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2012-08-12

2012年8月11日 石碇紙寮坑古道から四分尾山を越え茄苳古道へ

紙寮坑古道の石碑(光緒六年=1880年建立)
古道と呼ばれている山道は、自動車道が建設される前、人々が日常の往来に歩いた道だ。そこには安全を祈願した土地公の祠や、歩きやすくするための石段など、その時代の慣習や技術がある。自動車道が造られ忘れさられたこの道が、今我々のような登山者に歩かれている。緑に苔むした積石の壁や土地公の祠などを見ると、単なる自然の中を歩くだけでなく、古人の息吹と歴史が感じられる。

四分尾山は今回も3月の登山でも訪れる(クリックで拡大)
南側の石碇永定村から北側の汐止へ歩く
汐止と石碇の間をつなぐ古来の道として、今回歩いた古道がある。紙寮坑古道はこの二ヶ所の間に立ちはだかる四分尾山の南側、茄苳古道は北側にある。紙寮の名は紙造りをしていた集落から、茄苳は茄苳樹からの名付だ。今回は、石碇の永定村から紙寮坑古道を歩いて頂紙寮に登り、そこから産業道路を四分尾山へ登頂、その後大尖山への尾根道を少し下った後、鞍部から右へ茄苳古道を通って、茄苳瀑布へ出た。その後産業道路を経て、汐止駅まで歩いた。ここでの蘇拉颱風の影響は、先週の瑞芳三貂嶺に比べるとずっと大きかったようで、山道ではかなりの倒木が道をふさいでいた。茄苳瀑布のすぐ上では大きな山崩れが発生し、巨岩と倒木が沢を埋めつくし、そこを行く登山道が埋まっていた。なんとか大石や倒木の上を歩いたりして通ったが、自然の力はとても大きいことを実感させられた。

橋から皇帝殿山を見る、すぐ上は北峰、右に東峰が見える
沢沿いの道を行く、橋下に壊れた石橋が見える
午前7時、MRT木柵駅バス停で1076番バスをほとんど待つことなく乗車した。登山客らしきは自分一人だが、バスは満員だ。約30分の乗車で永定村バス停に着いた。今日は、自宅から1時間で出発点までこれた。雙菁公路から北側に下る道を行き、河にかかる立派な橋を大溪墘へ渡る。橋には路面に十二支像のレリーフが埋め込められている。河の対岸は皇帝殿山の山々が朝日に輝いている。六月にこの永定村から登った、皇帝殿山北峰が高い。舗装路を左にとり少し登ると、別の橋から左側に集落方向へ分岐する。紙寮坑古道へは直進だ。ここからはあまり自動車も通らないのだろう、路面にはコケも生えている。登ること10分で、大樹が道脇に茂り、左の人家へ渡る橋がある。大樹の右に林の中へ入っていく、細い道がある。姑娘山登山道だ。

更に10分ほど登ると、また橋がある。右の小高い場所には、土地公の祠がある。手前に燭台も置かれているので、参拝もあるのだろう。道は舗装が切れ、土の道となる。更に10分の歩きで、自動車道は終了する。車が二台停めてある。後ろからバイクに乗った二人がやって来た。地元の人で、タケノコ採りをするようだ。時々古道の手入れもしている、と言っていた。細くなった道は、鉄枠で上に木の板を載せた橋を渡る。鉄パイプで手すりも造られている。この先には人家があり、そのためなのか道は歩きやすい。その先には、落ちてしまった石橋があるが、そこも同じような橋が架けられている。

古道脇の石の祠
刻まれた文字
小沢を越える
歩き始めて40分ぐらいで、右に沢を渡る橋とコンクリの道の分岐に来た。コンクリ道を直進すると人家へ続くようだ。右の橋をわたる。道はそれまでと比べると、メンテ状態が落ち草に埋もれた道となる。本格的な山道の始まりだ。沢沿いの道を行くと、石の祠がある。それほどコケに覆われていない。壁面に建造の由来が刻んであるのが判別できる。光緒丁丑年十月という年月、寄贈者八人の姓名、それに金額がある。光緒丁丑年は西暦1877年、日本の暦年でいけば明治10年、日本が新政権になって富国強兵を目指し始めた頃だ。

