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2024-02-20

2024年2月18日 基隆港東岸砲台歷史遺跡巡り

二沙灣東砲台大砲
基隆港は、台湾の歴史上重要な港であり、経済上軍事上大きな役割を果たしてきた。港は、どの国にとっても重要な軍事拠点であり、島国台湾にとっては死活問題の要点である。そのため、港の周囲には砲台が設けられ、守ってきた。現代の戦略では、港を守るのはもはや大砲だけでは不可能であり、当然砲台の役割も減少した。したがって、基隆周辺の砲台は廃棄された。しかし、歴史遺跡として観光資源或いは文化教育面での用途を見直され、手入され大衆に開放されている。数が多く、すでに取り壊されたり、また草木に囲まれ自然に帰ってしまったものもあるが、今回訪れた砲台遺跡は、大掛かりな復旧が行われたものから、登山者が自主的に訪れ道を開いたものまで、都合4カ所を訪れた。

和平島から基隆駅まで歩く
基隆港周辺の主要砲台遺跡位置(赤〇)
筆者は、いままで基隆周辺の砲台遺跡は何度か訪れている。獅球嶺白米甕大武嶺槓子寮四腳亭など、基隆港を囲む三方の山のうち、東岸の物をのぞいて訪れた。今回は、その残った東岸の砲台遺跡を巡るハイキングである。そして、砲台巡りの途中には日本時代の北部最大司令部であった建物施設や、北白川宮親王能久記念碑遺跡など、日本統治時代の史跡も訪れた。基隆は、雨の街で東北季節風の影響を受ける冬は雨模様が多いが、今回は良い天気で尚且つ冷気が海上に入ったためだろう、海面は霧がたちこめ、幻想的な風景にも出会った。

@要塞司令部
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基隆駅前から101番バスで和平島へ向かう
基隆駅の周辺は大きな再開発が行われ、10数年前とは全く異なる容貌を呈している。旧駅舎はなくなり、近代的な建物に換わっている。9時に南口前の広場に集合した。区間電車やバスでやってくる、或いは地元からのメンバーも参加し、21名が集まった。駅から基隆市バスのターミナルへ向かい、ほどなくやってきた101番バスで、目的地阿拉寶灣へと向かう。

終点阿拉寶灣バス停で下車
当地歴史モニュメント
25分ほどの乗車で和平島にある当バス終点の阿拉寶灣バス停に着く。行程などの説明をした後、9時40分社寮砲台遺跡に向かって歩き始める。舗装路を少し進むと、龍目井という井戸と当地の歴史を表象するモニュメントそしてその説明文がある。和平島は、平地原住民が住んでいるところに、1620年代スペイン、そしてオランダが訪れこの地に基地を設けた。今から400年前の大航海時代の話である。まだ中国大陸からの移民はいない。ここで、直接やってきた4名が合流した。

ここは右に登る
原住民集会所のある砲台エリア入口
更に進むと道標で砲台遺跡は右の坂を登る。色とりどりの壁の民家を過ぎ、左に原住民集会所の建物を見ると、社寮砲台遺跡エリアになる。左に屋根がない、当時の廃屋をみて坂を登る。登りきると砲台になる。今まで訪れた日本時代に改築拡張された砲台と同様な様式である。当砲台は、大航海時代の基礎の上に、清仏戦争の際に当時の清朝政府が改築を行い、そして日本時代にまた日露戦争に備えて1903年に現在のように拡張された。

砲台遺跡
大砲台座
海上には霧が発ち込める
階段で砲台に上がる。大砲自身は、もちろんないが、台座が残る。その一部から海岸をのぞくと、霧が海に立ち込め、幻想的な風景である。10時10分、砲台見学を終え、下っていく。メンバーの中の基隆住人が、海岸へと下る道を教えてくれる。そこでそれに従い、草の間の道を下っていき、海岸に降りる。今日は良い天気だが、海は一面に濃霧である。浸食により様々な形状の奇岩、豆腐岩という四角く割れ目が入った岩など、自然の造形を見る。阿拉寶灣とは、本来ここを示すそうだ。

