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2014-12-08

2014年12月6日 新竹霞喀羅古道(シャカロ警備道) 日本時代の歴史が残る道

霞喀羅國家步道養老入口標識説明板
日本は台湾を50年間統治した。この間に台湾に様々なものを残している。1900年代に平地での反日行動が下火になったあと、樟脳や森林資源開発の殖民産業を進めるにあたり、山地の原住民(当時は高砂族と総称された)との間に衝突が発生した。台湾各地で衝突が起きた中、北部の泰雅族との抗争は熾烈を極めた。今回訪れた場所に近い李棟山では激しい戦いがあった。この地の泰雅族も激しい抵抗があり、懐柔や鎮圧していく過程でもともと原住民の道を警備道に整備し数カ所の警察駐在所を設けた。最終的には、大砲など圧倒的に有利な武器の力で抵抗を抑抑えこむことになった。それから数十年の年月が流れ、警備道のほぼ中間点に1922年に開設された白石駐在所(日本時代にはサカヤチン駐在所と呼称)は、戦後も現政府のもと十数年警察官が駐在したが住民の移転もあり、閉鎖され歴史に一頁を記した。

霞喀羅古道は新竹県尖石郷の山中にある
養老登山口から白石吊橋を往復
シャカロ警備道は、今は全長22kmの霞喀羅國家步道として政府林務局の管理下にある。東側養老と西側清泉を結ぶ峠越えの山道である。国家歩道であるので当然整備管理があるが、度重なる台風による山崩れで、道は崩壊しもともとの歩道が流失している部分もある。公式には閉鎖になっている。今回は、養老から約10キロ地点の白石吊橋まで歩いたが、途中には規模に差があるが四ヶ所のガケ崩れがあり、これを高巻いたりザレのわきを通り過ぎるようになっている。吊橋は大正十年(1921年)に建てられた全長145m、高さ90mになる大きな吊橋である。当時は鉄線橋とも呼ばれたが、それから約100年未だに歩行に供されている。歩くと揺れ足もと遥か下に沢が流れ、本当に吊橋というものを体験できる。養老から片道10キロの道のりには、都合3箇所の警察駐在所が設けられた。今は建物の存在は確認できないほどになっているが、養老に近い側から、栗園駐在所、馬鞍駐在所、武神駐在所と三ヶ所もある。それだけ、原住民への管理に大変だったということだ。

秀巒檢查所で入山許可を申請
今回は、Taipei Hiker Clubに山行予定を載せたあと多くの参加希望があり、また更に一台のカーシェアの申し出があったので都合11名での行動である。朝6時半にMRT古亭駅に集合、二台の車で向かう。第三高速道路を関西インターチェンジで降り、横山、内湾をすぎ尖石郷の山に入る。これは、李棟山へ行った時と同じだ。新竹県道60号線峠部分にある宇老派出所からは、李棟山とは反対の右に谷をくだる。途中和解広場という、昔異なる部族間での争いが和解したとされ場所を記念した展望台で休み、他の一台を待つ。

歩きやすい道が続く、21kmキロポスト地点
通過は問題がないが手すりが壊れている橋
快晴の空の下では、向こうに李棟山から馬望僧侶山からの山並みや、桃園県復興郷方面の山々が望める。更に山の斜面を下りきり、9時5分谷間の秀巒檢查所に着く。ここから先は乙種入山許可が必要だ。乙種入山許可はその場で申請できる。身分証明書が必要なので、もし申請する場合には忘れずに。我々以外にも多くの人が申請をしている。検査所建物に取り付けられた寒暖計は8度を示している。谷底から対岸の山を登り始める。数分で養老方面の道に入り、約数キロを進む。前方にはマイクロバスや自家用車が登山口に向かって進んでいる。天気のよい休日、登山者が多い。9時40分すぎ、登山口駐車場に着く。約3時間の道のりである。すでに大勢の登山者が出発の準備をしている。標高1300mの山中はとても寒い。手がかじかむ。

