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2011-09-30

9月27日 石碇皇帝殿山 岩尾根を歩く

二週間前の五分山頂上から平渓の谷をたどり、ずっと遠くを眺めると、ピークがいくつも並んでいる山塊があった。そのときはすぐには判別できなかったが、その山が今回登った皇帝殿山である。大変偉そうな響きの山名だが、由来はこの山にある天王廟の別名が皇帝殿であり、それがこの山の名前になったということだ。標高は500m台で、付近の山並みと比べて特に高いわけではないが、岩が露出している稜線が続き、はしごや縄で登り降りを繰り返す、特徴のある名前に劣らない山だ。先週の南港山岩壁ルートのようなところが、たくさんあると思えばよいかもしれない。日本では行者が荒行に使いそうな場所である。実際、山中には寺がたくさんある。

皇帝殿山は台北市の南東
石碇(図の左下からほぼ東西に山稜を歩く(クリックで拡大)

街道上の入口案内

場所は、台北市の東南、石碇のそばである。石碇は木柵から深坑を過ぎ、その奥にある。距離は20数キロぐらいだろうか。その昔は石炭がとれた炭鉱の町であったが、今は観光の町になっている。アクセスは、木柵から666番のバスが出ている。また、双渓街道(106号線)を通る平渓行1076番のバスもいくつかの登山道入口を通っていく。



山門
朝7時過ぎ、うちからMRTで木柵まで行き、666番バスに乗り換える。このバスは景美から出ているのだが、ここで多くの乗客が乗った。この路線には大学がいくつかあるので、その学生だろう。下り方面なので、すいているだろうと思っていたので、ちょっと意外であった。乗車30分、8時半に石碇区役所前に着いた。ここから道は川を渡って右に行く道と、左に行く道が分かれる。皇帝殿山登山道入口には、左の道を行く。川沿いに歩道が作られているが、ほんのしばらくで山門がある入口につく。山門を過ぎこの舗装路をあがって5分ぐらいで、登山道が始まる。石段の立派な道である。山腹をずっと登っていくと、枝尾根にたどり着く。ここにはあずま屋がある。尾根道は、ちょっと平坦があったあと、また登りが続く。

串穴湖への分岐:右の道から来て、左の道を登る
歩きはじめて1時間、高度約400mぐらい登ったところで串穴湖へつづく道が分岐すると、石段の道は終わり土の山道がはじまる。それと同時に、岩が露出した滑りやすいところもあり、それまで立派な道だったので、落差が大きい。途中、二格山につながる筆架山の山並みが見えた。台北方向は天気がよかったが、やはり山に入ると天候は変わりやすい。ガスもかかってきて、小雨もぱらつく。幸いにして本降りにならなかった。大きな岩にステンレス製の縄はしごがかかっている。もともとは、縄が降りているだけだったので、それを思うと楽だ。

路上の梯子
林の中を歩くが、ところどころ岩が露出している稜線もある。この両脇の木々がなければ、まったくの岩尾根だ。大きなくもの巣がかかっている。この道を今日歩いた登山者はまだいないのだろう。皇帝殿山西峰には10時15分到着、三角点はないが、標高は579mである。小さな頂上で、周りは切り立っている。これから歩く稜線が見えるが、そのさきの東峰はガスがかかっている。反対側は、高曇りで景色は見える。谷底には宜蘭に続く高速道路やそのトンネルポータルも見える。

西峰のピーク






ピークから下るとすぐ、またはしごがかかっており、これを下る。その先さらに大きなはしごがある。落差は20mあるだろう。はしごができる前は、登り降りは大変だったろう。下りきった鞍部は、別の登山道が合流する。このすぐ下が天王廟である。尾根の反対側も仏光寺で、道が下がっていく。ここから、樹木のない露出した岩尾根がはじまる。両側に縄の手すりができているので、気持ち楽である。東峰に近いところでは、まだ手すりのない岩尾根もある。上り下りがきついところは、石に階段が掘り込んである。天王峰の直前に、右側から山道が合流する。これを下がると、先ほどの天王廟からの道と合流し、石碇東街の舗装路へとつながる。

