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2020-06-01

2020年5月31日 宜蘭神代山 加羅神社 日本時代の林業集落神社跡を訪ねる

舊太平山神社(加羅神社)遺跡の階段
大平山は日本統治時代からその後国民政府までを通じて、台湾の主要な林業地であった。太平洋から吹き付ける風がもたらす豊かな水分が、この山塊にヒノキなどの巨木をもたらした。筆者は過去二回太平山を訪れているが、ともに新しい大平山の範囲で、1917年より生産開始したいわゆる旧大平山は今回初めて訪れた。旧大平山は、現在一般に大平山として認識されている新大平山の南西側、多望溪の流域で加羅山の一帯になる。

加羅湖登山口の巨大ヒノキ
1914年、総督府の指示で梵梵山隘勇駐在所を拠点にこの地域の森林資源調査が行われ、それをもとに旧大平山操業の開始となる。1910年の梵梵山事件を通じて、原住民事情が安定し襲撃などの心配なくなった社会背景がある。操業開始時は、沢水などで木材を搬出したが、その後森林鉄道や索道を利用するようになる。操業の発展にともない、集落が山中にできていく。今も当時の神社遺跡が残る、大平山には多くの林業関係者が駐在し、小学校もあったという。実際に1918年に建てられた加羅神社の跡地を訪れてみると、今は全く当時の建物はないが、その台地や周辺の平らな場所はかなりの規模で、多くの人が居住していたことが想像できる。最多時には数百名が暮らしていたという。森林鉄道の周辺には、小さな集落もできる。伐採が進み森林資源が少なくなり、次の伐採地として1937年に現在の三星山付近の大平山へ操業の中心が移っていくと、この地は再び自然に戻っていく。

南側四季林道からスタートし留茂安へ下る
歩行高度表
 5/30(梵梵山)は北側青色、5/31は南側赤色のルートを歩いた
旧大平山の地図
今は、旧大平山には四季(旧名シキクン)か留茂安(ルモアン)から入るのが普通だ。特に前者は、人気の加羅湖へ訪れる主要ルートになるので、アクセスがよい。四季林道を車でゲートまで上がれば、数百メートルの登りをセーブできる。一方留茂安からは、枝尾根に取りつき、嘉平林道へ登る。標高差約600mある。そして林道をたどり、神代山とそのすぐ下にある神代池を訪れることができる。ちなみに、神代山の名前は大平山開拓の際に、森が神武天皇の森のようだということで、神代の名をつけたということだ。そしてさらに林道を進み、分岐から約150m下ると加羅神社跡が現れる。

嘉蘭池
今回のルートは、四季から林道を進み加羅湖への道を分けた後、さらに進んで山中の嘉蘭池と給給池を訪れ、嘉平林道をたどって加羅神社跡を訪れた。さらに林道を進み神代山と神代池を訪れ、留茂安へ下った。全行程27㎞、朝5時からスタートしたが留茂安への下りで日が暮れ、なおかつ雨が降り出したため、都合14時間半を要した。神代池の下にあるヒノキ巨木は神木と称され、神社も含めて四つの神、四神湯縦走と呼ばれる。一般的な旧大平山のスポットは全部訪れたことになる。ちなみに四神湯とは、一般に食べられるスープのことだ。

四季林道ゲート
昨晩、南山村の民宿に宿泊し早朝3時に起床、4時に出発する。まだまだ暗い中、四季部落を目指す。15分ほどで到着、ここで三台のうちの一台を下山場所留茂安へ置きに行く。下山したあと、この車で出発点に駐車する予定の二台を取りに行くためだ。戻ってきた車も含め、二台に分乗し四季林道を登る。ゲートまでは舗装された道だ。4時45分、ゲートに到着、付近の10台ぐらい停められる駐車スペースはすでに車でいっぱいだ。そこで、車は少し下り道わきに駐車する。空が白み始め、谷間とその対岸の山々が姿を現し始める。5時5分、林道を歩きはじめる。