苔むした積石と道
道は沢の左岸を行く。途中小沢や涸沢を渡る。土地公の祠から40分ぐらいで、道は沢を離れ山腹をのぼりはじめる。雨で流されたのだろ、道が一部埋もれている。その先は、木々がきれ広い場所に出た。道脇に立派な石碑が建っている。この道の由来が刻まれているのだろうが、よく判別できない。ただ、光緒陸年という年度はわかる。1880年に建立されたようだ。脇には土地公の祠もある。手前にお供え用のステンレステーブルが置かれているので、ここはよく参拝者が来るのだろう。道は、それまでより歩かれているようだ。苔むした石積みの壁もある。登り切ると人家があり、紙寮坑古道の終点だ。時刻は9時20分、永定村から1時間50分の道のりだった。

三箇所目の土地公
もとともは、ここからも四分尾山へは、同じような山道だったのだろうが、今は自動車道になっているので面影は全くない。人家から登って行き、光明路を歩く。谷の対岸は九層坪山だろう。天気がよく太陽光は強いが、風があるのでそれほど暑く感じない。紙寮坑の谷の向こうには、青く霞んだ山が見える。どうやら峰頭尖の山並みだろう。その右は獅公髻尾山だ。登って行くと、右に九層坪山へ続く産道を分ける。上から大勢の登山者パーティが下りてきた。これから紙寮坑古道を下ると言う。道なりに登って行くと、左に人家がある。犬が吠え立てくる。高度が上がるに連れ、対岸の山も多く見えるようになる。皇帝殿山の山並みも青く霞んで見える。

紙寮坑古道終点近くから四分尾山を見る
四分尾山への登り産業道路からみる、峰頭尖、獅公髻尾山、皇帝殿山
紙寮坑古道の終点の終点から舗装路を歩くこと約50分、四分尾山へ続く分岐に来た。上鹿窟崙へ続く山道入口が覗いている。セメントで舗装された道を行くと、右に聖安宮がある。ガチョウと七面鳥がこっちの方に歩いてくる。途中、右に九層坪山へとある道案内を過ぎ、分岐から15分で四分尾山直下の登山口に着いた。ここは三月耳空龜山を縦走した時、通った場所だ。四分尾山はこれで三度めの訪問だ。今日は、三月の頂上より少しましな展望だが、陽明山山系は青く霞んでる。101ビルや台北の街も見えるが、もう一つはっきりしない。冬の頃に訪れれば、もっとはっきり見えるかもしれない。頂上は樹木がなく直射日光下で暑い。写真を撮り終えた後、少し下った樹木の下で、休憩する。時刻は10時48分、歩き始めて約3時間20分だ。途中水分補給だけで、休憩はしていなかったので、ゆっくり食事をしながら休む。休んでいる間に二人の登山者が登ってきた。

耳空龜山縦走路の尾根、その奥は姜子寮山
四分尾山から見る陽明山、五指山系
尾根の分岐直下
標高641mの四分尾山は、今日の行程最高点だ。あとは、汐止に向けて下るだけである。茄苳古道の鞍部に向けて下る。去年七月に初めて来た時は、うるさいぐらいの蝉しぐれだったが、今日は全くセミの鳴き声がない。犬を数匹つれた登山客とすれ違う。下ること10分ぐらいで、茄苳古道の分岐に着いた。尾根道と比べると、こちらは登山者数がずっと少ないのだろう。道は草深い中を下っていく。石の階段があるが、すべてコケでびっしり覆われている。一段一段慎重に下る。滑ったら厄介だ。下ること10数分で、石の祠が現れた。この祠はコケに覆われ、中は空のようだ。ここはもう参拝する人はいないのだろう。さらに時々現れる滑りやすい石段もある道を10分ほど下ると、沢が現れた。ちょうど二つの小沢が合流する場所だ。補助ロープが張ってある大石を歩いて、沢を越え対岸を行く。道脇に鴨嘴秋海棠花が群生している。最近折れたのだろう、まだ緑の葉を沢山つけた大枝が折れて道を塞いでいる。枝の上を歩いて倒木を越える。

