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2016-06-28

2016年6月24日~26日 奇萊主山 - 北峰 台湾山難最多の山を登る

14甲公路(国道)から見る奇萊北峰(左)と主峰
縦走路から望む主峰
縦走路から望む北峰
奇萊山は、台湾中央山脈の北三分の一ほどの位置にある山で北峰、主峰そして南峰を有する。標高はそれぞれ3607m、3560m、そして3358mで、いずれも日本第二の高峰北岳(3193m)よりはるかに高い。南峰は、卡樓羅断崖(キレット)を挟んであるが、尖った険しい北峰とは対照的に緩やかな山容だ。今回の登山は、主峰と北峰である。今年は、4月の雪山に次いで二回目の高山登山となる。

西側の登山口から往復する
奇萊山の位置
奇萊山は、特にその北峰が黒色奇萊と呼ばれ、遭難が多いことでも有名だ。一般的には、奇萊山と聞くと危ない、という反応だ。1970年代に大学生や軍人学校の若者が、次々と遭難死亡し、その後も死亡を含む遭難が発生している。単純な遭難とは性格が違うが、古くは1897年、日本が台湾を接収し地図作成をするため、深堀安一郎大尉がこの山を登る途中、原住民に殺害されている。国道が通る合歡山側から望むと、黒く見えるということと、遭難が多いことで「黒色」奇萊というイメージなのだ。

出発時登山口のメンバー
我々一行が三日目の下山の途中で、成功山屋から下るとき台湾の自然を紹介するテレビ番組、MIT台湾誌のチーム二十数名とすれ違った。サンショウウオの生態を観察するため、奇萊東稜を目指すということだった。帰宅し翌日のニュースで、奇萊東稜で一人滑落する事件があったことを知った。滑落したメンバーは、サンショウウオの研究家、頼俊祥師範大学助教授とのこと。まさにすれ違ったメンバーの一人であったわけだ。28日の朝に遺体が発見された。
下山時にすれ違ったMIT隊の麥監督と記念写真(左から二人目)
遭難は多くの場合台風など、過酷な自然条件が重なっている。しかし、今回の二泊三日のうち、初日の夜に雷雨があったのみで、好天気に恵まれた。そのため、確かに険しい山で、足場が悪いところもあるが、遭難多発というイメージは感じなかった。もちろん、天候が悪ければ異なっただろうが。日本の高山とは違い、台湾の森林限界を超えた稜線には玉山箭竹(ニイタカヤタケ)が多く生え草原をなしている。この草原を漫歩するのは、まさに天上の楽園を行くが如しだ。台湾山岳界で、台湾高山の初期開拓人物として慕われている鹿野忠雄は、80年前にこのような草原を歩き、同じような感慨を得たのだろうと思うと、同じ日本人として感動する。

奇萊稜線小屋近くから主峰方向を見る、稜線上には草原が広がる
今回は筆者を含め六名のメンバーだ。実は、春にも一度計画したが、天候が悪く中止し、改めて計画し今回の山行が実現できた。二泊三日は、余裕のあるスケジュールだ。一日目は早朝に台北を出発し、昼頃に登山口に到着、5㎞足らずの道を歩き成功山屋で一泊。二日目は稜線へ登り、奇萊山屋に荷物を置き、軽装で主峰(主山)へ往復した。三日目は、北峰へ向かい、分岐からは軽装で登頂、そして下山した。

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第一日 6月24日(金曜日)

第一日は登山口からくだって、また登り成功山屋まで
霧社の派出所に立ち寄り、入山許可を申請する
前二回の高山登山は夜に出発だったが、今回はゆっくり朝に出発だ。6時半にMRT古亭駅に集合する。もともとは七名の予定だったが、直前にメンバー一人が膝を痛めたため参加を取りやめ、六名である。途中でメンバー一人をピックアップし、台中を経て南投県埔里へ向かう。今日は天気が実に良い。盆地の埔里は周囲の山々がはっきり望める。埔里へは高速道路ができているので実にスムースにつく。ここから道は14甲公路となり、山を登り始める。9時47分、1930年霧社事件が起きた霧社に着く。この事件は、セディックバレの映画がその様子を再現している。

鳶峰の休憩所にある泰雅族の石碑、背後は奇萊山
霧社に立ち寄ったのは、入山許可書を申請するためだ。台湾の高山は、今回のような国家公園内の場合、国家公園の入園許可と入山許可の二種類の許可を得る必要がある。前者は、ルート中にある山小屋などの使用許可も含む。両方の許可書はネット上でも申請できる。入山許可書は、公園入園許可書を得てから初めて申請できる。こちらは、今回のように最寄りの警察派出所で申請できる。日本ではなじみの薄い入山許可だが、実は日本統治時代に始まった制度だ。

