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2014-10-16

2014年10月15日 灣潭竹子山 - 胡桶古道 雙溪から坪林へ歩く

稜線縦走路から木々越しに見る竹子山
灣潭古道を歩き雙溪の灣潭を初めて訪問したあと、灣潭から東側を除く三方向に歩こうと考えていた。先月には南に鶯子嶺を越えて海にでた。今回は西に竹子山を越えて坪林に抜けた。灣潭は雙溪の最奥であると同時に、宜蘭の頭份や坪林との境を囲まれている山の上で分けている。西に竹子山山をがあるが、その稜線は梳妝頂山を越えて坪林の源茂山に連なっている。今回は、竹子山を登ってその稜線を追い、稜線上の梳妝頂山から北に延びる尾根上の梳妝樓山を登った。胡桶古道から乾元宮に出たあと、産業道路を7キロ下って坪林へ下った。

東の灣潭から西の坪林へ山を越えて歩く
北勢溪上流になる灣潭のほうが坪林より標高が高い
清朝時代の後期から宜蘭地区はその統治範疇に取り込まれ、台北と宜蘭をつなぐ道が整備されていく。有名な金字碑古道草嶺古道は政府による建設が行われた表街道の一部である。しかし、この道は距離が長く時間を要した。そこで、裏街道とでもいう道が歩かれていた。上述の胡桶古道がそれであるし、また今回一部歩いた北宜古道も裏街道の一部である。更に、北宜古道から竹子山に向けて伸びていく部分も、山腹を巻いていく古道のような趣きがあった。勿論百年前に歩かれていた道であるので、今は登山者が歩くだけであるが。

台北と宜蘭の間にある今回の山行場所
今回は、LSさんが常連のZさんとLさんに加わり4名パーティ山行である。台北駅7時半発の自強号で雙溪駅へ向かう。時刻どおりであれば、灣潭行きF811バスに乗れる。今回もまた10分ほどの遅れ8時40分雙溪駅到着のため、バスに乗れずまたタクシーで灣潭へ向かう。約45分の乗車で9時半灣潭に到着する。晴れの天気で、今日の長距離縦走も安心だ。身支度をして灣潭古道を竹子山登山口へ向かう。

灣潭古道上の竹子山への分岐、左に草の踏跡が竹子山へ続く
草の中を竹子山へ登る
僅かニ、三分で左に竹子山への分岐が現れる。整備された灣潭古道と比べると雲泥の差だ。草に覆われた踏跡である。手袋をして登り始める。しばらくして沢を越し尾根に取り付き登り始める。踏跡はあまりはっきりしない急登が続く。分岐から35分ほどの登りで、左からの道を合わせる。こちらは灣潭から南勢坑山をへて上ってくる道だ。一応基石を通り過ぎるので、こちらのほうが多く歩かれている感じだ。しばし休憩する。

尾根上の急坂を登る、道は草に埋もれて見えない
背後に豎旗山が望める
変わった地形の場所
休憩後更に急登が続く。適所に補助ロープが取り付けられている。20分ほどで樹木が切れて草の間を登る。振り返ると背後に豎旗山が控えている。その上方から杉が現れ始める。今までの急登に比べるとゆるやかになってきた。11時、歩き始めて1時間半、少し休憩する。竹子山までの道のりの約三分の二までやって来た。更に10分ほどで、急な下りが現れる。下りきると、大きく剔られて人造の建築物のように見える。どうしてこのような地形ができたのか、不思議だ。また急登を行き、11時38分右から烏山路からの道を合わせる。道の両わきに熊笹が現れ始め、分岐より数分で竹子山頂上(標高822m)に着く。11時42分、灣潭から約2時間10分ほどである。食事休憩を取る。