山ひだを縫って道は進む
我々も支度をして10時に出発する。全長22キロを往復してくるのは、とても無理なので一応白石駐在所跡を目標に、夕方暗くなりはじめる17時までに戻れるよう、行けるところまで行き引き返す予定で歩き始める。国家歩道となっているぐらいなので、道の状態はすこぶる良い。上り下りも殆どなく進む。松葉の絨毯道を進み、15分ほどではじめの木橋が現れる。少し土砂が崩れ橋はゆがんでいるが、通行は問題がない。10時19分、21キロポストを過ぎる。時速約3kmで快調だ。道は山ひだを縫って進む。10時30分すぎ、日の当たる場所で休憩をとる。30分あるいたので体が温まり、ジャッケを脱ぐ。

崖崩れの場所から谷と対岸の山を望む
馬鞍でのパーティメンバー
状態のよい道を進む。10時56分、炭焼窯跡を過ぎる。このあたりで19kmキロポストだ。幾つか橋を通り過ぎる。手すりが取れたり路面が斜めになっているところもある。11時6分、栗園駐在所跡を過ぎる。孟宗竹林が続く。京都の嵯峨野の竹林は有名だが、ここも負けず劣らずの美しい竹林だ。11時24分、大きな崖崩れ部分を高巻いて通り過ぎる。樹木が流されてしまっているので、谷や対岸の山がよく見える。高巻き部分から古道に降り17kmキロポストを過ぎてまもなく、馬鞍駐在所跡にやってくる。養老山からの枝尾根の先端になる部分で、少し盛り上がった高台に駐在所があったそうだ。今はベンチがあるだけだ。おおぜいのハイカーが休み談笑している。

落ち葉を踏んで白石吊橋を目指す
紅葉は少ない
写真を写したあと、そのまま先に進む。道はゆるやかに沢に向かって降りていく。道には落ち葉がたくさん落ちている。本来楓の紅葉が見られるということだが、今年は残念ながら紅葉は少ない。すでに葉が落ちている樹木も多い。二番目の大きな崖崩れを通り過ぎる。11時54分、沢を長い橋で越える。この橋も台風の大水で歪み、手すりもところどころ折れてしまっている。通過には問題ないが。渡った対岸のたもとから布奴加里山への山道が分岐する。古道は、ここで大きく方向を換え、ゆっくりと登り始める。12時11分、崖崩れを通り過ぎる。補助ロープを頼り下り、反対側に登り返す。さらに進むとオートバイが道端に転がっている。それほど古いものに見えない。おそらく崖崩れで道が無くなる前にやって来たが、道が崩れてしまって戻れなくなり、打ち捨てられたものだろう。12時27分、武神駐在所跡にやってくる。ここは早い時期に閉鎖されたようだ。

沢を長い橋で越える、ここから布奴加里山への道が分岐する
崖崩れのギャップを越える
打ち捨てられたオートバイ
武神駐在所跡
ここから白石吊橋まで約1kmの距離だ。すでに二時間ほど休みらしい休みを取っていないが、メンバーは大丈夫ということで、そのまま進む。日没時間を考えると、今回は白石駐在所跡へは行くのは難しい。少なくとも白石吊橋までは行きたい。12時39分、今までによりさらに規模の大きい崖崩れ部分に来る。木々がないので、谷の向こうに白石吊橋が見える。登山者がちょうど橋を渡っている。ザレ場を横切り小沢にそって下がる。降りた先に半分流されて残っている橋がある。少し登り返し進む。その先も道は流されて木々が倒れている。枝を乗り越え進む。13時5分、長い木製梯子の上部に来る。ここは、以前に道が崩れた場所で補修されている。大人数のパーティとすれ違う。横木で補強された階段道を登り下りする。木製の大きな梯子を登りきり、13時23分、白石吊橋のたもとに着く。ここまで10km、約3時間半の道のりであった。

