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2024-09-08

2024年9月4日 イギリス River Wey Navigationをテームズ河へ歩く (WokingからBasingstoke運河を経て行く)

River Wey NavigationのThames Lock(テームズ水門)標識
1年半ぶりに、イギリスのロンドン中心から約30数キロ南西のウォーキング(Woking)に来ている。今回も三か月ほどの滞在なので、天気の良い時を見計らい近くのハイキングルートを歩いていくつもりだ。この近辺は、丘陵地帯なので高い山はない。そうしたことで、高低は少ないが距離があるルートを歩くことになる。その第一回目で、前回訪問の際に歩いた全長20マイル⁽約32km)River Wey Navigationの運河システムで未踏の部分を歩くことにした。それは、Basingstoke運河が合流する地点からテームズ河までの、最終セクションである。

Wokingからテームズ河まで歩く
去年は、冬の時期でこの一帯は雨が多く、水たまりやぬかるみが多かった。今回は晩夏であり、朝はすでに10数度と低いが、昼間には日差しがかなりまだ強い。そうした気候で前回の冬景色とはことなり、草木もまだ緑であるところが多く、印象がまた違う。滞在場所からは、直接歩き始め、ウォーキングの街を貫くBasingstoke運河を東に進み、River Way Navigationへとつなげた。この部分も数キロの距離があり、それはそれで結構歩きでがある。

ロンドンの南西に位置する
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ウォーキング駅南口
朝8時に滞在場所を出発する。丘に登り鉄道のウォーキング駅を過ぎて、Chertsey Roadを進む。左にアサヒビールのイギリス現地法人(Asahi UK Ltd.)のビルを見る。アサヒビールは、ビール本場イギリス等欧州でもかなり健闘していて、スーパーマーケットなどでも見かける。平日なので通勤者通学者が多い道は交通量が多い。さらに進み、8時37分橋からBasingstoke運河に降りる。運河のこの部分は、1年半前に反対側からやってきた。この時間、運河を散歩する人はまだ少ない。

Asahi UK Ltd.
当時の遺構
地形を説明すると、ウォーキングの街がある場所は、小高いところになっている。したがって、River Wey Navigationの合流点までは、この落差を途中数か所の水門で下げていく。はじめは公園脇を行き、運河が使われていたころの遺構を見ると橋の下をくぐる。左に森が続き、その後住宅街が続く。右は、柵を隔てて工業地帯である。白鳥が数羽運河にたむろしている。真っ白な白鳥だけでなく、茶色がかったものもいる。

運河上でたむろしている白鳥
Woodham Flight 6番水門(最上部)
Chertsey Roadの橋から降りて運河沿いを歩くこと3.5㎞ほど約40分で、水門が続くWoodham Flightにくる。ここで大きく高度を下げるので、Flightである。運河終点から2.5㎞の表示ポストが近くにある。最初の水門は第6番となっている。そして少し行くと、今度は第5番水門が現れる。この後は、4番、3番と水門が続く。第4番水門は下流側の水門ドアが片方しかない。修理中なのか。第3番水門は、中学校が近くにあるようで、学生が次々と現れ水門の上の橋を渡っていく。


水門上の橋を渡り急ぐ学生
住居船が並ぶ


水門脇でたむろする白鳥

連続で四か所の水門を過ぎ、しばらくは同じ水位で運河は続く。運河には一隻また一隻と縦列で船が停泊している。この船はけっこう大きく船上で暮らしているようで、岸にはいろいろと生活に関わる物が置いてある。9時43番、第2番水門が現れる。大きなエンジン音がしている。何かの作業が進行中のようだ。ここのも数羽の白鳥がたむろしている。

対岸に船が並んで停泊
また数隻の住居船が縦列に運河沿いに停泊しいる。9時54分、最後の第1番水門に来る。この水門は前後のたまり場広い。その昔は、ここで多くの船が往来していて、交換のために広いたまり場が必要だったのだろう。この先は、この後合流するRiver Wey Navigatoinと同じ水位だ。10時2分、合流地点につく。近くには鉄道と高速道路があり、騒音が大きい。