思源埡口(旧称ピアナン峠)を遠望する
裸足であることで有名な登山家とその連れ(左)
ゲートは標高約1270m、標高1700mの林道上部まで約400m強の登りが続く。道の状態はすこぶる良く、四駆であれば十分に走っていけるだろうが、開放されていない。約3Kmほどで高度を上げていく。5時28分、遠くに日本時代にピアナン峠といわれた思源埡口の峠が見える。今は、台七甲線の道路が通り過ぎる。峠の奥には雪山山脈があるが、雲にさえぎられている。途中、三年前に八通關越嶺古道を一緒に歩いた、二人の登山家と出会う。彼らは、三日間の山椒魚の調査を終え、下山途中とのこと。久しぶりの再会だ。さらに進み、6時21分、分岐に着く。ここで休憩する。

廃棄作業小屋
荒れた加納富溪を渡る
加羅湖と記されている道標の道を進む。右に廃棄されたコンクリート作業小屋がある。若者のグループが泊まったようで、これから下山するという。加羅湖は、山中にある湖で、その周辺にも大小の池があり、人気コースである。下って加納富溪を渡る。沢底は大水でだいぶ荒れている。沢を渡り、林道を進む。ここまでくると幅員はあるが道幅は人が通るだけの狭いものになる。思っていた通り、道はかなりぬかったところも多く現れる。大平山一帯は、台湾でも雨量の非常に多い地区だ。道は乾く前に雨が降り、ずっと乾くことはない。6時48分、ヒノキの神木がそびえたつ、加羅湖登山道分岐に来る。

加羅湖步道,手前は説明板
切られずに残った巨木が林道わきにある
加羅湖登山道を分けた後の林道はぐっと歩く登山者が少なくなる。倒木も多く出てきて、邪魔をする。くぐったり、乗り越えたりと、いずれにしても厄介だ。数十年前に切り倒されたヒノキなどの大木の切り株が目立つ。伐採後に植えられたとも追われる杉は、とても大きくなっている。7時半、左に嘉蘭池への道が始まる。林道はさらに伸びるが歩く人はいない。

倒木が多くなる
苔むした森の道を嘉蘭池へ向かう
嘉蘭池から給給池をつなぎ、嘉平林道へ降りる山道は、原生林の間を進む。一部は、人造林なのだろうが、それ以外は伐採後に放置され、自然が織りなす森林となっている。湿気の多い森の底は、苔の絨毯だ。曲がりくねる根を乗り越え、進んでいく。7時40分、嘉蘭池のほとりに着く。薄暗い森林の中の波のない水面は、青空を写しだしている。雨水がたまってできている池で、水はきれいではなく濁っている。

給給池
給給池のほとりで休憩
大きな切り株脇を進む
給給池に向かって、森林の道を行く。小さな上り下りを繰り返し、8時16分分岐に来る。右下には給給池の水面が、人造林の杉大木の間を通して見える。急な下りを行き、8時23分に湖畔に降りる。休憩をとる。20分ほどの休憩後、往路を分岐へ登り返す。分岐の少し先の小高いところが、今日の全行程中の最高点だ。1780mほどで、今日の歩きは朝に登ってきた林道での上昇以外は、あまり大きな登り下りはないが距離が長い。標高差100mほどを下り、9時15分嘉平林道に降り立つ。もしこの二つの池を見ないのであれば、加納富溪から直接林道をたどってこれる。

人造林の間を行く
山羌の死骸
次の目標、加羅神社遺跡に向けて林道を歩いていく。しばらく行くと、道床が流されている部分を越える。ただ、この林道はそれほど崩れている場所がないので、助かる。厄介なのは倒木と後半に多く出てくる背丈を越えるカヤの藪漕ぎだ。9時45分、左に加納富山を経由し、台七甲線へ下り道が分かれる。道標は去年の7月なので、道の状態はまだ大丈夫かもしれない。分岐を過ぎて数分で、倒木の脇に山羌(ホエジカ)の死骸が転がっている。虫が多くたかり腐臭も強い。死んで数日というところなのか。見たところ首が異常に曲がっているので、倒木を越すとき誤って倒れ、首が折れたのだろうか。10時、少し開けた場所にくる。近くには水も湧き出ているので、露営地として使えるだろう。休憩をとる。

