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2012-12-17

2012年12月8日 日本丹澤山群鍋割山與塔之岳 - 觀賞白色富士山

鍋割山登り途中から見る富士山
12月初旬に日本に一時帰国したとき、丹沢の鍋割山から塔ノ岳に登りました。初冬の山は、以前と同じ彩りと、雪をかぶった富士山の美しい姿で迎えてくれました。日本の山なので、前回の川苔山などと同様に、(下手な)中国語で山行記録を載せます。

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西山林道旁的丹澤大山國定公園木碑
從我故鄉町田往西南方向眺望,丹澤山群在冬天的蒼藍晴空下竪立著,背後富士山將其純白的山頂露出於丹澤群峰上。這就是我少年時被冷風吹著看慣的冬天風景。趁着十二月初回日本的機會,我去爬了丹澤山群之一座鍋割山,再縦走至塔之岳。自两座山山頂都能遠眺完美的富士山全景。雖前晚下一點雨,但當天天氣變了全晴,讓我充分地欣賞雪冠的富士山。

丹澤山群位於東京的西南方(滑鼠click放大圖)
O型行程,從左邊的路線上山,由右邊的大倉稜線山路下山
每逢冬天,來自西伯利亞的冰凍北風在吹過日本海上空時吸收海上的水分,先使得北陸地區變成雪國後,變乾燥的冷風刮到關東平野。冬天的關東地區又冷又乾,周邊的山區有時會下雪,但東京附近的不會積深雪,登山活動還是活躍。

大倉附近的田園風景
在十二月東京地區白天較短,下午到了四點半天就開始黑。今天的行程需要七,八小時,因此我六點半就出門,以確保在天黑前下山。搭乘小田急線6:50的快車,走了三十多分抵達澀澤站。下車的乘客多半是登山客,今天是周六,不管是什麼季節丹澤的登山活動都很熱絡。在北出口巴士總站往大倉的巴士已在等著,登山客紛紛上車後開車了。走出市區後,巴士爬起上坡路,7:50到了終點大倉遊客中心站。

林道上的地藏神
下了車發現氣溫還很低,先穿上厚衣等整裝一下,再往鍋割山啟程。從遊客中心可通至三座山,各別為鍋割山,塔之岳和三之塔山。要往鍋割山依照路標走左邊的車道。今天要爬鍋割山的登山客還不少,我的前後都有幾個人向同一方向在走著。沿著柏油車道上去,走經寬闊的田園中,眼前展現今天的目標山塊。車道走了十分鐘,即變成泥土山路,走進杉林中。8:15杉林中的山路接至西山林道,就在此轉右往二俣走。轉彎沒多久,路左旁有丹澤大山國定公園的大木碑。國定公園是指經中央政府指定,交由地方政府進行管理的自然風景地域。一部車寬的林道穿過人工杉樹林中緩緩地上去。此處高度為350m,二俣則大約550m,以相距3.7km的路要爬200m高度,算是緩坡。走林道十幾分鐘,路右旁有個地藏神像,地藏相當於台灣的土地公。有人還在拜祂,神像前有插著野花,水和橘子等供品也有。

尾關廣先生像
林道沿著山腰的形狀彎彎曲曲走上去,轉了一個大彎後左邊有路標和說明看板。這是往黑龍之瀑布的岔路。如果下山經過這裡仍有時間,值得下去看一看,但今天要趕路,繼續往二俣走林道。再走一陣子,過十字岔路後,林道變較陡。上去至頂部,左邊有被樹木圍繞著的小廣場,其中間有個銅胸像。這是為紀念尾關廣先生而立的。據說明,尾關先生對丹澤山群的登山活動發展有相當大的貢獻,也為建立登山訓練中心而盡力。從此看得到谷底的訓練中心建築物。

二俣,登山客在過木橋
登山客走在落葉樹下
走大約一小時的林道,9:05抵達了二俣。路標表示往鍋割山還有3.6km的路程。這裡是兩條溪水會合的地點。夏天的話,該是很好的休息處,也可戲水。溪水上設有簡易木橋,水量不少,過木橋才能安全渡溪。在對岸邊有條鐵鍊鎖住林道,禁止一般車輛進入。路旁的樹木是落葉樹為主,大部分的樹已都掉光葉子,但還剩的葉子則變得黃色或紅色,在深藍的天空下顯然漂亮。再上去幾分鐘,林道左邊的河流幅度變寬,使視野也變大。前上方看得到一座山頭,可能是鍋割山。從二俣走20分鐘,林道到了盡頭。這裡也是兩條溪水會合地點。林道終點處有很多裝水的寶特瓶。一張看板說明,這是鍋割山莊請託登山客義務替它運上去的水。我裝了一瓶容量1.5公升的寶特瓶在背包裡準備運上去,其他登山客也裝寶特瓶。