苔むした石段とその右に石の祠
小沢に降り立つ
茄苳瀑布への道
尾根の分岐から下ること約1時間、そのまま進む茄苳古道と茄苳瀑布へ続く道の分岐に着いた。ここは茄苳瀑布へのルートをとる。道は急坂で沢に降りていく。森が切れると、そこに畑ができている。急坂には石段が造られている。この石段は比較的新しいもののようで、茄苳古道のと比べるとそれほどコケが生えていない。沢沿いの道を30分ほど下って行くと、滝の音が大きくなる。沢に降り立ったが、先には道がない。様子がおかしい。見ると、ここは土砂崩れで沢が埋まっている。沢の水もせき止められて深いところもある。登山道が埋もれてしまっているので、折り返さなければならないかという思いがよぎる。とりあえず、行けるとこまで行って様子を見ることにする。水の浅い部分で対岸に渡り、沢を塞いでいる大石を登ってみる。すると、向こうに石畳の道が続いている。間の土砂崩れの石や木々を越えていけば、通過できそうだ。そう思ったとたん、ツルッと滑って右腿を打った。痛さをこらえて立ち上がり、岩などを越え、石畳の遊歩道にたどり着いた。振り返ると、沢の対岸の山肌がかなり高いところから地すべりし、沢を埋め尽くしているのが分かった。

土砂崩れでで埋めつくされた沢
道を少し行くと、小沢が流れている。歩みを止め、水をすくって顔を洗う。ほっと一息つく。石段を下って行くと、左に茄苳瀑布がある。家族連れ数人が滝壺で遊んでいる。ここは山登りとは別世界だ。舗装路が滝のすぐ下まで来ているので、茄苳瀑布は気軽に訪れることができる。入口には車が二、三台止まっている。茄苳瀑布遊歩道の入口にあるあづま屋で休憩する。時刻は13時、四分尾山から2時間の下りであった。ここからは、舗装路を下るだけなのでズボンの下部分を外し、シャツも着替えた。

茄苳瀑布
茄福路から見る四分尾山の山々
汐止駅に向かって舗装路を下る。小雨がぱらつき始めた。ここまでくれば雨が降っても気楽だ。傘をさして歩く。下って行くと、小沢の脇に大尖山瀑布への登山道入口と思われる石段の道がある。さらに行くと、右に下っていく道が分岐する。そのまま進んで、以前歩いた勤進路を下り、汐止へいくこともできるが、ここは右にとり茄福街へ進む。台新五路の近くまで来ると、新しい住宅ビルが沢山建てられている。振り返ると大尖山から四分尾山への山並み全体が見れる。茄苳瀑布から歩くこと50分、14時20分に汐止駅前のバス停に着いた。668番バスにて台北へ戻った。

高度プロファイル、単一山登山なので単純な山形だ
今回の行程は、歩行距離13km、休憩を含めた所要時間6時間50分、登攀高度合計601mだ。緩やかな登りであったので、それほどキツくはない。天気はよかったが、舗装路を除いて森の中の道なので、汗はもちろん流れるが、辛さは感じなかった。今日歩いたところは、古人が石碇の谷から汐止まで歩いたのと(ほぼ)同じ道をあるいたことになる。昔、自動車交通のないころは、こうした移動は日常茶飯事のことだったのだろう。今は、リクレーションとなっているが、当時は生活の一部である。現代の都会人が運動しない、歩かないため、様々な生活習慣病に苦しんでいるが、当時の人は無縁の病気であったろう。

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