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2017-10-05

2017年9月26日-10月1日 雪山山脈聖稜線 日本登山家が初完走した聖なる稜線を歩く

伊澤山より望む聖稜線、大霸尖山から小霸尖山、一番右奥の雪山主峰へと続く
台湾の高山は、そのかなりの部分が日本統治時代に日本人によって初登頂されている。当時は日本本土もふくめ、登山活動は金と時間が必要な貴族の運動であるので、ある意味では当然だが、日本人としてはこの事実は台湾の山に対しまた特別の思いを抱かせられる。台湾の主要山脈のうち北部にある雪山山脈は、台湾第二の高峰雪山主峰(標高3886m)を盟主とし、五方向に尾根を伸ばす。そのうち独特の形状をした大霸尖山から主峰までの北の主稜線は、聖稜線と呼ばれている。

品田山から望む聖稜線の全景(2016/10撮影)
1895年に台湾を接収した日本は、その新国土経営のため様々な人材を台湾に派遣する。そのうちの一人に沼井鉄太郎がいる。1926年(大正15年)に台湾の酒煙草専売局に赴任する。日本での登山経験が豊富な沼井は、当然台湾の山岳も登り、台湾山岳会設立やその幹部をつとめ、10年間の滞在期間中、台湾の登山活動の礎を築いている。 1927年に大霸尖山に登頂し、その翌年に『台湾山岳』に公表した記録中に、上記の稜線を指して聖なる稜線という呼び方をしていることから、聖稜線という名ができた。いわく、「聖なる稜線、大霸尖山ー次高山の真正のトラヴァース(縦走)、果たして何人がその栄誉を荷ひ、その真美を語り得るだらうか」。そして、当然だが聖稜線もその初縦走は1931年(昭和6年)に日本人、井上一男一行によって行われている。入山は檜山から伊澤山へ、また下山ルートは雪山主峰(次高山)から志佳陽山(シカヨウ山)経由であるが、聖稜線の部分は三日で通過し、現在の所要時間とほぼ同じである。

壮絶な素密達斷崖付近を進む
戦後日本が去り、台湾現地の登山家が登り始めてもこの呼び名はそのまま使われている。稜線の中ほどにはシミタ断崖(素密達斷崖)が行く手を遮る。滑落すればそのまま数百メートル落ちてしまう、ほぼ垂直の岩壁を通り過ぎていかなければならず、縦走は困難度も高い。そのため、台湾の登山家はこの聖稜線を歩いてから初めて家庭を持てる、という言い方もあった。

北の觀霧から南の武陵農場まで縦走する、I型聖稜線縱走
5日間の歩行距離と高度
筆者にとっての聖稜線は、六年前に台湾での登山を始めてしばらくした後、台北郊外にある大屯山西峰山頂から、台北の町の向こうに幾重にも重なる山脈の一番奥に、独特な形状のピークを見たことから始まる。そのピークは大霸尖山である。その後、さまざまなところより、この特異な形状の大霸尖山を見てきた。二年前から3000m高山を登り始めてきたが、今回はそうした経験の上での登山となった。台湾の高山は、入山許可と国家公園内に属する山の場合はさらに入園許可が必要になる。三か所の国家公園のうち、聖稜線が属する雪霸國家公園は、登山難易度制度による制限があり、ステップを踏んでいかないと登れない山がある。雪山主峰や東峰はAクラス、武陵四秀の山々はBクラス、聖稜線上にある雪山北峰はCクラスとなっており、Bクラスの山はAクラス登山経験が、CクラスはBクラスの経験が、とういう許可条件がある。聖稜線はC+となり夏山としては最上クラスの格付けで、Cクラスの登山経験証明が必要だ。

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第一日 9月27日(水曜日) 觀霧 - 大鹿林道 - 登山口 - 九九山莊

觀霧から大鹿林道と登山道をへて九九山荘まで
長い林道歩きのあと急坂を登る
民宿内の四人部屋、朝食込みで500元
今回は前夜出発5日間の登山だ。26日午後遅くに台北をシャトルサービスの車で出発する。もともとは、人数も六名であったが様々な理由で来れなくなり、最終三名のパーティだ。聖稜線はパーティ人数にも制限があり、三名以上となっている。ぎりぎりの人数である。第三高速道路を竹東インターチェンジで降り、竹東を過ぎて122号線の山道を清泉へと進む。清泉は、日本ともかかわりの深い張学良が、軟禁されていた場所でもある。以前登った五指山鵝公髻山への登山口を通り過ぎる。あたりが暗くなるころ、觀霧への道に入り登っていく。19時過ぎに泱波佳境民宿に到着する。

林道0K、これから出発だ
27日は夜明け前3時半に起床、民宿で朝食をとって4時半に車で出発する。5時に觀霧のセンターに到着、大鹿林道に入り柵のある0K地点で車を降りる。あたりはまだ暗いが、木々の間からは星が望める。今日は良い天気が期待できる。水などをいれて15㎏の荷物を担いで歩き始める。今回は、かなり危険な場所も過ぎるので、できるだけ荷物の軽量化を図った。乾燥食品を多く採用し、一日あたり0.5㎏の食料で抑えた。ただ、素密達斷崖の通過時に対応するため、30mのザイルを持ってきており、この分1.5㎏ぐらいが増えている。

