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稜線上から見る金平山(前方中央の山) |
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三井ロゴの入った石柱 |
桃園県復興郷は、多くの山を擁する広い行政区画である。最近はこの区域の1000m超の
中級山を幾つか登っているが、今回はこれら多くの峰々に行く北横公道の入口にある山の登山である。北横公路は、日本統治時代に山中の多くの原住民の管理のため、大渓から宜蘭の三星まで切り開いた警備道が前身で、戦後これが拡張され自動車道になったものである。大渓から入って来ると復興の街を通り過ぎる。道のカーブが多くなり登り気味になって辿り着くのが角板山である。昭和天皇が皇太子の時に訪れた迎賓館が、戦後国民政府のもとで蒋介石の行館(別荘)になった。今回の登山対象は、角板山公園一帯のすぐ脇にある牌子山を登り、稜線を伝って金平山を往復した。金平山は頂上で新北市三峽區と境界を分かつ。三峽三星の一つとして数えられている。
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西の角板山から回遊する |
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登山高度プロファイル |
前数回の中級山はカーシェアで登山口に行ったが、今回は一般公共交通機関でのアプローチである。往路は台北から汽車で桃園へ、そこから休日に運行される台湾好行の小烏來行き502番バスで角板山へ向かった。帰りは、同じく502番バスで大渓へ行き、食事後9103番バスでMRT永寧駅へ更にMRTで帰った。休日はほぼ一時間ごとに運行される502番バスは、平日は運行されず、通常の路線バスだけなのでアクセスは大分不便になる。通常の路線バスは基本的に山間の住人が朝に街に出て、夕方帰るというパターンで運行されているので、都会から山登りに利用するのは向いていない。
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北横公路の入口にあたる山々 |
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台湾好行502番バス、角板山駐車場に到着 |
今回は、Taipei Hiker Clubに公示して四名が参加希望したが、結局現れたのは二名で都合三人に登山である。台北駅の7時40分発の自強号で桃園に向かう。30分ほどで到着し、駅を出た後延平地下道をくぐって線路の反対がに出る。小烏來行きのバス乗場は桃園客運の桃園ターミナルから主発する。駅を出てすぐに、ターミナルへの案内があるので迷うことは無いだろう。地下道から延平路へ出る。新しい駅舎の建設が左側に進行中だ。通りをわたってすぐ右にバスターミナルの建物が見える。ターミナルには、行先別に乗場が表示されている。すでに数名が行列している。我々も並び待つ。そのうち行列はけっこう長くなった。バスは8時30分定刻に出発、ほぼ満員である。
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角板山駐車場近くから望む南插天山(左)と那結山(右)のピーク、下は北横公路 |
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北横公路と観音洞への産業道路交差点 |
台湾好行バスは、観光客が対象の路線バスで停車する場所も、観光スポットのみで通常の路線バスのバス停より少ない。また車上で観光案内のアナウンスもされる。チョコレート工場、醤油工場などを通り過ぎ、さらに大溪の老街を経て第七号北横公路を進む。9時40分過ぎ、角板山に到着する。先に駐車場のお手洗いで一時停車する。我々はここで下車する。ほとんどの乗客は終點小烏來まで行くようだ。小停車のあと、バスは出発していく。
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この少し先で山道がなくなってしまった |
支度をして歩き始める。左側には、南插天山の大きな山容、谷を挟んで左には
那結山の三角ピークが望める。今日はとてもよい天気だ。先週の雨続きとは対象的で実に快適だ。道を進んで角板山行館(郷公所)のバス停を過ぎる。ここが本来のバス停である。更に県道を北横公路へと進む。右にこれから登る牌子山が見えてくる。水源地のバス停を過ぎる。通常路線バスは止まるが、502番バスは通過してしまう。こちらのほうが登山には都合が良いが。
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はじめの分岐近くから見る牌子山 |
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2つ目の分岐近くの茶屋、黒犬が寝そべている |
