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露門山山頂 |
新北市烏來區を流れる南勢溪やその主要支流である桶後溪の奥の山を越えると、そこは宜蘭の蘭陽平野が広がる。烏來の山々はそうした大きな地形の変化を作り出している。標高は1000 ~1400m台であるが、山は深い。そして、南勢溪流域は原住民タイヤル族のテリトリーでもあった。日本時代には、当然台北から遠くないこの地の山も登山されている。それは、当時の主要な商品である、樟脳の生産がこの山々の深くで行われ、それに伴う事務所や作業小屋、トロッコ(台 車)や作業道がこの山にあった。登山は山頂を目指す。それには、こうした作業用道を奥までたどり、そこから原住民の狩猟用道をたどって登頂していた。
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信賢からほぼ同じルートを往復 |
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烏來の山々の位置 |
「台湾山岳」第5号には、昭和4(1929)年9月露門山(ルモン山)登山の記録がある。記録文の著者木田文治が歩いた道は、我々の道とは同じ部分もあるが、その記述では山頂近くでの足跡は異なる。狩猟用の道はルモン山山頂へはなく、原住民案内人は急な涸れ沢をよじ登り蕃刀を振るって頂上へ導いた。現在信賢と呼ばれるラハウから大保克山(ターボク山)への山腹へ登り、內洞溪(ガツトン溪)の右岸を行く台車道(三井運材軽便鉄道)を波露山(ハロ山)からの沢が內洞溪に注ぐ合流点へ歩いている部分は、我々のルートとほぼ同じだ。台車道はその後林道となり、廃棄された後は崖崩れ部分もあるが、所要時間もほぼ同じだ。合流点からは、まだ樟脳の作業小屋が沢沿いにあり、そこまで進んで同じ尾根にとりつき、山頂近くは尾根の北側をまいているようだ。そこには阿玉溪源頭の沢があり、水場などを通過している。
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@露門山山頂 |
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信賢國小から仰ぎ見る拔刀爾山 |
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急坂を登る |
92年前の木田登山一行の時も奥深い露門山は、遠く尚且つ登山者もあまり訪れないので道の状態もあまりよくない。時間を要するため、台北を5時半に出発する。約1時間で信賢國小(小学校)の前に着く。今日は不人気ルートとしては19人と多めのメンバーである。校庭の向こうに
拔刀爾山が高い。ここから見上げる拔刀爾山は、尖ったサブのピークを従え険しく聳える。学校前に內洞林道へと続く登山口(標高205m)がある。6時50分登り始める。道は急坂で、途切れずに登っていく。竹林から雑木林に林相を変えていく。登り始めて20数分で、杉人造林の中を行く。少し坂が緩くなる場所もあるが、おおむね急坂だ。水平距離650mで約330mの高度を稼ぐのだ。7時30分、林道12.1Kの登り口に着く。約40分の登坂だ。木田は30分ほどで登っている。
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內洞林道 12.1K地点に登りつく |
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杉林の遠くに卡保山 |
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崖崩地点を越す、向こうにメンバー |
全員が登り切り小休憩のあと、內洞林道を進む。歩くことほんの数分で、內洞森林遊樂區の遊歩道入口を見る。この先の林道は、メンテされていない。草深い部分も出てくる。小さな崖崩地点を通り越す。8時13分、13.5Kキロポストをみて間もなく、林道わきの森の向こうに卡保山や樂佩山の稜線がのぞく。空は晴れて青い。進行の方角が変わり、朝陽が木々の間に差し込む。8時21分大きめの崖崩れを過ぎ、そのまた数分先でさらに大きな崖崩を越していく。急な部分にはロープが取り付けられ助かる。ここは大きな沢が横切っているので、2015年の莫拉克颱風で崩れたのだろう。その先は、幸い大きながけ崩れはなく、順調に距離を延ばす。9時に合流点に着く。
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林道15K、残りも少ない |
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合流点近く |
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合流点近くの草地 |
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まだ新しい道しるべ |
合流点近くは、草原になっていてよいキャンプ地になる。木田はこう記す「…ガツトン溪の清冽な、そして可成豐富な水量が潺々として流れ去るのを見ると全く魅了されて了ふ。露営地としても優に勝れた場所でもある。」台車線路は、內洞溪を超え波露山への沢を少し入ったところまで続き、小屋もあったそうだ。当然だが、今は何も残っていない。しばし休憩する。メンバーのうちの二名がここまでで引き返す。
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沢を渡渉する |
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沢を渡ると急坂 |
9時10分、17名は露門山へと向かう。土砂が崩れた場所を過ぎ、沢に降りる。先ほどの合流点の上になるこの場所は、さらに右岸側に支流が分かれ、それを越し本流をまた越す。沢沿いに少し道が行くが、目的の道とは違うので探す。すると下流方向に渡渉点がある。沢を越すと急坂が始まる。よく歩かれている道ならば、さしずめロープが取り付けれているような場所でも、ロープなどはない。樹木などにすがり高度を上げる。木田一行は、この部分は少し違い、沢をさらに進み樟脳の作業小屋である腦寮をすぎて、合流点から50分ほど進んだところにある、三井の伐採作業小屋へ向かった。ここまでは作業用の道を経由してきているわけだ。
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杉林のトラバース道 |
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杉林を登る |