林道から夜明けの山並みを見る
歩きやすい林道、4K地点
300mほど進むと管理所(大霸尖山登山服務站)がある。まだだれもいないので、入園入山許可の書類を受付窓口で投函する。これから十数キロの林道歩きだ。大鹿林道(東線)は、大霸尖山山道が始まる馬達拉溪登山口まではしっかり整備されている。車での往来も可能だが、作業車以外は通行禁止なので、歩くしかない。5時半過ぎからは明るくなり、ヘッドランプがいらなくなる。6時13分、4Kキロポストを過ぎる。道は登り下りも少なく、そこそこのペースで歩ける。

林道に朝陽が差し込む
谷を挟んで対岸の山々が、はっきり見えるようになる。方角からするとおそらく榛山や佳仁山といったところだろう。前方に帝雞がひょっこり現れ、すぐにまた見えなくなった。7時16分、8Kキロポストを過ぎる。蝉の鳴き声がうるさいほど聞こえる。標高2000m弱この地は、秋の訪れはまだのようだ。実際、だいぶ暑くなってきた。山道は、枝尾根を巻いていくので、進行方向が常に変わり日向にでたり日陰を行ったりする。7時41分、9.8K地点で左に林道支線を分ける。大きな花崗岩を使ったテーブルと椅子が道脇に設けられている。林道歩きは、半分を過ぎた。ここで休憩する。

9.8K支線分岐部
分岐近くの休憩所
大霸尖山は、今は大鹿林道をたどり、そこから九九山莊へ登るのが一般的だ。しかし日本時代の登山は、まだ林道もなく清泉(旧称井上)から霞喀羅古道(当時は警備道)を進み、途中根本(駐在所)から檜山(駐在所)などをへて伊澤山(井澤山)の支稜を登っていた。大鹿林道支線は、高嶺や檜山など昔の警備道へ続く道だ。ただ支線といっても廃棄されており、本線のような整備がされているわけではない。入り口を見ただけでも、草に埋もれ歩く人がほとんどないことがわかる。

東線瀑布
7時54分、歩き始める。途中、小沢を超す。この辺りが崩れて、通行止めになっていたところだろうか。大鹿林道は昨年暮れまでずっと不通だった。8時53分、14.3K のキロポストを過ぎ、少し下ると東線瀑布が左に現れる。二段式の、見ごたえのある滝だ。9時18分、15K キロポストを過ぎてまもなく、工事用寮が現れる。しっかり整備された小屋で、泊まることもできる。15K キロポストの少し前に水場があるので、ここで水を補給していけばこの小屋の利用もOKだ。九九山莊の管理人という人が、オートバイでやってきた。メンバーのH君のザックをバイクにのせて、先に登山口まで行って待っているという。親切なことだ。

林道わきの作業寮の建物
17Kのカーブ、前方に近道が始まる
道は下っていき、右下方に沢も見える。道脇の草刈作業が行われている。17Kキロポストで林道は大きく右に曲がる。このヘアピンカーブのところで、登山口までの近道が始まる。急坂を下ること10分ほどで、10時に登山口近くの別の作業用寮の前に出る。先ほどの管理人がそこで待っていた。彼は2時間半ほどで九九山莊へ登るという。お茶を沸かして待っていると言い残し、先に行く。我々は約5時間弱で林道を歩いてきた。時間もまだ早いので、寮の中でゆっくり1時間ほど休憩して、九九山莊への急坂道を登ることにする。

林道終点の作業寮の建物
寮の下のほうにも立派な建物がある。以前の登山管理所だったようだが、説明によれば建物基礎がすぐわきの沢に削られて不安定なので、入るなとある。建物前には19Kのキロポストがある。先ほど近道を来たので、われわれの林道歩きは17.5Kといったところだ。11時過ぎ、山道を歩き始める。九九山莊へはあと4Kほどある。まだ新しい立派な鉄の橋で馬達拉溪を渡る。対岸には吊り橋の橋脚や、壊れた吊り橋が残っている。大水で流され、この鉄の橋が作られたようだ。

寮のわきから馬達拉溪を望む、奥に赤い橋がある
稜線に上がり、ベンチがある
沢を渡るとすぐに、つづら折りの急坂が始まる。20分ほどアカマツ林を登ると、小尾根に上がりベンチが設けられている。さらに登っていくとヒノキの人工林に入る。ちょっと日本の山を行くような感覚だ。12時21分、登山道1.5K近くのベンチで休む。前方が開けていて、レーダー施設を頂く鹿場大山(樂山)が望める。

ヒノキ人工林を行く、日本の山を歩いているようだ
展望休憩所から望む、左に鹿場大山が望める
しっかり整備された道
道は石段やコンクリ製階段など、しっかり整備されている。この登山道は、80年代に盛んだった救国団登山活動と合わせて切り開かれ、多くの登山者に歩かれてきた道である。登っていくと、ヒノキの原生林に入る。さらに登ると林相が変わりツガの原生林になる。登山口から標高差900mを登るので、結構辛い。さらに十数キロの林道歩きをしているのだから、足が重い。13時52分、3Kキロポストを過ぎる。残りはあと1Kほどだ。道脇に矢竹が現れるが、しっかり草刈されている。道が少し平らになってきたと思ったら、14時43分に山荘の入り口が現れた。今日はこれで歩きは終わりだ。

