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2014-08-31

2014年8月30日 三峽插天山脈卡保山(カボ山) - 逐鹿山縱走

原生ブナの木とその背後に卡保山(カボ山)
手元に戦前の台湾山岳登山に関する一冊の本がある。今は台北科技大学となっている、当時の台北工業学校の教授千々岩助太郎著の『思い出の山々』である。千々岩が部長をしていた台北工業学校山岳部は、昭和15年(1940)9月に插天山脈での秋山行を行った。四つの班に分かれ、その内の一班は烏來のトンロク(現在の福山村にあった集落)からカボ山(卡保山)に登った。本によれば、当時はこの地域の山は知られていたが、それほど登られているわけでもなく、今日のような登山道も勿論ない。高砂族(原住民泰雅族)をガイドとして登り、道無き道を進んで5時間掛けて登頂している。今は登山道がありガイドも必要ないが、急峻な登りは変わることなく、体力的要求もきつい山であることには変わりはない。

北西側の出発点から反時計回りに回遊する
台北からも近く、また仰ぐこともできるこの山々は、標高1907mの南插天山から東北方向に北插天山を越え逐鹿山、そして紅河谷の峠へと続く標高千数百メートル台の山脈である。南には拉拉山や塔曼山がある。現在の行政区画で言うと、新北市の三峽區と烏來區、桃園縣にまたがっている。台北へ流れこむ河川のうち、大漢溪と新店溪の源流地域である。

插天山脈の北側にある卡保山と逐鹿山
がけ崩れの土石で埋まった谷
去年の夏、逐鹿山を登った。その次として卡保山への登山を考えていた。しかし、一般交通機関利用のアクセスでは、帰りの最終便に間に合わない可能性もある。そこにちょうど、過去一緒に登ったことのあるVさんから自家用車での登山について申し出があった。そして今回の山行が実現した。この山脈の登山は、現在では烏來側からでなく西側の三峽側からが一般的である。熊空から雲森瀑布をへて、主稜線へ登る。卡保山を登ったあと逐鹿山へ縦走、そしてまた雲森瀑布へ下って登山口まで帰る回遊型で歩いた。全行程、9時間半を要した。

大石のゴロゴロする沢を渡る
朝6時45分に、MRT古亭駅で集合しそこからVさんの車で熊空へ向かう。今日の登山メンバーは、常連のLさんZさんも含めた四名パーティである。幸いに途上は渋滞もなく、約1時間でスムースに目的地熊空に着いた。バス停からそのわきの産業道路を更に進み、雲森瀑布への道の入口まで行って駐車した。一般公共交通機関で来た場合は、バス停からこの場所まで登ってくることも含め、ほぼ2倍以上の時間がかかる。出発時刻を大幅に早めることができた。

雲森瀑布
滝の上部
支度をして7時50分に出発し、右に平らに行く土の道を歩く。僅かな上り坂の道は、山腹を忠実に縫ってすすむ。幅が広く良い道である。雲森瀑布へは行楽客も多くいくので、よく歩かれ整備されている。樹木がきれて、右に山が見える。五寮尖から白石山へと続く山並みである。30分ほどで、大きな河原にでる。ここは大きな山崩れが起きてその土石が谷を埋め尽くした場所だ。渡ると右に中坑溪が流れ込んでいるのが見える。水量は多くない。

組合山方向への分岐、ここは直進
倒木も現れる
少し休憩し、山道を登り始める。左に逐鹿山西峰への道が分岐する。今日の下りに降りてくる道だ。巨石が埋める沢を渡ってすぐ、雲森瀑布が現れる。落差が大きい。水量はそこそこあり、見応えがある。左の急坂を登っていく。数分で滝の上部に着く。ここから尾根上の道になる。8時58分、右に組合山や滿月圓へ続く道を分岐する。道はずっと上りが続く。ここまでくると、倒木なども現れ、雲森瀑布までの道と比べると程度が落ちる。それでも三日前の大平林山-内平林山などに比べれば、格段に良い。今日のはじめの山頂卡保山へは、出発点から高度差約1100mある。こうした直線的な上り坂は、一定の速度を守り30分おきに5分ぐらいの休憩をとって登ることだ。焦っても早く着くことはない。

