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2019-08-25

2019年8月22日 雙溪北勢溪古道 - 闊瀨古道 - 枋山坑古道 - 中坑古道 淡蘭古道中線の古道を歩く

枋山坑古道との中坑古道接点、峠の中坑頭
今年の登山は、天候に左右されることが多い。前回の近郊低山行のあとに、台湾の高山を登りに行く予定があった。しかし、南部は大雨に遭い、目的地付近の道も土砂崩れなどが発生していたので、取りやめた。そこで、今回の山行である。

中坑古道上の民家遺跡前で
新北市の雙溪は、多くの自然が残りまた多くのよい古道が残る。筆者の好きな場所である。今回は、以前歩いた北勢溪古道中坑古道の間の闊瀨古道と枋山坑古道をつないでの歩きだ。去年から動き出した、地方政府の淡蘭古道の一部と認定され、手直しも行われている。道の状態は、初めに歩いたころに比べて良くなっていた。

北勢溪古道から西に進み、その後北上
歩行高度表
北勢溪古道入口近くのメンバー
沢沿いに進む道が半分だが、まだ暑いこの時期は早めに出発することに越したことはない。台北を6時23分発の204番自強號で出発する。今回は筆者もいれて全員で14名だが、それぞれ最寄りの駅で乗車し、雙溪駅で落ち合う。7時半前に到着した後、駅前から四台のタクシーに分乗し、料角坑17號民家近くの登山口に向かう。タクシー代は一台600元だ。8時過ぎに到着する。今日は、天気が良く日差しも強くなりそうだ。

新しい道しるべと地図のある古道入口
中正橋、手前の丸太部分が新しい
8時14分、出発する。前に歩いてから5年ほどたつ。以前にはなかった、まだ新しい立派な道しるべがある。淡蘭古道に認定されたあとの整備で建てられたものだ。地図も取り付けられている。道は、緩やかに下って流れの脇を進む。数分で中正橋を渡る。奥の石板の部分は5年前と同じだが、手前の丸太で作られた橋は、まだ新しい。橋の脇にその由来を記した石碑は、そのままだ。石碑の日付は1966年、この頃はこの道は地元の学生が通学に使用しており、雨の日などは難儀をした居たので、住民が資金を出し合い橋を造ったようだ。

北勢溪古道を行く
森からでて川景色が広がる
北勢溪古道の終わり、舗装路に出る
道は沢の脇で石が露出した個所を過ぎると、幅広く歩きやすい道になる。丸木の橋を渡り、8時40分、右に豹子廚山南峰への道を分ける。8時57分、石のベンチ脇を過ぎ、道は左が開けて流れが眼前に現れる。9時4分、舗装路にでて古道歩きは終わる。新しい道しるべがある。先ほどの古道入り口から2.6Kとある。舗装路を進み、橋を越えて左岸を行く。少し登り下っていく。灣潭方向からの流れを橋で越える。三水潭と呼ばれるこの地は、川の合流する場所だ。9時15分、土地公で休憩をとる。風が吹いて、気持ちが良い。

三水潭、橋を渡った対岸に土地公がある
土地公の祠
15分の休憩後、闊瀨古道へ向けて舗装路を進む。川を渡り、右岸を行く。前方から、知り合いの登山者が単独でやってくる。話を聞くと、北勢溪古道を行き、後で我々が歩く道を反対方向に行くようだ。かなり広いキャンプ場を過ぎる。平日の今日は、さすがに誰もいない。また橋を渡る。川はかなり幅が広くなっている。橋を渡ってすぐ右に山道が登っていく。後でわかったが、これは車道に対し近道となっている。車道は勾配がきつくなり、丘を登っていく。橋わきからの道を合わせ、さらに登って売店脇を過ぎる。少し下り、右に道しるべを見る。二軒の民家の前を過ぎると、山道が始まる。

三水潭を後に橋を渡り闊瀨古道へ向かう
闊瀨古道のロープ部分
闊瀨古道は、かなり急に川へ落ち込む左岸の山腹を進む。ところどころ小さな登り下りはあるが、おおむね平らな道である。最後にちょっと大きく下り、10時8分車道に合わさる。そこから二、三分行くと、道標がありまた山道が右に分かれる。このセクションも、前半と同じに山腹をすすむ。道の右谷側が切れ気味のところは、ロープが取り付けてある。途中、道の左側に骨を入れた甕がある。石が箱状に造られその中に納まっている。無名のこの墓は、この道で行倒れた人の者なのか。10時34分、左からの小沢を丸木橋で越える。さらに数分で、闊瀨吊橋が現れる。橋を越えて、少し登り返し、10時45分ベンチのある休憩場所で休憩をとる。闊瀨古道歩きは終わりだ。

お骨の入っている(はず)の甕
闊瀨吊橋
10時58分、石畳の坂道を上がり、英速魔法學院にでる。この山中にはちょっと合わない、瀟洒な建物やアルファベットのオブジェがひときわ目立つ。さらに少し登り、北42号県道に出る。道標に従い、右に車道を緩やかに下っていく。10数分で、左に枋山坑古道の入口がある。道標だけでなく、枋山坑の名が刻み込まれた石板が岩に取り付けられている。これも古道整備の結果だ。

英速魔法學院
石板が取り付けらた枋山坑古道の入口
民間人たちが、その生活や物資の輸送のために切り開いた淡蘭古道の中線は、清朝時代に兵隊が切り開き政府がメンテした淡蘭古道北線の道とは違い、通行の安全面では良くなかったことがある。1895年に日本が台湾を接収したあと、しばらく漢人による抗日運動が続く。最終的には平定されるが、その残党が当初の抗日の目的ではなく、生きるために土匪と呼ばれる盗賊に変わる。この山奥の道は、かつてそうした盗賊が跋扈していたところであった。日本統治政府による討伐は行われたが、なかなか簡単に捕まえることができなかったようだ。

