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大溪市街の南側に位置する目的山域 |
筆者は、当対象山域を11年前に訪れたあと、ずっとご無沙汰であった。今回再訪して、この歳月の間に、台北からのアクセスが格段に良くなり、一般ルートとして訪れやすくなったことを知った。そこで、今回は当山域のお勧めルートとしてガイド形式で記述する。
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台北中心から南西に約40㎞ぐらいの位置 |
大溪はそこそこ知られた街であるが、鉄道は通っていない。筆者が初回訪れたころは、バスの便もそれほど多くなく、下山後も車道を歩いて大溪の街まで行った。今は登山口である三層や慈湖へは多くのバスが通り、また台北と大溪との間も高速道路経由のバス便が多く通い、気軽に訪れることができる。なお、慈湖は蒋介石の墓地でありまた観光地でもある。下山後これらを訪れるのもよいかもしれない。
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打鐵寮古道東興橋 |
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登山対象:
ルート
三層バス停→ (15分)→打鐵寮古道入口→ (30分)→舊(廢棄)崗哨→ (8分)→石厝坑山分岐→ (75分)→石厝坑山→ (15分)→主稜線分岐→ (3分)→石壁路分岐→ (3分)→白石山山頂→ (3分)→石壁路分岐→ (30分)→大樟樹分岐→ (30分)→打鐵寮古道→ (40分)→舊(廢棄)崗哨→ (25分)→草嶺山→ (15分)→慈湖
5時間(休憩を含まず)距離約9㎞ 累計登攀640m 下降620m コース定数20
大溪
台北市中心から南西方向へ約40㎞ほどにある、桃園市行政区画であるとともに、その中心部の街を指す。その昔は大嵙崁と称され、大漢溪脇である地の利を生かし、内陸部と淡水との間の河川運送拠点であった。木材、茶葉そして樟脳などが集積出荷された。清朝末期には、ここに樟脳の専売事務所も設けられた。日本統治初期には、日本接収に抵抗する地元義勇軍との間で、日本軍側はかなりの死傷者を出す戦役もあった。その後抗日活動は終結し、さらに地名は現在の大溪に変更された。大漢溪の上流にそって山岳原住民管理ための警備道の出発点であり、政治行政上でも重要な地点でもあった。その警備道は、現在の北部横断道路の前身である。長い歴史の持つので、街中にはいわゆる老街と呼ばれる昔ながらの通りも残り、観光地ともなっている。
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バス車窓から見る大漢溪、対岸が大溪
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打鐵寮古道打鐵とは鍛冶のことである。過去には、大溪と大漢溪の上流にある三民などの集落との間をつなぐ道であった。現在では三層から山を越えて北部横断公路へとつなが3キロ強の区間が整備され、ハイキングルートとして歩かれている。打鐵の名前の由来は、当道は木材、茶葉や樟脳などの産物運搬に供され、これら産業に必要な鉄製工具などを作る鍛冶屋が道にあったことから称されるようになったという。三層から進むと、道の途中に鍛冶屋(阿公打鐵店)跡とされる場所がある。また、石造りの立派な東興橋という橋も当時の姿で残っている。
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打鐵寮古道入口 |
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阿公打鐵店/阿嬤柑腳店 |
石厝坑山標高572mの山頂を有する低山である。三層側から見ると、南西の草嶺山から伸びてきて連なる前衛の山である。山名はそのふもとの土地名からの命名だ。
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石厝坑山山頂 |
白石山標高620mの当座は、三峽五寮尖からずっと南西方向に延びてくる尾根の約6.5㎞地点に位置する、当連山の最南端の峰である。北面に大きな岩壁を擁し、その岩に光が当たって白く見えることからの命名という。ただ、三層側からでは、石厝坑山など前衛の山の後ろにあるので見えない。山頂は大きな露出岩で、その上からは台北付近の山々や、桃園市内の市街、さらには南方方向などの広い展望が望める。台湾には白石山という山名はほかにもあり、3000m百岳に選定されている中央山脈の白石山が有名である。
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大露出岩の白石山山頂 |
慈湖戦後当時の地主より寄付されたこの地に、蒋介石の行館(別荘)軍事拠点として設置された。1975年に蒋介石没後、遺体はこの地に移され今に至る。近年、台湾各地で取り外された蒋介石の銅像や胸像が集められ公園として公開されている。北部横断公路の近くであり、今は観光地として多くの遊楽客が訪れる。後方は軍事的な管理のため、長い間一般人の立ち入りが制限され、また歩哨小屋(崗哨站)も建てられ管理された。打鐵寮古道上で見る建物は、すでに廃棄されたものだが、そこから石厝坑山へと続く稜線の東側には、当時の有刺鉄線による柵が残っている。草嶺山は、慈湖のすぐわきの山(標高347m)である。
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多くの蒋介石胸像や銅像が集まれられた慈湖紀念雕塑公園 |
コース概要:
台北MRT永寧駅近くに設けられた永寧バスセンター(永寧轉運站)から710番バスで大溪に向かう。バスはすぐに第三高速道路にのり、大溪インターチェンジで降りた後、しばらく大漢溪河岸段丘上の新開発住宅地の中を巡り、下って大漢溪を渡り大溪老街バス亭を通る。その次の大溪バス停で下車し 、501番などをはじめとする多くの三層を通るバスに乗り換える。永寧からは所要時間約50分である。