竹子山頂上
笹薮の中に楠木がはえている、道は笹に覆われ見えない
12時8分、出発する。道は熊笹が道を覆い、竹子山と命名された理由が納得できる。笹の中には楠木が人の手のように枝を伸ばしてはえている。いったん下ったあと、また急登を登り返す。棘のびっしり生えた蔦が行く手を邪魔する。用意していた鎌を取り出し、刈り取る。最近はあまり歩かれていないのだろうか。急坂を登り返すと、右から道が合流する。これは中心崙から尾根を追ってくる道だ。竹子山から約30分である。道はヤブが少なくなり、尾根の巾も狭くなる。左に木々の間を通して、鶯子嶺方面の山々や先ほど通り過ぎた竹子山が見える。下って行くと、今度は前方に梳妝頂山とその手前の尾根上のピークが望める。

藪こぎをして登る
山腹を進む越嶺古道
840峰への分岐部が前方にある
下って行くと、大きく右に曲がり山腹を下り始める。12時53分、分岐がある。左は尾根上の840峰を越える道だが、草がびっしりと覆い道筋もはっきりしない。おそらく殆ど通行が無いのだろう。右に道をとり下っていく。美しい杉林を数分下っていく。山腹を横切って行く道に合流する。道標には越嶺(峠越え)古道とだけ記し、行く先は北坪農道へ続くとなっている。いままでやって来た道と比べると、程度が良い。左にとり少し行く。そこにも道標があるが、こちらは古ぼけている。左に続くはずの道もはっきりしない。越嶺古道が山肌を縫って進む。小沢を越える。13時12分、再び現れた杉林の中で、左よりの道を合わせる。840峰を越えてやってくる道だ。こちらは踏跡ははっきりしない。しばし休む。

角桐草が咲いている
山腹道が続く。角桐草の薄ピンクの花がさいている。琉球雞屎樹に青い実が生り始めている。山は秋が来ている。ところどころびっしりと草に覆われているが、その下の踏跡ははっきりしている。緩い登り下りが続いたあと、少し登りが続き13時33分、頂河崙(標高820m)に着く。基石があるが、ここは山頂ではなく、山の斜面である。その上数分の登りで別の道と合流する。北宜古道である。これは台北と宜蘭を結ぶ裏街道の一つである。右に取り、さらに山腹道を進む。樹木が少ない場所からは、進行方向に梳妝樓山から小坑山へ続く稜線が見えている。13時58分、梳妝樓山と梳妝頂山の鞍部に着く。ここは四方向への分岐でもある。去年五月には、胡桶古道から谷をここへ登ってきた。その時は濃霧の中であったが、今日は時々晴れ間のある天気だ。

北宜古道を進む
梳妝樓山と梳妝頂山の鞍部分岐
梳妝樓山頂上
本来は、昨年登ってきた谷あいの道を直接胡桶古道へ下るつもりであったが、時間がまだ早いので梳妝樓山を越えて行くことにする。ここからの道は、今までより更に良くなる。胡桶古道と合わせて良く歩かれているのだ。14時20分、鞍部から約十数分で梳妝樓山頂上(標高888m)につく。ここも二度目の訪問であるが、木々に囲まれているので晴れていても展望はない。頂上の端から道が小坑山へ尾根を下っていく。頂上すぐ下の道へ戻り下り始める。立派な地方政府による道標が建てられている。十数分の下りで胡桶古道に着く。左に曲がり、古道の峠に着く。ここは十字路で、右は前回歩いた虎寮潭山に続く尾根道、左は山腹を進んで建牌崙への道だ。大正11年の専売局基石は変わりなくそこにある。小さな山茶花の花がさいている。

胡桶古道の峠部分、左に専売局の基石
古道の大石の転がる部分
古道を下り始める。道幅は広いが、雨で表面の土が削られ溝ができている。下りが続く。沢を越えるが、大石がゴロゴロしている。15時5分、胡桶古道遺跡への分岐に着く。峠から約20分、高度約100mの下りである。遺跡は前回見ているし、他のメンバーもいいということでそのまま通り過ぎる。その少し先から登り返しが始まる。15時12分、大きな板根の樹木がはえている沢を越す。ここでしばらく休憩を取る。

