このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2025-12-31

2025年12月23日 雙溪平林山~平湖步道東線~紙坑古道+雙溪老街 半日の山歩きと旧街散歩

雙溪老街にある渡船頭(旧船渡場)の石碑

雙溪という名前は、台湾によく見かける地名である。二つの川の出会いの意味である。日本語で云えばさしずめ二俣といったところか。新北市の雙溪は区名であるとともに、この二つの川,牡丹溪と平林溪が合流した場所に発展した街をさす。後者の街は、過去には台北と宜蘭とを結ぶ淡蘭古道の宿場町であり、また物資集散の商業の街であった。今も後者の性格はあるものの、地方によくある高齢者が多い街になっている。二つの川が合流した後雙溪川として貢寮の谷を流れ福隆近くで海にそそぐ。その昔はこの川を利用した水上輸送が行われていた。

東側から登り、西側に下る
雙溪の街は、今まで山登りで何度も通過していた。雙溪駅からバスやタクシーなどで何度も山に向かい、また下山した後雙溪駅にもどり鉄道で帰った。つまりは、雙溪は通過点でしかなかった。今回は、山登りは半日で終え、その後街に戻り食事や、河川合流点に近いいわゆる”老街”へ散歩した。清朝末期時代から発展した街は、百数十年の歴史があり古い町並みが残る。鉄道が開通すると、町は駅方向に向かって発展したようだ。そうした歴史などを体験するのも、山登りの延長として楽しいものである。筆者はこれを山旅と称している。

平林山山頂にて(参加メンバーKさん撮影)

山登りは、最近ボランティアによって道の整備が行われた平林山から稜線を行く道を平湖步道に上がり、その後以前に登った紙坑古道を下った。登りと下りに歩いた道は、並行しており、出発点と終点のバス停は、一つだけの距離である。半日ではあるが、登りの最上部には、かなりの急坂で滑りやすく緊張しながらのぼり、下りは廃棄された炭坑口前を通るなど、それなりの特徴があった。

-----------------------------------

彎穹バス停で下車

できるだけ山登りは早く終了させたいので、台北を6時25分発快速区間電車で出発した。約1時間ほどで雙溪駅に到着し、駅前広場のバス停で待つ。今日は、人数が多く筆者を含めて都合17名である。7時45分に我々でほぼ満員になった781番バスは定刻通りに発車、8時に彎芎バス停に到着した。空は雲が覆うが、幸い雨は降っていない。

民家脇の道をとる
頭を切られた檳榔樹の林
送電鉄塔の下を行く、向こうに外柑腳山

バス停わきの道に入り、民家をすぎて山道が始まる。檳榔園の急坂を登る。檳榔樹は、頭の部分を切り取られたものが多く、柱が突っ立っているような景観である。上り詰めたところから、森の中を登る。分岐を通り、送電鉄塔の下を登る。8時32分、分岐のすぐわきに平林山山頂(標高210m)を見る。

平林山山頂
草木が刈られて間もない道

平林は、この地帯の地名だ。この平林を冠した山が周辺に多い。例えば上内平林山、内平林山、東内平林山などなど。冠詞がない、当座は本家というべきだろうが、他の山より平凡だ。高くもなく、景色もない。草や灌木が切り取られて間もない道を登り、8時44分、主稜線から下ってきて東内平林山へと続く枝尾根に上がる。尾根上には小さなコブがあり、真新しいロープのつけられた急坂もある。右に樹木の間から主稜線上の大平林山などが望める。9時33分、露岩の上を歩いて、急坂の下部に着く。


新しロープの取り付けられた坂
サルの腰掛
湾曲した板根
コブをこえて下る、前方に主稜線が見える

ガジュマルの根に包まれた岩
林投が刈り取られた稜線
コケ岩の上を通過
岩を回り込む

主稜線前は、急坂である。すぐに岩の脇を回り込み、林投がきれいに刈り取られた坂をよじ登る。ロープはなく、また数日の雨で濡れた土はとても滑りやすい。林投につかまったり、一歩一歩慎重に登る。厄介な倒木を越すと、最後のロープが続く坂を登りススキの間の平らな地点に着く。全員が上がってくるのを待ち、少し下って10時3分、平湖步道へと出る。ほっとする。ここが今日の最高点である。

