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2012-11-22

2012年11月21日 汐止五指山 - 忠勇山 小雨のなか内湖に下る

忠勇山と手前の白石湖吊橋
五指山は、陽明山山系汐止大尖山から見える、基隆方向へ長く尾根が続く山だ。大湖からも湖を挟んで対岸に見える。この山は、車で登れる山でもある。山上には台湾国軍墓地があるからだ。車で登れるので、登山対象という意味では、登ろうという気持ちがもう一つ不足する感がある。そんなことで、何度も遠くから眺めているにもかかわらず、登っていなかった。その車で登れることを逆手にとり、登りはバスで標高600m強まで登り、歩いて山を下る山行を計画した。だから今回は山登りではなく、山下りというべきか。

北側の五指山から南の内湖へ歩く(青マーカー)、黄色マーカーは二月の軌跡
600mから数十mまで下りメインのルート、右側のピークは忠勇山
台湾北部は、冬は東北風のもたらす湿気のため雨が多い。今年も、すでに11月半ばを過ぎ、天気が周期的に変わり始め、雨が多くなっている。天気予報では、今日は天気が下り坂、下りがメインで行動を早めに切り上げることができるので、このような下りだけの行程は適している。実際、バスが五指山に着いたとたん、雨粒が落ち始めた。森の中の道は、雨がすこしぐらい降っても濡れないので、雨具を着けるまでにはならなかったが。忠勇山を越えて山道が終わり、内湖が近づいた頃雨が本降りになり、傘をさして下った。

登り途中のコミュニティバスの車窓から見る
五指山森林公園まで行く新北市汐止区のコミュニティバスは、汐止駅前を7時半発車である。そのあとの便は10時でかなり遅くなるので、7時半の便に乗るため6時半過ぎに忠孝東路三段から919番バスで出発した。天気は下り坂ということだが、環東の高架橋道路からは、周囲の山々がまだはっきり見える。天気は保つだろうか。約40分の乗車で、7時20分前に汐止駅到着、大同路を渡ってコミュニティバスのバス停で待つ。おおぜい年配登山客が並んでいる。同じバスかと思ったら、そうでなく新山方面への烘內行きのバスを待っていたようだ。7時半を少し回って八連路のF909番無料コミュニティーバスがやって来た。ほぼ満員になり発車する。途中でかなり乗り降りがある。伯爵山荘のコミュニティに入り、また八連路に戻る。汐止の山には、かなり高いところまで多くの住宅ができているのを認識する。

バス終点、前方にあずま屋
国軍墓地の入口、左は風櫃嘴へ続く
乗客は伯爵山荘近辺で大部分が下車し、8時18分に到着した山頂の五指山森林公園終点では、自分も含め二人下車しただけだ。バスがつづら折りの道を登るときには、山々がみえていたが段々曇ってきた感じはあった。バスから降りると、雨がポツポツ降ってきた。すぐに大降りにはならず助かるが、思っていたより天気の変化が早かった。バス亭の周辺は、店が数軒ある。この時間はもちろん営業していない。あずま屋の先は、展望が開けるがあいにくこの天気では、ほとんど見えない。もともと足を伸ばして国軍墓地内にある五指山三角点まで行こうと思っていたが、これでは意味が無いので踵を返して、梅花山に向けて車道をバスでやって来た方向に下り始める。すぐ道の右側に大崙頭山3.6kmの道標があり、山道が始まる。森に中に入ってしまうと、このぐらいの雨では木々の葉に遮られて、雨に濡れない。

山道の入口
五指山歩道の分岐
山道を歩くこと数分で梅花山(標高640m)に着く。周囲は草木、展望は全くない。道がそのまま下りていくが、それは雙溪溝古道へ行く道なので、もどり左の道をとる。ここからは、碧山へむけて尾根道を下る。ところどころ木々がまばらになるが、森の中の小径を進む。そこそこ歩かれている路上には、山茶花の花が落ちている。五指山公路に近づく部分の近くには、数匹の野良犬が群がっている。梅花山から約20分ぐらいで、右側が開けた場所にきた。晴れていればおそらく七星山なども見えるのだろうが、今日はガスがたれこめている。かろうじて鵝尾山とその奥に小草山の影がわかる。そこから更に3,4分下ると五指山歩道との分岐についた。この五指山歩道はところどころ路面に石が敷いてあり、古道の趣がある。現在の舗装五指山公路が出来る前は、内湖からの主要な道だったのだろう。

