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2015-08-27

2015年8月26日 平溪望古山 - 東勢大崙 - 暖暖西勢水庫縱走

台湾炭鉱博物館付近から望む望古山の主稜線、前をクロが先導する
西勢水庫堤防と背後の觀音湖山
二年前に、平溪中窯尖から基隆市暖暖地区の東勢峽谷へ消墾嶺古道を経て下った。この時は踏跡もわずかでほとんど忘れされたような山道に苦労した。消墾嶺古道へ下る前に、中窯尖から北に伸びる枝尾根上に続く道を見ていた。しかし、消墾嶺古道の状態を見て、このあたりの山を歩くのはためらっていた。最近、基隆の登山者が暖暖の古道に入り道の整理をしていると聞いた。実際、つい最近消墾嶺古道を歩いたネット上の情報もある。そこで、今まで興味のあった西勢水庫(ダム)へ枝尾根上の東勢大崙や觀音湖山を越えていく山歩きをした。

南の平渓十分から山を越えて暖暖へ縦走
歩行高度プロファイル
先週の天鵝台風は動きがもたもたしていたが、最終的には台湾の東海岸沖を北上、台風15号となって西日本に被害をもたらした。台湾も直撃はなかったが、大雨が降った。台風が去った後も、スッキリせず今回の山行は危ぶまれた。直前の天気予報では降雨率30%、最後まで迷ったが雨が降って問題あれば下ればよい、と行くことに決定した。結果的には、午前中は薄日がさすこともあり、夕方下山間際に少しぱらついたが、ほとんど雨に降られずに終了した。台北に着くと、結構雨がふっており、実にラッキーだった。

新北市平渓区から基隆市暖暖区への縦走
台湾炭鉱博物館の麓の建物、右は旧石炭洗浄施設
先週の山行に引き続き、今回も木柵から795番バスで出発だ。先週とは異なり、今日は長い行列である。十分に向かう団体が並んでいるためだ。7時25分にやって来たバスも、ほとんど空席がない。MRT文湖線で木柵に向かう時は、外は雨がぱらついていたが、106号線雙溪を過ぎる辺りからは、天気が持ち直し峠を越えて平渓の谷に入っても、高曇りで天気は悪くない。8時25分、十分寮橋で下車する。途中で乗車したメンバーも含め、今日は四名のパーティである。

トロッコ乗場前の広場
トロッコ線路を歩く、左は基平公路
支度をすませ鉄道平渓線の線路わきへ登る。線路を越え右に進む。この辺りは遊楽客が天燈を打ち上げる場所だ。線路脇の町並みがとぎれる。そのまま進むと旧炭鉱施設の前にくる。炭鉱博物館の麓の建物が駐車場の中にある。街を通り過ぎるときに出会った一匹の黒犬(台湾犬)がついてきて、駐車場にいる他の二、三匹に吠えている。炭鉱博物館へ通じる軽便鉄道の駅への道を登る。石炭積込みの大きなタワーのわきを通り過ぎる。今は線路などないが、操業していた頃はこの辺りは線路が敷かれ石炭が積み込まれていたのだと思う。四年前にやってきた時にくらべ、道が整備されている。もっも大きな差異は、上空に谷をまたぐ2丙号基平公路橋である。当時はまだ工事が進行中だったが、それが完成している。今はトロッコ列車の駅となっている広場は、以前は石炭の処理作業が行われていたところだ。

十分古道、高度が上がると遠くが見えるようになる
倒木がまだ道を覆う
トロッコ列車の軌道は、基平公路に平行して進む(正しくは、基平公路は軽便軌道にそって建設された、というべきか)。クロ(黒犬)もついてくる。しばらく線路沿いに進む。右手にボタ山やその奥に五分山も見える。炭鉱博物館の前で道路に上がる。このあたりからこれから上る山々、望古山なども望める。十分古道の登山口は、博物館の裏にある。トタンの塀にそって進み、石段道を登り始める。古道といってもここは五分山登山道として立派な花崗岩の道である。少し休憩し、9時に登り始める。すぐに橋で沢をこえる。クロは、沢におりて水を飲んでいる。

