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2021-02-26

2021年2月27日~3月1日 境界山 結城山 日本時代の大霸尖ルートの山を登る

正面の境界山、左奥に鹿場大山(樂山)から右に五峰天際線、その手前に結城山(2017/9伊澤山にて撮影)

世紀の奇峰といわれる大霸尖山は、台湾高山の人気ルートだ。登山道上には、九九山荘があり宿泊についても対応がしやすい。さらに南へ聖稜線へと縦走するのでなく、往路を下山するのであればそれほど経験がなくても登れる。一般的には、觀霧から大鹿林道東線を歩き、馬達拉溪登山口から登り始める。この道は実は、戦後の林業の展開に伴い開かれたルートである。日本時代は、存在せず当時は別のルートでアクセスした。今回の登山は、まさにそのルート上にあった山や、この地を巡る日本時代の警備道に関係する場所の山歩きだ。

三日間の軌跡
歩行高度
タイヤル族のテリトリーであったこの地の山谷に、20世紀初頭に総督府の統治が始まると、土地の原住民との衝突が起きる。特に、第五代総督佐久間左馬太の理蕃政策のもとで推し進められた銃器の没収は大きな反発を招き、山間の駐在所などが襲われ警官が殺害される事件も発生する。そうした抵抗に対応すべく、山奥へと進む警備道が開かれる。今は霞喀羅古道と称されているシャカロー・サカヤチン警備道などである。その結果、反抗は収まり襲撃などもなくなる。大霸尖山は1927年に当時の台湾山岳會重鎮沼井鐵太郎を含む中曽根武多一行にて警備道を経て初登攀された。1930年代になると、警備道は広く登山のための道として利用される。警備道から原住民の狩猟道などをたどり、山に登っていた。

登山対象の位置
台湾は228の三連休である。228とは、228事件の記念日だ。戦後日本が引き揚げた後、国民党政府がやってきて政権を握る。台湾現地人との軋轢が発生し、228事件が起きた。詳細はここでは語らないが、白色テロの導火線となった事件である。この三連休は、武漢肺炎のために海外へ行けないこともあり、台湾国内の登山活動もひときわ活発である。人気の場所は、人だかりだったそうだ。大霸尖山へ往復する登山者が同じく歩く大鹿林道東線では、多くの登山者とすれ違った。しかし我々の目的地はあまり人がいかない場所、ひとたび林道支線に入った後は、我々だけの山であった。

@竟結山山頂
觀霧の周辺の山も原生林が伐採され、その後杉の植林が行われた。その林業が操業を止めて久しい。林業の中心だった觀霧は森林遊樂區として生まれ変わり、木材搬出などに使わた林道のうち、東線の馬達拉溪登山口へとつづく主線は整備がされて残っている。支線は打ち捨てられて自然のなすがままに任された。今回は主線9.8Kから分岐する支線を行き、残された当時の作業宿泊小屋の場所をベースキャンプに、すぐ上の結城山や境界山へと登った。


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第一日 2月27日(土) 台北 - 觀霧 - 大鹿林道東線 - 支線 - 工寮 - 結城山 - 工寮

觀霧から大鹿林道東線,支線を歩く

歩行高度
大鹿林道を登る、霧から出て桜を見る
三連休の初日は、高速道路の混雑が予想される。5時半にメンバーが運転する二台の車にメンバー9名は分乗し台北を出発する。第三高速道路を竹東インターチェンジでおり、122号線南清公路を進む。上坪のコンビニストアで合流、休憩や昼食など必要なものを購入する。この店は最近改修されたようで、小奇麗になっている。沿線にほかのコンビニができたので、対抗する意味もあるのだろう。7時10分過ぎ、122号線をさらに進む。ここ最近半年は、三回ほど通っている道なので、馴染みの感がある。7時40分、左に清泉へ下る道を分けてさらに行き、大鹿林道0Kを見る。霧が濃くなり小雨がフロントガラスにぱらつく。標高700mぐらいから2000mまで約25キロほどで高度を上げる。途中まで来ると霧からでて、空は青空ものぞく。8時半觀霧に到着、ビジターセンターに立ち寄る。