前上方最深處的山頭或許是鍋割山
登山口旁的寶特瓶
山路先經小溪溝,再陡上山腰的彎路。杉木林中的路要踏黑色的土而上,這種山路是在台北郊山少見的。走十幾分鐘,出來杉木林,又過小乾溝後轉彎,在前面高處看到後澤乘越鞍部了(「乘越」是鞍部之意的此地方方言)。周邊的樹木都是落葉樹,除幾顆還留著黃色葉子外,其餘的都落光葉子只剩樹枝。站在鞍部冷風吹得很強,不宜在此休息。回去原路一下,在能躲風的角落座下,休息吃點東西。從此一直至山頂,山路走在鍋割山的支稜上。

陡上杉木美林中的山路
上去明亮的山路
後沢乗越鞍部
富士山露出其白色山頭,前面是雨山
陡上稜線山路二十多分,走在前面的登山客叫了一聲,「看,那邊有富士山!」。我也看左邊一下,果然白色的山頂一點露出於對面的雨山山頂上。路上有黑黑泥浆的地方不好走,是前晚下的少許雪融成的。越上越多山頂看得到,右邊看見大倉稜線,更遠處有去年七月去爬的三之塔山。到山頂還剩幾百米的地方出現一條很長的木棧道。這應該是維護山路而設的。山路越多人走表面泥土越被挖去變成條溝,影響行走安全。木棧道可保持山路原狀,也讓人好走。

鍋割山山頂下的木棧道
11點鐘爬到了鍋割山山頂(海拔1272m),從大倉共花了三小時。寬大草地的山頂上已經有很多登山客在享受美景,吃東西休息等。我先把運上來的水倒進山莊旁的大水壺裡,再去觀賞風景。鍋割山有兩項有名事,一是富士山美景,二是鍋燒麵。這裡眺望的富士山,在冬天清撤的空氣中很端正地坐在那裏,人人禁不住讚美。鍋燒麵在寒冷的山頂吃格外美味。除了富士山的美景外,山頂可觀望箱根的山,熱海的海岸線。橫濱方向的平野都在視野裡。

鍋割山山頂,左邊樹木背後有山莊
南方向的風景,遠處看到海
筆者在鍋割山山頂
向北的山谷,對面山是蛭ヶ岳
在山頂上照相,吃飯休息等花三十分鐘後,走稜線山路前往塔之岳。塔之岳有海拔1491m,有大約200m的高度相差要上去。稜線路上有幾座小山頭,要一個一個地越過去。走一陣路,到了能看到左邊山谷的地點。整天照不到太陽的深谷裡雪不會融解,在反射著暗藍的光線。那裏吹來的風覺得特別冷。再走十幾分鐘,回頭看,那裏就有剛過來的鍋割山和其背後的富士山。越過大丸山(海拔1386m),到了與大倉稜線路接合的金冷岔路,塔之岳就在眼前。加上來自大倉稜線路的登山客,路上的人變更多了。從鍋割山走一小時十分鐘,12:40爬到了塔之岳。

鍋割山(前面山塊)與富士山
往塔ノ岳的稜線山路
去年夏天來訪的塔之岳山頂模樣沒有什麼變,唯今是冬天,所看到的風景就是不同。基本顏色是咖啡色,就是枯乾的冬天顏色。ユーシン山谷的遠處正坐著的富士山,現在戴上雲層遮住山頂。轉眼看另一方向,能分辯出東京中心的高層大樓群。沒有躲風地方的山頂,照相照完後一點也都不休息就離開下山。一踏下山路,剛好幾個年青人背著大包一步一步爬上來。應該是登山社團的隊伍吧,我不由得回憶起自己年輕時的情景。那時我也背著三十公斤的背包來丹澤的山訓練體力。在跟他們擦身而過時,我向一個一個說聲辛苦而下去。