西峰から望む、谷を高速道路が走る

天王峰への岩尾根
天王峰を下りきると、また別の道が合流する。この道は石段の立派な道だ。これも先の道と同じように合流する。また、その先にも同じように山道が合流する。右側から都合4本の道が稜線につながっている。岩尾根を歩いているときは、好都合に時々太陽が顔をだし、岩が乾いていたので、快適だった。東峰を登り始めるときは、ちょっと雨脚がつよい雨がふりだした。ただ、木々の中なので、雨具をつけづにそのまま登る。このあたりは、整備程度がそれまでと比べるとよくなく、急な岩壁でもはしごなどはなく、綱がかかっているだけである。

岩尾根から東峰を望む


岩尾根上から来た道をふり返る
東峰ピークから石覇尖方向を望む
登りきると、そこは東峰の頂上(標高593m)である。それから先が下っていきさらに高いピークがないので、ここが頂上であることがわかるが、何も標識のない頂上である。時間は12時少し過ぎ。この皇帝殿山稜線はほぼ東西に走っているが、北側からガスが上がってくる。歩いてきた西峰は、ガスの中に見え隠れしている。岩の山では、ガスがかかっていたほうが、風情がある。ただ、北側も東側もガスのなかで、はっきり見えない。晴れていれば平渓方面の山が見えるはずだが。


東峰から西峰方向を望む、谷あいからガスが上がってくる

大羅上仙府
小雨もパラつくし、視界もあまりないので、早々に玉京山方面にくだる。頂上と同じ大きな砂岩の岩壁を下り、間もなくすると玉京山のすぐ下に建てられている大羅上仙府についた。今回は、天気もあまりよくなく、稜線に出てからは休憩できるようなところもなかったので、ずっと休みなしできたが、ここは屋根もありちょっと休むことにした。黒犬が3匹ねそべっているが、吼えることはしない。30分ほど食事休憩をした。


台北方向を望む、左手前の山は土庫山、その向こうは八里の観音山

天気もすこしよくなってきた。大羅上仙府の脇には、荷物を上げ下げするための貨物用ロープウェイができているが、この台からは土庫山、その先には台北の町並み、そのさらに先には観音山や陽明山も見える。谷を挟んで反対側には四分尾山から姜子寮山の稜線も見える。先ほど東峰からはガスのため見えなかった。

苔むした玉京山の石碑
午後1時に出発。これからはずっと下りだ。石段の道である。歴史があるのだろう、登りのときの石段に比べると、年季がはいっている。路傍にはピンクの水鴨脚秋海棠がそこここに咲いている。石段がの傾斜がゆるくなると、広場の脇にでた。あたりはいい香りがする。よく見ると金木犀が咲いている。

玉京山への石段




下ること30分、真武廟に着く。この真上には東峰と玉京山の岩壁が切り立っている。ここからは、舗装路をひたすら下る。途中、中央抗道路と合流するが、これは右に歩いていく。さらに40分、午後2時10分に106号線に着いた。永安小学校のバス停から1076番バスに乗るつもりであったが、ちょうどバスが過ぎたあとのようで、しばらく待っても来ない。次の便は1時間以上も後である。

真武廟と上にそびえる京玉山の岩壁



ただ、待っていても能がないので、106号線を台北方面に向かって歩くことにした。車の往来はそれほど多くない。車上からは見過ごしてしまうような風景を、ゆっくり見ながら歩く。台北から1時間ぐらいの距離にもかからずに、こうしたひなびたところがあるのに、改めて気がついた。3キロ弱ほど歩き、石碇埔まできてそこでバスを待った。40分ほど待つと、バスがやってきた。バスは平渓近くの山を登った登山客や帰宅の生徒などで、これまた満席であった。木柵には、4時15分到着。もし、前のバス便に間に合っていれば、3時までには、着いただろうが。


皇帝殿山登山高度プロファイル
朝、いえを出発するときは、雲の流れが早いが、太陽はでていた。山はやはり天候が変わりやすい。今日の山は、岩が露出しているところが多く、雨が本降りだと滑りやすいなど心配があったが、幸いにして大雨でなく、逆に見えたり隠れたりの風情のある、山登りができた。歩いた距離は106号線の歩きも含めて、11km、歩行時間は5時間40分、高低差500mである。距離にしては、時間がかかっているのは、やはり岩壁を含めた上り下りが多いからだろう。