五叉路部分、左から歩いてきた、右の道は公路へ下る
碧山頂上近くに咲く台湾山菊の花
9時少し過ぎに五叉路にたどり着いた。ここは左には五指山公路へ降りる、右には萬里への草深い道と大崙頭山への尾根道が続く。直進して内湖方面へ歩く。今年二月には大崙頭山からここへやって来た。この時は行かなかったが、少し道を進んだところで右に入り、碧山(標高517m)の頂上へ往復する。登ること、ほんの2,3分で頂上に着いた。基石があるが、それ以外は表示もなにもない。展望もなし、すぐに折り返す。ここから大崙頭山方面への道があるようだ。道脇の台湾山菊の黄色い花が、薄暗いなか目を引く。内湖への山道にもどり下っていく。雨は小康状態だ。数分歩くと、また十字路に着く。左は五指山公路へ、直進すれば白石湖山方面へ尾根道が続く。二月はこの尾根道を進んだ。今日は右へ五指山歩道を下る。

石段で古道の趣がある五指山歩道
生コン搬送用の鉄パイプが山道を横切る
古ぼけた道標
下り坂が急になってくる。雨でぬれた赤土は滑りやすい。分岐から下ってしばらく、ズコンズコンと響いてくる音に気づいていたが、鉄パイプが道を横切っているところに出会った。これで音の理由がわかった。生コンをこの臨時に敷設したパイプで送っているのだ。何の目的か知らないが、結構大掛かりな作業だ。この歩道には、倒れかけ文字も判読が難しい道標がある。台北市建設局との記載もある。いつ頃に建立されたのか。新店の雞心尖など他の山でも見かけるのと同じ標識だ。途中、左に白石湖山という道が分岐するが、ほとんど歩かれていないようだ。木々の間から右に見える大崙頭山への稜線がだいぶ高くなってきた。また石段が現れる。石の道を下ること十数分、9時52分に碧山路の登山口に着いた。登山口のすぐとなりにあるレストランの飼い犬が、大声で吠え立てうるさい。

碧山路の登山口
碧山路を碧山嚴方向へ歩く。路面は濡れているが、雨は止んでいる。道の左は、畑が斜面に広がる。天気がよければ汐止の街などが見えるのだろうが、霞んでいる。雨が止んでいるだけでも良しとしよう。ここまでくると、観光地なので行楽客ともすれ違う。車やバイクは時々通るだけだ。小2番バスも行き交う。碧山路をゆっくり下ること20分、右に白石湖吊橋への道標がある。これに従い石畳の歩道を同心池へ行く。雑草が多く同心池ももう一つパッとしないが、あずま屋があるので休憩して、軽く食事を取る。

同心池からのパノラマ、向こうに龍船岩の山並み、右は圓覺尖
同心池の近くに咲く花
白石湖吊橋へ向かう。この周辺はよく整備されている。観光地だけのことはある。白石湖吊橋は、今回行程目標の一つだ。二年前に完成したこの吊り橋は、当地の農業観光振興のために造られた。吊り橋は、幅も広く歩いてもあまり振れない。渡ると対岸は碧山嚴だ。山門をくぐり石段を登る。去年五月に訪れたときは、天気がとても良く山腹にせり出した境内からは、台北市街の景観がはっきり見えた。今日は、天気が悪いので境内には立ち寄らず、右に折れて忠勇山の石段道を登る。前回は注意しなかったが、登りの途中右側の樹木が少く景観を望める場所が二箇所ある。白石湖吊橋が下に、その向こうには大崙頭山からずっと龍船岩へ連なる山々が見える。

白石湖吊橋を渡ったあと振返る
碧山巌の山門
忠勇山への石段道
今山行で、登りらしい登りはここだけだが、途中の写真撮りなどもいれ約20分で忠勇山頂上(標高325m)に着いた。頂上の大きな蒋介石像は、先程碧山路を歩いている時も見えていた。台北周辺の他の山でも同じだが、住宅地に近い山は住民の憩いやトレーニングの場所になっている。頂上周辺にはトレーニングのための道具など設置されている。トレーニングに登ってきている人が数名いる。犬をつれて散歩の人もいる。鳥の餌が木の枝に取り付けられ、二羽の鳥がついばんでいる。このあとは内湖に下るだけなので、持ってきた果物を食べ、コーヒーを飲む。雨がまたぱらついてきた。