2.3K近くの原生林を行く
九九山莊の入り口
九九山莊は、林務局の管理下にある。標高2699mにあるので、九九山莊と呼ばれる。中国語で九九は久久と同じで、末永くという縁起がよいようにという思いがあるのかもしれない。収容数も90名近くと大きい。管理人が常駐している。管理人から設備などの説明を受け、いくつかある建物のうち、左の小高い場所にあるプレハブの建物での宿泊を指定される。今日は宿泊者はあまり多くなく、われわれはゆったりとしたスペースだ。許可書類を見せ、管理費一人当たり200元を支払う。水は近くの沢から引いていて、豊富だ。トイレも一応水洗である。ここには、協作と呼ばれる業者が入っていて、食事や寝袋を提供している。身軽に大霸尖山を登りたければ、これを利用することができる。聞いたところ900元だとのこと。

山荘全貌(前方の丸屋根の前の建物が食堂、上段左が筆者たちの泊まった建物)
部屋内部
登山口で出会った管理人は、とうの昔に着いていた。お茶をいただく。自分たちで食事を用意し、17時前には終わらせる。山荘の裏では、携帯電話が繋がる。18時少し前、日没を見るついで、スマホで天気予報を確認する。明日は、どうやら問題ないようだ。ただ、明後日からは前線が近づき、下り気味とのこと。最難関の素密達斷崖を通過するときに、天気が崩れるのであれば心配だ。自分の建物に戻り、19時前早々と就寝する。今日は走行距離約21.5㎞、行動時間(含む休憩)は9時間半だ。

山荘の裏でみる夕暮れ

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第二日 9月28日(木)九九山莊 - 加利山往復 - 伊澤山往復 - 中霸山屋 - 大霸尖山 - 小霸尖山 - 霸南山屋

九九山莊から四座の山を越えて霸南山屋
稜線に上ったあと、緩やかに登っていく
早朝の食堂
今日も長丁場なので、3時に起床し食事を済ませる。4時半前に出発する。夜明けはまだまだ先だが、星空で天気は心配なく、道の状態もすこぶる良いのでヘッドライト頼りで問題ない。途中一回休憩し、登っていく。5時を10分回ったころ、草原を進み左下に平野の灯がみえるようになる。標高は3000m近い。5時30分、大霸尖山まであと6㎞の標識を見る。さらに10分ぐらいでかなり明るくなってきた。5時41分、稜線に上がり加利山への分岐がある。山荘から約1時間20分ほど、距離にして約2㎞を登ってきた。

夜明け間近の山道を行く
頂上に朝陽があたる鹿場大山
リュックを分岐に残し、軽装で加利山へ向かう。なだらかな草原の稜線は、左に大小霸尖山から続く聖稜線のシルエットが浮かぶ。昨日、登りの途中で高く見えていた鹿場大山は、今は低く頂上にちょうど朝日が投射して黄色に染まっている。5分ぐらい進むと、少しの下りが現れ前方に加利山の頂上が見える。下り切ったところには、小池がある。6時3分、朝陽が大霸尖山の左から登ってきた。我々の進む道も黄金に輝きだした。6時16分に加利山山頂(標高3112m)につく。緩やかな山頂の中央に三角点がある。今回の縦走のうち、ここは稜線上の最北西点だ。南方向には、これからたどっていく稜線がすべて見渡せる。どのような場面が待ち受けているのだろうか。

分岐近くから見る聖稜線のシルエット
水たまりのわきを行く
加利山山頂
山頂の筆者
分岐に戻る
稜線を伊澤山へ向かう
10分ほど頂上で過ごした後、往路を引き返す。朝陽に向って歩くので、すこし眩しい。太陽が昇るにつれ、周囲の山々はその全貌を表し始める。6時56分、分岐に戻る。しばしの休憩のあと、縦走路を進み始める。草原の道は、幅も広くとても歩きやすい。稜線を追っていくので登り下りは仕方がない。池のある窪んだ地形の稜線をすぎると、稜線の左側(北側)には基那吉山、そしてその奥には西丘斯山や雪白山が望める。その手前は伊澤山の枝尾根で、日本時代に歩かれたルートがある。7.6Kを過ぎるころから、道は山腹を進み伊澤山へ向かって登っていく。8Kの地点で、対向側からきたパーティが休んでいる。メンバーVさんの知り合いのようだ。我々も一時間近く歩いたので、休憩をとる。

稜線道からの眺め、基那吉山などが見える
森の中の山腹道を行く
8時20分、歩き始める。すぐに左に伊澤山への道が分岐するが、ほとんど歩かれていないようで、黄色のテープで立ち入り禁止のようになっている。ここは地図上の第二登山口だ。そこで、そのまま山腹を行く道を追っていく。木桟道などが設けられ、整備の良い道だ。台湾ツガ(鐵杉)の森を抜けると、眼前には大霸尖山が近くなっている。8時47分、稜線上に上がり伊澤山への分岐がある。リュックを置いて、軽装で伊澤山へ向かう。緩い坂を10分ほど登り、伊澤山頂上(標高3297m)に着く。ここも広い頂上だ。三角点のわきには、通信施設が据えられている。日本時代のルートであった、枝尾根が途中に草原を擁して緩く下って行っている。沼井鉄太郎たちはこの道を登り降りして大霸尖山を目指したのだ。目を反対側に転ずると、広い草原の向こうに大霸尖山から雪山主峰までの聖稜線、そして雪山西稜線の山々が続いている。実に雄大だ。

