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2015-05-18

2015年5月16日 桃園復興尖山 - 庫魯山縱走

上巴稜から望む復興尖(左の尖ったピーク)と中央の庫魯山(2014/5撮影)
桃園市復興区は、桃園の山間部に広がる大きな行政単位である。復興区内で、その山容が尖っている山が三座あり、復興三尖と称されている。西側から那結山夫婦山そして今回登った宜蘭県との県境になる復興尖山である。もともと、前者二座とあまり時期を離さずに登る予定であったが、登山当日の天気が悪く、結局二回延期した結果今回の登山となった。ただ、天気に恵まれ結果的にはよい登山が出来た。この復興尖山登山をもって、一応復興三尖登山は完了だ。

北横公路四稜からスタート、復興尖山を往復し庫魯山へ縦走
歩行高度表
初めて復興尖山を見たのは、昨年五月に塔曼山登山で上巴稜派出所付近のテラスから望んだ時である。まだ不案内で周囲の山々を判別できなかったが、尖った形状のピークが対岸の尾根に突き出ているのが印象に残った。それが復興尖山である。更に今年になって低陸山登山の登山口近くからも尖った形状の復興尖山を見た。今回やっと登山できたわけだ。

宜蘭県との県境になる復興尖山
1980年の四稜
宜蘭県との県境にあるぐらいなので、アクセスも時間がかかる。北横公路をかなり進んだ四稜からスタートした。四稜は、実は1980年まだ北横公路が未舗装の砂利道のころ、オートバイで通過している。そのころの写真が残っている。当時は、かなり遠くまでやって来たものだという印象だった。今回は台北から高速道路を三峡へ、五寮を経由して三民から北横公路に入り約2時間で到着、随分と速くこれるようになったものである。復興尖山登山口は、そこから北横公路を約2kmぐらい宜蘭側に行ったところにある。登山口からは、稜線に登り東へ復興尖山を往復、稜線分岐に戻ってきたあと、さらに稜線を庫魯山へ縦走した。庫魯山から北横公路の55kキロポスト付近の登山口に下山、四稜へ約3kmほど北横公路を歩いて駐車場所まで戻った。

上の写真とほぼ同じ位置、今の四稜
今回もVさんの車でカーシェアである。6時半MRT古亭駅をメンバー6人で出発する。第三高速から第7乙号線、そして北横公路第7号線を進む。道は巴稜を過ぎ登り始める。右側に谷を挟んで4月下旬に登った西丘斯山と雪白山が見え隠れする。今日は快晴である。8時35分、四稜に到着。ここは森林保育事業管理所の建物があり、車も駐車している。北横公路自身は、日本統治時代の角板山三星警備道でそれを戦後拡張し自動車が通れるようにしたものである。四稜は、当時ここに派出所があったのではないだろうか。

北横公路から見る西丘斯山(左)と雪白山
急坂が続く
支度をして北横公路を歩き始める。学生数名が公路を対向方向から歩いてくる。巴稜へ歩いて行くそうだ。山ひだをぬって進む。8時55分、復興尖山登山口に来る。道脇に赤地に白字の板が木にくくりつけてある。その少し先の対面には、道が谷に下っていく。四稜露天温泉に下る道だ。露天温泉と行っても、嘎拉賀溫泉の様に沢の脇に温泉が湧いている自然のもので、上り下りも大変だ。復興尖山へ登り始める、登山口からは急坂が続く。補助ロープの取り付けられている坂もある。木の根がからみ合っている上りもある。約30分ほどの急登のあと、少し勾配が緩やかになる。9時25分、赤字の方向板が取り付いている小広場で休憩する。

倒れた巨木の根の脇を登る
稜線分岐部
休憩後、また急坂を登る。枝尾根を追っていく。大木が根こそぎ倒れている。根の脇には切り取ったあとと思われる角材風になった幹が残っている。すでに緑の苔に覆われているが、倒れた後に不法採取があったようだ。落ち葉が敷かれている山道は、乾いていてとても歩きやすい。10時過、二回目の休憩を取る。稜線までは残すところわずかだ。休憩後登り始め10分ほど、10時20分に稜線に上がり、庫魯山への分岐に来る。ここはそのまま通過する。

