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2016-12-27

2016年12月26日 法大團@小南港山 - 白匏湖 - 十三份山

小南港山山頂
台北は周囲を山に囲まれている盆地だ。住居やオフィスが盆地の平地を隙間なく埋め、さらに山の中腹へと昇っていく。そうした中、つい最近まで軍部の弾薬貯蔵場所としてオフリミットであった場所が、南港の近くにある。ここはそうした理由で開発などが一切されず、都市部から近いにも関わらず自然が残っている。

西のMRT南港展示館駅からスタートし汐科駅へ歩く
歩行高度プロファイル、0m以下の部分は不正確
大都市台北のすぐ近くの山歩き
今回の山歩きはこの部分からスタートして、十三份山へと登るものだ。また今回は、自分で企画したものではなく、友人Lさんが中心となって活動している法大團というグループへの参加である。この山歩きに参加しなければ、このような身近な場所にまだこんなに自然が残っていることに気づかなかっただろう。

カラオケの鳴り響く廟にて
今回はMRT南港展示館駅に8時半に集合だ。ほぼ時間通りにつくと、すでにほぼ参加者全員が集まっている。今日は総勢40名だ。友人Lさんの山歩きはいつも参加者が多く、にぎやかだ。8時40分過ぎ駅から歩きだす。以前仕事で車で通り過ぎた道を、今日は徒歩で進む。高速道路の高架橋をくぐり、小南港山を登り始める。石段を登っていくと、すぐに展望が広がる。途中廟で少し調整後頂上に向かう。標高90メートルの小南港山山頂は、台北の街方向に向かって開けている。今日は、遠くまで遠望できる。南港山の左肩遠くには、新店の獅子頭山が望める。そしてその左遠くには逐鹿山・卡保山から北插天山の峰々も見える。こんな近くにこのような展望台があるのは知らなかった。なるほどここには三等三角点がある。

小南港山から遠くを望む
旧弾薬倉庫、左の道を進む
次の目的地白匏湖に向かって、南側に小南港山を下る。今日は自分が道案内ではないので、実に気楽だ。皆に付いていけばよい。第三高速道路をくぐり、産業道路を進む。9時47分、左に廃棄された倉庫の建物がある。更に行くと分岐のある所にも廃棄倉庫がある。以前軍部が弾薬を貯蔵していた倉庫とのこと。分岐は左にとり登っていく。民家を過ぎてしばらく大きな池が見える。白匏湖は、かなり大きな池である。左に土の道をとり池沿いに進んでいく。幅の広い道が終わり、そこから山道が始まる。しばらく池のふちを進む。池越しに101ビルが見える。

白匏湖
沢沿いのぬかるみ道を行く
山道は急な登りくだりが現れる。沢に下っていく。人里から近いが、自然がそのまま残されている。左に折れて沢沿いに進む。道はぬかり歩きにくい。幸い今日は長靴でやってきたので、こうした場所でも問題ない。登山靴のメンバーは苦労している。11時、右に山腹を登る。民家の菜園わきを進み、尾根にとりつく。細い桂竹の林を過ぎる。11時16分、白匏湖山につく。周囲は樹木で全く展望はない。標高わずか80m、しかしやってきた道は二けたの標高の道には不相応に苦労する。

ブリキ板の地図






稜線上の道を登っていく。分岐にはブリキ板に地図が描かれている。今年5月のものでまだ新しい。道はその時に開かれたのだろう。稜線を追っていき、送電鉄塔の下を過ぎる。一度下った後、古道と思われる道を登りきると産業道路にでる。舗装路を左に少し下っていく。12時7分、右に山道の入り口がある。上方の白雲路へ続く道だ。木の幹に、ビニール袋がところどころ取り付けてある。昆虫を採集するためのものなのだろうか。急坂を登ること約20分、白雲路にでる。右に舗装路を少し登り12時48分、白雲寺にやってくる。ここで食事休憩だ。

