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2013-08-31

2013年8月31日 陽明山系大屯溪古道 - 小觀音山西峰 再び道案内で訪れる

水かさの増えた大屯溪を渡る(下流から数えて七番目の渡渉)
台湾は二、三日前康芮颱風が通り過ぎた後も、大雨が降り続き台湾各地で水害が発生している。そのつかの間の中休みに、6月末に訪れた大屯溪古道を再び歩いた。今回は、先月の三貂嶺瀑布に続いて、同じ登山クラブの道案内である。出発の時に、少しパラツイていた雨は、午後になると本降りになり、稜線に出ると止まずに降った。二度目の小観音山だが、残念なことに前回に増してガスと雨で景色は望めなかった。汗と雨でずぶ濡れになった山登りであった。

北側の北新荘から出発、大屯山鞍部で終了
今回は登りが中心のルート
歩いたコースは、前回と同様に北新荘からスタートし、三板橋から大屯溪沿いに登り古道を経て、1056峰そして小觀音山西峰を通過し、大屯山鞍部に下った。6月はそこから更に陽明山まで歩いて下ったが、今回は108番バスで陽明山バスターミナルへ降りた。全員31名からのメンバーの中には、最後の登りで足をつった人もいた。多人数パーティでは、このぐらいの距離が良いようだ。

産業道路を三板橋へ歩く
家を6時20分に出発、MRTで淡水駅に7時半に到着する。7時40分の875番バスで向かう。今日は、我々以外ににも別の登山クラブが乗っているので、バスはすし詰めだ。8時過ぎに終點北新荘に到着するが、参加予定の数名が7時40分発のバスに間に合わなかったため、その後8時5分発のバスでやってくるのを待つ。天気は、すでにどんより曇り空、雨が降り出しそうだ。8時半、全員揃ったところで、簡単なルートの説明をした後出発する。すぐ右にある、三板橋古道のアーチをくぐり、産業道路を登り始める。ここは、先月に菜公坑古道へ登るときに歩いた道だ。雨が、果たしてパラツキ始めた。前方にかろうじて小観音山が望める。しかし、ガスがかかり始めている。

三十人のパーティーは壮観だ
ガスがかかった大屯溪の谷すじ
北新荘から歩くこと約25分、三板橋にやって来た。前回の3人山行に比べると、大勢のパーティは壮観だ。橋のたもとの記念碑で集合写真を写す。各々三板橋を渡り、対岸のトイレがある広場で少し休憩する。ここからは、急な登りが始まる。産業道路を登っていく。右に分かれる道が、大屯溪古道へ続く道だ。標識リボンや標識がある。産業道路は、右側が開けるが対岸の菜公坑山などは、霧の中だ。9時半、舗装路の終點に着く。バス停から約1時間の歩きだ。これから沢沿いの道が始まる、今日はそれまでの雨で沢の水かさが大分増えているので、メンバー全員に注意をうながす。

渡渉部分は、補助ロープがあるので助かる
土の山道をゆくと、最初の渡渉部分に来る。果たして、飛び石も水の中だ。今回はかなりのメンバーは、長靴で来ており、こうした場所には強い。台北近郊の登山は、登山靴以外に長靴で歩く登山者が多い。それは、こうした沢の渡渉もあるが、ぬかった道でズボンの裾がドロドロになるのに対応するためでもある。自分は、登山靴派なので、水の中の飛び石をぎりぎりのところで越えていく。山道を十数分歩いてくると、右に菜公坑古道へ続く道が分岐する。二番目の沢越えをし、進んで行く。開けた場所で、休憩を取る。10時8分、沢沿いに約40分弱歩いてきた。31名もいると、沢を越えるのも時間がかかる。

水量の多い沢沿いに進む
水かさの多い大屯溪沿いに登っていく。6番目の渡渉部分では、上の方から大きな荷物を担いだおばさんが降りてきた。タケノコを収穫して下ってくるところだ。我々のような、好きでやっている登山と違い、生活のための登山だ。続いて、おじさんも降りてきて、沢を渡っていく。その後、我々も沢を渡り、更に滝が見える場所をもう一度渡渉する。これが最後の沢越えである。道は、沢から離れて、かなり上部を行く。ここから谷底に滝が見えるが、前回に比べると水量が格段に多く、見応えがある。見上げると、山は霧が晴れて、ピークが見える。おそらく小觀音山1056峰だろう。山腹は中間以上は笹がびっしり生えている。その少し先で、沢沿い歩きの最終部分に着く。11時6分、ちょうどまた上からタケノコを担いだ別のおじさんが降りてきた。これから先は、沢を離れ広い場所もないので、ここで食事とする。

