|
鳥嘴山付近から望む面托油山(2020/8撮影) |
先週に続き、今週末も二日続きの山行である。今回は新竹縣五峰鄉清泉の上に聳える面托油山(別名民都有山)が一日目の目的地だ。二日目は、
霞喀羅古道の峠部分、もと松下駐在所があった地点から稜線を行き、
霞山、錦屏山、石麻達山を越え屯野生台山経由で下山するロングルートなので、その前のウォームアップ的な意味での選定だ。日本時代はメントーユという名が中国語漢字をあてたので、面托油山あるいは民都有山と呼ばれている。山頂は緩やかで大きな山容の山は、霞喀羅溪の右岸に位置しその山腹にはシャカロー・サカヤチン警備道が走り、その昔には駐在所も数カ所あった。今は、もちろん駐在所はなく西高橋山のふもとの霞喀羅古道入口まで車で行ける。
|
西側の軌跡は面托油山 東側は霞喀羅古道 |
|
途中の空白は車での移動 |
登山道は、北側の面托油山北峰からの道がもっとも多くの登山者が歩く道で、標高差は600mと比較的楽なルートだ。我々が歩いたのは西側に伸びる尾根にある清泉山からの道で、標高差は約950mとなり、人気ルートではない。もっとも南側には民家や畑があり、そこまで車でやってこれるので、こちらから登れば登頂はほんのわずかだが、それでは登山にならないので逆に歩かれていない。我々はこのルートで下山した。面托油山を歩いた後、翌日の縦走に備え霞喀羅古道を歩き、4K近くにある道わきの開けた場所で設営した。前半面托油山前半は軽装で、後半の古道歩きは、もちろんテントなどを担いだ重装である。
|
高速道路から大霸尖山などが見える |
今回の山行は、出発点と終了点が異なるためシャトルサービスを使用する。最近恒例になった、台北駅近くの地点から6時半に出発する。小雨が降り、天気が心配される。天気予報は、昨日見たものはあまりよくない。台北から南下していくと天気は好転する。第三高速の龍潭インタチェンジを過ぎ關西に向かって下っていく途中、曇り空の下前方遠くに
大霸尖山が頭を見せている。その前方にある山々は方からすると、今回の目的地あたりだが、個々の山峰は判別できない。
|
2.7K登山口にて、右の黄色い帯が登り口 |
7時40分、竹東インターチェンジで降りる。途中上坪のコンビニに立ち寄る。面托油山登山は、軽装なので、荷物を仕分ける。122線をさらに進み、9時22分清泉の張學良故居の前を通る。今は清石道路と呼ばれる元警備道を登り始める。警備道は道幅を拡張し舗装されている。9時38分、約2.7Kあたりにある清泉山登山口に着く。空は晴れ、朝の心配が全く不要になった。最新天気予報は明日も良いと更新されている。
|
いきなり竹林の急坂で始まる |
|
清泉山 |
|
尾根上を進む |
山道はのっけからとても急な坂だ。孟宗竹の間をかなりの勾配を、ストレートに登っていく。今日は軽装なのが幸いだ。ほとんど途切れない坂は、わずかな雑木林以外は、殆ど竹林の間を約20分ほどで高度差150mを登る。10時、稜線上の分岐につき、後続のメンバーが上がってくるのを待つ。稜線上の道も緩くはないが、先ほどの急斜面に比べればまだ楽だ。10時12分、清泉山(標高1080m)につく。ここは山頂といっても、特に盛り上がっているわけではなく、森林三角点があるので独立の山としてカウントされている。
|
雑木林を登る |
|
倒れた竹が多い幅広道 |
|
孟宗竹林 |
尾根道は、登るにつれ雑木林、竹林、そして人造林と様相を変えていく。10時53分に休憩をしばらくとり、すぐにまた孟宗竹林に入る。この竹林は、今までの竹林に比べ、それぞれの竹が太くて高く、なお密生している。倒れている竹も多い。威圧感を感じる。11時23分、山道は幅の広い道に出る。本来は造林用の道だったのかもしれない。幅広道を少し進み、また竹林の登山道を行く。孟宗竹の間に杉が生える部分を通り、道は少し下っていく。12時、また広い道にでて、右の松鷹道路から登ってくる道を合わせる。休憩をとる。標高は約1630m、登山口が860m足らずだったので、約800m近く登ってきた。
|
松鷹道路からの道との分岐点道標 |
|
テープで封じてある清泉山からの道 |