阿拉寶灣海岸に降りる
和平島橋から見る霧に浮かぶ埠頭クレーン
11時5分、砲台入口に戻りさらに下って、バス停に戻る。そこから海鮮料理店が立ち並ぶ魚市大街を通り、平和島橋を渡る。橋上から基隆埠頭のクレーンが霧の上に頭を浮かべている様子を見る。橋を渡り、入り江対岸に観光振興のため多色に塗り分けられた建物を見る。中正路を左に曲がり、海洋大学正門の前を右に曲がって祥豐路を登る。3,4分で、建物の間の細い道入口に来る。ここから、旭丘嶺へと登っていく。

橋上から見る社寮砲台山(左)と対岸の造船所遺跡
色とりどりに塗られた家、背後は旭丘嶺
祥豐街を登る、すぐ先右に路地を入る
草に半分埋もれた歩道
ステンレス手すりの立派な階段道だが、半分草に覆われほとんど歩く人がいないようだ。登ること数分で稜線上の道にでる。左に折れて進む。11時43分、椅子などがある旭丘嶺に着く。食事休憩をとる。幸い空は雲が厚く、あまり暑さを感じない。いいカモが来たとばかり、蚊が次々とやってきたのは、閉口したが。

大きな軍用地境界石
ツツジの咲く旭丘嶺
街灯があるがあまり歩かれていない
30分ほどの食事休憩後、12時15分稜線上の道を進む。道幅が広く、先ほどの草深い道とは様子が異なる。しばらくいくと公園が現れる。公園を突っ切りさらに進むと、左に細いコンクリの道が分かれる。所々街灯があるが、この道もほとんど歩かれていないようだ。12時29分、正濱國中の校庭にひょっこりでて、そのまま校庭を突っ切る。その先からまたあまり歩かれていない道を下り、民家の間を下って、祥豐路に降りる。

中学校校庭に出る
民家脇を下る
要塞司令部
祥豐路は右にまがり少し歩いて、12時44分要塞司令部の正門に到着する。この建物群は、台湾接収後にここに軍隊指揮司令部がおかれ、1909年に要塞司令部に改名、台湾北部の軍事司令センターとなる。今の建物は1928年に完工し、戦後は台湾軍隊が使用していた。2010年に軍用としての役割りが終え、その後地元政府による手入れが行われ大衆に公開されている。ここでメンバーはしばらく司令部建物などを見物する。内部は絵画展示や歴史説明資料展示がある。

司令部建物二階内部、高い家具のとっては菊紋がデザインされている
高架橋下を登る
13時5分、四名がここで離隊し残りのメンバーで豐稔街を登り始める。高速道路高架橋下をくぐったところで、中砂登山道の看板を見る。ここから山道を登り始める。登山口から登ること数分で、右に大沙灣砲台遺跡への入口がある。この道を進み、東西二か所の砲台の内、まず西砲台へ行く。この砲台は清朝時代のもので、今は石積囲いが残るのみである。東砲台は、西に比べ石壁がさらに崩れてしまっている。ともに地元の政府の手入れなどはないので、自然に帰りつつある。

中砂登山道入り口
大沙灣砲台への分岐
大沙灣西砲台遺跡
中正公園国民広場一角の涼亭
中砂歩道に戻り、さらに登る。13時41登り詰めると、前方には涼亭がある大きなオープンスペースの中正公園國民廣場の一角に上がる。しばし休憩し、広場の周りを行く。最も高い場所からは、スペースの向こうに陽明山山塊などが幾重に重なり展開している。

碑林の向こうが二沙灣砲台への入口
国民広場最上部から陽明山方向を望む
広い二沙灣砲台の敷地
広場からまた涼亭に戻り、さらに下って二沙灣砲台遺跡に向かう。当遺跡はかなり大きい。基隆港をすぐ眼下に見る丘の上のこの砲台は、清朝アヘン戦争のころに造られ、その後の清仏戦争の際に、この砲台はフランス艦隊の砲撃でかなり被害を受けた。その後フランス軍は基隆上陸し一時占領した。当時の大砲のレプリカが砲台に据え付けれ、当時の様子を伝えている。