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永寧轉運站 |
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大溪行き710番バス |
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三層バス停、多くのバスルートが通る |
大溪バス停から台七線北部横断公路を登ること数分で三層バス停に着く。降りたバス停の対面にある福安宮山門をくぐって、三層老街方向に行き、その後廟前から右に行く道を進むと、土地公わきで打鐵寮古道入口への舗装に出る。すぐに路面に古道へ400mという表示がある。ほとんど車通りのない道を、左奥にこれから登る石厝坑山などの山並みを見て進み、左に駐車場を見ると古道入口である。
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三層福安宮 |
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古道の表示 |
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石厝坑山の山並み、白色建物の前に駐車場 |
石畳の古道は、まず下って草嶺溪の橋を渡る。橋の前に建立記念碑がある。この橋は大正15年に造られたものだ。今は両側に金属欄干が設けられているが、以前訪れた時はなかった。橋を渡ると、古道に関する説明施設が設けられている。これも過去10年間に新設さてたものだ。もう一つ小さな大正15年建立の橋を渡り、さらに進む。石畳が終わり、自然の丸石を使った坂道が始まる。そのうちに丸石も終わり、土の道が沢に沿って伸びていく。
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大正15年建造の橋記念碑 |
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欄干を取り付けられた草嶺溪の橋 |
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同じく大正15年建造の小橋と背後の新設施設 |
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丸石の古道 |
緩い坂道を進むこと約15分、左に鍛冶屋跡(打鐵店)と雑貨屋跡(柑腳店)の表示がある。爺さん鍛冶屋、婆さん雑貨屋(阿公、阿嬷)の店という呼び名である。当時は、それだけの人通りがあったのだろう。その先、道は勾配を増し、路面には丸石の階段が続く。つづら折れの道を登り切り、鞍部に着く。鞍部には廃棄された歩哨小屋とその手前に長椅子などが設けられ、一息つける。ここは、これから石厝坑山や白石山を巡ったあと、また戻ってくる場所だ。
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緩やかな土の道と、古道キロポスト |
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石段の急坂 |
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急坂を登る |
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鞍部に着いた、左は廢棄崗哨(歩哨小屋) |
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廃棄された歩哨小屋、左の桟道を進む |
歩哨小屋わきから尾根を登っていく。板を使った階段などで高度を稼ぐ。10分足らずで、古道は右に折れて谷に下る。この分岐は左に取り、尾根を追っていく。現在歩哨小屋からここまでが古道とされているが、おそらく本来の古道は歩哨小屋の鞍部からすぐに谷に下っていたはずだ。慈湖が軍事管理区になった際に、本来の古道は閉鎖されたのだと思う。
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木板を使った階段道 |
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尾根上の分岐、左が石厝坑山方向 |
尾根上の道は、すぐに急坂で登っていく。ロープが取り付けられたかなりの急勾配も次々と現れる。ロープ自体は新しいテープ状のものも取り付けられたりして、メンテがされている。また、古道でも同じだが100mごとに表示が樹木に取り付けられていて、進捗が随時確認できる。分岐から20分ほど急坂で苦労すると、山道は勾配が緩くなり、左に麓へ下る草深い道が分岐する。その先左に送電鉄塔へとつながる道が分岐し、また右に谷間へと下る道が分岐する。木々が途切れた場所からは、左に桃園方向の平地、右に奥深い山が見える。
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分岐部の距離表示0K |
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ロープの急坂 |
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新しいテープ状ロープ |
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急坂もそろそろ終わり |
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左に草深い道が下る |
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右側に遠くの山並み |
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左側は足元の大溪と中歴方向が見える |
