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中坑古道東線にある棚田跡の一つ、今は緑の草原になっている |
今年2月に雙溪內盤山から平溪望古へ歩いた。もともとは、今回訪れた中坑古道から進む予定であったが現地は雨、途中車窓から見た沢は水量が多く、渡渉が多いこのルートを歩くことを止め、急遽尾根を歩いた。終日雨で景色は全くなく、残念な山行であった。次回は必ず好天の時に訪れるつもりで、三回予定したがみごとすべて雨降りで、そのたびに延期した。今回やっとそれが実現したわけだ。
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南側の泰平料角坑から峠を越え北側の內盤山へ歩く |
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途中二ヶ所の山を登る、右は中坑古道西線の登り返し |
新北市雙溪區は、多くの美しい古道を残し、筆者の好きな場所である。人口密度が低く交通が不便なことも、こうした美しい古道を残している原因でもある。泰平の虎豹潭や灣潭辺りは、そこそこ歩いてきたが、尾根を越えた柑腳やその更に奥の盤山坑の古道はまだであった。写真でみた美しい草原と化した棚田など、訪れてみたい対象であった。今回の山行で、主要な古道はみな歩くことができた。
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今回の場所は、雙溪、平溪と坪林の境付近 |
今回のルートは、まず雙溪泰平料角坑から憨子坑古道と畚起湖產道峠へてを中坑古道の峠、中坑頭へ行く。途中北豹子廚山を登り、中坑頭から枋山坑山を往復、その後中坑古道東西両支線を歩き、さらに内盤山古道を内盤山へ下る。内盤山から更に石硿子古道で峠をもう一つ越え、平溪の望古まで歩くつもりであった。ところが、内盤山に着き一休みして、石硿子古道へ向けて産業道路を歩き始めるやいなや、大粒の雨が降り出した。その前の内盤山古道を歩いている時に、雷の音が聞こえていたが、それが本降りになったわけだ。望古までは二時間ぐらいと踏んでいたが、雨の中を歩くのも面白く無い。さらにちょうど1時間ほど待てばF812番バスの便がある。雙溪駅経由で、平溪からより台北へは遠いが、バスで帰ることにした。したがて、今回も当初計画とは異なる結果となったが、美しい中坑古道は再び訪れる価値が十分ある。また、それを合わせて望古へ歩けばよい。
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憨子坑古道への土の産業道路 |
今回は、5名のパーティである。台北を7時半発の自強号で向かう。集合はこの列車上である。定刻より数分遅れて雙溪駅に到着したが、今回は余裕である。それは乗り継ぎのF815バスの時刻が変更され8時46分発になったからだ。バス停で並んでいると、おばさんたち数名のパーティーがやって来て並ぶ。平日だが、地元住民以外にも結構乗客がある。バスは予定通りやって来て乗車する。ここでかなりの乗客が乗り換えとなる。今までに何度か訪れた雙泰産業道路を進み、虎豹潭を過ぎる。そのあと、雑貨店のところで運転手は料角坑へ行く乗客がいるかと確認、すかさずこちらもいると返答。もし答えなければ、この寄道部分はスキップして灣潭へ行くようだ。クネクネした単車線の産業道路を進み9時半、山行出発点の料角坑26-1号へ着く。
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状態のよい憨子坑古道 |
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民家脇を行く |
ここは昨年夏に
北勢溪古道を訪れた時に通過した場所だ。民家の先、左に降りていく道が北勢溪古道へ続く。今回は、それを背にして今バスでやってきた道を少し戻る。左に進入禁止の標識がある土の産業道路が折れていく。これが初めに歩く憨子坑古道への道だ。天気がよく、今日は暑くなりそうだ。土の道は、森の中を行くが、差し込む日差しが路面にまだら模様を描いている。道は登り気味に進む。
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畚起湖產道を行く、この分岐で一休み |
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産業道路からの眺め、左に横山、右の樹木の向こうに豎旗山 |
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石の急須がある北42号線の雙溪坪林の境界 |
産業道路入口から10分少しで、右に細い山道が入っていく。ここからが本当の憨子坑古道である。憨子とは、日本語で言えば少し頭が足らない人を事を言う。どうしてこんな名前が付いているのか、興味深い。古道の状態はとてもよい。古道に沿って電柱も立っている。小沢を越えて登りかえす。そこには、民家がある。といっても倉庫のようで、人は住んでいない。家の前をすぎて道が広くなり、下り切ったところから舗装路が始まる。そこから登ると民家が現れ、産業道路が始まる。時刻は10時12分、30分ほどの古道歩きであった。
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北豹子廚山登山口 |
産業道路は、日差しが照りつけて少しつらい。道端の木陰から木陰とつたって上り坂を行く。10時24分、道の分岐で休憩を取る。更に産業道路を登る。背後には豎旗山とさらにその奥には虎豹潭の