10時10分、北横公路をわたって、観音洞への産業道路を少し進む。すぐ右に道が下っていく。事前にネットで確認していた牌子山への山道へ続くはずだ。これを下り民家の脇の道を更に沢に向かって下りる。この辺りは、ネット上の写真と同じであるが、標識リボンは全くない。橋を渡り、続く山道を登り返す。こちらも全く標識リボンがない。そのうち果樹園に出る。そこで作業している人に尋ねると、山道はあるようだがはっきりしない。右前方に見える送電鉄塔を目指して進むが、そのうち道がなくなってしまった。そこで、橋にまで戻る。先ほどは左に踏み跡を進んだ、右に草に埋もれた道があるようにも見える。しかし、密集した草はおそらくその先も困難が予想される。そこで、直接牌子山へ登ることはやめて、産業道路を進みそこから登る事にする。
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産業道路から望む |
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産業道路の終點 |
10時40分、産業道路へ登り返す。産業道路は、ときどき車が通るものの交通量は多くなく、またこの時期はまだそれほど暑くなく、淡々と進む。左に教会が現れ、礼拝が進行中だ。原住民にはけっこうキリスト教徒が多い。道なりに進む。桜はだいぶ葉桜になってしまっているが、それでも遅咲きの桜が残っている。10時52分、観音洞の門柱がある分岐に着く。この分岐はどちらを行ってもまた上部で合流する。左は急坂で登っていく道でる。歩き始めて約1時間、ここで一休みする。
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石段の良い道が続く |
分岐から歩き始める。右に牌子山の山腹が大きい。ツツジが咲いている。10分ほどで、茶屋のある分岐に来る。黒犬が二匹道の真中で寝転がっている。平和である。ここは右を進む。ここも先の分岐と同様に上部で合流する。右の道を進んで数分、右に出発した角板山の建物が遠くに見えるころ、大きく道がヘアピンカーブで曲がるそのところから始まる阿木伊農場への道を進む。標識リボンがかかっている。ここは登山者が歩いているようだ。道なりに桜の木が植わっている。ほとんどは葉桜である。もう少し前であれば、満開の桜並木であったようだ。その上部で道路作業をしている地元の人もそう言う。11時30分、途中土の道になった作業行道路は終わりになる。
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頂上近くの通信鉄塔と設備 |
産業道路のどん詰りからは、石段の山道を進む。つづら折りの道を進み、山腹をトラバースしていく。この道は、牌子山頂上付近にある通信鉄塔や設備のメンテ用のものである。階段の石は、上部では中華電信のロゴが付いているコンクリ板になる。11時43分稜線道との分岐へ着く。右へとり、牌子山頂上へ更に登っていく。一度チョット下り登り返すと、鉄塔の下をくぐる。牌子山頂上(標高845m)はそのすぐ先だ。基石の先には、草の間に道がある。これが本来、登ってくるはずの道だ。ただ、状態はあまり良くなく、やはりあまり歩かれていないようだ。11時58分、鉄塔の下へ戻り、食事休憩する。
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牌子山付近の良い道を進む |
12時18分、金平山へ向けて縦走を始める。金平山の金と牌子山の牌をとって金牌(金メダル)縦走と呼ばれる。先に登ってきた分岐に戻る。これまでの山道は、中華電信のメンテ用なので、状態がとても良いが、これから先は登山者が通るだけの山道、分岐を過ぎると程度がすぐ落ちる。踏跡ははっきりしているが、桂竹の密林をすり抜けていくので大変だ。枯れた竹が倒れて道を塞ぐ。気温が上がり春になってきているので、顔の周りを飛び回る虫がうるさい。獣を捕らえる錆びた鉄の罠が道端に転がっている。十数分歩くと、開けた樹木園に出る。ここも桜の木が多い。遅咲きの吉野桜が何株かまだ咲いている。前方には、目的地の金平山が遠くに見える。
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名残桜、大分葉が出始めている |
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歩きにくい竹林を進む |
産業道路を少し登り、左に曲がっていくところで山道が右に分岐する。草薮の藪こぎし進んでいくと、そのうち稜線がはっきりしてき、また竹林に入っていく。小さな上り下りをしていくが、竹林をすり抜けていくので、そちらの方がつらい。13時10分、金平山南峰への分岐に着く。右にとって少し行き、ほんの2分ほどで南峰(標高854m)につく。大正11年(1922年)8月建立の専売局造林の基石が植えられている。日本の台湾統治時代においては、特に北部の原住民泰雅族の抵抗運動が強かったが、1910年代までにはほぼ帰順しこうした山地の開発が進んでいった。
他の北部山岳部でも同時期の専売局の基石を目にする。それはこうした時代背景があるからだ。
