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霧が一瞬はれて”抹茶山”鶯子嶺が眼前に現れる |
新北市雙溪區は、地理地形的な理由で人口が少なく、交通の便もあまり良くない。そのために、自然がまだ多く残り、昔ながらの状態のよい古道も多い。筆者の好きな場所の一つである。10年前ぐらいに初めて訪れたときに、その魅力に取りつかれた。その後、この地を何回か訪れ、その山や古道を多く歩いた。山道は山が深いだけにメンテは大変で、人が歩かなくなると草も伸び、ふさがれる。今回歩いたルート上の南勢坑古道は、そうした長くメンテされてなかった道だ。最近藍天隊による手入れがあり、この機を逃さずに歩いた。
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南勢坑溪にて |
南勢坑古道は、雙溪區の最奥とでもいうべき灣潭から数年前に歩いた北宜古道上の峠へと続く道である。その下半分は南勢坑溪の沢沿いに進む。多くの魚が泳ぐ透明な水が陽光に反射する。実に素朴で美しい。上半分は、すこし長めの尾根に取りつき
北宜古道が行く主稜線へと登る。一方、今回最高部になる、
鶯子頂山-鶯子嶺の稜線は地形的にあまり風が当たらない山蔭部分は樹木があるが、その他は草の尾根である。天気が良ければ良好な展望台だが、今回は濃霧で強い風が吹いていた。下りは、鶯子嶺から直接北方向へ伸びる尾根を灣潭へ下った。
この道は9年前に登りで通った。その時は草に埋もれていたが、今回はしっかりと草が刈られていた。
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反時計まわりに回遊 |
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基福公路2.6Kmトンネル |
10年ほど前は、雙溪駅から灣潭へのF815新巴士を利用していたが、その後この地域の登山が活発になるにつれ乗客も増え、休日は乗れないことも出てきた。タクシーを利用して登山口へ行くことが多くなった。今回は、そうした点から参加メンバーの車2台に分乗し、台北から直接訪れた。数年前に開通した台9丙線基福公路が暖暖と雙溪との間を直接結んでいるので、台北から1時間半で灣潭に着いた。
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橋のたもとのF815灣潭バス停、公衆トイレがある |
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橋上から灣潭溪と下山した尾根、そして最奥の鶯子頂山 |
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民家の前を通りその先右に曲がる |
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左下に南勢坑溪をみて古道を行く |
今日は8名の参加者である。灣潭のバス停がある橋の近くに車を停め、準備をする。橋の上から上流方向を見ると、最奥に鶯子頂山が頭をもたげている。空は青空が見える。8時15分出発する。アジサイが咲く土地公の脇を通り、最奥の烏山30號民家の脇から南勢坑古道に入る。しばらく左側の南勢坑溪の上を行く。道幅は広く、雙溪の他の古道と同じように、とても良い道だ。
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水際の古道 |
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最初の渡渉点 |
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二回目の渡渉点で右岸にもわたり返す |
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シイタケ栽培場 |
8時40分、道は最初の渡渉点に来る。沢幅はそこそこある。水量も結構あり飛び石は一部が水につかっている。長靴を履いているが、深いところは脛あたりまである。水中の石も滑りやすい。右岸に渡り、少しでまた左岸に渡る。こちらは更に水をかぶった飛び石で、登山靴のメンバーは諦めてそのまま水に入って渡る。渡ったところには、シイタケ栽培場だ。石がゴロゴロする河原を過ぎると、また渡渉だ。道は左岸を少し高く進み、枝沢を越えていく。前方に大きな二股がある。9時20分沢を渡り二股の河原で休憩する。古道約2kmぐらいの地点だ。
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沢の淵を高巻き沢に降りる |
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沢歩きもあと少し |
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最後の渡渉点 |
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二俣尾根取りつき口 |
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草に埋もれた廃棄家屋石積壁脇を行く |
9時半、二股から尾根に取りつき登り始める。すぐに石積壁がある。以前ここに家があったようだ。道はしばらく急坂で高度を稼ぐ。10分ほどで勾配や緩まり、木々の間の尾根を進む。木々の下の道は草もあまりなく、すっきり歩きやすい。いくつかの小さなコブを越えて進み、10時25分最後の急坂前で休憩をとる。標高は約590m、灣潭から高度差約200m登ってきた。
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こう配が緩くなった尾根を進む |
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最後の急登前に鞍部で休憩 |
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藍天隊のマーカーがある急坂を登る |
稜線まで約100mちょっとの登りである。左に鶯子頂山方向の稜線が見えるが、雲がかかってきている。天気予報ではそれほど悪くなかったが、局地的に雲が発生しやすいのかもしれない。ロープが架かる急坂を登り、10時45分尾根上に着く。左にちょっと踏み跡があり、下っていくとひょこり北宜古道にでた。
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急坂が続く |
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北宜古道を進む |
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時々古道に陽光が差し込む |