塔ノ岳山頂,背後是尊佛山莊
西向風景
東向風景
登山社團上來
下至金冷岔路取左前往大倉。經過狹窄的稜線後再上回去一下就到寬闊的平原。這裡是在山上能看到富士山全景的最後地點。回頭看來路,塔之岳已在遠處。沒有樹叢的稜線路,夏天爬上這裡會很辛苦,冬天則冷風在吹刮著。再下去一下到了花立山莊。時間為13:25。坐在山莊屋子的角落,冷風吹不到,在此我拿出飯糰等吃一吃休息一下。這家山莊夏天賣刮冰,冬天則賣紅豆湯。從花立山莊繼續陡下山路。階梯路變成有大石塊的泥土路。有一個人背著很大包裹慢慢爬上來,就是運上貨物的「強力」夫,山莊所需要的東西還是以這種方法運上去的。經過往戶澤的岔路,再下去就到堀山之家山莊,大倉山路上共有五所山莊之一。這裡都不停而過去。

人力搬上幾十公斤的貨物
經過駒止茶屋再下一陣到了見晴茶屋。從花立山莊走一小時了,坐下山莊前庭的凳子休息一陣。這裡的高度是大約600m,山路只剩三分之一。再下去幾分鐘遇到岔路,左邊是直接下去的短路,右邊是經過大倉高原之家而下的長路,兩條卻都再會合的。去年下山時取左,這次我取右而前往大倉高原之家。爬一下坡道就到了小廣地。是走這條路的登山客很少的緣故吧,路上推積厚厚的落葉,踏每步都卡嚓卡擦地發出聲音。小廣地上有野餐桌,竟然有一個人坐在那裏燒開水。大倉高原之家就在廣地的左下方,下去看一下,好想沒在經營。其院子旁可觀望泰野方向風景。從大倉高原之家再下去半小時,15:20到了今天的終點也是出發點的大倉遊客中心。公車站有排隊長龍。我站在隊尾等車,等了十分鐘,來了一部往澀澤的公車。

由大倉稜線山路下去
見晴茶屋
大倉高原之家上面的小廣地
大倉遊客中心
今天的路程有16.7km,包括休息時間共花七小時。累積攀爬高度則有1440m。東京的郊山,除更靠近城市的矮山外,都有海拔1000m以上的高度。與台北郊山比較下顯然高,但山路的情況很好,走起來並不是難爬。初冬的丹澤山行能夠滿足我的期待,讓我回憶年輕時體驗的美景。

2012-12-15

2012年12月14日 粽串尖-獅仔頭山 山の西側安新から登り鹿母潭へ下る

天上山から見る登山対象、手前の枝尾根から獅仔頭山へ登る (2011/6撮影)
一時日本へ帰国していたこともあり、しばらく台北郊外登山をしていなかった。その間台湾は雨の日が続いていた。その長雨が切れ、快晴の天気がやって来た。日本から一時台湾を訪れている、大学の後輩K君が山行への同行を希望している。できたら日本統治地代の縁がある場所を、ということなので、以前考えていた獅仔頭山を西側の三峽區安新から登ることにした。天上山からは獅仔頭山から南に竹坑山,熊空山へ続く山塊が見える。今回の山行は、まさに天上山から見えている獅仔頭山の谷や尾根を経ての登山である。多くの登山客は、反対東側の隘勇線登山口から登るが、安新からの道は長く、程度も良くない。初めて登るK君には、すこしキツかったかも知れないが、若くて体力もあるので大丈夫だったようだ。

対象の山は台北の南側(マウスクリックで拡大表示)
左上の安新からスタートし、安坑へ下る(一部軌跡未記録)

獅仔頭山は日本統治時代の歴史にまつわる遺跡が多く残っている。統治時初期には、反日義勇軍の基地であり、その後樟脳産業の振興に反抗する原住民泰雅族との抗争に対応するため、警察が駐在していた。それらが、数十年の時間を経て残っている。地方行政による登山道整備や、遺跡の保全整備なども行われ、こうした遺跡を見て回ることができる。更に、獅仔頭山は大台北の南に位置し、天気が良ければ台北盆地の都市の様子、周辺を取り囲む山々をすべて眺められる、絶好の展望台でもある。今回は、晴天のもとでの登山で、遺跡の回遊や台北の展望をすることができた。