ビニール袋が幹に取り付けれられている
白雲寺についた
白雲寺にて、Lさんと
一時間以上ゆっくり休憩した後、14時10分十三份山に向けて出発する。Lさんは体調がよくなく、ここから直接下山する。ほかに数名も一緒に下山し、残りの約半数のメンバーで寺の奥の方から登り始める。奥の院になる場所を過ぎると、山道となる。数分で稜線に上がる。分岐につけられた藍天隊の道標は今年11月の日付だ。稜線上の道は結構急だ。ススキの部分からは、遠方が望める。結構高くなってきた。14時40分、十三份山山頂(標高438m)に着く。樹木の間の頂上は、展望はない。

十三份山にて(JKさん撮影)
稜線道を行く、左に四分尾山が見える
勤進路にでた
稜線上の道を追っていく。傾いてきた日が差し込む桂竹林は明るい。灌木も低く、四分尾山も見える。この枝尾根は、思っていたよりも長い。上り下りもそこそこある。15時18分、右下に光明寺が見えると、山道も終わりに近づく。左に折れて下っていく。15時21分、勤進路にでる。ここは2月末に四分尾山から土庫岳へ縦走したときに通過した場所だ。

朝山古道入口
残りのメンバーがそろい15時39分に下り始める。一部のメンバーは、光明寺からバスで下るのでここでまた別れる。残りは十数名のみだ。左に勤進路を少し下る。数分で左に朝山古道の入口がある。この道は水源路に対し近道になる。入口にある道標は、11月で最近整理された道だ。数分下ると大きなガジュマロ樹の脇を過ぎる。百年老樹という説明板が張ってある。15時51分、土地公が現れ水源路に合流する。

水源路を下る
抗日忠烈紀念碑と左の骨を集めたお堂
水源路を下る。すぐに左に山道が分岐するが、そのまま水源路を行く。道を回り込んでいくと、山道がある。先ほどの道だ。これを下ってきてもよかった。更に下っていく。16時8分、抗日忠烈紀念碑の前を通り過ぎる。2000年に建てられた碑には、1895年の日本台湾接収後、陳秋菊などの率いる抗日聯軍が負け、負傷し死亡した遺骨がこの場で打ち捨てられ、またその後遺骨は水害などで流され、残されたものを集めてこの地に碑を建てたとある。100年を経て、当時の抗日烈士が祭られたわけだ。四年前深坑烏月山を歩いた時、抗日軍の最後の砦となった白馬将軍洞のことを思い出した。

白雲古道分岐部
16時26分、白雲古道の分岐を過ぎる。白雲古道を行けば、昼休憩をとった白雲寺にすぐ着く。Lさんたちはこの古道を下った。我々は、ぐるっと大回りをしたわけだ。水源路は多くの土地公を過ぎていく。今は舗装されているが、この道はもともと康誥坑古道である。16時35分、右に新しく建てられた住宅ビルの背後に大尖山が高い。F902バスがやってくる。ここからは無料バスがある。水源路をさらに下り、台5公路を横切って17時6分、夕暮れが迫る汐科駅に到着した。

新築の住宅ビルの背後に大尖山が高い、F902バスが行く
Lさんとは、以前一緒に歩いたことがある。今回は、途中で分かれたが大勢の仲間と歩くのは、それなりに楽しい。彼以外に、自分が主催する山行に参加する友人も多くこのグループの活動に参加している。つまりは、知り合いの多くと一緒に歩いた。産業道路の部分が結構あるが、都合8時間半で15㎞歩いている。また、意外なことに累計で1200ⅿも登っている。都市のすぐ近くだが、多くの自然が残っている。困難度は、山道はクラス4、体力は今日の全コースを歩く場合はクラス4としておこう。

