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2019-11-13

2019年11月12日 貢寮龜媽坑古道 - 桶盤堀尖 棚田と住居跡の残る古道とススキの山稜

雪山山脈尾稜の草原を行く、背後は大湖山、右は桶盤堀尖東峰
台湾の主要山脈の一つ雪山山脈は、標高3886mの盟主雪山主峰を最高峰として、台湾の北部から中部へとその山並みを連ねている。北端は、台湾北東の三貂角で海に落ちる。この雪山山脈尾稜と呼ばれる北端の部分の稜線は、東に海を見る草原が点在する。天気が良ければ、実に気持ちのよい山歩きができる場所だ。筆者が初めて訪れたのは4年ほど前だが、そのころはボランティアによる草刈が行われても、一年もたつとまた草木が茂り、歩くのが困難になってしまった。

時計回りに回遊
歩行高度表
最近淡蘭古道が整備されているが、そのうちの一部になる隆嶺古道がこの北端の稜線で峠越えをする。今年は、藍天隊が業者を雇いこの山域の山道草刈整備をしている。そのおかげで多くの登山者が訪れ、道が良い状態に保たれるという良いサイクルができている。筆者は、今年の四月に三回目として隆隆山から隆嶺古道へ歩いたが、過去でもっともよい状態だった。その時は、本来隆嶺古道鞍部からさらに稜線を登り、大湖山から龜媽坑古道を下る計画だったが、時間と天候が悪くなったので取りやめ、鞍部から直接下った。今回の山行は、その時歩かなかった龜媽坑古道東線や最近また手入れされた桶盤堀尖への稜線を歩くものである。

歩いたルートの位置
橋の前で線路の下をくぐる
7時半台北駅から自強号で出発点の福隆駅へ向かう。平日だが、社内はほぼ満席だ。ススキの穂が満開の今は、草嶺古道へ向かうハイカー多い。列車は数分遅れで福隆に到着する。駅待合室に行き、今日参加のメンバーと出会う。筆者を入れて都合16日、平日だがちょっと多めの参加者だ。

登山口へ舗装を歩く、遠くにこれから歩く山が見える
左が龜媽坑古道東線、右が西線への分岐
9時に歩き始める。線路に沿って少し行き、橋のところで線路をくぐり反対側に行く。廟の前を通り過ぎ、産業道路を歩き始める。緩い上りを進む。右にこれから登る山塊が見える。9時15分、分岐にくる。右は三年前に歩いた龜媽坑古道西線の登山口に続く。今回は左にとり、龜壽谷街22號の民家前を過ぎる。今はだれも住んでいないようだ。急な坂道を少し登り、9時18分右に廃屋を見る。ここが登山口だ。

龜壽谷街22號の民家前を行く
龜媽坑古道は踏み跡が明瞭
山道が始まる。実は、この古道は状態が良くないのではないか、と心配だった。ところがよく歩かれているようで、踏み跡は明瞭だ。雑木林の中を緩く登っていく道脇には、キク科の黄色い花がちょうど盛りだ。そのうち高度を上げ山腹を行く。9時48分、沢を渡る。石積み土留壁が現れる。以前はここは何段もの棚田だったようだ。さらに数分行くと、また沢を越え、棚田が続く。10時4分、石壁が残る中心崙廃屋に来る。かなり規模が大きく、三軒ある。廃屋には甕やガラス瓶ものこっていて、当時の生活がしのばれる。休憩をとる。

棚田址を行く
石壁の残る廃屋
雑木林の間の緩い坂を行く
歩き始めてすぐ、左に家畜小屋の壁と思われるものがある。少し登っていき、右に山肌にそって道はほぼ平らに進む。この辺りも棚田だったようだ。三軒の家族が暮らしていたので、この規模の田畑が必要だったのだろう。10時26分、谷間になり右から龜媽坑古道西線からの道を合わせる。しばらく急坂が続く。

ススキの間を登る
大湖山山頂
10時35分、幅の広い土の道になる。左方向は踏み跡がほとんどないが、地図上では道になっている。右にとり、登っていく。背の高いススキが道の両脇に生えている。10時46分、草がきれて稜線上にでる。草が刈られていて、海が下方に見える。左の山は福隆山だ。右に少し進み大湖山山頂(標高489m)に着く。

