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2024-06-12

2024年6月8日 台北市天母の低山歩き 芝山岩 玉稠湖山 白雲山

芝山岩惠濟宮の山門
今年の端午節は、6月初旬10日(月)と例年に比べ遅い。土日と合わせ三連休となるが、事前の天気予報は雨がちということであった。そのため、特に山行を予定していなかった。しかし直前に好転したので、急遽台北近くの山を歩くことにした。今回の目的地は、連休の交通混雑に巻き込まれないよう、すぐ近くの場所を選んだ。いずれも簡単に行ける場所だが、それがため今まで行かなかった芝山岩の小山と、そこから少し市街をあるいたところの玉稠湖山と白雲山(下竹林山)である。後者二座は、陽明山に向かうときにバスや車で通り過ぎる仰德大道のすぐわきに並ぶ山である。

台北市天母のすぐ東の山々

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外雙溪の川沿いに降りて歩く
朝8時に台北MRT芝山駅に集合である。一日前に公開したが、蓋を開けてみると8名の参加者だ。第一出口から、MRT高架橋の下を行き、堤防を越えて外雙溪右岸の自転車/遊歩道を歩く。外雙溪の源頭は、今まで何度も歩いている陽明山山系南側から五指山山系西側を含む流域である。下流方向は、淡水河に合流する。住宅地をずっと流れてきている川は、釣り人が糸を垂れている。川向うには、高層住宅も目立つ。建設中のビルもある。台湾海峡の緊張があるが、台北市は多くの住宅建設が進んでいる。これは、有事に敏感であるはずの資本が、この緊張の行く末に対しての見解なのだろう。

釣り人と対岸には建設中を含め高層住宅
参道石段入口両側に本を読む児童の石造
10数分の川沿い歩きを終え、堤防を越えてまた市街に入る。ここは雨聲街である。ほどなくこんもりと盛り上がった芝山岩上にある、惠濟宮の立派な構えの山門前にでた。石段入口両側には、書物を開いた幼子の石像がある。日本統治時代には、この地は台湾の学校教育発祥の地とされていた。日本台湾領有初期の1895年には、日本からの教師を迎え惠濟宮の裏に学校が設けられた。ところが、翌年抗日活動の中で教師六名は殺害された。遺骨をその地に埋め、追悼儀式が行われ伊藤博文による碑文が建てられた。戦後は、その後に建てられた神社なども含め、国民党政府のもと、取り壊されて今はない。

芝山岩隘門
惠濟宮の境内に着いた
石段には段数が刻まれいる。参道の脇には、十八羅漢像や観音像などもある。140段目ぐらいの場所に石を積み上げた城壁のような門(隘門)がある。清朝時代には、中国福建の漳州と泉州と別々の地域からの移民集団同士での抗争があり、本来漳州移民が開墾したこの地もその争いに巻き込まれた。この城壁は当時の物である。門を過ぎ更に登り最後の第226段を踏むと、惠濟宮の境内に入る。廟宇の前庭はとても広い。端まで行き、景色を見る。びっしりと住宅が立ち並び、その向こうには劍潭山から北東に伸びる山並みが、住宅地の端を画す。

惠濟宮の廟宇
境内の端から望む町並み、その向こうに劍潭山
桟道を行く
境内入口脇の木桟道を進む。少し登り、廃棄軍事見張小屋などを過ぎて時間廣場へ出る。そこから西砲台へと往復する。草木が多くあまり展望がない。芝山岩の形成過程説明などがある。化石もここで見つかったそうだ。時間廣場から下り、涼亭をみて北隘門步道を下る。台北市陽明医院わきを過ぎ、忠義街など市街をしばらく進む。柴山小学校などを見て、歩くこと約20分、前方の山が近づき、9時20分登山口に着いた。