沢の途中の滑滝
水量の多い滝は、見応えがある
霧が一瞬晴れて、対岸の山腹が見えた
沢の終わりで食事休憩をとる
熊笹の急坂へむけて山腹を進む
少人数の行動と違い、このグループはその場で麺類などを温め、皆なで食べる。雨がまた少しパラツキ始めた。約1時間ほど、ゆっくりと食事をして休んだ後、今回の難所である、熊笹の中の急坂へ向けて歩き始める。辺りは、霧もでてきた。登って行くと、第三号防迷標識柱のところで、左に主峰へ続く道が分岐する。我々は右の道をとり、山腹を横切って行く。前回は、水もなかった小沢も水が流れている。

第四防迷標識柱を過ぎ、少し行ったところで、左に折れる道を取って登るが、どうも様子がおかしい。確認するとどうやら間違えたようだ。そこで折り返す。下ったところで、後部のメンバーとハンドトーキーで連絡するが、かれらはその部分では曲がらず、正しい道を進んだようだ。そこで、筆者は道を急ぎ追いついて、また先を進む。道は、キツイが前回ほどの苦労は感じなかった。笹が低くなり、頂上が近くなってくる。13時半、1056峰に着いた。食事休憩場所から約1時間半ほど要した。雨も本降りになり、全く景色は見えない。

登りもあとわずか、笹の背が低くなる
ここは、それほど大勢が休める場所でもない。また雷が遠くで響き始めた。あまりよい状態ではない。最後部はまだやってこないが、先に尾根を進むことにする。雨具を着けることはつけるが、汗や竹やぶの水でに全身すでにずぶ濡れだ。ここから先も、笹のトンネルを進む。途中で二つピークを越え、西峰に到着する。後部では、1056峰への急坂で二人足をつったとのこと。そこで、全員が揃うまで、尾根上の平らな場所で待つことにする。待つといっても、竹やぶの中で後部は見えない。ひとりずつ点呼し、人数を確認する。全員揃ったところで、また下り始める。やっとのこと、竹やぶから抜けて杉林を下り、産業道路の飛び出る。雨は降り続き、ずぶ濡れだが降りてきたメンバーは、ほっとして笑顔が溢れる。皆揃ったところで、産業道路を下り始める。15時ごろ、百拉卡公路の鞍部に着いた。しばらくしてやって来た108番バスに乗り、陽明山バスターミナルから紅5番バスにて、MRT劍潭駅へ帰った。

1056峰にある防迷標識柱
今回は、体力的に差のあるメンバー31名の登山であった。急坂でメンバーの足つり、笹ヤブというパーティ後方の確認ができない登り、降り続く雨と悪い条件での山登りであった。全員問題なく下山できたのでホッとしたが、こうした場合どういう道案内がよいのか、それを経験することができた。重要なのは、頻繁に後方メンバーがついて来ているかどうかの確認など、状況把握が大切だ。歩行距離は8.3km、所要時間は休憩を含め6時間40分、登攀累計866mである。

2013-08-29

2013年8月25日 基隆小百岳槓子寮山と大武崙山 砲台の山を歩く

槓子寮砲台の砲座遺跡から海と基隆嶼を望む
日本は昨今の登山ブームの中で、深田久弥の百名山が登山対象として有名であり、これを全部登ることを目標としている登山者も多いと聞く。台湾は、3000m級の高山を対象とした百岳がある。その一方で、日本の百名山の精神に近い選択方法で選ばれた、小百岳がある。その土地を代表する山岳で、人文歴史的に意義のある山という選考基準で台湾全土から選ばれている。百岳が高きをもって尊しとするのに対し、小百岳は性格を異にし、標高2000数百メートルの山がある一方、わずか100数十メートルの山でも歴史的な意義を持ち、景観など優れた特徴を有するものが、そのリスト中ににある。台北の北部に位置する基隆市は、その行政区画内の最高峰は729mの姜子寮山で小百岳に選ばれているが、もっと低い三座も小百岳に選ばれている。一つは、六月に訪れた紅淡山であり、残り二つは今回登った、槓子寮山(標高163m)と大武崙山(標高231m)である。