土地公の祠とその前で休むクロ




石畳道は、右に沢をみて登っていく。ところどころ台風がなぎ倒した倒木などが道を塞ぐ。十数分進むと、新しい橋がかかっている。ここは最近架けられたようだ。更にもう一つ橋を越す。一部石段が途切れるが、また現れる。道は沢から離れ、勾配がきつくなる。高度が上がると、背後に景色が広がる。最後にひと登りし、9時36分峠の土地公祠に着く。屋根のかかった立派な土地公である。一休みし、これからの尾根歩きに備える。

主稜線の倒木を越えて進む
10分ほど休み、土地公の後を登りはじめる。登ったところが頂子寮山(標高550m)である。ここから稜線を追っていく。進んですぐに、倒木など障害物が現れる。台風後の整理はまだされていない。クロは、自ら先を進んでいく。しかし、道がわからないところでは我々を待っている。五分山から姜子寮山への稜線は、多くの登山者が縦走するところなので、軽く見ていたが台風後のこの道の状態では、大変だ。十数分歩き、森をぬけて草原の中を行く。左に平渓の谷とその向こうの山々が望める。薄日もさして、天気はすこぶるよい。ところどころ小ピークを越え、基本登り気味に稜線を追っていく。10時39分、望古山(標高577m)に到着する。基石などは無い。狭い頂上は木々がかこむが、葉っぱが吹き飛ばされているので明るい。クロは舌を出してハーハーやっている。やはり暑いのだ。わきの草むらから見ると、やって来た稜線の向こうに五分山が大きい。ただ、五分山の特徴であったレーダードームは、台風で吹き飛ばされてしまったので無い。

望古山へあとひと登りだ
望古山頂上のクロ
人面に見える岩を越え主稜線を進む
道は稜線をたどっていく。ギャップが大きく岩が露出して注意する場所もある。5分ほど歩くと、道は右に大きく曲がり急坂で下る。直進すると小高くなった小ピークがある。道を降る前に小ピークに登ってみる。独立しているので周囲360度を眺められる。先ほど歩いてきた、炭鉱博物館周辺も下に見える。先週歩いた和尚尖を含む山々も、岩の露出して特徴のある平湖山の向こうにある。反対側を見れば、姜子寮山やその左の支稜上には薯榔尖石筍尖烏嘴尖など、尖ったピークがのっている。今日は天気がよくて本当に良かった。

独立ピークからの大パノラマ、平渓側を望む
五分山を望む、手前のピークは望古山
山林投や矢竹を縫ってくだる
少しもどって急坂を下る。この坂は補助ロープで下っていくが、クロは下れないようでオロオロしている。四人とも下っても下がれないようで、上で吠えている。このセクションは、矢竹や山林投などをくぐっていく。倒木もあり、通過は厄介だ。時々クロの鳴き声がする。下ってきているのか、もう一つ分からない。11時45分、下りきり少し登り返した場所で休憩する。クロが追いついてくるかと思ったが、やってこない。どうやら一緒に歩くのを諦めたようだ。今まで、山登り中についてくる犬がいたが、クロは結構ついてきたほうだ。

山腹道もそろそろ終わり、前方に登山者





登り返して主稜線に上がる。その後すぐ右に杉林の中を下っていく。地図上では、左に稜線を追っていく道があるが、分岐がわからない。下がっていっても、その先右に龍船朵への分岐を過ぎた後、山腹を行く道があるので、先に下っていく。12時18分、龍船朵への分岐を左にとる。杉林が続くが、石を積んだ場所もある。ここは以前何かあったのだろう。右の谷は消墾嶺古道のある谷だ。そこには集落があったので、その時代に作られたものかもしれない。ところどころ、長い上り坂もある。山ひだにそって山腹を歩くこと約30分、左からの尾根にのっかる。前方に単独行の登山者が歩いている。手には鎌をもっている。途中には折れた枝などがとても多い。12時52分、風が吹いていく尾根上で昼食休憩をとる。