胸突きの急坂は滑りやすく、やっかいだ。水平距離約750mで高度約350mを稼ぐ、朝の信賢から林道までの上りと同じように急だ。特に前半は勾配がとてもきつい。標高約1050mぐらいの地点で、道は右にトラバース気味に進む。この部分はもともと造林作業道だったのだろう。それまで広葉樹の中を進んできたが、周囲には杉林が広がり始める。トラバース道が終わると、また広い尾根にとりつき、少し緩くなった勾配を登っていく。10時55分、平らな場所(標高約1180m)にたどり着き休憩をとる。ここは左から合流点で沢沿いにすすんだ道が合流する場所だ。木田は今はない作業小屋の裏から同じ尾根にとりつき登ってきている。「此の小屋から始めて、ルモン山から北西に延びてゐる闊葉樹林の勝れて茂つてゐる尾根を登ることになる。小屋の後ろから急に傾斜が著しくなつて今まで踏むで居た徑とは全然趣きを異にした蕃人の狩猟道になる。...」と記している。
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休憩場所近くの分岐、道しるべはない |
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広葉樹の急坂を登る |
「地形圖にも現はれてゐる様にこの尾根は可成長い。」と木田が記すように、休憩の地点ではまだまだ半分も来ていない。緩い坂がまた急になり、周囲もまた広葉樹になる。切り株が残っているので、以前は伐採が行われたがその後に植林がされていない場所だろう。11時35分ごろ、標高が1400mぐらいになると坂は平らになり、カヤが少し現れる。今回は、こうしたカヤの茂みがあるのを想定して、鎌を持ってきたがこの状態では、使う必要はない。11時50分、土に埋もれたビール瓶を見る。今は台酒公司として民営化されたその前身の台灣省公賣局と記されているので、かなり前のものだ。
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平らになってきた稜線 |
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幸いカヤ藪は少ない |
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西北峰山頂 |
道は、右に涸れた溝の間を下り、その先左に急坂を登り返す。12時16分、露門山西北峰(標高1420m)の基石を見る。さらに尾根を進み、下って分岐を過ぎる。登り返し、12時35分
西阿玉山から稜線をたどってくる道と合流する。その先2分ほどで、露門山山頂(標高1461m)に着く。信賢登山口から5時間45分かかった。山頂は樹木に囲まれているが、一か所東側が展望できる。そこからは、手前に一度下った尾根が西阿玉山(当時はバボーシラツク)へと登り返し、その後ろに阿玉山が控える。そのさら左奥は、中阿玉山だろう。
下阿玉山へと長い尾根が続く。中阿玉山のすぐ右奥に山影がある。
大礁溪山だろうか。朝の青空はすでになく、厚い雲がかぶさってきている。阿玉山などが見れたのは幸いとしよう。木田一行は、13時45分に到着したこの山頂から
南湖大山、
雪山(次高山),
大霸尖山や蘭陽平野、北には陽明山も見えたという。当時でも珍しい好天気だったそうだ。
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阿玉山への分岐 |
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東方向の展望、正面は西阿玉山(右)と阿玉山 |
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谷間の道を進む |
昼食をとり、13時20分山頂を後にする。尾根をさらに進めば、
波露山へと続く。しかし今日は人数も多く、下山の道の状態もわからないでの、安全をとり往路を下る。大保克山への分岐を過ぎ、左に下っていく。その先、露門山西北峰への分岐では左にとり下っていく。谷間の道を進み、右に往路で過ぎた露門山西北峰への道とあわさる。その先溝底の道を登り返す。14時20分、往路では角度の影で気づかなった樹木にできた大きなコブを見る。どのように形成されたのか不思議だ。14時30分過ぎ、往路でも休憩した分岐部分で休憩をとる。
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木のへそ? |
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沢を渡る |
14時55分トラバース道を通り、坂を下っていく。上りは大変な急坂は、下りでは滑りやすく神経を使う。15時15分、朝登りで滑って鼻を切った場所を過ぎ、さらに進む。最後の急坂を下り切り、15時50分過ぎ沢を越し、合流点の草地に着く。ホッと一息つく。残りは林道歩きだ。約4㎞の林道歩きは、順調に進み17時10分、內洞森林遊樂區遊歩道入口に着き、休憩する。木田一行は、18時40分に暗くなったころ台車道終点に着いている。
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林道13.5Kを通過 |
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遊歩道を下る |
日暮れまでまだ少しあるので、我々はここから遊歩道を下り途中內洞瀑布に立ち寄ることにする。遊歩道は実に歩きやすい。ジグザグに高度を下げるので、信賢からの道より距離は長いが。17時50分、二段ある滝の上部滝見台に着く。台湾は今年中南部は雨が少なく、旱魃に苦労しているが、北部は雨が多い。そのため、滝は水量が豊富で豪快だ。滝見物を終え、遊樂區入口へ向かう。18時16分、園区入口からさら信賢國小へと進む。18時25分、暗くなりかけた駐車場へ戻りついた。
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內洞上層瀑布 |
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下層瀑布 |
木田一行登山のころの交通手段は、当然今のように便利ではない。20時にラハウ(信賢)から台車に乗り、50分かけ当時の台車終点であった龜山へ、そしてそこからさらに徒歩で0時を回った頃、新店へと歩きついている。我々は、往復で約18㎞だったが、それよりはるかに多く歩いている。いかに健脚だったか。今は新烏公路を車で進める。途中龜山で夕食をとり、帰途に就いた。登坂1739m、下降1747m、休憩込み所要時間11時間半、コース定数は45だ。やはりかなり労力が必要な登山である。
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