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2012-11-15

2012年11月15日 摸乳巷古道-炙子頭山-烏月山 石碇から深坑へ峰越え

筆架山縦走路から見る烏月山
烏月山の白馬将軍洞近くに群生する大菁
筆架山連峰は、深坑と石碇の間に連なる山々である。猴山岳から二格山へ伸びる山並から北東方向に伸びて、深坑と石碇を分けている。昨年暮、雨の中休みを捉えて筆架山連峰を縦走した。それ以来一年近く経つ。平渓や坪林の山を訪れる途中、車窓から何度も見ていたが、登っていなかった。縦走路以外にも、筆架山連峰に登る山道が幾つかある。特に、石碇付近の烏塗窟周辺は何本かある。深坑側は、炙子頭山から北に伸びる尾根上に登山道があり、その突端に烏月山がある。今回は、石碇から石碇溪沿いに行き、摸乳巷古道から筆架山連峰の主稜線に上がり、西帽子岩を通って、炙子頭山に登った。その後、炙子頭山から一旦下ったあと、烏月山へ登り返し、白馬將軍洞登山道を経て深坑深美橋へ下った。

筆架山連峰や烏月山は、台北の東側深坑と石碇にある(クリックで拡大)
東の石碇から歩きはじめ、山を越えて深坑へ歩く
摸乳巷古道は、石碇溪沿いの摸乳巷から峠を越えて山羊洞方面へ通じる道である。途中には石積みの廃屋や、苔むした石段など古道の特徴がある。「摸乳巷」は、文字面を見ると乳に触れる路地と、山登りとは別の意味になりそうだが、ここだけでなく他所でも使われている言い方だ。路地の幅が非常に狭く、人がすれ違うときには、胸が擦れそうになるというところから、来ている。実際、今年三月に耳空龜山縦走の際にも、出会った。摸乳巷古道を峠まで登った後、古道は下って行くが、そこから小尾根を筆架山連峰の縦走路に登った。縦走路へは西帽子岩の前(東側)で、合流する。縦走路を炙子頭山まで歩く。炙子頭山から北に枝尾根を下ると、石碇からの圓潭仔坑產道に降り立つ。その先、昇高坑產道が左に深坑へ下りていくが、右にとり登り始める。送電線鉄塔の保線路を烏月山へ向けて登り、最後の山道を行くと烏月山頂上だ。烏月山からはその先下り道が続くが、来た道をもどり白馬將軍洞へ下る。この登山道を下りきり烏月路41巷、旺耽路経由で、深坑深美橋へ歩いた。途中、白馬將軍と呼ばれた陳秋菊の住宅德鄰居へ立ち寄った。

屋土窟步道
石碇へは666番バスで向かう。MRT木柵駅に7時直前に到着、7時5分に666番バスがやって来た。約30分の乗車で石碇国小バス停に到着した。前回の皇帝殿山登山の時は、左の崩山溪を歩いたが、今回は烏塗窟方面へ右の道を行く。石碇溪を橋で越え、左岸の烏塗窟歩道を歩く。橋のすぐ脇には、石炭トロッコを押す坑夫人形が載っている鉄橋が造られている。過去石碇が石炭の産地であったことを示している。谷沿いの歩道は石畳に良い道だ。上を高速道路の橋が越えていく。台湾で橋桁が一番高い橋ということだ。沢に下りていく道もある。人家を過ぎて数分歩くと、左に橋がある。そのたもとにはベンチのある休憩所が造られている。老婦人が体操をしている。バス停からここまで20分弱だ。この十字路を山の方向に入っていく土の道が摸乳巷古道だ。

古道歩きはじめのあたり
古道は最近道の草刈りが行われたようだ。道幅が広く、良い道が続く。十数分歩くと、道は坂が急になり石段が現れる。苔むした石段は、古道の趣たっぷりだ。右に筆架山縦走路稜線の送電鉄塔へ続く道が分岐する。さらに石段を登っていく。古道入口から約20分ぐらいで、左に石積みの廃屋がある。結構な規模だが、何の家屋だったのだろうか。道は山腹を登るようになり、8時45分峠に着いた。左へ溪邊寮山への道、右に筆架山縦走路への道が別れる。古道は、ここから山羊洞産業道路へ下っていく。歩き始めて1時間10分ぐらいだが、ここでは休まず小尾根を縦走路へ登ることにする。

