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2021-03-14

2021年3月10日 樟之細路 第四段 竹東 - 北埔 - 獅頭山の丘陵を越えて進む

南外社區路傍の家屋に残る昔日のバス停留所標識(今は別のバス停)

一週間前の竹東と隣の横山の樟之細路行に引き続き、竹東から北埔を経由し獅頭山までのセクションを歩いた。竹東や横山は、奥の山に行くための通過点で馴染みだ。一方、獅頭山は数年前に訪れている。途中の北埔は、客家人の多い集落で古い町並みも残る。特に登山者の興味を引く山があるわけでもなく、また奥の山の通過点でもない。観光として訪れたことはあるが、しばらく行ったことがなかった。

前回と今回の二回の軌跡
樟之細路は、里山的な場所を進む。今回も当然丘陵地を歩いていく。そして最後に少し高度がある獅頭山を越える。この山を越えていく獅山古道が樟之細路のルート上の一セクションとなっている。途中にある石硬子古道は、車交通が発展する前は、北埔と獅頭山とをつなぐ重要な通路だったが忘れられ、樟之細路のプロジェクトとしてボランティアなどの手で復活した道だ。3月になり、天気がよいと日差しがかなり強い。日陰ではまだ涼しいが、高度が低い丘陵歩きの樟之細路は、あと一、二回で残りの部分は秋になり涼しくなるまで、しばらくお休みということになるだろう。
獅山古道入口にて


竹東員崠國小裏門
前回終了点の竹東へ國光客運 1820番バスで向かう。6時50分発のバスは、遅れることなく台北轉運站を発車する。雲が厚かった台北に比べると、龍潭あたりに来るとすっかり良い天気だ。8時50分、竹東の下公館バス停で下車する。前便のバスで来ているメンバーも含め、今日は16名のパーティだ。歩き始めのセクションは、今まで何度も車で通過している122号線だ。車上で見る風景とは、また違った発見がある。古い家屋なども気づく。ちょうど122号線23K表示の前の員崠國小に立ち寄る。日本時代には、小高い丘の上に神社があった。

旧神社参道脇には昭和10年の灯篭が残る

昭和の文字がうめられている
学校名が立派な後門だが、122号線に面した丘の部分は学校内ではなく公園である。門を入ってすぐ右の土地公脇から始まる歩道を登る。登りきると開けた場所にたくさんの石塊が並べてある。神社の石灯篭だった部品である。その奥に柵に囲まれた一段高い台座がある。ここにもともと神社の建物があった場所だ。今は孫文の銅像が立っている。昭和元年に員崠は油田が発見され、その油田で昭和10年に火災が発生した。そうした災害から土地を守るためにこの神社ができた、という説明文がある。神社の前には参道の階段があり、登口両側には石灯籠がある。ここの灯篭の建立年月は、ほかのと同じに昭和という文字が国民党政府によってうめられ判読できないようになっている。

昔ながらの雑貨店(柑仔店)

大山背山

右に竹39号県道へ曲がる
9時半122号道路に戻り、先を進む。昔ながらの雑貨店(柑仔店)がまだあり、みんな懐かしがっている。日本時代には、大霸尖山などを登るために、竹東から今は車道となっているトロッコ道を上坪へと進んだ。さらにその先シャカロー・サカヤチン警備道を経て山に入っていた。左に先週登った大山背山(大崎崠)が近い。歩く速度だと、車では見過ごしてしまう景色がゆっくりと眺められる。9時52分、右に竹39号県道に折れて進む。ここからは、丘陵地帯になり小さな上り下りが現れる。

別荘地の脇を登る
土地公で休憩
大湖社区を行く
坂道を上ること数分、右に大きな別荘地がある。その対面は墓地だ。その先で峠部分(標高約220m)を超え、下っていくと右にテーブルや椅子がある土地公がある。祠の前には屋根があり、手前の台にはお供え物もある。日差しがそこそこ強く、屋根の下の日影は助かる。まだ新しいお手洗いもある。ここで休憩をとる。10分ほどの休憩後、道を進む。すぐに大湖観光案内図がある。古道や、桜、油桐などの花見についての記載がある。

