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北橫公路から見る南插天山と魯培山(2015年5月撮影) |
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那結山頂上から大漢渓の谷を挟んで見る南插天山(2015年1月撮影) |
新北市烏來区は、三峽区と桃園市復興区と山脈を境に隣接している。この山脈は三峽区熊空の奥にある
逐鹿山からずっと南西に下り魯培山で方向を東南に換えて
拉拉山へと続く插天山脈である。插天山脈中の最高峰は標高1907mの南插天山である。そのすぐ東に魯培山がある。北横公路を羅浮へ向かう途中右側に、大きな山容でどっしり構え山脈名主の貫禄十分である。
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小烏來から往復する |
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頂上までほぼストレートに登りが続くルート |
五月末、插天山脈の一峰、卡保山(カボ山)を烏來側から登った。昭和15年(1940年)秋に行われた台北工業学校山岳部の秋山行登山対象の一つであり、その足跡をたどるのもひとつの目的であった。秋山行は、登山隊をいくつにわけて実施し、部長であった千々岩助太郎も一緒に登ったグループは南插天山を登っている。リモガン(現在の福山)からタラナン経由で大羅蘭溪沿いに行き、尾根に取り付いて登ったようだ。当時は、現在のような登山道はなく、原住民の道案内のもとの登山である。朝6時半に出発、夜21時に帰還という、きつい登山であった。
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插天山脈の南端にある南插天山と魯培山 |
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登山口への途中、派出所に立ち寄り入山許可書を渡す |
今回の登山は烏來側からではなく、稜線を挟んで反対側の小烏來からの往復である。烏來福山から直接南插天山へ登る道は、すでにないので山岳部と同じルートを歩くのであれば、自分で切り開いていくしか無いようだ。山岳部メンバーは、大変な苦労であったようだが、我々も約1400mの標高差を稼ぎ、往復9時間半を費やし、やはり楽な登山ではなかった。勿論、今はしっかりした登山道があるので、道無き道を歩んだ山岳部メンバーに比べればまだ楽ではある。
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登山口、自然保護区の看板と、クマ注意の警告 |
南插天山や魯培山は、登山に先駆け插天山保護区の入区許可と乙種入山許可申請が必要だ。前者は、貴重な自然環境を保護するため入山者総量制限である。後者は、最寄りの派出所でもその場で申請できるが、前もって行えば書類をその場で提出すればよく、手間が省ける。いずれも今はネット上での申請が可能である。今回は、メンバーの一人が全員に代わり申請した。今回のパーティは当日急に来れなくなったメンバーもいたので、都合五名である。MRT古亭駅に6時半に集合し、カーシェアの車で一路小烏來へ向かう。約1時間で小烏來の派出所に着き、すでにネット上で得ている入山許可書を窓口で渡す。更に車を走らせる。大漢渓を挟んで対岸に羅浮の集落が見える。産業道路を進み、8時に登山口に到着する。台北から一時間半の道のりだ。
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はじめは平な道が続く |
支度をすませ出発する。歩み始ようとした時、バイクに相乗りした原住民が通り過ぎ挨拶していく。午後雨になるので、気をつけるようにと。彼らは実に人が良い。75年前に山岳部メンバーが南插天山登山を終え、夜空腹でクタクタになって原住民部落タラナン社に着いた時、蒸かした芋などを学生部員に与え暖かく迎えていることを、記録者三島はこう書いている。「..高砂族の純情で愛すべきことは常々(千々岩)部長から聞かされていたが、今日の真実こもったもてなしこそ僕は終生忘れえないだろう。」
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水道管吊橋、橋脚に頂上まで4,5時間との案内板 |
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沢を越す |
登山道入口脇には、熊の出没があるので注意とある。道両脇の下草は濡れている。昨日午後も雨が降ったのだろう。ズボンはたちまち濡れる。平らな道を進み、沢を渡る。そのすぐ先に水道管吊橋がある。水道管の上を歩いて渡る。下を見ると結構な高さだ。更に平な道を行くと、右にまがり沢にそって進む。しばらく上流に進んで沢を渡る。飛び石を渡るが踏み石は水の中だ。沢を越えた後、大岩がごろごろする窪みを登る。その上は竹林の中の急坂が続く。8時47分、坂道が終わり開けた場所に来る。ここから南插天山北峰(上宇内山)への道が分岐する。一回目の休憩を取る。
