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2015-05-31

2015年5月30日 烏來から卡保山を登る 75年前の日本人高校山岳クラブのルートをたどる

北107郷道德拉楠橋から卡保山を見上げる
昨年八月、卡保山(カボ山)を登った。その時は三峽の熊空から登り、逐鹿山を経て同じく熊空に下った。逐鹿山から卡保山を通り、更に南に伸びる插天山脈は東側は烏來になる。現在はバスなどの公共交通機関を含め、三峽側のアクセスがよいので烏來側からの登山は比較的少ない。しかし七、八十年前は烏來からのアクセスがメインであった。人が押す台車や理蕃警備道が整備され、原住民集落には駐在所があり、烏來からの登山のほうが便利であった。台北近くの本格的登山対象として、烏來から插天山脈には登山が行われていた。今回の登山は、その烏來から登り当時の登山の様子を偲ぶのも目的であった。

北側のカボ山東稜を登り、縦走する回遊コース
単一ピークの歩行高度
今月始め、同じく烏來から巫山を登りその後卡保山へ縦走、烏來に下る予定で登山をした。しかし、巫山登山後時間が足らず、同じルートを下った。今回の登山は、その歩けなかった部分を逆回りに歩いた。巫山には立ち寄らなかったが、それでもかなりきつい登山であった。実際、ネット上の記録でも、健脚者が十数時間掛けて歩いているので、決して楽なルートではない。我々四人も10時間半かかっている。夏が近づき気温が上がり、登りではほぼ無風であったので、辛い登りであった。

11.5kmキロポスト登山口
日本統治時代の台湾山岳会千々岩助太郎著『思い出の山々』では、彼が代表をしていた台北工業学校山岳部の烏來登山合宿(1940年)の内、トンロク(現在の屯鹿、今は駐在所も住居もない)から第一班が約九時間半を費やして、カボ山を登頂している。当時は、原住民泰雅族の道案内のもと道無き道を進んでの登頂である。果たして、どのようなルートで登ったのか、詳細な記述がないので判らないが、現在北107郷道10.5kmキロポスト付近の登山口から登り、東稜をへて登頂したものと思われる。伐採小屋などの記載もあるので杉林なども通りすぎているようだ。東稜を行く道は、現在その麓に近いところでは三本の道がある。今回歩いた道は郷道11.5kmキロポスト付近で、10.5kmからの道と標高約1100m近くで合流する。比較的新しい道なので、この部分は台北工業学校山岳部は登っていない。合流部分以上はまさに、彼らが歩いた道ではないだろうか。三峽側の登山道に比べると、烏來側の道は細く、倒木や草に埋もれた部分も多い。70数年前は、これよりも更に頼りない道だったと思う。

巫山が頭をのぞかせている
今年五月後半は梅雨で雨降りが続いた。今日は、久しぶりに快晴である。6時半にMRT古亭駅に集まり、出発。今回は常連の二名に加え、イギリス人のCさんも同行する。Vさんの車で一路烏來へ向かう。高架橋からは、烏來方面の山々がはっきり見える。烏來から北107郷道を進み7時半に、11.5km登山口近くに駐車する。登山口は沢へ下る道の近くでもあるので、釣人の車やバイクが付近に停めてある。駐車場所から、郷道を300mほど戻る。振り返ると巫山が頭を出している。

下草の密生する雑木林の登り
杉の美林をゆく
7時50分、登山口から登り始める。岩が露出して急斜面である。第一歩から苦労する。まだ樹齢が若い杉林の急斜面を登る。15分ほど来ると焚火跡がある。狩猟など登山以外の目的で来た人が残したものだろう。林相が雑木林に変わる。忠実に尾根を追って急登が続く。8時26分、少し開けた場所で休憩する。ここも狩猟者などが残したと思われる焚火跡がある。下草の茂る雑木林の中をひたすら登る。9時、二度目の休憩をとる。こうした登り一本の道は、30分登攀5分休憩のサイクルが適している。更に10分ほどで、また杉林に入る。こちらはとても高く、樹齢も進んでいる。美林である。下草は乾いているので楽だ。9時45分、三度目の休憩を取る。標高約1000m、登山口から標高差約650mを登ってきた。そこそこのペースだ。

旧登山道との分岐点
谷状の部分を通り過ぎる
相変わらずの急登が続く。9時45分、キロポスト10.5kmからの道と合流する。こちらは今までの部分と比べると道としては古い。標高は約1100m。更に登りは続く。斜面をジグザグに登る途中で休憩後、10時38分稜線上にまた出る。今までの登り一本調に比べると、稜線上は上り下りも現れ変化がでる。標高も高く、風も吹いてきた。それまで、とても暑い中を登ってきたので、そよ風は実に心地よい。10時45分、木々の間から卡保山の頂上が見えた。まだまだ距離がある。少し下り、尾根の形状がとても幅広になる。少しくぼんだ谷状の壁部分を過ぎ、また尾根上を登る。杉林が低い灌木に変わる。灌木は密集し、縫って進まなければならない。11時10分再度休憩を取る。

低い灌木林を登る
標高差残り約200mである。11時45分、密生した灌木が終わり熊笹が密生した部分にでる。台湾ブナの木々が現れる。主稜線が近い。坂はきつく最後の登りは辛い。しかし、景色が見え出すと力が湧いていくる。11時52分、主稜線の分岐に来る。頂上はもうわずかだ。左に曲がり、熊笹の間を進む。11時57分、卡保山頂上(標高1,583m)に着く。標高差約1,200m登攀時間は休憩込みで約4時間である。正直疲れた。Cさんは、過去数年間の内、もっともきつい登山だという。天気もよく、ゆっくり休憩する。メンバーが持ってきたビールやコーラが美味い。

