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大湖山山頂からススキ越しに瑞芳金瓜石の山々を望む |
秋晴れの海と山の景色は、時々吹き抜けていく爽快な微風とともに、実に気持ちのよい記憶を残してくれる。この時期は台湾の近郊登山の最適な時期だ。11月は、ススキの穂が風になびき、銀色の山肌を呈するときでもある。清朝時代の台北と宜蘭をつなぐ主要な旧街道淡蘭道の一部
草嶺古道は、ススキの景観をもとめて多くのハイカーがやってくる。そのすぐ北にも、峠越えの古道がいくつかある。今回歩いた龜媽坑古道と遠望坑古道も、そうした古道だ。
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海岸線を望む、沖には龜山島、右の山は灣坑頭山 |
こうした古道は、官製街道のような立派な石碑はない。主に日ごろの生活のために開かれ、歩かれていた道だ。車道が整備され、交通手段が変わり古道は忘れられる。昨年にボランティアによって整備された龜媽坑古道は、幸いなことに
先月の隆隆山に比べると、引き続き多くの登山者が歩いているようで、道筋もはっきりしていた。一方遠望坑古道は、ポピュラーなハイキングコースである草嶺古道のすぐそばにあるが、もともとは谷間にあった住居の住民が生活のために使用していた性格が強く、住民が移住した後は多くの棚田とともに自然に戻っていったようだ。こちらは、道が土砂崩れで流されている部分があり、状態は必ずしもよくない。
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福隆駅から右回りに歩く |
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歩行高度 |
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福隆駅、多くのハイカーが下車 |
自強号急行で8時40分に福隆に到着する。今日は、天気がとてもよく車内は満員、プラットフォームに降りても人であふれている。ほとんどの人は、草嶺古道へ向かうハイカーだ。押すな押すなの人ごみから改札口を出て、メンバーが集合する。事前に出席の知らせがなかった仲間もいる。最終的に十名のメンバーだ。9時に駅前を出発する。線路沿いの道を進む。前方には、前回苦労した隆隆山の山並みがくっきり見えている。わずか二分ほどで、右に鉄道橋の下をくぐる。土地公の前に出て、左に産業道路をとる。ここから山に向かい進む。風が吹き抜けて、今日は快晴だがそれほど暑さに苦労しなくて済みそうだ。
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龜媽坑古道入口、犬が吠え立てる |
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バナナ畑の脇をゆく |
9時18分、道路が右分岐する。少し入ると四匹の犬が一斉に吠え立てる。民家脇のところから龜媽坑古道西線が始まる。龜媽坑古道は、これから進む西のルートと、分岐せずに舗装路を最後まで行ったところから始まる東線がある。我々は、この西線をとり山を登る。最近屋根のコールタールを塗り返した民家の屋根の脇を道は進み、すぐに左におれてバナナ畑の脇を行く。畑が終わると雑木林の古道になる。9時33分、石積の廃屋前を過ぎる。こうした廃屋は、古道の古道であるが由縁である。以前はこの地に人が暮らし、この道を日々歩いていた。
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廃屋を通り過ぎる |
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秋の日差しが雑木林の中にしみこんでくる |
石段が現れる。これも古道の特徴だ。道は雑木林の間を緩い坂道で登っていく。南の桃源谷からずっと東北端の隆隆山まで、雪山山脈末端のこの山並みは、北側は緩やか、南側は断崖のような急斜面で海岸に落ちる。北側のこの斜面には、畑を起こし人が暮らすだけの場所がある。9時53分小沢のところで一休みする。もう一つの小沢を越え、10時10分稜線に出る。右から虎子山古道が合わさり、峠を越えた道は遠望坑方向に下っていく。ここは左に、山腹をゆく龜媽坑古道をそのまま進む。先ほどの稜線の北側で薄暗かったが、ここで方向が変わり、木々を通してくる光がまばゆい。木々の間より、草山など金瓜石の山々がくっきり見える。
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藍天隊の道標 |
10時29分、藍天隊の新旧道標がたくさん取り付けられた分岐に来る。そのまま進めば龜媽坑古道西線を、のちに通る鞍部へと行く。ここから左に稜線の道をとる。分岐からすぐ上に中心崙(標高345m)がある。と、いっても山頂でなく山腹に埋められた基石があるだけだ。さらに少し登ると、また分岐だ。左は龜媽坑古道東線へ下る。右に稜線上の道を進む。この道は、先ほどの龜媽坑古道に比べると歩かれている頻度が少ないのか、少し草深い。といっても、隆隆山にくらべればずっとましだ。日差しが雑木林の中まで照らし、明るい。10時37分、池がある。おそらく灌漑用に作られた池ではないか。そのすぐわきには墓もある。今はだれも墓参りに来ない、忘れ去られた墓だ。緩やかに登る道は、草深くところどころ倒木もあるが、問題ない。10時55分、すこし休憩する。
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大湖山山頂のメンバー |
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頂上から望む龜山島 |
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頂上の筆者 |
休憩後十分ほど進む。ススキが現れ、山頂が近い。左には、隆隆山の山並みが見える。11時16分、大湖山山頂(標高489m)に到着する。今日の最高点だ。
昨年5月に訪れたときは、周囲の草は刈られてもっと広い感じであった。今日は季節の違いもあるのだろうが、ちょっと狭い。すっかり晴れ上がった海の沖合には