水場の沢上部を見る
森がきれて景色が見える
道は山腹を行き、左側の中坑溪が近づいてくる。9時43分、沢わきの水場に着く。標高は約1000m、このルートでは最後の水場だ。この規模の山であれば、水はそのまま飲用しても問題ない。冷たい急流が流れていく。出発して約2時間、卡保山への約半分の位置だ。少しの休憩後歩くこと約20分、林からでて左が開けた場所を通過する。今回は、ほとんどが森林の道なので、景色が望める場所は少ない。遠くの山は熊空山のようだ。途中一度休憩し、10時43分に木炭古道分岐に着く。木炭古道とは、数年前に見つけられた卡保山山腹を行く巻き道である。途中に炭焼をした跡があるので、この名前だ。ただ、この場所で商品として炭焼をすることは、その労力を考えるとありえないと思うが。ここで標高は約1300mだ。残りは約300m弱だ。

木炭古道分岐部
笹の間を登る
山腹の登り道は、勾配を増してくる。補助ロープの坂道が現れる。11時4分、笹が現れそのあたりで主稜線からの枝尾根に上がる。枝尾根上を進み11時25分、主稜線の分岐に着いた。右に行けば樂佩山である。左に主稜線上の坂道を登る。数分の登りを行くと、道の両わきは密生した笹になる。踏跡ははっきりしているが、狭いので濡れた笹でズボンも濡れる。三角点のある頂上まで、上り下りを繰り返し進む。樹木がまばらになり展望ができる。ただ、霧が出てきているので遠くまでは見えない。東側烏來の福山の谷や、その少し先の山は微かに見える。この山域で有名な原生の山毛欅(ブナ)がある。台湾のブナは、地球上最南端のブナとのことである。日本では東北白神山地のブナ原生林が有名だが、台湾ではここだけだ。そのため卡保山は範囲外だが、それより南の部分は最近插天山自然保護區として保護管理地域になっている。11時56分、卡保山山頂(標高1582m)に着いた。

卡保山への稜線から見る、下は烏來福山の谷あい
卡保山山頂
かなりの高さの岩壁を下る
本登山記冒頭に載せた、『思い出の山々』によれば、当時は櫓が山頂に建っていたそうだ。日本統治時代、実はここだけでなく各地の山頂には櫓が建てられていたようだ。今は、三角点基石が二つある。一つの背が高いほうはおそらく日本時代からのものだろう。七十数年前、台北工業学校山岳部のメンバーがここで見たはずだ。卡保山は加母山ともいう。加母山は、カボ山をそのまま日本語読みで漢字をあてたように思える。山頂周囲は樹木に囲まれ展望はない。霧もかかっているのでなおさらだ。食事をとり、ゆっくり30分ほど休憩する。

原生林の間を下っていく






12時28分、逐鹿山へ向けて出発する。二、三分で右に道を分岐する。福山方面へ下る道だ。70年前にはこのような山道はなかっただろうが、おそらくこの道がある枝尾根をたどって、台北工業学校の学生が登ってきたのだと思う。いずれチャンスがあれば、歩いてみたい。急坂が続く。途中登ってくる二人パーティーと行き違う。我々とは逆回りで縦走しているそうだ。20分ほど下ってきたところで、岩壁が現れる。ここはかなり落差がある、十数メートルはあるだろう。幸いしっかりとした補助ロープがあるので、安全に下れる。

縦走路に靴底が
13時8分、午前中登りの際に通りすぎた木炭古道の分岐に来る。この道は、ここから卡保山の山腹を巻いて先ほどの分岐を過ぎ、更に組合山からの稜線へと続いていく。木々の向こう透けて見える卡保山が、すでにだいぶ高い。この辺りが逐鹿山への稜線上最低部分である。標高は約1280m、逐鹿山へはこれから約百三、四十メートルの登りが始まる。歩いて約一時間弱の地点で休憩する。