安坑路から見る天上山山塊、茶畑の脇を登る
今回の山行は、舗装された産業道路の部分がかなりあるが、歩行距離は少なくない。標高差も、標高100mの安坑路入口から857mの獅仔頭山まで約750mある。日暮れ前に下山できていることを確保するため、新店を7:10発779番バスに乗るため7時にK君とMRT新店駅で落ち合った。新店駅バスターミナルで779番の表示のあるベイの前で待っていたが、時間になってもバスが来ない。ふと見ると、779番バスがすでにターミナルを出て、街道に出ようとしている。走って信号待ちのバスまで行き、乗った。表示と違うベイから発着しているのか。この便に乗らないと、次は一時間後になってしまう。

路肩が流された廃棄産業道路
廃棄された炭鉱関係の建物と思える廃屋
約30分の乗車で7:40に安新バス停に着いた。途中、開発された新住宅が多くある。大台北地区の住宅は、どんどん外へ広がっている。安新は、まだ田畑が広がる。準備を済ませバス停から少しもどり、右へ安坑路を歩く。今日はこの道を終点まで歩き、そこから粽串尖へ続く尾根に上がる予定だ。道の入口には、山門がある。反対側の道にも山門が、台湾は廟やお寺がとても多い。振り返れば、天上山の山脈が向こうに側にある。道はゆるやかな登りだが、右山腹に広がる公墓をすぎると勾配がきつくなってくる。十数分登り、珍園蛍火虫花園の脇を過ぎる。ここはその名の通り、蛍生息地なのか。さらに数分登ると、舗装された良い道は左に折れ天師廟に向かうが、我々の行く道は直進する細い道だ。舗装はされているものの、交通量は明らかに少ない。もともとは、奥にある安新炭鉱から石炭を積み出すために使用されていたのだろうが、廃坑になって久しく道は荒れるに任されている。沢側の路肩が大きく崩れている場所も数カ所出会った。天師廟への分岐から約15分ぐらい歩くと、左側に廃屋が二つ並んでいる。白タイルを張ったコンクリの建物で、古道で見かける石積みやレンガの廃屋とは違う。おそらく炭鉱関係の建物だったのだろう。

沢を渡渉するK君
もともとの舗装産業道路は、流されたり草で覆われたりで、表面の舗装がなければ以前は産業道路だったとはわからない。このルートを歩く登山者も少ないようで、標識リボンなどもあまりかかっていない。ただ、踏み跡はしっかりしているので、迷うことはない。沢を越える部分に出た。連日の雨で沢は水量が多い。流れの中の石を慎重につたい、対岸に渡る。山崩れで、沢は大石がゴロゴロしている。沢から登り返し草をかき分け進むが、北側にあるここは薄暗く、冬の太陽もあまり当たらないためだろう、草は水がたっぷり載っている。ズボンはたちまち濡れてくる。ひょっこり、また廃棄産業道路に出る。道はジグザグに折り返して高度をかせいでいく。右に補助ロープがかかり、急な上り道が山腹についている。ロープを頼りに登って行くと、また産業道路にでた。近道となっているのだ。

打ち捨てられたウィンチ
もともと幅員のある道は、崩れた大石に覆われているところもある。ある部分は完全に大岩が道を塞いでしまったので、トロッコの線路を使って簡易な橋としているところがあった。道端に打ち捨てられ錆びついたウインチも残されている。山腹に、洞窟が2箇所ならんである。これは炭鉱の坑道入口だったのだろう。薄暗いなか、廃坑となったこの場所は寂しい感じだ。その先にスレンレス製の大きなタンクが捨て置かれている。このタンクは、見た目にはそんなに古い感じではない。道を進むと、日が射して明るいところが先に見えた。9:50に稜線上の鞍部についた。安新バス停から2時間の道のりだ。

左の大岩が道を塞いでいる場所のレール製の橋
廃棄された坑道入口
鞍部、左側からやって来た、中央の山道を粽串尖へ登る
岩の登り
この鞍部は、反対側鹿母潭に降りていく道と稜線上の山道との十字路になっている。結構開けた感じだ。一休みの後、尾根上の山道を粽串尖へ向けて登る。急な登りが続き、間もなく補助ロープも出現する。更に行くと、苔むした大岩に足場が掘られ補助ロープが降りている登りがある。このルートは結構骨が折れる。鞍部から二十数分のぼると、右の木々が切れて今日はじめての展望ができる。遠くは三峽の街、その左に白雞山がある。手前は竹崙山、そしてその前の低い山は今日下る予定の鹿母潭への枝尾根とその先の鹿母潭山が見える。少し登ると、粽串尖(標高728m)の頂上に着いた。時刻は10時半、出発してから約2時間半だ。