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岩のごろごろする坂を登る |
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北峰への分岐、南插天山はここを右に行く |
登山口は標高約670m、南插天山は1907m、落差約1230mある。道は一本調子の上り坂である。こうした登りは、短めの30分間隔で休憩をとる登りがよい。しっかり登り、しっかり休む。全員の体力は揃っているので、ペースを保ちリズムよく登っていく。北峰の山腹にそって上りが続く。下が空洞の巨木が現れる。今日はじめての巨木だ。今日の登山は、頂上も含めてほとんど展望がない。登山醍醐味の一番の要素が無い。しかし、この山はなにか別の魅力がある。それは大きな森林美であるし、チャレンジするに値する山容であるのだろう。9時9分、別の北峰への分岐に着く。
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雑木林の道が続く |
道は、ここから枝尾根上を進む。巾の広い尾根である。9時25分、少し広い場所に着く。二度目の休憩を取る。道は、山腹を斜めに進むところもある。尾根の形状が少しはっきりしない。風もあまりなく、全身から汗が吹き出し、汗がメガネのレンズに滴り面倒だ。補助ロープの付けられた急坂も現れる。10時6分、坂を登り切ると開けた場所につく。焚火あともある。水さえ準備すればテント泊ができる。休憩をとる。
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急坂を登る |
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休憩の広場 |
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道にたくさん落ちている花 |
坂道は、ここからしばらく勾配が緩くなる。数分ゆくと、倒木の枝に青いものがかかっている。近づくと、誰かが落とした青い上着だ。道にはたくさんの小さな黄色の花が落ちている。ゆるい坂は約20分ほどでまた急坂になる。急坂をのぼりつめ、尾根を巻き込んで登ると、大岩の広場になる。休憩にちょうどよく、休みをとる。坐る岩は冷たくひんやりする。標高は約1500m、残りは400m。中級山の感じが大分濃厚になってきた。
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大岩の休憩場所 |
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南插之星神木 |
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ところ狭しと生える根を踏んで登る |
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落雷で空洞になった巨木 |
再出発してまもなく、檜の巨木が現れる。南插之星と呼ばれる神木である。樹相が大きく変わってくる。枝を四方八方に伸ばす灌木の林を登る。足元はそこら中に伸びている根である。落ち葉が堆積してフカフカの絨毯地面を歩く。狭い尾根を少しいくと、落雷で中ががらんどうになっている檜の大木がある。内側は焦げたあとが残っているが、根本から別の幹が伸びて、木としてはまだ生きている。そのうち尾根から外れ、道は溝状の間を進む。11時27分、分岐に着く。左は避難小屋をへて南插天山と魯培山との鞍部へ続く道だ。休憩をとる。腹がへったので握り飯を食べる。他のメンバーも昼飯を取る。
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頂上が近づき、苔に覆われた倒木が多い |
20分ほどの休憩後右へ南插天山への道を登り始める。頂上まであと標高差200m強、30分ぐらいだ。高度が上がってきたので、樹木もまばらになり、高さも低くなる。足元は緑の苔で覆われている。12時10分、稜線上の分岐に着く。右にとり小さなコブを二つ越えていく。12時16分、南插天山頂上に着く。登山口から約4時間の登りである。75年前、台北工業学校のパーティは、7時間半かけて登頂している。ルートが違うが、彼らは大変な苦労をして登っている。樹木に囲まれた頂上は、中心に三等三角点基石がある。脇には山名板が金属ポールに取り付けられている。空は曇り、時々薄日がさすが、暑くない。冷凍したビールを取り出し、みんなで祝杯を上げる。ビールはちょうど良いぐあいいに溶けている。
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南插天山山頂 |
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頂上の筆者 |
30分ほど頂上で過ごしたあと、次の目標魯培山へ向かう。稜線上の道はゆるやかに下っていく。低い灌木の道は、雑木林に変わる。13時5分、頂上から約20分ほどで、鞍部分岐に着く。稜線をそのまま進み最低鞍部から登り返す。13時13分、少しひらけた山道の脇で休憩を取る。時々日が射しこんでくる。もともと展望がないのであまり気にしていなかったが、時々霧が発生するものの、それほど天気は悪くない。涼しい風が稜線を吹き抜けていく。この時期、この高度でないと体験できないひんやりした風だ。しばし、登りの苦労を忘れる。