森の切れ目から逐鹿山方向をを仰ぎ見る



上り坂を行く。靴底が道にポツンと落ちている。山を登っている時に靴底が剥がれたのだろう。その後難儀したことだと思う。逐鹿山への登りは、高度差はそれほどでもないが、距離がありまたニセピークもあり、気持ち的に辛い。巾の広い尾根道を登っていく。14時11分、逐鹿山山頂(標高1414m)に着く。二度目の来訪である。ここでも、ゆっくりと休憩する。残りは下りだけだ。前回の訪問の際も、午後雷雨に見舞われた。今回も雷が鳴り、ときどきポツリポツリと雨が降ってくる。本降りにならなければ良いが。

逐鹿山頂上に到着した
根節蘭の花
14時35分、下山を始める。二度目の下りなので、道の様子はわかっている。昨年と同じに、道脇に紫の根節蘭の花がさいている。15時3分、水場を通り過ぎる。この辺りは雨が降った後のようで、濡れている。幸いに今は雨は降っていない。15時10分、左に逐鹿山西峰を経由して雲森瀑布へ下る道の分岐にくる。前回は雨だったので、安全を考えて往路をそのまま下ったが、今回はこちらの道を下ることにする。

雨が降ったようで石が濡れている
逐鹿山西峰/雲森瀑布への分岐
この道は、もう一つの尾根道に比べると歩かれている程度が低いように見える。踏跡が細めだ。尾根上の道から、杉林の間をつづら折りに下る。途中一度休憩し、15時43分、逐鹿山西峰が現れた。西峰と行っても森のなか、樹木に表示が括りつけられているだけで、山頂の感じはほとんどない。山の下から眺めると山頂なのだろうが。そのすぐ下、古跡遺址2分と道標がある道が右に分岐する。どんなものなのか、この道を行ってみる。しかし、古跡らしいものはない。標識リボンもその先ない。石積のように見えるものがその古跡なのか。道にもどり、また下る。

木に括りつけられた西峰頂上の表示
崩落部分のへりを下る
午後のにわか雨のあと、谷間の霧が晴れていく
急坂をロープをつたって下る
急坂を下っていく。前方に、とても広い範囲にわたった山崩が眼前に現れる。この斜面の土石がそのまま流れていって、雲森瀑布への道の途中の谷を埋め尽くしたのだ。自然の力は恐ろしい。崩落した谷の淵を急坂が下っていく。ずっと補助ロープが続いている。約30分の下りで、朝通過した分岐にたどり着く。その先少し行き、沢岸に下りる。16時34分、小さい滝の前で最後の休憩をとる。ズボンをまくると、案の定ヤマヒルが左右一匹づついる。一方はすでに血を吸い始めている。塩を取り出しまく。そのうちポロッと落ちる。山道の草の間を通った時に取り付いたようだ。





沢岸でゆっくりと最後の休憩をとる


30分ほどの休憩後、最後のセクションを車の駐車してある出発点へ向かう。下山途中では降られなかったが、このあたりは雨がふったようで草が濡れている。晴れ間が戻り、夕陽が差し込んでくる。今日の充実した歩きを思い出しながら進む。15時27分、出発点へ戻った。台北へもスムースに1時間ほどで帰った。

夕陽の差し込む山道を出発点へ戻る


今回は、歩行距離は約12.5km、休憩込みで約9時間半である。一気に高低差1100mを登るのは、やはり辛い。しかし、道がよく一定のリズムを保って登れば、十分予定時間内に歩けるものである。終わりのない登りはない。困難度は山道クラス3、体力要求度クラス5である。插天山脈は、台北から近い所謂中級山である。標高1000m以下の山とは、規模にして一ランク違う。植生も異なる。交通アクセスの問題が解決して、もっと登って行きたい。

2014-08-28

2014年8月27日 平溪大平林山 - 內平林山縱走 草に埋もれた縦走路

大平林山からの稜線上で見る内平林山
昨年6月にこの山域の内平林山を訪れた。平溪の十分から歩き始め、内平林山に続く西歩道を歩いて内平林山を登り、東歩道を回って下山した。内平林山頂上は、周囲の草が刈取られ、そこから東側を望むと大平林山へと稜線が続いており、いずれは行ってみようと思った。山林投の間に山道が下って行き、縦走を誘っているかの如くであった。その前年の秋に、藍天隊がこの周辺の山道の草刈り整理をしており、山道はよい状態であった。頂上からの眺めは広く、再訪にも十分価値がある。