棚田が現れる
泥濘には石が敷き詰められている
古道は、登りが始まる。石段が続く。この石段は新しく手入れされたものだ。自然工法と呼ばれる、近くにある材料を用いて行うメンテ工事は、古道古来の雰囲気を壊すことなく歓迎だ。このような場所にコンクリ階段は合わない。10分ほどあるくと、石積みの土留壁が現れ、沢が近づく。ぬかっている場所は、石が敷き詰めらている。かなりの手入れが行われている。10時40分過ぎ、沢の両脇が狭まり、土留壁が造られた段々を過ぎていく。今は樹木が茂っているのでわかりにくいが、ここはもともと棚田であったところだ。さらに10数分、薄暗い森の中の沢沿いの棚田道を行く。10時54分、道は民家前に出る。坪林枋山坑二號の住所の民家前で昼食休憩をとる。民家は時々主人が来るようで、今日はしまっている。

小沢を越える
棚田を登る
民家の軒を借りて休憩
屋根がある民家前庭は、時々風が吹いてくる。昨晩冷凍庫で凍らせた八寶粥の缶詰は、まだしっかり凍っており、シャーベットのようだ。暑い夏の山には冷たいものは嬉しい。12時半、出発する。民家まで続く舗装路を北42号県道に向けて登っていく。10分ほどで北42号にでて、右に曲がり進む。コーナーのところで、右に山道が分岐する。県道を少し下り、左に鎖が渡してある道をとり進む。前方に枋山坑3之1號民家が現れる。そのすぐ右に枋山坑古道の山道が始まる。

火燒寮古道への分岐
平らな道を中坑頭へ進む
だいぶ高度が上がっているので、ここからの登りは少ない。草に埋もれた墓の前を行く。道はほぼ平らで、やまひだに沿って進む。12時58分、左に火燒寮古道を分ける。この道は淡蘭古道の一部に認定されていないが、そこそこ歩かれているようだ。道は小沢を越えていく。13時16分、峠になる中坑頭に着く。今日の行程中最高点(標高597m)だ。数年前に訪れたときに比べ、手入れされて立派になっている。土地公の祠や大正元年の道標石柱はそのままだ。休憩をとる。

中坑頭のメンバー
石段を下る
13時30分、下り始める。急な坂は、石段が造られている。今年四月に訪れたとき、中坑古道の下部で工事が行われていたが、その工事の結果だろう。数分下ると、廃棄された舗装路に出る。またすぐ山道がを行く。相変わらず、急坂が続く。石段も取り付けられている。13時46分、沢を渡り道が緩やかになる。数分で牛止柵を過ぎる。左上の棚田は草原になっているが、今日は急ぐので土留壁わきの道を進む。本来は、內盤山へ下り17時のバスに乗る予定だったが、まだ時間が早く長源社區から15時半に出るバスに間に合いそうなので、予定を変更する。

沢を渡る
牛止柵
13時52分、左に內盤山への道を分ける。道はまた下りが始める。道の脇には、今は草原になっている棚田が次々の出てくる。放し飼いの水牛がいるので、棚田の草を食べ、このような美しい草原になっているという。水牛は見かけないが、糞が草の上に多く残っている。14時6分、石積壁や石門枠が残る民家遺跡に着く。ここも絡みついてた草木が取り除かれ、石のベンチも作られて、いかにも休んでいってくださいと言っているようだ。わきには水場もある。休憩をとる。氷が溶けて飲み頃のビールがうまい。

民家遺跡、樹木や草がきれいにのぞかれ、右端には水場が設けられている
広い棚田が広がる、前方は中坑東山
十二、三分の休みのあと、道を急ぐ。坂は相対的に緩くなってくる。過ぎていく棚田も広く、実に美しい。沢わきに降り越える。ここには、石のアーチ橋が造られている。以前は少し苦労する渡渉点だったが、橋のおかげで難なく通り過ぎる。橋も周囲の風景に溶け込んで違和感がない。14時33分、カエル石のある棚田を過ぎる。中坑古道西線を分け、沢の左岸を行く。14時40分、牛止柵を越える。ここからは、車も通れる幅広い道だ。右に建物を建てている工事現場を過ぎる。14時52分、古道の入口にきて橋を過ぎる。もともと橋のたもとにあった地図案内板がとりはずされている。

新しく造られた石橋
蛙石
残りは、2㎞あまりの車道歩きだ。今日は14人なので、隊伍の前と後では少し距離がある。全体の様子を見ながら、威惠廟のある長源社區バス停へと急ぐ。最後のメンバーが15時20分に到着し、25分発の781番バスに間に合う。小型バスの乗客は、ほとんどが我々である。途中地元の乗客が数名乗り降りする。15時40分、雙溪駅に到着。16時24分発台北への電車が来るまで時間があるので、駅付近のかき氷屋に立ち寄る。少し遅れ気味の電車は、平日はまだ空席がある。1時間20分ほどで台北に着いた。

長源社區へ舗装路を急ぐ
雙溪駅近くのかき氷店のかき氷
前半は、平らな道が続いたので、けっこう速く進行した。夏なので、ガツガツ歩くより、余裕をもって歩きたい。それでも16㎞歩いている。累計の登りは560m、下りは820mだ。休憩込みで約7時間強である。今回の歩きで、淡蘭古道の歩きはまた増えた。今まで行きたいと思っていた、古道の一番山深い部分を歩いた。道もよくなっており、だれでも問題なく歩ける。

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