基隆にある小百岳三座
槓子寮山ルート図
槓子寮山歩行高度図
この二つの山は、ともに日本との関係が深い山でもある。ともに、基隆港を睨んだ場所として清朝時代に大砲が据えられ、その後日本統治時代に規模や装備が拡張された。大砲はすでに無いが、砲座や兵舎、弾薬庫などの遺跡が残る。この二つの山は、ひとつは基隆市の東側、もうひとつは西側と離れているが、ともに標高が低くアクセスも楽なので、一日でともにカバーした。基隆市には小百岳が四座あるが、今回ですべてカバーしたことになる。海のそばのこの山は、海が綺麗に見えるハイキングコースとして最適である。

海洋大学の校門付近から槓子寮山を望む(右のピーク)
今日の同行者は、いままで何回か一緒に歩いた、Wさん夫婦とLさんそれにFさんの四名だ。もともとは、気楽なハイキングとその後の海岸歩きとして大武崙山だけを考えていたが、参加する面々を考えると、それでは物足らないものになりそうだ。そこで、急遽槓子寮山も同日に登ることにした。朝、南港駅を8時41分発の区間電車で基隆へ向かう。車上で参加者全員5名が集合し、日程を確認する。午前中は、まず槓子寮山へ登ることに決めた。


龍崗步道は良い道


9時15分頃、基隆駅前の基隆市バスターミナルから101番バスで、国立海洋大学バス停へ向かう。103番、104番バスも海洋大学を通過するので、アクセスは便利だ。基隆の街中を過ぎ、20分ほどで中正路と祥豐路の交差点にある海洋大学バス停に着く。校門をくぐり進む。正面には、これから登る槓子寮山が控えている。キャンパス内を山の方向に登っていく。道脇には登山案内板もある。数分で、男子宿舎わきの龍崗自然登山步道の入口にくる。入口の案内には北と南のコースが紹介されている。我々は南側の沢沿い道をすすむ。コンクリの道は状態がよい。自然に親しめるように、樹木や生物の説明板も道端に設けられている。蛍も観察できるそうだ。

砲台倉庫区の遺跡と説明石


今日は快晴だが、樹木の中の道で助かる。数分沢沿いに進んだあと、坂が急になって山腹を登り、枝尾根に取り付く。高圧送電線鉄塔の下をくぐる。ここまでくると、遠くの風景が望める。基隆嶼の小島が沖に浮かんでいる。分岐を右に取り、階段を登るとあずま屋のある鞍部にでた。正面には、瑞芳三爪子坑山から五分山への稜線がくっきり見える。10時15分、登山道入口からわずか20分である。産業道路に降りて、槓子寮山の砲台遺跡がある左側へ進む。産業道路を少し登ると、左へ砲台遺跡への道が分かれる。はじめに現れるのは、兵舎区だ。屋根はすでに無いが、建物の壁が残っている。

槓子寮砲台は、日露戦争に備えるため1900年から1908年にかけて、清朝時代の砲台を拡張したものということだ。28センチ榴弾砲など、当時の最新兵器が据えられていた。兵舎からさらに道をゆくと、倉庫区に来る。一番山に近い奥の建物は、弾薬庫だろうか。そのすぐわきに洞穴がある。Lさんは、これは海側に通じるトンネルの入口ということで、入ってみる。中は真っ暗だが、数メートル歩くと海側の断崖にある場所にでた。海がとても青い。

断崖の上に砲台がある。港は八斗子漁港、遠くに基隆山とその右に半平山が望める
はじめの砲座遺跡
トンネルを戻る。倉庫建物のわきに石段が登っていく。これを登り続く土の道を行く。海岸が下に開け、その先に砲台がある。大砲などはすでに無いが、台座のコンクリート穴が残っている。直径は三、四メートルはあるだろう。下方には八斗子漁港、その先は大海原が広がる。確かに砲台としては最適な場所だ。台座の壁には直径30センチぐらいの穴が下に向けてあいている。砲台の階段を下ると右側に石壁の部屋がある。先ほどの穴はここに通じている。連絡のための穴か、それとも弾薬などを渡すためのものだろうか。