板根樹のある沢越え部分

十数分の休みの後、古道の終點乾元宮へ向かう。山道はのこり1.5kmほどだ。しばらく登りが続く。15時45分、十字路になっている尾根を一つ越す。右に尾根上の広い道を進むと虎寮潭に続く。左は建牌崙への道だ。更に古道を進む。15時55分、もう一つの尾根を越える。ここも右に虎寮潭へ左に建牌崙の道を分岐する。最後の下り道を行き、16時8分、乾元宮が見えた。その向こうの山は藤寮坑山とその奥は源茂山だ。立派なお手洗いが設けられている乾元宮に着く。猫と犬が二匹づづ、仲良く境内で佇んでいる。廟の人がどこから来たのか訪ねてきた。灣潭からと告げると、大変だったね、という返事であった。

乾元宮が見えた、山道は終わりだ。前方左に特徴のある藤寮山が見える
境内前の池に蓮が咲く
しばし休憩する。廟前の池には蓮が咲いている。その向こうは山並みが続く。ここまで山道は9km、これから下りの舗装道とはいえ7kmはある。ただ、暗くなっても車道歩きであれば、何の心配もいらない。16時半、いよいよ最終目的地坪林に向けて歩き始める。ほとんど車の通らない茶畑の間を行く車道は、周囲の山々を見渡せるのでこれはこれで愉快だ。少し下り始めると、建牌崙が見えるようになる。鬼子瀬尖への稜線が長く続く。いずれ建牌崙から源茂山を越えて坪林へ下ってみよう。

茶畑の中の産業道路を下る、左の山は建排崙
夕暮れ迫る北勢渓谷
つづら折りで大きく高度を下げ、30分ほどで沢近くを下っていくようになる。夕陽がだいぶ傾いてきた。藤寮坑への道を左に分けて進む。お茶の加工場を過ぎる。17時20分ごろ、道は上り坂になる。前方に鬼子瀬尖が大きい。17時46分、高速道路の下をくぐる。北勢渓を挟んで、右には最終目的地の灯がともりはじめている。17時55分、坪林國中のバス停に到着する。すっかり日が暮れると同時に今日の歩きを終えた。20分ほど待ち、高速経由の9028番バスで帰京した。

坪林に着いた

歩行距離は16kmである。そのうち7kmは、車道歩きだ。ピークを越える縦走してきたので、累計の登坂高度は1000mを越える。所要時間8時間20分、車道歩きがあるので平均時速は速いほうだ。乾元宮からタクシーなどで下れば、その分だけ楽になる。事前に思っていたより楽な縦走だったが、竹子山から梳妝樓山鞍部までは、道の状態が必ずしも良いわけでないので、経験者向けのルートである。山道及び体力要求度は共にクラス4である。

2014-10-13

2014年10月11日 苗栗加里山(台灣富士山) 雨の小百岳

濃霧の中、岩の露出部を行く加里山登山道、標高約2000m付近
頂上の一等三角点基石
日本統治時代に台湾富士とも呼ばれた加里山は、標高2220mで山頂に一等三角点が設けられている。台湾の小百岳の一座である。昨年訪れた同じく小百岳である苗栗縣南莊の向天湖山を南に稜線を追っていくと、そのすぐ近くにそびえる山である。台北から車で120km、約2時間の位置にある中級山だ。

台湾国慶節三連休の半ば、以前は天気が良い日が多かったが最近は必ずしも良いわけではない。前日までの天気予報は、北部は天気が良くないが苗栗は天気がよいということであった。ところが当日は終日雨であった。一等三角点があるということは、そこからの展望もよい(樹木などが生えて必ずではないが)ので選ばれている。展望がない山頂は残念であった。また、もともとは一度下って風美溪の対岸にある哈勘尼山を登り返す予定であった。しかし雨風のなか、急な岩壁下りは危険なので加里山だけの往復に変更した。

