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雪山主峰カールの底から主峰を見上げる、けっこう雪が残っている |
日本が日清戦争により、1895年に台湾を接収したあと、富士山より高い山を数座日本領土内に抱えることになった。そのうち一番高いのが、新高山と称された
玉山である。その次の山が、今は雪山と称される次高山だ。今回の登山は、標高3886mの雪山主峰と、東へ伸びる支稜上のピーク雪山東峰(標高3201m)である。ともに百岳に選定されている。
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雪山東峰から望む残雪がある主峰(左奥のピーク)を望む |
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雪山主峰山頂のメンバー |
台湾の主要山脈は、多くの3000m峰を抱える中央山脈と雪山を名主とする雪山山脈がある。玉山山脈もあるが、こちらはそれほど長くない。雪山山脈と中央山脈は、宜蘭へ流れる蘭陽溪を挟んで対峙する。分水嶺の反対側は台湾海峡に流れ込む大甲溪が、二つの山脈を画する。雪山山脈の南部分は、中央山脈北部と平行しているので、この谷を挟んでお互いの山々を望むことができる。今回の山行でも、中央山脈の北部の峰々、南大湖山、中央尖山、無名山などが南へ連なっているのを望めた。
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シャクナゲの咲く山道 |
今年三月に苗栗の馬那邦山を訪れた。山頂からは、白く雪をかぶった雪山を遠くに眺めることができた。今回の山行では、頂上付近で残雪を見た。台湾の山岳で一番大きい氷河によるカールが雪山主峰の北東側にあるが、ここはまだかなり白い状態であった。登山道の最上部は、まだ残雪がかぶりこれをよけて頂上を目指した。まさに、雪山である。また、標高3000mぐらいから上では高山杜鵑と称されるシャクナゲが咲き誇っていた。標高3200mぐらいから上に生えるニイタカトドマツ(台湾冷杉)純生林である黒森林は、地面に苔がびっしりと敷き詰められ、日本の北八ヶ岳の森林を歩いているかのような印象を持った。もちろん、緯度が違うので日本では標高が1000mも低いところで生息している違いがあるが。
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台湾冷杉(ニイタカトドマツ)純生林 |
今回の日程は、初日は台北を夜に出発し、宜蘭をへて7甲号線を武陵農場へ向かい、その敷地内にある登山口から登り七卡山莊で一泊、翌日東峰をへて三六九山莊に一泊、最終日は主峰を早朝に往復し、午後登山口まで下った。このルートは、雪山登山では一番ポピュラーなルートである。戦前の日本統治時代は、武陵農場はまだなく志佳陽山がある南東に伸びる支稜から登っていた。今回も昨年の
北大武山と同様に二泊二日(半)である。メンバーは全員で八名、登山専用の車を雇い台北から登山口まで往復した。食事は、三六九山荘では、業者が食事を提供しているので、それを利用した。出発数日前は天気予報が芳しくなく、天候が心配された。しかし、実際に訪れてみると、三日とも良好な天気で、実に愉快な山歩きができた。
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武陵農場登山口から東稜をへて主峰を往復 |
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全行程の高度プロファイル |
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雪山は台湾の北部にある |
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出発日 4月21日(木曜日)
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9人乗りのバンで登山口へ直行する |
台北を夕方7時半に出発、第5号高速道路を宜蘭へ向かう。今回登山の対象と同じ雪山を冠した全長13㎞弱のトンネルを抜け、宜蘭蘭陽平野にでる。この時間帯は、混雑もなく1時間もかからず宜蘭に来る。途中コンビニに立ち寄り、翌日の朝飯や昼飯用におにぎりなどを購入する。蘭陽溪にそって7甲号線を進む。少しまどろんでいるうちに、つづら折れの坂をのぼりつめ分水嶺を超える。この先川は台湾海峡に向かって流れる。第7甲号線から右に折れ、22時半武陵農場入口に着く。入場料を支払い、登山口に向けて場内を進む。途中ビジターセンタに少し立ち寄り、七家灣渓にそって進み、左に山腹を登っていく。23時、登山口に到着する。空には月が輝き、薄っすらと対岸の稜線も見える。
