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2020-11-09

2020年11月8日 谷關八雄之一 阿冷山 数年ぶりに台中谷關の山を登る

阿冷山山頂

本日の本来の目的地は、昨日の南東眼山と同じく埔里六秀に数えられる有勝山だ。この山は、その昔日本時代の北海道帝国大学の試験林でその後中興大學の試驗林となり、一般大衆に開放された蕙蓀林場から標高差約1400mを片道7㎞で往復する予定であった。蕙蓀林場の一般開放時間は八時からとなっている。しかし、ネット上ではかなり早い時間から立ち入っている記事もある。昨日、宿泊した民宿のオーナーに確認したところ、ゲートには宿直者がいて頼めば時間が早くても入れてもらえるということであった。それを信じて5時20分に民宿を出発する。

先に南側の旧道を登り新道を経て下山
歩行高度表
蕙蓀林場のゲート
投80線を数分進むと、蕙蓀林場のゲートに着く。ゲートの建物は暗い。声をかけてゲートを開けてもらうように頼むが、ガードマンはけんもほろろに、8時以前は開かないと突っぱねる。しばらく様子を見ていると、バイクがやってきて少し開いている門の間を通り過ぎていく。勿論入場料は、払わずにだ。話を聞くと、地元民のようで釣りに行くという。実に不公平な扱いで、中興大學の管理はどうなっているのかと、疑問に思う。

台21線から台8線へ、右に谷關へ進む
裡冷溪の橋を渡ったところから谷野會館を見る
どうするものかと思案している間に、夜が明けくる。8時まで待って入場し、有勝山を往復すると、おそらく日暮れ前には下山できない。そこで別の候補を検討する。幸い早く出発したので、ここから1時間強ほどで登山口へ行ける、隣の谷關にある阿冷山を登ることに変更する。早速、投80線から台21線に入り、峠を越えて台8線との分岐から右へ谷關を目指す。谷關を訪れるのは数年ぶりだ。7時半過ぎ、登山口の谷野會館に着く。

沢の左岸を進む
山道が始まる
蕙蓀林場では青空も見えていた。ところが車で来る途中雨がふっていたので心配したが、雨は止んでいる。支度をして出発する。阿冷山へは、谷關側からだと阿冷山北北峰の稜線を行く新道と谷を少し行ったところから枝尾根に取りついて登る旧道の二つの登山道がある。旧道を登り、阿冷山を往復した後新道で下る予定で、7時45分歩きはじめる。谷野會館前の橋を渡り、裡冷溪にそって進む。数分で生利橋を沢の左岸に渡り更に登っていく。まだ新しい鉄製ゲートの脇を通りこす。

この急坂近くで蜂に刺される
砂防ダムを見ると山道が始まる。沢わきから急坂で登り始める。8時14分、補助ロープのある雑木林の坂道を登っていると、突然四番目を歩いているメンバー一人が叫ぶ。何かと思っていると、スズメバチに刺されたという。急いで登っていく。刺された場所から離れたところで後方メンバーを待つがなかなか来ない。大声で叫んでも返答がない。二人が様子を見に行くが、しばらくしてもどってくる。彼らもさされたという。そのうち後方の四名は、やはり蜂に刺されたので、下り新道経由で我々と合流するというメッセージが入る。

急坂を登る
空瓶も転がる石の並ぶ場所
我々六名のうち、三名が刺された。様子をみるがショックなどなく、阿冷山前鋒まえの新旧山道合流点を目指し登り始める。旧道は、最近は登山者が多くないようで、道の状態はそれほど良くない。マーカーリボンはたくさんあり、少し頼りない踏み跡の助けになる。9時14分、標高約920mあたりの平たい場所に人造の石積や空瓶がある。空瓶は味全公司のマークがあるので、日本時代の物ではない。何か作業のための小屋などがあったのかもしれない。また急坂が始まる。9時半緩くなった尾根上で休憩をとる。標高は1050mを越えた。

平らな場所で休憩
急坂を合流点へ
合流点前の落差約300mの尾根道は、とても急だ。雑木林の間の道をあえいで登る。10時半過ぎ、樹木が切れカヤの間を登る。振り向けば背後は青空のもとに、東卯山やその背後の大雪山からの尾根上にある鳶嘴山などが連なっている。そして大甲溪の奥には、小劍山や大劍山,その左側には雪山西稜末端の山々が長く伸びている。大甲溪の左岸奥には八仙山やその背後に白姑大山が頭をのぞかせる。自らの足で登った山々が、それぞれ呼称できる。自分の足跡が確実に増えているのを感じる。10時45分、標高約1370mの新旧道分岐に着く。分かれた四名がやってくるのを待つ。

