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2014-10-01

2014年9月27日 新竹李棟山-馬望僧侶山縱走 日本統治時代の歴史が残る山

李棟山莊への道すがら見る李棟山
李棟山山頂三角点と砦の正門
新竹県と桃園県にまたがる標高1914mの李棟山は、一等三角点が設置されている。ここは日本統治時代、原住民泰雅族の最後の抵抗のあった場所である。衝突が終了したあと、日本統治政府はこの頂上に原住民管理の目的で大きな李崠隘勇監督所の砦を設置した。一等三角点が設けられているように、ここは周囲を見渡し睨みを効かせるにはすぐれた場所でもある。それから約100年、今は内部建物はすでにないが周囲を囲む高い壁はまだしっかり残っている。大正時代の飾りがついた正門も、崩れずにそのまま立っている。日本との歴史的つながりが強い山である。また、それと同時に台湾各地の山を代表する小百岳の一つにも数えられている。

西側の李棟山から反時計回りに回遊する
下りメインの稜線歩き、馬美道路を登り戻る
李棟山は南の李棟山荘から登ってくる主要な登山道以外に、東西に延びる尾根上に登山道がある。西は大混山、東は泰平山と馬望僧侶山を越えて、大漢溪の谷に落ちる。その落ちた先の対岸は塔曼山や拉拉山のある巴稜だ。今回は李棟山荘から李棟山を登ったあと東に泰平山へ進み、その後果樹畑をつないでいく産業道路に出て馬望僧侶山を往復した。馬望僧侶山からは、馬美道路を登って出発点の李棟山荘へ戻った。

新竹県尖石郷と桃園県復興郷の県境にある山塊
奥の三角形が大霸尖山、手前は西納其山
先月の卡保山-逐鹿山山行の時と同様に、Vさんが自家用車を提供してくれたので公共交通機関ではアクセスが不便なこの山行が実行できた。筆者も含め四人パーティでの山行である。台北から第三高速道路を關西インターチェンジで降り、一般道を內灣へ向かう。尖石郷に入り県道60号線で谷底から山腹をつづら折りで登っていく。今日は天気が良いので、高度が上がるにつれ展望できる範囲も大きくなる。宇老派出所のある峠を越えると、反対側の山が眼前に広がる。展望のできる場所で車を停めて眺める。大漢溪の深い谷を挟んだ対岸には,重なる虎禮山と西納其山の向こうに、大霸尖山の大きな山頂が望める。いずれは登りたい台湾の代表的な高山だ。
李棟山莊
李棟山登山道
馬美道路を進む。前方に目標の李棟山のもっこりした山容が見え隠れする。8時半過ぎに李棟山荘に到着する。台北から約2時間の道のりであった。この山荘は、馬美道路などが整備され台北から日帰りができるようになる前は、ここに一泊する登山客が利用していたが、今はもう誰も宿泊しないので、かなり古くなり壊れている。主人の朱さんがこの地で長く経営してきた。今は老齢で営業はしていない。山荘前にくると、ちょうど朱さんが外に出てきて挨拶し、写真を一緒に撮る。8時45分、様々な登山団体の標識リボンがかかる山荘の下をくぐり登り始める。ちょうど山桜を移植するとのことで、職人が二人木の掘り出し作業をしている。

産業道路と登山道の交差部分、左に登山道を登る
展望台から見る大霸尖山とその周囲の高山
状態のよい山道が、つづら折りで登っていく。20分ほど登ると、土の産業道路に合流する。この道は宇老から尾根に沿って登ってくるようだ。頂上の砦を建造したり、その後必要な物資を運搬するために切り開かれたのだろうか。今も頂上には天候観測設備や通信設備があり、それらの設置やメンテにも使用されているのだと思う。産業道路は、当然勾配が少なくそれだけ距離が長いので、そのすぐ先にある山道をとり登る。更に産業道路を横切り進む。9時15分、少し休憩する。

砦は高い壁が取り囲む

更に山道を行き、3回めの交差点わきには展望台がある。高度が上がったので先に往路で見た時に比べ、手前の山は相対的に低くなり、その奥の大霸尖山だけでなく、その左右には雪山や品田山などいわゆる武陵四秀の超3000m級峰々も望める。実に眺めがよい。さらにまた山道をゆくと、高い壁が現れる。頂上の砦跡の一角だ。壁際にそって進み、正門の前に来る。中に入るとかなり広い内部には、通信鉄塔やその設備小屋のわきに一等三角点の基石が埋められている。その他の部分は草に覆われている。時刻は9時36分、李棟山荘の登山口から約50分の登りである。