去年6月の内平林山山頂
ほぼ同じ角度から見た現在の内平林山頂上
それからほぼ一年たち、大平林山から内平林山を訪れた。しかし状況は大きく変わり、山道は草にすっかり覆われ、ハードな登山を強いられた。自然の力は強く、草刈りする前のような状態に戻っていた。頻繁に歩かれている幼坑古道から、一度大平林山に通じる台車道越嶺路に入り、土地公のある分岐からは草に埋もれた山道を登ることになった。大平林山から内平林山の縦走は、それにもまして絡み合った刺の草が行く手を遮り、内平林山の頂上下では山林投が密生して山道を覆い隠し、方向を見定めて草の間や山林投を踏み越えて登った。わずか1.3kmの道のりに、何と2時間10分を要した。平均時速は0.6km/hでしかない。鎌を取り出し、道を切り開いて進んだ。苦労度合いは、6月に訪れた七兄弟山に匹敵する。ただ、内平林山からは良い道があるので、下山は楽であった。
北側の三貂嶺から南へ歩く
高度は低いが、苦労が多い山道
基隆河の右岸で、瑞芳と雙溪、平溪との間にある山域
基隆河を渡る平渓線の列車
台北から台鉄の区間電車で登山口の三貂嶺駅へ向かう。今回もZさんとLさんの三人での山行だ。車内は宜蘭に向かう分岐の八堵をすぎると、乗客はだいぶ少なくなった。8時半過ぎに三貂嶺駅した。この山間の駅で下車するのは、ほとんど登山者だ。平日だが、年配者登山団体メンバーが多く下車して、清閑な駅は一時賑やかになる。8時45分線路にそって進み、本線下の通路をくぐり、右に分岐していく支線平溪線沿いに歩く。数名の登山者が三貂嶺瀑布歩道の分岐近くで話をしている。久しぶりにおとれたが、道標など新しくなっている。

幼坑古道を歩く
そのまま直進する。基隆河を渡る鉄道橋の左脇は歩道になっている。橋の向こう側にも住居があり、地元の人にとっても必要だ。もともとは吊橋があったが、すでになくこの鉄道橋しかない。吊橋の橋脚は、残っているが住宅の一部となってしまっている。橋を渡り、民家の前で右に曲がり進む。突き当たったところから、幼坑古道の階段が始まる。三貂嶺駅から約15分の道のりだ。

台車道の入口、右にこの道不通の表示
分岐近くの土地公祠
幼坑古道は、はじめの部分はコンクリの道で状態が良い。平渓十分まで続く道である。道に蜘蛛の巣が掛かっている。風と木々の間から差し込む光線の具合で、蜘蛛の巣が光ってハート型に見える。登って行くこと8分、右に魚寮山、左に頂坑山への十字路の峠を越える。その先すぐ、左右に道が別れる。右は魚寮山からぐるっと回ってくる道のようだ。左に道を下る。9時15分、分岐にくる。直進する道は、これから歩く台車道だ。右に大きく戻っていくように進む道が幼坑古道である。親切に手書きの地図が木に取り付けてあるが、簡単すぎて役にたたない。

沢に降りて休憩する
台車道は入口のすぐ右に、この道不通という表示がある。幼坑古道を歩くハイカーが間違って入ってこないためだろう。台車道は、もともと奥にある炭鉱から石炭を搬出するためのトロッコ線路があった。今は線路は撤去されているが、道は平坦でそこそこ道幅もある。切り通しもある。15分ほど歩きやすい道を進む。右に草の中に降りていく道が分岐する。その左には土地公の祠がある。大平林山への道は、この右の道である。ひと目で、この道はあまり歩かれていないことがわかる。道は沢に下りる。時刻は9時35分、三貂嶺駅より約50分、一休みする。