2016-12-24

2016年12月23日 八里觀音山 北橫古道

觀音山硬漢嶺山頂
淡水河の河口近くにある觀音山は、標高4~600メートルの数峰を擁する独立した山塊だ。台北から望むと観音が寝ている顔のように見えることからこの山名がつけられた。台北からのアクセスもよく、気軽に登れる。筆者は、6年前に登山を始めた初期に三回訪れた。その後はずっとご無沙汰していた。今回は、まだ訪れていなかった北横古道を歩きに四年ぶりに訪れた。

南側から山を3/4回ったあと登頂し、北側へ下山
比較的平らなセクションが多い歩き
台北の北西に位置する観音山
前日の雨が止み、天気が回復、風もあるので遠くまで遠望できるかと期待していった。ところが、晴れているにもかからわず視界は最低だった。淡水側を挟んだ対岸の面天山や大屯山が、ほとんど見えないのだ。台北の市街も霞んだなか、ほとんど見えない。中国はスモッグで大変だというニュースがあるが、台北も視界についていえば今回のこの状態は、まったくよくない。空気中の成分が果たして同じなのかはわからないが、いずれにしても盆地の台北はこの霞んだ空気のなかだった。

今回の台北市方向展望
同じ場所から2012年に眺めた台北市方向の展望
北横古道は、観音山の淡水側に面した集落の住民が、山の反対側中腹にある凌雲寺を訪れる際に使用し、或いは山腹の開墾地へ行くために歩いた古道という。古道の特徴である、石段や石を積み上げた土留壁のようなものはある。さらに、もともとの古道に加え、登山者がさらに開いた部分もあるようだ。今は、観音山の中腹を約4分の3周りする道になっている。細かくは一段から五段まで区分けされている。今回は凌雲寺からこの全区間を歩き、最高峰の硬漢嶺を登頂、その後八里へ下った。八里へは、旧登山道を歩く予定で途中北横古道の少し下、20年ほど前に建てられたと思う案内板のところまで下った。しかし、その先は道筋もはっきりしなくなり、時間を考えて通常の登山道を経て下った。

凌雲禪寺一バス停で下車
觀音山は、東側の八里からの道と西側凌雲寺側から主要な登山道がある。西側は凌雲寺までバスがあるので、登りにとると高度が稼げるので比較的楽になる。今回は凌雲寺からスタートするので、MRT蘆洲駅から橘20番バスで向かう。そこで8時半に家を出発、9時過ぎに蘆洲駅に着く。バスは9時半ごろにやってきた。平日のバスは、ほとんど乗客がいない。河を渡り山を登りはじめ、9時47分凌雲寺一バス停に着く。バスはそのまま観音山ビジターセンターへ向かう。2011初めて訪れたときは、凌雲寺が終点だった。

岩壁が特徴的だ
バス停から凌雲寺へ車道を登っていく。前方に大きな岩壁が見える。凌雲寺の上にそびえる岩壁だ。9時53分、凌雲寺裏の駐車場を通過、境内にでる。境内は山腹にせり出している。そこからは、本来台北の街が見えるはずだが、今日は霞のなか見えない。修繕中の本堂の脇を右に進み、そこから石段道を登る。この石段道は、バスが登ってきた道の中腹の観音山バス停から直接上がってくる福隆山歩道である。階段を登り切り、右に尖山(占山)方向に進む。すぐに石段山道が始まる。

凌雲寺からの眺め
寺の背後に岸壁
途中土の近道を登り、また石段道を行く。10時14分、鷹仔尖への分岐に来る。まだ行ったことがないので、この道を登って往復することにする。鷹仔尖は地元では福隆山と呼ばれる。先ほど凌雲寺へ登ってくる道が福隆山歩道と呼ばれるのはこのためだ。鷹仔尖へ枝尾根上の道を行く。高度が上がり、右に凌雲寺上部の岸壁が視野に入ってくる。その背後は観音山の最高ピーク硬漢嶺だ。10時22分、鷹仔尖(434m)に着く。涼亭が狭い頂上に経っている。説明看板もある。周囲は樹木で展望はない。古ぼけた寒暖計が14度を示している。