竹林の中の東勢大崙への分岐
30分ほどの休憩後、13時20分過ぎに出発する。数分のゆるい登りで、右に東勢大崙への分岐点にくる。竹林の分岐点は、二年前に反対側からやって来た。これで、瑞芳の三爪子坑山から四分尾山をへて大尖山まで続く山脈稜線をすべてカバーしたことになる。五分山から四分尾山へ五四縦走として一気に縦走することがあるが、今日のような台風後の障害が多い中では、おそらく一日では歩ききれないだろう。分岐は右にとり、觀音湖山へと続く長い支稜を下り始める。二年前は細々と感じた山道は、今日はそれほどでもない。

鞍部分岐、右へ消墾嶺古道

13時50分、鞍部に下りる。ここは右に東勢峽谷へ消墾嶺古道、左に内西勢坑古道へ分岐する。今月はじめの日付がついた、藍天隊の新しい道標が取り付けられている。藍天隊の標識だが、実際に道の整理をしたのは基隆地元山岳会のボランティとのことだ。メンバーのDさんは、ここで別れて消墾嶺古道へ下る。最近ここを歩いていて、道の状況は良くわかっているとのこと。実際、右に伸びる道は踏跡がはっきりしている。

稜線上を東勢大崙へ進む
東勢大崙前の鞍部分岐
残りの三人で東勢大崙へ向けて尾根上を登る。最近整備されただけあって、道の状態はよい。先ほどの主稜線上より歩きやすい。ボランティアに感謝する。坂を登り返すと、右に先ほど歩いてきた主稜線が望める。風が吹いて快適だ。途中休憩した後、長い頂上部分を歩き、一度鞍部に下る。ここはまた右に東勢大崙へ分岐する。左にとれば、西勢坑古道へ下っていく。直進する稜線道を行く。急坂が現れる。ギャップが大きいところは、枝を掴んでこえる。十分ほどの急登のあと、14時40分、東勢大崙頂上(標高455m)に到着する。ここから右に東勢産業道路への道が分かれていく。

広い東勢大崙山頂
東勢坑山
十数分の休憩後、尾根道を更に行く。こちら側は概ねゆるやかな坂である。10数分で東勢坑山(標高305m)につく。山といっても、ここは基石があるだけで山頂ではない。一度下った後、また登り返す。大岩が現れる。他の場所であれば補助ロープがあるような場所でも、岩にステップが掘ってあるだけで、大したように見えない場所だが注意が必要だ。そのすぐ上は、倒木がのっかり、枝の下は中空だ。注意して通過する。遠く左に七堵の街が見える。

ステップの彫り込まれた岩、これを登る
溝が掘られた稜線
倒木をこえる
稜線上には、数十センチの深さの溝が続く。塹壕の様に見える。なぜこんな場所に塹壕があるのか。1883年フランスとの間に起きた清法戰爭で、基隆は一時フランスの手に落ちた。これに対抗するため、付近には砲台などが設けられた。暖暖駅後方の丘には、石積みの塹壕が残るが、ここの塹壕もそれに応じたものなのだろう。こちらはもっと簡素な溝でしかないが、ずっと長く続くのは戦闘に備えてのものだ。最終的には、フランス隊は引き上げた。山道は、この塹壕の中やそのわきを進む。15時46分、觀音湖山(標高302m)に着く。本日最後のピークである。ゆっくりと20分休憩をとる。

觀音湖山






雨がパラパラと降ってきた。天気もいよいよ下り坂のようだ。ここから左に西勢水庫(ダム、別名暖暖水庫、觀音湖)への道と、尾根を下っていく道がある。雨脚が強くなると西勢水庫経由だと、山道がまだ長いので直接車道へ下れる尾根道を下る。下っていくと、左側に木々を通して湖面が見える。十数分下る。16時24分、鞍部へ到着する。直進すれば、東勢街36号へ出る。先ほどの雨は、本降りにならず大丈夫のようだ。そこで、左に湖へ下る道をゆくことにする。