砲台への階段




砲台下の道をさらに進む。二番目の砲台が現れる。この砲台も、先のものと同じような作りだが、直下の石室部分は大きい。この場所からは、基隆山から半平山、燦光寮山大、小粗坑山など、さらに三爪子坑山から五分山への稜線がくっきり見える。基隆山わきの九份の街も判別できる。標高がわずか百数十メートルに過ぎない山だが、小百岳に選ばれる理由がうなずける。砲台から山の中腹を行く道に下り、さらに鞍部に向けて戻る。鞍部のあずま屋で一休みする。時刻は11時18分、ゆっくりと景観と砲台遺跡をみることができた。

二番目の砲台から見るパノラマ(マウスクリックで拡大)
基隆山から五分山での稜線が望める
鞍部あずま屋から望む基隆方向
槓子寮山の三角点基石がある頂上は、この鞍部から産業道路を反対方向に進み、そこから山道を少し上がったところにある。しかし次の行程があるので、龍崗自然登山步道をそのまま下る。約20分で下りきり、大学校門へ戻ってきた。ちょうど昼時なので、中正路上のレストランで食事をとる。ここは学生街なので、値段はとても手頃だ。食事後、バスでまず基隆駅のバスターミナルに戻る。思ったよりも、スムースに戻ってきたので、1時半にはターミナルに着いた。次の目的地、大武崙山の中腹にある情人湖行きバスは14時10分発なので、まだしばらく余裕がある。近くで時間を潰した後、509番バスに乗る。約25分の乗車で情人湖バス停に着いた。

基隆港
大武崙山ルート図
大武崙山歩行高度図
少し場違い的な蒸機の展示
バス停は標高約120mぐらい、大武崙山の約半分の高さだ。バス停のすぐ上に、蒸気機関車が展示してある。鉄道もない山の上の展示は、少し場所違いの感じもあるが。日本のC57と同型である。屋外なので保存状態は、残念ながらもうひとつだ。休日なので、遊楽客がとても多い。石段を登る。アイスクリームの露天商などもあり、ここはさながら観光地である。少し登ると、右に大武崙山への道が分岐するが、情人湖へは直進だ。10分ほどで情人湖のほとりに着く。湖をめぐる道が岸を行く。湖の向こうには、山が控えている。大武崙山だ。多くの行楽客に混じり、道を進む。左から細い山道が合流する。これは基金公路から登ってくる道だ。もし、バスで情人湖まで来るのでなければ、この道を登るのが普通だ。

情人湖とその奥には大武崙山
老鷹岩(左の大岩)から澳底漁港と海水浴海岸を望む
更に湖沿いの道を進む。約半周ほどした辺りで、左に登っていく道が分岐する。これを取り進む。高度が上がり、周囲が望める。湖の入口から約20分ほどで、展望台がある。海が望める。沖には基隆嶼が浮かんでいる。尾根上の道をさらに進む。老鷹岩という、顕著な大岩が突き出ている。ここは、先の展望台よりずっと海に近いので、足下の海岸がよく見える。澳底漁港わきの海岸では大勢の海水浴客が遊んでいる。海は緑に透き通り、台湾の海も捨てたものでないと思う。急峻な山腹を山道が海岸へ下っていくのが見える。

展望台から山方向を望む、左が大武崙山、右の奥に情人湖の湖面が望める
老鷹岩からは、山腹をくだる。その先には、おとぎの国の塔のような展望台がある。情人湖の畔から見えていた塔だ。登ると広い範囲が望める。山側は、大武崙山を登る遊楽客が見える。遠くは、姜子寮山や四分尾山の山脈がかすかに見える。塔から大武崙山への登山口へ向かう。途中、左に道が分岐する。海岸へ下っていく道だ。その先に登山口がある。登山道は、レンガでできた急な階段が続く。上まで標高差数十メートルだ。途中の踊り場展望台を過ぎ、登り切ると砲台を周回する道に出る。どちらの方向へ行ってもここへ戻るが、右をとって進む。少し先に、砲台の遺跡が現れ始める。