涼亭のある鷹仔嶺山頂
北横古道の分岐点
すぐに往路をもどる。分岐からまた右に尖山方向へ進む。10時35分、分岐に来る。右は尖(占)山への石畳道、左の山の方向への道はそのまま硬漢嶺歩道へと続く。以前歩いた道だ。北横古道は、その道の右山腹を行く道である。ここからが北横古道一段だ。道は山腹を少し上り下りしながら進んでいく。脇には手すりロープが取り付けられている。10分ほどやってくるとしばらくの登りとなる。10時56分、左に駱駝嶺に登っていく道が分岐する。11時5分、二番目の分岐を過ぎる。

北横古道一段
石の階段
一度道が崩れている場所を高巻く。道は山をだいぶ回り込んできた。右に淡水側が少し見え隠れする。11時24分、石段道と交差する。この道は硬漢嶺から八里へと下る道だ。石段を右に少し下り、涼亭に出る。数名の登山者が休んでいる。対岸淡水の街はかろうじて見えるが、背後の面天山は霞んでいる。今日は晴れなので、冬空の澄んだ展望を期待してきたが、どうやら期待は外れたようだ。

中腹涼亭からの眺め、対岸の淡水街ははっきりしない
旧登山道に出る、向こう側は北横古道5段
石段を少しのぼり返し、先ほどやってきた古道のすぐはす向かいにまた古道が続く。ここからは北横古道四段となる。前の部分は一~三段ということで、分岐を境に段数が変わるそうだが、もう一つはっきりしない。高度は、ここから山の北側を進む。先ほどの乾いた明るい感じとは換わり、薄暗さを感じる。11時35分、石積の部分を過ぎる。過去にここで何か農作業が行われていたのだと思う。その少し先で、また石段道にでる。これは、昔の八里からの旧登山道である。

北横古道五段の急坂を登る
筆者は1979年にはじめて台湾に滞在したとき、友人に誘われて八里の渡船埠頭から観音山を登った。今ではどの道を歩いたの記憶にないが、おそらくこの登山道を登ったのだろう。直進に古道を行く。ここからは五段となる。こちらは四段よりさらに薄暗くジメジメした感じだ。10分ほど平らな道をゆくと、長い急坂が始まる。12時13分、十字路に着き、北横古道は終わりだ。

開けた場所から八里工業区のほうを眺める
休憩所の広場、犬が寝ている
十字路を直進すればそのまま直接硬漢嶺へ、左の平らな道は三五八歩道と呼ばれる土の道だ。右に山腹をさらに進む。12時23分、右の樹木がきれて展望が広がる。眼下は八里の工業区や台北港だ。そのさき数分で土の産業道路にでる。産業道路がヘアピンで曲がるところから、また山道を行き、送電鉄塔の脇をすぎて硬漢嶺步道にでる。石段道を左に登り、12時36分休憩所に来る。昼食休憩とする。

硬漢嶺へ最後の登り


休憩広場には、トイレや涼亭がある。広場の端には犬が転がって寝ている。13時少しまえ、硬漢嶺へ登る。道脇の青楓の葉が黄色くなっている。やはりすでに冬である。13時1分、硬漢嶺(標高616m)に着く。先ほど山腹の涼亭から見た通り、霞んで遠くはボンヤリ不透明だ。見えるのは麓や淡水側の対岸だけ。背後の山や台北の街はすべてスモッグの中。景色もないので、すぐに下山を始める。