北側の鹿場登山口から頂上を往復
単独ピーク往復の高度推移表
加里山は、向天湖山からの尾根の南に位置する
登山口まであと僅か、雨は止みそうもない
今回もVさん運転の車でカーシェア登山である。台北で常連Zさんと乗車し、6時半に出発。第三高速から新竹で第一高速に入る。台北で降りはじめた雨は、雨脚が強くなってきた。途中苗栗に在住のDさんを頭份インターチェンジ近くでピックアップし、124号線で目的地に向かう。今回は4名の山行である。南莊を過ぎ県道21号線を進む。大東河にそっていく。右側は向天湖山から北に延びる稜線から岩壁が谷に落ち込む。石壁渓谷と言われる場所だ。向天湖山から北に縦走したときに、数百メートル下に落ち込む谷を見た。壊れた河川わきのコンクリ壁など大水が流れた爪痕が点在している。

キロポスト0kmの登山口
風美渓を渡る、水量は少ない
車は河から離れて登り始める。雨は相変わらず降っており、止む気配もない。今日は雨の登山となりそうだ。神仙谷を過ぎ、道は細く勾配がきつくなる。8時50分ごろに登山口前の駐車場に到着する。台北から約2時間20分である。連休なので他の登山者の車も駐車している。雨具を着けて準備をする。昨日登り一泊して帰るという登山者の話では、昨日午前中は天気が良かったそうだ。寒暖計は16度を示している。この雨では、予定のコースでなく加里山だけの登山として出発する。Zさんは今回二度目の加里山で、もう一つの予定目標であった哈勘尼山を単独往復するという。9時16分歩き始める。

とても状態のよい登山道
塩ビ水道パイプがはう道を少し行くと、分岐に着く。直進する道は哈勘尼山へ続く。右に下っていく道が加里山登山道である。ここでZさんと分かれ、3名で進む。道の状態はとてもよい。苗栗県の設けた救援用標識1号が大きな石の下に取り付けてある。歩きはじて10分ほどで、風美渓を渡る。幸い水量は少なく、簡単に渡渉する。対岸から登山道を登り始める。登り始めてすぐ、もともとの道が損害を受けたようで、新しい迂回路が右側に続く。補助ロープが張ってあり、整備がされている。

森林鉄道のレールが残る分岐、直進する道は大坪へ続く

迂回路を過ぎ本来の登山道を進む。杉林の中をつづら折りで進む道は、巾が広く状態もよい。さすがに小百岳名山の主要登山道である。10時15分、左に細い道が分岐する。もともとは森林鉄道であった山腹道である。右にとり登山道を進む。平らな軌道跡を進む。レールがまだそのまま残っている。数分で大坪への分岐に来る。すぐ左上には山小屋がある。まだ新しい木製の小屋は、中も広く綺麗で泊まることもできる。ただ水場が近くにないので、水は持ってくる必要がある。実際、昨晩泊まった登山者もいる。しばし休憩する。

山小屋に着く、中には前日泊まった登山者
森の中を行くところどころ壊れた木製階段
杉林の道が引き続き登っていく。木製階段が現れる。踏み板が壊れているところもある。林の中に緑の苔で覆われた大石が霧の中に出現する。11時半、山道は尾根にとりつく。風が強くなる。ベンチなどがあるが、この雨では休む気はしない。しばらく進む。道わきの道標のそばに李棟山でみたのとおなじ赤いキノコがある。このキノコは穗花蛇菰の雌株、俗名山狗鞭と呼ばれ、漢方薬に使われるということだ。大岩が点在し橋が渡してある場所(冒頭の写真)を過ぎる。11時40分、大坪への道を分岐する。救援標識番号は9番になった。残りは数百メートルである。

