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二つの三角点がある丁火巧山(中幅子山) |
秋になると
蟹の収穫で知られる新北市萬里區は、漁港を抱えると同時にその背後には陽明山系の末端になる丘陵地帯もある。その中で海に面した山のうち、今回は北八斗山、八斗山及び丁火巧山の三山を登った。数年前に、その奇岩で知られる
野柳から北八斗山を登頂したことがある。野柳からの尾根道が整備された直後のことであった。
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反時計回りに一巡り |
当三山がある一帯は、実は大きな山塊でその上部はかなり広く平らで、それを利用したゴルフ場がある。そのゴルフ場の周辺にこの三山が山頂をもたげる。今回は、藍天隊が最近入り整備した玉田古道を経由して山に上がり、そこから三座を登った。下山は賴清德副總統(5/20以降は總統)の生家がある六坑へ下り、萬里橋頭へと歩いた。
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@八斗山山頂 |
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翡翠灣バス停で下車、対面に玉田古道入口 |
今回は、玉田古道入口近くになる濱海公路上の翡翠灣バス停で集合である。筆者は、台北科技大學バス停で7時少し前にやってきた1815番バスに乗車する。台北から金山まで行くバスは、他に953番や1068番があるが、休日早朝には運行されていないので、これが唯一の選択だ。途中でほかのメンバーも乗車し、8時に翡翠灣バス停に到着した。集合時間8時半にまた二人が次の便でやってきて、都合12名となる。
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バス停から北八斗山方向を見る |
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翡翠灣リゾート村ゲート |
バス停の後ろ海岸側には、廃業して久しい翡翠灣リゾート村の寂れたゲートが残る。手前の濱海公路を渡り、橋脇の玉田古道入口から歩き始める。古道は沢沿いに進んでいく。前半はコンクリ舗装されている。歩くこと数分で土地公の前を通り、玉田12号の住所札が着く民家を過ぎる。そのうち舗装は切れ、ちょうど農夫が作業中の畑脇から森に入る。石段を登り、ひっこりまた舗装路にでる。最奥の民家で舗装は切れ、本来の土道になる。
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岩が露出した尾根 |
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開けた場所で休憩 |
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急坂を下る |
半時間の休憩後、ピークを越えて最後の急坂を下る。足がかりが少なく、また滑りやすい赤土で厄介だ。もどった玉田古道を更に登っていく。谷はさらに開け、棚田跡もある。13時12分、古道の峠分岐に着く。右にまがり、広い保線路を進む。少し下った後、道は方向を換え登っていく。登り切った峠部分の左が八斗山への登山口だ。尾根上の道を行き、大きく方向を換えて一度下り、登り返すと山頂だ。標高360m、周囲は樹木で展望はない。
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@丁火巧山山頂 |
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前方右に北八斗山 |
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直下にゴルフ場、遠くに野柳 |
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六坑へ下る |
15時40分、下山を開始する。15分ほどで分岐に戻り、六坑へと下る。森の中の赤土道は滑りやすい。16時3分、右へ大湖古道を分け、木々が刈り取られた斜面を下る。送電線の直下なので、樹木が送電線に触れないようにするための対策だろう。開けた斜面からは、前方に三界山から始まる
界寮縱走の稜線が続く。その左に基隆市と新北市との境界である峠を挟んで
馬鎖山の山塊、そしてその遠く向こうに基隆の発電所煙突がうっすらと見える。再び森の入り、送電鉄塔の下で最後の休憩をとる。
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樹木が刈られた斜面から望む、左に瑪鎖山,界寮縱走稜脊 |
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背後は降りてきた丁火巧山 |
竹林の下り坂を過ぎて間もなく、民家が現れた。そのすぐ下にある地図で賴清德副總統の生家位置を確認し、向かう。ちょっと登り返し大きな樹木脇の家が現れた。総統選挙の際に対立する国民党から散々攻撃されたいわゆる「豪邸」は、普通の一般住宅と何ら変わりのない二階建ての家である。警備員などもいない。六坑は、その昔炭鉱があったところで、賴清德は坑夫の息子という。
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賴清德副總統生家 |
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萬里橋頭へ最後の歩き |
下って左にとり、最後の1キロ余りを歩く。17時18分、萬里橋頭のバス停に着いた。休憩込みで、都合約8時間40分、16.5㎞の道のりであった。累計上昇約820m、コース定数は29である。当初の予想より少し時間を要した。三山とも標高自体は高くないが、けっこう登りがいがある。17時24分、やってきた953番バスで帰京した。
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