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登山口を出発 |
メンバー各自は身支度を整え、23時18分出発する。登山口には入出を管理するための小屋があるが、この時間帯は担当者不在で、入山(入園)許可書は備え付けの箱に入れる。これから、七卡山莊に向け2㎞、高度差300m強の山道を歩く。暗闇ではヘッドライトが頼りだが、道の状態はすこぶるよく、ヘッドライトを消灯して、月明かりだけでも歩けそうな感じだ。20分ほどで、汗が出てきたため、服装の調整休憩をとる。リュックは約15㎏の重さだが、そこそこのスピードで進める。全員調子がよい。
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午前0時半、七卡山莊に到着 |
ジグザグに高度を上げた後、展望台のある場所を過ぎ、道は緩やかになる。水が流れている小沢を超え、また登りが始まる。0時22分、七卡山莊に到着する。約1時間の歩きであった。七卡山莊入口の左右に、120名を収納できるという二段式の宿泊部屋がある。平日であることも手伝っているが、もともと利用客はそれほど多くない。他の登山者に迷惑にならないように宿泊部屋を確認すると、左側は全く利用されていない。そこで、指定された番号とは別にこちらのほうで宿泊する。寝袋を取り出し、さっそく就寝する。
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第一日 4月22日(金曜日)
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4/21夜と4/22の歩行ルート |
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同様 4/21及び4/22の歩行高度プロファイル |
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朝の七卡山莊 |
昨晩が遅かったので、今日は遅めの出発だ。6時に起床、山小屋の後ろ側にある食堂で、持参のガスコンロでお湯を沸かす。ここは、水が豊富なので便利だ。トイレも水洗式である。1968年に林務局により開通した、この登山道に合わせ建てられた小屋で、もともとは管理人がいたそうだ。今は、メンテに訪れることはあっても、常駐管理人はおらずその性格は避難小屋と同じだ。ただ、宿泊するには事前に雪霸國家公園に申請し(登山そのものの入園申請が必要)、許可を得ておく必要がある。
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宿泊部屋の内部 |
沸かしたお湯でスープを作り、昨日買った握り飯を食べる。ほかのメンバーもそれぞれ用意した食べ物で朝食をすませる。7時10分過ぎ、全員の支度が終了する。入口に取り付けらた寒暖計は17度を示している。昨晩は、夜中に寒く感じダウンジャケットを着たのもうなずける。全員がそろい、三六九山荘に向けて約5㎞の道のりを歩き始める。青空が広がり、今日も天候は最高だ。
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二葉松林の中つづら折の道を登る |
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3.1Kキロポスト地点 |
昨日同様、道の状態はとてもよい。小屋の裏からすぐジグザグ道が始まる。数分登ると、台湾馬酔木の花が咲いている。台湾赤松(二葉松)の林を行く道は、落ち葉が地面におちてとてもいい感じだ。二月に訪れた
台中谷關馬崙山の山道を思い出す。100mごとに取り付けられた里程柱が、だんだんと数字を増やしていく。約20分ほどで、2.6Kを過ぎ初回の休憩をとる。8時5分過ぎ、3.1Kのあたりから松の背が低くなると同時にまばらになり、遠くの景色が望めるようになる。光線の加減でもうひとつくっきりしないが、大きな山塊は南湖大山、その右側のとがった峰は中央尖山、そしてさらにその右に大きな無名山が連なっている。中央山脈北部の主要ピークである。更に登り、8時15分3.5Kの休憩ベンチで休憩する。高山の鳥金翼白眉がやってくる。おそらく登山者が餌をやっているのだろう、人を恐れない。
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中央山脈の山々が見え始める |
