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2016-01-11

2016年1月9日 慢集團@台南大凍山 日本時代からの關子嶺温泉に泊まる

夕暮れの大凍山(關子嶺分校校庭から望む)
台湾には、各地を代表し歴史文化が豊富なことや景観の美しさから選ばれている、小百岳がある。「小」百岳なのは、すでにある標高3000m超の台湾の背骨を構成する高山の百岳があるからだ。台湾南部の小百岳は、一昨年用事のついでに登った、高雄の壽山大崗山があるが、台北からだとなかなかそれだけのために登りに行くのは大変だ。慢集團の一泊二日の南部の山行は、台南の小百岳大凍山(大棟山)と高雄の小百岳旗尾山を登る内容で、今回参加した。

大凍山頂上での集合写真
慢集團は、筆者が定期的に道案内をしているグループである。今回は、道案内役ではなく一メンバーとして参加だ。早朝台北をバスで出発、一行40名は一路高速道路を南下する。第三高速道路の白河インターチェンジで降り、172号線を關子嶺へ向かう。關子嶺は、日本統治時代からある、100年の歴史を持つ温泉である。10時10分、台北から約3時間半で到着する。温泉街は、白水溪の谷あいにある。もともとは、左岸にある現在の關子嶺大旅社などだけだが、その後右岸や左岸の山の上にも温泉ホテルが建てられ、いまは一大温泉街となっている。水質は、地底から上ってくる途中泥の層を通過するので、泥水のように濁っている。しかし多くのミネラルを含むアルカリ泉で、台湾唯一の水質だそうだ。

北側の關子嶺に宿泊、大凍山を往復する
歩行高度プロファイル
台湾南部台南白河にある關子嶺温泉と大凍山
日本時代からある關子嶺大旅社(ホテル)の旧正門
今回のこの山行は、以前筆者の案内した台北近郊の山行に同行した、台南山岳会による企画で山岳会メンバーが丁寧に我々を案内してくれる。温泉街の脇で下車し、温泉老街を抜けていく。この通りは、大正元年(1912年)に完成したということだ。道の脇には、今晩宿泊予定の關子嶺大旅社の旧正門がある。この温泉旅館は当時から存在し、その後増築されて正門は別のところにあるが、当時の建物もまだ一部残り使用されている。

關子嶺之戀記念碑
關子嶺大旅社の現在の入口脇の上部に階段をあがり道路を超す橋が架かっている。これを登り、好漢坡(さしずめ男坂)の急石段を上る。温泉に療養に来ている宿泊客がこの坂を登って、体を鍛えたという。登り切ると、嶺頂公園がある。戦前日本で教育を受け過ごした、台湾の音楽家吳晉淮は戦後台湾に戻り、ここで關子嶺之戀という曲を残している。それを記念した碑が公園に設けられている。

紫雲殿で右に境内を抜けていく





11時過ぎにバスにのり大凍山登山口へ向かう。大型バスなので、仙草小学校關嶺分校のところで下車、舗装路を登っていく。今日は天気がよいが、霞んでいて遠くがよく見えない。前方に薄っすらと見える山影は、大凍山のようだ。15分ほどで紫雲殿廟にやってくる。

檳榔林の下を進み、左に山道をとる
ここから山道である。境内を抜けて、脇の檳榔の林を抜ける。11時48分、左の山道をとる。道標があるので、迷うことはない。道なりに登り、石垣の脇で近道を進む。また舗装路にでて左に登山道が分岐する。ここはそのまま右に進んで土地公の広場に行く。台南山岳会のメンバーが、我々のために昼食を用意してくれていた。昼食は、台南名物の裸碗と春巻である。分量が多く食べきれない。

土地公のある広場で食事休憩
台南名物裸碗
幅広の登山道を登る
約一時間ほどの昼食休憩後、13時に大凍山頂上に向け出発する。緩やかな舗装路を10分ほど進み、左に分岐する。まもなく道は土の道となる。幅が広く、四駆であれば登れるだろう。勾配がきつくなる。今回は、台南山岳会のメンバーが道案内だ。先頭のリーダーは足が速い。ついていくのは大変だ。13時18分、左からの道を合わせる。これは、先ほど先に左に分かれていった道で、これをやってきても登れる。13時40分、涼亭につく。ここで一休みだ。ついてくるメンバーを待ち、数分の休憩でまた登り始める。天気が良いので、汗ばむ。14時、残り約2㎞の地点を通過。半分と少し登ってきた。

道標は0.5㎞を示し、頂上まで残りわずかだ
最後の分岐、左へ階段道を登る
ジグザグの道を登っていく。稜線に取り付き、左に進む。広い道は右に登っていくが、大凍山頂上へは、左の細い山道だ。道標のところで、少し休憩しまた登る。14時33分、大きな涼亭が建つ、休憩場所につく。ここで後続のメンバーを待つ。涼亭では、地元の登山者がお茶をふるまっている。毎週のようにここにきて、お茶を提供しているそうだ。休憩場所にある寒暖計は22度を示している。ガスで太陽がさえぎられると、少し肌寒い。

休憩場所
大凍山頂上
十数分の休憩後、山頂を目指す。急な階段道を数分登る。15時、山頂に到着する。標高1241mで一等三角点のある頂上は、小百岳第63号に数えられ本来見晴らしがよいのだが、木々が高いので展望はあまりない。更に曇ってしまっていることもある。40名近くがやってきた頂上は、人でいっぱいになる。頂上の方わきには二階建ての涼亭もある。記念写真を写した後、往路を下る。先ほどの休憩所でまた少し休憩する。残っていた昼食を食べる。

頂上の一等三角点
檳榔樹の間から直下に岸壁のある大凍山山頂が見える
大凍山登山道石碑と左に雞籠山への道標
15時50分、下山開始だ。階段の細い道を下り、広い登山道にでる。道の状態が良いので、どんどん飛ばせる。16時11分、登りに休憩をとった一番目の涼亭を過ぎる。その先、登りとは違う右の道を下る。振り返れば、細い檳榔の木々を通して夕日に反射した岸壁のすぐ上に平たい大凍山の頂上が高くそびえている。16時37分、雞籠山への分岐にくる。道端には、大凍山登山歩道と刻まれた大きな石碑も建っている。17時9分、紫雲院を通り過ぎ、舗装路を下る。17時30分、出発点の仙草小学校關嶺分校へ戻り、登山は終了だ。歩行距離約9㎞、標高差は約820m、休憩込みの活動時間約6時間である。

夜の關子嶺温泉
全員がそろい、バスで關子嶺の町へ戻り、桶仔雞(鶏の丸焼き)の古早厝食事処で夕食をとる。その後、關子嶺大旅社へ行き投宿する。戦後、継ぎ足し継ぎ足しで増築されたので、この旅館は中がかなり複雑だが、自分たち四人は昔ながらの畳の部屋である。縁側があり、いかにも昔の日本の旅館風である。勿論、日本の温泉旅館とは違い食事などはなく、また布団も自分で敷く。

日本式旅館の部屋
部屋には風呂がないので、共同の温泉である。この温泉は大浴場ではなく個室式なので、基本は個人で空いた湯船にお湯を入れて浴びるものだ。蛇口をひねると、泥色の温水が注ぎこまれる。温度はちょうどよく、そのまま入浴できる。水は濁っているので、湯船の中の手足は見えない。風呂から上がり、一休みすると山岳会が準備してくれた夜食の時間だ。旅館のすぐ外で準備されているので、そこに向かいみんなと酒を飲みながら夜が更けていった。
温泉個室の様子

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