横山も見えている。光線には夏が近いのを感じる。10時46分、北42号県道に合流する。この道は雙溪柑腳と坪林を結ぶ峠道である。左に取り少し登る。大きな急須の石像がある。雙溪とお茶で有名な坪林との境界だ。その脇には、尾根上をずっと下って南豹子廚山へ続く道がある。北42号線は平らになり進む。10時53分、北豹子廚山の登山口が、県道脇に現れる。梯子が掛けてある。地元山岳団体が設けたもののようだ。
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北42号線を歩く |
登山口から急な坂を登る。ほんの二、三分で分岐に着く。右は、北豹子廚山北稜を進み、そこから中坑古道へ下る道である。左に取り、坂を登る。尾根上を進んでいく。そこそこ歩かれているようで踏跡ははっきりしている。雑木林が桂竹に換わり、11時2分北豹子廚山頂上(627m)につく。基石の脇に置かれた山名板には、別名として憨子坑山とある。頂上は樹木に囲まれた狭いところで、展望はない。本来、ここから西に北42号線へ下る道を行くつもりであったが、それらしい踏跡はほとんど歩かれていないようで、行くのが大変だ。それほど距離があるわけではないが、こんなところで時間を掛けて後の行程に影響しても仕方が無いので、往路を戻る。11時12分、登山口へ戻ってくる。
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中坑頭の峠 |
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中坑頭の土地公 |
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中坑頭の方向碑、大正元年建立 |
北42号線は、下り気味に進む。右側に、先ほどの頂上からの道の入口が無いか注意して見ていくが、それらしいものはない。ほとんど歩かれず、自然に戻ってしまったようだ。青空のもと、道行く車も殆ど無く、気分は爽快だ。11時23分、右に産業道路が分岐する。土留壁には、今年3月1日付けの藍天隊の道標が付けられている。分岐の向こうには、昨年歩いた
灣潭竹子山から梳妝樓山の山並みが周囲の山より突き出て見える。分岐から産業道路を進む。そのうち草が左右に密生する細い道になる。すぐ左に、山道が分岐する。これが中坑頭へ続く道である。この道も状態がよい。山腹を行く道を三、四分進むと分岐が現れる。左は北勢溪わきの潤瀨へと下る。右にまた三、四分進むと、11時37分中坑頭につく。
中坑頭は中坑古道の峠である。大正元年八月建と刻まれた方向碑がある。とても珍しいものである。大正元年は八月からだから、本当に明治との境に建立されたわけだ。北へは雙溪,南は潤瀨、西へは石碇とある。今は、枋山坑山への登山道があるから十字路であるが、当時は三叉路であったはずだ。当時道行く人は登山などしないので、登山道も存在しない。峠のわきには、今も焼香されている土地公の祠がすえられ、中には神像もある。祠のすぐそばには1982年に作られた小さな石碑がある。古人はどのような思いで、この峠を越えていったのだろうか。天気のよい今日の峠は明るいが、雨風が降りつけるような日、或いは夕暮れが迫るようなときに峠を越していった人は、心細い思いをしたかもしれない。我々はここで少し休憩する。
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晴天下の枋山坑山頂上 |
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中坑古道を下る |
11時48分、枋山坑山への道を進む。前回二月には、内盤山から登り往復した。今回はちょうどその反対側からの往復となる。道は、反対側からの道と同じように、ちょっと頼りない踏跡部分もある。やはり人気のある山ではない。途中、小さなピークを越えて行くが、概ね登りが続く。藪こぎもすこし現れる。左から火燒寮からの道を合わせ、12時10分山頂に着く。今日は、快晴の頂上である。二つの基石が並んでいるのは同じだが、その先展望ができる。周囲の樹木が高いのでそれほど見通しが良いわけではないが、三等三角点があるだけの事はある。西の遠くには五分山は姜子寮山など平溪の山が望める。一方北方向は、
内平林山などの山だろう。
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枝沢を越える |
往路を下る。20分ほどで中坑頭へ戻ってくる。ここからは、中坑古道を下る。すぐ下はかなり急な坂である。沢にそって上がってくる道は、最後のつめ部分で急坂になる。数分で廃棄産業道路に出る。これは、先に歩いた北42号先からの産業道路で、我々は中坑頭へ分岐したがそのまま進めばここに来る。産業道路をわたって、また土の古道を進む。そのうち、山腹をすすむ古道の様子になる。石の階段なども現れる。右に谷が現れ沢音が聞こえてくる。12時58分、枝沢を越える。牛が出て行かないように設けられた柵を乗り越える。そのすぐ左側に、大きな棚田跡がある。今は緑の草原だ。このような山中にこれだけの棚田を造るのは、かなりの苦労があっただろう。13時、草原で食事休憩を取る。
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最上部の棚田、ここで食事休憩 |
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古道脇の廃屋 |