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人を恐れない金翼白眉 |
15分ほどの休憩後、引き続き登る。つづら折れの道は終わり、稜線にそって登っていく。周囲の樹木は背が低く、見晴らしできる。8時58分、4Kのキロポストを見ると、前方に哭坡(泣き坂)が見える。哭坡とは、雪山東稜に上る直前の標高差100数十メートルの急坂で、苦労するのでそのように称されている。坂の下には展望台がある。周囲に樹木はなく、実に広い展望ができる。先ほどの上り坂の時より高度があがったので、さらに広い範囲が見える。
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哭坡とその基部の展望台 |
9時22分、登り始める。ザレ石の坂で足元に注意が必要だ。木階段などが設けられている。一歩一歩確実に登り、9時45分上部に到着する。登り切った稜線の斜面にはシャクナゲが満開だ。思わず哭坡の苦労を忘れる。道は稜線上を進む。坂も上り下りが現れ、今までの一本調子の登りは終了だ。玉山矢竹(箭竹)の斜面や、灌木の林、針葉樹の森などが次々と現れ、高山の趣が出現する。空も晴れ、気分爽快だ。稜線上の小ピークを上り下りし、10時半5Kキロポストが現れ雪山東峰への分岐に来る。
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哭坡を過ぎ東稜稜線を歩き始める |
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稜線を東峰へ進む |
荷物をおろし、東峰へ向かう。ほんのわずかの登りで、広い頂上に着く。標高3201mの東峰は百岳の一つに数えられている。頂上からは、雪山主峰が望める。時々雲が頂上を隠すが、白い残雪が見える。主峰の左、東南稜は急激に下降し、南峰と志佳陽山へ続いている。右側は北稜が続き、その先には品田山から桃山へのいわゆる武陵四秀の山々が深い谷を挟んで並んでいる。品田山は、大きく湾曲した地層が特徴的だ。反対側中央山脈方向は、先ほどよりさらに南の奇萊山まで望める。前方の草原には、目的地三六九山荘も見えている。今日の行程はわずか5㎞だけなので、雄大な景色の中でゆっくりと時間を過ごす。実に幸せなひと時だ。
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広い東峰山頂 |
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頂上からの大パノラマ、左が主峰、そして北陵から武陵四秀へと稜線がつづく |
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シャクナゲの向こうに品田山 |
10時52分分岐へ戻り、少し早いが昼食をとる。11時16分、三六九山荘に向け、残り約2㎞の道のりを歩き始める。東峰の山腹を巻き、ヘリポートを過ぎる。右に林の中を進む。また矢竹の中を進む。こうした灌木や矢竹の間には、シャクナゲが咲き誇っている。ところどころ登り返しがあるが、三六九山荘へは基本緩い下り坂だ。11時53分、シラビソ林に入り、6.6Kキロポストを見る。もうあとわずかだ。森を抜けると、下り坂を行き7Kキロポストを過ぎてすぐ、12時少し過ぎ三六九山荘に到着した。途中ゆっくり休憩したり、写真を撮ったりしながら来たので、 5㎞の道のりを5時間かけて歩いてきた。
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三六九山莊、前方に北陵が望める |
山荘入口の寒暖計は16度、標高約3150mの山荘は晴天のもと、快適な環境だ。この山荘も、七卡山莊と同様に入口の左右に二段式の宿泊部屋がある。この山荘は利用者が多い。我々の場所は、入って右側すぐの場所だ。荷物を開き、寝袋などを取り出し整理する。トイレは、小屋の外に新しいものができているが、もともとのコンポスト式の処理方法は、今は使用していないようだ。台所は小屋の前の一段下がった広場の脇に作られている。食事業者もそこで料理をしている。水は沢から引いているおり、水量は豊富だ。ただ、時期によっては少ないこともあるようで、出発前に確認したほうが良いだろう。
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山荘前方の眺め、武陵四秀が谷を挟んで続いている |
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水源路の草原を行く |