忠勇山頂上から見るパノラマ、下に白石湖吊橋、遠くには大崙頭山から連なる山々
忠勇山頂上の餌場の鳥
下りもよい石段道だ。石段には50段ずつ赤ペンキで段数が書いているのに気づいた。15分の下りで慈聖宮が現れた。石段道はここで終わりだ。舗装路を下って行くと、慈聖宮の山門がある。この前の道を左に行けば、碧山嚴へ通じる。右にとり下って行くと、大きな境内を擁する金龍禪寺がある。雨がけっこう降ってきたので、傘をさし道を下る。更に10分ほど下ると金龍路に出た。左におれて行くと、金龍寺バス停がある。時刻は12時。数分待つと222番バスがやって来た。これで台北市内へ戻った。

忠勇山金龍寺登山道の入口
今回の行程はとても楽だった。距離8.3kmを3時間(移動時間)で歩いた。標高600数十メートルから数十メートルまで約600mの下りが基調で、登りは累計220mだけだ。期待していたよりも早く雨がふりだしてしまい、景色はあまり眺められなかった。ただ、碧山路や忠勇山より谷あいの景色や、以前歩いた尾根などが展望できたので良かった。今年は精力的に山を登ってきたが、これからは天候が不順なことも多くなるので、春の訪れまでは登山頻度は少なくなるだろう。

2012-11-15

2012年11月15日 摸乳巷古道-炙子頭山-烏月山 石碇から深坑へ峰越え

筆架山縦走路から見る烏月山
烏月山の白馬将軍洞近くに群生する大菁
筆架山連峰は、深坑と石碇の間に連なる山々である。猴山岳から二格山へ伸びる山並から北東方向に伸びて、深坑と石碇を分けている。昨年暮、雨の中休みを捉えて筆架山連峰を縦走した。それ以来一年近く経つ。平渓や坪林の山を訪れる途中、車窓から何度も見ていたが、登っていなかった。縦走路以外にも、筆架山連峰に登る山道が幾つかある。特に、石碇付近の烏塗窟周辺は何本かある。深坑側は、炙子頭山から北に伸びる尾根上に登山道があり、その突端に烏月山がある。今回は、石碇から石碇溪沿いに行き、摸乳巷古道から筆架山連峰の主稜線に上がり、西帽子岩を通って、炙子頭山に登った。その後、炙子頭山から一旦下ったあと、烏月山へ登り返し、白馬將軍洞登山道を経て深坑深美橋へ下った。

筆架山連峰や烏月山は、台北の東側深坑と石碇にある(クリックで拡大)
東の石碇から歩きはじめ、山を越えて深坑へ歩く
摸乳巷古道は、石碇溪沿いの摸乳巷から峠を越えて山羊洞方面へ通じる道である。途中には石積みの廃屋や、苔むした石段など古道の特徴がある。「摸乳巷」は、文字面を見ると乳に触れる路地と、山登りとは別の意味になりそうだが、ここだけでなく他所でも使われている言い方だ。路地の幅が非常に狭く、人がすれ違うときには、胸が擦れそうになるというところから、来ている。実際、今年三月に耳空龜山縦走の際にも、出会った。摸乳巷古道を峠まで登った後、古道は下って行くが、そこから小尾根を筆架山連峰の縦走路に登った。縦走路へは西帽子岩の前(東側)で、合流する。縦走路を炙子頭山まで歩く。炙子頭山から北に枝尾根を下ると、石碇からの圓潭仔坑產道に降り立つ。その先、昇高坑產道が左に深坑へ下りていくが、右にとり登り始める。送電線鉄塔の保線路を烏月山へ向けて登り、最後の山道を行くと烏月山頂上だ。烏月山からはその先下り道が続くが、来た道をもどり白馬將軍洞へ下る。この登山道を下りきり烏月路41巷、旺耽路経由で、深坑深美橋へ歩いた。途中、白馬將軍と呼ばれた陳秋菊の住宅德鄰居へ立ち寄った。