数年前反対方向からやってきた北宜古道を、今日は少しくだり馬鞍格を過ぎて登り返していく。ここも最近の藍天隊の手入れで、状態は悪くない。雨で路肩が崩れている場所には、新しいロープが取り付けられている。11時12分、火燒寮古道を右に分ける。時々陽射しが差し込むが、長い坂を登っていくと、霧が込めてくる。だらだらと長い坂を登り、11時40分邰牛寮鞍部にたどり着く。大正11年專賣局の日本時代の土地境界石が残る。ここは十字路で、北宜古道は直進する。すっかり霧で包まれた鞍部で昼食休憩をとる。
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火燒寮古道分岐 |
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新しいロープが取り付けられている |
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霧の中の邰牛寮鞍部 |
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日本統治時代大正11年專賣局地界石 |
約30分の食事休憩後、左に急坂で登る尾根道を行く。この道は鶯子頂山の手前のピークで、山頂には通信塔施設がある。この道も最近手入れされており、道筋がはっきりしている。それまでは、通るにはかなり苦労が必要だったろう。登ること30分ほどで、森からでてカヤの中を行く。周囲は濃霧で視界はほとんどない。12時47分、通信施設へと続く戰備道にひょこりと出る。今年3月19日の道標が路面に着けられている。
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背後の道を登る |
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戰備道に登りついた |
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前方の通信鉄塔はほとんど見えない |
全員が登り切ったところで、左に戰備道を進む。視界は10mほどだろうか、前方の高い通信塔がほとんど濃霧で見えない。まもなく門の前に着き、左に塀沿いに進む。道が切れたところから山道となる。外国人青年が一人で近くにいる。道を聞かれたので答える。鶯子嶺から太和山をへて下るそうだ。山道は施設の壁際を行き、大きく下る。濃霧の草の道、そしてちょっとした灌木を抜けて登り返す。13時26分、
鶯子頂山山頂(標高1001m)に着く。
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風が当たらない灌木帯 |
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霧の鶯子頂山山頂 |
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霧と草の道 |
二度目の鶯子頂山は濃霧の中、まったく展望はできない。そこそこに山頂から下り、先を急ぐ。鶯子嶺は近いようで遠い。途中に上り下りが4カ所ほどある。もちろん大きいものも小さいものもあるが、平らな道のようには行かない。風が吹き霧がかかる稜線は、この時期としては暑くなく、その面では楽だ。14時38分、すでに草で塞がれほぼ通行不能な福德坑への分岐鞍部を過ぎる。少し霧が薄れ、一瞬頭城と海岸線が現れる。
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上り下りが続く |
前回より約1時間近く時間を要し、15時27分鶯子嶺山頂(標高943m)に着く。多くのメンバーは、途中で山蛭に取りつかれ、中には血を吸ってたっぷりと太った山蛭もいる。16時少し前、先ほど登て来た分岐へ下り、さらに灣潭へ向けて下る。
前に登った時は、草がかぶさる道だったが、ここも草が刈られて道筋ははっきりしている。
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一瞬海岸線が見える |
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山頂下の分岐、右から登ってきた |
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@鶯子嶺山頂 |
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カヤが刈られた道を下る |
高度が下がってきたこともあるが、霧は去って周辺の山々が見えるようになる。16時15分、ロープの長い急坂をくだる。最近登山者が多く通るので、水を多く含んだ路面の足場は靴で削られ、とても滑りやすい。注意深く下り、ちょっと開けた場所に出る。幹には苔がびっしりと生え、中級山以上で見られるサルオガセもかかっている。ここは霧が良くでる、ということだろう。
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長く滑りやすい急坂 |
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幹にびっしり生えた苔類 |
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以前登りの時に腰掛け休んだ石 |
この尾根もけっこう距離がある。16時38分、前回腰掛けて休憩した見覚えのある大石の脇を通る。道はところどころ急な坂もあるが、おおむね緩やかだ。17時29分「山」字が刻まれた灣潭崙を過ぎる。さらに下り、道が良くなって里が近いことを感じ、11時48分登山口から舗装路に降りる。左に少し進み、灣潭に戻る。トイレわきの蛇口や橋下の沢に下り、すっかり泥汚れの長靴などを洗う。18時15分、まだ日暮れ前の灣潭を後にし、20時前には帰宅した。
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更に下る |
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@灣潭崙 |
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登山口に着いた |
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血をたっぷり吸った山蛭 |
歩行距離12.1㎞、累計登坂740m、休憩込みで9時間半である。コース定数は29となる。後半、メンバーが足がつるなど、ちょっとトラブルもあり想定より時間を要した。最終的には問題なく終了した。稜線上や山頂での展望はなかったが、ほとんど雨に降られず、また久しく行きたいと思っていた南勢坑古道を歩いたので、よい山行であった。