第一水門
合流点
高速道路下の落書き
ここまでは、一年半前に来たところだ。橋を渡って、River Wey Navigatoinの右岸にわたる。ここからは、初めて歩くことろである。Basingstoke運河に比べてこちらは幅が広い。すぐに高速道路の下をくぐる。高架橋の支柱には、大きな落書きがあるが、芸術的なものもある。

小型船が並んで停泊
New Haw水門
運河の左右は住宅地である。左岸側に船が並んでいるが、こちらは先ほどの住居用ではなく、小型の遊楽用のものが多い。10時20分、New Haw水門が現れる。ここは水門脇に水門管理人用の小屋がある。もちろん今は管理人はいないが、整備管理はされている。今まで休みらしい休みはしていなかったので、一休みする。日差しはそこそこ強いが、それほど熱くはない。秋が近づいている。

水門扉から上流方向を見る
運河の釣り人
水門の下流側のすぐ上には自動車道路橋がある。この橋に上がり、対面からまた運河の船曳路へ降りる。魚釣りの老人とあいさつを交わし、さらに進む。両側は、引き続き住宅地だ。観光用と思われる船がやってきて通り過ぎる。11時、規模の大きなCoxes水門に来る。水門前後のたまり場も大きい。また当時は倉庫であったような、大きな建物もある。今は住居用に改装されているようだ。


Coxe水門
下流側の水門から調整池に入る
この水門にはちょうど下流から船が水門を通過中である。下流側の水門を閉め、上流側の水を入れて水位を上げていく。その作業をずっと観察させてもらった。水門を利用して次のセクションに出ていくまで。全部の作業に15分ほどかかっている。百、二百年前の運河が盛んに使用されていたころは、これが普通であったのだ。現在の物流から見ればずいぶんとのんびりしたものだ。

下流側水門を閉める

上流と同じ水位になり船は水門を出ていく
Coxes水門を下流から見る
出ていく船を見送ったあと、さらに運河を下っていく。もともとは工場か何かであった場所が、取り壊し中の場所近くで、橋をわたり左岸にわたる。運河は方向を変える。十数人の年配グループとすれ違う。おそらくハイキングか何かの活動だろう。11時31分Town水門に来る。すぐ近くに橋があり、この近くの町はこの橋からWeybridgeという名称である。

左岸へ渡る
Town水門
右側の入口が運河
運河は、ここから左におれて進む。対岸の住宅は大きな邸宅が多い。11時47分、左に分流をみて、船曳路は両側の流れの間を行く。11時51分、最後のThames水門についた。これがRiver Wey Navigationの最終点である。ボランティアと思われる人たちが作業をしている。もともとは馬小屋だったような小屋は、中に運河の説明が取り付けられている。対岸には関連の建物があるが、今日は一般公開はしていないようだ。運河前のベンチに腰掛け、昼食をとる。

カモが泳ぐ対岸は邸宅軍
左に分流
Thames Lock水門
Thames Streetを行く
運河歩きはこれで終了だが、テームズ河を見るべく水門の上にかかる橋を渡り、公園の脇からThames Streetにでる。少し歩くとテームズ河の河岸についた。数年前にロンドン付近のテームズ河沿い道(Thames Path)を何回か歩いたことを思い出す。ここからも続いているので、ずっと行けばロンドンへと歩いて行ける。

テームズ河
Weybridgeのバス停
12時20分、テームズ河を後にWeybridgeの街へとThames Streetを歩く。住宅地を抜け、13時過ぎに町中心のバス停についた。13時12分発の436番バスでウォーキングへと戻る。30分ごとにあるバスは、地元民の足になっているようだ。主に年配者や子供連れの母親などが主な乗客で、運転手とは顔見知りのようだ。途中大型ショッピングセンターなどに立ち寄る。朝歩いて通り過ぎたBasingstoke運河わきの工業地区をすぎ、バスは14時にウォーキング駅前についた。