屋土窟步道
石碇へは666番バスで向かう。MRT木柵駅に7時直前に到着、7時5分に666番バスがやって来た。約30分の乗車で石碇国小バス停に到着した。前回の皇帝殿山登山の時は、左の崩山溪を歩いたが、今回は烏塗窟方面へ右の道を行く。石碇溪を橋で越え、左岸の烏塗窟歩道を歩く。橋のすぐ脇には、石炭トロッコを押す坑夫人形が載っている鉄橋が造られている。過去石碇が石炭の産地であったことを示している。谷沿いの歩道は石畳に良い道だ。上を高速道路の橋が越えていく。台湾で橋桁が一番高い橋ということだ。沢に下りていく道もある。人家を過ぎて数分歩くと、左に橋がある。そのたもとにはベンチのある休憩所が造られている。老婦人が体操をしている。バス停からここまで20分弱だ。この十字路を山の方向に入っていく土の道が摸乳巷古道だ。

古道歩きはじめのあたり
古道は最近道の草刈りが行われたようだ。道幅が広く、良い道が続く。十数分歩くと、道は坂が急になり石段が現れる。苔むした石段は、古道の趣たっぷりだ。右に筆架山縦走路稜線の送電鉄塔へ続く道が分岐する。さらに石段を登っていく。古道入口から約20分ぐらいで、左に石積みの廃屋がある。結構な規模だが、何の家屋だったのだろうか。道は山腹を登るようになり、8時45分峠に着いた。左へ溪邊寮山への道、右に筆架山縦走路への道が別れる。古道は、ここから山羊洞産業道路へ下っていく。歩き始めて1時間10分ぐらいだが、ここでは休まず小尾根を縦走路へ登ることにする。

古道の石段
古道の廃屋
古道の峠部分、右側から登ってきた、これから正面の道を行く
苔の生えた岩に落ちた山茶花の花
急な坂が始まる。そのうちに尾根上を行くようになる。何回か小ピークの登り降りを繰り返し、高度を上げていく。山茶花の白い花がたくさん山道に落ちて、岩をびっしり覆った苔の緑に鮮やかだ。一箇所岩場を過ぎると、間もなく稜線の縦走路と合流した。9時15分、古道の峠から30分の登りだ。分岐のすぐ近くに平な場所がある。ここで休憩し、腹ごしらえをする。縦走路まで登ってくると、谷を挟んで烏月山が見える。あとで、登っていく山だ。烏月山と炙子頭山との鞍部部分からは、深坑の市街が望める。その奥南港山の上から、台北101ビルが頭を覗かせている。風がそこそこ吹いている。今日は高曇りで、時々太陽が顔をだす。歩いている間は半袖でも暑いぐらいだが、休むと涼しい風に気づく。

ロープを頼りに岩場を行く
筆架山連峰縦走路との分岐点
縦走からみるパノラマ、左の炙子頭山から烏月山へ尾根が伸びている。鞍部の向こうは深坑の街
西帽子岩頂上
前回の縦走とは反対方向に歩く。縦走路は今までの道より程度がよい。危険なところには安全ネットも張ってある。平らな岩の稜線をいくと、急な下りが始まり、登り返すと西帽子岩(標高485m)についた。大きな二つの岩が重なり合っている。また急な下り坂を行く。岩が露出し樹木がない場所から、左に烏塗窟の谷が見える。遠くには獅公髻尾山の山塊が座っている。登り返し行くと、左から山羊洞からの道が合流する。このあたりまで来ると、炙子頭山が大きい。思っていたよりあっけなく、10時15分に炙子頭山(標高528m)に着いた。今日の山行中の最高点だ。縦走路合流点から1時間の道のりだった。距離は1km強だが、筆架山縦走は登り下りが頻繁にあるので、時間がかかる。炙子頭山頂上は、樹木のなかで展望がないが、ベンチが六つ設けられている。しばし休憩する。

