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2015-06-29

2015年6月27日 慢集團@雙溪中坑古道 - 平溪石硿子古道

集合写真@石硿子古道口(Wさん撮影)
今回は、毎月一回のペースで案内している慢集団の山行である。場所は、すでに二回訪れている新北市雙溪區中坑古道と平溪石硿子古道だ。暑い夏は、台北近郊の山だと尾根道は暑くて大変だ。そこで沢沿いに進む古道を今回山行の対象に選んだ。自分でも好きな古道のひとつである中坑古道を歩き、一度内盤山に下ってまた石硿子古道で峠を越えて平溪へ歩くルートである。昔日の炭鉱街平溪は、今や観光地となり交通の便もすこぶる良い。しかし雙溪の山奥になる柑腳の更に奥にある中坑古道登山口は、公共交通機関の便は良くない。慢集団であると参加者も結構な人数になるので、交通の便を考慮する必要がある。そこで、今回は先に雙溪へ行き、平渓へ出て帰るという歩き方である。

東側の雙溪中坑古道から歩き、内盤山古道、石硿子古道をへて平渓へ
先に中坑古道を歩き、内盤山古道と石硿子古道をへて平渓に行くというルートは、実はその逆方向を四月に歩いている。山道というものは、同じ道でも登りに取る場合と下りに取る場合では、印象が大きく異る。同じルートを逆に歩くのも、またおもしろい。高度でいうと、今回あるいた方向の方が、登りが少し多い。しかし、もともと最高点も四百数十メートルで、方向による差も数十メートルに過ぎないので、実際はほとんど差を感じない。

峠を二ヶ所越していく
雙溪區柑腳もその昔は炭鉱があり、栄えた場所である。山を越えた泰平の集落からは崩山坑古道などを経て買物などをする場所でもあった。炭鉱の閉鎖後は寂れ、時代に取り残された感じである。最近、基隆市暖暖から平渓十分を通り海外沿いの福隆までの道が全線開通した。それに伴い、台北から福隆までの直通バスなども走り始めた。しかし、マイクロバスで便数は少なく、慢集団の活動には適さない。台北から鉄道で雙溪駅へ行き、そこからバスで柑腳で向かう予定である。

F812バスを降りて谷の中坑古道入口へ
参加メンバーは各々272便自強号急行列車に、最寄りの駅で乗車し雙溪駅で落ち合う。この急行列車は、基本全席指定だが福隆までは悠遊卡などのプリペイドカードで乗れ、空いていれば席に着くこともOKだ。本来8時半に到着、8時45分の781番バスで向かう予定であった。しかし、雙溪駅に着くと列車は10分遅れ、一方バスは時間まで待たずに発車してしまっている。出発から出鼻をくじかれた感じだ。

中坑古道入口での写真(Wさん撮影)
はじめは広い道を行く
参加人数を確認すると40人あまりいる。1時間はど待てばF812番バスがあるのが、マイクロバスなので全員は乗れない。駅前のタクシーに相談、運転手は電話を仲間にかけて呼ぶ。やって来たタクシーでメンバーの約半分は中坑古道登山口へ向かう。その後残りのメンバーは9時45分にF812バスで向かう。新北市のこのコミュニティーバスは、どこでも上下車できる。登山口へ下る部分で下車し、谷へ下る。橋を渡った登山口では、すでにメンバーが首を長くして待っていた。

第二渡渉点、水量がとても少ない
最初の棚田
登山口でルート説明をし、10時25分出発する。少し遅れ気味の出発だ。天気は良く、すでに暑い。幅広の土の道を進む。この辺りは、地方政府による観光整備が行われている。新しい橋を渡り、果樹園のわきを行く。土地公の祠を過ぎると沢沿いにしばらくゆるやかな坂を進む。道は細くなり、10時37分はじめの渡渉部分にくる。今日は水量がとても少ない。前回は、ここで靴を濡らしたメンバーもいたが、今日は全く問題ない。柚子が生る下を行く。更に数分で、二回目の渡渉点を過ぎる。渡った対岸は、棚田が現れる。登山口から約20分、今日のハイライト部分の始まりである。

蛙石わきのメンバー
沢越え中のメンバー
棚田を進み終わる部分で、沢をこえて中坑古道の西線が分岐する。この道をゆけば、そのまま後で歩く予定の内盤山古道につながるが、こちらはほとんど状態のよい棚田がない。左に東線を進む。別の棚田を過ぎ、また沢を渡る。10時52分、蛙石の棚田に着く。ここは広々とした棚田で、気持ちが良い。少し休憩を取る。水牛の親子が棚田の最上段で、草を食んでいる。自分のすぐ後ろを歩いているメンバーは、大きな荷物を担いでいたが、彼は飲料やアイスなど皆に配るものを担いでいた。ここで早速皆に配る。全くのボランティで、感謝にたえない。