標高はすでに500mを超えているので、この先は小さなコブの上り下りがあるものの、石厝坑山との間には大きな上りはない。1.2Kサインにはちょっと開けた場所があり、休憩にはよい場所だ。稜線をさらに4、5百メートルほど進むと、山頂に到着だ。多くの登山者が訪れるようになったのだろう、10年前は草深い山頂だったが、今は数名が休めるだけの広さがある。
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1.2K休憩適所 |
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倒木を超え進む |
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石厝坑山山頂 |
登山道はここから方向を東に換え、先に鞍部へ下る。鞍部で左に道を分け、また坂に取り付く。ただ大きな落差はないので、ほどなく五寮尖からの主稜線に着く。右に折れて少し行くと、今度は開けた岩壁道への分岐部に着く。その先
稜線をいく道と、岩壁道の二つのルートがある。もし岩壁道を下るのであれば、先に空身で白石山の山頂を往復する。ほんの僅か登ると、右に大きな岩壁があり、ロープを使って登ると展望が開ける。岩壁には白ペンキで白石山とある。
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鞍部分岐、右を登り返す |
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主稜線分岐の地図 |
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岩壁路への分岐、水たまりの窪みがある石が特徴 |
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ロープを使って岩の上へ |
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北方向のパノラマ、遠く八里觀音山や陽明山見える |
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南方向のパノラマ |
今回は岩壁道を下るので、先ほどの分岐へ下る。ここには大きな窪みに水がたまる岩が鎮座している。黒い水の中には、よく見ると魚が泳いでる。カエルもいる。魚はどうやってこんな場所にやって来たのか、不思議だ。誰かが持ち込んだのだろうか。カエルは自分でやってきたのだろう。数十メートルはあるだろう垂直の岩壁下部を行く道を進む。おおむね緩い下りだが、ところどころガッと高度を下げるところもある。8月には、珍しい紅鹿子百合の花が岩壁に花開く。
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大石窪み水たまりに魚の影(赤丸) |
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大岩壁の下を下る |
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岩壁の下をいく |
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ところどころに急坂 |
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大樟樹分岐 |
岩壁道は、大きなクスノキ(大樟樹)の下で、稜線道と合流する。そこから階段の急坂で下っていく。下りきると道は左に大きく曲がり、幅広いよい道で進んでいく。下り切った場所から、ほんの2,3分で右に道を分岐する。この道を下っても、打鐵寮古道に合流しさらに歩哨小屋跡へ行ける。ただ、それだと古道の見どころを通らないので、そのまま広く緩やかな道を進む。前方に沢が近づくと,打鐵寮古道との分岐が現れる。
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大樟樹 |
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更に下る |
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ここから方向を換え緩やかな道をいく |
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はじめの古道へ続く分岐、ただこれは曲がらない |
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緩やかで広い山腹道 |
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打鐵寮古道分岐、ここで右に下る |
分岐は右にとって、沢沿いの古道を下っていく。石段が多く現れ、沢沿いの道は小滝も多く、美しい。分岐から数分で、東興橋に着く。二つのアーチを持つ糯米橋(漆喰にもち米を使用した橋)で日本で云えばさしずめ眼鏡橋といったところだろう。百年橋ということだが、今でもしっかりしている。橋は、沢がすぐ右に滝で落ちていくその部分に建立されている。また、沢底は壺穴と呼ばれる穴がいくつもある。そして対岸にはカエル頭石が鎮座している。通り過ぎずにゆっくりと鑑賞することを勧める。
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古道を下り始める |
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石段を下る |
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清流沿いの道 |
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東興橋 |