炙子頭山山頂
炙子頭山からの枕木下り道
炙子頭山頂上から北へ下る道は枕木とロープ手すりのある、立派な道だ。設置されて時間が経っているようで、枕木は結構古い。しばらく下ると、枕木は終わり土の道になるが、ところどころまた枕木が出てくる。木々の間から、左側に猴山岳が見える。かなり急な下り坂もあわわれる。大分高度が下がってきた。頂上から20分で圓潭仔坑產道の登山口に降り立った。道標や説明看板も設けられている。左に道をとり行くと、昇高坑產道が左に分かれる。この道を下っても深坑へ下れる。右の道は登りになる。少し登り振り返ると、樹木の上から炙子頭山が覗いている。昇高坑產道の分岐から10分ほどで、左に送電鉄塔の保線路が分岐する。ここの右側が開けているので、展望がきく。西帽子岩から炙子頭山の縦走路稜線が見える。二時間前は、縦走路からこちらを見ていたわけだ。西帽子岩の形状が明瞭だ。ここから見ると本当に帽子のようだ。切り立った岩壁も筆架山連峰の特色の一つだ。

烏月山への登り途中から見る筆架山連峰の山並み、歩いてきた西帽子岩から炙子頭山が見える
保線路分岐点、右を行く
ここからは、烏月山に向けて登りが続く。歩線路は幅の広い非常によい道だ。数分歩いて行くと、左に道が分岐するが、烏月山へは右の道だ。さらに数分の登りで、鉄塔の下にきた。送電線の高圧電流がジリジリ音を立てている。ここからは山道に変わる。道は山腹を横切っていく。もう一つの鉄塔下で、道は左に曲り急な上り坂になる。下草が多い。途中左へ白馬將軍洞への道を分岐し、烏月山頂上についた。時刻は11時36分、保線路入口から25分の登りだった。頂上はかなり広いが、周囲はすべて樹木で展望がない。中心に三角点基石が据えてある。

烏月山頂上
大岩の脇をくだる
小休憩のあと、先の分岐へもどり右に白馬將軍洞へ下る。烏月山自身、筆架山連峰に比べると人気がある山ではないが、この白馬將軍洞はその中でも歩かれていない道のようだ。すぐに草をかき分け進む土の急な下り道が始まる。そのうちに小尾根上を進む。木々の切れたところから深坑の市街が見える。左に折れて下るが、草の中をくぐっていく感じだ。苔むした石段が現れる。それを下ると道が分岐している。左側の道を進むと、大岩壁の上に出た。端には安全のためのロープが張ってある。山茶花が咲いている。そこからは、谷の向こうに土庫山が見える。分岐までもどり、右の道を下る。岩壁の間に挟まれて薄暗い。下ると先ほど上で景色を眺めた大岩壁がとても高い。周囲には大菁が群生し、一斉に薄紫色の花を咲かせている。こんなに沢山咲いているのを見るのは初めてだ。とても見事だ。そのすぐ下に二つの岩が合わさっている。どうやらこれが白馬將軍洞だろう。洞窟ではないが、周囲には大岩があり、そうした雰囲気だ。

大岩上からの眺め、正面に土庫山が見える
下から仰ぎ見る大岩、さきほどこの上から景観を見た
白馬將軍と呼ばれた陳秋菊は、日本統治時代初期に日本軍と戦った義勇軍のリーダーである。清朝の軍隊に入隊し戦役で活躍した。その後1895年には台北を掌握した日本軍に対し攻撃、一部を取り戻した。その時に白馬に乗っていたので白馬將軍の名がある。しかし体制は日本の台湾全土掌握がほぼ完了した。一方義勇軍の軍律が乱れ民衆にも危害を加えるようになった時、1898年に就任した児玉総督が討伐から懐柔に方針を変え、それに応じて投降した。その後は、樟脳栽培権を取得、道路工事などもして財をなした、ということだ。白馬將軍洞は、別の名前を土匪洞とも言われるが、日本軍との戦いの際、ここを根拠地にしたことより、称される。実際、この山岳険しい根拠地を攻め落とすのは大変だ。

スレンレス手すりの山道
白馬將軍洞からしばらく苔むした石段を下る。下りきると、ステンレス手すりのついた、立派なコンクリの階段道になる。道脇には大菁も多く咲いている。路面には枯れ葉が多く落ちている。あまり歩かれていないのだろう。谷にそって道は下っていく。15分ほど下ると、大きなスレンレスタンクが五つ並んでいる。そのすぐ先に石敢當の大石。登山道もここで終わりだ。カラオケの大きな音が聞こえる。舗装路を下って行くと、烏月路41巷と合流する。ここからさらに下り、烏月路と合流、左に折れる。106乙県道(文山路)を渡り旺耽路を進む。旺耽路が終わりに近づくころ、左の奥まったところに立派な三合院がある。これが陳秋菊の住んでいた德鄰居だ。今も子孫が住んでいるので、中は見れないが、前庭から見学する。背後には烏月山が控えている。深美橋で景美溪を渡り、13時半過ぎ106県道(北深路)にあるバス停に着く。10分ほど待つと満員の666番バスがやって来た。