大武崙山の登山道途中から見る、向こうに黄色頭の展望台がある
大武崙砲台の倉庫跡
大武崙砲台も、槓子寮砲台と同様に清朝時代に築かれた砲台を、日本統治時代に日露戦争に備え、1900年から1902年にかけて拡張したものである。周囲をぐるっと1メートルぐらいの防弾壁が続き、中には砲台と兵舎、倉庫などが築かれている。大武崙山は、海からすぐ230mほど上がるので、要塞としては好条件だ。ここの遺跡も、屋根が無く壁だけが残るが、山を繰り抜いて部屋にしている構造の倉庫が多い。遺跡を見た後、大武崙山の三角点基石へ向かう。はじめ、周回する道を行くがそれらしいものがない。地図を確認すると、三角点は砲台の外だ。入口から出て少し行くと、左に標識リボンが架かっている山道がある。これを登って行くと、まもなく開けた頂上に着いた。時刻は16時11分だ。狭い頂上の中央には基石が埋められている。ここからの景色もなかなかだ。海が向こうに広がっている。

大武崙山山頂からのパノラマ
海興歩道を下る
頂上から砲台に戻り、登ってきた登山道を下る。塔へ向かう道の途中で、右に分岐を折れる。海岸へは二本の山道がある。左は、先ほどの老鷹岩から見えていた道だ。ここは右の海興步道をとり進む。50m毎に里程の表示がある。土の道だが階段などよく整備されている。森の中を下る。突如樹木がなくなると、開けて海岸が直ぐそばにある。土地公の祠がある。道脇の大石には白いペンキで千年古道と記してある。現在の自動車道が整備される前は、漁民が行商にこの道を歩いていたそうだ。分岐から約20分足らずの下りで、海岸の濱海大道に降り立った。16時50分、ちょうど305番バスがやって来た。305番は冬季を除く休日の午後にのみ運行されるバスだ。20分の乗車で基隆の街に戻り、廟街で食事をした後、帰途に着いた。

305番バス停、道わきには多くの飲食店が並ぶ
今回は、同日に二ヶ所を訪れる行程であった。但し、それぞれが2,3時間で歩き終わるような楽なコースで、気楽な山行きである。それぞれ約4kmで、合計約8kmの道のりだ。歩行時間も、それぞれ2時間30分ぐらいで、合わせて約5時間というところだ。難易度は、山道はクラス1~2、体力要求度も2といったところ、それぞれ個別に行けばクラス1かもしれない。景色もよくまた気楽に行ける、お薦めの場所だ。大武崙海岸では、水遊びもできる。

2013-08-18

2013年8月17日 三峽逐鹿山 熊空から単一山頂往復

ブナ林の中の逐鹿山山頂
新北市三峽區熊空の奥は、雪山山系の北端北插天山系の山稜が、烏來とを分けている。山稜上には、標高1727mの北插天山を盟主に、北方向へ紅河谷古道の峠へと段々と下がって行く。その内のピークの一つが逐鹿山(標高1414m)である。この標高レベルの山々は、中級山という位置づけで、もっと台北に近い郊山とは、性格を異にする。登山口熊空から一番近く、この山域をこれから歩いていく予定の、そのさきがけとして登った。今月初め大保克山から下って、内洞森林公園の山道から見かけた大きな山容の山が逐鹿山でもある。もちろん烏來側からも登れるが、交通の便から一般的には熊空からが多く、山道もあまり歩かれていないようだ。

西の熊空から逐鹿山を往復
単一山頂の往復
逐鹿とは、鹿を追う意味だが、聞くところではこの地の原住民泰雅族のハンターが、鹿を追いかけこの山頂へやってきて、更に追いかける前、後続のハンターへの道標として帽子をおいて行ったことが、山名の由来だという。狩猟を生活の糧としていた原住民が、鹿を追いかけるということは、日常行われていたことで、遠くはなれた中国海南島三亞でも、同じように原住民が鹿を追いかける逸話がある。こちらは、もっと内容がロマンチックだが。泰雅族も、逐鹿山だけで鹿を追いかけていたわけでは、無いだろうが。