觀霧遊客中心(ビジターセンター)
觀霧検問所
8時に開門のセンターは、まだ人気がない。筆者は初めて訪れるが、中はこの地に関する自然環境や登山に関する展示があり、興味を引く。十数分ののち、また車で大鹿林道東線の入口へ下る。検問所の前には、すでに多くの車が駐車してある。林道の状態は良いが、一般車両は通行禁止だ。苗栗縣はすでに入山許可書は必要ない。今回の目的地は雪霸國家公園の範囲外であり、入園許可もいらない。ただ、検問所では名前を残しておくようにとのことだ。桜が満開だ。気温は12度、ちょっと寒い。

3.4K工寮で休憩
6.7K休憩ポイント
9時20分、ゲートを通り過ぎ林道を歩き始める。この林道を歩くのは、4年ぶりだ。はじめのセクションはまだ暗いうちに通り過ぎたので、明るい今はまた印象が違う。3.5Kを通り過ぎ、9時56分工寮(作業宿泊寮)の脇で休憩をとる。この工寮は、鍵もかかっていないので中で止まることができるが、コンクリ土間に寝ることになる。休憩後さらに林道を行く。下山してくる登山者とすれ違う。10時42分、6.7K脇の石の机椅子の休憩場所で休む。雨が少しぱらつきだし、傘などを取り出す。天気予報では、回復基調となっているが、少し心配だ。

林道8Kポイント、説明板もある
8.4K水場で補給
林道は、おおむね等高線にそった歩きだが、少しの上り下りはある。8.4Kを過ぎてすぐ、左に小沢が流れている。途中でも小沢があったが、水が流れていない。ここはそこそこ水量がある。宿泊予定の林道支線の工寮近くは水場がないという情報なので、ここで水を補給する。水を入れたザックを担ぐと、その重さを感じる。傘をさしてさらに林道を行く。11時50分、9.8Kの支線分岐が現れる。分岐には前回と同じこの地の旧警備道の説明板がある。そして驚いたことに、びっしり茂っていたカヤがしっかり刈られている。下山後聞いたところでは、先月にボランティアが入り草刈りしたという。

9.8K支線分岐部、左の支線は草が刈ってある
草刈りされた林道支線
草刈りされた道は、助かる。しかし、本線とちがいメンテされていない路面は、落石や水が流れた深い溝がある。勾配もきつくなり、高度を稼いでいく。12時16分、焚火後を過ぎて間もなく、沢を渡る。少し崩れているが問題ない。ここも水が流れていて水の補給ができる。倒木などを乗り越し、約2㎞ほど支線を進む。そこで草刈りは終わり、本来のカヤ密生の道となる。時刻は12時半を回り、昼食休憩をとる。雨は上がり、天気は回復基調だ。

がけ崩れ部分を行く
廃棄作業小屋(工寮)
赤松林のキャンプ地
約20分ほどの休憩後、林道をさらに行く。ちょっと大きながけ崩れ分を通過する。それでも今まで歩いた廃棄林道の中では程度がよいほうだろう。道は大きく左に回り込む。曲がるところはガレており、注意しないとそのまま進んでしまいそうだ。道が緩やかになると、13時42分杉林の奥の高台にコンクリの建物がある。工寮は、入口にはドアがなく部屋の窓にはガラス窓が枠も含めてないが、両脇の部屋の窓は一つを除いてそのままだ。中もきれいで宿泊できる。筆者とほかの二名はテントを設営宿泊するが、ほかのメンバーは工寮のコンクリ土間に泊まることにする。窓が壊れている入口部屋内部にはテントをたて風を防ぐ。