草に埋もれた台車の車輪



沢沿いに少し進む。左にコンクリ製の入り口があり、水が流れ出ている。その先で沢から離れ登っていく。左に坑道通気坑が開いている。登った部分には標識リボンがあるがその先がない。右に踏跡らしきものがあるので、登っていく。トロッコのレールや車輪、歯車など機材の部品が草に埋もれて転がっている。しかし、どうやらこれは道ではないようだ。先ほどのリボンの場所へ下りる。探してみると、草が茂ったその奥に別のリボンがある。草が生えて踏み跡を塞いでしまっていたのだ。下がっていき、すぐ右に炭鉱入口がある。入口はほとんど埋もれてしまっている。
廃坑入口
レールの橋を渡る
先ほどの場所は、沢の二俣で渡った沢は枝沢だったようだ。大平林山へは主流の左岸を進む。道は草に埋もれて、道筋はほとんど見えない。ここももともとは台車道だったのだろうが、土砂崩れなどで路面が崩れてしまっているなど、土地公の分岐以前の部分と比べると状態が悪い。レールを使った橋を二カ所過ぎる。廃坑入口も通りすぎる。沢際の休憩場所から約1時間ほど歩いてくる。沢の水音は聞こえなくなり、涸沢などの中を登る。10時54分、藍天隊の道標がある。左はもともとの道、右は新しく開いた道、ということである。左をとり涸沢から左の斜面を登り始める。風がなく、全身から汗が噴き出る。11時19分、幼坑山から大平林山へと続く枝尾根の峠部分に着く。峠を越えて降りていけば、また幼坑古道に合流する。ここで一休みする。

深い草の道なき道を登る


尾根道を登り始める。倒木や行く手を塞ぐ草など、この部分も苦労する登りだ。茎には無数の棘、枝にも小さい棘がびっしり生えている草が沢山ある。手でどけることもできないので、いよいよ準備していた鎌を取り出し、道を切り開く。11時58分、峠部分から約20分の登りで、枝尾根上の430峰を越える。周囲の草の上から、幸いに展望ができる。五分山から三爪子坑山の稜線、その右には九份上部の大、小粗坑山などが、くっきり望める。谷筋には候硐の街の一部も見える。

430峰からの展望
基石のある大平林山頂上
一度少しくだり、登り返すと主稜線の分岐に着いた。そこから左に稜線上を進むこと5分ほどで、12時11分大平林山頂上に着いた。頂上は樹木や草に覆われて、ほとんど展望がない。木の隙間から、対岸に雙溪の山々が見える。少し縦走路を戻り、木陰の下で昼食休憩をとる。雙溪側から風が吹き上げてきて涼しい。唯一の慰めである。

草の刈ってある大岩

30分ほどの休憩後、稜線を内平林山へ向かって歩き始める。先ほどの分岐を過ぎて進む。小ピークを登り、最高部をすぎてそのまま進む、もともとほとんど踏跡がないが、ところどころにある標識リボンも見えなくなってしまった。どうやら、道を間違えたようだ。最後のリボンの場所に戻り、道を探す。しばらく探した後、最高点の近くから左に進むことが判った。道標などは2012年9月と新しく、分岐部の要所には付いているが、その後ほとんど歩かれていないようで、踏跡がほとんどなくなっている。木々が切れて、左に内平林山とその前のコブ二つが見える。わずか1キロぐらいの距離だが、二時間を要すとはその時は思ってもみなかった。

大岩上からの展望
大岩の下を巻いていく
13時13分、左に后番子坑へ下る分岐がある。しかし道筋は見えない。稜線道も草にうもれている。大平林山への道も大変だったが、この稜線道も状態はよくない。13時40分、大岩の下にくる。もともと取り巻いていた山林投が枯れて残っている。おそらく二年前にこの展望点を綺麗に切り開い時の名残だろう。岩の上に登ると、430峰にくらべ更に東側が望める。牡丹山から燦光寮山までも見える。14時5分、大岩の下を巻いて進む。稜線上にまた戻り進む。左側が開けて、雙溪側の柑腳山などだけでなく、更に遠い桃源谷方面の山も望める。稜線の前方は、内平林山がだいぶ近くなってきた。