森からでてパノラマが広がる

分岐点で待つ
三十分ほど待つと、四名が登ってくる。四人のうち三名が刺され、一人は五カ所ほど刺されたという。我々六名の一人は、一か月前にもさされていてちょっと大変なようだ。そこでパーティを二つに分け、5名は新道を下って東勢の病院に行き、残り五名は阿冷山を登頂し、下山後病院近くで合流することにする。下っていく五名には経験者も多く心配はない。11時30分過ぎ下っていく5名を見送り、阿冷山前鋒へ向け登り始める。10分ほど急坂を登り、11時43分前峰から下がってくる尾根に上がる。

尾根上の道を阿冷山前峰へ
阿冷山前峰
倒木を越えて阿冷山へ
太清宮への分岐を見ると山頂はすぐだ
尾根上の道を追っていく。ところどころ急な場所もあるが、おおむね歩きやすい。10時54分、阿冷山前鋒(標高1520m)に着く。ここから太郎山、次郎山をへて白毛山への稜線道が分岐する。左に阿冷山への道を下り始める。主峰との間には、約80mぐらい下がる鞍部がある。一度下り登り返す。右に太清宮からの道を合わせ、12時18分阿冷山(標高1540m)に到着する。太清宮からの道は、踏み跡が明らかに頼りない。交通が不便なのでこちらからの登頂は非常に少ないようだ。

阿冷山山頂
岩の急坂を下る
樹木に囲まれた平たい山頂は、展望はない。天気もよく、汗もだいぶかいて登った山頂では、すこしぬるくてもビールはとてもうまい。12時47分、半時間ほどすごした山頂を後に往路を戻る。鞍部に下り切り、13時7分前峰へ登り返す。さらに尾根道を下り13時20分、新旧道分岐を通過、新道を進む。阿冷山北北峰からの尾根上を進む道は、距離は長いが勾配は相対的に緩い。それでもところどころ急坂はある。岩が目立つセクションを下ると、森からでて前方に景色が広がる。朝に見えていた高山には、雲がかかり始めている。

高山には雲がかかり始めた
病院に向かった五名からは、すでに東勢につき治療を受けていると、メッセージが入る。どんどん尾根道を下り、14時10分阿冷山北北峰(標高1130m)に着き、小休憩をとる。10数分の休憩後、下り一方の坂を下る。14時39分、電波反射板の鉄塔を通過、14時47分四壯士神木のアカマツ双樹を見る。さらに数分下ると、道は尾根を離れ山腹をジグザグに下る。道はコンクリ舗装路になる。15時、森からでて下方に集落や畑が広がる。谷を挟んだ対岸の山々はすでに高い。15時17分駐車場に降り、着替えたあと我々五名も東勢農民醫院へ向かう。

@阿冷山北北峰
電波反射板脇を下る
四壯士神木
16時20分、病院の正門に着く。五名はすでに治療を終え、待っていた。一人はかなり痛そうで、腕もだいぶ腫れている。他のメンバーは、痛いようだ症状はそれほどひどくない。治療を受けたのが効果を表しているようだ。話では、この病院の医師は慣れたもので、てきぱきと対応したという。それだけスズメバチに刺される登山者が多いようだ。その後東勢の牛稼莊で食事をとり、18時過ぎ台北への帰途に就いた。
途中で蜂の襲撃に会うなどの対応で、休みの時間が多い。通常のペースで計算すれば約6時間半、というところだ。距離約8.7㎞、登坂1115m、下降1142m、コース定数は26だ。
対岸の東卯山が高い

スズメバチの攻撃については、いままで多くの話を聞いていた。また、実際偵察のスズメバチに出会い、速やかにその場を離れたこともある。今回メンバーの半数が攻撃に合うというのは、初めての経験だ。偵察の蜂を刺激せず速やかにその場を離れるという行動が、今回は役に立たなかった。最初に刺されたメンバーは、いきなり刺されたという。彼は1か月前にも刺されていて、それが関係しているのか。本人は、大変な経験だが。今回、蜂刺されにアレルギーのメンバーはいなかったが、もしそうした体質のメンバーだと、大変だったかもしれない。夏の間に台風がないのは山登りにはよいが、蜂の巣が壊されず過多に繁殖するのは、困ったものだ。


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