硬漢嶺山頂から淡水方向を眺める
旧登山道を下る
先ほどの休憩場所まで戻る。右に八里への石段道を行く。二分ほどで、分岐を左に眾樂園方向へとる。ほぼ平らな道を進む。この道は、旧登山道の一部だ。13時20分、眾樂園につく。犬が吠え掛かる。広場の端から、旧登山道の石段が下っていく。ここからは歩行者が少なく、石段は苔むしている。かなり急坂が続くが、補助ロープが張ってある。13時44分、午前中通り過ぎた、北横古道との分岐点に来る。昔歩いたことを思い出すよう、さらにそのまま下っていく。しかし、北横古道分岐点までとは異なり、ほとんど歩かれていないようだ。13時48分、登山道の説明案内板のある場所に来る。ここで石畳は終わりだ。

旧登山道下部、荒れるに任されている、左に説明案内板
廃棄状態の旧登山道
そのすぐ下は分岐のように見える。左の道を行く。すぐに踏み跡すらなくなる。地図で確認すると尾根上を行く道があったようだが、すでに廃棄状態だ。引き返し、今度は右の道を行ってみる。倒木を越え進んでみるが、こちらもすぐに行き止まり。マーカーリボンなども全くなく、本当に誰も歩いていないようだ。諦め引き返す。説明板を通り過ぎ、下ってきた石段道を登り返す。北横古道を左に第四段を進む。14時11分、石畳の新登山道に着く。左に石畳道を下り、14時23分登山口に着く。

果樹園の間を下る






左に産業道路を進む。かなり急な坂を下っていく。ミカンのなる果樹園の中を行く。産業道路に合流、左に進む。14時40分、無極宮の脇に今下ってきた石壁腳登山步道の紀念石碑がある。この新道ができたので、旧道はほとんど見捨てられて状態になったようだ。どうして新道が必要だったのかわからない。小米倉の集落をすぎ、道沿いに下っていく。牛寮埔福德宮の石碑前を通る。石碑の脇に上から道が下ってくるが、無極宮からくだってこの道を来るほうが、少し近道だったようだ。硬漢嶺へあと2.5㎞を示す道標がある。

新登山道の説明石碑
硬漢嶺がすでに高い
その先少し、開路紀念碑の分岐を左にとる。振り返れば硬漢嶺はもうすでに結構高い。15時28分、台15省道濱海公路に出る。右に少し進み米倉里バス停に着く。これで今日の歩きは終了だ。数分待つと704番バスがやってきた。朝出発したMRT蘆洲駅経由で帰宅した。

約5時間半、約10㎞の歩きだ。出発点がそこそこ高度があるのでそれほど大きな登りはないが、それでも累計では700mほど登っている。晴れなのだが、ほとんど視界がきかず、期待した頂上からの展望がなかった。北横古道そのものは、主要な道が石畳道なのでそれには飽き足らない山歩きとしては、お勧めだと思う。途中から頂上へ向かう分岐も多いので、そこから頂上を目指すのも良いと思う。古道上の道標は、主要な道ほどはっきりしないが、迷うことはないだろう。今回の困難度は、歩道はレベル2、体力はレベル3だ。

2016-12-19

2016年12月19日 基隆山-琉瑯古道 海際から基隆山を登る

濱海公路から望む基隆山(東峰)、赤線は今回の登山ルート
今や台湾観光スポットの一つとして欠かせない九份の街を望む基隆山は、街のシンボルでもある。天気が良ければ台北から、あるいは周囲の山々からも望めるピラミッド型の基隆山は、海岸からすくっとそびえる。九份を訪れたことがあれば、登らなかったにしても、街はずれから海方向を見て右側にそびえる山に気づいているはずだ。九份の老街から少し102号自動車道を金瓜石方向に行ったところに、石段道の登山口がある。この道から頂上へ登るのが一般的だ。