伊澤山への分岐の上部から聖稜線を見る
伊澤山への道
伊澤山山頂から西方向を見る
中霸山屋へ向かって登る
9時15分頂上から下り、分岐へ戻る。リュックを担いで、中霸山屋へ向かう。メンバーのH君は、以前伊澤山を登ったことがあり、一足先に中霸山屋へ行っている。緩やかな登り道が続く。8.9K 、9K、9.1Kとキロポストの数字が増えていく。9時42分、溜水を右に見て、さらに緩い坂を登る。9時45分、積雪期通行禁止という看板のあと、ひょっこり中霸山屋が現れる。位置は9.8K弱というところだ。時間も早いし、すでに5時間半ほど行動しているので、小屋でゆっくり昼食をとり休憩する。

中霸山屋,小屋の後ろのほうに雨水タンク
中霸尖山の山腹を巻いていく
11時過ぎ、出発する。まもなく大霸尖へあと2㎞の看板を見る。のこりはわずかだ。道は、中霸尖山の左山腹を登っていく。台湾ツガの林の中で、展望はあまりない。10.2Kを過ぎたところで、森がきれ草原を登る。11時31分、登り切ったところで休憩する。ここは、馬洋山など大霸尖北稜ルートの分岐でもある。前方に見える大霸尖はのこり1Kあまりで、随分と大きく威容を誇っている。こちらに面している北側の壁はほとんど垂直かオーバーハングで登頂はままならない。大霸尖の左は東霸尖へと続く峰々が連なり、その向こうには武陵四秀、さらにその奥には中央山脈の南湖大山と中央尖山が控えている。

北稜ルート分岐近くから見る大霸尖山と小霸尖山、背後に聖稜線が続く
下から見上げる大霸尖山
大霸尖山は、冒頭でも述べたが、沼井鉄太郎のパーティが1927年初登頂している。ちょうど反対側の斜面から登頂した。もちろん初めは、ザイルを用いたロッククライミングである。その後、危険な部分に梯子がかけられている。千々岩助太郎の書には、戦争の足音が迫る1940年(昭和15年)に、皇紀2600年記念事業として、道の開削作業で梯子をかけるための山行があったことが記されている。そのころには、だいぶ登らるようになっていたのだろう。さらに戦後も鉄製の梯子がつけられたようだが、その後壊れてしまい、なおかつこの山を聖なる山とみなすタイヤル族(泰雅族)を尊重して、梯子は再度つけられていない。国家公園は、登頂しないようにという注意書きを立てている。

大霸尖山のすぐ下から望む、谷の向こうは加利山,伊澤山.中霸尖の崖が続く。左は小霸尖山
大霸尖山岩壁直下をトラバースする
11時41分、ピークからくだって大霸尖へ向かう。森の中の急坂を12,3分下ると大霸尖が眼前にそびえる。頂上へはいけないので、通常はここが大霸尖(標高3492m)を登ったことを記すための写真撮影場所だ。国家公園の用意した山頂カードが道脇に設けられている。ここから見上げる大霸尖は、難攻不落の岩壁をまっとた三角ピークだ。写真撮影後、少し登り岩壁の基部をトラバースしていく。岩から染み出した雫が、ところどころ落ちてくる。落石除けの鉄製トンネルは、本当に落石につぶれてすでに役に立たなくなっている。このようなところに、長居は無用だ。数分でトラバースを終え、岩壁の端から少し登り返す。この辺りはトリカブトの花が目立つ。12時13分、小霸尖山への分岐に着く。

トラバースも終了近い
小霸尖へ向かう
イワキキョウ
H君は、分岐で待つというので、Vさんと二人で軽装にて小霸尖山を目指す。先に少し下り、登り返す。左下には、今日宿泊の霸南山屋の赤い屋根が小さく見える。次第に大きくなって来る小霸尖は、岩のごろごろする場所を過ぎる。岩陰にはイワキキョウが咲いている。日本のものに比べると空色に近い青だ。補助ロープのかかる岩場を登れば、頂上だ。13時に小霸尖頂上(標高3412m)につく。分岐から約30分だ。先ほどまで快晴だった空は、雲が現れ始めた。幸い明日歩く予定の聖稜線の尾根筋は見える。こちら側からみるとかなり切れているが、道は森の中の稜線を行くようだ。目を反対側に転ずると、早朝に登った加利山から続く稜線が、深い谷の向こうに続いている。中霸尖山の下は、絶壁で切れている。

最後の岩場を登る
小覇尖から聖稜線を望む
復路から見る大覇尖
13時8分、往路を戻る。慎重に岩場を下り、登り返して13時33分分岐に戻る。リュックを担ぎ、今日最後のセクションを霸南山屋へ向かう。分岐には、新しく聖稜線のキロポストが始まる。こちらからは数字が減っていくことになるが、分岐の数字は11.8Kだ。大小霸尖山の登山客は非常に多いが、ここからはガクンと減る。歩き始めて、歩道の整備状況が大きく差があるのにまず気づく。これまではしっかり刈られていた矢竹は、道を覆い隠す。10分ほどで、もともと大霸尖山の頂上へと続く道の基部に来る。ここにも安全上の理由とタイヤル族の尊重のため、登山禁止の看板があるが、その上のほうには標識リボンがあり頂上を目指す登山者はいるようだ。標高3150mの霸南山屋へ約300m弱への下りが始まる。

石がハート型に並べられている
涸れ沢を下る
右に急坂を下っていく。すぐに補助ロープの岩場を過ぎる。足場がちょっと離れていて苦労するが、ロープを頼りに慎重に下れば大丈夫だ。急坂をグングンくだる。14時12分、開けた場所を過ぎる。ハート型に石が並べられている。左側に道が続く。霧が濃くなってきた。11.3Kを過ぎてまもなく、道は涸れ沢の中を進むようになる。大岩のごろごろする涸れ沢の道は、厄介だ。しかしこれが正規の道だ。キロポストもあらわれる。100mごとに現れるキロポストは、迷っていないことを確認できるので、助かる。15分ほど下り、左側に涸れ沢を離れて、山腹を行く。11Kキロポストを過ぎ、14時56分右に水場への分岐に来る。水場へは300m下るようだ。尾根上を少し下り、15時9分、霸南山屋が眼前に現れた。