2011-09-23

9月22日 南港山を虎山経由で岩壁ルートから登る

岩壁ルートに咲く花

今週は天気がすっきりしない。雨こそ降らないがどんより曇っている。山に登っても遠景ははっきりしない。そんなことで、遠くに行くのを変更、今までの数ヶ月一連の山登りの出発点、近くの南港山へ登った。前とはルートを換え、今回は虎山(台北市政府親山歩道南港山系紹介)から登り、道案内や公式ルートには掲載されていない岩壁ルート(中国語サイトだが、詳細あり)で九五峰へ直接登った。そのあと南港山の縦走コースを、前回とは逆にたどり、象山からは出発点の永春高校に続く道を下った。


南港山は台北市の東、信義区にある
今回は回遊型ルート(クリックで拡大)

南港山は山里が近く、登山客も多い。先週の五分山とは違い、多くの登山客とすれ違った。この岩壁ルートでは、さすがに少なく、あとを追って登ってくる若者一人に出会っただけである。岩壁ルートは、全部で5本あるそうだが、今回はNo.2岩壁で一番難易度が高いということだ。学生時代の山岳部活動でロッククライミングの経験があるが、この岩壁は縄や足場がしっかり作られているので、山道のひとつというべきだが、ただ三点保持(手足4箇所のうち、一度に動かすのは1つで、残りの三点は動かさない)など基本は守ったほうがよい。高さもそこそこあるし、ほとんど垂直だから落ちたら大変だ。

虎山吉福宮登山口
9時前にうちを出て、信義幹線バスで終点永春高校バス停で下車。ここから少し住宅と軍施設の間の道を行き、虎山登山道の一つ、吉福宮登山道を登る。しっかりした石段の道である。登山口には、台北市の登山道案内石がある。時間は9時半。はじめは、山腹に建てられた住宅などの脇を過ぎ、間もなく吉福宮につく。ここからは家はなくなり、山道の様子になる。


120高地
虎山峰展望台
20分で、120高地につく。ここは尾根上の平らな広場で、奉天宮からの登山道が合流する。整備されていて、あずま屋もある。目の前には先ほど下車したバス停あたりの様子、永春高校、そしてその向こうには台北101ビルがひとり立っている。120高地からは平らな道を進み、福徳街221巷からあがってくる道が合流すると、急な階段の道があわられる。それを登りきると、虎山峰(標高138m)である。時間は10時15分。展望台には野鳥観察をしている人がいた。さえぎるものがなく、展望が利く。向かいの内湖の山は、やはりもうひとつはっきりしない。劍潭山から大崙尾山へとつづくシルエットは判る。


手前は永春高校、その下はバスターミナル


瑤池宮
虎山峰から下ると、まもなく福徳街221巷の舗装路で登山道が終わる。右へまがり、瑤池宮方向へ進む。道教の瑤池宮は今年民国建国100年にあたり、中華文化のはじめからの歴代の祖先を祈祷する活動が行われており、飾りつけが目立つ。このお寺の脇から瑤池宮登山道が始まる。急な登りが終わると、山腹の平らな道が続く。ここは九五坪で小公園のさまである。九五峰の真下あたりだ。この九五坪のはずれに、何の道しるべもない小道が続いている。これが、岩壁ルートの始まりだ。


九五坪
九五坪はずれの岩壁ルート入口
ロープを伝って登る
土の道で両脇は草木が茂るが、しっかりと踏まれていて迷うことはない。九五峰までの落差は約200mである。道端には、水鴨脚秋海棠の桃色の花がひそかに咲いている。行くにしたがい、勾配がきつくなってくる感じだ。岩が露出し、ロープが張られている。ここから、本格的な岩壁登攀が始まる。この岩壁を登り詰めると、山腹をトラバースしていく道に合流した。この道は岩壁山道といわれている、これまた公式ルートではない道だが、この道を左にいけばNo.1の、右に行けば、No.3などの岩壁につながるようだ。No.2の岩壁は目の前にある。落差は4、5階建てぐらいだそうだが、ほぼ垂直な岩壁にロープが3本下がっている。足場が岩壁に彫られているので、それを注意深く追っていけば、大丈夫だ。全体で3段の登りとなっている。2番目と3番目のセクションは、掘られた足場だけでなくステンレスの踏み台が岩に取り付けれれている。上から、大勢に人の声が聞こえてくる。