東側の水湳洞から基隆山を越えて瑞芳へ
歩行高度プロファイル
水湳洞の集落の間を登る
最近二、三年は、九份金瓜石周辺の山々は黄金十稜として、石畳の立派な登山道とは別に主にボランティアが開いた稜線道が人気になっている。筆者も十稜すべて歩いたが、その一番目が基隆山の東峰(雷霆峰)から主峰へと続く稜線である。この稜線へは山尖路から東峰の鞍部への道があり、黄金一稜はここから登っていた。今年の春に、今度は海岸の水湳洞から直接東峰への道が開かれた。今回はこの道を経ての登頂である。早めに登頂したので、下りは九份の街から瑞芳へ琉瑯古道を経て下山した。

登山口のメンバー







実は先月にも予定したが、天気が悪く延期した。今回は、前日二日も天気が良く、道の状態もよいことが期待できる。台北を6時半発の第404自強号で瑞芳へ向かう。平日なので、車内は通学の学生で満員だ。7時15分に瑞芳につき、列車から降りて駅待合室で全員が集合する。7時半発の886番バスで水湳洞へ向かう。瑞芳のバス停は、九份方向はすべて駅前の道を左に少し行ったところだが、886番バスは駅前のバス停から乗るので、間違わないように。

最初の岩場、今年3月の道標が雑木に取り付けられている
岩場を登るメンバー
瑞芳の街からトンネルをくぐって海濱公路へ出る。基隆山の裾を回り込み7時46分に水湳洞につく。バス停脇広い駐車場の上は、無耳茶壺山のピークがちょこっと存在を示す半平山が、麓に製錬工場廃墟をふもとに控えてそびえている。谷の右を望めば、これから登る基隆山山が高い。かなり切り立った岸壁の上の稜線上に、一筋の山道が望める。あそこを登っていくのだ。今日は、全部で7名である。

二番目の岩場









7時56分、道路を橋を渡り、白い建物脇から新しい遊歩道を登っていく。二、三分で上り詰め公園を抜ける。そこから水湳洞派出所の前を過ぎ集落の間の石段をっていく。車道を横切りさらに上の車道にでる。少し左に進むと、土留壁の上に登山口が始まる。ちょっと見過ごしてしまいそうだが、土留壁の石には踏まれた跡があり、注意するとマーカーリボンがある。

岩壁上のトラバース道から展望、水湳洞の集落はすでに足下
眼下に黄金滝
8時11分、雑木で薄暗い場所から急坂が始まる。路線2と記された紙が石の上に置いてある。雑木林が切れ、ススキの間を進む。勾配はずっときつい。道はしっかり踏まれて、見失うことはない。8時23分、開けた展望点で休憩する。すでに約200m登ってきた。ほぼ海抜0mからのスタートなので、標高がそのまま登攀した高度だ。

休憩場所のすぐ上から、しばらく岩壁が続く。岩壁といっても岩の間の溝を進むので、ロッククライミングではない。なおかつすでに補助ロープがあるので、難しいことはない。二段の岩セクションを過ぎる。登ってまた少し、別の岩セクションを過ぎる。登り切ったところから、そのまま登っていく道筋がある。マーカーリボンは、左側にトラバースする道についている。直進道はそれなりに歩かれているようなのでおそらく問題ないと思われるが、慎重をとり左に巻いていく。草のトラバース道からは、周囲の景色が広く展開する。眼下には黄金瀑布、その手前を車道が蛇のようにうねり、黄金二四稜劍龍稜などの尾根を従えた半平山が、頭に雲をかぶり広がっている。
稜線上の岩場を登る



麓から見えていた尾根上を進む一本道を登り始める。斜面は急で、幸い二日続きの好天のため乾いているが、脇の草や補助ロープをつかまないと滑ってしまう。9時23分、最後の岩場セクションを登る。一部はオーバーハング気味だが、ロープを頼りに登れば越せる。東峰の頂上はもう射程内だ。最後の急坂を登り、9時44分、東峰頂上(標高467m)に着く。約2時間の登攀だった。事前に想像していたよりは、簡単な登りだった。勿論、天気が良いこともプラスになっている。