登り途中での景色
林投わきの滑りやすい急坂

急坂を登り切りススキの平坦地へ

平湖步道にでてメンバーはほっとした
@紙坑古道入口

左へと石畳の歩道を歩く。この道は地方政府がかなりの予算を投じてできたものだが、あまり利用されていないようだ。10分ほどの距離で、10時20分紙坑古道の入口が左に現れる。古道はちょっと尾根の最後部まで上がり、そこから急坂で下っていく。この道も最近のボランティア整備の対象で、新しいロープが取り付けられている。足元は滑りやすいので助かる。下ること20数分、竹が多く現れまもなく石積みの民家跡に降りる。ここには石臼が残っている。民家跡はそこそこ大きい。

下りも勾配がきつい
ロープが多くて助かる
民家跡、壁際に石臼
棚田跡を下る

民家跡から下ると間もなく、左下の沢に水が流れ、棚田跡が次々と現れる。この棚田がここに民家を構えて暮らしていけたベースである。棚田は下るにつれて、大きくなっていく。11時9分、左に沢を挟んで德山煤礦の廃棄坑道口が見える。石積みのポータルはまだしっかりしている。2021年に訪れた時は、左岸の坑道へと続く道を登ってきた。今回は、右岸の道をとり進む。棚田跡とおもわれる平らな広い場所を進み、少し登ってまた下る。11時24分、紙坑(山)の基石と表示を見る。ここは平らな場所で山頂ではない。

棚田は次第に大きくなる
沢の対岸に廃坑道
棚田跡を進む
涸沢を下る

紙坑(山)


沢を渡る

更に下って沢を越す。長雨で水量は少し多い。登り返して炭坑跡からの道と合流する。ここはまた、平林山へと山腹を行く道の分岐でもある。炭坑からの道は、操業当時はトロッコ道であった。錆びてボロボロになったレールが転がっている。廃棄されて久しいトロッコ道は、崩れて狭くなっている場所もある。11時52分、左に道を分けるとコンクリ舗装が始まり、下っていく。11時57分、平水に着いた。数分待つと、781番バスがやって来た。

トロッコ道に上がる、手前に錆びたレール
トロッコ道を進む
舗装路を下る
781番バスがきた
雙溪中華街の大眾餐館

12時20分、雙溪駅に到着する。数名がそのまま汽車で帰り、残りのメンバーで近くのレストランで食事をする。雙溪で食事をするのは初めてのことだ。この大眾餐館は休日になると、行列ができるそうだ。1時間ほどの食事を終え、数名で中華街から老街へと向かう。曲がり角にある鍛冶屋は、主人が老齢でもう営業をやめたそうだ。10数年前に訪れた時は、まだこのような昔ながらの鍛冶屋があるのかと、驚いたものだ。

街角の鍛冶屋
老街の薬局

二つの川が合わさる船着場跡近くの老街の規模は大きくない。その昔は周家がこの地の名士でその家屋は非常に立派なものだ。その一つの薬局建物は、今は別の林家が経営しているが、当時繁栄の面影を残している。今はもちろん船の往来はなく、船着場の広場に石碑がある。壁が残る廃屋が石碑の脇にたつ。冬の陽光のもと、川脇の広場でゆっくりと時間が流れる。時々、列車が川をまたぐ橋を通り過ぎる。14時40分、老街から駅へと戻る。都合よく14時58分発の自強号で台北へ帰った。

老闆は昔ながらの秤で量る
二つの川合流点、ここが昔の船渡場、向こうに鉄道橋
船渡場の広場
広場脇の建物
-------------------------------

山歩きは5㎞ほどで、所要時間も4時間ほどである。総上昇も410mほど、楽な山行であった。ただ、それにアクセントをつけるような急坂もあり、それなりに面白い。今回は、老街などを訪ねたりした。単に山歩きだけでなく、それに伴う土地に少し多く時間を費やして散歩するのも、よいものだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