これで今日の主要な歩きは終わりだが、午後何もしないのは少しもったいない。食事を提供する業者の人は、水源路を歩いてみるといいというアドバイス。そこで休憩後13時45分、出発する。主峰への道を少し進む。主峰への道はジグザグに草原を登っていくが、水源路は直進だ。この道は、実は北稜の凱蘭特崑山へと続く道で、山荘の水を引いている管がこの道沿いに走っているので、水源路という呼び名のようだ。メンバーの一人は、この草原でゆっくりしたいということで、分岐近くで分かれる。
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ニイタカドトマツの純生林を進む |
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倒木地帯、前方に主峰の稜線が見える |
水源路は踏跡は明確だが、主峰への道に比べると歩かれている程度は低い。200mほど草原道を進む。下りはじめ、そのうちニイタカトドマツの森に入る。これは主峰への道でも通り過ぎるいわゆる黒森林の一部だ。木々の枝にかかるサルオガセが目立つ。倒木も結構あり、自然の淘汰が進行している。山腹を行く道は、シラビソの森のを進む。地上には苔が生えていて、北八ヶ岳の森を歩いているような錯覚を覚える。でも、ここは標高3200m、富士山を除いて日本のどの山よりも高い場所だ。14時28分、分岐から約1㎞の地点で休憩する。
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草原で青い空を見上げる |
休憩後10分ほど進むと、道は回り込んで方向が東向きになり、木々の上に主峰が見えるようになる。前方には大量の倒木がある。道はそこで高巻いて進んでいく。14時50分、我々はこの場所で引き返すことにする。やってきた道を戻る。15時15分、ほぼ分岐地点まで来ると、先に途中で引き返していた三名が草原に寝そべって休んでいる。我々も仲間に加わり、草原に横になる。高山の稜線の上は、青い空に雲がかかっている。この時間、まさに至福のひと時だ。
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草原に戻ってきた |
15時40分、三六九山荘に到着。食事は17時からなので、広場のテーブルで持ってきたお酒を皆で飲む。そのうち食事が始まる。自分の食器を持ち出し、用意されたご飯やおかずの取りテーブルで食する。雪山は登山者がとても多いので、業者が採算がとれ、こうしたサービスがある。しかし、他の山々は、必ずしもそうではない。自分で対応しなければならないほうが、実は多い。台湾の山小屋は、基本は日本では避難小屋であることを認識する必要がある。
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山荘前の広場で食事 |
昼に到着したときはほとんどいなかった、小屋利用者がやってきて約7割方満室だ。しかし、平日なので休日に比べればまだましだ。明朝は2時食事、2時半出発なので6時過ぎには部屋にもどり休んだ。しばしまどろんだ後、時計を見ると7時過ぎ、ほとんどの登山者はもう就寝しているようだ。一度トイレに起きたが、夜空には月が掛かっている。明日も天気は良さそうだ。
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第二日 4月23日(土曜日)
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早朝に雪山山頂を往復、午後下山 |
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歩行高度プロファイル |
1時半ごろに起床だ。昨日は、あまりよく眠れていないが、今日は長丁場だ。2時におかゆの食事が始まる。主峰往復に必要なものを、アタックザックに詰め2時半に出発する。昨日午後歩いた水源路との分岐を過ぎ、ジグザグに草原を登っていく。我々より少し先に出発したパーティメンバーのヘッドライトが点々と並んで、上方を登っていく。気温は山荘入口の寒暖計は9度を示していた。出発前に見ていた天気予報の数字と同じだ。風が吹いているので、ジャケットを着用しての登りだ。
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主峰カール下部から主峰の稜線を見上げる、月が明るい |
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ヘッドライトを頼りに残雪を登る |
