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2025-09-20

台湾登山ルートガイド :新北市雙溪區柑腳城山~柑腳山~北豹子廚山~中坑東山~下坑古道 2026年末ごろまでがお勧め

時計回りに回遊

山道というのはどこでも同じだが、人が往来しまた自然災害の後のメンテを行わないと、通れなくなる。自然の営みで草木が道を覆い隠し通行が困難になる。都会に住んでいる登山者は、こうした当たり前のことを、ともすると忘れてしまう。台湾の山道は、政府などが予算を使いメンテを行っているものを除くと、登山者などが自発的にメンテしている道がそこそこある。登山人口が増えたこともあり、リタイア後のボランティア活動としてメンテ作業を行っていることが多い。一介の登山者である筆者は、こうしたメンテ作業のおかげで、それほど苦労なく登山を満喫できている。

台湾北東部にある

今回のガイド対象は、今年春から数か月にわたりメンテを行った結果、かなりの道が非常によいルートになっている。ただし、ボランティアグループは常にこの地区をメンテしているわけでなく、ひと夏過ぎると草木がまた伸びて、道を覆っていく。したがって、2025年9月現在のよい状況で歩けるのは、よくて来年いっぱいぐらいと思う。その後も、崩れたりふさがれたりしなければ歩けるが、鎌などを用意し状況が良くないところは自分で切り開くぐらいの心構えが必要である。アクセスは、このルートガイドの前提である公共交通で行けるので、自家用車がなくても単独でも歩ける場所である。

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登山対象:

ルート

新北市雙溪區威惠廟→北42線雙坪產業道路 10分→柑腳城山(下坑山)登山口→(40分)→稜線分岐→柑腳城山 往復15分→(90分)→570峰→(30分)→柑腳山→柑腳山山腰古道 40分→北42線黃德土地公→豹子廚保甲路 10分→北42線 雙溪區坪林區境界急須石像→(5分)→北豹子廚山第二登山口→(8分)→北豹子廚山山頂→(45分)→中坑東山前鞍部分岐→中坑東山 往復20分→(10分)→北42線24K登山口→(8分)→林家古厝遺址→(5分)→下坑古道渡渉点→(15分)→下坑古道北42線26.4K入口→北42線 25分→威惠廟(北42線29.5K) 歩行約6時間(休憩を含まず) 12.7km 総登坂下降約780m コース定数26


柑腳山 柑腳(長源里)

その昔は炭鉱でにぎわった山中の街、柑腳の奥にある標高615mの山である。山頂には二等三角点がある。台湾島の北側を回り宜蘭へと続く北迴鐵路の雙溪駅がある雙溪の街から、今は基福公路が平林溪の谷間にそって柑腳へと続く。日本統治時代に開かれた炭鉱は、1970年代まで操業されていた。その後は、人口が流出し現在は老齢者が中心で、当時の面影を残す歴史150年近い威惠廟がある。廟宇の前の広場や、舞台建物、また豪華な装飾を持つ本殿などが、当時の賑わいを彷彿とさせる。当時は、山奥の部落から峠を越えて柑腳へと、買い物や娯楽に往来した。そうした道は、最近手入れが行われ、古道として歩かれている。中でも崩山坑古道や中坑古道などは、淡蘭古道の一部として整備されている。

柑腳山山頂
山間の柑腳の集落(感腳城山山頂より)
柑腳城山(下坑山)

柑腳の街を見下ろすようなところに位置する標高348mの山である。山頂には圖根點基石がある。以前はあまり歩かれるような山ではなかったが、最近の登山道メンテで多くの登山者が訪れるようになった。中国語の城は、日本でいう殿様が住むお城ではない。街のことである。中国本土からの文化が入った台湾では、清朝時代の街は城壁で囲まれていた。当山の城は、日本でいう城のある山、ということを指すのではなく柑腳の街の山という意味だ。山頂からすぐ下に街が見えるのも、当座の名づけに関係しているのだろう。

北42線雙坪產業道路から見る柑腳城山
570峰

柑腳城山から柑腳山へと続く稜線上に突起するピークである。標高570mなのでこの山名だ。当稜線は、東側に崩山坑の谷を挟んで外柑腳山の稜線と、また西側に下坑溪の谷を挟んで当ルート後半の北豹子廚山-中坑東山の稜線と並行している。現在山頂東側の草木が取り除かれ、眼前にはすぐ手前の569峰が、また遠く瑞芳方面の山々まで望める。

稜線縦走路から見る570峰
柑腳山山腰古道

崩山坑古道の峠啞口から柑腳山の南斜面をトラバースし、さらに尾根上をほぼ平らに進んで北42線と交わる間の道を指す。その昔は、地元民はあまり起伏がない道なので横擺と呼んでいたそうだ。北42線車道が開通する前は、その先豹子廚保甲路とつながり中坑頭枋山坑山方面へとつながる道だったはずだ。