雙溪方向の山を見る、左はし遠方は桃源谷
内平林山最後の登り、背後に歩いた稜線
14時30分、内平林山前の最後の小さなコブを越えて、少しくだり最後の登りとなる。登り始めると、標識リボンが全くなくなった。左に進んでみるが道はない、尾根を進むにしても山林投が幾重にも重なって生えている。道を探しても判らない。ただ、すぐ上は内平林山頂上であるのは間違いない。最後のリボンのところから、頂上めがけて道なき部分を登り始める。最後は山林投を乗り越えて登る。曲がりくねった山林投の枝にのって進むが、脚を取られて大変だ。15時10分、頂上が見えた。最後の僅かなところで、40分も時間を費やした。

内平林山からのパノラマ、左端は五分山、正面は九份金瓜石の山々
頂上端の草に埋もれた登山道、ほとんど道とは判らない
三人とも頂上にたどり着き、一息入れる。頂上の様子は昨年と全く様変わり。周囲の風景は同じだが、刈取られていた周囲の草はびっしり生え、綺麗だった頂上も草が生えて三角点基石を埋めている。昨年、はっきりしていた大平林山への山道は、よくよく観察すると山林投の下にある。これでは、ここに山道があることすら判らない。

西歩道との分岐




15時半過ぎ、下り始める。もともとは、西歩道を少し行き、そこから右に分岐する幼坑越嶺路をへて幼坑古道へ下る計画だったが、時間もすでに遅くこの部分も道の状態が良くない可能性も高いので、ルートを変更した。下っていくと、左に大平林山へと続く道を示す道標があるが、道筋は全くない。これをゆけば、山頂を巻いてもともと先ほどリボンが見えなくなった場所に続くようだ。そのすぐ下で、西歩道に合流する。西歩道は、そこそこ歩かれているようだ。しかし、今日は左に折れて平湖遊樂區へ下る。

平湖遊樂區
文字の欠けた平溪森林遊樂區標柱
15時45分、古ぼけたあずま屋と展望台が草の中にポツンとある平湖遊樂區へ着く。ここからは東歩道経由でも帰れるが、そのまま谷に下ることにする。あずま屋の先で右に下り始める。石畳の道は、草に埋もれている。ほんの数分で、車道にでる。これから先は、車道を下っていく。16時13分、道脇の土地公でしばらく休憩する。10分ほど寛いだあと、また車道を下る。道の両わきには、誰も使わないあずま屋や、誰も通らない立派な橋が掛かっている。ここは平溪森林遊樂區である。入口にあたる部分には文字の欠けた門柱に、民国87年(1998年)八月の年月と当時の地方政府長の名前が見える。鳴り物入りで造ったのかもしれないが、現在のこの状態を見ると、誰のための税金投入だったのかと、思う。

十分に着いた、空には天灯が


車道を更に進み、平福公路(二号丙省道)に合流する。右に下っていく。まだ開通していない暖暖へ続いていく道の分岐を過ぎる。十分への下り坂から、空を見あげると観光用の天燈がたくさん上げられている。中には、火が燃え尽きて落ちていくものもある。五分山を見ながら坂を下りきり、左に106号線を進んで17時23分南山社區バス停に着く。バスまでまだ30分以上ある。バス停わきのあずま屋の前で、着替えなどしてゆっくり待つ。ここは観光地、外国人観光客もバス停で並んで待っている。道に天灯が落ちてきた。18時13分、795番バスがやって来た。

795番バスがやって来た
今回は、歩行距離としては約11.5kmだが、約半分は車道歩きである。所要時間は8時間半、そのうちの7時間が山道であり、冒頭にも記したように大平林山の登りから内平林山への部分が6時間である。道が良いか悪いかが、活動時間に大きく影響する。低い山でも、道が悪ければかなりの労力と時間を必要とする。困難度は、山道クラス5(最悪)、体力要求度クラス4である。自分で道を切り開くことを厭わないならば別だが、一般のハイカーにはお勧めしない。