道路工事が進行中

10時46分、左に竹39‐1号県道が分岐する。またしばらく上りが続く。竹39号1Kの標識を見て間もなく、道路工事地点を過ぎる。作業中のシャベルカーが道を塞ぎ、車両は通行止めだ。その先長めの坂を登り切り、集落が現れる。11時4分、竹39号県道が終わり、北埔の街に入る。

鄧南光攝影紀念館
紀念館内部
県道わきには、鄧南光攝影紀念館がある。中に入り参観する。街はずれなので、今まで訪れることがなかった。戦前の法政大学に留学した鄧南光は、在学中に写真にのめりこむ。その後台湾へ戻った後、写真館を開く。1971年に享年63歳で亡くなる。台湾の写真界にその名を遺す写真家だ。記念館は家族が経営していた世源醫院を改装したものである。館内には、彼の写真作品や、暗室なども残されている。

北埔慈天宮、改修工事中
使用されていない古い橋
20分ほどの鄧南光紀念館参観後、細い路地を進む。路地を出たところは180年の歴史がある慈天宮だが、現在ちょうど改修中で養生シートにカバーされ外見は望めない。メンバー中には、老街で買い物をするものもいる。平日なので、観光地である老街も人通りが少ない。10時37分、北埔を後にする。街並みを出てすぐ、入口の門柱と壁だけが残る缶詰工場跡を見る。街の高台から下り、竹37号県道を南に進む。渡る川には、昔の橋が残る。橋脚のレンガが壊れ今は通行不能だ。

もう使われていない共同洗濯場
昼食の土地公からキャンプ場を見下ろす、右遠くに五指山
壁全体が土地の広告になっている
丘陵の上り下りを行く。11時57分、別の壊れた橋を見る。その先少し登ると、右側に共同洗濯場がある。屋根は新しいが、今はだれも使っていない。古跡としての扱いだ。12時を少し回ったところで、左に駐車場の奥に土地公がある。祠の前には屋根もあり、日差しを防ぐには十分だ。椅子がほとんどなく、床に直接座るが、風もあるので昼食休憩をとる。土地公は高台の上にあり、下にはキャンプ場があるようだ。その遠くには、特徴のある五指山が望める。

南外社區の石碑を右に見る

道脇の神様
30分ほどの昼食休憩後、竹37号県道をさらに進む。12時48分、南外社區歡迎蒞臨の石碑がある。別の地区に入ってきたようだ。12時56分、竹37号は左に上坪方向へ下っていくが、我々は右に小南坑產道に入る。進むこと約10分、右に大きな濟化宮の建物を見る。道は谷の間を登っていく。新竹客運の終点小南坑バス停を過ぎ坂を上っていく。右に分岐が分かれ、樟之細路のマーカーリボンが取り付けある。手持ち©の地図と比較するとその方向はおかしい。曲がらずそのまま道を行くが、方向が外れていく。結局手持ちの地図に今歩いている道が記載されていない、ということに気づき戻る。すると先ほど右に曲がる道のすぐ先に、また分岐する道があり、地図と合致する。つまりは、不完全な地図に惑わされたということだ。

濟化宮

ここを右に曲がる、左の道は地図上になし
樟之細路の表示
道路は、さらに細くなり小さな上り下りを行く。別荘のような家屋を過ぎ、刻まれた文字がまだ新しい石硬子橋を見る。橋の前で右に分かれる道は鉄の門でふさがれている。橋を渡り進むが、これもおかしい。橋に戻り鉄の門の脇を入る。こちらが正しい道であった。ミカン農園をすぎると、樟之細路の標識を見る。その先左に土の道が分かれ、石硬子古道が始まる。木製の橋を渡り囲いのある菜園のわきを過ぎると、雑木林の間を進む。自然工法というその地にある石や木材を使って、道の補修が行われている。古道入口から約10分ほどで沢を渡る。水量も少なく問題ない。渡って急坂を登り、平らに進む。14時4分、古道には舗装が始まる。下り気味に約数分行くと、集落に出る。ちょうど散歩中の土地のおばあさんに挨拶する。