崖崩れ部分から望む、ステッキに先方向に白石吊橋が見える
吊橋のたもと
吊橋は1921年に建造されたあと、1947年に補修がされているということだ。その時に名前も白石吊橋に改名されたようだ。橋のたもとのアンカーブロックは白く塗られ、橋梁名と大正11年の年号のプレートが取り付けられている。残念ながら心もとない落書きもある。吊橋を渡る。両わきには落下を防ぐためにネット状に鉄線が張ってある。通行人数は最大20名となっている。歩き始めると、吊橋は揺れ始める。天気が良く風もないので、自分たちの歩みが揺れを生じさせているが、風があればもっと揺れるかもしれない。1m足らずの踏み板のわきには、100m近い下に沢が勢いよく流れている。白石吊橋より一文字多い台北市内湖区の白石湖吊橋は、全長116mであるが数年前に建造されたばかりの新工法であるので、通行制限人数も多く揺れも少ない。それに比べると、こちらの方が本当の吊橋を渡るときの感覚だ。

吊橋を渡る
沢は100m近い下を流れる
吊橋での筆者
対岸に渡ると、数名のパーティがたもとで食事休憩をしている。我々メンバーの一人がそこで奇遇なことに30年ぶりの旧友に出くわす。たもとの広場は日陰であるので、少し坂を登り日当の平らな場所を探す。しかし、道は白石駐在所へ向かって坂を上がっていく。適当な場所がないので吊橋を渡り返し、橋のたもとで遅い食事休憩をとる。こちら側は少し日が当たる場所がある。

木製梯子を登り返す




14時8分、養老登山口に向けて折り返し歩き始める。先に下りまた登り返す。大した登りではないが、平らな道が続く中では辛いところだ。崖崩れ部分を通り過ぎる。14時22分、武神駐在所跡を通り過ぎる。数名の登山者とすれ違う。ここでテントを張り一泊するようだ。その後も、大きなリュックを背負った登山者とすれ違う。途中白石駐在所跡で一泊し、古道を清泉まで歩くそうだ。前日登山口近くに泊まり翌朝早く出発しても、一日で歩き終えるだろう。

馬鞍から来た方向を振り返る、太陽が大分傾いてきた
山の陰が深くなって来る
日没までに登山口に戻りたいので、速足で進む。幸い道も良く、メンバーも体力的に問題がないので、距離が伸びる。15時半、馬鞍駐在所跡に着く。ここで帰り道の半分の地点だ。太陽がが少し傾き始め、陽光が森のなかまで差し込んでくる。午前中は日陰だった部分は今は陽があたっている部分もある。しばしの休憩後、また登山口へ向けて歩き始める。崖崩れ高巻き部分から望む山は、大分深い陰を落とし始めている。

栗園駐在所跡近くの竹林、夕陽に映えている
夕陽の中古道を養老登山口へ歩く
松葉を踏んで進む
15時57分、竹林の栗園駐在所跡を通過する。斜めから差し込む陽光の竹林は、また違った趣だ。黄色の夕陽があたる松の落葉を踏みしめ歩く。残りはあと1kmぐらい、時刻はまもなく16時半だ。17時までには登山口に帰れるので、ほっとする。16時44分、21.5kmキロポストを見る。更に5分で国家歩道の標識を過ぎる。展望のきく場所で最後の記念写真を写し、16時57分登山口に戻ってきた。

駐車場に残っている車は少なくなっている。これからここでキャンプする登山者がいるが、我々が今日古道を歩いた最後のパーティのようだ。17時過ぎ、車で台北に向かう。まもなく周囲は暗くなる。登り返して峠の宇老派出所を過ぎるころは18時をまわり、辺りはすっかり闇に包まれ、遠くに内湾方向の街の灯がみえるようになった。

今回は歩行距離約20km、行動時間7時間である。道は、崖崩れの場所を除けばクラス2である。崖崩れ部分は、クラス3~4といったところ。体力的にはクラス3である。日本時代の歴史が色濃く残る古道は、まだ半分を歩いただけ。いずれは全線を歩いてみたいものだ。

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