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2011-07-17

2011年7月15日 霧の菜公坑山 二子坪 面天山 - 貴子坑步道から復興崗站

6月初めに面天山から大屯山へ縦走した。今回はこの大屯山の麓の大屯自然公園から出発、まず菜公坑山へ往復した後、二子坪の谷あいを行き、面天山へ登りその後一気に下ってMRT復興崗駅まで歩いた。朝、うちを出るとき、遠くに見える七星山は雲がかかっていた。晴れることを期待していたが、午前の山は霧の中、午後麓に下りていく途中晴れてきたが、最後の部分で雨にふられた。このコースは、面天山からを除いて、遠景展望のあまりない行程だが、霧の中の山もまた風情ありという結果になった。
コースは陽明山塊の西の端

出発点の標高は800m強あり、途中菜公坑山と面天山の登りを除いて、平地の復興崗まで下りメインの長丁場である。陽明山公園と台北市親山歩道のHPがそれぞれ紹介する菜公坑山歩道二子坪歩道面天山歩道貴子坑歩道をつなぐと今回の行程となる。

(クリックすると図拡大)

108番バス@二子坪観光センター
MRT劍潭駅からまず5番の最終点、陽明山へ行き、そこから108番バスに乗り継ぐ。紅5番バスを降りると108番バスがちょうど出発する直前だった。小型バスは乗客満席である。途中数人が下車、8時半前に今日の出発点二子坪観光センター(遊客中心)に着いた。途中バスからは、麓方向は見えるものの、大屯山の頂上は雲の中だった。

108番バスは、陽金公路や百拉卡公路など経由で、二子坪観光センターや小油坑冷水坑擎天崗などを回り、また陽明山へ戻るルートを走っている。すばやく高度を稼いで、登山口までいくの便利である。

大屯公園と菜公坑山
同時に降りたバスの乗客や自家用車で来ている登山客は、みな二子坪公園に向かっていくが、こちらはひとり大屯自然公園へ降りていく。谷あいにある自然公園は、池を中心に桟道やあずま屋、今日は開いていないが観光センターがある。公園の向かいの山は、これから登る菜公坑山である。

反経石
公園を横断し、百拉卡公路に面した公園入口にいくと、そこには菜公坑山の第二登山口がある。とても苔むした石段の道が続く、登山者があまり多くないのだろう。濡れているので滑りやすい。しばらくすると、両側の草が刈られているところに出る。最近整備されたのだろう。15分ぐらいで、反経石のある標高886mの頂上についた。登山口から0.8kmである。

反経石は磁性をもった大石である。ためしにコンパスを近くまで持っていくと、磁針が振れて石にひきつけられた。10センチぐらい離すと、また北を指す。
山頂は北西側に開けているが、ガスのためまったく展望はない。

磁針が石に引き付けられる
下りは、もうひとつの第一登山道を行く。降りていくと開けた場所にでた。案内板には、小観音山などが見える説明になっているが、ここも白一色の霧で、展望はない。1kmの道を下りきると、百拉卡公路に面した登山口についた。ここから、少し百拉卡公路を上がっていくと、先ほどの観光センターについた。時間は9時半、1時間で往復したことになる。

二子坪歩道
こんどは、二子坪公園に向けて広い砂利道を歩いていく。道行く人も多い。この道はバリアフリー登山道となっており、砂利道の脇に幅1mぐらいの赤い舗装路が作られている。車椅子での移動のため、できるだけフラットにできており、上下がある砂利道のかなり上のほうを行く部分もある。

2km弱の気楽な歩きのあと、二子坪自然公園が見えた。晴れていれば、大屯山や真正面には面天山が見えるはずだが、すべてガスの中である。二子坪自然公園も池を中心として、橋や休憩所などが造られている。公園に西のはずれに左に大屯山へと続く道が延びている。面天山へは直進だ。
二子坪公園

右は登山道、左は砂利道
この道ははじめ下っていく。下りきると砂利道と合流した。二子坪公園から面天坪までは道が2つある。ひとつは石畳の山道、もうひとつは幅が広い合流した砂利道。石畳の道は濡れて滑りやすいので、砂利道を登っていく。石畳の山道と再合流してまもなく、面天山の登山口についた。