棚田をゆくメンバー




集落あと、木の下に石の門柱や壁がある
棚田を進み、できるだけ刺激しなように牛のわきを行く。この牛は、もともとこの谷の集落で農耕のために飼っていたものだが、その後村全体が移転し残されたものだと思う。この牛のお陰で、じつは棚田は雑草が茂らずごゴルフ場のグリーンの様にきれいな草原が維持されているのだ。また沢を渡り、棚田に出る。更に沢を渡る。登って行き、11時26分集落跡に出る。登山口から約1時間である。数戸あったこの集落は、今はだれもおらず、石壁や石の門構えが残っている。

集落跡からはしばらく沢から離れ、左岸の山腹に取り付き登っていく。小さな棚田を幾つか過ぎるとまもなく右に道を分岐する。そのすぐ先で右側に棚田に上がる。中坑古道の最上部の棚田である。12時少しまえ、ここで昼食休憩をとる。先ほどのボランティはそばを調理して皆に分けている。他のメンバーなども、果物などを皆でシェアしている。時々吹く風が快い。

しばらく山腹の道を登る
食事休憩の棚田
内盤山古道を下る、左奥に土地公
約40分の休憩後、少しもどって左に進む。これは中坑古道の東西線を結ぶ道だ。ゆるい坂を進む。12時47分、峠を通り過ぎる。これから内盤山までは下り坂である。峠を過ぎた後は、道は急坂となる。10分ほど下り、右に内盤山古道が分岐する。道はまもなく急な下りが始まる。右に土地公の祠をみて下ると、沢に下りる。ここからずっと沢沿いに道は進む。前回なかった倒木が道を塞ぐが、枝がくられているので助かる。沢を越える。水量はこちらもとても少ない。

草がびっしりで踏み跡が見えない



左岸をずっとくだり、右岸に渡る。草がびっしり生えて、踏跡が見えない。この古道はあまりアルカれていないのか。13時30分、沢は主流に合流し、道は左に主流沿いに登り始める。沢を渡る部分で休憩を取る。後半が追い付いてくるのを待つ。14時2分、内盤山の集落に着く。14時発のF812番バスがちょうど出発したところだ。

内盤山産業道路を行く
石硿子古道入口
内盤山産業道路を右に進む。振り返れば枋山坑山が高い。今日のルートは、ピークにはまったく登らない。古道歩きだけである。10分足らずで石硿子古道登山口に着く。コンクリ階段を登り始める。土の道になってまもなく、右に道が分岐する。少し行くがおかしいので戻り確認、やはり峠へはその少し先の部分から右に登っている。けっこう急な坂を登る。13時37分、峠部分に着く。ここには平渓区の建てた立派な木製道標が立っている。後半メンバーを待ちながら休憩する。今日の登りはこれで終了だ。

石硿子古道の峠部分、木製道標がたつ
灰窯渓にそって下る。沢は水量が少ない
根こそぎ倒れた竹
沢の対岸に苔に埋もれた土地公
残りのルートは、基本下りである。数分で石硿子農道に降り立つ。全員が降りてくるのを待つ。右に舗装路を少し行き、15時9分、石硿子古道がまた始まる。土の古道は、まもなく谷に降り沢沿いに下っていく。右岸をしばらく進み、沢を渡る。ここも水量はとても少ない。その先に竹がごっそり倒れている。竹は地中に根を張り巡らせ、このような倒れ方を見るのははじめてだ。壁がごっそり崩れてしまっている。15時26分、沢を渡る。対岸の少し高いところに土地公が苔に覆われて建っている。中には神像などなく、今はお参りするひとはいないようだ。右岸を少し行き、コンクリ製橋をわたる。このような立派な橋があるということは、往年は結構往来があったのだろう。15時51分、石硿子瀑布への分岐に着く。右にとり、滝へ向かう。水量が少ないので、もともと小さな滝は、あまり見栄えがしない。ここで休憩を取る。

石硿子瀑布前で最後の休憩
道沿いの小滝
最後の休憩はゆっくり20分ほど休み、古道を更に下る。十数分で畝畝山からの道と合流、その先慶和炭鉱の名残のコンクリ橋の下を過ぎる。16時33分、古道入口に到着。これで古道歩きは終了である。集合写真を写し、灰窯産業道路を下る。途中の滝付近では、有楽客が水遊びに来ている。17時16分、萬寶洞バス停へ行く道の橋に着く。鉄道で帰るメンバーとここで別れ、バス停に向かう。17時半、バス停に到着、10分足らずで795番バスがやって来た。

石硿子古道入口
今回は、暑い天気であったが、途中内盤山で二人離れた他は、皆全コース歩いた。歩行距離は11km強である。休みも含め、行動時間は約7時間である。沢沿いに進む部分が多く、暑い時期には、まだ十分歩ける場所だと思う。反対側に歩いても、困難度はコースはレベル3、体力要求度もクラス3である。

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