地元振興協会の古道説明板 (上記距離が示してあるセクション)
北豹子廚山

一風変わった山名である。豹子廚の由来は、原住民のハクビシンの巣という意味の音に対し、この漢字をあてたということである。ヒョウとは関係ない。ハクビシンが冬になると山の北側から南に移動するので、この山名がついたという。標高627mで、同一山脈の柑腳山とほぼ同じである。圖根點基石がある。10年前に筆者が初めて訪れ時は、草に埋もれた山頂であったが、すっかり草木が刈り取られ、北側に広い展望ができる。西は気象レーダーの球形ドームが顕著な五分山から、遠くは基隆山、そして瑞芳の小粗坑山からずっと草山まで、さらに南に雞母嶺までの広い台湾北部の山が望める。さらには大海原も山の脇に望める。天気がよければ最高の展望台だ。

北豹子廚山山頂
中坑東山

標高515mのちょっと小高い山である。三角点などはない。樹木に囲まれ展望もない。中坑溪の谷を挟んで西側に中坑西山がある。

北豹子廚山山頂から見る中坑東山(手前の山)
下坑古道

下坑溪にそって進む古道である。上り詰めると柑腳山の山頂近くへ続く。過去はあまり注目されず、今年のボランティアがその道を整備して初めて広く知られるようになった。古道わきには棚田跡がいくつも続き、またその棚田で耕作していた農民の民家後も残っている。沢の左岸に林家、右岸に游家が生活していた。いつ山から下り移住したのかはわからないが、柑腳が炭鉱の街としてにぎわっていたころは、まだここで農業を営んでいたものと思われる。沢にそった道わきに棚田もかなりの数があり、林家などの大きな住居を構えるだけの財力を支えていたのだろう。

沢沿いに進む下坑古道

コース概要:

雙溪駅から781番バス15分ほどの乗車で終点長源バス停に着く。バスを降り山門をくぐると広場に立派な威惠廟が構える。わきにトイレや水道があるので、必要ならば出発前に立ちよるとよい。柑腳城山登山口まで北42線車道を歩く。すぐ右に淡蘭古道の道標をみる。少し登り気味に民家を過ぎて進み、10分ほどで左に登山口(北42線29K付近)を見る。登山口は、マーカーや藍天隊の小さな道しるべがコンクリ壁に取り付けられている。

雙溪駅前のバス乗り場

781番バスから下車、山門の向こうが威惠廟
威惠廟本殿、本殿右わきの道が北42線道路
感腳城山登山口

登山口を入るとすぐに廃棄用水路から沢の谷間に入っていく。沢を越すが良い天気が続くときは涸沢だ。右岸を登っていく。登るにつれ谷が迫り、勾配がきつくなる。涸沢を渡って左岸にわたり、間もなく急斜面に取り付く。急斜面を登りきると稜線上に上がる。右に緩やかな坂を登り、柑腳城山山頂に着く。長細い山頂の突端は樹木の間から、柑腳の街並みが見下ろせる。

右岸にわたる
左岸をさらに登る
急斜面を登る
稜線が見えてきた、急坂は残り僅か
稜線分岐
柑腳城山(下坑山)山頂
山頂から分岐へ戻り、稜線道を進む。柑腳山までの間に、いくつかの小ピークが次々と出てくる。それも前後落差数十メートルの急斜面が多く、心構えが必要だ。しばらくすると左に崩山坑古道へ、また右は北42線へと下る道が分岐する十字路鞍部に着く。道しるべには下坑峠としてある。峠という言葉や漢字は本来中国にはない。日本の山を知っているボランティアが名付けたのだろう。

雑木林の尾根道
下坑"峠"
藍天隊の道標

尾根を登っていくと、また右に下坑側に下る道が分岐する。さらに急坂を登り切り、左側が開けて外柑腳山から続く枝尾根が、崩山坑の谷を挟んで見える。最後部を過ぎると、大きく下り、鞍部からまた急坂を登る。高度差は数十メートルある。ロープがつけられた長い急坂を登りきると、最高点570峰だ。東側が開け、眼前に谷を挟んだ対岸に569峰の三角ピークが大きい。山頂から左に崩山坑古道へ下る道があるが、柑腳山へは右の道だ。また大きく下り、登り返していく。左に崩山坑古道へ下る道を分け、さらに登ると柑腳山山腰古道から登ってくる道を合わせる。ここで方向を右にとり、尾根道を少し追っていくと柑腳山山頂だ。

二つ目の分岐
急坂の尾根道

右に外柑腳山からの枝尾根が見える


570峰への急坂
570峰下の最後の登り坂
570峰山頂
570峰山頂からのパノラマ
570峰からまた急な下り坂

また登り返す

左は崩山坑古道へ下る
左は山腰古道から上がってくる道、右に進む

柑腳山山頂から少しくだり、右に下坑古道へ下る道を分ける。その先左から柑腳山山腰古道と合わさり、山腹をほぼ平らにトラバースしていく。保成坑からの道が左から合わさり、道は間もなく山腹から、幅広い緩やかな尾根上を進む。少しの上り下りを繰り返し、右に屋根がつけられた土地公(黃德公)を見ると北42線の舗装路に出る。