熊空と烏來の山々
熊空は、三峡からバスで50分ぐらいの距離にある。807番バスが1日数便往復している。休日は三峡早朝6時の始発便の後は、8:30となる。台北からだと、始発は間に合わず、次便で熊空到着は9時半前ぐらいになる。一方、熊空発の帰りのバスは、最終便が18時のため、行動時間はバス利用ではどう頑張っても、8時間である。この山域は山が深く、まだ経験がないたため今回は様子をさぐるため、逐鹿山だけを往復することにした。もともと下山時には途中から逐鹿山西峰を経由し、雲森瀑布へ降りるつもりであった。下山始めてまもなく大雨が降り出し、こちらの道は途中沢の渡渉部分があるため、沢の増水があるかどうか未知の状態で行くよりも安全な、同じ尾根道を下った。

有木157之1号民家わきの登山道入口
今回の登山は、Zさんと奥さんの都合三人パーティだ。三峡バスターミナルで落ち合う。8時半少し前、807バスに乗る。前回はここですでに満員になったが、今日は空いている。午後は雷雨になるという天気予報なので、行楽客が少ないのか。それでも三峡の街中で乗り込んできた乗客で、満員となり一路熊空へ向かう。8時18分、途中の混雑もなく、熊空バス停に到着する。

雲森瀑布への分岐(右の道)
支度をすませ、早速出発。熊空産業道路を少し登り、有木157之1番地民間わきの細い道から山に入る。この道は、熊空果園産業道路へ続く近道である。登って行くと、左に谷を挟んで火焼寮山や加九嶺が望める。10分ほどで、舗装の産業道路へ出る。上から降りてきた、野菜を収穫して天秤棒に担いだ農夫とすれ違う。数分で右に雲森瀑布への道を分岐する。更に10分ほど産業道路を登る。右に谷を挟んで組合山が見える。組合山の尾根を追っていくと、遠くに樂佩山と卡保山、そしてその左には目標の逐鹿山がそびえている。まだまだ、高くそして遠い。

第一登山口近くの産業道路から見る主稜線、左から逐鹿山、卡保山、樂佩山
産業道路がヘアピンカーブで大きく曲がるところに、山道が入っていく。これが第一登山口だ。熊空バス停から約30分ほどの距離だ。産業道路をそのまま行くと、第二登山口に着く。山道を進む。踏跡は、しっかりしているが倒木などが現れる。急な坂を登りつめ、10時10分、広い道に着く。ここは左から第二登山口からの道が合流する場所だ。谷側に降りていく道もあるが、登山道は真ん中を登っていく道だ。登山道は、雨水の通りみちとなってしまっており、真ん中が深く掘られたり、石が露出して歩きにくい。そのうち、山腹を横切って行く道になり、状態は良くなる。幅もあり、よい登山道だ。

左が第二登山道からの道、前の道が登山道
紐のようなコウガイビル
二、三箇所分岐を過ぎる。道の真中に黄色の平べったい、長さ20センチぐらいの紐のような昆虫がいる。触ると縮んで三分の一ぐらいになる。頭が三角形だ。今まで、見たことがない虫だ。詳しい人に尋ねたところ、コウガイビルというプラナリアの仲間だそうだ。ヒルというが、分類的にはヒルではなく、血を吸うわけでもない。その先には、倒木にきくらげが生えている。比較的ゆるやかな山腹道が20分ほど続くと、稜線に向けて登り始める。10時42分、道は尾根に取り付く。ここからは、逐鹿山の西尾根を登っていく。

ブナ林のなかの歩きやすい山道





風があまりない。気温がそれほど高くないのが幸いだ。ただ、すでに全身汗のことには、変わりがない。少し開けた場所を過ぎる。稜線が狭くなる。道はずっと登りだが、木の根の部分が少し歩きにくい以外は、よい道である。11時5分、岩が幾つか並んだちょっとした広場に着く。休憩に持って来いだ。ここは、少し風も吹いている。熊空から歩き始めて約1時間40分である。標高約900m、距離としては頂上までの半分を歩いた。登りは、まだ500数十メートル残っている。冷えたコーヒーがうまい。