合歡山ビジターセンターが見えた
派出所では親切に対応してもらい、すぐ許可書を入手できた。再び車で登山口を目指す。台湾で一番高いところを通り過ぎる自動車道である。段々と高度が上がる。窓から入る風はすでに涼しい。清境農場を通り過ぎる。多くの民宿が建てられている。10時47分、鳶峰の休憩所に立ち寄る。標高は2750mだ。谷を挟んで、対岸に奇萊連峰が見える。一番左側(北)は少し隠れて見えないが、そこから主峰、さらに南に南峰へと長く続いている。駐車場の前には桃を販売している。メンバーが買ってみんなでシェアする。とてもおいしい。

滑雪山莊の脇で荷物をおろし支度する
車道は、山腹をゆっくり登っていく。標高は3000mを超える。自転車ライダーも結構多い。空気は地上の三分の二の濃度だ。右には北峰から主峰がはっきり見える。その昔佐久間峠と呼ばれた武嶺を通り過ぎる。標高は3270mだ。多くの有楽客が展望を楽しんでいる。11時15分、合歡山ビジターセンターの前で右に曲がり、滑雪山莊へ少し下る。そこが奇萊山への登山口だ。台北から所要時間約4時間半である。

登山口から望む奇萊北峰
奇萊山登山口
山道は下りで始まる
対岸に奇萊北峰が頭に雲をかぶって座っている。まだ見知らぬ峰々が多い。11時40分、いよいよ出発する。奇萊北峰と主峰は、ほとんどこの登山口から登るが、この登山道の特徴は、まず下りから始まることだ。標高3100mの登山口から奇萊山と合歡山との間の鞍部である黑水潭まで高度差約350m下るのだ。初めの1㎞ぐらいは、ゆっくりと下っていく。そのあと少し登りが始まる。タイワンツガ(鐵杉)の大木が生える中を登り、12時18分、最高点に着く。ここで食事休憩をとる。

最高点を過ぎて、黑水潭へ下る。左は屏風山、右は北峰
3.2㎞キロポストを過ぎる
避難小屋である黑水潭小屋まで、下りが始まる。一面の草原で、見晴らしがよい。緩やかな下りは、実に快適だ。前方には奇萊北峰とその左に屏風山が連なる。右に小奇萊を見ながら下っていく。2.6kのキロポストをすぎ、下り坂は急になってくる。草原も終わり、林の中を下っていく。13時50分、黑水潭小屋に到着する。ここで3.7㎞の距離だ。小屋の脇で休憩する。この小屋は避難小屋の性格だ。中で泊まることもできる。

黑水潭避難小屋に到着
成功山屋に向け急坂を登る
今日の宿泊地、成功山屋まで残り1.1km、標高差は約150mだ。急な登りがしばらく続く。梯子なども現れる。4.4㎞をすぎると道は緩やかになる。最後にちょっと下り、15時26分成功山屋に着く。右はトイレがあり、左にまがってすぐ小屋が現れる。ここは30数名宿泊できる小屋だが、今日は多くの登山者がいるため、我々は小屋には泊まれない。そこでテントを借りる。去年の北大武山もそうだが、業者がテントや食事の提供をしている。我々はそれを利用する。日本では山小屋は食事や宿泊ができるのが普通だが、台湾では基本的にそのような山小屋はとても少ない。そこで、もともとは避難小屋的な山小屋に、業者が食事などを提供している。

成功山屋に到着
小屋脇の沢にはテントが設営されている
約4時間の歩きだ。下りがメインで、今日は体慣らし的な行程である。成功山屋のすぐ上には、別の小屋(二號成功堡)がある。これは70年代に遭難した学生の通う清華大学などが、募金をして造ったものである。中は、そこそこ広く10人ぐらいまでは泊まることができる。成功山屋も、息子が遭難したが幸い救助された医師が寄付したものということだ。我々のテントは、この上の小屋の脇にすでに設営されていた。食事は5時からということ、しばし休憩する。

業者の用意した夕食ができた
翌朝は、食事が1時半過ぎということ。我々は、また荷物を担いで稜線上の奇萊山屋へ行くが、他のパーティはほとんどが主峰と北峰を軽装で往復するので、早く出発する。我々は、それほど早くなくてもよいが、午前中は天気が良くても午後は崩れる可能性もあるので、やはりできるだけ早く出発することにする。食事が終わり、テントに戻る。早めに就寝するが、なかなか寝付かれない。遠くでなり始めた雷が、そのうちかなり強い雨とともに降りだした。しかし1時間ほどで止んだ。