No.2岩壁基部
岩壁を登りきると、そこは九五峰直下にある、スタンプ台休憩所であった。2,30人の登山客団体が食事休憩をしている。時間は11時半。九五坪から約50分で登った。岩壁ルート上部のきわ部分は、ステンレス手すりが設けてある。ここから今登って来たところを、覗き込んでみると最下部は見えない。やはりかなりの崖である。前回来たときは、手すりもあるため、ここに登山ルートがあることに気づかなかった。公式ルートではないとはいえ、ロープや足がかりなどできているのは、山岳会などが手をいれているのだろうか。


スタンプ台と手すり


九五峰、南港山を過ぎていく。前回4月末は、このあたりの木製手すりの整備工事が行われていたが、すべて完了し新しくなっていた。前回は手すり工事中で気づかなかったNo.3の岩壁ルートが、九五峰を降りたすぐ南港山との鞍部近くにあっがくるようで、上からみるとロープが下がっているのが見える。


指拇山へ登る。ここもよい天然の展望台だが、まえより遠くがはっきり見えることはなかった。ただ、前回はわからなかった山々が、今回は自分のすでに登った山も含め判別できる。近くの土庫山、南側には二格山と猴山岳、またまだ登っていないが筆架山の山並みがある。西側には土城からの山並みがかすんで見える。頂上は風もあるので、景色をみたあと下がって指拇園で食事休憩とする。時間は12時40分、すこし遅めの昼食だ。


指拇山山頂から木柵方面、二格山と猴山岳を望む
これからは、ずっと下りと平らな楽勝な道である。指拇山からは大きく高度をさげたあと、緩やかな道が寺院などへの分岐をはさんで続く。指拇山を下がりきったところに、木柵からの道が合流するが、この道を少し入ったところに、大きな忍が彫られた巨石がある。前回は気づかなかった。


象山歩道上の休憩所
象山へは、1時40分到着、ここからは前と別の登山道、永春崗登山口への道を行く。立派な休憩所がある。本なども備えられている。近所の多くの住人が憩いの場所にしているのだろう。台北101ビルが大きく前に控えている。スタンプ台あたりから下りが始まる。途中、ひらけたところから、朝登った虎山が向かいに見える。南無阿弥陀仏が刻まれた巨石の分岐を過ぎ、下りきると、永春崗公園につく。公園は時間が時間だけに、誰もいない。住宅の脇をさらに下ると登山口、そしてその先には今日の出発点、永春高校バス停である。時間は2時半、出発から5時間だ。


象山歩道下りに虎山方面を望む、バスターミナルも見える
今日の行程は、歩いた距離7.1kmと短い。標高差も最高点の九五峰は標高375mで、登山口25mだからあまり大きくない。しかし岩壁コースや、ゆっくり写真を撮りながら歩いたこともあり、時間はかかった。近いことは、気が楽である。いつでも来れるが、こうした岩壁コースなどもあり、楽しい山でもある。

2011-09-17

9月16日 平渓 五分山 展望台の山

台北市内からアクセスが簡単な山は、過去十数回の登山でかなり登ったので、これからは少し遠いところにある山へ登ることを考えている。その第一弾として、展望の利く平渓の五分山に登ることにした(新北市登山道紹介)。今後どの山へ登るかも、今回の五分山登山がヒントをくれるかもしれない。


五分山は台北市内から見て東、汐止四分子尾山のさらに先(クリックで拡大)
五分山は、7月に登った四分子尾山の山並みをさらに北東にたどっていくと、姜子頭山のピークを超えその先にある、757mの瑞芳第二のピークである。頂上には気象観測レーダーの白い球状ドームがあるので、天気がよければすぐ判別できる。実際、台北から汽車で行く途中、車窓から見えた。