登ること20分、7.8Kの地点で草原から黒森林に入る。8Kキロポストの場所で休憩する。森の中の道は、しばらく緩やかな道が続く。3時半過ぎ、9Kキロポストで休憩する。岩わきの水源近くからは、登りが始まる。9.5Kキロポストを過ぎ、標高も3400mを過ぎるあたりから木々は背が低くなってくる。4時頃、雪山主峰圈谷(カール)の下端あたりへくる。上方の稜線の上には、満月がのぞいている。残雪も現れ始めた。
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空が白んできた |
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雪山主峰山頂 |
谷間を行く風は強い。手袋を取り出して着用する。まだ暗いので、周囲はまだよく見えないが、道はジグザグに斜面を登り高度を上げていく。その先、道は雪がかぶっており、踏跡は雪を避けて道以外の場所に続いている。これをフォローしていく。4時45分、斜面から稜線に取り付く。風は一層強く、防風のために雨具のズボンを着用する。少し空が白んできた。5時、主峰がかなり近くなってきた。這松の白い幹が目立つ。ところどころ横切らなければならない残雪は、それほど凍結してはいないが、注意しないと滑る。日の出と競争するように登り、5時22分主峰山頂に到着する。登山口からの距離10.9㎞である。
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頂上から登ってきたカール方向を見る、左に北陵、そしてその向こうに聖稜線や大霸尖が見える |
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頂上に筆者 |
台湾第二の高地、雪山主峰の頂上は結構ひろい。山名が刻印された大石が据えてある。三角点は、その大石の脇に頭を折られてしまっている。次高山、Mt.Sylvia と呼れたこの山は、原住民泰雅族にはバボハガイ(石頭山の意)と呼ばれたそうだ。Mt.Sylviaは、1867年台湾海峡を行く英国軍艦Silviaがこの山を見つけたことから、そう呼ばれ西洋文献ではこの名が使われていたそうだ。次高山は日本統治時代1923年、裕仁天皇が皇太子としての訪台時に命名された。当時は次高神社も作られたそうだが、
北大武山とは違い、今はまったその形跡はない。雪山の名前の由来は、漢人の記録によるもののようだ。
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千変万化の霧 |
全員が登頂できた。我々と前後して登ってきたパーティもやってくる。朝陽が雲間からのぞく。山肌は赤く染まる。ガスが谷間から上がってきては消える。頂上のすぐ下には、残雪がまだかなり多く残っている。北稜からその先の聖稜線、そして大霸尖山もその特徴ある山容を見せている。カールから七家灣溪の下流方向は、昨日東峰より高かった武陵四秀の山々が、低く座っている。東峰の草原頂上も判別できる。さすがに雪山山脈の名主である。寒さを忘れて写真を写し、山容の広大さやガスの変化に見惚れている間に、手がかじかんできた。もっと早くダウンジャケットを着るべきだったが、遅ればせながら着用する。風が強く、体感温度はおそらく0度以下かもしれない。
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残雪の雪山頂上 |
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注意深く残雪を下る |
6時5分、だいぶ明るくなった山頂を後にする。約40分ほどいたことになるが、そんな感覚は全くない。時間があっという間に過ぎ去った。登りは暗い中だったので、下りは新しい発見もある。頂上から眺めるカールは、確かに台湾一の規模というのがうなずける。稜線にそって下り、6時37分説明文のある場所で休憩する。ここからは、カールの壁を下ることになる。ジグザグの道を下る。6時54分、10.1Kキロポストに来る。そのすぐ下の斜面には、かなりの残雪がある。この斜面でしばらく雪遊びをする。メンバーの四名はこの斜面を滑って下ったり、小さな雪だるまを作る。
台湾では、雪はやはり珍しいのだ。
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下り途中から主峰を見上げる、右のピークは北稜角 |
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雪で遊ぶ |