尾根に取り付く、樹相が杉から原生灌木類に変わる
大坪への分岐点、援助番号札は9番
根のはった岩壁を登る
頂上直下の岩壁
頂上までの道は、ここから急坂となる。大岩にはった根を登り、補助ロープの岩壁をよじ登る。巨木が岩の上に生えている。上方から人声がする。まもなく数名の登山客とすれ違う。メンバーの一人は裸足のおばあさんである。気温も低く風が強いので登頂が危ぶまれたが、まったく問題ないようだ。登山口から0.5kmごとに設けられているキロポストの3kmを過ぎる。更に岩壁を登って行き、12時19分、頂上に着く。3時間の登攀である。周囲は樹木も少なく、天気が良ければかなり広い視野が望めるだろうが、雨まじりの濃霧のなか残念がら灰色一色だ。すぐ左わきには、垂直の壁にロープが降りていく。風美渓に下る道だ。風も強く、写真を写した後折り返し下り始める。

頂上の筆者、周囲はすべて霧



風にあたっていると、この気温と風速では体温が下がる。風のない場所を求めて下っていく。結局大坪への分岐点まで下がって初めて風の当たらない場所につく。13時過ぎ、ここで食事を取ることにする。雨具は着ているが、中は汗でしばらく座って食事をしていると、やはり体が冷えてくる。自宅で入れて持ってきたコーヒーは、生ぬるくなってしまっているが嬉しい。

ロープを頼りに滑りやすい岩場を下る






十数分の休憩後、引き続き下る。はじめは少し速度をあげて下り体を温める。風があまり当たらなくなり、体も温まった後は速度を落とす。同じ道を下るので、様子がわかっている。14時、山小屋まで下ってくる。小休憩のあとまた下る。濃霧の中の杉林は、いつでも幻想的だ。14時45分、風美渓に着く。雨は上がっているので、雨具の上着を取る。沢を渡り登り返す。15時13分、登山口に戻ってきた。Zさんは、すでに戻ってきていた。話によると昼前には往復して戻ってきたそうだ。汚れた靴などを、近くの水で洗い着替える。

杉林の道を下る
救援1号札に戻ってきた
駐車場のわきから別の山道が伸びている。Dさんが前回来た時に歩いたそうだ。ほんの数分行くと、左側が開ける。霧がすこし晴れかかっている。対岸の山が少し見えるが、加里山の方向は霧の中だ。駐車場に戻り、15時50分前に帰路に着く。朝は人がすぐなかった南莊は、行楽客でごった返している。Dさんを竹南駅まで送り、我々三人も台北に戻った。

今回の行動時間は約6時間、歩行距離は7.5kmである。標高約1380mの登山口から2220mの頂上までの落差は840m、途中の上り下りがあるので登坂累計は900mぐらいだろう。今回初めて同行したDさんは、普段から山登りをしているので疲れもなく歩いた。雨の中の登山は、景色が見れず、からだが濡れて厄介なことはあるが、それはそれで大自然の一つの姿として受け入れる。大雨や大風は危険だが、今日のような登山はまた山登りの楽しみのひとつなのだろう。次回は、有名な一葉蘭が咲く頃、晴れの加里山に登りたい。

駐車場からの道で見る加里山方向、ガスは少し上がってきたが頂上は見えない

2014-10-06

2014年10月5日 陽明山系小觀音山西峰 - 燒炭古道 - 菜公坑古道西線 古道をつなげて回遊

松が生える枕頭山(別名百拉卡山)頂上
陽明山山系は台北に面した南側であれば、自宅から簡単に行ける。今までけっこう歩いてきたが、まだ足を踏み入れていない道もある。今回は、残っている部分の落ち穂拾い的な歩きである。小觀音山から燒炭古道をくだり、沢を渡って対岸の菜公坑山にある菜公坑古道西線を枕頭山へ登り返し、出発点近くの二子坪へ回遊した。九月は記録的な暑い日が続いていたが、さすがに十月の声を聞くと東北風が吹き始め、涼しくなってきている。これは天候の変更をもたらし、雨が降りやすくなる。天気予報では週末は雨天ということだったが、前日の晩にはどうやら雨は降らないようなので、もともと考えていたこのルートを歩くことにした。