覇南山屋

覇南山屋は最近に改築された小屋で、快適だ。雨水貯めタンクがあり、水も問題ない。ただし、長く雨がなければ問題になるので、事前の確認は必要だ。小屋の前はテラスになっている。階段を上がり、小屋に入る。今日は我々三人だけだ。食事をとり、19時までには就寝する。外は霧が出ているようだが、雨は降っていない。今日は約11.5㎞の距離を、休憩を含めて11時間ほどで歩いた。


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第三日 9月29日(金) 霸南山屋 - 巴紗拉雲山 - 布秀蘭山 - 素密達山 - 素密達山屋

覇南山屋から素密達山屋へ最難関を進む
距離は少ないが、困難な場所を通過する
晴天で朝を迎えた@覇南山屋
稜線から夜明けの小覇尖を望む
今日は、今回縦走中、一番難関の素密達斷崖(シミタ断崖、日本時代の呼称)を超える。昨日心配だった天気は、4時過ぎにに起きて空を見ると星空である。朝食をとり、空が白んできた5時18分に出発する。縦走路は、大霸尖山のように整備された道ではないし、危険個所も多いので暗い中を進むのは避ける。5時30分、10.6Kのキロポストを過ぎ、明るくなってくる。森が切れた場所からふりかえると、昨日登頂した小霸尖が見える。6時を回り、黄金色の朝陽がさし込んでくる。6時17分、10Kキロポストを過ぎすぐに、キャンプ地がある。さらにその先3,4分で巴紗拉雲山屋にくる。壁は残っているが、屋根はすでになく、小屋としては使えない。ここは、また左に武陵四秀へと続く道が分岐する。

稜線から西を望む
分岐の巴紗拉雲山屋,破損して使用はできない
水場への分岐点
森の中を行く、9.3K地点
小休憩後、右に稜線を登っていく。森からでて稜線を登り、分岐から約20分ほどで右へ水場に続く道を分ける。この辺りは矢竹が多く、そのために水が保てるのか。分岐部分も足元には水がにじみ出ている。7時15分に9.3Kキロポストを過ぎ、そのすぐ上で矢竹がきれて稜線にのる。前方には穆特勒布山(バボー・ムトロップ)の刃物のようにとがった岩稜が谷に何本も落ち、その背後には雪山主峰方向が望める。 振り返れば、小霸尖から大霸尖への山並みが、深い谷の向こうに朝陽を浴びてそびえている。大霸尖から霸南山屋へ下った、下降点や途中の開けた場所、さらに涸沢の様子などもうかがえる。

展望点からのパノラマ
稜線道を行く、左のピークは品田山
この展望点から道は左におれて稜線のすぐ下を巻いて巴紗拉雲山(バボー・スプラジン)へと続いている。森の中や矢竹の間を登り、7時38分9Kのキロポストのすぐ上の巴紗拉雲山頂上(標高3402m)に着く。ステンレス製の山名柱がある頂上からは、360度の展望が可能だ。前方は大きく下ったあと、布秀蘭山(バボー・プシュラン)がまた盛り上がる。左下がりの45度の岩層が幾重にも重なって、山を構成している。この稜線を左にたどれば品田山(バボー・タガラユン)である。昨年秋には品田山から今立っている場所を含めた、聖稜線を眺めた。

巴紗拉雲山山頂
布秀蘭山へ向けて下る
十数分の展望を楽しんだあと、下り始める。左側(東側)の斜面を下っていく。下るにつれて、穆特勒布山が高くその鋭い岩壁がを壮絶さを増し、また穆特勒布山のすぐ左下にある子供のような素密達山も目立つようになる。8時32分、8.4Kあたりで、下りきりしばらく平らで木々もない、砂地に近い緩い尾根を進む。振り返ると巴紗拉雲山も鋭いエッジをもつ岩層がさらに急角度で重なってできているのがわかる。8時45分、8.1Kあたりから布秀蘭山への登りが始まる。ニイタカトドマツ林を抜けると、ガレ場の急坂が現れる。7.9Kを過ぎてすぐ、補助ロープの岩場を登る。巴紗拉雲山と同じぐらいの高さに登り返してくる。前方に布秀蘭山の頂上が見える。昨日は、午前中の一組以外誰とも行き会わなかったが、布秀蘭山には反対方向からやってきた数名のパーティがいる。近づくと、そのうちの一人は山岳ガイドをやっている顔見知りのFさんだった。偶然の出会いに笑みが浮かぶ。彼らが過ぎ去るのを見送り、布秀蘭山頂上(標高3438m)で休憩する。時刻は9時40分。

巴紗拉雲山を背後に鞍部を進む
布秀蘭山へう向けて急坂を登る
布秀蘭山頂上で出会ったパーティ、やってきた方向を望む
布秀蘭山山頂の筆者
布秀蘭山は、東側に品田山へと尾根が続く。これをたどれば品田山や池有山をへて武陵農場へ降りることができる。雪山主峰方向からきてこちらに進めば、回遊方式に歩くことができる。このような歩き方のルートをO型聖稜線とよび、今回我々のような歩き方はI型聖稜線といわれる。それ以外にもY型もある。こちらは、霸南山屋から大小霸尖山を軽装で往復し、その後巴紗拉雲山屋の分岐から武陵四秀方向へ歩いて、武陵農場へ下るルートである。布秀蘭山から品田山への道には、垂直に近い品田断崖があり結構大変だ。