7時14分、9.8Kキロポストを通過。ここはカールの底部になる。これでカールは見納めだ。主峰の頂上はもうかなり高い。7時28分、黒森林に入る。登りでは暗くてわからなかったが、林相は昨日の午後歩いたのと同じように、ニイタカトドマツの純生林で地面は苔のところが多い。木の幹に取り付けてある、登りでは反射して見えた帯は、冬期登山の道を示すものと記してある。いずれは、積雪の際に登りたいものだ。7時49分、大量に倒木ある場所を通過する。ここは倒木によってもともとの道が押しつぶされてしまったようで、別の道になっている。
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黒森林に向け下る |
7時52分、6.8Kキロポストの脇で水場に来る。メンバーの一人は水を汲んでもって帰るとのこと。この付近も倒木で本来の道がふさがれ、迂回している。その先、石瀑と呼ばれる大石が重なるように山肌を覆う場所を過ぎる。道は少し登り返し、その後は緩やかに黒森林出口まで続く。8時33分、森から出る。眼前には、三六九山荘周辺の草原、そしてその先には東峰を含む東稜、谷を挟んで桃山、遠くには南湖大山の雄大な景色が出現する。思わず足を止める。残りは、ジグザグ道を山荘へ下るだけだ。8時50分山荘に到着する。
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黒森林水場近くを下る |
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黒森林から出てきた、前面に雄大な風景が出現する |
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下山を開始、三六九山荘方向を振り返る |
食事業者のサービスは、下山後の軽食もある。用意されている麺を食べる。その後部屋に戻り、休憩する。日差しは温かく、気温は17度だ。1時間ほどの休憩後、10時半下山を開始する。先に登っていく。道が平らになり、東峰を目指す。約40分ほどで東峰分岐に着く。今日は昨日よりも、遠くの山々がはっきり見える。中央尖山のとがった山頂がひときわ顕著だ。土曜日の今日は、登ってくる登山者が多い。東峰の山頂も人であふれている。約30分ほどの休憩後、これで雪山主峰を望めるのは最後になるが、11時45分下り始める。12時5分、哭坡を下り始める。そのまま引き続き下り、3.5K休憩所で休みを取る。ここで休んでいた登山者にお茶をいただき、結局また30分ほど過ごす。
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東峰が見えた、右奥には中央尖がくっきり見える |
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登山口に戻ってきた |
ジグザグ道を下り、13時20分七卡山莊に立ち寄る。10分ほどの休憩後、残りの2㎞を下っていく。登りは夜だったため、道の様子などよくわからなかったが、今下ると実によい道であることがわかる。特にジグザグに下る最後の1㎞ほどのセクションは、石畳になっている。14時、登山口に着く。天気の良い土曜の今日は、登山口の建物周辺は遊楽客でいっぱいだ。我々の車も駐車場で、待っていた。最後に整理を済ませ、14時半には帰路に就いた。台北には、最終的に18時半過ぎに到着した。
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今まで何度か行こうと考えた雪山行、今回最高の天気のもと残雪やシャクナゲなど美しい雪山を満喫できた。我々の去った後の翌日日曜日は、天候は急変し雪山主峰頂上近くでは雪もちらつき、登頂をあきらめたパーティもあったと聞く。実にラッキーであった。
我々の歩いた雪山東峰や主峰は、玉山主峰と同じく台湾高山の入門コースでもある。年間を通じて多くの登山者が登っている。山道はしっかり整備され、山小屋もある。さらに三六九山荘では、食事も得られる。山岳旅行社などのコースに参加するのが手っ取り早いが、我々のように自分で行くことも可能だ。確かに日本人が、そのまま来訪して登るわけにはいかないが、日本の高山登山の経験者ならば、入山(入園)許可を得て交通手段さえ準備できれば、それほど難しいことでもない。今回の一人当たりの費用は、交通、食事(晩朝二食+軽食)、および山岳保険で、合計NT$2632(現状レートで9000円強)である。
雪山の魅力は深い。今回すっかり取り付かれた。いずれはまた、日本統治時代の台湾山岳会沼井鉄太郎が名付けた聖稜線、大雪山へ連なる主稜線、鹿野忠雄などが歩いた東南稜などをぜひとも登りたいと思う。
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帰路上雪山東峰から望む中央山脈、左の南湖大山から、中央尖山、無名山、ずっと右には奇萊山も見える |