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カエル頭石 |
橋を越えて進み、その先大きく高度を下げてまた沢沿いに降りる。沢を渡る場所があるが、大水でない限り飛び石で対岸に渡れる。右岸の進み、そのうち大クスノキ分岐からの道を右から合わせる。その先に椅子やテーブルが置かれた休憩所がある。すぐそばが沢なので、暑いときはここで休みを取るのもよいだろう。そのすぐそばには、大正15年日付の古道補修などに関する記念碑が大岩の上に取り付けられている。
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飛び石で沢を渡る |
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打鐵寮古道2.1K |
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記念石碑とその先の休憩テーブル椅子 |
古道はさらに右岸を進み、左に魚釣り禁止の表示を見て間もなく、沢から離れて山に取り付く。本来歩哨小屋からここへ直接下ってきたのだろうが、今は稜線へと登り返す。落差約50メートル登り返し、石厝坑山への分岐へと戻る。左に折れて進み、歩哨小屋鞍部に着く。
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左の枝に魚釣禁止の表示 |
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尾根への登り返し部分、左に以前の道? |
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後慈湖、右の鉄塔の山が草嶺山 |
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歩哨小屋鞍部へ戻りついた |
もし疲れていれば、そこから古道を下って三層へ戻ることもできる。問題なければ、稜線を追っていき、草嶺山を越えて慈湖へ出ることを勧める。鞍部から一度下り、最下部で右に三層へ道を分けた後、また数十メートル落差の急坂を登る。道が平らになったその先、分岐を右にとっていくと、草嶺山山頂がある。鉄製アングルの構造物の下に三角点基石がある。今回は、台湾の国旗がその構造物に取り付けられていた。
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先に下る |
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鞍部分岐 |
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急坂を登り返す |
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緩やかな道になる |
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草嶺山山頂 |
残りは、約100m落差の下りである。けっこう急で、赤土路面は滑りやすく慎重に下る。幸い多くの場所にはロープが取り付けてある。下りきると、慈湖紀念雕塑公園の一角に出る。この公園は、過去台湾各地に立っていた蒋介石の銅像や胸像が、取り払われたあと集めてここに陳列している。公園はそこら中蒋介石である。慈湖橋を渡り右に行くとトイレ、そしてその先が慈湖バス停である。
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下り始め地点の道標 |
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ロープ急坂 |
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草嶺山登山口 |
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慈湖紀念雕塑公園 |
慈湖発の501番台灣好行バスや、その他北橫公路を下ってくる多くのバスが停るので、都合のよいバスに乗車すればよい。今回は15時30分発の台灣好行501番バスで大溪バス停へ戻り、ちょうど停まっていた710バスに接続時間0分で乗車できた。
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慈湖バス停に来た501番バス |
アクセス:
台北から大溪へは高速道路経由のバスと、一般道経由のバスがある。登山ということであれば、高速道路経由の710番バスがよい。もちろん台鉄桃園駅などからのバスで直接三層や慈湖へ行くこともできる。台北と登山口との間の所要時間は、途中の乗り継ぎ時間の多少で変わるが、最短であれば1時間4,50分ほどで行ける。
710番バス:https://www.ibus.com.tw/route-information/2023/12/19/30017/?fbclid=IwY2xjawL9dMpleHRuA2FlbQIxMABicmlkETE2YkpoUjJvTGw5dDVpalNuAR646fjm7xyl2PGF9AdybJB2uxNMyYohGs7bSEHdE8RppO2WvwKJ1BvxbhiYBQ_aem__A0zzW6NCLz7jwvz0Lws-Q
台灣好行バス:https://www.taiwantrip.com.tw/Frontend/Route/Select
装備:
一般の日帰り登山装備で十分である。ただ、交通時間や休みも含めると一日行程なので、季節や天候を考慮し水や行動食などもそれに合わせて持ってくことを勧める。ただ、土の道は長めの雨のあとは、ぬかるみもけっこうあるので、足回りには注意。冬は割合と早めに日暮れになるので、ヘッドランプなどは必須である。低山とは言え、暗くなってしまうとまったく人工光はない。
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