竹林の幅広道を少し進み、右におれて杉人造林の間の登りとなる。矢竹のあいだを通り、12時37分、面托油山北峰からの道を合わせる。分岐には我々が歩いてきた道には、テープで封じてある。あまり経験のない登山者が、こちらに入り込むのを防ぐためだろうか。確かに竹林の間の道は、踏跡がはっきりしないところもあり経験が必要だ。最後の坂を十数分登る。上方から話し声が聞こえてくる。12時41分、面托油山山頂(標高1798m)に着く。周囲は樹木だ。少し切れたところからは、南側の山が雲をかぶって少し見える。山頂のすぐ下の広場に降りて昼食休憩をとる。ハイカー数名がすでに広場の片隅で休憩をとっている。
|
面托油山山頂の筆者 |
|
登山道が切れいきなりキャベツ畑が現れる |
13時30分、長い休憩の後に下り始める。ほとんどのハイカーは北峰からの道を登り、また下っていく。こちら東側に進む道はあまり歩かれていない。下り始めてすぐ、左に西高橋山方向への道を分ける。右へ行くと道はキャベツ畑で途切れる。本来道であったところは開拓されて畑になってしまっているようだ。畑を横切り、舗装農道に出る。この道を右に下っていく。間もなく民家が現れ、畑の間の道をつづら折れで下る。霞喀羅溪を挟んだ対岸の山々は、雲が晴れてきて全容を現し始める。結城山などの山々だと思う。霞喀羅古道を含め、根本古道などが近くにあり、佐藤山など日本人の苗字がつけられた場所が多い。
|
雲が晴れて結城山を含む対岸の山々が望める |
|
5.1Kで車に乗車 |
|
霞喀羅古道石鹿登山口 |
14時、民家を右にみる分岐を左に下り、14時11分シャトルカーが待っている5,1Kに下りつく。車に乗り込み、霞喀羅古道入口に向けて進む。今は車が通れるが、ここもその前身は古道である。日本時代には、大霸尖山などの目指して先人たちが歩いて行った。去年霞喀羅古道の全線が開放され、ハイカーが増えていることもあり、状態はあまり良いとは言えないが、四駆でなく普通の車でも通れる。14時40分、車が数台とめてある入口に到着する。面托油山での軽装の荷物を車に残しておいたザックに入れ整理する。
|
古道入口のメンバー |
|
杉林脇の平らな古道を行く |
15時、大きなザックを担ぎ古道を歩きはじめる。古道入り口の高度は、約1670m、今日宿泊予定の場所は約2000m、約4Kmの道のりで350mほど登ることになる。はじめの1㎞はほとんど平らな道が続く。20分ほどでお手洗いのある広場に来る。その少し先に、田村台駐在所跡が現れる。田村台は、根本古道が分岐する場所であり当時は雑貨店の性格の酒があった。駐在所には宿泊所もあり、当時の登山者はここで足を休めた。
|
今は杉が生える田村台駐在所跡 |
|
高巻き部分を登る |
古道は坂を登り始める。2Kを通り過ぎ、崖崩れで流失した古道を高巻く登り坂の前で休憩をとる。霧が出始めてきて、崖崩れの場所は白く下方が見えない。16時18分、高巻き最後部を越え、道は下り始める。数分で本来の古道に合流し、また坂を登り始める。16時26分、切通しを通り過ぎ、すぐに右に
霞喀羅大山への登山口を見る。しばらくは平らで歩きやすい道が続く。
|
崖崩れ部分 |
|
切通部 |
|
平らでよいセクションを進む |
|
岩壁から水が滴る水場で補給 |
16時37分、3.5Kを通過、その先5分ぐらいの場所で岩壁から水が滴っている水場を見る。去年歩いたときに見た水場が、果たしてまだあり、今晩と明日の水の問題は解決だ。水を補充しさらに進む。宿泊場所は、前回見たシートや焚火跡がある少し開けた場所か、さらにその先1㎞ぐらいの場所の松下駐在所跡地にするつもりだった。火も暮れてきたので、17時8分、3.7Kあたりの道わきの平らな焚火跡の場所で設営する。
|
古道脇のスペースで設営 |
それほど広くないが、都合四張りのテントは問題なく設営できた。設営しているときに、石鹿登山口へと急ぐハイカーが三人通り過ぎていく。それぞれ食事をすませ、20時までには就寝する。天気も大丈夫のようだ。隣のメンバーの鼾が始まる。そのうちその音も聞こえなくなった。今日は、前半の面托油山登山で休憩を含み約4時間半、後半の古道歩き3.7kが約2時間だ。距離は両者を合わせ約9㎞、累計登坂約1400m、下降455mである。コース定数24だ。
I am afraid that I do not understand your language.
返信削除