木々の向こうに湖面が見える
水量の多い西勢坑渓を渡る
最近整理された道は、まだ踏跡も頼りない。ジメジメした沢にそって下り、数分で湖畔にでる。湖畔に沿った道を行く。10分ほどで、觀音湖山から直接下ってくる道と合流、更に湖にそって進み、左に西勢坑古道が別れる。右に沢へ下りる。沢は水量が多く、巾も広い。登山靴で濡れずには越せない。登山靴を脱いで渡る。16時57分、沢を渡ったあとまた歩き始める。道の状態はよい。数分で、右に堤防をこえる。ここは段差が大きいので、注意が必要である。その先は、広い土の道が続く。右に觀音湖山が湖の対岸に見える。17時17分、堤防わきへ来る。小高くなった場所に基隆貯水池記念碑が建っている(中国語の水庫でも紀念碑ではないことに注意)。明らかに日本統治時代のものだ。ところが、そのすぐ下に嵌めこまれた石板には、民国25年竣工となっている。つまり、この石板はオリジナルを壊して新たに嵌めこまれたものである。

西勢水庫と觀音湖山
基隆貯水池記念碑
階段を下り、堤防が望める場所にくる。ここからは車道を下っていく。右に公園を見て下っていく。さらにくだっていくと、17時50分、右に義興祠が現れる。境内には水道もあるので、立ち寄り休ませてもらう。ズボンを捲ると、右足二ヶ所にヤマビルが食いついている。先ほど沢を越すときにスパッツを外したが、そのあとの草むらでヒルが取り付いたようだ。塩をふりかけて落とす。再び歩き始める。橋を越えて17時58分、水源地バス停に着く。あたりも少し暗くなってくる。待つこと10分で七堵駅行きのバスがやって来た。

水源地バス停








頂子寮山-望古山-中窯尖の主稜線の道は、台風の影響がまだ濃厚に残っており、思う以上に歩くのに苦労し時間も要した。一方、心配であった東勢大崙の支稜線の道は、最近の整備でずっと良かった。聴くところによると、暖暖地区の古道の整理が進行中とのこと、この地域はさらに歩く価値があると思う。今日の行程は水平距離約13km、休憩込みの所要時間9時間半である。現在の状態であれば、山道体力ともクラス4である。もちろん、ボランティアによって台風後の障害物が除かれていけば、山道の状態は良くなる。体力的にも邪魔者が少ないだけ、楽になる。

2015-08-21

2015年8月20日 平溪石古井 - 和尚尖縱走 台風の影響が残る不人気山歩き

石古井
平溪と雙溪との間の山域は、今年になって何度か訪れている。谷間の古道歩きが中心で、尾根道はまだあまりカバーしていない。そこで、今回は火燒寮から石古井経由で稜線に上がり、途中産業道路を経由して、和尚尖への稜線道入口へ向かい、そこから和尚尖を登った後灰窯產道をへてバス停に歩いた。石古井とは、古井戸といったひびきだが、自然の造形でできた滝壺のことである。そして、滝壺の前後は深く彫り込まれた岩の溝となっており、実にどうしてこの様な形になったのか、自然の力に感服する。火燒寮は、以前炭鉱があり、その炭鉱へつなぐための水取り用水管が、滝壺の真ん前に設けられ、今も残っている。自然の中の邪魔者ではあるが、支えの石柱も苔むして、一体となっている。