尾根上の道を進む
杉林の中を歩く
逐鹿山西峰への道
涸沢を進む
相変わらず登りが続く。尾根は幅が広がってくる。日本の山ではよく見かけるが、台湾では比較的少ないブナ林が続く。そのうち、尾根が終わり比較的ゆるやかな山腹道を進むようになる。樹相は杉林になる。赤地に白文字の逐鹿山と記された表示がある。その先さらに登ると、右に西峰から雲森瀑布へ続く道が分岐する。辺りは、またブナの木である。涸沢が現れる。沢ぞこの道を少し進む。頂上へ急な坂がここからはじまる。その前に休憩することにする。時刻は12時、2時間半ほど登ってきた。食事を少しとり、最後の登りに備える。

ブナ林の中を登る
道わきに咲く根節蘭
朝は、森の中に陽が差し込んでいたが、今は森は薄暗く、天気は曇ってきたようだ。一度登って、また細い涸沢に下りる。赤い標識には、水場が沢の下方にあるとのこと。急な坂が続く。紫色の根節蘭が咲いている。ところどころ、補助ロープのある急坂が現れる。赤土が深く掘られた、歩きにくいところもある。上方から人声が聞こえる。そのうち子犬を連れた、二人のパーティが降りてきた。今日であった唯一の登山者たちだ。残り10分ほどで頂上だと言う。

頂上直下の登り、あと僅かだ
12時51分、逐鹿山の頂上直下部分へ着いた。そのまま道を行くと、卡保山だ。左の小高いところが山頂だ。熊空バス停から約3時間半の登りだった。尾根をそのまま進むと、紅河谷古道の鞍部へ続く。その前には、拔刀爾山からの尾根が合流する。いずれは、歩こうと思う。ただ、こちらの道は、今歩いてきた登山道に比べるとあまり歩かれていないようだ。霧がかかってきた。頂上の周囲は樹木で、もともと展望はない。頂上でしばし休憩する。

逐鹿山山頂
下りはじめ
十数分の休憩後、同じ道を下り始める。途中、先ほどすれ違った二人のパーティが立ち止まって雨具をつけている。そのまま、通り過ぎ下っていく。30分ほど下り、比較的ゆるやかな山腹道になったところで、雨が本降りになった。我々も立ち止まり雨具を着ける。遠くでは、雷の音も鳴っている。天気予報どおり、雷雨になってしまった。13時54分、逐鹿山西峰への分岐に戻ってきた。雨足は強く、いつ止むか判らない。西峰への道を下ると、渡渉部分があるようだ。またその先にも別の渡渉部分がある。道の状態と増水の可能性が判断できないので、安全をとって予定を変更し、登ってきた尾根道を下ることにする。道はわかっているので、足もとにさえ注意すれば安全だ。濡れた根などは、滑りやすいので注意が必要だ。

霧の森を下る、雨が少しふりだした
山頂から下り始めて約1時間、朝休憩した大石の広場で一休みし、更に下る。14時50分ごろ、朝登ってきた第一登山口からの道の分岐に着く。ここからは、もう一つの第二登山口からの道をとり進む。こちらは距離が長いが、緩やかで道の状態がよく、歩きやすい。15時少し過ぎ、第二登山口についた。雨も止んだ。ここで雨具を外す。次の807番バスは、15時40分発だ。急げば間に合う。舗装した道を左に下る。第一登山口を過ぎ、足早に下る。対岸には組合山が、上がっていく霧に囲まれている。熊空バス停への近道を進み、15時27分、民家の登山口についた。さらに少しで熊空バス停だ。全身ずぶ濡れで、衣服を着替えていると、807バスが15時38分にやって来た。急いで荷物をまとめて乗車する。バスは定刻15時40分に発車、滿月圓森林公園を経由して、三峡に向かった。

霧の中の組合山を望む
今回の山行は、片道約5kmの山道を約6時間で往復した。登攀累計は1140m、単一ピークの往復なので、これは熊空と逐鹿山山頂との高度差に近い。道は、上部に急な坂があるものの、状態は良い。この山域の他の山をこれから登っていくのに、だいたいどのように臨めばよいか、感覚がつかめたと思う。今回の難度は、山道はクラス3、体力要求は3+というところだろう。この周辺の山は、植相などは異なるが、高度といい山道の感じといい、日本の奥多摩の山のような雰囲気がある。