13時30分、中坑古道を下り始める。すぐに左に直接盤山坑古道へ通じる近道が分岐する。これを行けば早いが、今回は中坑古道を歩くのが目的なので、東線と西線(左、右線という言い方もある)と共に進む。三角形の二辺を歩いて行く形だ。山腹を下っていく道は、ところどころ棚田を通過していく。13時46分、数件の廃屋が並んでいる。その前は棚田だ。まだ壁がしっかり残っているものあるし、門枠だけが残っているものもある。ここにはかなりの規模の集落があったわけだ。更に5分ほど下り、沢を越す。そこそこ水量がある。長靴組はまったく問題ないが、登山靴では慎重に渡る。沢を渡るとすぐに数段の棚田が眼前に広がる。谷間に広がる緑、実に爽快だ。大きな岩が棚田の中にある。これは大きすぎて取り除くことが出来なかったのだろうが、人力でこれだけの開墾をするには、本当に大変だったと思う。あまりにも美しいので、しばし腰をおろして休憩する。
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棚田の石垣 |
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沢越え |
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谷あいに広がる棚田の緑 |
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棚田とカエル石 |
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棚田に放し飼いの水牛 |
その先また沢を越す。14時18分、分岐に来る。分かれていく道は、草に埋もれてあまり歩かれていない感じだが、午前中に登った北豹子廚山の北稜に続く道である。そのすぐ下で、また大きな棚田の草原が現れる。最下段には、座ったカエルのように見えるカエル石もある。もう一度沢を越え、棚田が現れる。道の少し外れたところに水牛がいる。ずっとこちらの様子をうかがっている。目を合わさずにその脇を通り過ぎる。沢の脇に分岐がある。ここが中坑古道東西線の分岐点である。時刻は14時半、約1時間の東線歩きだった。
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西線へ沢を渡ったあとの棚田 |
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中坑古道西線を登る |
沢を渡ると、また棚田が広がる。中坑古道西線は、沢に沿って登り始める。こちらは開放的で明るい東線に比べると、谷が狭く暗い。棚田の石積み壁も現れるが、雑草に埋もれている。沢を左右に渡り、高度を上げていく。14時47分、そこそこ広さのある棚田が現れる。東線の棚田はゴルフ場グリーンのように綺麗だが、こちらはところどころ雑草が生え見栄えがしない。草がきれいなのは、牛の放し飼いによると聞いているが、こちらは牛があまり来ないのだと思う。沢から離れ、途中一箇所また棚田を通りすぎて登っていく。15時、内盤山古道との分岐点に来る。ここも棚田であったようで、平な草原が森の中に広がる。左の道は、食事後すぐ現れた東線からの近道である。休憩を取る。
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中坑古道西線と内盤山古道の分岐部で休憩、棚田跡が広がる |
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盤山坑古道の沢を越える |
内盤山古道は、すぐに下り始める。右に土地公の祠がある。石の壁には、この祠建立に寄与した信徒の名前が刻んである。この土地公は、苔に覆われ神像はない。急な坂道が数分続き、沢の脇に下りる。古道は、ここから沢の脇を左右に渡渉しながら下る。途中、石積壁の棚田もあるが、こちらは雑草に覆われ中坑古道のような美しさはない。15時34分、右に沢を越すコンクリ橋を見る。左にそのまま道を進む。すぐ先で牛柵を越える。ここからは盤坑坑溪の本流にそって進む。沢を越す。その先には、作物が植えられている棚田を過ぎる。集落はもうすぐだ。橋を二回渡り、15時45分内盤山に着く。一休みする。黒犬がやってきて餌を求める。
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盤山坑溪にそって登る |
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夕立がやって来た |
10分ほどの休みのあと、最後の峠道石硿子古道に向けて産業道路を歩き始める。すると大粒の雨が降り出した。路面はたちまち濡れる。急いで雨具を出す。内盤山古道を歩いている時に雷がなっていたが、雷雨が来たわけだ。日暮れまで約2時間、急げば望古へ暗くなるまでに行けるだろうが、雨で濡れた道を歩くのは気がすすまない。これは、天がここで今日は終わりにするようにという指示だ、という理由を付けバスで下山することにする。F812バスは17時に最終便が発車する。バス停近くに戻り、近くの民家で軒先を借りて雨宿りをする。先ほどの黒犬持ち主の家だ。そのうち雨は小降りになる。16時半ごろにやって来たバスは、17時に折り返し雙溪駅へ向かった。
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雨が上がり、霧が晴れていく |
歩行距離約13km、休憩込みの行動時間6時間半、数字としては普通の山行である。出発点の高度が比較的高いので、登りは累計700mぐらいだ。急に暑くなったので、そのわりにはきつく感じた。非常に美しい緑の草原に姿を変えた棚田が続く中坑古道は、優良な古道をたくさん擁する雙溪の中でも一、二を争う素晴らしい古道である。再び訪れる価値は十分にある。今回は、泰平側から峠を越してやって来たが、盤山坑側だけでもよい。今回の山行の場合は、ルートはレベル3、体力もレベル3である。
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