面天山の登り
前回は下ったこの登山道を今度は登る。ジグザグに高度を稼いでいき、全体の3分の2ぐらいを過ぎたころ、森を抜けて草原の道になった。晴れていれば展望がきくが、今日は淡水側からガスがしきりに上がってきて、尾根を越え北投側に流れていく。ガスの切れ目からは、北投の街並みがのぞくが、大屯西峰など目の前の山は見えない。大きな通信施設が見えたら、山頂だ。時間は10時半、バス停のある二子坪観光センターから1時間、二子坪公園から35分であった。

面天山の登り、北投の街がガスの切れ目から見える

広々とした山頂は、前回と異なり人気がない。展望台にあがっても、景色は見えない。明るくなってきてるが、ガスが晴れることは期待できない。風もなく、日差しもないので、露天で食事をとり休憩する。

面天山下り、向天池脇の分岐点
ここからは復興崗站までほぼ下り一本である。靴紐を締めなおす。少し下り、そこから向天山へ登り返す。10分ほどの下りで、向天池の分岐点についた。池を右と左に道がまいていくが、右の道をとる。どちらを行っても合流する。最近はよく雨が降るが、向天池には水はない。池を横切ってくる道と左を回っていく道との合流点から、興福寮へ下る道が始まる。

興福寮への下り道
1.8kmの下り道は、ずっと石段になっている。半分を過ぎるころから、道に木漏れ陽がさしてきた。一本調の下り道である。分岐から40分で興福寮登山口についた。時間は12時。展望がひらけ、遠くには淡水側対岸の観音山、その右には建設中の住宅ビルの鉄骨が山腹に建っている。淡水の山も住宅開発が相当進んでいる。

観音山と淡水山腹の住宅開発
三合院民家
登山口の脇に、誰も住んでいない三合院の民家がある。民家の前には蓮霧の木があり、この木陰で休憩する。ずっと下りだったので、これからの休みの前に少し体調回復である。天気もよくなった。このあたりは標高360mぐらい。面天山は標高977mだから約600m下ってきたことになる。


登山口からさらに降りていくと、舗装路に面している真聖宮の脇に出た。この付近には登山案内がないので、はじめて来た場合は、上の登山口にいくのに迷うかもしれない。淡水へ行くバス停もある。ただし、便数は少なく、12時半のあと4時頃までない。舗装路を次の登山道貴子坑步道に向けて歩く。

真聖宮の脇を行くと登山口
下がっていくと民家の犬がけたたましい。5,6匹の野良犬もよそ者は許さぬと、いうように吠え立てる。そのため、本来はこの場所で左に曲がるものを見逃してしまった。500mほどさらに下がったところで、本来は通過しないはずの海誓山盟住宅の入り口があり、道を間違えたことに気づいた。今来た道を登りなおし、さらに大屯里産業道路へと続く道を登る。峠を過ぎてまもなく、右からは復興三路521巷が合流する。

下青碧歩道の入り口
この521巷を少し下がったところに、貴子坑步道へつながる下青碧歩道の入り口がある。台北市親山歩道の案内図では、大屯里産業道路から直接下青碧歩が始まるように記してあるので、注意が必要だ。民家や果樹園の脇を下っていく。遠くで雷の音が聞こえ始めた。

下ること10分、貴子坑步道のスタンプ台についた。ここから貴子坑步道は左と右の2つに分かれる。左の道は1.3kmで一度沢に降りた後、別の尾根を越えていく。右の道は1.1kmで山腹をトラバースしていく。ここは右の道をとる。

貴子坑歩道
脇に水が流れる溝と道は平行してすすむ。手すりなどもしっかり完備されている。木々の切れ目から、遠くに中国文化大学の建物が見える。15分ぐらいの楽な道を行くと、あずま屋があった。ここからの視野は広くないが、遠くには北投、その向こうに台北の街、さらに遠くには南港山や二格山の山並みも見える。遠く西のほうは雲が厚く、すでに雨が降っているようだ。