柑腳山山頂
右は下坑古道への道
山腰古道との分岐
ほぼ平らな古道
杉林を抜けていく
メンテ作業で切り取られた倒木
広い尾根上を進む
右に黃德公祠、その向こうに北42線道路

左にとり、舗装路を少し登ると、右に豹子廚保甲路の土道をとる。これは北42線の近道ともなる。登りきるとまた北42線に出る。舗装路を少し行くと、大きな石造りの急須がある。雙溪區と坪林區との境界である。舗装路を少し下りめに進む。右に北豹子廚山の登山口がある。ここから登ってもよいが、この先の第二登山口からは直接北豹子廚山山頂へとつながる。北42線から登ること数分で、北豹子廚山山頂だ。

豹子廚保甲路入口
また北42線に出る、左奥に石の大きな急須
北42線わきの北豹子廚山第一登山口
第二登山口
前方に広く草木が刈られた北豹子廚山山頂
山頂からのパノラマ、手前が中坑東山、その奥に午前歩いた山稜

北豹子廚山山頂から右に尾根を追っていくと、先ほどの第一登山口から登ってくる道と鞍部で合流する。左に取り、中坑東山方向へ尾根道を下る。この尾根道は、少しの上り下りや、ちょっと岩が露出したセクションもある。ただ、最近の整備で道は明瞭、ロープも多く取り付けられ、数年前に比べたら格段に良くなっている。下って鞍部に到着する。

メンテ後間もないので、道はまだあらい
露出岩を下る
鞍部分岐

鞍部は左に取れば、中坑古道へと下る。直進し、すぐに右に北42線への道を分ける。ここから中坑東山へ往復する。途中ちょっと下るところがあるが、おおむね緩やかな尾根道を追っていくと、中坑東山山頂だ。往路を戻り、分岐を左にとって北42線へと急降下する。降りたところは北42線26K付近である。この北42線をずっと道なりに威惠廟へ歩くこともできるが、車道で勾配が緩いため距離 も長い(約5.5Km)し、下坑古道には昔の民家跡や棚田跡がのこり、こちらを歩くことを勧める。

この分岐から左に中坑東山山頂を往復

中坑東山山頂
急坂を北42線へ下る

北42線に下りついた

降りてきた地点から北42線は、わずかくだると右にまた急坂入口がある。下りきると大きな林家の廃棄家屋が残る。広い前庭があり、建物は三軒ほどの規模で山中の石造民家としては大きい。それだけの財力があったのだろう。庭から仰ぐ柑腳山が高い。民家から少し下ると、右に道が分岐する。道をそのまま進んで左岸沿いに北42線に出ることができるが、この道をとり棚田跡を進み沢に降りる。対岸の高台には、游家の家屋跡が残る。下坑古道を下る。この道は登っていくと柑腳山へと続く。

下坑古道への降り口
林家古厝遺跡
棚田跡から沢に降りる
沢を渡る
游家古厝への入口

下坑古道は沢の右岸を進む。道脇には多くの棚田跡が現れる。今は草木が茂っているところも多いので、注意しないと気づかないかもしれない。古道を下りきると北42線の26.4K地点に出る。途中右から尾根を下ってくる道の分岐を過ぎる。さらに下ると、左から盤山坑からの車道が合流する。朝に登りはじめた柑腳城山登山口を過ぎる。北42線26.4K地点から都合舗装路を約3㎞ほど歩くことで威惠廟に着く。

沢沿いの下坑古道を下る
沢脇の棚田跡

別の棚田跡
北42線へ出た

左は盤山坑からの道
右に威惠廟、ハイキング終了

アクセス:

台北からは、台湾鉄道(台鐵)の第272自強号急行(台北駅7:24発)で雙溪へ向かい、駅前広場バス停から約20分ほどの乗り継ぎで781番バス(8:45発)で長源威惠廟へ向かうとよい。帰りは、同じく781番バス(長源15:25発)あるいはF812新巴士(17:11発 新北市運営の無料バス)で雙溪駅へ戻り、鉄道で戻れる。F812とほぼ前後して780番バス(盤山坑16:50発)が長源を過ぎるが、いずれにしてもこの二便を逃すと、あとはないので乗り逃がさないように時間配分に注意。交通機関所要時間は、台北~雙溪は急行で約1時間10分、普通(區間車)で約1時間半、バスは約15分。

装備:
一般の日帰り登山装備で十分である。ただ、交通時間や休みも含めると一日行程なので、季節や天候を考慮し水や行動食などもそれに合わせて持ってくことを勧める。2025年秋時点では、道の状態はすこぶるよい。ただし、1年たつとだいぶ草木がのびるので、その点は注意が必要。さらに2年以降で二回夏を過ぎると、道が草でおおわれているところも出てくると思う。そのような場合は、鎌を持っていくとよい。




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