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Basingstoke運河第一号水門脇のカモ
休憩も含め活動時間は5時間である。距離は約15㎞ほど歩いている。運河にそって歩くので、上り下りは少ない。したがって、山登りのような上昇下降はなく、平地のハイキングである。イギリスのこの辺り地形は、あってもせいぜい高さ100mぐらいの丘で、台湾や日本のような山歩きは、もっと北に行かないとできない。とは、いってもこれはこれで、運動になるので滞在期間中には、引き続きやっていくつもりだ。

2024-09-01

2024年8月29日 スロベニア首都リュブリャナ城の丘を巡る

丘の上にそびえるリュブリャナ城
スロベニアを観光で訪れた。一週間の滞在は街の散歩や観光地の訪問が主であるが、中間の一日午前中、滞在地のすぐ近くにあるリュブリャナ城がそびえる丘に登り、下ってリュブリャニッア川沿いに歩いて滞在場所に戻った。わずか2時間半ほどの散歩であるが、それなりに歩いて楽しいところだったので、ブログにその様子を記すことにする。

城展望塔上の市旗
スロベニアは、日本にはあまりなじみのない国かもしれない。筆者も正直、今回訪れるまでは、ほとんど認識がなかった。出発前に急遽調べ、その概要を知った。実際に訪れてみると、とても良い場所であり、滞在を満喫した。位置はバルカン半島の付け根で、西にイタリア、北にアルプス山脈を挟んでオーストリアという場所である。イタリアのトリステのすぐ南でアドリア海に面している。南は、もと同じく共産国家だったユーゴスラビアから独立したクロアチアがあり、東はハンガリーである。日本と比べると、四国ぐらいの面積に200万人の人口で、ずっと小さい。自然が多く残り、美しい国土である。

首都リュブリャナはスロベニアの真中に位置する
首都リュブリャナは、四方が山や丘に囲まれた盆地である。標高は約300mと、そこそこ高い。街の中心を流れるリュブリャニッア川付近からは、そのわきに聳え立つ丘の上のお城が目立ち、市旗にも描かれる街のシンボルとなっている。前日、中央マーケット近くの丘下からケーブルカーでお城を訪れ、観光した。そしてお城で一番高い塔の上から、眼下に広がる街並みと、遠くに並ぶ山並みを望んだ。

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時計回りで回遊
前方の城の丘へ向かい出発
今日は、一人で7時過ぎに宿泊地を出発。早朝の街はまだ人通りが少なく、仕事へと向かう住人が時々すれ違う。ドランゴン橋を渡り、店主がまだ野菜や果物などを屋台に並べている中央マーケットを突っ切る。地図ではお城の丘へのルートはいくつかあるようだが、昨日乗ったケーブルカーのすぐわきの路地から、7時25分登り始める。建物の間の石畳道は、すぐに案内地図とところで終わり、土の道となる。

ドラゴン橋を渡る、背後はリュブリャナ城
中央マーケットを抜ける
この路地から入る
山道入口
道は急坂である。犬を連れて下ってくる地元民とすれちがう。3,4分で分岐が現れる。左に曲がり、つづら折れの道を登る。途中でケーブルカーわきにでる。時間がまだ早いのでケーブルカーはまだ運行していない。そのコーナーから道は階段となり、登っていくと7時38分城壁下についた。ここまで標高差60mほどだ。

ここで左に上る
ケーブルカー線路脇から望む
階段を上る
城壁の下を回る
ケーブルカー上部駅
バラの咲く城の前
熱くなってきたので、上着を脱ぐ。城壁に沿ってぐるっと回っていく。すると別の登山道との分岐を過ぎ、城の展望塔入場券販売所の前にでる。まだ観光客はいない。静けさのなか、落ち葉などを吹き飛ばす清掃作業員のブローワーの音だけが響く。