東峰山頂の筆者



風もあまりなく、冬にしては温かい今日の頂上は、実に快適だ。広がる海と背後の山々、基隆市街さらに遠く陽明山山系の竹子山が、眼を180度回せば今度は半平山から海へと落ちる稜線の数々が展開している。そして目の前には、基隆山主峰がデンと座っている。頂上へと続く黄金一稜上には一筋の山道が続いている。

東峰頂上のメンバー









東峰から海側をのぞむ、眼下に陰陽海(濁った水の海)
基隆山主峰方向を眺める
黄金一稜を登る、背後は東峰
10時4分、主峰に向け鞍部へ下り始める。かなり急だが補助ロープもあり問題ない。すぐに鞍部へ到着、そこから登り始める。ススキの間の道は、しっかりと踏まれている。10時16分、稜線上のコブへ急登を登る。ここで一人下ってくる登山者と行違う。彼は、実は本来我々と一緒に登るよう、メンバーに一人が誘ったが、集合時間の変更を知らなかったようで落ち合えず、一人主峰から登ってきたとのこと。とりあえず東峰へ往復するという。急登の部分は、前回の来訪以降多くの登山者が登ったためか、まったく困難には感じずに通り過ぎた。

稜線上にある台陽鉱業会社の基石





無名のコブ上には、台陽礦業会社の基石がある。台陽礦業とは、日本時代にこの九份の金鉱利権を有しまた台湾北部に多くの炭鉱を持つ、当時の財閥顔ファミリーの会社であり、この地を取り仕切っていた存在である。その会社が、土地所有のマーカーとしてこの基石を埋めている。少し下って、別の台陽の基石を見た後、主峰への最後の長い登りを行く。左の金瓜石の谷には、学校の校庭などが望め、その上には先ほどの雲が消え頂上を見せた半平山から燦光寮山,樹梅山,牡丹山へと続く山並みが、金瓜石の谷間を取り囲んでいる。最後のススキの間の登りを過ぎ、10時46分基隆山頂上(標高588m)へ着く。広い頂上には、数名のハイカーがいる。

ススキの間の最後の坂を主峰へ登る
基隆山主峰頂上
基隆市街方向を望む
金瓜石方向を望む
基隆山を下り始める
11時前に今日の主要な山頂に到着した。早めの昼食をゆっくりととる。ここからは、東峰頂上から望める直下の陰陽海は見えないが、それ以上に広い360度の展望ができる。基隆山は、そのピラミッド型ピークで、遠くからも容易に判別できるが、今日は逆にこの基隆山を望んだ山々が、それぞれはっきりと望める。台北の街も101ビルを含め、判別できる。今日は幸い可視度が高い。過去歩いてきた山々を、この頂上から望むのは、また感慨深い。

石畳が敷かれた山腹道、遠方は五分山

約40分の休憩後11時26分、下山を始める。まだ12時前だ。そこでこのままバスで帰るのではなく、九份の街を抜けさらに軽便道から琉瑯古道を経て瑞芳へと下ることにする。石段道を数分下り、右に土の道をとる。こちら側の道は、山腹を迂回していく道で、尾根上を進む石段道とはまた別の展望ができる。土の道は、ジグザグに下り始めると石畳となる。前回はこうした石は敷かれていなかったので、その後に工事があったようだ。

バスや車の多い102号公路

11時44分、反射板を過ぎ展望台がある。その先ももう一つ展望台を過ぎ、11時55分尾根上の石段道と合流する。その先少し進み、12時に102号線の登山口に着く。ここからは観光地だ。車やバスの往来が繁く、大勢の観光客が道を歩いている。ちょっと、場違いの感じだ。老街の入口は人でごった返している。混雑を避け、その少し下の階段を軽便路に下る。軽便路は、その昔トロッコが往来した道だ。軽便の名の由来はまさにそこから来ている。