ほぼ反時計回り回遊式のルート
前後と中間は産業道路歩き
今年は、台湾は台風の当たり年なのか多い。2週間前に大きな被害をもたらした蘇迪勒台風の記憶がまだ新しいうちに、次の天鵝台風が発生し台風へ接近する可能性がある。しかし動きが遅くなかなかやってこない。天気予報と異なり天気がよい。高気圧が居座って、台風が近づいてこないのだ。今回は、この好天のもとの登山となった。一日中、青空が広がりまた稜線上では風が吹いていて、少しなぐさめになった。今回は名前のあるピークは和尚尖だけで、その他稜線上にはピークがあるが、すべて無名だ。標高は高いところで500mを少しこえた水準である。
今回目的地は平渓の谷右岸の山々
土地公背後は白鶯石名前由来の岩壁
火燒寮は、東勢格の集落から更に奥に入った場所にある。過去は、台北と宜蘭をつなぐ裏街道的な役割もあった場所のようだ。石炭採掘が行われていた頃は、炭鉱街として賑わいがあっただろうが、今は鄙びた谷あいである。住居があるので、舗装された産業道路はあるが、一般交通機関はない。東勢格までは、新北市のコミュニティバス新巴士が平渓から往復しているが、住人の足であるので、よそ者の登山者が乗るには時間が合わない。朝6時台の後は10時台となる。そこで、106号線の795番バスで東勢格への入口前行き、後は歩くことにした。車道歩きは単調で嫌われるが、周囲の景色が見れるのでそれはそれで良い所もある。

橋で沢を渡る


今回は四名の山行だ。木柵7時15分発の795番バスに、MRT木柵駅バス停で7時23分ごろ乗る。今日は、半分以上席が空いている。795番バスは、平渓観光の人気が高まり台湾好行のバスとして休祭日は便数が多くなる。平日は少ないが、それでも結構乗客が多い。8時12分、白鶯石バス停で下車する。実はすぐにわかったことだが、その一つ先東勢格バス停のほうが、106号先から分かれて東勢格への道の分岐に近い。道なりに下り、分岐へ向かう。バス停では、自家用車でやって来た、Fさんと合流し四名となる。

中央尖のピーク、この角度からは初めて見る
東勢格についた、左の道を進む
芊蓁林溪にそって行く北43号県道(紫來產道)は、二車線に拡張され広い道だ。ゆるい登り坂を進んでいく。青い体の藍鵲鳥がこの土地のマスコットなのか、喫茶店の店名とされ、また道脇の土留壁に姿が描かれている。新巴士の自來水廠バス停を過ぎると道は一車線になり、沢を橋で渡る。坂が少し勾配を増してくる。しばらく進むと、右に中央尖の特徴ある山容が現れる。この角度から中央尖は初めて見る。以前は、民間バスが運行していたようで、当時のバス停が残っている。平日であることも関係しているのだろうが、時々バイクが走って行く以外には、通過する車も少なく、歩いていても気にならない。少し開けた谷を進み、8時57分、東勢格に着く。
土地公の描かれた土地公祠
涼亭のある分岐部、左に進む
民家前を端まで行き、階段を登る
火燒寮へは、ここから左の道を進む。右に沢を挟んで寺院がある。その先に平渓小学校の休日分校と記された建物を通り過ぎる。門のわきには、子供が描いと思われる土地公の絵が壁一面の土地公廟が建っている。谷は狭まり、民家もない。9時20分、左上に炭鉱入口があり、中から水が流れ出ている。勿論今は廃坑である。その先数分で沢が合流する二俣にくる。右の開けた場所に涼亭が建っている。歩き始めて約1時間、約5キロ弱である。ここで休憩する。涼亭前の竹製掲示ボードには、火燒寮古道のことが記してある。

椎茸栽培の丸太で塞がれた廃坑口
山道のわきに選挙候補者垂れ幕
10分ほど休憩した後、石古井へ向かう。左の道路を少し進む。すぐ左に民家がある。山道はこの民家前を通りすぎて始まる。ちょうど家の左上で野良作業をしていた住人高さんが下りてきて会話する。民家わきを少し登り、また別の民家前を通り過ぎる。左には廃坑入口がある。今は入口の前に椎茸栽培用の丸太が並べれ、塞いでいる。階段が登っていく。この辺りは農作業で通る道のため、道は手入れがされている。竹林に入り、手前に墓が現れる。左に進むが道が途切れた。墓まで戻って探すと、そこは右に曲がるべきだった。下に谷を見ながら進む。選挙候補者の垂れ幕がそこここに取り付けてある。今は選挙期間ではないが、おそらく土地の人が取り付けたのだろう。

