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樟之細路最終セクションは果樹園の中を行く |
昨年の1月から、セクションごとに分けて歩いてきた樟之細路の最終セクションを歩き終えた。暑い時期は中断したが二年がかりで220㎞にわたる路程を歩いたことになる。樟之細路そのものやその歴史的背景などについて、いままで日本語記事でも英語記事でもふれてきたので、ここでは繰り返さない。台中に近づくにつれて、台北からの日帰りは時間がかかるので今回も一泊二日の旅である。
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二日のルート |
最終セクションは、苗栗縣卓蘭から大安溪沿岸の白布帆と雙崎をへて、台中縣東勢へとつなぐ。卓蘭や東勢は客家人の街、一方雙崎はタイヤル族の村である。ここも二つの文化を異にする民族の接点があり樟之細路はそれを抜けていく。行程中の未舗装土の古道は、特に卓蘭から雙崎は少ない。白布帆集落直前の道路は、本来舗装された道だが過去の自然災害で、崖崩れがありその場所は、草に覆われ足元が悪い。後半の東勢へのセクションは、穿霧隘勇線を行く設定だが、いまは稜線まで果樹園が多く広がり、本来の古道という状態ではない。両者とも、困難部分では、経験の少ない登山者は道探しで苦労するだろう。
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摘星樓にて |
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第一日 3月12日(土)卓蘭 - 苗55縣道 - 象山農道 - 挑沙古道 - 白布帆 - 雙崎
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卓蘭から雙崎へ |
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三義の桜 |
今回は参加者が筆者も含め17名と多い。そこで20人乗りマイクロバスでの往復となった。汽車やバスの公共交通機関に比べ、時間も短縮でき自由度も高くなる。歩行中に不要なものは、バスに残せる。7時半に、台北を出発する。一路第一高速道路を南下する。天気がよい本日は、高速道路の交通量が多い。ところどころスピードが落ちる。9時半に三義インターチェンジを降り、近くのレストエリアに立ち寄る。駐車場の桜がちょうど満開だ。三義から大安溪ぞいに一般道路を卓蘭へ向かう。
前回終了の豐原客運卓蘭バスターミナルに10時8分到着。やはり高速の混雑で予定より時間を要した。
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小型バスで卓蘭に到着 |
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中山路と中正路との交差点 |
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文峰橋 |
10時15分、卓蘭の街を歩く。休日のせいもあるだろう、かなり人出がある。中山路を進み、役場前を過ぎて、中正路との交差点マーケットに来る。この辺りが街の中心のようだ。この先は、コンビニもないので、ここが食料などの購入最終点ある。かなり古い木造モルタルの建物もある。中正路を進み、老庄溪にかかる文峰橋のたもとに来る。この橋は、いかにも古色ある橋だ。川沿いに進み、大きなガジュマル(榕樹)の土地公を過ぎる。地方の街はずれという景色だ。
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ガジュマルの土地公 |
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遊歩道 |
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苗55県道を歩く |
更に川沿いに進むと、遊歩道になる。これから進む苗55県道は右の道を行くべきだが、そのまま木陰の涼しそうな遊歩道を行く。そのうち街路樹がきれ右側は果樹園になる。川沿いに進むと果樹園に入ってしまった。ちょうど農夫が仕事中で、挨拶して通してもらう。土地の人は快く応じてくれる。11時過ぎ果樹園を抜けたところで、付近の観光地図看板を見る。
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老庄溪沿いに進む、対岸は果樹園 |
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食水坑社區の看板、橋を渡る |
苗55号県道は、老庄溪にそって進む。まもなく橋を渡り、右岸を歩く。少し風はあるものの、強い日差しの下での舗装路歩きは、そこそこ汗が流れる。果樹園が目立つ道を約15分歩くと、大きなミカンのモチーフを載せた食水坑社區の立体看板がある。脇の橋を渡り左岸を行く自転車道路を歩く。11時22分、分岐の上にかぶさる木陰が休憩を誘う。
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梨畑の向こうに馬克縱走稜線 |
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長春谷遊樂區入口 |
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象山の谷間 |
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象山土地公 |
自転車道の脇は梨畑だ。1月に老官道を歩いたときにも梨畑があったが、そのころはまだ白い花をつけていた。今はすでに小さな実がなり始めている。梨畑の向こうは、
馬克縱走の稜線がのぞく。左岸を歩くこと約20分、自転車道路はおわり橋を渡り苗55県道に戻る。まもなく14Kキロポストが現れ、勾配がきつくなる。果樹園もなくなり、山の中に入っていく。12時11分、右に長春谷遊樂區の入口がある。門は閉まっている。前方の大克山稜線が近くなる。12時25運、右に象山への道をとり、5分ほどで集落に着く。ペンキが塗られてピカピカの土地公のところで、食事休憩をとる。
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竹加工作業の脇を進む |