李棟山山頂、一等三角点の周囲には通信設備が立つ
李棟山は広い頂上だ。この広い場所を利用して砦が建てられた。日本統治時代、殖民活動として台湾の山谷に入っていく。山での主要な産物はクスノキから取れる樟脳である。清朝時代からも樟脳生産活動が始まっていたが、日本政府はそれを更に展開していく。深い山々は、原住民の狩場でありまた生活の場所であった。山に入って樟脳を煮詰める脳寮には、日本人職人も含め作業をしていたが、原住民との衝突で襲撃され死亡する事件もたびたび起きた。台湾の漢人抗日運動が1900年代で下火になると、日本統治政府は原住民との衝突を解決する理蕃政策を展開する。原住民との境界である隘勇線を奥に展開していく。台北近くでは、獅子頭山などにその駐在警備家屋の遺跡などが残っている。

内側から正門を見る
どんどん古来からのテリトリーを侵食されていった原住民泰雅族との間で、1911年にこの地で最後の抵抗衝突が起きる。李棟山事件である。日本軍も原住民にも死傷者が多数でるが、最後に日本軍は山頂を制しそこに大砲をすえて周囲の集落ににらみをきかせることになった。1913年に砦が建てられ、李崠隘勇監督所が設立される。一部の部落は移住させられ、原住民の抵抗はこれで終了する。原住民の言葉でタポン(雪をかぶった山の意)と呼ばれる李棟山はその歴史を見てきた。この砦跡は、現在新竹県の文化遺産(TAPUNG古堡)として指定されている。

泰平山への登山口分岐
いちごのような赤いキノコ
砦の高い壁に囲まれた山頂は、展望はできない。日陰も無いので飾りの施された正門を出て、門の外で少し休憩する。正門前からは大混山への道が続く。これから進む泰平山へは、産業道路を少し下ったところから分岐する。9時55分、標識リボンがたくさんかかる山道の入口に来る。山道は、細い落ち葉の道である。今日の行程は李棟山が最高点で、後は下り基調の歩きである。雑木林の間を行く道は厚い落ち葉の絨毯で、歩くと弾み返す場所もある。以前大保克山を歩いた時、同じようにフカフカした道を歩いた。今回はそれより弾みはないが、かなり長い範囲である。いちごのような赤いキノコが生えている。

ふかふかした落ち葉道を行く
森の中を下る
概ねゆるやかな道が30分ほど続き、坂がきつくなる。虫が顔や耳にまとわりつき、うるさい。10時40分、林の中で休憩する。少し風が吹いている。更に下り、約10分ほどで泰平山との最低鞍部に着く。ここからしばらく登り返しが始まる。一部杉林の間を通り、11時22分に泰平山(標高1690m)につく。頂上といっても林間の平らな場所で、周囲はすべて樹木、樹木に山名板が取り付けられていなければ、頂上とは判らない。李棟山から約1時間半の道のりだ。少し休憩する。

泰平山頂上
木の根に重なるように生えるキノコ
泰平山からまた下りが始まる。少し下ると左に大きく折曲る場所を過ぎるが、そのまま下っていく道もあるようにも見える。そのあたりから尾根上を下る。結構な勾配だ。11時55分、森からいきなり果樹園わきの産業道路に飛び出る。山道はここでひとまず終わりだ。果物には袋がかけてあるが柿の果樹園のようで、道端に一つ柿が落ちている。ここは標高が1400mぐらいで李棟山より500mぐらい低い。開けた果樹園の向こうに低陸山と虎禮山が高く大きな山容で控えている。

産業道路から果樹園ごしに展望する

産業道路を道なりに進む。鉄の門を過ぎ、少し下ると別の産業道路に合流する。ここを左にとり進む。登ってすぐ、左右に道が分岐する。帰路に判ったことだが、どちらをいってもあとで合流する。とりあえず登っていく左の道をとる。道が終わりになる。そこで探してみると、右に草むらを下がっていくような標識リボンがある。藪こぎをして降り切ると、産業道路がある。先ほど分岐で右にいく道だ。左に産業道路を進む。するとまた分岐がある。ここも左にとって進む。竹林を過ぎたところで休憩を取る。時間は12時半である。