石古井前の様子、沢の対岸からやって来た
枝尾根上を進む
9時56分、沢に下り渡る。対岸の左奥が高くなっており、石古井のプレートが木に取り付けられている。登ってみると、滑滝があり、その中間には直径が2,3メートルある滝壺がある。その前を石積の柱に載った鉄管が横切っている。滝壺に流れ込む溝や、流れだす溝はかなり深く彫り込まれている。沢を渡った場所にもどり、苔むした石段を登る。すぐ分岐に着く。右にとり、そのうち枝尾根を行く。踏跡は少し細い。10時25分、ズボンの裾をめくると、ヤマヒルにやられている。塩をふりかけ取り払う。山腹を斜めに登って行き10時34分、主稜線の分岐に来る。ここは二月に訪れたところだ。一休みする。

主稜線上の分岐、道に似合わない立派すぎる道標

大下りの前、右に枋山坑山
分岐は左に行けば畝畝山へ続く。右に山腹を進む。数分の歩きで、大下りの前にくる。前回は雨で全く視界がきかなったが、今日は右前方に枋山坑山が望める。大きく下り、また登り返す。直線的な道なので、勾配がきつい。道脇にはカスミ網の残骸が残っている。登り返し、ベンチのわきを行く。11時9分、左に尾根上の道とまっすぐ盤山坑古道の峠への道との分岐に来る。折れた枝が、道標に引っかかっている。ここからは、左に尾根を進んで石硿子古道の峠部分へ進む。

枝がひっかかった道標
踏み跡のはっきりしない道を下る
尾根上の道はあまり歩かれていないようで、もともと頼りない踏跡に加え、台風でおられた枝や倒木が行く手を妨げる。左に畝畝山が見えている。基本下りの道を進む。11時37分、休憩をとる。ときどき風が尾根を吹き抜けていくので、少しは楽だ。休憩後歩きはじめ僅か、倒木を巻き込むと鞍部分岐に来る。右に下っていく道は盤山坑古道をへて内盤山へ続く。ここも新しく立派な道標があるが、山道はそれに似合わない細々としたものだ。12時9分、薬師仏への分岐を左に分ける。更に尾根を直進し、12時18分石硿子古道の峠に着く。ここで休憩し、昼食を取る。気温は高いが、峠を吹き抜けていく風が嬉しい。ここで、今日の行程の約半分を歩いたことになる。

石硿子古道の峠で休憩
石硿農道の最高部
12時56分、長い休憩後行程後半の歩きを始める。尾根上をそのまま行けそうだが、標識リボンなどが全く見えない。左に一度下って、石硿農道を進む。右に車道を登りはじめる。まもなく左に石硿子古道が分岐して谷に下っていく。日差しの照りつける車道歩きは楽ではない。登って行き、道は尾根上を進む。先ほどの石硿子古道の峠からここまで直接来れるようだが、道もはっきりせず、何も入口を示すものはない。更に少し進み13時13分、農道の最高点を過ぎる。藥師山善覺寺の石碑が道脇にある。ここからも、谷を挟んで枋山坑山が望める。

和尚尖への尾根道入口
道はしばらく下りになる。道の右には、標識リボンがある登山口を三ヶ所過ぎていく。どれも上内平林山への登山口である。今日はここへは登らない。下り切った後、また車道は登り返す。左奥に特徴ある中央尖の山頂が望める。13時36分、右に大きく曲がるカーブに来る。その付け根の部分から、和尚尖への山道が分岐する。しばらくの車道歩きをしたので、ここで休憩をとる。車道といっても、ここまでの間一台も通っていない。お寺が最終点の道なので、それに関係ある車しか通らないのだろう。