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民家前のポストはみな同じ形 |
13時、食事を終え象山農道を進む。右下の畑では農夫が作業中だ。そのすぐ先では、一人が道端で竹に切れ込みを入れる作業が進行中だ。進むにつれ谷は狭まってくる。13時21分、右に順元山莊の入口を見る。道路はつい最近舗装され、黒々としたアスファルトや黄色に塗り返されたガードコンクリートブロックが目立つ。アスファルトが終わり古いコンクリ舗装のつづら道を登る。左に土地公への道が続く。道をたどっていくと、修繕された水頭伯公廟に来る。廟脇の説明では、客家人によるこの地の開拓に伴い建てられたものだそうだ。
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順元山莊 |
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水頭伯公廟 |
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左に折れて稜線を登る |
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草に埋もれた分岐 |
道を戻り、さらに進む。ここまでくると、往来は少なく道には落ち葉や泥が多い。13時46分、大きく左にまがり稜線上にでる。樟之細路のマーカーを確認して間もなく、分岐がある。しかし右に下っていくはずの挑沙古道らしい道がない。しばらく探す。最終的に強引に右に行くと、道筋が現れる。分岐は草で覆われ、はっきりしなかったということだ。古道も草に覆われている。14時5分、廃棄された白布帆產道に降りたつ。
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草に埋もれた挑沙古道 |
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廢棄產道に降りる |
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崖崩れ |
ちょうど車が西から一台道路を登ってきて通り過ぎる。しかし間もなく折返してくる。つまりは道は不通だ。東に向けて進むと間もなく、土砂崩れが現れる。そのさきすぐに、道はなくなる。草の間にかすかに踏み跡がある。しかし足場は良くない。崩れ場所を通り過ぎ、一部は鎌で草を刈り進む。20分ほど苦闘し、またまともな平らな道になる。このセクションは、こうした悪路を歩いた経験がないと、戸惑ってしまうだろう。14時50分、草もなくまた日陰になる場所で休憩をとる。
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最後の休憩 |
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新しい山崩れ |
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畑の遠く向こうに雙崎村落 |
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白布帆にて |
谷を挟んで遠くには、今日宿泊予定の雙崎の集落が河岸段丘の上にのっかっている。廃棄道路を進むと、さらに二か所の山崩れを過ぎる。つい最近のものと思えるものもある。15時20分、右からの舗装路と合流する。まもなく農園が現れ、視界も開ける。白布帆集落の入口に位置する神靈洞土地公の前を通る。去年馬克縱走を終え、陽が暮れた道脇で我々の車を待った場所を通る。大型バスが大克山登山口近くに泊まっている。下山した登山者がブドウなどを売っている出店の周りに集まっている。
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集落を抜けて進む |
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大安溪を渡る橋 |
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橋上から見る大克山の岩壁 |
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雙崎へ登る |
集落を抜け、大安溪を渡る。川の上流右岸は大克山から切れ落ちる岩壁が立ち上がる。日本時代には大克山稜線は隘勇線であり、大砲が据えられていた。大安溪の周辺に点在するタイヤル族の部落は、その制高点からは一望であり、大砲が据えられた後は帰順するしかなかったのだろう。これから向かう雙崎もそうした部落の一つだ。
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自由小学校 |
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公園から大安溪と対岸白布帆を望む |
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民宿 |
橋を渡り右に折れ、すぐに坂を登る。16時前に集落に入る。1922年創設という部落の自由小学校を通り、右に公園を見る。道の反対側に今日の民宿がある。我々は人数が多いので、一部は更に下った別の民宿に分かれる。17時半、部落の食事処で食事をとり、民宿に戻って談笑し、10時までには就寝した。本日は距離15.7km、登坂441、下降252、 休憩込み所要時間6時間10分で、コース定数は20である。
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第二日 3月13日(日)雙崎 - 中47縣道 - 穿霧隘勇古道 - 中嵙步道 - 東勢客家文化區
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雙崎から東勢へ歩く |
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もう一軒の民宿 |
六時過ぎに起床、7時に民宿の用意する朝食をとる。道を挟んだ対面の公園は、がけの上にある。大安溪を挟んで白布帆の集落や、昨日難儀した山崩れなどが望める。7時半、快晴の空のもと出発する。昨日大安溪を渡った時点で、我々は行政地区としてはすでに台中市和平區にいる。これから歩く舗装路も台中の台47線となる。右に谷を見ながら下る。前方に大棟山が高い。7時46分、觀音橋を渡り雙崎部落を後にする。