南の大屯山鞍部駐車場から出発、反時計周りに二子坪駐車場(バス停)へ回遊
駐車場一角にある登山口、背後は小觀音山
小觀音山は最近よく訪れているが、8月末に新たな山道が切り開かれた。大屯山鞍部近くの駐車場から直接小觀音山西峰につながる道がそれである。稜線近くには背よりも高い矢竹が密生し、台北に近い割には登るのが容易でなかったが、ボランティアのお陰で広く歩きやすい道が出現している。北竹子山(1056峰)から北北西と西に枝尾根が延びる。前者は七月に藪こぎをして下った。今回は西稜を下ったが、こちらは矢竹が綺麗に刈られて歩きやすい道になっていた。小觀音山の山腹をゆく燒炭古道は、途中に炭焼窯の遺跡があることで名付けられている。西稜山道は燒炭古道につながっている。沢を挟んだ対岸には昨年すでに歩いた菜公坑古道東線がある。菜公坑古道は、東線とは別に烘爐山側に登っていく西線がある。これを行き更に枕頭山へ登って山を越し、菜公坑山歩道をへて大屯公園、二子坪バス停へ歩いた。

森の小径を山の家遺跡へ、黄色い台湾山菊が咲いている
前日に行くことを決めたので、単独行を考えていたがZさんが山行予定を聞いていたので、連絡し二人山行となった。朝7時10分にMRT劍潭駅で待ち合わせる。休日の劍潭駅バス停は小18番バスなど、長い行列ができている。陽明山に向かう紅5番は、平日は文化大学通学の学生で混むが休日は少ない。30分ほどで陽明山バスターミナルに到着、少し待って8時過ぎ108番バスに乗り換える。8時15分、大屯山鞍部バス停に到着し進行方向に少し歩き駐車場に来る。身支度をして8時23分、出発する。曇りだが眼前の小觀音山ははっきり見える。

山の家跡、石積みの煙突が残る
背丈より高い矢竹の中の急坂
駐車場わきの登山口からまず下る。良い道が続く。3分ほどで山の家遺跡に来る。山の家は、日本統治時代の昭和13年(1938年)に大屯山国立公園の登山宿泊施設として建設されたそうだ。今は石積の煙突や基礎石が残っているだけで、建物はすでにない。当時はこの周辺にはテント場もあったそうだ。こうした煙突が残っているということは、けっこう洒落た建物だったのではないだろうか。日中戦争の勃発やその後の太平洋戦争で、国立公園拡充などはストップしてしまった。戦後は、そのまま忘れされたようだ。

道脇に冥錢が置かれている


山道は、ここから谷にそって燒炭古道へ下って行く。燒炭古道から小觀音山西稜の道が分岐するが、これは後に下りに通った。今回は、山の家遺跡からダイレクトに西峰に登る新しく切り開かれた道を登る。真新しい8月31日付の道標に従い、右の道を進む。すぐ右に小觀音山の通信施設に続く戰備道へ続く道が分岐する。更に10分ほど登っていくと、また右に戰備道への道を分岐する。道は勾配を増し矢竹が現れる。道わきに冥錢(お寺などで燃やしてあの世の霊へ渡すお金)の束がところどころに置いてある。また、わきに竹の中に入っていく道がある。これらの道は、タケノコ採りのためのものだ。