幅の広い稜線道を下る




青空の下には青い海、ちょっとかすんでいるが龜山島が遠くに浮かんでいる。この山域は、今頃訪れのが最もよい。休憩後稜線を歩く。前方に脈々と続く山並を見て下る。以前は人ひとりの幅の踏み跡は、わきの草も刈られとても広くなっている。ちょっとした灌木帯を通り過ぎ、11時22分池をみるとすぐに十字路になる鞍部につく。右は遠望坑古道が始まる。左は石城駅に下る。ただ、こちらは草に埋もれている。峠から稜線を登り返す。間もなく草原に出る。この緑の草原と切れ落ちた崖の下に広がる海、これが雪山山脈尾稜歩きの魅力だ。

稜線から見る景色、左奥に福隆、右には海
桶盤堀尖山頂
水牛の糞がところどころ落ちている。今日は、牛の姿はない。11時38分、桶盤堀尖東峰(標高440m)を通過、さらに稜線を登り下りしていく。北側遠くには福隆の街、そしてさらに遠く、瑞芳の山々が望める。灌木帯に入り、11時53分桶盤堀尖(標高435m)に着く。右に下り、そこで昼食休憩をとる。

厄介な倒木越え
沢を越える
稜線を追っていけば草嶺古道の峠に行きつく。我々は右にとり、12時25分尾根を伝って下る。送電鉄塔はないが保線路と呼ばれる道を下る。今までの道に比べると、程度はおちるが道筋ははっきりしている。そこそこの勾配でどんどん下る。13時6分、沢に降り立つ。小休憩後登り返し、遠望坑古道に合流する。道は山腹をほぼ平らに進み、右に回り込んでいく。分岐を右にとり、13時半林六合祖厝に出る。林家族の先祖を祭った祭壇の部屋を中心に左右に広がり、大きな前庭のある家屋だ。休憩をとる。前庭の向こうには、燦光寮山草山など瑞芳の山々が遠く望める。

林六合祖厝の前でメンバー全員写真
遠くに瑞芳の山々
当初の予定では、林六合祖厝から草嶺古道にでて貢寮駅へ歩くつもりだった。しかし、時間も早く車道歩きではつまらないので、また山を越えて福隆駅へ行くことにする。13時50分、林六合祖厝からさらに山腹道を行き、産業道路でて虎子山古道を歩き始める。虎子山古道は入口がちょっとはっきりしないので迷ったが、古道は入るとすぐに登り始める。左に折れ、平らな棚田跡と思われる道を行く。すると14時13分、石積壁の残る廃屋が現れる。マーカーリボンは少なく、道標もないがこの道で間違いないようだ。

石臼の転がる廃屋
虎子山古道の峠部分、右に稜線を行く
さらに行くが、地図上の登っていく道がわからない。マーカーリボンのある平らな道を行くが、どうもおかしい。メンバーが強引に戻る方向で雑草が邪魔する雑木林を登り気味に行く。棘だらけの黃藤が多く茂り、行く手の邪魔をする。そのうち踏み跡が見つかり、それを登っていく。14時47分、2016年日付の藍天隊の道しるべがある峠に着く。ここから福隆側に下っていく道は、今登ってきたのと同じように頼りない。そこで、右へ尾根上を進み、龜媽坑古道西線経由で下ることにする。

龜媽坑古道西線を下る
分岐までの尾根上の道は短いが、ここもあまり歩かれていないようで、荒れている。鎌を持ってきてよかった。先ほどと同じように黃藤のとげが引っ掛かり邪魔をするので、枝を刈りながら進む。15時2分、分岐に到着しホッとする。

龜媽坑古道西線も東線と同様に、勾配はあまりきつくない。棚田が現れ、15時19分廃屋に着く。少し休憩をとり、さらに下る。芭蕉畑が現れて間もなく、15時40分民家脇の登山口に着く。朝歩いた車道を下り、15時55分福隆駅に着く。16時12分発の電車で帰途に就いた。

廃屋前で小休憩
登山口についた
当初心配だった、龜媽坑古道は全く問題なかった。それだけ頻繁に登山者が歩いているということだ。一方、虎子山古道は、直接稜線に続くのではないので、あまり歩かれていないのだと思う。3年前に整備されたあと、ほとんど歩かれていないのではないだろうか。いずれにしても、同行のメンバーは登山経験者も多く、歩くテンポもよく、軽快に終了した。虎子山古道の部分を除けば、このルートはクラス3だ。

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