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第二日 6月25日 (土曜日)

主峰を往復、GPS一時停止のため直線部分は間違い
ヘッドライトの明かりで登る
まんじりともせず過ごし、1時半ごろに起床する。すぐに成功山屋の前に行き、おかゆの食事をとる。すでに多くのパーティが出発の準備をしている。そのうちの一つは、以前玉山登山の時に参加した野訊の20名ほどのグループだ。以前は、高山は自分で行くのは難しいと思っていたが、実際上は手続きと交通手段さえ確保できれば、夏山についていえば難しいわけではない。食事をすませ、支度をして3時前に出発する。

夜明け前、遠くに平野の灯り、手前は清境農場の灯り
山腹道を稜線へ進む
山道は、しっかり整備されているので、ヘッドライトで登ることも問題ない。昨晩の雨はすっかり上がり、月が明るい。しばらく沢沿いの道を進み、右に山腹を登っていく。そのうちに等高線が込んだ急坂が始まる。5.3kのキロポストを過ぎてまもなく、3時40分に分岐に来る。左は北峰方向、右は奇萊稜線山屋方向だ。もともとは、北峰を先に登り小屋へ行くつもりであったが、変更し小屋へ先に行き、軽装で主峰を往復することにした。

夜明けが近い
稜線へ向けて最後の急登
標高は約3150m、稜線まではまだあと150mほどの落差がある。高度が上がり、合歡山の向こう遠くに街の明かりが見える。4時40分ごろ、少し明るくなってきた。6㎞のキロポストをすぎるころ、森林限界をこえザレ場が現れる。山腹を行く道は、上り下りがあり、滑落すれば危ない。幸いに補助ロープがあるので助かる。最後に急坂で高度を稼ぎ、5時44分、稜線にたどり着く。重荷を担いでの登りはこれで終わりだ。稜線からは、反対側花蓮方向が望める。もともと奇萊の名前は、花蓮に居住していた原住民に由来するという。実は花蓮から望める高山である。

稜線上の分岐に到着した
奇萊稜線山屋
ここから奇萊稜線山屋へは、目と鼻の先だ。ゆっくりと稜線上を下り、5時52分小屋に到着する。キロポストは6.6㎞、成功山屋から約2㎞、3時間の登りである。小屋は二つの棟からできている。性格は避難小屋であるが、太魯閣國家公園の管理で宿泊には先に許可が必要だ。定員は8名だ。荷物をおろし、一息つく。高床式の小屋の中は、厚いゴムマットが敷いてあり、そこそこ快適である。

稜線小屋から主峰方向を望む
稜線上の小池
6時17分、必要なものを小型ザックに詰め、出発する。遠くに見える主峰まで、片道3㎞の道のりだ。この辺りは一面草原、実に見晴らしがよく、気持ちは最高だ。小屋から稜線上に少し上がる。反対側すぐ下に池がある。奇萊山屋は、水場は往復約1時間を要する谷へ下る必要がある。どうしても必要であれば、この池の水を沸かして利用することも可能だ。稜線を左に、主峰に向けて歩き始める。

黒い北峰が鋭い頂上を見せる、左遠くの山は雪山山脈
山腹上のシラビソの森を過ぎる、前方は主峰
初めは少し下り気味で始まり、そのうち稜線の東側を歩くようになる。道も登りが始まる。振り返れば北峰が黒くそびえ、その左合歡山の向こう遠くに雪山山脈が連なっている。途中のピークをまいていく。山腹道を行くうちに、ニイタカトドマツ(冷杉)の森の中に入る。森から出ると、左に主峰が近くなっている。見上げると頭上に岩がインディアンの頭のように見える。草原の道になり、1.5㎞のキロポストを過ぎる。これで主峰までの半分を歩いた。山腹から稜線上にまた戻る。7時5分、その場所で一休みする。

インディアンの頭のように見える岩
右側(西側)には、昨日通過した14甲公路が見える。そしてその南側には、パッチのようにつぎはぎ開発された清境農場付近の様子がみえる。そしてさらに遠く、山が切れたその先には平野とさらに海岸線にそって建つ風力発電機と思われるものも見える。稜線を進むと、草もない砂地の道になる。小さな起伏を乗り越え行く。卡樓羅断崖が近づいてくる。そのずっと遠く向こうには、玉山も見える。7時58分、主峰の付け根の部分でもう一度休憩する。朝早くからスタートしているので、少し疲れが出てきた。