ルート図(クリックで拡大)


レーダへは車道があり、もし車でくればほとんど苦労なく登れるが、それでは意味がない。今回は平渓の十分寮から登り、登頂後反対側の暖暖東勢寮へ下った。天気が非常によく、景観を十分に見ることができた。登りのときは、高曇りでよかったが、帰途は晴れたのでさえぎるもののない稜線の道は、もし登りのときであればつらかったかも。


十分駅
十分寮へは、バスで木柵から行くこともできるが、今回は汽車で行った。7時半過ぎに台北駅から区間電車で八堵まで行き、ここでディーゼルの平渓線列車に乗り換える。さらにこの列車で50分、十分駅には9時15分に着いた。自宅を出てから2時間と少し、台北市周辺の山が1時間でアクセスできるのに比べると、やはり遠い。平渓線は1時間に一本ぐらいの運行である(台鉄時刻表)。はじめての平渓線乗車だったので、いつも使用している悠悠カードが使えることを知らなかった。平渓線は無人駅もあり、カード読取機械も導入されていないので、悠悠カードは使えないのだ。台北駅ではカードで問題なく入れてしまうので、注意が必要。もし平渓線の駅へ行くときは、切符が必要だ。


十分老街と日本人観光団
駅から線路沿いに瑞芳方向に歩いていく。線路が道の真ん中を通り、その両側に商店や家がならぶ十分老街を過ぎる。ここは有名な観光スポットで、たまたま日本人観光客団体も来ていた。この町並みをすぎ、さらに行くと背後に大きな石炭処理の廃墟がある台湾炭鉱博物館の入口建物につく。この廃墟の裏側にある道を登っていくと、博物館エリアまでつながっているトロッコの乗場がある。ここはもともと1997年まで操業されていた新平溪煤礦公司の一部である。脇には処理場やボタ山などもある。坑道口とこの間を往復する電動トロッコは、稼動時には架線が張られていたようだが、それは撤去され、現在は車載バッテリーで運転しているようだ。


炭鉱博物館のトロッコ乗り場
今日は平日で運転はないようだ。このトロッコ線路に沿って歩いていく。途中並行する道路の拡張工事が行われている。右にボタ山、といってもすでに草木に覆われているので、人口山であることがわからなくなっている。この山の奥には、これから登る五分山が見える。さらに歩くと、坑道入口とその周辺設備をもとに改造した炭鉱博物館につき、その左奥から登山道が始まる。

脇に花がさく登山道
登山道は、花崗岩でつくられた立派な石段の道である。下りに通った十分古道とおなじ歴史のある道だが、手の入れ方の差で峠を挟んでずいぶんと感じが違う。石炭産業が興り、平渓線の鉄道ができるまでは、平渓と外をつなぐ交通路であった。今は登山の目的で存在している。

古いままの登山道
橋を超え、沢にそって道が登っていく。道の両側にはひな菊が茂り、蝶が飛び回っている。途中、沢の支流を越えるが橋はなく、石段の道が突然に途切れるところが、2箇所ある。また、登りのちょうど中間あたり、沢から離れていくあたりに、新設石段ではなく、古道の風情を残した道が一部残っている。わざと残したのだろうか。ひたすら登っていくと、大きな屋根を掛けた土地公廟があり、峠についた。登山口から40分強、十分駅から1時間半である。

福徳宮
峠の福徳宮土地公廟は、この地十分寮ではじめて造られた石造りの小廟で、200数十年経っている、ということだ。十分古道を往来する人たちが、旅路の安全を祈願したのだろうか。日本であれば道祖神やお地蔵さんというところだろう。脇には、その当時に建てられたと思われる小さな石碑がある。建立に関した人たちなのか、人名がいくつか判読できるが、だいぶ風化している。廟前の香炉には、まだ線香がともされており、お供物も置かれている。