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觀音橋近くの移動店舗 |
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雙崎部落の入口 |
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檳榔脇を登る |
道は登り返す。まだ早いこの時間、日陰になる道はまだまだ楽だ。ほとんど車がない道を、東勢へ向け豐原客運バスが登っていく。このバスに乗れば、一時間もかからず我々の目的地に行ける。8時を回り、道は山腹を急坂つづら折れで登り始める。遠くまで望めるようになり、8時22分峠を越える。穿龍バス停のすぐ先に、右に道が分かれる。樟之細路の当初のルートは、ここから稜線に上がりそれを進むというものであった。しかし、稜線は多くの柵で囲まれた果樹園が設けられ、進むのが困難なので改めらられた。そこで、引き続き台47線を下る。
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つづら折れを登る |
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雙崎方向の見下ろす |
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バス停の向こうの道は稜線に続く旧ルート |
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ビーニール袋をかぶった桃畑 |
下り始めて間もなく、左に一面ビニールに包まれた桃の畑が広がる。遠目には白い花が咲いているかのようだ。さらに下ると道脇には檳榔が目立つ。8時45分。三叉坑部落への分岐を過ぎ、そのすぐ下右側の木陰のある細い道で休憩をとる。近くには雑貨屋もあり、メンバーは買い物をする。
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三叉坑部落 |
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木陰で休憩 |
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竹を担いだ農婦 |
休憩後、さらに下っていく。檳榔や果樹園の脇をいく。道端にはカラフルな土地公祠、薬品工場と思われる建物などが現れる。背後の山並みは高くなっていく。9時34分、稜線へとあがる道への分岐にくる。出発してから約7㎞の地点だ。道の名前は東崎路三段192巷である。ちょうど、トラックやバイクに乗った若者が通り過ぎ、竹を担いだ農婦も降りてくる。稜線まで約200mの登り返しだ。谷間を道は登っていく。9時57分、まだ新しい土地公の脇で休憩をとる。
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新しい土地公祠 |
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稜線はもう少し |
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稜線道入口 |
登り約半分の土地公からは、坂がきつくなり、まもなく果樹園が広がる。開けた果樹園は、遠くまで展望できる。桜がちょうど満開だ。10時28分、稜線上に上がりすぐ左の竹やぶ中に道が続く。この道筋は、樟之細路の指定後開鑿作業によって開かれたものだが、通る登山者が少ないのでまだまだ頼りない。竹の切り口も目立つ。人里近いこの山域は、隘勇線としてもおそらく早い時期のものではないか。ほかの場所で見られるような遺跡はほとんどないようだ。竹林を抜けると、雑木林の道になる。そのうち送電鉄塔の保線路となり幅も広くなる。左の丘に鉄塔が聳え、それに向けて登る。10時50分、送電鉄塔のすぐ下に登り、ついでに鉄塔基部に上がる。
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送電鉄塔を見て進む |
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鉄塔から東方向を望む |
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鉄塔基部から西を望む |
遮るもののない鉄塔基部は、絶好の展望台だ。東には、雪山西稜の末端の山々、小雪山や
稍來山が続き、その前の大棟山が大きい。その右は
橫嶺山から沙蓮山への稜線だろう。西側には、昨日歩いた谷と大安溪右岸との間の丘が続き、その右北側には
馬那邦山から大克山への山が盛り上がる。そのすぐ西に尖る山は
汶水の金童山だろうか。さらに西に追えば
關刀山の山並みが続く。今まで歩いてきた道周辺の山々だ。
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果樹園脇を進む |
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竹やぶか抜ける |
鉄塔基部から下り、果樹園の中をすすむ。果樹園の中の道を通り、また稜線上の竹やぶを抜ける。紅龍果の畑に出て間もなく、11時25分、稜線上の木陰で昼食休憩をとる。風が尾根をぬけ、暑くなってきたなか、ひと時のくつろぎの場所だ。食事後、少し横になり休む。
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木陰で昼食休憩 |
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果樹園の脇に摘星樓 |
12時15分、ミカン畑の中を抜けていく。地面に多くのミカンが落ちて転がっている。収穫しないのだろうか。また竹やぶを抜けると、現れた果樹園の中にまだ新しい展望台がある。摘星樓と名付けられた展望台は、説明板によると隘勇線の見張り台だった場所ということだ。確かに、ここは見晴らしがよい。特に周囲は果樹園で樹木が少ないので、ことさらだ。暗影山、大甲溪の谷間、東勢方向や后里,大安溪の下流にある
火炎山も遠くに確認できる。
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展望台からのパノラマ |
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展望台まで良い道が続く |