開けたところで休憩
林道わきを流れる小沢
休憩後、さらに林道を進む。カヤが現れ塞ぐが、草の間の道筋ははっきりしているので助かる。小さな沢が流れていく。道は山の右山腹を少し下り気味に進むようになる。右側には、樹木の向こうに加羅山が高くそびえている。10時40分、ちょっと大きな崩壊部がある。高巻道を経てまた林道を行く。10時45分、右に加羅神社遺跡への道が分かれる。ここから約150mほど下り、神社跡へ向かう。この部分も森の底を進む道だ。旧大平山林場の近くであったので、ここも多くの大木が伐採され切り株が残っている。11時23分、神社建物が立っていた台座の脇に出る。ここは神社の最高部で、集落は神社の下に広がっていた。昼食休憩をとる。

林道上のカヤを藪漕ぎ
神社遺跡への分岐部、右に下る
大きな切り株のわきを行く
食事後、近くを歩く。階段を降りると右側側に手水鉢がある。当時の写真を見ると実に立派な建物があったようだ。さらに幅の広い階段を下ると、その先には台地が広がる。その昔は、様々な建物があったのだろうが、木造なので今は何もない。当時に様々な瓶などは残っている。酒、ビール、サイダー、化粧瓶、薬瓶などが今まで訪れた登山者に集められている。数十年前に、この山奥に数百人が暮らしていたと思うと、感慨深い。時間があれば、さらに下って森林鉄道の道床などを見ることができるが、まだ全行程の半分、切り上げてザックを背負って往路を登り返す。

神社奥社の台座
とても大きな神社台地
集められた当時の瓶や陶器
当時の旧大平山写真(ネットから転載)
森の中の蛙
霧がでてきた林道を下る
12時37分、分岐に戻り林道を進む。道は下り基調になる。この先まだ数キロ歩いて次の目標神代山へ向かう。午前中は好天気だったが、午後になると霧が出てくる。林道の外は濃い霧だ。13時26分、途中小沢脇で休憩し、さらにひたすら林道を歩いていく。14時23分、神代山への分岐に来る。右に谷間を下り気味に行く。道には樹木が横に並べてあり、木材搬出に使われたのだろうか。10分ほど下り、谷間を離れ左に登っていく。霧はますます濃くなってきている。約70mの落差を登り返す。14時47分、神代山山頂(標高1565m)に着く。山頂としては、今日唯一となる。

道に置かれた木材
神代山山頂
濃霧の中の神代池
神代神木
往路を分岐へ戻る。ちょっと雨がぱらつくがまだ大丈夫だ。15時23分、分岐へ戻りまた林道を進む。少し谷間の間を登り返し、少し下ると神代池の分岐がある。池はすぐ下だが、濃霧でほとんど見えない。分岐の近くには焚火跡と空の酒瓶が転がっている。おそらく原住民などが猟をしたときに残したものだろう。林道をさらに下り16時04分、右下に神代神木を見る。これで、今回の行程中のすべての目的物を見たり目的地を訪れたことになる。残りは、林道をさらに進み留茂安へ下ることだ。時間は16時を回り、時間との競争だ。しかし、道にはさらに多くの倒木やカヤがあらわれ、思いの外時間がかかる。

倒木を潜り抜ける
林業時代の看板
いやになるほどの倒木が現れる
急坂を下る
16時44分、林業時代の大きな標識を道脇に見る。17時20分、留茂安への下山道入口にくる。これから標高差約700mを下る。道はかなり急で、ところどころ狭い尾根になる。両脇は濃霧、次第に夕暮れ迫り、ヘッドランプを取り出す。18時を回り、雨が本格的に降り出す。雨具をつける。そのうち竹林に入る。すでに暗く、竹林の中は道筋が実にわかりにくい。ところどころ現れるマーカーリボンや、GPS地図と比較し、正しい道であることを確認する。雨でぬれた道は実に滑りやすい。ロープが取り付けられているのが幸いだ。かなりの苦労をした後、19時40分台七甲線の登山口に降り、少し進んで留茂安の集会広場に着く。屋根下の広場で助かる。雨や木の葉のしずくでかなり濡れた衣服を取り換える。四季林道のゲートに残した車を取りに行き、帰途に就いたのは21時半近くであった。この時間は大丈夫だと思った雪山隧道はまだ大混雑で、台北に帰りついたときは12時を回っていた。

@留茂安
5時からスタートし、19時半過ぎまで約14時間半を要した。最後の下りはすでに日が沈みさらに雨で道の状態が良くなかったこともあり、予定していたより時間を要した。歩行距離約27㎞である。仲間を連れて歩いた者としては、全員無事に歩き終えたことは何よりの幸いだ。

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