品田山を望む
大石の重なる稜線を行く
10時15分、素密達山に向けて歩き始める。これからが一番注意を払わなければならないセクションだ。縦走中のちょうど中間地点になる。大きな岩が重なる稜線を10分ほど進み、7.6Kぐらいから左に斜面を巻いてくだる。また稜線にのると、大石セクションが現れる。距離は少ないが、コースタイムは長い。途中にはいくつも小ピークがあり、稜線右は千尋の断崖。時間がかかるのもわかる。7Kを過ぎ、3,4分下がっていき、11時39分テント場につく。ここで長く休憩をとり、昼飯を食べる。眼前に迫った穆特勒布山は、オーバーハングをした岩層がさらにその近寄りがたさを示す。万一この谷に落ちたら、命はないのはもちろん、遺体の回収もままならないだろう。

やってきた方向を振り返る、背後のピークは品田山
鳥も通わぬ素密達斷崖、背後には大覇尖が見える
素密達山から品田山を望む
岩壁第一段上からザックを下したところ
12時11分、素密達山へ向けて最後の登りを行く。急な坂が続く。ロープセクションもある。最後には急なザレ場を登り、12時38分素密達山頂上(標高3466m)につく。狭い頂上だ。空には雲がかかってきた。13時いよいよ素密達斷崖の岩壁を下り始める。断崖は上下三段に分けられる。最上段は数メートルの急な岩壁、足場はあるがここは滑落するとそのまま数百メートルの谷に落ちていく。二段目はトラバース気味に下る。傾斜はそれほどでない。そして三段目も数メートルの岸壁で、こちらは傾斜が強くなおかつ足場が少ない。すべて補助ロープがついているが、日本の岩場に比べると心もとない。

第二段をトラーバースする
岩壁最下部から見上げる
ここで持ってきたザイルを出し、ザックを先におろしそのあと人が下ることにする。Vさんが先に空身でくだり、下でみんなのザックを受ける。そのあと、二人が下りる。ここで、大きな事故があった。人が降りた際に、H君のザックが谷底に落ちてしまったのだ。アッというまである。急いで、最下段に下り様子を見たが、ザックの影も形もない。少し下ってみても同じだ。悪いことに、霧もかかってきた。ザックの回収は無理と、判断し今日の宿泊地素密達山屋へ向かう。十数分、登り返し森の中にある小屋に14時30分に着く。







素密達山屋に到着
しばらくして、雨が降り出した。落ちたザックには寝袋や食料、衣類などすべてのものが入っている。そこで、二人分のザック内容で三人で分け合うことにする。衣類などもあるメンバーがH君に貸す。食料も分ける。さらに、これでは寒さや食料、燃料の不足があるので、最短距離で下山できるようにルートを変更する。ルートを変更するといっても、ここからでは一番近いのは三六九山荘を経ていくしかない。そこで、明日は、雪山北峰を越え、本来予定の翠池へはいかず途中凱蘭特崑山(バボー・カランタックン)から、水源路経由で三六九山荘に降りることにした。三六九山荘では協作が食事と寝袋を提供している。

霧の中の小屋
実に情けない失敗だが、発生してしまった以上は、いかに安全に下山できるかが、最大の課題だ。小屋の外は濃霧、夜になっても雨は止まず、雨脚も強まる。雨の中で、今の装備ではちょっと不足だ。幸い最大の難所は越している。天気が良いことを祈るしかない。今日は距離は5㎞と短いが、9時間以上を要している。

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第四日 9月30日(土) 素密達山屋 - 雪山北峰 - 雪北山屋 - 凱蘭特崑山北峰 - 水源路 - 三六九山莊

素密達山屋から三六九山莊へ雪山北峰を越えて進む
稜線縦走後、水源路経由で下る
三人だけの小屋で朝食を準備する
寝具が足らず、寒い夜を過ごす。H君もVさんも十分寝れなかったようだ。3時過ぎには起きて、食事の準備をする。ただ、ここも明るくなって来ないと道の様子がわからないので、昨日と同じに5時20分ごろになって出発する。天は味方をしてくれたようで、雨は上がっている。一人は軽装ザックを背負う。十数分でちょっとした岩場を過ぎる。5時40分過ぎ、朝陽が昇り東側の山肌を赤く染める。5時45分、左に水場への道を分ける。道は登り始める。6Kを過ぎ、岩場が現れ登りきる。登り切った場所から、前方に雪山北峰が見える。東側は、南湖大山と中央尖山が雲の下に佇んでいる。

朝陽が山を赤く染める、右のピークは雪山北峰
岩場を登り切ったところから眺める雪山北峰、左遠くに中央山脈
大きく岩場を下る
一休みをしたあと、今度は大きく岩場を下る。この付近は稜線は岩稜で通過困難であり、なおかつ山腹を巻くにしてもこうした岩の場所がある。ロープを頼りに大きく下り、その後山腹を巻いていく。思いのほか、時間を取られる場所だ。矢竹は昨日の雨でぬれており、その雫でズボンも袖もたちまち濡れる。6時52分、一休みする。さらに登っていき7時9分、稜線に上がる。ここからは、稜線上を進んでいく。7時55分、5Kを過ぎそのすぐ先で雲達卡山を過ぎる。と、いっても表示もないので展望がよい点ということだけが、記憶に残る。