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鞍部分岐部 |
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頂上が近づき熊笹が現れる |
休憩後更に10分ほど急坂を登ると、坂が緩くなる。南插天山では見かけなかったが、插天山脈の他では頂上付近でよく見かける熊笹が現れる。一度下りまた登り返してしばらく進み、13時38分、魯培山頂上(標高1905m)へ着く。魯培山は盧培山とも書くが、もともとは原住民の言葉で日本時代はルペエ山と呼ばれている。頂上には山の字の基石があり、鉄の鋳物部品がそれを覆っている。何の部品なのか、どうしてこんなところにあるのか不思議だ。頂上は三叉路になっており、右に行けば拉拉山,左に行けば北插天山である。稜線を縦走する登山者は、今までの道と比べると相当少ないはずで、道の状態もそれほど良くないと思う。しかし、一度は縦走して見たいものだ。要はアクセス交通手段である。頂上でしばし休む。ここでもビールで乾杯する。
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魯培山山頂 |
13時53分、下山を開始する。これから先は、すべて下り坂である。先ほど登ってきた道を下る。霧が濃くなってきて、林の中は幻想的な姿になる。14時12分、稜線鞍部の分岐に戻る。ここから右に取り、避難小屋へ進む。空は、ますます暗くなり、夕方になったかのようだ。山腹道を進むうちに、いよいよポツポツ雨が降り出した。避難小屋へ行き、そこで雨具を着けるべく急ぐ。そのうち雨脚は強まり、いよいよそこで雨着を着ける。付けた後少し行くと、避難小屋が現れた。そのまま少し急いでいけば、避難小屋についたようだ。小屋の中でズボンやその他、雨具を更に取り付ける。雨脚が弱まるまで、少し待つ。避難小屋は、土間で屋根も壊れたところにシートが被せてある。雨漏りはするものの一時しのぎにはOKだ。
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霧の濃くなってきた稜線を進む |
14時48分、10分ほど小屋で待った後雨脚が弱くなったのを頃あいに、歩き始める。この山腹道は、南插天山の北面を横切るが、概ね下り基調である。小屋からしばらく行くと、山腹の傾斜がゆるやかになり、15時3分頂上へ直接登る道との分岐点に来る。登山時に休憩したところだ。そのまま、更に下る。木の根が滑りやすい急坂を下り、分岐から30分ほどで大石の休憩場所に下る。少し休む。
ここから少し急坂を下った後、坂はしばらく緩くなる。広場をすぎてまた急坂が始まる。雨は時々、強く降る。天気予報では、今日は午後から夕方まで雨の確率が90%である。まさに的中している。みんな黙々と濡れた山道を下る。汗が流れて、雨具の外も中もびっしょりだ。汗がメガネに落ち、また湯気で曇ってよく見えない。拭うタオルもびっしょりで、時々絞る必要がある。
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避難小屋前のメンバー |
16時37分、休みなく1時間ほど下り北峰への分岐に着く。ここでしばし休憩する。残りは標高差約300mぐらいまでやって来た。山腹道を進み、もう一つの北峰への分岐を過ぎる。ここからまた急坂を下る。竹林が切れると、大石がゴロゴロする場所を慎重に滑らないように下り、17時に沢に着く。水量は雨のせいで増えている。靴の中まで濡れているので、気にせずそのまま水の中を横切る。足が水の中で泳ぐのは歩きにくいので、渡った後靴を脱いで靴下の水を絞る。ここまでくれば、後はもう問題ない。沢沿いに少し進み、左に離れて山腹を進む。もう一つの沢を簡単に過ぎ、水道管吊橋を越す。17時35分、道の向こうに駐車してある車が見えた。登山口に戻ってきた。
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雨の中を分岐通過 |
今回は、下りでかなりの雨に見舞われた。ただ、登山中ではなくてよかった。もし登っている最中であれば、意気消沈で魯培山へは行かずに下山したかもしれない。もともと展望がない山岳なので、天気はそれほど気にしてはいなかったが。ただ、雨も山登りには着いて回るもの、今回は全身濡れたものの、用意してあった着替えに着替えれば問題ない。台北工業学校山岳部のメンバーは、たくさんの蚊に悩まされたとある。我々は蚊には遭遇しなかったが、アブには閉口した。追い払っても追い払ってもついてまわる。何匹か叩いて殺したが、それでも足らない。自分はヤマビルにはやられなかったが、メンバーには血を吸われた者もいる。ただ、それらを含めてすべてが山登りである。次回は、縦走路を経て南插天山や魯培山へ登りたいものである。困難度はルートはレベル3、体力要求度は4、登り一本でかなり辛い登山である。ただ、
五月の卡保山ほどではない。