山林投を縫って進む
保線路は少し状態がよい
山道の初めは、巾もあり良い道だ。数分で分岐があらわれる。左に進めば石硿子瀑布へ下る。右に尾根上の道をとる。ここからは、踏跡がまた細くたよりなくなる。山林投を避けて進んだり、すこぶる歩きにくい。一旦大きく下っていく。44号送電鉄塔のすぐわきを下っていく。しばらくは保線路なので、道がよくなる。14時42分、分岐に来る。すこしジメジメした感じだ。実はここは十字路なのだが、そのときは右側の道に気づかず、そのまま直進した。道は少し登った後、山腹を進む。状態は悪くないが、どうも和尚尖へ行く様子ではない。メンバーもGPSに照らし合わせると違うという。そこで分岐へ戻る。すると山側へ登る道がある。これを登り鞍部に来る。左にとり尾根に取り付いて登り始める。

和尚山頂上へあとすこし


和尚尖というぐらいなので、岩の急坂が現れる。補助ロープなどもない。最初のピークにつくが前方に別のピークがある。一度下りまた登り返す。ここにも山頂を示す表示板などもない。更にもう一度下り登りで3つ目の山頂(標高467m)につく。幹にブリキの小板が付いているが、判読できない。もともと不人気の山なので、山名表示が無いのもうなずける。今日の山行中、唯一名前のあるピークだが、それでもこの水準である。15時10分、ここを頂上として休憩する。

急坂を下る
15時30分、稜線方向に下り始める。ところが途中で道筋がはっきりしなくなった。その先の標識リボンもない。先ほどの頂上に戻り、道を探す。すると北側の急斜面に補助ロープが張ってある。これが下り道だ。とても急な坂を、ロープの助けを借りて下っていく。尾根の形が明確になり、尾根伝いに下る。約10数分くだり、尾根を離れて左に急斜面を道が行く。またひとつ分岐を通り過ぎるが、左右の道筋もはっきりしない。直進して下っていく。先に小沢が見え、それにそっていくとすぐ産業道路の登山口が現れた。ここにも立派な道標があるが、和尚尖の道は初心者がこの標識を頼りに入れるような道ではない。ここから先は舗装路歩きなので、16時20分道端で休む。

産業道路に出た
中央尖が見える
産業道路は少し登り気味だ。カーブのわきに司公碗帽山への道標がある。またいずれ来ることにしよう。そのままさらに進み、切り通しの峠に着く。下り始めてすぐ、真正面に中央尖の山頂が頭を出している。今日は朝からいろいろと姿を換えて中央尖が姿を表している。ジグザグに舗装路を下る。ここだけではないが、天燈の残骸が残っている。表面にはハングルが書いてあるので、韓国人観光客が十分で飛ばしたものだろ。16時44分、右に民家が現れる。入口に表示があり、Wifiが使えるので、緊急の場合はどうぞ、ということだ。吠える犬の民家を通り過ぎ、16時46分、灰窯產道と合流する。

民家わきに来る、Wifiが使えるという表示がある
残りは、2キロほどの車道歩きだ。今まで何回か通りすぎているので勝手がわかっている。道の右側が土砂崩れをしている。すでに倒木などは整理済みだ。17時、左に橋をわたる。ここから萬寶洞へ道が続く。橋をわたって道を入ったところで、竹が倒れて道に覆いかぶさっている。人通りが多くないので、整理されていないのだ。その後は、少し崩れたところもあるが、概ね問題なく萬寶洞バス停に着く。Fさんの車が停めてある。17時8分、バス停についてすぐに795番バスがやって来た。

倒れた竹が道を塞ぐ

今回は水平距離で14.5kmの道のりである。そのうち半分以上は産業道路だ。山道は、台風の影響もまだまだ残っており、もともと良くない道はさらに歩きにくかった。稜線では風も吹いていたが、暑いことも苦労の一つだ。休憩も含め約9時間の行動時間である。産業道路を除いた山道の水準はクラス4、体力要求度はクラス3というところか。ただ、倒木など邪魔が多い今の山道は、クラス4である。邪魔なものを迂回したり乗り越えたりということは、かなり体力を使うものである。
ハングルの書かれた天燈の残骸、今や自然を汚すゴミでしかない