この山は山頂という感じではなく、周囲はすべて樹木で展望がない。そのまま、産業道路へ下る道が続く。
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金平山南峰 |
金平山南峰から先ほどの道を戻り、分岐からさらに稜線を追っていく。金平山との鞍部へ下る。竹林が切れると、杉林が現れる。11時34分、鞍部の分岐に来る。左へとれば観音洞へ続く。稜線を登り返し始める。その先、数分のぼっていくと別の分岐がある。こちらも左へ行けば観音洞へ下る。上り坂は、ところどころ竹が現れるが概ね杉林の中の道であり、道の状態も先ほどに比べるとよい。13時54分、右から東眼林道からの道を合わす。その少し先は、左へ內詩朗山方向への道が分岐する。
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大正11年8月建立の基石 |
最後の登りを行く。道の真中に、上部に三井のロゴが彫られ、三井と横には三井の文字が刻まれた石柱が立っている(巻頭の写真)。おそらく土地境界のための石柱だろうが、これは土に植えられていない。掘り起こされたものなのだろうか。三峽熊空辺りは、三井が開発に携わっていたと聞いたことがある。それと同じ範囲になるのだろうか。いずれにしても、初めてみるタイプの日本時代の名残である。さらに登ると先にニセピークを乗り越え、竹林が現るとまもなく金平山頂上(標高992m)だ。時刻は14時5分、今日最後のピークなのでしばし休憩する。
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杉林の中を登る |
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金平山頂上 |
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金平山を下る |
14時38分、下り始める。当初は、內詩朗山方向へとり、そこから蝙蝠洞へ下りまた観音洞へ登り返した後、出発点の角板山へと歩くつもりであったが、時間的に難しいので直接観音堂へ下ることにする。往路をはじめの観音洞への分岐へ20分ほど下る。右にとり山道を少し下ると、コンクル舗装の産業道路にひょこっと飛び出る。右に産業道路を下っていく。ここから先は、ずっと産業道路歩きである。ジグザグに高度を下げ、左からの道を合わせる。更に右から別の産業道路を合わせて下る。水源用の溜池があるが、水位は低い。最近の日照りが関係しているようだ。谷あいから佛教の音楽が聞こえている。15時28分、観音洞への分岐に着く。右にすこし下ると、また別の道を左からあわせる。下半分のみが完成した大きな観音像が見える。その下を下っていき、15時33分、観音寺に着く。かなりの規模のある寺院である。建物の奥に、名前の観音洞が祭ってある。参拝客も多く、焼香している。仏堂の前で最後の休憩を取る。
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産業道路を下る |
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建造中の観音像 |
境内の端に、蝙蝠洞からの道がある。今回は時間的に無理だが、いずれ別に機会に歩いてみたい。(実は、帰宅後発見したことだが、蝙蝠洞から大渓へのバスが16時、17時台にそれぞれ一便ずつあり、そのまま蝙蝠洞へ下っても十分問題がなかった。)16時、先ほどの分岐へ登り返す。右の道も左の道も茶屋のところで合流するが、左のほうが短いのでこちらを進む。下った先は、午前中通った、阿木伊農場への道の分岐である。ここからは、午前の往路を下ることになる。茶屋の前には、朝と同じに黒犬が寝そべっている。16時30分、北横公路へ出る。17時25分の502番バスまでまだ時間がある。道端で販売しているみかんなどを土産に買っていく。16時55分、角板山行館のバス停に到着する。17時28分、502番最終バスがやって来た。30分ほどで大溪老街バス停に到着、街の中の店で夕飯を食べ、9103番で帰路についた。
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観音寺境内一部 |
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下り道に見る牌子山(阿木伊農場への分岐点) |
天気に恵まれ、また足並みの揃った少人数の山行であった。それほど人気のある山でもなく、一般交通機関でのアクセスもそれほど便利でない山である。しかし、今回この山では日本時代の名残、大正11年の専売局基石と珍しい三井の石柱が見られたのは良かった。平地では、戦後壊されたり削り取られてしまった、日本時代の石の証人がまだ山には残っている。山道自体はクラス3~4,体力的にはクラス3である。歩行距離15.2km、所要時間は休憩込みで約7時間だ。
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