北砲台の清朝時代の大砲
草に埋もれた大沙灣砲台はこのようであったと思われる
東砲台から北砲台へ下る。こちらの大砲はサイズが小さい。先ほど訪れた大沙灣砲台なども、おそらくこのような形態であったのだろう。下っていき、海門天險の文字が刻まれた砲台エリアの正門へ、その壁を回り込んでいく。海門天險の奥は先ほどの東砲台で、門の後ろの広場はかなり広く、当時は兵舎などがあったようだ。二沙灣砲台遺跡は、基隆の砲台のなかでも国家レベルの古跡に指定されている。

海門天險前のメンバー

海門天險の上から内部を望む、前方丘は先ほどの東砲台

串珠步道を行く
海門天險の門下の階段を下り、左に串珠步道を行く。山腹を行く当歩道は10分足らずで終わり、車道にでる。右に下り四面佛を見る。その少しわきの、すでに閉鎖されたように見える聖濟宮で休憩をとる。休憩後、15時四面佛へもどりそのわきの入船里歩道の階段を下り始める。基隆は山に囲まれた港町だ、住宅は山の中腹に多く建てられているので、階段は切り離せない。

聖濟宮
四面佛
入船里歩道
北白川宮能久親王記念碑
数分で下り切り、中船路を右に少し行く。ちょっと建物の陰に隠れた北白川宮能久親王の記念碑を見る。親王は1895年台湾接収の際に、軍隊を率いて台湾に訪れたが、当年台南で48歳でなくなった。それを記念すべく塔が1933年に建てられた。本来碑面に刻まれた文字は、戦後国民政府に削れまたセメントが埋め込まれ、今は判読できない。長い間放置されたが、2003年に基隆市の史跡として指定された。

基隆搭入口
基隆搭上から見る基隆港
基隆駅南口
基隆駅まで、バスもあるが我々は歩いて向かう。途中、昨年末に公開されたばかりの基隆搭に立ち寄る。エレベーターもあまり待たずに上部に上がれた。この搭は中正公園と橋でつながっている。搭の上からは、基隆港とその街が眼下に一望できる。エレベーターで下り、中船路から義三路を経て、16時過ぎに基隆駅に歩きついた。16時27分発の区間電車で帰京した。



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社寮砲台步道のタイル
今回は小さい丘は登ったが、山登りというよりは史跡巡りハイキングである。史跡をつなぐ道は山道もあるが、多くは舗装路である。歩き始めるときにGPS開始を忘れたので、距離や昇降に関しては記録が不十分だ。おそらく歩行距離は約11㎞、昇降は各300mほど、活動時間6時間20分ほどである。平地が中心のこのコースを歩くのは、今の時期はよいが、夏は暑くて大変だろう。


2024-02-17

台湾登山ルートガイド :銀河洞 - 貓空 - 木柵 100年歴史の銀河洞からお茶のふるさと貓空へ

南から北へ縦走
新店の奥にある銀河洞は、滝が落ちる岩窟に道教の神である呂洞寶が祭られている廟である。1912年に発見され、その後洞穴を利用して廟が設けられた。名勝とされたが、一時期不遇をかこい、その後また人気を盛り返している。この記事執筆のために訪れた時は、旧暦正月休みであったことも関係するが、多くの遊楽客が来ていた。

台北地区の南東部
筆者が最初に訪れたは13年前である。その後数回訪れているが、最近の状況を確認するため、また猫空はいろいろなルートを歩いているが、表題のコースでは歩いていないので取材の目的も含めて訪れた。このコース上では、特に山頂を目指していないが、付近には多く割合と短時間で登れる山、例えば待老坑山鵝角格山などがあるので、時間と体力に余裕があれば同時に訪れるのもよい。また、季節に応じていろいろな花が咲くので、それに合わせて歩くのも良い。

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登山対象:

ルート
台北MRT新店駅→(緑12番バス 約15分)→銀河洞バス停→(銀河路25分)→銀河洞歩道入口→(15分)→銀河洞→(銀河洞越嶺步道40分)→峠十字路→(樟樹步道40分)→貓空纜車站ケーブルカー駅→(茶路古道30分)→指南國小登山口→(指南路三段+政治大學キャンパス経由 25分)→政治大学正門バス停→(236番バスなど約30分)→MRT公館駅

歩行約3時間(休憩含まず)約6.5㎞、上昇340m、下降360m コース定数12

銀河洞

上述のように1912年に発見され、その後まもなく道教の廟が設けられた。岩壁の洞窟には、祭壇が設けられ、滝の後ろを登る階段を登り詰めると呂洞寶の神像が祭られている。道教の仙人であり日本の平安時代初期のころ実在した人物で、突出した社会への貢献などをたたえることから、敬い祭られている。ただ恋人が拝むと、分かれることになる、という言い伝えもある。廟は、休日9:00~16:30のみ一般に開放している。

銀河洞
銀河洞越嶺步道

銀河路上の入口から銀河洞を通り、さらに沢沿いに登り、そこからさらに山を越えて待老坑山-鵝角格山の尾根上の峠まで続く歩道である。銀河洞付近は砂岩の石段で、一部水が流れている場所もある。雨の後などは滑りやすいので足元に注意。石段が終ると、土の道で木材を使った階段がある。道標はしっかりしている。

銀河洞越嶺步道口
樟樹步道

銀河洞越嶺步道の峠部分から猫空ケーブルカー駅までは、樟樹步道と樟湖步道の二つの道が続く。前者は指南路三段38巷の下を行く道で、茶畑や花畑を過ぎていく。その前身は台湾の山里をつないでいた保甲路であり、炭や茶などの産物の運搬にも供された。今では、ルピナスの花が2~3月に多く咲く道として知られ、遊楽客でにぎわう。一方の樟湖步道は、鵝角格山の山腹を進んでいく。どちらも石畳の道で、整備されている。

石畳の樟樹步道
貓空

台北市の最南端に位置する山腹に展開する。茶葉が主要作物で、広く知られる。観光地としてもにぎわい、飲食店、コーヒー店、土産物屋などが多く経営している。猫空の名は、本来動物の猫とは関係なく、この地の沢に多い壺穴という穴をニャオカンと呼んでいたが、日本時代にそれに猫空の文字をあてたという。ただ、猫という字があるので、観光宣伝では猫が登場する。

賑わいを見せる猫空ケーブルカー駅と手前のバス停
貓空纜車(ケーブルカー)

MRT動物園駅の近くから、台北動物園駅と指南宮駅を経て、貓空まで運行している。強風悪天の場合やメンテ保修期間は運休になるので、事前に注意が必要。但し、バスやタクシーがあるので、運休時も公共交通機関を利用して猫空を訪れることはできる。

猫空ケーブルカー
茶路古道

運茶古道という言い方もあるが、その昔は猫空で栽培完成した茶葉を運ぶために利用された道である。猫空ケーブルカー駅の脇から、指南國小まで続く。ほぼ全行程が石段或いはコンクリート舗装である。

右に指南宮を見て下る茶路古道

コース概要:

MRT新店駅から、北宜公路を坪林まで運行する緑12番バスで銀河洞バス停へ向かう。ただ、緑12番バスは、運行本数が少なく休日だと長蛇の行列になる。銀河洞バス亭前の中生橋頭バスまでは緑5番や647番など、本数の多いバスが運行しているので、中生橋頭へはこれらバスで向かい、北宜公路を5~10分ほど歩いて銀河洞バス停へ行くのも方法である。

緑12番バス発車40分前ですでに行列
銀河洞バス停で下車
銀河洞バス亭から進み、すぐに大きな仏像がある銀河路入口へ北宜公路を渡る。谷間を進む銀河路は、途中集落を通り過ぎ、坂が少しきつくなるあたりで、前方の山中腹に銀河洞が望める。まもなく右手に土地公祠を見る。脇にはお手洗いがある。