あずま屋から、台北市を望む、遠くには南港山、二格山も見える
秀山路から振り返る
ここでしばらく休憩した後、今度は下り一本の山道となる。ただ、これもそう長くはなく、10分で秀山路85巷の登山口についた。ここからは、舗装路の道である。とうとう雨が降り出したが、幸いに気楽な舗装道である。傘をさして歩いていく。貴子坑キャンプ場などを過ぎ、川沿いにくだると秀山路との交差点についた。ここから振り返ると、川の奥には面天山がはっきりと見える。ガスは晴れたが、今は雨が降っている。

雨の中、さらに歩くこと20分、2時半にMRT復興崗駅についた。今日のルート、歩行距離は一部戻ったりした部分も含め17km、歩行時間5時間である。標高差は最高点977mの面天山と最低点復興崗の23mで、950mぐらいか。それほどくたびれていないが、距離のある行程だった。

2011-07-07

7月6日 汐止大尖山 - 四分尾山 - 秀峰瀑布 を歩く

先週登った土庫岳頂上からは、ほとんど視界が利かないが、木々の切れ目から見える山があった。それが今週登った標高641mの四分尾山である。台北からだと、ちょうど東になる。

大尖山は、四分尾山から北西に延びる尾根上の一番汐止に近い標高460mのピークである。汐止の背後にある山並みで一番目立つこの山は、登ると汐止の街がすぐ眼下に広がる位置にある。街に近いこともあり、登山道はよく整備されている。ここから四分尾山への道もよい道である。天道清修院へ降りていく分岐のを過ぎると土の道であるが、枕木が一部敷いてある。

大尖山、四分尾山は汐止の南にそびえる
四分尾山からは、同じ道を戻り、天道清修院から降りて秀峰瀑布に立ち寄り汐止へ戻った。桜の木が結構植えてあり、春であれば桜鑑賞のできる山道だろう。


汐止へは、公共交通機関としてバスも台鉄もあるが、自宅から台北駅へ行くのも面倒なので、乗り換えなしでいける605番のバスで行った。ちょうど通勤時間帯にかかったこともあり、約1時間を要した。途中までMRT板南線でいき、そこからバスに乗り換えたほうが、速かっただろう。

秀峰路からの大尖山
汐止公園バス停で下車すると、そこは登山口に通じる秀峰路との交差点である。この道を行くと、鉄道の高架橋下を過ぎる。すると道の先に大尖山が家並みの向こうにそびえていた。新台五路の交差点をわたり、さらに行くと新北市の登山案内図が仁愛路との交差点脇にある。案内には、大尖山から四分尾山を往復、秀峰瀑布に立ち寄るコースを推薦している。図らずも今日の行程と同じである。

秀徳宮脇から石段の山道が始まる
秀峰路から道案内にしたがい、勤進路を登っていくと、石段の山道が始まる秀徳宮に着いた。勤進路から離れ石段のよい道を登っていくと、また勤進路にでる。右に行くとまもなく、また石段の山道がある。登っていくと大尖山登山道の始まる、天秀宮がある。天秀宮付近はピクニックもできる公園も近くにあり、水道やトイレなど設備が整っている。また、喫茶レストランもある。標高200m強で眺めもよい。

天秀宮
天秀宮のレストラン側の脇から登山道が始まる。この部分も石段で、ステンレス手すりもところどころある。登っていくと、木々のきれめから汐止の街もみえる。10時に大尖山の頂上についた。汐止から約1時間、天秀宮から約25分である。

大尖山への登り、あと少しで頂上



頂上にはあずま屋がある。ここからはさえぎるものがなく、眼下には汐止や南港が広がっている。視界がよければ観音山や七星、大屯山、また東には基隆まで見れるということだが、今日はどんよりとしており、台北101ビルもかすかに見えるだけだ。頂上には国旗も掲揚されている。これは毎日掲げ下げされているのだろうか。