稜線を行く、背後のピークは穆特勒布山
稜線から雪山北峰を望む
ビャクシンの枯れ木
ゾウの頭のような北峰はだいぶ近づいてきたが、一度下ってまた登り返しが必要だ。右は大きくきれた断崖が続く。8時20分、4.8Kあたりで最低点を過ぎ、標高3700m北峰への高度差100数十メートルの登り返しが始まる。ひたすら登る。登るにつれ視界も広がる。8時51分、北峰への分岐につく。三名がそろったところで、北峰へ向かう。上下のあまりない道を5分ほどで雪山北峰(標高3702m)に着く。

雲達卡山からの下り
雪山北峰への登り
北峰頂上の筆者、背後に主峰
聖稜線の後半部分、遠くに中央山脈が伸びている
雪山北峰から下り雪北山屋を目指す
朝は曇り気味だったが、すっかり天気は晴れて遠くまで見渡せる。これから歩いていく主峰方向の稜線が続く。その向こうは、中央山脈だ。反対側は歩いてきた道のりだ。加利山から伊澤山、大霸尖山はだいぶ遠くなっている。その向こうに、かすかに台北郊外の觀音山や陽明山が望める。雪山山脈を5年前に遠くに望んだ山を、今こちらから見ている。9時25分、分岐へ引き返す。リュックを背負い、下り始める。日本の高山は、ハイ松が特徴だ。台湾はハイ松はない。その代わりにニイタカビャクシン(圓柏)が生えている。条件が良ければ大木になるが、風や雪の稜線では低い。下っていくと中央がくぼんだ稜線となり、9時50分雪北小屋が現れる。すぐわきは高いビャクシンが二本立っている。小屋のつくりは、昨晩泊まった素密達山屋と同じだ。ここで1時間ほど長い休憩をとる。

ビャクシン大木の間の雪北山屋
葉が色づき始めている
11時に出発する。すぐに4Kを過ぎる。道脇に発電機が置いてある。灌木の葉が赤や黄色に色づき始めている。今年は9月になっても台北は38度を超えるなど、とても暑いがここは秋は訪れ始めているようだ。北峰を背後に、稜線を忠実に追いかけていく。いくつかの小ピークを登り降りして進む。ビャクシン以外にシャクナゲも多い。5月頃であれば一面の花だろう。11時47分、2.9Kの場所で休憩する。稜線上には日陰もなく、陽光は強いが風があるので、それほど暑さを感じない。ここからは、左下に今日の目的地、三六九山荘が見える。一安心だ。

背の低いビャクシン灌木の間を進む
下方の草原に三六九山荘が見える、その左上のピークは雪山東峰
ロープの岩場を下る
まだまだ小ピークが続く。右から回り込み下るところで、ロープセクションがある。今までのところに比べると難易度は低いが、滑落すれば崖の上なので非常に危ない。前方の雪山主峰周辺には霧がかかり始めた。ここ連日は、昼を過ぎると雲が発生する。今日も同じだ。雨にならないことを祈る。対向側から二名のパーティがやってきて行違う。水源路の分岐は1.9Kで、残りわずかだがなかなか着かない。道端のニイタカウスユキソウは、盛りを過ぎてしぼんだ花もある。気づかないうちに凱蘭特崑山北峰を通り過ぎ、13時に水源路の分岐につく。長い下りの前に、休憩する。周囲はだいぶ霧に包まれてきた。

雪山主峰がだいぶ近づいてきた
水源路分岐部で一休み
全長2.5㎞の水源路を下り始める。勾配は急だが、道の状態は予想よりよい。昨年三六九山荘から、散歩がてらに途中まで歩いたときは倒木が多く、道の整備は良くないと思っていたが、この状態なら十分問題ない。そのうちザレのつづら折りになる。30分ほど下り、急坂が終わる。右に平らな山腹道が始まり、水源路2.2K地点で休憩する。見上げる稜線は、すでに高い。

急なザレ道を下る、稜線はすでに高い
美しい黒森林
道はまもなく森に入る。有名なニイタカトドマツ(冷杉)の純正林、黒森林だ。道は、また森の中を急坂で下る。地面はコケが一面に生えている。14時15分、急坂は終わりまた山腹の平らな道を行く。14時25分、水源路の名前の由来である三六九山荘水源となる沢に来る。水管がたくさん走っている。沢水を全部引いてしまっているので、沢には水が流れていない。休憩する。

水がない水源の沢


水のない沢を越え、1.5Kキロポストをすぎてすぐに、ステンレスの水タンクが道端に設置されている。水タンクには蛇口があるので、水を補給する。現在三六九山荘は、水管の途中に問題があり、沢水が使えない。雨水だけだ。道は、ここからはずっと平らな道である。1.2K付近は大量の倒木がある。去年はこの辺りまでやってきたようだ。ここまでやってくれば、もう問題はない。0.7Kあたりは水管復旧工事中のようで、材料がたくさん置いてある。自然環境調査が進行中のようで、作業員が樹木を切っている。0.2K地点で草原にでる。15時44分、主峰からの道と合流、15時50分三六九山荘につく。