德鄰居、背後に烏月山が控える
高度プロファイル、烏月山の下り部分は途中まで記録
石碇から二ヶ所山越えをして深坑まで歩いたことになる。歩行時間は5時間50分(休憩を含む)、距離は10.2kmだった。登攀高度累計は733mだ。台湾近郊の山には、日本統治時代にまつわる話やその遺跡がある。今回の登山ルートも、それを自身で見るために選んだ。単に運動目的や自然の中を歩くだけでなく、こうした歴史に触れることができるのは、さらに登山を面白いものにしてくれる。

2012-11-11

2012年11月10日 坪林九芎根山 - 芋圓尖 アクセスはよいが不人気な山

九芎根親水公園からみる九芎根山
坪林は台北から宜蘭へ続く北宜公路の中間点だ。前回は同じく宜蘭へ通じる北部濱海公路について触れたが、北宜公路も雪山隧道開通前は、よく通った道だ。当時の印象は遠い場所であったが、第五号高速道路が開通した後は、思いのほか近い。地元政府は、お茶をテーマに観光に力を入れているようで、七月に登った獅公髻尾山への途中にある南山寺と、今回登山の出発点、金瓜寮の九芎根へ無料観光シャトルバスを運行している。前者は休日だけだが、後者は平日も運行、休日には増便している。このバスを利用すると、今回登った九芎根山へのアクセスは容易になる。新店から高速道路経由の923番バスで30分、金瓜寮行きの観光バスは約20数分、MRTの乗車時間も入れて約1時間半で登山口に行ける。この登山口から九芎根山を登り、その後尾根伝いに芋圓尖へ、芋圓尖登頂後は一部同じ道を引き返して王宅への道を下り、九芎根親水公園へ戻った。

坪林と烏來の中間ぐらいに位置する(クリックで拡大表示)
ほぼO型に歩いた、芋園尖は往復
九芎根山は、ぐるっとひと回りの回遊式山道が整備されている。一方、芋圓尖は不人気な山なのだろう、九芎根歩道から別れ尾根道に入ると、いきなり踏み跡然のレベルになる。下りに歩いた王宅への道は、一部が歩かれていないため、大雨などのため崩れて不通になっている。標識リボンもあることはあるが、新しく付けられているものは少ない。芋圓尖から北方向、火炎山方面にも山道はあるが、ネット情報では草深く歩きづらい道のようだ。この山塊は、南側には烏來の山々へ通じる奥深い場所でもある。初めての訪問なので、このあたりの山を知るために、今回はこの二座だけを歩いた。芋圓尖は思っていたより手ごわかった。

坪林ビジターセンター前の金瓜寮行マイクロバス
新店からの923番バスは、休日は始発便が7時半である。少し早め7時5分過ぎに新店に着いた。バス乗場には、まだ数名が待っているだけだったが、そのうち長い行列ができた。早めに来てよかったようで、高速道路を経由する923番は立ち席がないので、3分の1ぐらいの乗客が積み残しとなった。高速道路に上がるまでのバス停でも、待っている乗客は乗車できなかった。好天の休日は行楽客も多いので、この点の注意が必要のようだ。

九芎根步道登山口
坪林観光センターバス停で下車すると、金瓜寮行きマイクロバスが停まっている。大型の南山寺行きバスが先に発車していく。そのうち8時20分に出発した。このバスルートは、往路と復路が別々の道を経由していく。乗ったF723大林線というバスは、行きに茶業博物館や大林橋を通って行く。山を一つ越え、金瓜寮の谷に下る。北宜公路から分岐し渡南橋頭を経由してくる道と合流し、九芎根に向かい走る。左には深い渓谷が見える。この渓谷に沿って、歩道が整備されている。渓谷が開けると道は小盆地に下り、九芎根親水公園の前を過ぎる。他の乗客はすべてここで下車した。乗客一人となり、終点の九芎根101バス停に8時45分に着いた。