展望塔入場券売り場
城内の展望塔(前日撮影)
12世紀から始まるこの城は、16,7世紀に今のような形になったそうだ。ただ、この城は軍事目的が主要な用途で、王侯貴族が居住したことがない。そして、19世紀からは牢獄として使用され、一時期には住宅にもなったという。その後改装され、現在では観光あるいは市民の憩いの場所となっている。展望塔は有料である。

塔の上から城内を見る(前日撮影)
塔からの展望(前日撮影)、すぐ下は三本橋
塔からの展望(前日撮影)
兵士の像
城が立つ丘は独立した存在で、四方は斜面である。城の三方はかなり切り立っている斜面である。この丘にはもちろん車道が通じており、城の前には駐車場がある。丘の上を行く歩道があり、この道を行くことにする。進んでいくと、兵士が四人ほど固まって並ぶ形の銅像がある。足元の説明(Spomenik Kmeckim Upornikom)はスロベニア語なので、残念ながらわからない。

並木道を進む
東側を望む
右と左の両方に各々下っていく道を分け、中間の広い並木道を進む。木々の間からは、丘の下の街が広がり、遠くは朝霧がかかっている。8時、高い通信アンテナが立つ小高く盛り上がった場所(Sance 370m)にくる。英語の説明板があり、ここは古くは砦であったところだそうだ。今は手入れがされて石垣などが残っている。地元の老人が体操をしている。



遠くは朝霧の中
スロベニア語と英語の説明板
砦の一部

地元民が体操中


森を抜ける
丘の上の道をさらに進む。高い樹木の森を抜け、地図上標高356m Orlov Vrhと表示されている草の広場に来る。ここが丘の南端でここから下っていく。下っていく道もいくつかあるが、西側にリュブリャニッチ川方向へと下る。下り道では、途中バラ園のわきに出る。登ってくる地元の老人とあいさつする。

バラ園
下っていく
交通量の多い交差点に降りた
住宅地を抜ける
時刻は8時25分、出たところの車道はちょうど通勤通学時間なのだろう、車の往来が多い。道を渡り住宅地の中を抜ける。先ほどの交通量が多い道からすると、ここは閑静な住宅地である。8時32分、川際の小道に降りる。北に向かって小道を進む。この周辺は住宅地のようで、対岸も住宅である。

川際に降りる


川沿いに戻る
川面には、カモが泳いでる。これから営業が始まる観光船が、鏡面の川面にさざ波を起こして進んでいく。川際道は上の車道わきに上がる。橋を過ぎ、その先交通量の多い主要車道に出る。ここからは観光地区で、飲食店などが多く出てくる。この時間は、観光客は少なく店では店員が忙しく開店の準備をしている。

川沿いのレストラン街
三本橋近くから城を仰ぎ望む
9時13分、著名な観光スポットであるトロモストヴイエ三本橋へと出る。対岸のプレシェーレン広場には、観光客が姿を見せはじめている。忙しい日が始まる。仕事へと急ぐ市民などと前後して、筆者は滞在地へ戻り、9時半に2時間半弱の散歩を終えた。写真などを取りながら、観光気分で歩いた。距離は約5㎞程である。

三本橋(前々日撮影)
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リュブリャナ城上の筆者
一週間の滞在中には、リュブリャナ以外にブレン湖やポストイナ鍾乳洞、プレジャマ城などを訪れ、スロベニア観光を堪能した。スロベニアの物価は、西欧に比べるとまだ低く治安もよい。街もきれいで、対日感情も悪くない感じだ。英語はかなり通じる。今回は観光旅行だが、登山者としては北にあるスロベニア最高峰トリグラウ山などがあるトリグラウ国立公園などを訪れ、ハイキングや山登りができたら、とてもよい。

滞在場所の屋上から望むリュブリャナ城のある丘
ブレン湖、遠くの雲間にトリグラウ山
プレジャマ城