古道の石段
古道の廃屋
古道の峠部分、右側から登ってきた、これから正面の道を行く
苔の生えた岩に落ちた山茶花の花
急な坂が始まる。そのうちに尾根上を行くようになる。何回か小ピークの登り降りを繰り返し、高度を上げていく。山茶花の白い花がたくさん山道に落ちて、岩をびっしり覆った苔の緑に鮮やかだ。一箇所岩場を過ぎると、間もなく稜線の縦走路と合流した。9時15分、古道の峠から30分の登りだ。分岐のすぐ近くに平な場所がある。ここで休憩し、腹ごしらえをする。縦走路まで登ってくると、谷を挟んで烏月山が見える。あとで、登っていく山だ。烏月山と炙子頭山との鞍部部分からは、深坑の市街が望める。その奥南港山の上から、台北101ビルが頭を覗かせている。風がそこそこ吹いている。今日は高曇りで、時々太陽が顔をだす。歩いている間は半袖でも暑いぐらいだが、休むと涼しい風に気づく。

ロープを頼りに岩場を行く
筆架山連峰縦走路との分岐点
縦走からみるパノラマ、左の炙子頭山から烏月山へ尾根が伸びている。鞍部の向こうは深坑の街
西帽子岩頂上
前回の縦走とは反対方向に歩く。縦走路は今までの道より程度がよい。危険なところには安全ネットも張ってある。平らな岩の稜線をいくと、急な下りが始まり、登り返すと西帽子岩(標高485m)についた。大きな二つの岩が重なり合っている。また急な下り坂を行く。岩が露出し樹木がない場所から、左に烏塗窟の谷が見える。遠くには獅公髻尾山の山塊が座っている。登り返し行くと、左から山羊洞からの道が合流する。このあたりまで来ると、炙子頭山が大きい。思っていたよりあっけなく、10時15分に炙子頭山(標高528m)に着いた。今日の山行中の最高点だ。縦走路合流点から1時間の道のりだった。距離は1km強だが、筆架山縦走は登り下りが頻繁にあるので、時間がかかる。炙子頭山頂上は、樹木のなかで展望がないが、ベンチが六つ設けられている。しばし休憩する。

炙子頭山山頂
炙子頭山からの枕木下り道
炙子頭山頂上から北へ下る道は枕木とロープ手すりのある、立派な道だ。設置されて時間が経っているようで、枕木は結構古い。しばらく下ると、枕木は終わり土の道になるが、ところどころまた枕木が出てくる。木々の間から、左側に猴山岳が見える。かなり急な下り坂もあわわれる。大分高度が下がってきた。頂上から20分で圓潭仔坑產道の登山口に降り立った。道標や説明看板も設けられている。左に道をとり行くと、昇高坑產道が左に分かれる。この道を下っても深坑へ下れる。右の道は登りになる。少し登り振り返ると、樹木の上から炙子頭山が覗いている。昇高坑產道の分岐から10分ほどで、左に送電鉄塔の保線路が分岐する。ここの右側が開けているので、展望がきく。西帽子岩から炙子頭山の縦走路稜線が見える。二時間前は、縦走路からこちらを見ていたわけだ。西帽子岩の形状が明瞭だ。ここから見ると本当に帽子のようだ。切り立った岩壁も筆架山連峰の特色の一つだ。

烏月山への登り途中から見る筆架山連峰の山並み、歩いてきた西帽子岩から炙子頭山が見える
保線路分岐点、右を行く
ここからは、烏月山に向けて登りが続く。歩線路は幅の広い非常によい道だ。数分歩いて行くと、左に道が分岐するが、烏月山へは右の道だ。さらに数分の登りで、鉄塔の下にきた。送電線の高圧電流がジリジリ音を立てている。ここからは山道に変わる。道は山腹を横切っていく。もう一つの鉄塔下で、道は左に曲り急な上り坂になる。下草が多い。途中左へ白馬將軍洞への道を分岐し、烏月山頂上についた。時刻は11時36分、保線路入口から25分の登りだった。頂上はかなり広いが、周囲はすべて樹木で展望がない。中心に三角点基石が据えてある。