倒木部分を行く
三六九山荘に着いた
本来、三六九山荘の許可ではなく、三人のスペースはなかったが、管理人に事情を話し相談すると快く空いているスペースを工面してくれた。週末で宿泊者が多いが、予定をキャンセルした登山者もいるようだ。三六九山荘には、協作が食事と寝袋を提供している。今回、またこれを利用する。H君は寝袋を借りる。17時に食事を終え、与えられた二段の上段で就寝する。過去二晩は、山小屋は貸切りだが今日はにぎやかだ。心配した雨もなく、また明日も天気がよさそうだ。今日は7.1㎞の道のり、休憩込みで10時間半歩いた。

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第5日 10月1日 (日)三六九山莊 - 雪山東峰 - 七卡山莊 - 登山口

三六九山荘から登山口までの気楽な歩き
基本下りの歩行
朝陽の中の三六九山荘
主峰で日の出を見る登山客は2時ごろ起きだす。そのあと、また4時ごろに騒がしくなる。このグループが出払うと、また静かになる。昨晩は、ずっとウトウト状態だった。6時が最後の食事時間ということで、5時過ぎに起床すして外に出る。朝陽が南湖大山の方向から出る。7時ごろ山荘入り口の寒暖計を見ると、27度を示している。まったく寒くない。

多くの登山者とすれ違う



登山者がほとんど出はらって、ガランとした三六九山荘を7時15分に出発する。昨日、シャトルサービスの車と連絡し、12時に登山口への出迎えを伝えてある。急いで歩けば3時間強で着くが、天気もよいのでのんびりと下ることにする。道は初めはゆっくりと登っていく。対向からの登山者と、結構すれちがう。倒木を処理したあとの、断面に布農(ブノン族)と彫ってある。以前は気づかなかったが、雪山山脈は、布農ではなく泰雅族(タイヤル族)のテリトリーである。玉山付近が本来の領域であるブノン族は、今では高山登山のガイドや荷担ぎなどで活躍している。そこで、この彫り込みなのだろう。

昨日歩いた稜線が見える
雪山東峰が前方に現れる
30分ほど歩いてくる。振り返れば、昨日歩いた稜線と、水源路の上部が望める。8時6分、道は登り切り、前方に雪山東峰が現れる。ヘリポートを過ぎ、東峰に登る。8時12分、頂上(標高3201m)に到着する。品田山に隠れて、大霸尖山方向は見えないが、布秀蘭山から主峰までの聖稜線がくっきり青空を劃している。無事ここまでやってこれたこと、天気が味方してくれたことに感謝する。

東峰から見る聖稜線と品田山(最右のピーク)
東峰頂上の三名
8時33分、下り始める。哭坡(泣き坂)の上部までは、ちょっとした上り下りがある。ススキが風に吹かれて揺れる。十数分で哭坡の上部に来る。下方には下部にある展望台、そしてその向こうには武陵農場の農園が谷間にある。眼前は、中央山脈第一段、第二段、そして合歡山の山塊が青く続いている。哭坡下部で一休みし、またつづら折りの道を下る。9時35分、ちょうど半分の3.5K地点のベンチで休憩する。休んでいると、70台と見える老齢の公園ボランティアの人がやってくる。話をしているとまたさらに高齢のボランティアがやってきた。79歳だということだ。歳を感じさせない。

ボッカをして登るブノン族の協作
登山口に到着した
アカマツのジグザグ道をさらに下っていく。10時32分、七卡山莊につき水を補給する。料理場では、協作が食事の準備をしている。残りはあとわずかだ。石段もある道を下る。ここの部分は、高山の道とは思えない。11時32分、登山口に着く。入り口管理所で、下山したことを係員に伝える。そのうち、シャトル車がやってきた。着替えなどをして、12時に帰路についた。




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高齢ボランティアの二人と合影
今回は、難しいルートであった上に、メンバー一人のザックを遺失するという事故があった。しかし、天気は味方してくれたので、とても助かった。これも経験である。普段は、ザックを外して別々におろしたりしないので、経験不足ということもある。しかし、常に万全の注意を払わなければいけないことも、認識させられた。装備や食料は、登山者にとっては命である。特に長い縦走などをする場合は、人里も離れ遭難することもあり得る。

筆者にとっては、5年越しの夢である聖稜線を縦走でき、登山活動の一つのマイルストーンを立てることができた。しかし、終点ではない。これよりさらに長期の、困難な縦走ルートもある。今回の経験を糧に、さらにチャレンジしていきたいと思う。

2 件のコメント:

  1. 私も憧れる聖稜線、無事のご帰還おめでとうございます。
    途中のアクシデントも他山の石として覚えておきます。
    ところで、このコースの技術レベルは北鎌尾根以上、剱岳北方稜線以下ぐらいの感じですか?それとも、西穂ー奥穂でプラス懸垂降下アリ みたいな感じでしょうか?
    難易度は日本でいえば、、、みたいな指標が有ればより実感が湧くと思います。
    よろしくお願いします

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  2. このコースは、一応国家公園の正式ルートなので、日本でいえば通常登山ルートと考えていただければいいです。北鎌のような困難はないですが、縦走のため一式を担いで歩かなければならないので、その点を考慮する必要あります。我々もそのため荷物を先におろしました(逆方向であれば、先に空身で登って、荷物を引き上げる)。難度は穂高や後立山連峰のキレットのような感じのところもありますが、日本は鎖に鉄梯子という整備ですが、台湾はすべてロープ(ザイルやテープ、あるいは普通のロープ)なので、その点が不安になるかもしれません。我々もそのため、万一のためのザイルを持っていきました。懸垂下降は、ロープを信用して下れば、必要ないです。

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