟社區の建物が遠く低くに見える。その向こうは大海原だ。

天籟社區が見える、遠くは大海原だ
金包里大道城門
今日は平日だが、ここから遊楽客で道はとても賑やかになる。秋の擎天崗は、すがすがしい。昨年起きた放牧の牛による人身事故のため、草原の道際には有刺鉄線が引かれている。七星山を前方に見ながら、石畳道を進む。14時14分擎天崗の土地公から左に折れて、涼亭で休憩をとる。

七星山を見て擎天崗の草原を行く
@絹絲瀑布
ここから、道は下り坂だ。 右に観測用設備をみて、丸石の古道を下り始める。14時40分、右に陽明山牧場事務所跡をみてさらに下る。さらに10分ほど歩き、絹絲瀑布を見る。道脇に用水路が現れ、15時6分古道は終わり青山路に出る。ここからは、人車分道を歩く。人車分道は、基本車道沿いに行くが、場所によってはけっこう離れる場所もある。15時12分、青山遊樂區駐車場入口前を通過。その先車道を離れ、右に大きく下る。15時20分、また車道脇に出る。前方に紗帽山が近づいてくる。15時26分、左に下る道がある。これをとって橋を渡り、陽明前山公園へ向かう。温泉建物の脇で休憩をとる。少し傾きだした陽光に七星山が高い。

人車分道、ここで右に車道から離れて下る
陽明山前公園から七星山を仰ぐ
紗帽路から山道へ入る
15時50分、紗帽路を下っていく。数分で山道の入口から沢に下る。沢沿いに進み、登り返して16時12分天母古道の入口に着く。今まで何度も歩いている天母古道は、通行人も多い。16時34分、大きく石段で下る水管道の前の涼亭で休憩をとる。ここで最後のビールを開ける。夕暮れが迫るなか、遠くに101ビルや背後の山々が佇んでいる。17時、石段道を下り切り天母古道入口に降り立つ。残りは天母バス停へ向かうだけだ。17時4分、バス停にくると間もなくバスがやってきた。MRT劍潭駅へでて帰宅した。

赤い河床の沢沿いに下る
天母古道も残り半分だ
担ぎ屋は、さらに士林などへ歩いたので、我々は金山漁港から區公所までの1㎞と台北側での2,3Kmが少ない。山を越える部分は同じで、苦労の多い部分は歩いた。天秤棒で魚を担ぎ山を越えるのは、やはり苦労であったろう。盛んな頃からすでに一世紀以上たち、そうした苦労は過去のものだ。今は、余暇でハイキングの道となっているが、その昔は生活のための道だった。距離約21㎞、休憩込み行動時間8時間15分、登坂1367m、下降1300mであった。コース定数35だ。


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