烏月山頂上
大岩の脇をくだる
小休憩のあと、先の分岐へもどり右に白馬將軍洞へ下る。烏月山自身、筆架山連峰に比べると人気がある山ではないが、この白馬將軍洞はその中でも歩かれていない道のようだ。すぐに草をかき分け進む土の急な下り道が始まる。そのうちに小尾根上を進む。木々の切れたところから深坑の市街が見える。左に折れて下るが、草の中をくぐっていく感じだ。苔むした石段が現れる。それを下ると道が分岐している。左側の道を進むと、大岩壁の上に出た。端には安全のためのロープが張ってある。山茶花が咲いている。そこからは、谷の向こうに土庫山が見える。分岐までもどり、右の道を下る。岩壁の間に挟まれて薄暗い。下ると先ほど上で景色を眺めた大岩壁がとても高い。周囲には大菁が群生し、一斉に薄紫色の花を咲かせている。こんなに沢山咲いているのを見るのは初めてだ。とても見事だ。そのすぐ下に二つの岩が合わさっている。どうやらこれが白馬將軍洞だろう。洞窟ではないが、周囲には大岩があり、そうした雰囲気だ。

大岩上からの眺め、正面に土庫山が見える
下から仰ぎ見る大岩、さきほどこの上から景観を見た
白馬將軍と呼ばれた陳秋菊は、日本統治時代初期に日本軍と戦った義勇軍のリーダーである。清朝の軍隊に入隊し戦役で活躍した。その後1895年には台北を掌握した日本軍に対し攻撃、一部を取り戻した。その時に白馬に乗っていたので白馬將軍の名がある。しかし体制は日本の台湾全土掌握がほぼ完了した。一方義勇軍の軍律が乱れ民衆にも危害を加えるようになった時、1898年に就任した児玉総督が討伐から懐柔に方針を変え、それに応じて投降した。その後は、樟脳栽培権を取得、道路工事などもして財をなした、ということだ。白馬將軍洞は、別の名前を土匪洞とも言われるが、日本軍との戦いの際、ここを根拠地にしたことより、称される。実際、この山岳険しい根拠地を攻め落とすのは大変だ。

スレンレス手すりの山道
白馬將軍洞からしばらく苔むした石段を下る。下りきると、ステンレス手すりのついた、立派なコンクリの階段道になる。道脇には大菁も多く咲いている。路面には枯れ葉が多く落ちている。あまり歩かれていないのだろう。谷にそって道は下っていく。15分ほど下ると、大きなスレンレスタンクが五つ並んでいる。そのすぐ先に石敢當の大石。登山道もここで終わりだ。カラオケの大きな音が聞こえる。舗装路を下って行くと、烏月路41巷と合流する。ここからさらに下り、烏月路と合流、左に折れる。106乙県道(文山路)を渡り旺耽路を進む。旺耽路が終わりに近づくころ、左の奥まったところに立派な三合院がある。これが陳秋菊の住んでいた德鄰居だ。今も子孫が住んでいるので、中は見れないが、前庭から見学する。背後には烏月山が控えている。深美橋で景美溪を渡り、13時半過ぎ106県道(北深路)にあるバス停に着く。10分ほど待つと満員の666番バスがやって来た。

德鄰居、背後に烏月山が控える
高度プロファイル、烏月山の下り部分は途中まで記録
石碇から二ヶ所山越えをして深坑まで歩いたことになる。歩行時間は5時間50分(休憩を含む)、距離は10.2kmだった。登攀高度累計は733mだ。台湾近郊の山には、日本統治時代にまつわる話やその遺跡がある。今回の登山ルートも、それを自身で見るために選んだ。単に運動目的や自然の中を歩くだけでなく、こうした歴史に触れることができるのは、さらに登山を面白いものにしてくれる。

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