龜山島が浮かぶ。秋の風がススキの穂を揺らし吹き抜けていく。日差しは強いが、あまり暑さを感じない。実によい季節だ。
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ススキの間を下る |
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十字鞍部で昼食休憩 |
写真撮影の後、右に稜線を下り始める。下り口からは、
灣坑頭山の特徴ある山を含む桃源谷の山々が、とてもくっきり望める。目を凝らせば草原の稜線上を行く、石段歩道も判別できる。その向こうには、遠く
鶯仔嶺やさらにその左には蘭陽平野、そして雲の上に太平山がうっすら浮かんでいる。秋は空気中の水蒸気が少ないのだろう、前回よりずっとくっきり見える。少しくだると、背より高い矢竹の中を進む。矢竹の切れたところからは、前方に山並みが見える。この先雑木林に入ると展望は終わる。牛が歩いているせいだろう、道はところどころ土が掘り返されている。11時48分、稜線道を下りきり、十字路鞍部に到着する。ここで食事休憩をとる。秋とはいえ、暑いので冷えたビールはうまい。
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山羌の足跡 |
40分ほどの長い休憩のあと、12時半右に山を下り始める。昨年5月は峠から直進して、稜線を草嶺古道の峠啞口へ出た。左に行けば石城へ急坂を下る。峠から少し下り、小沢が現れる。左に山投林の間を左に回り込む。峠から数分で、右に龜媽坑古道西線が分岐する。先ほど小沢のところに龜媽坑古道西線と記した古い道標があったが、これは旧道で今はこちらのほうが歩かれているようだ。分岐は左に遠望坑古道を進む。午前中、時々耳にしていた山羌の新しい足跡とフンがある。ここまで道すがらでも、フンも見つけた。谷を進んでいくと、また別の沢が現れる。ところどころ崩れている場所もある。そのうちに棚田が現れ、道には苔むした石段が続く。かなりの段数の棚田を過ぎ、13時に集落跡にくる。王家住居跡と記されているが、数戸の石積廃屋がある。かなりの人数で暮らしていたようだ。
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苔むした石段が続く |
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割とはっきり原型を保つ棚田 |
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王家古厝遺跡 |
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沢沿いに下る、右には棚田 |
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沢を渡る |
廃屋からさらに下っていく。道は沢沿いに下り、その脇には棚田が何段にも続く。樹木が生え自然にもどった棚田は、土留の石積がなければわからないかもしれない。数分で沢を越える。その先にも棚田はある。これだけの棚田をやっていくには、先ほどの集落の規模が必要だったのだろう。住民がすべて移住し、自然に戻ってしまった。これだけの規模の棚田を開墾するには、かなりの労力、血と汗を投じたに違いない。しかし、自然の力は大きい、わずかの間にもとの姿に戻してしまう。
雙溪の中坑古道は、田んぼが草原に換わった棚田が多く残るが、このような棚田は実は例外だ。
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山腹の緩やかな道をゆく |
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廃屋前で最後の休憩 |
13時30分、土砂崩れで道がきれてしまった場所を過ぎる。沢を越えたあとは、右岸に道が続く。道は緩やかになり、沢のかなり上を進んでいく。13時13分、左から保線路を合わせる。その先途中道が分岐するが、また一緒になるようで、右にとって進む。13時55分、壁だけの残った住居跡に来る。ここで一休みする。青空はとても高く、住居跡の石枠上に生えるススキが寂しさをかもしだす。
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産業道路から金瓜石の山並みを遠望 |
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草嶺古道との合流点、左が古道。ハイカーが多い |
14時10分、最後の歩きだ。すこし進むと産業道路にでる。左に舗装路を下っていく。前方には、瑞芳金瓜石の山々が広がる。ヘアピンカーブを曲がり、14時21分草嶺古道と合流する。ここから俄然人が多くなる。今日は古道を歩き始めてからは、他人には全然出会わなかった。草嶺古道は、まったく別世界だ。忘却の棚田の古道から、いきなり現実の世界に戻された感じだ。親水公園内の道を進み、車道にでる。14時51分、濱海公路の遠望坑口に着いた。11月のこの時期は、福隆駅までシャトルバスがある。先ほど、ちょうど前の便が出たところだった。歩いてもいけるが、結局30分ほどバスを待ち、福隆駅へ戻る。数分遅れの復興号急行にちょうど間に合い、台北へ戻った。
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親水公園内の道をゆく |
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臨時シャトルバスのお知らせ |
歩行距離約10㎞、登攀累計860ⅿ、休憩込みで6時間の行動時間だ。メンバーの足並みがそろっているので、スムースに完了した。風が吹き抜ける、快晴の秋の山歩き、実に爽快だ。行きは満員だったが、帰りは座れなおかつ1時間ほどと速く台北に帰って来られた。遠望坑古道はすこし困難度が高いが、龜媽坑古道西線や大湖山は道筋もはっきりしているので、大丈夫だ。困難度はルートはレベル3~4、体力はレベル3である。
謝謝老師
返信削除不客氣.
削除謝謝老師
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