摘星樓からは良い道がしばらく続く。すぐ下の分岐は右にとり、稜線を下る。5分ほどで展望台がある。ここでも立ち寄り景色を望む。展望台の下は梨之鄉という看板があるが、すぐわきは百香果の果樹園で。ただ、廃棄されたのか地面は雑草で覆われている。展望台から少しいくと、登山道は左に折れる。我々はそのまま果樹園の中で稜線を追う。古い道しるべやベンチがある。以前はこちらが登山道だったのだろうが、今は果樹園の中だ。バナナ樹の脇や作業小屋の脇を通り、また果樹園の中の道を進む。果樹園の道から舗装路、そして13時半中47-1線勢林街にでる。左におれて少し行き、左の丘に建つ宏覺寺に立ち寄り休憩する。
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展望台下の看板、背後は百香果畑 |
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歩道の名残のベンチが果樹園に残る |
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宏覺寺 |
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果樹園を抜けて右に見える中嵙山へ登る |
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竹林の中の中嵙山山頂 |
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竹林を行く |
15分ほどの休憩後、車道に下りすぐ左に登る道をとる。ここから中嵙山の山越えだ。どういうわけだか、いままで少なかった樟之細路のマーカーが俄然多くなる。下って果樹園を突っ切り、前方に盛り上がる山峰へと登る。竹やぶの急坂、コンクリート舗装路、そしてまた竹やぶを登ると、名札も何もない基石がある。中嵙山だ。さらに竹やぶの道を下り、14時26分、ひょっこりと開けた場所にでる。ベンチや涼亭がある。中嵙山歩道の終点展望台だ。休憩をとる。
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中嵙山展望台 |
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中嵙山步道を下る |
ビールも空いた約20分ほどの最後の休憩後、中嵙步道を下る。舗装され道幅の広い歩道は、勾配がきついことを除いて車道と同じだ。数分で沢を橋で越え、勾配が緩くなる。15時、右に土地公を見ると道は果樹園のなかを抜け、沙蓮溪の橋を渡って左に進む。川の対岸遠く、鳶嘴山の三角ピークが姿を見せる。15時7分、人出が多くにぎやかな東勢客家文化園區に着いた。これで、樟之細路の全行程は終了した!今日の歩きは16.7㎞の道のり、登坂506m、下降672m、7時間40分、コース定数は24である。
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歩道入口 |
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歩き終えたメンバー全員 |
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樟腦故事體驗館 |
公園の一角に樟腦故事體驗館という建物があり、中には樟脳製造に関する説明や道具、炉の実物、そして歴史自然の説明もある。樟之細路と深い関係のある樟脳や関連事項について、理解するのに実によい場所だ。15時半過ぎ、公園入口前で我々のマイクロバスに乗る。卓蘭へと車は走る。大安溪の橋を渡るときには、我々の歩いたルート方向の山々が見える。約20分で卓蘭市内への分岐を通過。二日かけて歩い道のりは、車では半時間足らずだ。もちろん、距離も短いが。三義と湖口で休憩をとり、19時15分台北に帰りついた。
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雙崎民宿の猫 |
樟之細道は、一般的な山歩きとは性格が異なる。多くの部分が古道をつなぐ舗装路だ。車時代の前はもちろん道幅も狭く舗装もされていなかった道が、拡張され舗装路となっている。このルートは、日本でいう里山的な人と自然が交錯する場所で、尚且つ山間に開拓を進めた客家人と山地原住民との交わり、そして日本時代の樟脳開発や隘勇線など、歴史文化を体験しながら歩く道である。日本人にとって、台湾の理解をふかめるには、実に意義深いルートである。
220キロを一度に全部歩くには、途中すべて宿泊したとしてもおそらく10日はかかるだろう。我々は途中二回の二日連続歩きもいれて、都合10回、12日を要した。我々が歩いた各セクションは、それぞれの特徴がある。そうした中で、部分的に選んで歩くのも十分に意義があると思う。
過去の樟之細道の記事は次の通り:
龍潭 - 關西:https://taipeihiker.blogspot.com/2021/01/2021127.html
關西 - 竹東:https://taipeihiker.blogspot.com/2021/02/2021218.html
竹東-橫山:https://taipeihiker.blogspot.com/2021/03/202134.html
橫山-獅頭山:https://taipeihiker.blogspot.com/2021/03/2020310.html
獅頭山-三灣:https://taipeihiker.blogspot.com/2021/03/2021325.html
三灣-明德水庫:https://taipeihiker.blogspot.com/2021/03/2021329-6.html
明德水庫-獅潭:https://taipeihiker.blogspot.com/2022/01/202014-laknus-selu-trail-mingde.html
獅潭-出磺坑:https://taipeihiker.blogspot.com/2022/01/202212425.html
出磺坑-大湖:https://taipeihiker.blogspot.com/2022/02/202229-laknus-seilu-trail-crude-oil.html
大湖-卓蘭:https://taipeihiker.blogspot.com/2022/01/202212425.html
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