稜線から西側を見る、中央の谷の奥には山腹がパッチ状態の清境農場が見える
草のない稜線を行く、左に主峰が近づいてきた
岩の間に咲く高山植物
卡嘍囉斷崖
遠くには玉山が望める
主峰への分岐、右に卡樓羅斷崖が見える
主峰へ登る、シャクナゲが少し残っている
先ほど歩いているとき、主峰を下ってくる登山者が見えた。主峰へは縦走路から分岐して道が登る。縦走路を分岐へ行くが、先ほどの登山者とはすれ違わない。彼らはどうやら卡樓羅断崖をさらに南へ縦走するようだ。8時13分、分岐へ着く。ここから左へ急坂を登っていく。登るにつれ、卡樓羅断崖のほうがよく見える。そこには数名の登山者が歩いているが見える。今年は特に咲き誇ったシャクナゲは、もうほとんど花が落ちている。登ること約20分、稜線にのりさらに数分行くと広い頂上に到着する。草原が広がっている。その奥が三角点のある山頂だ。8時44分、大きな山名看板のある頂上(標高3560m)に来る。奇萊稜線山屋から、約2時間半であった。

主峰頂上
山名表示板の向こうに花蓮の平地とその向こうに太平洋が見える
南から西方向にかけてのパノラマ
北から東に向けてのパノラマ
主峰を下る
頂上からは、花蓮の平地が見える。ここは、太平洋も台湾海峡も望める地点だ。天気がよいことに、本当に感謝する。時間も早く、雲の発生がまだ少ないことが、展望できる要素だ。午後になると、霧が発生し見えないことが多い。写真を写した後、みんな草原に寝転がり休憩する。しばしまどろむと、時間はすでに9時20分を回っている。いよいよ帰り道だ。明日登る予定の北峰が向こうに鋭い姿でたたずんでいる。

縦走路分岐に着く
主峰を背後に往路を戻る
9時半、下り始める。慎重に下り9時48分、分岐に着く。朝早く出発していった、野訊グループの先頭ガイドと出会う。彼らはすでに北峰をのぼってきた。右に往路を戻る。今日の目的はすでに果たしたので、気持ちは気楽だ。途中、これから主峰を目指す登山者と行違う。途中で一度休憩をとり、11時22分に小屋に戻る。少しガスが掛かってきた。小屋で昼食をとり、休憩する。今日の行動時間は約9時間半、約8㎞の道のりである。

少しガスがでてきた、稜線小屋はすぐ目の前だ
水場へ急坂を下る
休憩後、13時20分谷間の水場へ向かう。成功山屋から水をもって上がってきたが、全員が使用するには足らない。みんなの水筒などを集め、四人で下っていく。すぐに急な坂が始まる。補助ロープに頼りながら下ること20分、沢に着く。すぐ左の高い滝から流れる水はとても冷たい。水を汲んだ後は、急坂の登りだ。登りも約20数分で着く。水は十分、今晩と明日はこれで問題ない。

滝の下の水場








午後はゆっくりと休む。そのうち小屋のそばでテントを設営する音が聞こえてきた。彼ら数名もここで泊まるようだ。近くをぶらつく。主峰の方向へ歩く。テントが数個設営されている。ここも協助と総称される業者がテントと食事を提供している。今日は土曜日、登山者が多い。小屋に戻り、5時前に夕食を始める。食事は、お湯だけで調理できるものや、サラミなど手間のかからないものをとる。食事を終え、7時前には就寝する。

稜線上に設営されたテント

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第三日 6月26日 (日曜日)

稜線小屋から出発、北峰を往復した後下山
北峰から下山し、黑水潭鞍部から登山口に登り返す
昨日登ってきた稜線への道との分岐を過ぎる
午前1時に起床、朝食をとる。支度を済ませ、外にでると月が明るい。2時に出発する。昨日登ってきて通過した分岐は、右にとり登っていく。そのうち道は平らになり、2時半にもう一つの分岐に来る。左にとれば、成功山屋へ下る。ここで重荷をおろし、軽装で北峰山頂へ向かう。まだ暗いが、しばらく行くと道は急坂になる。補助ロープも多く現れる。しかし迷うことはない。4時25分、北峰頂上(標高3607m)に到着する。実は、北峰のほうが主峰より高い。ここには一等三角点がある。東のほうが、少し赤くなってきたが、まだまだ周囲は暗い。