石硬子古道


清河院
清河堂と名付けられている三合院は、最近修理がされたのか、白壁がまぶしい。その前の坂を下り、庭園に入る。ここは行き止まりだが、椅子があるので休憩をとる。休みに適当なところがなく、ずっと歩いてきた。休憩後清河堂前の道を進む。下って會獅橋を渡り、竹41号獅山道路にでる。まさに會獅である。左に折れて、広い道を登っていく。14時41分、獅頭山の山門(標高138m)をくぐる。

獅頭山山門
獅尾山にて
ここから獅山古道が始まる。峠の望月亭(標高約460m)まで約300mの高度差だ。道は舗装され、古道という趣はない。かなりの勾配で道が登っていく。汗が流れる。今日の行程中一番の登りである。萬佛庵を右にみて進み、15時4分右に始まる獅尾山の土道をとる。ほんの2,3分で獅尾山〔標高290m)に着く。往路を戻り、獅山古道をさらに登る。古道1200mのキロポストを見るあたりで、右側が開け遠くまで展望できる。遠くの丘の上にたくさんのビルが並んでいる。おそらく新竹科學園區だろう。15時19分、左に以前歩いた六寮古道が分かれる。靈霞寺を左に見て上り、15時37分元光寺の階段が左に現れたところで、休憩をとる。

遠くの丘に多くのビルがある
靈霞寺
元光寺
元光寺の階段を上り、右に元光寺を見てさらに階段を上る。禪堂が現れ、その後ろの道を行く。猴山から続く稜線上の道に出て、右に進む。樹木が切れたところで、展望ができる。眼下の南庄の谷の奥に山が高い。加里山である。そのとがった山頂から右に長い尾根が伸びる。昨年加里山とともに歩いた橫龍山だ。谷を挟んだ右にいくつかのピークを抱く低い尾根が伸びる。神桌山から仙山へと続く尾根だ。以前獅頭山を訪れたときは、曇りがちで遠くは見えなかった。このような素晴らしい景色があるのは嬉しい。道をさらに下がり、15時58分望月亭に着く。遅れている二人を待つ間に、ほかのメンバーは獅頭山山頂へ往復する。

南庄の谷を見下ろす、左は加里山、右は仙山
望月亭
岩壁の脇を下る
16時30分、全員が戻り下山を開始する。ふもとのバス停には16時29分に5805番バスがやってくる。まだ一時間あるので十分だ。峠のこちら側の古道は石畳だ。石段を下ると、大きな文字が岩壁に刻まれている。そのすぐ下で道が分かれる。直進する道は、こちら側に多くある寺院を巡る。我々は左に折れ下っていく。16時40分、道德門をくぐり勸化堂(標高310m)に出る。この前庭からも南庄の谷が俯瞰できる。

勸化堂

勸化堂からの眺め
獅頭山山門

勸化堂下の駐車場を通り過ぎ、さらに古道を下る。17時10分、山門に下る。すぐわきがバス停で今日の歩きは終わりだ。17時30分、5805番バスがやってくる。沈み行く夕日を車窓から眺め、18時16分竹南駅に到着する。18時31分発の區間車で20時25分に台北駅に着いた。

人数が多いこともあり、今日は休憩込みで9時間の活動時間だった。距離は約20.2㎞、累計登攀772m、下降722mでコース定数は30となる。天気も良く、日光が強くなっているのを感じる。実際陽差しにあったていた腕は日焼けしていた。台中まで伸びる樟之細路は、まだ先が長い。急がず、ゆっくり鄉村の風情を楽しんでいくのは悪くない。