高嶺(結城)駐在所跡
急坂もそろそろ終わりだ
奇妙な形の大木
設営をすまし、14時15時過ぎに工寮脇から結城山へと登り始める。一度沢におり急坂にとりつく。この沢は本来水場だが、涸れていて水はない。20分ほどで左からの道を合わせ、すぐに高嶺駐在所跡を見る。それほど大きくないが、平らな森の中には当時建物があった場所が確認できる。日本時代の大日本麦酒の瓶などが、駐在所があったことの証だ。この駐在所は、もともと上部の山と同じ結城駐在所と呼ばれていた。その後高嶺に換えられた。昭和初期の記録では結城となっているが、昭和も15年の記録では高嶺となっている。駐在所は、モギリと呼ばれた觀霧からマダラや本田という駐在所をへて、檜山駐在所へと続く鹿場連絡道路上にあり、当時の行政単位大湖郡の最奥に位置した。

結城山山頂

伐採作業のワイヤーが残る

駐在所からしばらく赤松の急坂を落ち葉を踏んで登る。そのうちに雑木林になる。所々に古い切り株と、ワイヤーが残っている。過去の伐採が行われた場所で、その後放置されたので、雑木が茂ったもののようだ。坂が緩やかになり、尾根上を進む。15時18分、奇妙な形をした大木の脇を過ぎる。広い尾根を進み、15時25分結城山山頂 (標高2475m)に着く。ほかの中級山と同じように、樹木のなかで展望はない。十数分山頂で過ごし、往路を引き返す。急な坂は下りが速い。16時22分にキャンプ地に戻る。17時過ぎに夕食をとり、19時頃までにはテントで就寝する。天気は大丈夫なようだ。今日は15.6㎞の路程、休憩を入れて7時間の行動時間だ。登攀999m、下降586m、コース定数は28となる。

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第二日 2月28日(日)  工寮 - 檜山登山口 - 境界山登山口 - 境界山 - 登山口 - 檜山登山口 - 工寮

境界山を往復
緩やか林道と急坂の登山道

明るくなった林道を行く
カヤの密生する道を藪漕ぎ
今日の予定は、標高差300m距離約7㎞の林道を登山口へ行き、そこからさらに400mの急坂を境界山へと登る。林道の状態はそれほど悪くないはずだが、暗いうちに進むのは少し不安である。少し明るくなり始める5時45分に出発する。6時20分ころにはすっかり明るくなり、ヘッドランプもいらない。右の谷側の山並みも明瞭だ。廃棄林道は、カヤが道を塞ぐが、その間の踏跡ははっきりして、結構往来があるようだ。がけ崩れもあるが、それもそれほど規模が大きくなく、助かる。7時14分、火事で焼けた柱だけがのこる作業小屋を過ぎる。

焦げた柱が残る廃棄作業小屋
林道塞ぐワイヤーのかかった大木
状態のよいセクション
7時43分、林道を塞ぐワイヤーのかかった太い幹が転がっている。だいぶ腐食している。搬出をしなかった丸太のようだ。林道は、カヤもないすっきりした森の道がしばらく続く。8時少し前、開けた場所で休憩をとる。標高は2430mほど、200mほど高度を稼いだ。8時15分、林道は大きく方向を南にかえ、山腹を行く。そのうちに新旧大小入り乱れた倒木帯を過ぎる。次々と現れる倒木は厄介だ。8時37分、沢を超える。ここは水が流れている。帰路に水を汲んで持って帰る予定だ。さらに数分進んで倒木帯が終わると、また小沢を超える。ここも水量は少ないが、水が流れている。

