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2013-08-12

2013年8月10日 南澳蘇花古道 百年前の産業道路を歩く

蘇花古道0.6km付近の展望台から望む東澳方向の風景
台湾東海岸は、中央山脈末端の急峻な山が、そのまま海に落ち込む断崖が続く。ここにある僅かな平地南澳は、原住民泰雅族の土地である。今は蘇花公道が走り、鉄道も通るが、100年前はそのような交通手段は存在しない。樟脳などの生産物を他の地へ運ぶ、或いは生活必需品を外部から運ぶには、海上を除くと、周囲の山を越えて行くしかない。清朝時代末期、1874年に蘇澳から花蓮までの118kmの北路が、提督羅大春が率いる軍隊によって開通した。北路は僅かな平地以外は、海岸からあまり離れない場所を山を越えて行くものであった。しかし、この地は原住民の土地、清朝の駐屯部隊はしばしば攻撃を受け、道はうち捨てられたこともある。

南の天后宮から往復する
同じ道を往復
日本統治時代になり、原住民の攻撃を抑える隘勇線が出来上がり、有効な管理ができるようになる。それに伴い、北路は安全な道となった。その後、北路とは別に今の国道蘇花公道の前身となる、東海徒歩道が1916年から7年の年月を費やし開通し、更に幅員が広げられて1931年には自動車道、臨海道路が開通した。北路はまた忘れ去られていたが、最近になりその一部が整備された。今回の蘇花古道は、そのうち南澳嶺を越えていく部分である。

午前中は西側の南澳莎韻古道、午後は東の蘇花古道を歩く
天后宮、左の道を進む
同日午前中に、南澳莎韻古道を訪ねたあと、南澳の街で有名な建華冰店でかき氷や食事を取る。そしていよいよ蘇花古道の南登山口天后宮へ向かう。もともとの計画では、蘇花古道の北登山口から南口へ縦走であった。午前中の活動時間が予定より長かったこと、一方気温がとても暑く、車を降りてから北登山口への蘇花公路旧道は樹木がなく、陽射しに照らされての歩きになるため、予定が変更、南登山口から往復するということになった。行程中の最高点南澳嶺は標高702m、海に近い天后宮からではほぼ標高に近い登りとなる。このため、体力的にばらつきのあるパーティメンバーは、予定時間内に行けるところまで行き引き返す、という前提で行動開始だ。

蘇花古道登山口、脳丁の天秤棒と帽子に注意
13時45分、天后宮を出発する。すぐに登山口に着く。説明看板には、この道が樟脳に関わる脳丁が歩く道であり、出入りには脳丁牌(パス)が必要だった脳丁路、つまりは当時の産業道路であったと、説明されている。更には、日本統治時代には、生活物資などの出入りが管理されたため、この道は密輸のために使われ、酒保路とも呼ばれたそうだ。最近ニュースで騒がれている狂犬病のため、この古道にペットを連れて入るな、という警告書も張られている。北登山口までの里程4.087mのキロポストが道わきにある。


丸太の階段、3.6kmキロポスト
丸太を使用した階段が続いていく。竹林を過ぎ15分ほど登ってくると、丸太階段が終わり土の比較的緩い道になる。また坂が急になり、丸太階段が始まる。そのうち階段は石段に換わる。14時9分、旧蘇花公路が現れる。道のわきには、道路警護のためのトーチカがある。今はもちろん使用されていない。山側をトンネルで抜ける新道が開通して、旧蘇花公路は廃棄された。それからすでに二十数年、舗装路は路面が落ち葉に覆われ見えない。細い踏み跡を残し、草に侵食されている。自然にもどるプロセスが進行中だ。トーチカわきには、一等水準点基石が埋められている。標高253m、まだ450mの登りが待っている。しばし休憩する。雑木林の中の登りだが、午後の高気温で全身から汗がふきだしている。

旧蘇花公路、古道は対面の石段道
石段道を登る
保安林界の石柱
旧蘇花公路を横切り、また石段道を登る。すぐに3kmキロポストを見る。今回の道案内Lさんは、台湾百岳(選ばれた3000m以上の高山百座)をすべて登った達人だ。歩くのも速く、付いて行くので精一杯だ。休憩後20分ほど登ったところで、比較的狭い尾根になる。両側は樹木が茂っているが、右側は木々の間に海が見える。それまでほとんど感じかなった風も少し吹いている。登山口から約1.6kmのところに石柱と説明文がある。1919年に魚介類の生息保護を目的に漁業保安林を指定した、その境界の石柱だそうだ。文字は風化で判読が難しくなっているが、保安林界と刻まれている。これも日本統治時代の歴史生き証人だ。その先、台風の大風で根こそぎ吹き倒された大木のわきで休憩する。14時35分、歩き始めて50分だ。