霧が掛かってきた、右下には出発点の駐車場がある
ガスのかかる1056峰を行く
山の家から20分ほど上ってくると、いよいよ刈られた矢竹の間の急登が始まる。切られた矢竹は、切り口が鋭くまさに矢じりのようなので注意が必要だ。背丈より高い竹の葉を叩く雨音がする。9時過ぎに矢竹が低いところから展望ができる。残念なことに霧が出てきて、時折下の駐車場が見えるが、周囲はあまりはっきり見えない。更に急登を行き9時9分に尾根上の道に着く。西峰はすぐ左だ。数名の登山者が頂上にいる。戰備道登山口からやって来たようだ。七月には草深かった頂上は、広く刈取られスッキリしている。稜線道も広くなっている。周囲の景色はガスで残念ながら見えない。ただ、前回すでに見ているのでそれほど失望はない。それより雨が停まっていることの方が助かる。

西稜から見る雲の下に三芝方向の風景、左が菜公坑山、右に北北西稜とその奥に竿尾崙
しっかり草が刈られた西稜の山道
途中岩を乗り越えて尾根を進み、数分で北竹子山(1056峰)に着く。右に大屯溪古道を分岐し、「この道通じず」の木柱を通り越し直進する。9時30分、北北西稜道と西稜道の分岐に来る。左にとり西稜道を下り始める。数分で下り坂は急になる。霧の掛かっている部分を過ぎたようで、垂れ込めた雲の下に三芝方面の展望が広がる。右には、北北西稜の尾根が下っていくのが見える。下っていく方向には、左に大屯山と右に菜公坑山、その奥に面天山が望める。風がかなり強く、草をたなびかせて吹き抜けていく。風は冷たく、秋が到来しているのを感じる。すすきの穂も出始めた。

尾根の道からこれから下る谷あいを望む
森の中に下り、分岐が現れる
道は矢竹の中を尾根にそって下っていく。矢竹は綺麗に刈られ、幅広い道になっている。ただ、土が露出し濡れて滑りやすい。下ること約30分、矢竹が切れて森の中に入る。すぐに分岐が現れる。道標はないが、左は山の家に続く道だろう。右に尾根上の道を下る。さらに10分ほど下り、10時12分別の分岐が現れる。ここには道標がある。左は山の家に進む。先ほどの分岐は近道となる山道のようだ。ここで少し休憩する。

岩の間を下る
数分の休憩後、尾根を更に下る。岩がゴロゴロするセクションを過ぎる。土の道になり下りきる。10時32分、燒炭古道と合流する。分岐は右にとり谷沿いに進む。草が道筋を覆い隠す。山腹を下っていく。10時47分、大石が重なる涸れ沢を渡る。10時57分、左に沢を越えて菜公坑古道(東線)への道が分岐する。これは新しい道のようだ。分岐のすぐ先に古道の名前の由来である炭焼窯あとがある。陽明山山系の他の場所でみるような、壁を石で積んだ大きなものだ。11時9分、右から北北西稜から下ってくる道と合流し、更にくだると右に大屯渓古道への道を分け、そのすぐ下で11時11分、溪畔小屋に到着する。ここで一休みし、食事を取る。前回は、蜜蜂の巣を取った登山者と出会ったが、今日は我々二人だけだ。この一帯はもともと蜜蜂養殖が行われていたが、その後廃棄されて蜂が野生に返り多いということだ。

涸沢を渡る
炭焼窯跡
治山工事が進行中、正面は烘爐山
20分ほど休憩し出発する。沢を越える。ここが今日の行程中最低点となる。標高約430mである。対岸を進み、右に三板橋への道を分岐する。土の産業道路を登る。振り返ると木々の枝を通して小觀音山が高い。産業道路を数分歩く。左に標識リボンがかかり、山道が登っていく。菜公坑古道へ続く道である。巾のひろい枝尾根を登ること十二、三分。廃棄された舗装路の突端にでる。道は下りになり、その先草薮を過ぎる。先ほどから土木機器の音がしていたが、それは山治工事の音だった。トラックやクレーン車が作業している。すでに工事が終了した沢を過ぎる。そのすぐ左に二階建洋館がある。再び道は登りになり、ヘアピンカーブを曲がり進む。その右に標識リボンがたくさんある。菜公坑古道西線の入口だ。時刻は12時10分。去年この場所を通りすぎているが、その時は気づかなかった。
菜公坑山西線の入口
巾の広い古道
グーグル地図の道は、山地についてはあまり信頼できないが、この部分は正確だ。道幅は広いが、草に埋もれた土の道は四駆でも大変だ。つづら折りを通り過ぎ進み、約10分ほどで道は山崩れで途切れる。もともとは沢を越していたのだろうが、大規模な山崩れが発生し巨岩や倒木で塞がれている。倒木を見ると、それほど前に発生したものでは無いように思える。重なる岩を乗り越え迂回する。ここで一休みする。