頌德公園から見る基隆山と九份の街、街の上方には墓地
頌德公園
軽便路を左に進んでいく。ほぼ平らな道は、にぎやかな老街の下を平行に進み、昇平戲院の脇や、千と千尋の神隠し動画のモデルとなったされる茶屋の下を過ぎていく。人混みもほぼここまでだ。その先さらに進んでいく。左から老街方向からの道を合わせる。12時21分、頌德公園へ着き一休みする。ここは、先ほどの台陽会社のオーナー、この地のドンだった顔ファミリーの記念地である。九份の街、そして基隆山が一目できる。公園の端からは、小粗坑古道が侯硐へと続いている。

軽便路のトンネル
12時36分、歩き始める。道はすぐに左に折れ、トンネルをくぐる。このトンネルも千と千尋の神隠しの中で、初頭に現れるトンネルのアイデアになったという。トンネルを抜けてまもなく、左に琉瑯古道が始まる。左の車道は102号につながる。102号公路は、1954年に開通したもので、それ以前は現在の琉瑯古道が主要な九份への道であった。当時の金鉱ブームで増えた交通量に対応するため、1931年に開通したこのシステムは、下部はロープウェイ式にトロッコをロープで引っ張り、山腹を行く平らな道は人力で押していったようだ。

線路敷に石畳を敷いた古道、左の穴は骨壺があった
石畳が敷かれた、軌道敷跡の脇の山壁には、墓がいくつかある。立派な墓もあれば、穴を掘っただけの簡素なものもある。今はほとんど遺骨は他に移されているようだ。一攫千金を狙って集まった人の中には、成功して錦を故郷に持って帰った者もあれば、失意のなか一生を終えた者もいただろう。九份の街の街は、遠くから眺めるとすぐ上に墓地が広がる街でもある。台湾の墓は、日本と違いちょっと見ると小屋みたいに見え、なおかつ色彩豊かなので、日本人の目からみるとそれほど暗い感じはない。

流籠頭、右は三爪仔坑山と五分山
昔はケーブルがあった坂
12時47分、流籠頭の広場に着く。流籠頭とはケーブルシステムの大きなプーリーやその機械が据え付けられていたところだ。もちろん今は跡形もなく、石畳の広場にはベンチがあるのみだ。道はここから下り坂となる。石段で降りていくが、以前はここにはレールがしかれていたのだろう。12時53分、トンネルを通過、その先切通しを過ぎていく。13時4分、最後に登り返し102号車道に出る。立派な琉瑯路觀光步道と記された石碑がある。下っている途中に二人のハイカーとすれ違ったが、この道を通る観光客がどれだけいるのか。

トンネルを抜ける






車が頻繁に通り過ぎる102号公路を下っていく。左から侯硐からの道を合わせ、進んでいく。車道は陸橋で鉄道をこえるが、歩きであればそのまま直進し地下道で鉄道の反対側にでる。すぐ陸橋からの102号公路と合わせ、線路沿いに進んでいく。天気が良く、車道を歩くと暑いぐらいだ。廃棄された旧鉄道トンネルをくぐり、瑞芳の街に着く。13時39分、瑞芳駅に戻ってくる。13時54分発の区間電車で台北へ帰った。

琉瑯古道の入口
今回は、思っていたよりは簡単であった。遠くから見ると、基隆山はかなり急な斜面で、なおかつ岩が露出している。そこで少し懸念したのだが、行ってみれば岩場はそれほど困難でなく、天気もよかったので実に快適な山行だった。もちろん天候が悪ければ、滑りやすく、強風が吹けば危険だ。時期としては、夏は暑くて大変なので、今回のような好天の晩秋や冬が一番よい。歩行距離8.6㎞、休憩込みで5時間半の行動時間である。困難度は、基隆山の東峰直登及び黄金一稜ルートはレベル4、その他はクラス2、体力的にはクラス3だ。前半は経験者向け、基隆山主峰以降はだれにでもおすすめだ。