稜線上の登山道、右奥のピークが五分山
少し休んだあと、五分山へ登り始める。同じく石段の立派な道だ。行くとすぐに左へ暖暖東勢寮へ下がっていく、十分古道の入口がある。五分山に登った後、ここまで戻ってきて下った。稜線上の道は、はじめ小山を超え、少し下がるがそのあとは五分山西峰までずっと登りである。峠が標高500m強なので、山頂まではまだ200mぐらいの登りがある。暖暖側の谷から吹きあげてくる風は、涼しい。秋が訪れ始めている。稜線上の道だが、両脇の草がかなり高く、両側の視界はそれほどでもない。ただ、高曇りで太陽をさえぎり、日差しが強くないのが幸いだ。

瞭望亭とレーダードーム
登り途中にあずま屋がある。まわりは草深く使っている人は少ないのだろう。西峰に着き道が平らになると、ところどころにベンチも設置さている。遠くには、目的地の瞭望亭と頂上のレーダードームが見える。あとは1km足らずだ。また一度下り、登り返すと瞭望亭に着いた。時間は11時45分、峠から50分、十分駅から2時間半弱である。

ここは、天然の展望台だ。ほぼ同じ高さの五分山頂上方面は見えないが、そのほかはぐるっと展望が利く。台北の101ビルや、その前には汐止大尖山、その右(北)には陽明山の山塊、さらに右にを見渡すと、基隆港とその沖に浮かぶ基隆嶼、さらには独立峰の基隆山が見える。反対側を見ると、谷底には今日の出発点である十分寮の街、その右奥には平渓三尖の特徴ある山頂が、ずっと遠くにある山は二格山だろうか。東北方面にも東北海岸の山並が広がっている。

稜線上をゆく五分山登山道(緑の万里長城とも言うそうだ)、その先のピークは姜子頭山
基隆港が遠くに見える

谷間の十分寮
食事休憩をとった後、五分山頂上に行く。また下りがあり下がっていくと、右に草むらの間に狭い道が分岐している。これが頂上へ続く道である。ほんの少しの登りで、草が刈られ開けた頂上に着く。三角点と登山会の残した看板がある。レーダードームが先に見えるが、草の背丈が高く、展望はない。そこそこに帰路につく。



峠の十分古道入り口
雲がすっかり消え、日差しが強くなった。往路を反対方向に進む。途中で、登山道整備の作業者とすれ違うが、他には登山客と出会うことはなかった。ほとんど下り一本の登山道は、道がよいこともあって、楽勝である。峠からは、十分古道を下る。はじめはロープがはられた、急な下りがしばらく続く。時間は1時を少し回ったところ。東勢渓谷のバス停から2時のバスが出た後4時までないので、道を急ぐ。幸いにして、基隆市が整備をしており、木板の階段などができている。昔ながらの石段もあるが、そこそこに歩かれているのだろう、それほど苔も生えていない。100m毎に路程表示もある。

ロープが張ってある古道
十数分下り、半分を過ぎると沢の音が聞こえ始める。800m下ったところで、荖寮坑歩道とであった。以前ここ荖寮坑も炭鉱があり、その遺跡が整備されている、ということだ。時間があれば見ていきたいのだが、バスまでの時間がないので、そのまま十分古道を下る。沢を横切って間もなく、舗装路の東勢坑産業道路に飛び出た。ここが十分古道の登山口である。舗装路をさらに3kmほど下ると、ボーイスカウトのキャンプ場もある東勢渓谷のバス停に着いた。時間は1時50分。しばらく待つと、2時発の暖暖駅まで行く基隆市公車603路線バスが来た。バスで暖暖駅まで行き、区間電車で台北に戻った。台北へは3時過ぎに着いた。


老寮坑步道合流点
今日の行程は、歩行11km、時間は約4時間半である。高度差は最高点の五分山が757m、最終点の東勢渓谷が約170mなので、500数十mになる。他の山とつないで縦走も考えられるが、道の整備状態もあまりよくないようで、とりあえずは今後のこの地帯の山登りをするための調査行として十分な収穫があった。平渓は基隆川の上流になるが、先に東北方向に流れ、この五分山も含む山塊をぐるっと回って、汐止方面に流れているのが実感できた。