山崩れが古道を塞ぐ
山崩れの場所から少し下がり、また古道を進む。左に大きくまがり12時41分、分岐に来る。右は烘爐山をへて百拉卡公路へ続く。左は枕頭山を越えて大屯公園に行ける。左側の道はほどなく急な上り坂道の下の分岐にくる。道はそのまま進んでいくがどこへ通じるのか。標識リボンのたくさんかかる山道に取り付いて登る。急坂が続く。ここからは等高線が混んでいる急勾配の道が落差200mほど続く。枝尾根上の道が続き、右に巻いていくと分岐に着く。約35分ほどの登攀であった。左は菜公坑登山步道へ続く。分岐のすぐ先の開けたところでしばし休憩する。右に少し行けば枕頭山頂上だ。今日の主要な登りはこれで終わりである。

草深い急坂を枕頭山へ登る
枕頭山頂上の松の間に七星山が望める
枕頭山への道は、先に菜公坑古道から登ってきた道より踏跡がはっきりしている。登山者が多いのだろう。ほぼ平な道をほんの二、三分いくと、枕頭山(百拉卡山、標高909m)の頂上だ。広い頂上には楠木に混じり松が数本生えている。ちょうど松の間から、遠くに七星山が去来する霧で見え隠れしている。すぐ右は大屯山だ。頂上から十八彎古道へ下る道もあるが、引き返し先ほどの分岐を過ぎる。少し下り気味になり進む。台湾山菊がそこここに咲いている。山はもう秋だ。人声が聞こえてきたと思ったら、この山道に入ってきた数十人のパーティとすれ違う。13時57分、石畳の登山道に出る。右にとり下る。前方に、さっきの枕頭山が望める。苔で緑の石段を下りきり14時8分、百拉卡公道の登山口に着く。

石畳の菜公坑山登山道を下る、前方は枕頭山
大屯自然公園の中に入り、しばし休憩する。公園の向こうに見える大屯山は頂上がガスの中だ。公園の中を横切り進む。休日の公園は行楽客が多い。公園の端から石段を登り、14時38分二子坪バス停へ着く。バス停で、20分ほど直接陽明山バスターミナルへ行く108番区間車を待つ。十数分でターミナルに戻る。ちょうど紅5番が発車するところで、そのまま乗車し下山した。

二子坪駐車場から見る小觀音山


今回は歩行距離約8kmを休憩込みで6時間15分ほどで歩いた。小觀音山西峰へ先に登ったが、前半は下りがメイン、そして下り切った後はまた登り返すルートである。健脚のZさんと二人だけだったので、あまり休まずに歩き終了した。頂上はガスが去来していたが、幸い雨に降られずに歩くことができた。小觀音山は、最近一躍人気ルートになっているが、それ以外菜公坑山の歩道で大パーティに出会うまでは、休日にかかわらず他の登山者に出会わなかった。大屯公園や二子坪バス停辺りは、行楽客が大勢でバスもすし詰めなのに比べると対称的だ。このルートは、一部草で踏跡が隠れる場所もあるが、それほど困難なところはない。普段運動していれば、問題ない。困難度は山道、体力共にクラス3である。