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尖峰をいただく未登の霧頭山 |
霧頭山は、まさにその名の通り霧が発生し山頂を隠すことが多いことからの名づけだ。しかし、山の奥であればその事象を簡単に見れない。それは当山が、平地からも簡単に観察できることを示している。台湾南部高雄と屏東とにまたがって広がる高屏平野の東端には中央山脈の山々が屏風のように北から南へ伸びる。その屏風の中で、北大武山と南大武山とともにその尖峰で存在を示しているのが、霧頭山だ。
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台24線から見る霧頭山、左は井步山 |
昭和9年(1934年)末から翌年初めにかけて、千々岩助太郎一行が北大武山から北へ霧頭山へと5日かけて縦走をした。記録に残る初縦走である。千々岩著作の「思い出の山々」でその記録を述べている。その登山経路は稜線上を除いて、登りも下りも現在のルートとは異なるが、山そのものは同じだ。アプローチの際には、「霧頭山から大武山、南大武山への中央山脈の大尾根は晴れわたった青空にくっきりと浮かんでいる。...」隘寮南溪を行く時には「行く手にはタイボボ山(大母母山)、カトマ山などの2500m級の山、阿猴富士の名でよばれているシヤデル山(井步山)、その奥には霧頭山、大武山が太古ながらの大森林におおわれ、所々には自然の残忍性を思わすような大きなガレが岩肌を露出している。...」と記述している。
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二日間のルート |
今回の四日間の南部山行は、まさにこの霧頭山を登るのが主目的である。登山ルートは台24線道路の終点阿禮部落から稜線に上がり、途中霞迭爾山東鞍營地で設営、そこから軽装往復するというものだ。結論から言うと、上記の千々岩の言葉のように、つい最近の大雨のためかキャンプ地から山頂までのほぼ中間地点の急斜面は、大きく崩れて大きな岩壁が露出していた。登るのはおそらく大丈夫だが、ザイルを持参していないので下りで問題があるかもしれない。メンバーの経験などを勘案しそこで断念し、キャンプ地にもどって撤収しそのまま下山した。四日目は、一日早く霧頭山から下山したので、別の南部の山鳴海山を訪れた。登頂はできなかったが、途中から晴れ渡った空のもと、南部の重なる山々を観察でき、この山域の理解が深まった。
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第一日 2月27日 阿禮部落 - 阿魯灣古道 - 鞍部 - 井步山往返 - 鞍部 - 霞迭爾山東鞍營地
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途中井步山を往復し、キャンプ地へ |
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夜明け前の民宿、三日月が掛かる |
前日の
瑪家三兄妹縱走を終えて阿禮部落の民宿に一泊した。今日は5時半に起床する。外にでると、眼前の山並みの上には三日月がかかり、今日の好天気を示している。6時半前に民宿の用意する朝食を取り、6時47分出発する。部落の民家の間を登る。行くにつれ、谷を挟んだ景色が広がる。目的の霧頭山も遠くにその尖峰を見せている。6時58分、登山口(標高1270m)に着く。ここは山をこえて反対側にある好茶部落へと続く阿魯灣古道の入口である。初めは未舗装の道路が山腹沿いの登っていく。途中に咲く山桜は満開だ。今はちょうど桜まつりの時期である。
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夜明けの阿禮部落 |
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阿魯灣古道入口 |
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桜の背後に霧頭山 |
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はじめの階段を登る |
歩くこと十数分で、右に階段道が始まる。まだけっこう新しい。南部排灣族の家屋と同じようなスレートをモチーフにした石の階段や、木製桟道である。日差しが差し込み、あたりを黄色に染める。7時20分展望台を過ぎ、緩やかな山腹道が始まる。ここはコンクリート舗装されている。以前は林道で、廃棄されものだろう。しばらく行くと前方に目的の稜線が見えてくる。道は廃棄林道を近道で横切るようになる。7時40分過ぎ、休憩をとる。
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廃棄林道を進む |
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急坂を登る |
更に20分ほど緩やか道や途中の近道急坂を通り過ぎ、勾配のきつい山道を10分ほどのぼる。また緩やかな道になり、前方に峠が見え始める。二泊する予定のキャンプ地は、水場がない。そのため三日間の水、6リットルを担いでいる。ザックは20キロ弱でずっしりと来る。一歩一歩と目的地近づくのは嬉しい。8時33分、まだ陽射しがない、十字路鞍部の峠(標高1785m)につく。予想していたより早く到着した。
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峠は目前だ |
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空身で井歩山を登る |
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山頂はもう少し |
時間もまだ早く、井步山へ空身で往復する。標高差は300m弱、天気も良く全く問題ない。まばらな広葉樹林の道は、陽射しが差し込み明るい。稜線を追っていく山道は、ところどころ急なところもあるが、おおむねきつくない。峠から歩き始めてから約35分ぐらいで、ちょっと窪んで平らな場所を過ぎる。最後数分の登りで、明るい山頂へ飛び出る。標高2066mの井步山山頂には、骨組みだけが残る瞭望台がある。山火事を発見するための塔で、林業時代の名残だ。大きな岩に、十字架と文字が刻んである。その向こうには地元原住民の聖山である、北大武山がその姿を、くっきりと青空に現す。
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井步山山頂の石碑と右に北大武山 |