大尖山頂上から
右は天道清修院への道
ここから先は土の道となる
食事をして休憩のあと、四分尾山へ向かう。天道清修院側へ降りていく道は、途中3箇所あったが、2つ目のところで石畳の道がおわりとなる。ここから、幅広の尾根をいく。途中枕木の道も現れる。まだ新しい枕木なので、最近整備されたのか。木々がしげり、視界はないが時々さしてくる夏の太陽の直下であるよりはよい。尾根上のピークを2、3つ超えると、左に和尚頭山への分岐、それからまたしばらく歩くと、茄苳古道が分岐していく。この道を降りていくと、この山塊にある3つの滝のうちのひとつ、茄苳瀑布があるということだ。

茄苳古道への分岐点
短い地上での命を必死に生きる証か、蝉がいっせいに鳴いている。このように響く蝉の鳴き声など、久しぶりだ。数秒おきに、皆合わせるように森をとどろかすかのごとく鳴くのである。

蝉しぐれの森を抜け登っていくと、ひらけた四分尾山の頂上についた。時間は11時ちょっとすぎ、大尖山から約50分の道のりだった。大尖山との標高差は180mぐらいあるが、2kmぐらいの距離があるので天秀宮から大尖山への一気登り約230mに比べれば、楽である。

二格山とその前には土庫岳が見える

四分尾山頂上
四分尾山頂上の周りは草が茂っているが、高い樹木がないので展望はある。ただし、遠方がかすんで見えない。土庫岳、その先には二格山がかすんで見える。基隆山も見えるそうだが、遠すぎて今日は望むべくもない。台北市の街も同様である。

三角点の周りには石の同心円の坐が造られている。いすは在るが、ほかに陽をさえぎるものなく、日差しが強くなってきたので、長居せず下ることにした。

今来た道を、今度は下っていく。天道清修院の近くに数箇所石のテーブル、いすがすえつけられている。ここは木の下で、しばらく休憩をした。

天道清修院への道は複数あるが、ほとんど登られいないものもあるようで、草に埋まっている道もある。降りた道は、そこそこ歩かれているようだが、突然天道清修院が現れる。この脇の舗装路を正門に向けて下り、そこからまた石段の道があるので、これを下っていく。しばらくすると舗装された勤進路に下り着く。この勤進路をそのまま道づたいに行けば、天秀宮へ着く。左に石段の道が下がっていく。ここには何の道案内もないが、位置的に秀峰瀑布の上あたりなので、下がってみる。

秀峰瀑布
果たして、下っていくと古い道案内があり、秀峰瀑布と天秀宮を指している。朽ちかけたトイレもある。秀峰瀑布方向に進むと、今度は天秀宮方面からの道と合流する。手すりがある、断崖上の道を行き、少し下がると滝が現れた。落差はあるが、水量が少ないので、残念ながらそれほど見ごたえのある滝でもない。ヒンヤリ感もほとんどない。ただ、いままでの台北近郊の山ではじめの滝であるので、少し休みながら写真を撮った。時間は午後1時である。

滝から今の道を戻り、分岐を過ぎてしばらく進むと、勤進路に出た。道案内もある。天秀宮をすぎ、同じ道を下っていく。新台五路を過ぎて左側を歩いていくと、そこには伊藤博文が書した「開物成務」という、その昔は鉄道のトンネルポータル上に掲げられていた、石碑が説明文とともに表示されている。朝の往路では、道の対面側を歩いたので、気がつかなかった。鉄道の電化にともない、はずされてその後保管中に盗まれ、奇跡的に発見された、といういわくつきのものだそうだ。碑には明治二十九年六月、公爵伊藤博文と刻まれている。

汐止公園バス停には、午後2時到着、668番のバスにて台北に帰った。GPSの記録では歩行距離は12.7km、標高差620mとなっている。大尖山へは、ほとんど登り一方の石段の道なので、この部分は結構きつかった。

実は、汐止の街へいったのは、久振りである。住宅が山の手の含め、多く新築され、台北のベットタウンとして発展している。これは自分にとって新しい認識となった。