倒木帯を行く
流水の沢を渡る、帰途にここで給水
更に倒木を超える
二番目の流水の沢
急坂の近道
ほぼ平らな道を進み、8時56分、林道が大きく左に曲がるところで、近道の急坂を上る。また林道をさらに数分進み、林道終点に登山口がある。休憩後、ここから尾根にとりついて境界山を目指す。1㎞ほどで400m登る坂は、実に急だ。それに加え、身の丈以上のヤタケを藪漕ぎしながら登らなければならない。昭和15(1940)年に行われた大霸尖登山道開鑿奉仕作業を終了した後、台北工業高校山岳部の部長であった千々岩助太郎は、取材に来た台湾日日報に対し、「…私共は日常からわざわざ藪くぐりの練習といって2,3時間もブッシュをかき分けることもあります。…」と述べている。前人が歩いているので、道筋があるが台湾の中級山や高山は、実にヤタケの藪漕ぎを避けて通れない。

林道終点の境界山登山口
小池の脇を進む
登り始めて間もなく、池の脇を行く。斜面には切り株も残っているので、ここも伐採が行われていた。40分ほど登り、ヤタケからでて岩が露出する場所を過ぎる。切り株にはワイヤーが巻いてある。さらに急坂を行き、大岩の下をトラバースする。高度も2770mほどになり、幾重にも重なる周囲の山々が望める。遠くに小さなピークが並ぶ山がある。五指山だ。その左は最近登った鵝公髻山、手前の山は面托油山のようだ。さらに登り見ると、南方に高く遠く続く山並みがある。おそらく雪山西稜の山々だろう。その手前にある割合ととがったピークの山々は、加利山からさらに西に延びる稜線上のピークのようだ。これらの山はほとんど登られることなく、もし行くとしたら上記の千々岩が言っているように、本当に藪漕ぎで道を開いていかなければならないだろう。

ヤタケの急坂を上る
ワイヤーの絡む切り株


登り途中から望むパノラマ、左奥に雪山西稜,中央に樂山から延びる五峰天際線,その手前に結城山

台湾ツガ林のヤタケ急坂
途切れることなく続くヤタケの急坂をさらに20数分登り、標高が2850mほどになると、樹相は台湾ツガがメインになり、さらに視野が広がる。ここからは、樂山(鹿場大山)から鵝公髻山への五峰天際線がすべて望める。そしてその手前には昨日登った結城山なども連なっている。10時50分、急坂は終わり、なだらかな尾根を行く。少しのぼりかえしを過ぎ、11時少し前に尾根上の池を見る。池の向こうには、大霸尖山がその特徴ある角ばった山頂を以て控えている。池を脇を過ぎて少し登り返し、三角点のある境界山(標高2910m)に着く。こちらは森に囲まれ展望はない。
池の向こうに大霸尖

頂上から少しもどって池の脇で食事休憩をとる。空は雲が多いが、太陽も時々差し込む。池の脇の展望は、手前に伊澤山から加利山への稜線が連なり、その奥に聖稜線の雪山北峰や主峰北稜角が頭を見せる。日本時代には、このピークを越えたかは登山記録文からははっきりしないが、伊澤山へと続く尾根を追っていったのは確かだ。そうであれば、このような風景を眺めていたはずだ。数十年前、大霸尖山を目指した日本人の登山界先輩がこの峰をどのような気持ちで臨んだことか、思いをはせる。

伊澤山から右に延びる稜線の向こうに聖稜線
境界山山頂の筆者
11時45分過ぎに往路の下山を始める。危ない岩場などには、ロープなどもなく慎重に進む。天気も良くなり、陽光が差し込む。登りに見た山々の上には青空ものぞく。ヤタケをつかみ、急坂を下る。13時登山口に降りる。往路の林道を進む。登頂を果たし、気持ちは楽だ。13時30分沢を超える。その先の別の沢で水を補給する。今晩と明日午前の活動で使う水だ。倒木帯を過ぎ、14時35分開けた場所で休憩をとる。

