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保羅尖(ポール峰)上のパーティメンバー |
台北の北東に位置し、海に面した新北市瑞芳區は、日本人観光客が必ずといっていいほど訪れる昔の金鉱の街九份を擁する。訪れたことのある人であれば気づいたと思うが、付近の山は木々が少なく岩がむき出しの山が多い。昔の銅山精錬で出た有害な煙が禿山の成り立ちに一役買っているのだろうが、それ以外にも冬に吹きさぶ東北風が関係している。いままで、この山々は結構歩いたが、さらに山登りの有志による新しい道も開かれている。
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反対時計回りで歩く |
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歩行高度プロファイル |
かなり多くの登山者が訪れるようになった、半屏山の岩尾根
劍龍稜や鋸齒稜から深く落ち込んだ谷、半屏溪を挟んだ対岸には、南子吝山から石梯坑山へ尾根が続く。半屏溪からこの尾根へ直接取り着く枝尾根が今回の登山対象だ。台北近郊の山々は、台湾の登山熱が高まり多くの人が登山をするようになるにつれ、ボランティアによって多くの道が開かれている。ルートを決め、草を刈り、余計な木々を切り取り、岩場など危険な箇所にはロープを取り付ける。こうした作業を無償で行っている。今回のルートもまさに、そうしたボランティアによって切り開かれたものだ。
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東北角にある、今回の歩行ルート |
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山で出会ったポール・リーさん(右)と筆者 |
去年三月、同じくボランティアによって開かれた
半屏山水管路(小錐麓)を歩いた。その際、ボランティアメンバーのポール・リーさんに偶然であった。彼の活動は、その後も続き筆者も
彼らの開いた道をいくつか歩いた。そのリーさんは、今年7月
三峽雲森瀑布で不慮の事故で亡くなった。まだ50数歳の若さである。彼の突然の死を悼んで、その後今回歩いたルート中の三角ピークが彼の名をとってポールピーク(保羅尖)と名付けられている。
今回の山行、実は10月に予定したが、天気が悪くその後2回延期した。今回はまさに三度目の正直である。前日の天気予報では降雨率80%とあったが、さらに延期するのでなく、雨がひどかったら引き返す覚悟で実行した。ところが、天気は朝からとてもよく、昼頃一時霧がかかったが、終日雨も降らず初冬の陽ざしのもと完歩した。ポールさんの息子さんも参加した。あの世からポールさんが見守ったこともあるのかもしれない。
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886番バスで海岸際の台金公司バス停で下車 |
台北を6時25分発の自強号急行で瑞芳に向かう。思ったよりはるかに乗客が少ない。70キロ以内は、急行でも座席指定はできないが悠遊卡で乗車できる。数分遅れで7時12分に瑞芳に到着する。7時半駅前のバス停から886番バスに乗る。7時46分、台金公司バス停に到着。運転手は気を利かせて、登山口前で降ろしてくれる。ここで、自家用車でやってきたポールの息子さんとその友人と合流、さらに同じバスでやってきた、もともとは劍龍稜に行く予定だったという登山者も加わり、11名のパーティで出発する。
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半屏山を望む |
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太いコンクリ管を越えて沢に降りる |
半屏山の周辺は、ここで1980年台まで操業していた台金公司の土地である。日本時代の金鉱区を接収して設立した台金公司は、80年台になると経営困難となり経営は終了、その後は台糖公司に接収されているので、正確には今は台糖公司の土地となるが、汚染され利用価値の少ないこの場所は、放置されるにまかされて廃墟となってきた。最近は、劍龍稜の人気度の高まりで多くに登山者が訪れることもあり、柵が強化され、聞くところによると管理人がいる場合は追い返されることもあるという。
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お互いに助けあって沢を越える |
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更に沢を越していく |
今回は、濱海公路80.2Kキロポストわきの入口から入る。半屏溪の右岸を進む。三階建ての廃屋を沢の対岸右にみて沢沿いを行く。一度草藪からアスファルトの広場に出る。8時18分、二本の太いコンクリ管を越え、沢に降りる。長く続いた雨のため、沢は増水している。一度左岸に渡り、また右岸左岸と沢をこえる。8時39分、すこし登ってダムを過ぎる。道は、水たまりとなっていて、登山靴のメンバーは苦労する。この時は、長靴は実に重宝する。また左右に沢を渡り、8時57分劍龍稜の付け根部分を過ぎる。
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沢から見上げると左上に保羅尖の三角ピークがのぞいている |
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谷が狭まり、両岸の岸壁が高くなる、左の岸壁に登り口のロープが掛かる |
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岩壁の上から沢を望む |
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山腹を回り込み、前方の保羅尖にとりつく |