急坂を登る
ブナ林の中の登山道
九芎根山山頂
産業道路を歩く。地元の人が挨拶してくる。沢を越える。道脇に犬が一匹いる。普段山でであう犬はけたたましく吠えるが、この犬はおとなしいので、はじめは気づかなかった。ほどなく舗装路は終了し、人家わきから山道が始まる。よく歩かれている良い道だ。道標も新北市政府の立派なもの。この道は、新北市政府が紹介している登山道だ。沢沿いに数分進むと、道は右に折れ尾根に取り付く。急なところは補助ロープも張られている。登りはキツイが、道幅も広く歩きやすい。10分ほどの登りを過ぎると、道標が建っている。左方向には倒吊子山4.5kmとなっているが、道は踏み跡的なもので、ほとんど歩かれていないようだ。道はブナ林の中を登っていく。登山者が一人ロープの手直しをしている。のちほど九芎根山で休憩しているとき、登ってきて知り合いになったが、この登山者は地元の何さんで、日常からよく登り、ボランティアとして山道を整備しているそうだ。その上に丸太の椅子が設けてある休憩所がある。尾根の道を更に登り、出発してから約50分、9時37分に九芎根山(標高610m)頂上に着いた。

金紙崙への分岐
三角点のある九芎根山は尾根上の小ピークで、周囲はすべて樹木。展望はまったくない。少し早いが食事休憩をとる。休んでいると、何さんがやって来た。よくこの山やその先の金紙崙、また足を伸ばして鳥嘴尖まで歩いているそうだ。芋圓尖へ登ることを話すと、尾根上の道はよくないので、九芎根歩道を一旦下り、登り返したほうがよいと話した。何さんは、今日は九芎根山までということで、先に下っていった。それから間もなく、反対方向に自分も歩き始める。

下草の中を行く芋圓尖への尾根道
道は更に登っていく。約10数分で、左に金紙崙への道を分岐する。金紙崙やその東の鳥嘴尖は、大桶山から続いてくる桶後古道に並行する尾根上にある。すでに烏來の山の範疇だ。ここは烏來にも宜蘭にも近い場所である。道を右にとり、上り坂を歩く。間もなく道は最高点に着き、方向を北に変え下り始める。道はやはり幅の広い良い道である。途中720峰を越える。分岐から約30分で、九芎根歩道は尾根を離れ、右に下っていく。ここから芋圓尖へ尾根道が続いているが、九芎根歩道に比べると程度はずっと落ちる。何さんが言っていたとおりだ。どのようなものか、この道を進んでみる。標識リボンも適度に現れ、確かに下草に隠された部分もあるが、今まで歩いた経験からして特に困難とは思えない。そのままこの道を芋圓尖へ向かう。今日の登山は、展望がほとんどない。終日周囲が見える地点には出会わなかったが、木々の間からほんの僅か遠くの山が見える場所がある。ここから見える山は、頂上近くに送電鉄塔が並んでいる。どうやら中崙山から直潭山続く山並みのようだ。10月に中崙山から翡翠水庫を挟んで対岸に見えていた山を今歩いているわけだ。

木々の間から見る直潭山(右)、遠くに台北華城の山腹別荘も見える
トゲトゲの草
この稜線は雑木林の森の中を行くが、あまり歩かれていないだけあって草の葉が覆っているところが多い。棘のある草がとても多い。歩いていると服に引っかかる。棘に注意し、枝を外すことがしばしばだ。茎全部が棘だらけの草も多い。今までの山行の中では、一番多いだろう。尾根上を忠実に追って登り下りを歩いて行くと、11時20分に右に道が分岐している。これは王宅へに続く分岐だ。またここまで戻ってくるとは、この時は思わなかった。左に道をとり進むと、数分で右に下っていく道を分岐する。これは山腹を横切り、少し前に通りすぎた分岐からの道と合流し王宅へ下る道だ。ここには、藍天隊の道標が幹に付けられている。王宅まで約60分の表示がある。小さなピークを一つ越え、芋圓尖へ登り返す。最後に急坂を登ると、芋圓尖(標高641m)に着いた。時刻は11時48分、九芎根山から約1時間50分の歩きだった。