夜明け前の頂上から西方向を望む、右遠くに雪山山脈のシルエットが見える
日の出直前の山頂
谷を挟んだ合歡山方向は、松雪楼の灯りやその左遠くには清境農場の民宿などの灯りが見える。風はそれほどないが、気温が低いのでダウンジャケットを取り出し着ける。次第に明るくなり、山は少しずつその姿を現す。おととい通り過ぎた黑水潭小屋の屋根が白く谷間に見える。5時、いよいよ太陽がその片鱗を雲の向こうに見せ始めた。日の出だ。山頂の西側は切り立った崖だが、東側はカール状のなだらかな草原が広がっている。合歡山側から望む姿とは、ずいぶんと異なる雰囲気だ。主峰にもあったが、ここにも遭難記念のプレートがある。今は平和なこの山頂も、実は遭難の歴史がある。太陽が上がってくると、反対側には大きな山の影が現れた。まさに三角形の山の影だ。

山頂の東側には草原が広がる
朝陽に赤く染まる主峰
一等三角点基石
北峰の影が投影されている
岩場を下る
今は穏やかな山頂だが、約100年前の1913年、理蕃政策のもと日本軍はこの地から立霧(タッキリ)溪の谷をを望み、翌年の太魯閣族との戦いに備えたのだ。日本にとっても意味の深い山頂でもある。5時38分、1時間以上滞在した山頂を下り始める。登りの時は、暗がりのなかだったので気づかなかったが、明るい今見ると、坂は急で岩場も多い。事故は下山との時が多い。慎重に下っていく。40分ほど下ってくると道は緩やかになってくる。6時48分、分岐にへ戻る。途中で、知り合いの登山者と行違う。彼らは、成功山屋から上ってきたのだ。7時15分、荷物を担ぎ下り始める。分岐から少し行くと、ザレの急坂が始まる。幸いずっと補助ロープがあるので、助かる。急なだけに、ぐんぐん高度が下がる。8時10分、稜線小屋への分岐に戻ってくる。昨日は右にとって登った分岐だ。

岩場は続く
岩場はもうすぐ終わりだ
稜線分岐、ここから下り始める
ザレ場を下る
木製梯子
休憩後、成功山屋へ下り始める。昨日は暗がりであまり気にしなかったが、かなり急な場所も多く現れる。ところどころ樹木の間から見える合歡山の高さが高くなる。8時51分、第一成功堡への分岐にくる。少し道を入って山小屋を見てみる。ここには、遭難者の遺体が一時安置されたという。水場も遠いこともあり、ここを利用する登山者はほとんどいないようだ。9時16分、沢脇に降り立つ。成功山屋はもうあとわずかだ。9時26分、成功山屋へ着く。休憩をとる。

一號成功堡
MIT台湾誌チームとすれ違う
更に黑水潭鞍部へ下る。半分ほど下がると、大きな荷物を担いだMIT隊の山ガイドが登ってきてすれ違う。そのうち多くのメンバーとすれ違う。MIT台湾誌の監督役の麥さんやプロジェクト企画の阮さんなど、TVで見る主要メンバーと一緒に記念写真を写す。今回の登山に先立ち、2013年に録画された奇萊登山の番組を参考に見ている。すれ違った隊員の中には、その翌日に不幸に滑落して死亡した師範大学頼助教授もいた。写真でみると、すれ違った時の頼さんの様子が思い浮かぶ。

黑水潭鞍部に到着、背後の北峰が高い
最後の登り返しはつらい、あと3.2㎞だ
10時54分、黑水潭鞍部に到着、休憩する。ここからは、登山口まで約350mの登り返しが始まる。下山の最後に登り返しは、正直つらい。初めは急な坂が続き、その後なだらかな道になる。ここの付近は軽装のハイカーも多い。今日は、時間が早いせいか初日の下りの時より天気が良い。日差しが強いが、それほど暑くない。14時、登山口に戻ってくる。我々の車はすでにそこで待っていた。今日の行動は、約10時間、約10㎞の道のりだ。

全員無事に登山口に戻った
今日は日曜日、14甲公路の車両が多い。自転車の催しが行われている。16時に霧社へ下ってくる。ここで食事をとる。20時過ぎ、台北にたどり着き今回の山行は終わった。

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自分で企画しメンバーを集めて登る高山の山行は、これで三回目だ。奇萊主峰北峰のルートは、中級クラスの位置づけだ。これを登ったことは、自分たちの駒が一つ進んだことになる。今年もまだまだ、高山を登っていく予定だ。いわゆる百岳のうち、筆者はまだ数座に過ぎないが、今年中には二桁にしたい。
奇萊主峰の筆者、背後は花蓮方向