主稜線分岐点
卡保山山頂
谷底に徳啦南橋が見える
12時35分、下山を開始する。ここからは、下りメインである。三、四分進むと展望ができる。左谷底には、駐車場所近くの德拉楠橋が小さく見える。あそこまで下っていくのだ。更にすこし進むと、さらによい展望がある。長い卡保山の端の部分の上には、北插天山やそのすぐ左に拉拉山や塔曼山などが望める。主稜線の右側にも高い山並みが見える。方向からすると那結山付近の山々だ。前回はガスで見えなかった山々が、遠くまでよく見える。熊笹の密生した道を下っていく。反対方向からのパーティとすれ違う。雲森瀑布から登ってきたそうだ。ブナと熊笹の稜線道を下っていく。

稜線から眺める山々、前方のピークの左に桃源復興の山々が見える
雲森瀑布と稜線道の分岐点
13時9分、雲森瀑布との分岐を過ぎる。左に稜線をさらに進む。前方左に特異な三角ピークがある。巫山だ。ちょうどガスが去来し、神秘的な雰囲気だ。稜線をさらに進む。前方に樂佩山が尖って見える。遅咲きの金毛杜鵑の赤い花が、緑一色の中で鮮やかに咲いている。13時47分、滿月圓からの分岐に着く。卡保山頂上から1.4kmぐらいだが、上り下りがあるので、そこそこ時間がかかっている。休憩を取る。

稜線からみる巫山
稜線の遅咲きのツツジ
鞍部から烏來へ下り始める
沢沿いで休憩する
稜線道をさらに進む。少し登り返したところで、樂佩山から下ってきた二人とすれ違う。稜線道はやはり良く歩かれている。分岐から数分で、狭い鞍部につく。風が吹き抜けていく。左に烏來に向かって下り始める。樂佩山の山腹をしばらく行ったあと、沢に向けて急降下する。14時30分、前回巫山登頂のあと、やって来て休憩した沢脇につく。ここで休憩する。Cさんは、登りで頑張りすぎたのか、足に力があまり入らないようだ。

下り道




ここからは四週間ぶりでまた同じ道を下る。稜線の道に比べると、烏來側は明らかに歩かれている程度が低い。沢を少し下って、また右に山腹を進む。雷が遠くでなっているが、今日は雨が降る気配はない。先ほどガスっていたが、また日差しも差し込んでくる。14時47分、巫山への分岐を過ぎる。左に急坂を下る。杉林を過ぎ、15時28分、涸沢を越す。しばらく山腹を進み、また下り始める。もう一つ涸沢を越し、更に下る。16時13分、大岩を通過する。16時37分、巫山山腰路との分岐に下る。鞍部から登山口までの道のりは、残り半分だ。

涸れ沢を越す


山腹道を10分ほど進む。斯莫野溪の支流を渡渉する。水量はそこそこある。17時08分、右に巫山が高い。さらに樹木の枝越しに卡保山も見える。その先、また枝尾根を下だり、高度を下げる。尾根を巻き込み進み、17時23分、テントの張ってる狩猟キャンプに着く。最後の休憩をとる。Cさんは水を飲みきってしまったようで、キャンプ脇の沢で水を補給する。距離はまだ2キロ弱あるが、ここからは道も平らで気が楽だ。17時58分、山腹道は尾根を巻き込み竹林の下りになる。下の方から郷道を行く車の音も聞こえる。もうあと僅かだ。18時13分、阿玉商店脇の登山口に降り切る。登山はこれで終わりだ。

登山口へ山腹道を行く


阿玉商店でビールなどを買って四人で祝杯を上げる。車を停めてある場所へ道を歩き始める。後方からバイクが来て、車のある場所まで便乗させてくれるという。とても親切だ。Vさんは載せてもらい、駐車場所まで向かう。残り三人はそのまま更に歩く。18時30分德拉楠橋のところで車がやって来た。見上げれば、昼間ここを見下ろした卡保山が高く夕方の空にシルエットを描いている。今日は、一日中天気がよくて、本当にラッキーだった。着替えをすませ、暗くなり始めた道を一路帰京した。

阿玉商店前で祝杯、筆者とCさん



休憩込み行動時間約10時間半、歩行距離は約12kmだ。累計で約1300mほど登っているが、大部分は卡保山の登りである。『思い出の山々』では、若い学生は山慣れている原住民に負けじと頑張って登り、かなりきつい登山をしたようである。当時は頂上に櫓が建てられていて、天気が良ければ我々よりはるかによい眺めが出来たはずだが、ちょうど曇ってしまったようだ。「...草につかまり木をよじて進むが白い手袋はたちまち真っ黒になった。まだかまだかと掛声かけながら励まして登っていく。見えた、頂上の櫓が...。」こうした情景は、実際に歩くとまさに身を持って理解できる。それから72年、当時登った学生はすでに亡くなっているだろうが、その体験の一部を感じることができてよかった。困難度はルートについては、烏來側の登山道はクラス4、稜線道はクラス3である。体力要求度はクラス5、健脚向けのコースである。体力に自身のない人は、登らないほうが良い。

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