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山頂のメンバー |
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鞍部に戻る、次々と登山者が登ってくる |
約40分の登り道は、25分で下り鞍部に戻る。途中、登頂してくる登山グループ数組とすれ違う。好天休日の井步山は、にぎやかだ。鞍部にデポしていたザックを担ぎ、10時6分今日のキャンプ地を目指す。井步山は人気ルートなので、いままでの道はとても状態が良かったが、ひとたび稜線道に入ると、状態はぐっと落ちる。踏み跡はあるが、いままでとは比較にならない。マーカーリボンはあるが、古いものが多い。
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稜線の道はぐっと程度が落ちる |
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隘寮南溪へと落ち込むザレと対岸の北大武山 |
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南側が切れ落ちた稜線を行く |
幸い倒木はそれほど多くなく、またそれほどの登りもない。10時53分、右が大きくガレた稜線脇にでる。大きく切れ落ちた斜面が1600mほど下の隘寮南溪へと落ちる。その向こうには、北大武山が立ち上がり雄大な山体でその存在を誇示する。この辺りは常に浸食がすすみ、稜線が北に追いやられる。道は稜線の北側を行く。11時15分、すこし開けた場所で休憩をとる。
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シャクナゲ原生林の稜線 |
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獅頭山山頂 |
岩がころがる部分を通り、道は登りにかかる。テントひと張りぐらいは腫れそうな平らな場所を通る。坂が急になり、岩も現れる。11時54分、開けた岩の山頂に着く。地図に記載がないが獅頭山のようだ。稜線前方には霧が出始めた。北側はまだ霧がなく、対岸の山々が見える。谷の下方に霧台の集落も望める。昼食休憩をとる。
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隘寮北溪の谷間、左に霧台の集落が見える |
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山腹をトラバースする |
12時34分、キャンプ地への最後のセクションを歩きはじめる。初めに下り、鞍部から霞迭爾山の左山腹に取りつく。尾根上の道は浸食で断崖となり、この左(北)側の巻き道ができたようだ。ちょっとざれた場所を過ぎ、長いロープが取り付けられた急斜面を強引に登る。山腹斜面を登り、少し岩がでた崖際を登る。霧が出てきて谷間は見えない。13時40分霞迭爾山山頂(標高2022m)につく。距離は短いが、実にやっかいな登りだ。休憩をとる。
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霧が出てきた |
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霞迭爾山山頂 |
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テント場に着いた |
14時前に下り始める。尾根沿いに十数分下る。右に青い帆布のテントある。そしてそのすぐ下が我々のキャンプ地だ。昨日一足先にこの山に入っていた、メンバーのGさんと声を交わす。14時半前に到着した。予想より早く到着できた。距離7.6㎞、登坂1062m、下降370m、所要時間7時間半である。コース定数は27となる。
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設営 |
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樹木の間からのぞく赤い霧頭山 |
まだ時間が早い、設営をすましウィスキーなどを飲み談笑したり、休憩したりする。夕方17時ごろに夕食を用意し食べる。18時前に霧が晴れ、樹木の間から赤く染まり始めた霧頭山がその鋭い山頂を垣間見せる。明日はあの山頂に立つのだ。
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第二日 2月28日 霞迭爾山東鞍營地 - 霧頭山途上折返 - 營地 - 鞍部 - 阿禮部落 - 茂林民宿
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霧頭山への途中で折返し、撤収して下山 |
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軽装でキャンプ地から出発 |
5時に起床、朝食をとる。メンバーの一人Cさんは、昨日友人で不幸があり、そのため先に下山するという。6時過ぎ残りの5人で出発する。今日は軽装だ。稜線を少し登ると、夜明け前の空にまばらな樹木を通して北大武山がそびえる。昨日の起伏の少ない稜線と異なり、今日はかなりの急坂やナイフリッジが現れる。30分ほど登り振り返ると、昨日登頂の井步山が朝陽を浴びてたたずむ。ここから見る井步山は、ピラミッド型で富士と称される台形ではない。平野近くから見て、初めて台形がわかる。
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井步山 |
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対岸の北大武山が赤く朝陽に浮かぶ |
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梢の上に尖った霧頭山 |
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隘寮北溪の向こうに大母母山 |
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ロープの架かる岩場 |
前方の白っぽい幹の林の上には、尖った霧頭山が稜線のコブの上に頭を出している。まだかなり高い。北側の谷間を挟んで聳える大母母山には朝陽が当たりだした。6時46分、少し下りまた登り返す。尾根は幅が狭まり、7時過ぎ補助ロープのある岩を登る。7時半過ぎ、高度は約2200m、南側が開け北大武山から長く伸びる尾根が続き、一昨日登った真笠山から白寶山への稜線も確認できる。尾根のその向こうの高屏平野には、多くの建物がある場所が判別できる。屏東の街だろう。