粽串尖頂上直下から見る三峡方向、白雞山,竹崙山,鹿母潭山
粽串尖頂上からのパノラマ、遠くに観音山や陽明山、右は大丘田山
獅尾登山口と獅仔頭山
粽串尖は、二度目になる。去年11月に訪れて以来だ。前回と比べると、北側の樹木の一部が取り除かれたのか、より広い範囲が眺められる。遠くの観音山や陽明山も見えている。前回は樹木に隠れていた部分だ。大丘田山はもちろん、眼前に座っている。食事休憩を取る。休憩後、まず獅尾登山口を目指し下る。大丘田山への分岐を通り過ぎ、登り返すと10:53に獅尾登山口にひょっこり出る。広場になっている登山口からは、獅仔頭山があふれる光のなかでそびえている。ここからは、左に新店方向に車道が下る。右にとり獅仔頭山を目指す。今までの道に比べると、獅仔頭山周辺の道は、地元行政のメンテがあり程度が一ランク上だ。道の左側に並行していく木の桟道は、腐って穴が開いている部分のメンテが進行中だ。獅尾格坪の展望台からは、大丘田山から直潭山までのパノラマが広がる。残念なことにススキが高くしげり、視界を遮る。

觀音洞(佛祖洞)
更に登って行くと、右に小土匪洞への道が分岐する。前回は立ち寄らなかった歴史スポットだ。今回はK君に多く見てもらうため、この道を右にとり進む。進むと今度は右に觀音洞(佛祖洞)への道が分岐する。こちらをとり平な道を進むと、すぐに観音洞に着いた。オーバーハングの岩がかぶさるくぼみに、小さなな観音像と香炉が祭壇の上に置かれている。香炉を見るとお参りされている様子だ。谷側は樹木がなく、広い範囲の展望ができる。粽串尖から安新山へ続く尾根が見える。この尾根の山腹には、雛壇状の建造物がある。これは下山の時に分かったが、龍泉墓園だ。来た道を戻り、分岐から少し登ると右に小土匪洞がある。大土匪洞と同様に、抗日義勇軍が使用したということだ。ここから更に登って行くと、下ってくる登山者とすれ違う。今日初めて出会う登山者だ。獅仔頭山は、やはり人気のある山だ。

觀音洞からの展望、三峡の街が遠くに見える、左奥は白雞山、手前は竹崙山
大土匪洞からの道と合流し、11時半過ぎに獅仔頭山頂上(標高857m)に到着する。すぐ先の展望台に向かう。ここからの景色は期待していたように、素晴らしい。獅仔頭山はこれで三度目だが、同様に晴天だった第一回目に比べても、朝の霞がはれている今日は、さらにはっきり見える。山は3時間半の登りの苦労に応えてくれたわけだ。リンゴをかじりながら、景色を満喫する。老夫婦の登山客がやって来た。二人共一眼カメラを携えている。

獅仔頭山展望台からの大パノラマ
パノラマ中央部、新台北華城の別荘群、その向こうは景美・新店、更にその向こうは信義区
古井戸への分岐
ここからは、基本は下りだ。先に古井戸に立ち寄る。抗日義勇軍がここに籠城するために掘った井戸だ。次に、原住民との境界になるここで守備隊が駐在していた石寮へ下る。地元政府によって屋根がかけられ整備された遺跡が、ひっそり山の斜面にある。ここから道は更に下り、小沢を越える。守備隊隊員が必要とした水は、ここから取られていたのだろう。沢は年月を越えても同じように流れている。登り返すと、1906年に建立された防番古碑がある。この地で命を落とした警察人員の名前などが刻まれている。

石寮の下にある小沢
鹿母潭への枝尾根の下り
防番古碑は獅仔頭山前峰から下ってくる道と合流する分岐にある。ここからは、右にとり南獅頭山への主稜線を歩く。先に下り登り返すと、15分で鹿母潭への分岐点に着いた。時刻は12時45分、これからは枝尾根を下り、谷に降りた後は産業道路と県道104号を安坑へ歩く。はじめはゆっくりした下りだが、そのうち急な部分が現れる。岩を下る部分もあるが、他では見かけるような補助ロープはない。それほど歩かれていないのだろう。ただ、踏み跡はしっかりしている。道端に焚き火をした跡を、三、四カ所見かけた。空の米酒瓶も転がっている。不思議だ。下ること約40分、13時半過ぎ右に谷へ下る道と鹿母潭山へ続く道との分岐についた。少し開けたここにも焚き火跡と多くの米酒瓶やミネラルウォーターのペットボトルが転がっている。こんなところで焚き火をしながら酒盛りをしたのだろうか。倒木に腰掛けて休憩し、食事をする。