ここで北宜公路を渡り銀河路に入る
銀河路を登る
土地公廟、左奥にトイレ
更に少し登ると銀河洞越嶺歩道入口が右側にある。沢沿いに行く道は、特に夏だと涼気を感じる。石段道を登り詰めると、銀河洞が現れる。銀河洞の廟には、階段を登り入る。本来宗教施設であるが、今は観光スポットの如くである。入場料などはない。

沢沿いに石段道を登る
石段を登る
洞内祭壇
廟からの眺め
洞脇の滝
呂洞寶神像
洞から下を見る
銀河洞からまた階段を登っていく。階段が始まるすぐ左にお手洗いがある。この先猫空まではトイレはない。手すりのある階段道を登りきると、緩やかな沢沿いの土道になる。しばらく行くと、橋で沢を渡り山に取りつく。橋のたもとには、六分山やさらに沢沿いに進む道が分岐する。

銀河洞からまた石段を登る
滝上部の沢沿いに進む
橋のたもとの道標
しばらく登っていき、ちょっとした広場から左に道が分岐する。ほぼ水平に進む道は、途中左に銀河路方向への道を分け、右に民家を見るとまた方向を換えて峠へと少し登る。峠は十字路で、稜線上を行く石畳道に合流する。

続けて木製階段を登る
平らに進み、左に道が分岐
民家前で方向を換える
山桜がちょうど満開
峠に着いた
樟樹步道へは、峠から石段道を下り、指南路三段38巷へ出た後すぐ右にある道路を渡ったところの石段道入口から茶畑の間を下っていく。下りきったところの道が樟樹步道である。この辺りは開けているので、天気が良ければ101ビルなどが見える。樟樹步道は右に曲がり道なりに進む。途中、穀物倉の姿を再現した休憩小屋などを過ぎ、大きな池が下にある涼亭が現れる。

峠から石段を下る

指南路三段38巷に降りる

茶畑の間の道を下る
下に樟樹步道が見える
穀物倉を模した涼亭
歩道脇の涼亭、手前の田んぼにはオタマジャクシ
この付近は、春であればルピナスの黄色い花が一面に咲いている。またこの時期は山桜や杏などの花が見られる。涼亭からは少し登り気味に行き、飲食店や土産物屋のある指南路三段38巷道路にでる。左に曲がって進むと猫空ケーブルカー駅がある。駅の脇はバス停で、バスで下山もできる。

ルピナス畑
水牛の模型
歩道から出て車道を左へ
貓空についた
徒歩で下山であれば、ケーブルカー駅脇の石畳道を下っていく。途中二カ所道路を横切り、その後はずっと階段道が続く。右に谷を挟んで指南宮の大きな寺院を見ながら下り、指南小学校の校庭が現れると茶路古道は終わりだ。

ケーブルカー駅脇から下る
車道を横切る
下方でまた車道を横切る
民家脇を下る
石畳の道
下方に指南國小の校庭
右に曲がり指南小学校の前をとって車道を進む。途中右からの道を合わせ、高速道路高架橋下をさらに下っていくと住宅地に入る。左に政治大学付属小学校を見て橋を渡ると左に政治大学キャンパス入口がある。キャンパス内を進んでいき、大学正門からでてすぐ対面にバス停がある。

指南路三段を下り住宅地に這ってきた
橋の向こうが政治大学キャンパス入口
キャンパス内を進む
政治大学正門

バスの路線や便数はとても多いので、自分の目的地に合わせて乗るとよい。MRT公館駅や萬芳醫院駅を通過するバスが便利だろう。

アクセス:

往路最寄りのMRT駅は新店で、ここから緑12番バスで銀河洞バス停へ行く。上記にあるように緑12番バスは本数が少ないので、緑5番や647番バスで中生橋頭バス停(終点)へ行き、そこから歩いてもよい。帰路は、政治大学正門のバス停からバスで行く。例えば236番バスであれば、MRT萬芳醫院駅と公館駅を通るので、下車してMRTに乗り換えると便利だ。なお、猫空からケーブルカーで或いはバスでMRT動物園駅へ下るのもよい。

装備:

一般日帰り装備で十分である。夏は暑いので、飲料水は十分に準備したほうがよい。途中には水場はない。

貓空東昇園屋根上の猫