参道脇の廃棄歩哨小屋
西砲台跡
北隘門步道を下る
芝山岩を下り街中を行く
豪邸脇の路地が登山口
素朴な石段道
山沿いの豪邸脇が登山口だ。タケノコ畑がすぐ現れ、その道を登っていく。10分ちょとで稜線上に上がる。右に折れて少し下り、こんもり盛り上がった石角山(標高75m)に登る。すぐ下は送電鉄塔がある小さな山頂は、コンクリ基石がある。今来た道を戻り、分岐から更に稜線を追っていく。9時40分、玉稠湖山南峰(標高107m)を過ぎる。

石角山
玉稠湖山南峰
状態のよい稜線道
稜線上の道は広く、雑草も少なく良い道だ。木々の切れ目から見ると、すぐ下まで住宅がびっしりと建っている。10時7分、玉稠湖山(標高187m)に着いた。周囲は木々の山頂には、立派な山名石柱が据えられている。道は緩やかな上り下りを過ぎ、10時16分德行東路338巷に出た。左下方には、また町並みが見える。休憩をとるが、ここぞとばかり襲ってくるやぶ蚊の集団に閉口する。

玉稠湖山山頂
開けた場所を登る
德行東路338巷登山口
天母の街を見下ろす
ガジュマルの根が壁一面に広がる
德行東路338巷をしばらく下る。道脇の民家を過ぎ、ガジュマル樹がその根をはびこらした土留壁の先に、白雲山(下竹林山)の登山口がある。登山口から入るとすぐに右に墓を見て、急な山道になる。白雲山山頂まで標高差約260m、今日一番の難所だ。玉稠湖山の山道とは対照的に、草深い道だ。ただ、石段がずっと続き、本来は往来が多かったことをうかがわせる。


登山口

草深い道
姑婆芋の赤い実
道脇の姑婆芋が赤い実をつけている。竹林や雑木林を抜けていく。麓はにぎわう市街地だが、そのわずか上の山腹には、手つかずの生態があるのは驚きだ。途中倒木なども現れるが、道筋ははっきりしている。登山口から登ること約40分、最後にタケノコ畑をすぎ、11時20分広々とした森の中の白雲山山頂(標高421m)に着いた。すぐ東下には交通量の多い仰德大道が通り、白雲山荘がある。山頂には木製ベンチなどもある。


草の間の素朴な石段
以前の耕作地か
倒木を越えて登る
タケノコ畑の脇を登る
白雲山山頂
仁民路
白雲山が本日の最高点である。11時44分、下り始める。すぐに仁民路に出る。山頂にバイクが一台停めてあったが、こちらからくればバイクで登頂も可能だ。道は稜線上を行く。下って11時55分、下竹林歩道入口のある十字路に来る。台北市の親山歩道で、石段が続く。昨日の雨でまだ濡れていて、石段は滑りやすい。12時8分、天玉宮に下り着いた。お手洗いや机椅子もあり、昼食休憩をとる。
下竹林步道

濡れて滑りやすい石段
天玉宮
車道を横切る
12時34分、残りの道を行く。と、いってもほとんど下り道なので、気楽だ。天気も晴れて、陽射しが路面に映る。車道を横切り、また下竹林歩道を下る。12時45分、中山北路七段190巷に出て、右におれ少し登る。左右の豪邸に混じり、よく手入れされたレンガ造りの旧民家がある。その先、天母古道に合流し、左に階段を下る。13時、古道入口に降り着いた。メンバーがビールをシェアしてくれる。まだ冷えていて旨い。

中山北路190巷を行く
工事現場から見る台北市街
レンガの伝統民家
天母古道入口
中山北路七段末端の道を下り、円環をすぎて13時22分、天母バス停にたどり着いた。これで今日のハイキングは終了だ。休憩をいれて、約5時間半、9.1㎞である。登り約490m、下り約480mである。風があまりなく、ちょっと蒸し暑い歩きであった。コース定数は18だ。

日本統治時代初期の芝山岩(ウキペディアから転載)


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