展望点からの景色、正面の尾根上に上巴稜の集落がある
ぬかるみを通り過ぎる
下が空洞の樹木の中を通り過ぎる
残り15分ぐらいのところに加油牌がある
巾の広い稜線を進む。はじめは下っていく。尾根上の道は、水がたまりやすいところではぬかっている。今年は雨が少なく、幸いそれほどぬかっておらず、脇を踏んでいけば靴は汚れない。倒木を乗り越える場所もある。10時40分、左に樹木が切れて展望がきく場所に出る。対岸には上巴稜が望める。遠く左には、那結山の尖ったピークが見える。ぬかるみを数箇所通り過ぎ、幹の下部が空洞になっている樹をくぐり抜ける。展望点から約20分、復興尖山への最後の急登が始まる。木に埋め込まれた碍子がある。なぜこんなところに碍子を取り付けてあるのか不思議だ。11時6分、加油牌(ガンパレ標識)の札を見る。痩せた尾根に必至に生き残るため木々は根をうねらせている。その根を乗り越えていく。11時30分、周りの木々は低い灌木に換わり、空が開けてくる。南(右)側は霧が登ってきているが、北(左)側は広大な風景が広がる。塔曼山が大きい。11時37分、頂上(標高1852m)に到着する。三等三角点基石が中心に植えられ、そこそこ広い頂上である。南は灌木が視界を覆っているが、北側は開けて180度の展望ができる。もう一ヶ月早ければ、石楠花の花が見られたようだ。
最後の登りをゆく
復興尖山頂上
頂上からの北側パノラマ、左遠くに那結山、右の大きな山は塔曼山
下りからの展望、前方は1689峰と庫魯山への稜線
約50分ほどの長い休憩のあと、13時28分往路を下り始める。前方には、縦走していく庫魯山方向の稜線が続いている。庫魯山は前方の1689峰の後ろでここからは見えない。北側の谷は深くこれは中級山ならでは展望である。南側は霧が深く、何も見えない。晴れていれば今まで登った山々なども含め、広い展望があるはずだが。かろうじて低陸山の稜線が見え隠れしている。急坂は慎重に下る。ぬかるみの多いセクションを通り過ぎ、13時15分展望点に来る。ここで一休みする。
うねった根の間を下る
庫魯山への稜線道を進む
13時52分、庫魯山への分岐に戻る。メンバーの一人が足をつったので、少し長く休憩する。今日は天気も良く、この先のルートも3時間ほどで下山できるので大丈夫だ。14時10分、稜線道を庫魯山へ進み始める。歩き始めると、このセクションはあまり歩かれていないことがすぐわかる。踏跡がずっと細く、ところどころはっきりしない。ただ、標識リボンは適宜な間隔で現れるので、しっかり追っていけば問題はない。不法に切り倒されたと思われる太い檜の脇を過ぎる。標識プレートが取り付けられ、管理対象になっている。高級木材は、こうした不法伐採があるので、困ったものだ。以前に比べると管理が厳しくなり、登山者も増えたので不法伐採者もやりにくくなっているようだ。

不法伐採の檜
捨てられている水管材料
山腹を巻いていく。14時20分巨木の脇を通り過ぎる。道は概ね落ち葉の道だが、ところどころ湿った場所も過ぎる。低い灌木林の中を抜け、ところどころは台北付近の山の感じである。14時37分、黒い水管材料が道脇に三ヶ所捨てられている。稜線で水場など無いが、なぜこのような場所に運んだのか、これも不思議である。サルオガセがたくさん枝にぶら下がっている部分を過ぎる。これはさすがに台北付近の低山では無いものだ。山道は少し下り、左に大きくまがってゆるい坂を登る。14時45分、庫魯山頂上(標高1570m)に着く。頂上といっても、林間に基石があるだけの場所である。予定より少し早く着いた。小休憩する。

庫魯山山頂
竹林の部分ももうすぐ終わりだ
残りは、高度差500mぐらいの下りである。ただ、道の状態は必ずしも良いわけではないので、注意は必要だ。15時2分、下り始める。数分で草が密集した場所を過ぎる。足もとは草で覆われ見えない。狭い尾根上の道を暫く下る。15時28分、基石が植えてある庫魯山南峰(標高1360m)に来る。写真を写し更に下る。南峰から数分下ると、桂竹の林に飛び込む。倒れた竹もたくさんあり、竹の間を縫っていくのは時間がかかる。幸い下りなので体力はいらない。そのうちに巾の広い道になる。竹がびっしり生えているのは変わりないが、廃棄された林道か何かのようだ。道はつづら折りで下っていく。16時14分、約40分ほどで竹林からでる。道はずっと歩きやすくなる。分岐が現れる。ここは左にとり下る。16時30分、北横公路の登山口に着いた。500mの下りに1時間半、やはり竹林を抜けるのに時間がかかっている。公路を四稜へ30分ほど歩き駐車してある車へ戻った。

北横公路55kキロポストの庫魯山登山口
北横公路を四稜に戻る時、車が何台か通り過ぎた。そのうち原住民の運転する車が停まって、便乗を申し出てくれた。実は、収穫した桃がいっぱいで席がないのにである。彼らはとても気持ちが優しい。帰途、北横公路28.1kキロポストにある料理店(伊麥小吃 0931-198566)で食事をして帰った。このお店は1月の那結山登山後に初めて立ち寄ったお店だ。原住民の女将はとても人がよい。メンバーは今日の充実した山行に思いを馳せて乾杯した。

食事を終え日も暮れてきた、これから帰京だ


今回の歩行距離は約13km、休憩込みの活動時間約8時間半である。今回はかなり休憩を取っている。登攀累計は約1000mである。天気に恵まれてとてもよい山行であった。ここは自分で車を運転していくしか方法がないが、道もよいのでおすすめの中級山コースである。山道はレベル3 ~4、体力レベル3だ。

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