鹿母潭山への分岐鞍部、焚き火跡がある
紅葉樹がまとまっている
山道に落ちる紅葉
鹿母潭山は展望もないようなので、今回はこのまま下ることにする。急坂を下りていくと、間もなく広い道に下り立つ。地面には多くの紅葉した葉が落ちている。この周辺の樹木は紅葉樹だ。別の山でみたような数本だけでなく、かなり規模の大きい紅葉樹の群生だ。ここは、何か日本の秋に戻ったような錯覚をさせる。ただ、周辺は緑の常緑樹で、このような対比は日本ではない。赤色の落葉が沢山落ちた道を下って行くと、左に家屋が見えた。一人屋根を修理している人がいる。家屋の脇には、かなり大きな池がある。池には鯉がたくさん泳ぎ、周囲は紅葉樹が囲んでいる。不思議で美しい風景だ。

池とそれを囲む紅葉樹
産業道路上にも多くの紅葉
ここはまだ標高が500mを越している。山道はここで終わり、あとは舗装産業道路を400m下ることになる。舗装路であるが、車両はほとんど通らない。その上、苔と長雨のせいでとても滑りやすい。それでも、山道に比べれば労力は少なくて済む。福慧山と記された大岩を回りこみ下ると、車止めの柵を過ぎ、上から下りてくる別の道と合流する。つづら折りの道を下ると、沢を橋で越える。大水が流れたようで、周囲は石が路上に転がっている。枝尾根上の鹿母潭山への分岐から下ること1時間ほどで、左に大きな鉄皮の廃屋がある。廃坑に関係する建物のようだ。屋根もすでに落ちている。そのすぐ先には、路肩が沢水で大きく削り取られ幅員がとても狭くなっている。車で通過するのは不可能だ。

産業道路から振返る、主稜線がすでに遠い
今朝通り過ぎた粽串尖からの尾根上の鞍部へ登る道を含む、五叉路を通り過ぎる。ここからは、道の整備状況が良くなる。沿路には民家も現れる。かなり遠くにもかかわらず、民家の犬が吠え立てる。振り返ると、獅仔頭山-南獅頭山の主稜線が高い。まとまった人家集落が現れ、そこを下ると県道104号線に合流する。779番バスが通う110号線までは、あと3キロの道のりだ。竹崙溪にそって道はゆっくり下っていく。時々車が通り過ぎるが、幸いにして交通量は少ない。最近の天災で崩れた道やガケの補修が進行中だ。観音洞から見えていた龍泉墓園の下を過ぎる。ここからは、谷の向こうにある主稜線はすでに遠い。檳榔の林を曲り安坑の集落が現れると、今日の行程はもうすぐ終わりだ。レンガ造りの家屋が並ぶ町並みは、数十年前に戻ったかのようだ。コンビニもまだ一軒もなく、雑貨屋がならぶ。そのうちの一軒でビールを買う。15時45分、安坑バス停に着いた。K君と今日の完走を祝して乾杯する。かなりハードな行程だったが、若い彼はまだまだ元気だ。バス通学する建安小学校の生徒達がバス停に現れ、しばらくして779番バスがやって来た。

104号線から見る竹崙溪の谷あいの様子、粽串尖、獅仔頭山が遠くに見える
安坑集落の民家
今回の行程は約20km、休憩を含む所要時間は約8時間である。獅仔頭山からの下りは、想定していたより時間がかかった。距離が長いことがその理由だ。主要な登りは粽串尖と、そこから獅仔頭山への二ヶ所なので、累計登攀高度は920mだ。獅仔頭山は、隘勇線登山口までバスや車でやって来られるので身近に感じられるが、今日の歩きのように本来はそこそこ長い登りではじめて頂上へ行ける山なのだ。そう考えると、数十年前ここに駐在していた警察駐在員は、かなり山深いところで守備していたことに気づく。ましてや、その頃は県道などもまだ整備されていなかったからなおさらだ。