芋園尖山頂と三角点基石
芋圓尖は狭い頂上だ。三角点がある。周囲は草木で覆われている。ネット上には、展望があるという事だったが、古いのでその間に樹木が育って視界が塞がれてしまったのだろう。真上には樹木がないので、太陽が照りつけ暑い。水分をとったあと、引き返すことにする。十数分で山腹を行く道の分岐に着いた。左にとり進む。すぐに道は草深くなる。下がり気味に道は行く。行くにつれ、道の様子がほとんど歩かれていないようになる。標識リボンがあるが、みな随分以前のもののように見える。10分ほど下ると、崩れている場所にきた。ここから先は全く道が見えない。リボンも見つからない。このまま進むのは無理と判断し、先程の分岐へ戻る。分岐からは、もう一つの王宅への道の分岐へ戻って来た。ここから、更に尾根道を南へ戻り、九芎根山歩道から下ることも可能だが、この道を下ってみることにする。時間も早いし、ダメなら戻ってくればよい。

王宅への山腹道、ほとんど歩かれていない
もう少し先で撤退し、引き返した
この道は主稜線から東に伸びる枝尾根上を進む。ところどころ立ち止まり方向を確認する。この道を進んで10分ぐらい、石が露出した急な下りが現れた。他の場所なら補助ロープが設けられているようなところだ。慎重に石を踏んで下る。12時55分、山腹道との分岐に着いた。家に帰りGPSの軌跡を確認すると、先ほど引換したした地点は、かなりこの分岐の近くまで来ていたようだ。さらに下っていく道の様子だと、王宅へはこのまま行っても大丈夫のようだ。15分ぐらい下って行くと、13時10分、別の分岐が現れた。藍天隊の標識では、右に下る沢沿いの道が新道、直進する尾根道が旧道となっている。しかし、右の道はすぐに踏み跡が不明になってしまった。この道もほとんど歩かれていないのだろう。問題がありそうなときは、尾根道を選ぶのが常道だ。沢沿いの道は、山崩れなど問題が発生しやすいが、尾根道は比較的大丈夫だ。尾根道をとり進む。先に登り返しがあり、そのあと下りが始まる。

草薮にでた、正面に九芎根山が見える
王宅に着いた
新旧道の分岐から下ること10数分、草藪に出た。草が踏まれており、迷わずに下れる。ススキの間から、九芎根山が見える。草薮が終わり、また雑木林の中を下って間もなく、山腹をゆく道に合流した。標識が無く、方向が分からない。右からの道は先程分岐した谷筋の新山道かと思い、左に進むと水場の先で道はなくなった。引き返し右への道を歩いて行くと、大きな金属タンクが現れ民家が見える。どうやら王宅のようだ。時刻は13時38分、残りは舗装路を下るだけだ。10分ほど休憩する。

この上に見えている王宅のご主人のようだ、道で出会う


王宅の民家の脇に降り立つ。ここまで立派な舗装路がきている。下り始めると、この家の主人と思われる老人が笑顔で舗装路を登ってくる。挨拶をして下っていく。王宅で行き止まりのこの道を通る車は、この一軒家に用事のあるものだけだろう、車はまったく来ない。九芎根親水公園に14時に着いた。ここからは、周囲の山が見える。九芎根山が目の前だ。ヘチマが実っている。鶏も放し飼い。山に囲まれたこの小盆地は、さしずめ世外桃源なのかもしれない。14時22分、観光シャトルバスがやって来た。途中行楽客を乗せ、往路と同じ道を通り14時46分、坪林バス停に着いた。15時発の923番バスで新店へ帰った。

親水公園付近からみる小盆地のパノラマ、中間の山が九芎根山
放し飼いの鶏
今日の行程は、距離9.5km、休憩込みの行動時間5時間10分だ。九芎根の高度がすでに約350mあるので、累計登攀高度は650mだった。ほとんど展望がないこの山は、それ以外に登山者を引きつける要素も少ない。九芎根山歩道を除くとあまり歩かれていないのも、うなずける。棘のある草も多く、文字通りイバラの道の部分もある。正直言って、金紙崙や鳥嘴尖を除いて、またこの山々にくることはないかもしれない。今回は歩いていないが、バスの車窓から見た金瓜寮溪谷をいく歩道は、しっかりした道だった。行楽客も多く歩いている。ここは山道に比べたら上下も少なく、特に夏の時期には行楽として来るには良いかもしれない。
もし、この山を歩く場合は、九芎根山歩道以外は状態が良くなく、不通の部分もあることを確認した上で行く事を勧める。