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北大武山と長く伸びる枝尾根 |
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高屏平野と屏東の街 |
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ナイフリッジを行く |
山道は稜線の南斜面を登っていく。北側はきっと断崖で切れ落ちているのだろう。8時14分、尾根はいよいよ狭まり、ナイフリッジになる。南側はまだ草木があるが、北側はスッパリ切れている。その向こうには急斜面の岩壁で固めた前衛峰とそのすぐ後ろに霧頭山がともに尖っている。まさに90年前に千々岩が記述したように、「自然の残忍性を思わすような大きなガレが岩肌を露出している」。植生も変わりはじめ、黒々とした幹のタイワンツガもその姿を見せる。
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折り返し点の崩壊岩壁 |
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折返し点のメンバー |
少し下って、また登り返す。9時少し前、北側に大きな崩落が生じた岩壁(標高2380m)が前に立ちはだかる。昨日キャンプ地で設営したあと、下ってきた彎刀縱走(北大武山-霧頭山縱走の別名)が、新しい崩落がありザイルがないと難しいのではないかと、言っていた。ここがその場所だろう。登りは、大丈夫かもしれない。しかしザイルの確保がなく足を踏み外せば、おそらく北側の大断崖に真っ逆さまだ。最近に発生した崩落なので、まだ補助ロープもない。今回はザイルを持参しなかった。それ自体失敗であるが、メンバーの経験などを考慮し、更の登攀を断念する。場所はことなるが昨年発生した遭難死亡事故が思い起こされる。
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岩峰からのパノラマ |
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高屏平野、遠くは水平線か |
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北方向のパノラマ |
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大母母山 |
登頂を諦めたが、時間がまだ早い。そこで引き返したあと、予定より一日早く撤収して下山を決める。途中、ちょっとした岩峰に上がりそこからの広い展望を、記念に眺める。好天に恵まれ、まだ時間が早いので霧も発生していないので、実にはっきりとした展望だ。眼下に伸びていく稜線の端には井步山が盛り上がる。その左(南)側は広い平野だ。右(北)側の隘寮北溪の対岸には大母母山が大きな山容で谷底から立ち上がる。その東側は、幾重にも続く山並み。
南一段の卑南主山やその北の峰々、ちょっと頭を出しているのは小關山か。特徴のある石山も出雲山の稜線の上にその特徴ある山頂を突き出している。さらに遠くさらに高い山々は玉山や雲峰、そして嫋やかな山頂は三叉山だろうか。実に山高く谷深い中央山脈である。
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霞迭爾山(左)から井步山への稜線がはっきりわかる |
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キャンプ地へ下る |
20分ほどの展望を満喫し、10時25分稜線をキャンプ場へ下っていく。腹を決めたので、あとは注意して歩くだけだ。11時50分キャンプ場へたどり着く。距離は大したことがないが、時間がかかる。1時間ほど昼食休憩と撤収を済ませ、13時ザックを担いで下山を始める。三日用として持ち上げた水は、まだ半分ぐらい残っている。各自今日の下りで必要な分を残し、それらをキャンプ場において出発する。
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水が減ったザックを担いで下山 |
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獅子山へ登り返す |
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断崖わきを行く |
登り返して、13時30分桜が咲く霞迭爾山を通過、さらに進む。ロープの急坂を下り山腹をトラバース、また少し登り返す。途中獅頭山で休憩、15時56分鞍部の峠に着く。陽は少し傾き向き始めた。阿魯灣古道の状態は、実によい。ぐんぐんと下る。16時45分、大分下り右に霧頭山が少し雲をまとって聳える。逃がした魚は大きいというが、ちょっと残念だ。さらに下り17時12分、古道入口に着く。もともと下山後風呂を浴びるということで、民宿に残した荷物を受け取り、17時40分車で下り始める。
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峠から下る |
明日は、鳴海山に行くことに決めた。とにかく三地門へ下り、そこから鳴海山の近くの茂林部落の民宿に一泊することにする。19時前に三地門から平地に降り、さらに高樹鄉経由で茂林へ向かう。途中高樹鄉で食事をする。メンバーのGさんは高樹から直接帰るので、残り四名で茂林にまた山に入っていく。20時40分、目的の民宿に到着し、22時頃までには就寝する。今日は、距離9㎞、登坂570m、下降1270m、行動時間11時間半、コース定数は30である。
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霧頭山はすでに遠い |
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阿禮部落(社區)の石碑 |
自分の年齢を考えると、再び霧頭山を訪れることがあるかどうか、まだわからない。その意味では残念だ。しかし、それも山旅である。天気に恵まれたことに、そして霧頭山登頂はなかったが、日本時代には阿猴富士と名付けられた井步山に登頂し、尚且つ南部の山々を広く眺めることができたのは、幸いだ。
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