沢は谷が狭まり両脇の岩壁が高くなってくる。さらに三回渡渉し、9時8分尾根道の取りつき口に着く。左上方には三角ピークの保羅尖が目立つ。全員が沢を渡り切り、補助ロープのかかる岩場を登り始める。十数メートルの岩場を登り切ったあと、日向の平らな場所で休憩する。休憩後、山腹を進んで巻き込み保羅尖へ後方から急坂を登る。9時46分、頂上に着くと、保羅尖の名前が入った旗が立っている。一緒にのぼった息子さんの話では、事故死のあと今年の7月ポールさんの誕生日にこの旗を立てたということだ。
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息子さんと筆者@保羅尖 |
多くの山道がポールさんのグループで開かれているが、今日のこの道は岩場などもあり、初めてここに道を開いた時の苦労は、大変だったと思う。改めてこうした無償の奉仕に対し、頭が下がる。しばし、ここから遠くない半屏瀑布の上で彼と出会った時のことが偲ばれる。頂上からは深い谷を挟んで、劍龍稜の山腹を行く水管路が同じ高さに伸びている。小錐麓という別名は、花蓮太魯閣にある錐麓古道(日本時代の合歡山越警備道の一部)と同じように谷側が切り立ち、落ちれば命に係わるのと同じとこから、登山者にこう呼ばれている。
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対岸半屏山の山腹に水管路(小錘麓)が水平に伸びている |
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枝尾根上から小霸尖を前方に望む |
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急峻な岩場を登る |
雙鬼小霸尖は、まだまだ高い。石梯坑山の稜線から枝分かれしているこの枝尾根は急峻だ。補助ロープの掛かる小ピークを越えていく。10時50分過ぎ、少し平らな場所で休憩をとる。ところどころ灌木が現れるが、おおむねススキなどの草原である。振り返れば周辺の山々が一望だ。高度が上がるにつれ、南子吝山などの前衛の山の向こうに海が見えるようになる。最後の長いロープを伝い登り切る。11時30分、觀景台と記されている標識がある。ここは小霸尖頂上への分岐だ。そちらに少し進む。樹木がきれ海側は南雅の集落が見える。山側は、半屏山の頂上に雲がかかり始めた。雲の下に見えている半屏山の岩壁は壮絶だ。分岐に戻り、全員がそろったところで昼食休憩とする。
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雙鬼小霸尖から雲を戴く半屏山を望む |
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ススキを藪漕ぎして進む |
12時4分、主稜線に向けて最後の部分を行く。先に下った後、登り返す。この辺はススキの背が高く踏み跡を覆い隠す。12時18分、稜線分岐に着く。取付けられた道標は、雙鬼小霸尖と三角尖峰と記してある。三角尖峰は保羅尖のことだ。いずれ保羅尖に書き換えられることがあるかもしれない。分岐近くは少し平らで、外国人二人を含む三人パーティーがちょうど昼食休みであった。今日のパーティには二人のインドネシア人も参加している。山登りは国籍とは関係なく、広く人を引き付ける。
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石梯坑山主稜線上分岐の標識 |
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垂直の壁を下る |
分岐から右に行けば
石梯坑山や草山に続く。左にとり、南子吝山へ向かう。今日は標高400m足らずのここが最高点だ。ここ三年ほど黄金十稜の人気で、この稜線道は多くの人が歩いている。先ほど登ってきた雙鬼小霸尖の道に比べると、差は歴然だ。踏み跡のはっきりした稜線を下り、12時33分、
黃金七稜と
八稜との分岐に着く。分岐は左にとり、大きく下っていく。南子吝山へは、結構距離がある。途中補助ロープの岩場が三か所ほど現れる。そのうち二か所は、ほぼ垂直の岩場があり、下りにとると足場がよく見えない。かなり下がったところで、左側に朝に登り始めたあたりの谷間が望める。13時44分、最低鞍部を過ぎ、高いススキの海を泳いで南子吝山へ登る。14時14分、遊楽客であふれる南子吝山に着く。
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南子吝山へ向けて黃金七稜を下っていく |
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ススキを藪漕ぎして登る、背後に小霸尖や黄金七稜 |
長くすぐれない天気が続いてきたが、今日はぽっかりと晴天になった。久しぶりの行楽日和なので、この人出なのだろう。南雅からよい登山道を1㎞ほどで登ってこれるので、老若男女だれでもOKだ。ここは、海も山も見渡せる、実によい展望台だ。昼頃すこし雲がかかった草山や半屏山も、雲が去って望める。その手前には、逆光気味のなか今日歩いてきた峰々と稜線が見える。
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パーティ全員@南子吝山 |
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遊楽客に混じり南雅へ下る |
14時39分、最後の下りを始める。石段の階段道が切れ、木製の階段道となる。15分ほどで下り切り、南雅バス停に到着する。20数分待ち、やってきた台灣好行856番バスで黃金博物館まで行き、1062番バスに乗り換えて台北に戻った。
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稜線に咲く油茶花 |
今日のルートは、雙鬼小霸尖の部分はクラス4、その他はクラス3だ。南子吝山に限ればクラス1だ。歩行距離は5キロ半、累積高度上昇は460m弱だが、休憩込みで7時間と時間がかかっている。今回都合11人と人数があるので、難所を通過するのに時間を要したのが、距離にくらべ時間がかかっている理由だ。こうした道は、大勢で行くのにはあまり適していない。
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