下山を開始

林道を戻る
檜山登山口
少し進むと、檜山への分岐がある。時間はすでに15時近く、こちらもヤタケの藪漕ぎが必要なようで、標高差はそれほど多くないが、まだ先4,5㎞ほどの林道歩きがあるので、そのままキャンプ地へ戻ることになる。最後の2キロほどはカヤがかなり茂っている。16時過ぎ、キャンプ地にたどり着く。明日は下山だ、それほど早く就寝しなくてもよい。ゆっくりほかに誰もいない自然を満喫する。歩行距離17.2㎞、活動時間約10時間15分、登坂下降それぞれ1133mで、コース定数は36だ。
工寮キャンプ地はもうすぐ、藪漕ぎもわずか

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第三日 3月1日(月)  工寮 -  觀霧 - 大鹿林道支線 - 東線主線 - 台北 

東から西へ林道歩き
歩行高度
林道を下り始める
今日は下山だ。4時半起床、食事と撤収を済ませ6時に林道支線を下り始める。すぐに周囲は明るくなりヘッドランプはいらなくなる。本線9.8Kまでは約3㎞の道のりだ。基本は下り、がけ崩れ通過でちょっと注意が必要だが、ザックも軽く気持ちも軽い。7時15分、分岐に着き一休みする。本線の道は、支線を歩いた後は、特に素晴らしく感じる。支線も以前はこのような水準だったはずだ。

厄介な倒木を超える

林道支線を歩き終えた
状態のよい林道本線を行く
本線を進む。觀霧方向へは、少し上りになる。後半3Kを過ぎたあたりからは、それが体に感じられる水準になる。と、いっても高度差は50mほどなので、大変ではない。帰り道は、道脇の説明看板を見たり、周囲の移り変わりゆく山並みを眺めて進む。8時半、4K近くの休憩場所で休む。左に谷の向こうに大きながけ崩れの目立つ西勢山の遠く中雪山などの山が判別できる。道をさらに進むと、榛山が次第に大きくなっていく。9時15分1.6Kを過ぎて間もなく、榛山のこちらを面した岸壁には滝がかかっている。水が多くなく、見ごたえはもう一つだが、120mの落差があるそうだ。道端の満開の桜をみて、9時35分ゲートに着く。歩きは終わりだ。到着したことを検問所に報告する。歩行距離12.1㎞、活動時間3時間40分、登坂153m、下降333m、コース定数14だ。

林道から対岸の山々を望む

榛山とその下の滝
車にザックを乗せとりあえずビジターセンターへ向かう。そこで着替えなどしていると、もう一台のメンバーが、予定だった榛山へはいかず、そのまま下山を提案する。連休の最後日で高速道路での混雑を避けたい、という。ほかのメンバーも反対もなく、榛山は別の機会ということで、10時半下り始める。大鹿林道の途中の桜満開の場所で車を止め、鑑賞する。12時半過ぎ竹東で昼食をとり、台北に戻った。




大鹿林道下り途中で見る桜と霞喀羅の谷、対岸は面托油山


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台湾の中級山とは、一般的に1000mから3000mまでの高度の山を指す。このレンジの山は実に多い。登頂の難度もそれこそ車で高度をほとんどカバーし少し歩けば行けるような簡単なものから、高山ルートなどをはるかに超え大変なものまで、間口が広い。登山者であふれる人気の山から、一年に訪れる人が一人いるかいないかの山もある。登山者の力量とその興味の対象によってさまざまな山を選べる。今回の境界山は、四年前の聖稜線歩きで伊澤山から見たことが、出発点である。当時は、まだ鹿場大山ぐらいしか判別できなかったが、それから周辺の山を歩き、日本時代の歴史に関する場所を訪れた。日本時代の登山で初登頂になかなか時間を要した大霸尖は今では、初心者ルートでもある。その過去日本時代のルートに触れることができたことは、とてもうれしい。觀霧から一日で境界山を往復することができないわけではないが、それこそ夜明けはるか前に出発、日暮れ遅く帰還では、あまりにもせわしい。この山は中級経験者向けだ。

高嶺駐在所跡で見た日本時代のビン類