産業道路を進む
ジグザグ道を登り切る
産業道路を更に進む。右に作業のトタン板小屋を過ぎると、また道は草薮になる。藪こぎをしばらくして進む。右側よりバイクの音が響いてくる。その先、また舗装された産業道路と合流する。ここも帰りに歩いたとき判ったが、分岐で先ほどの道を右にいっても同じくここへ来れた。またしても産業道路を進む。急坂をジグザグに登りきりその先に進む。左右に道が別れる。ここは勘で左に行くと民家がある。しかし山道らしいものは見えない。ちょうど住人がいたので尋ねると、道はこの民家わきを進んで畑を突っ切ったところから、馬望僧侶山への山道が始まるという。お礼をして畑を突っ切り、切れ目の入った囲いの網をくぐり山道に入る。

馬望僧侶山山頂
ステンレスタンクのわきを過ぎ、開けた場所を過ぎる。東方向に復興尖山の尖ったピークが見える。ガスがかかり始めてその更に東の山々ははっきりしない。左の大きな山容の山は巴博庫魯山だろうか。山道は、しばらく草の間を登っていく。12時55分、馬望僧侶山頂上(標高1577m)につく。三角点基石が埋められている。ここで食事休憩を取る。ガスがどんどん上がってきて、天気は良いものの遠くの山はガスの中に隠れ始めた。この山名もとても変わった名前だ。

馬望僧侶山から東の巴陵方向を望む、ガスが掛かってきた


ここが今日の最終点で、13時20分過ぎ帰路に着く。登ってきた道を下り、民家に戻る。住人が外で作業しているので声を掛け、産業道路を下る。先ほど藪こぎしてきた道は通らず、左に産業道路を進む。この道もあまり交通量がないのか、舗装はされているが草が多いかぶさっている。草を抜けると、果樹園が開ける。遠方に李棟山の頭が枝尾根の向こうにのぞいている。道なりに進み、もう一つ別の道を通って、馬美道路に下る分岐へ戻る。左にとって、坂を下る。道脇には桃などの果樹が植えられている。14時15分、馬美道路に出る。ここは標高約1340m、今日の行程中の最低点である。李棟山荘は標高1540mなので、馬美道路を約3kmで200m登り返すことになる。

帰路上、前方に李棟山が頭を覗かせている
馬美道路から李棟山から泰平山への稜線を見る
馬美道路は、そのまま下ると三光を経て第七省道、北横公路に出る。この部分はほとんど交通量がないようで、山荘へ戻る間車両は一台も出会わなかった。ところどころきつい勾配もあるが、概ねゆるやかな登りが続いていく。路面はおおむね良いが、ところどころは段差が大きくクリアランスの小さい自動車だと床をこする可能性もある。土砂崩れがあったような場所は、しっかり補修されている。14時半、道端で小休憩を取る。

建築中の建物とその奥の山々

更に坂を登る。約20分ほど歩くと道は平になってくる。李棟山とそれから泰平山に延びる稜線が見える。午前中に歩いた場所だ。残りも後わずか。道脇の0.5kmおきのキロポスト表示が、6.5、6と少なくなってくる。道脇に建築中の鉄骨だけの家屋がある。二階建てだが、これは民宿のようなものになるのか、それとも果樹園の作業小屋か。その先、カーブをひと曲がりすると、山荘が現れた。我々の車が停まっている。今日は休日だが、他の登山者はいないようだ。15時22分、約6時間半の歩きを終えた。着替えなど、帰りの支度をしていると二人のバイクライダーがやって来た。オーストラリアからとのことである。中国語も話せるので、筆社と同じように台湾在住かもしれない。

李棟山莊へ戻ってきた
今回の行程は13.3km、そのうち山道は約9kmだ。今日のようなルートであると山道は下りがメインとなり、体力的には楽だ。ただ、帰りで200mの落差を登り返すが。歴史的に日本とのつながりが強く、統治時代の遺跡が残っている李棟山は、日本人登山者にもっと登ってもらいたいと思う。但し、公共交通機関ではなかなかアクセスが簡単でないのが難点だが。景色もよく、ふかふか登山道もとても特徴がある。このルートの困難度はルートについてはクラス3、体力的にもクラス3である。

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