香楠(タブノキ)大樹の脇を行く


ここから尾根道はしばらく緩やかになる。休憩用の木製プラットフォームがある。そのすぐ脇には香楠(タブノキ)の大木と説明看板がある。この樹皮は線香の材料になるそうだ。また、毒消しになる八角蓮の草が沢山地面に生えている。山道はまた急坂になり、石段がジグザグに登っていく。道標が現れる、すでに2.4km歩いてきた。更に登り、道の途中だが15時15分、三回目の休憩を取る。持ってきたアイスコーヒーは、氷がまだ残っている。冷たくてとてもうまい。

道端に多く生えている八角蓮
南澳嶺の頂上休憩台脇を行く
根こそぎ倒れた大木の脇を下る
南澳嶺北峰から下る
展望台
また石段道を登る。十数分の苦しい登りが続いたあと、道はゆるやかになる。15時34分、休憩台が造られている南澳嶺の頂上を通過する。周辺は樹木に囲まれ、樹間から少しは見えるものと、展望はない。我々の目的地は、まだ先だ。稜線上の小ピーク登り下りが始まる。15時45分、南澳嶺北峰に来る。左に蘇花公路の隧道入口まで、送電線保線路を下る分岐がある。ここから、古道は下り始める。樹間に太平洋が見え隠れし始める。5分ほど下り15時51分、展望台に着いた。古道入口は、ここからまだ0.6km先だが今日はここが最終点だ。約2時間と数分の登りであった。

東澳灣と半島の山腹を行く蘇花公路、がけ崩れ部分が望める
円錐形の烏石鼻、その手前に定置網が見える
展望台からの眺めは、それまでの苦労を忘れさせる。東澳から東に伸びる半島、そして手前の軍地施設が載っているピーク、さらに右下には烏石鼻の円錐が海に浮かんでいる。その手前には定置網が仕掛けられているのが見える。海は青く、雲の浮かぶ水平線が遠い。東澳湾の対岸には、蘇花公路が山腹を横切っていく。そこには修復中の山崩した場所が望める。大きく削り取られた崖下の水際には、押し流された大石が重なり合っている。ここに落ちたらひとたまりもないだろう。ここまでやって来たメンバーは、自分含め7名、休憩中にさらに2名到着した。他のメンバーは、今日は残念ながらこの絶景を観賞することはできないようだ。

つづら折りの石段を下る
16時15分、名残惜しいが帰路へ着く。下ってきた道を登り返す。左ももの筋肉が少しつり気味だ。このようなことは、久しくない。先ほどの登りで、かなり消耗していたようだ。数分で南澳嶺北峰に登り返し、16時30分南澳嶺に戻ってきた。休憩台には大勢のパーティメンバーがいる。展望台まで歩いた9名を入れて全員18名、全体の約半分だ。記念写真を写す。下りは速い、17時15分に旧蘇花公路との十字路へ下ってきた。南澳嶺から40分ほどだ。

天后宮へ戻ってきた
日もすっかり暮れた天后宮山門、これから台北へ帰る
旧蘇花公路からも、速足で下る。黄金色の夕日が森林の中を照らしだす。17時35分、古道登山口に戻ってきた。天后宮の後ろにある洗面所で、汗にまみれた体を拭う。頭も洗うが、それでも汗が簡単に収まらない。18時、登山グループが予約していた近くの海鮮レストランへ向かう。40名からの会食は壮観だ。4テーブルにわかれ、それぞれ今日の行動に話が弾む。ビールと海鮮料理を堪能すること1時間、外はすっかり日が暮れた。19時過ぎに帰途につく。時間が遅いので、休日にはよく混雑する雪山隧道もスムーズに通過、21時20分に板橋駅へ到着した。

蘇花古道は、同日午前の散歩として歩ける南澳古道とは異なり、特に南登山口からは一気に700mの高低差を登るそこそこの登山である。夏のこの時期は、気温も高く、辛い登りでもある。北口からは、蘇花公路の峠越えトンネル脇の高度約350mぐらいからスタートするので、登りは少ない。展望台までの往復で6.5kmを4時間20分(休憩込み)で歩いた。登攀累計は769mである。難度は、登山道はレベル2の良い道だ。一方体力的には、時間を掛けて歩けばレベル3だろう。但し、今回のように2時間ぐらいで登ると、そこそこの体力が必要だ。

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