2021-03-05

2021年3月4日 樟之細路 竹東 - 橫山を歩き騎龍山と大崎崠を登る 

顯伯公祠の焼香

まだ暑くならないうちにできるだけ歩こうと考えている樟之細路行は、今回で三回目だ。前回は關西から竹東へのセクションで、今回はそれにつながるセクションだ。この部分は竹東や横山を巡りまた出発点に戻るというかたちである。竹東は、上坪溪が山から流れ出て平地になる部分にできた街だ。大霸尖山などを含め、多くの中級山はこの街を通過し山に入っていく。筆者もいままで何度も通過している。歴史的には、山岳原住民や平地原住民のこの土地に中国本土からの漢人移民が入り、開けていった。現在の住人もこの種族構成が残る。

竹東から出発、時計回りに回遊して竹東に戻る
途中で二つの山に登頂
今までの樟之細路足跡
バスで竹東に入り、そこからまたバスで横山へ行き、里山の山々と古道を歩いていく。樟之細路には含まれないが、その近くにある騎龍山と大山背山(大崎崠)へ登った。特に後者は、竹東や横山からさらに下流の開けた場所が俯瞰できるので、この土地の様子をより深く理解するにはよい場所である。大山背山から下って茶亭古道を歩き、さらに車道を竹東まで歩いて、バスで帰京した。

大山背山山頂にて


橫山鄉公所バス亭で下車
6時50分発の國光客運1820番バスで出発する。時刻表の6:50に遅れること10分近くの発車だ。途中でメンバーが乗車し、今日は全員で13人だ・竹東の下公館バス停には9時少し前に到着、ここで乗り換えを予定していた新竹客運のバスはすでに出発して、次のバスまでは一時間ほどある。待つのも無駄なので、台三線を歩き始め竹東大橋をわたる。渡ったすぐ後に新庄子バス停があり、新竹縣が運営する快捷公車六號ルートのバスがそれほど待たずに乗れそうだ。もともとこのようなバスルートを知らなかった。待つこと数分で、果たしてバスがやってきた。小型バスは、ほとんど乗客がいなかったが我々が乗車すると、ほぼ満員だ。数分の乗車後10時2分、橫山鄉公所バス停で下車する。

右に內灣線の線路が走る
踏切を渡る
バスに乗れたおかげで、3,4㎞歩くのを省略し、少なくとも4,50分のセーブになった。歩いたとしても、そこは樟之細路ではない。橫山鄉公所バス停は、鉄道內灣線のすぐわきだ。內灣線は、本数が少なく今では地元の足とはなっていないだろう。それは、日本でも同じような現象だ。線路と122号線道路との間には、整備されて小奇麗になっている。道路を5,6分歩き右に折れて踏切を渡り竹35号線が始まる。ここからが樟之細路歩きだ。すぐに大山背客家人文生態館の表示を見る。
霧が晴れてきて山が見え隠れする
增昌大橋
日本の里山的な位置づけのこの場所は、田畑が山の脇まで迫る。朝の濃霧はすこし薄れ、その田花の向こうには山の影が霧の中に浮かぶ。伝統的なレンガ積の三合院家屋や土地公を見る。昔からの風景だ。道路は1Kのキロポストをみて下っていく。10時半、川幅のある油羅溪を增昌大橋で渡る。橋の向こうは左に折れ、二股は大山背方向の道をとる。登っていくと、新竹縣觀光六號の油羅店バス停を見る。このバスは、この後我々が歩くようなルートを通り、竹東を駅と內灣を一日二往復しているようだ。

油羅店は右へ進む
涼亭で休憩
豐鄉瀑布
道をさらに登っていく。11時3分竹35号線4Kの表示をみて、道は谷へとすこし下っていく。沢沿いの涼亭で休憩をとる。涼亭の少し先は豐鄉瀑布がある。滝といってもそれほど落差がない、かわいいものだ。道を少し登ると車が道脇に多くの車が駐車している。どうやらこの水をボトリングしている会社があるようで、車は社員のものだろう。今日は平日である。11時半、左の丘の上に100年顯伯公の祠がある。新しい木製階段を上ると、まだ線香に煙が登る石祠がある。地元民がおそらく毎日のように訪れ参拝しているようだ。

百年顯伯公

竹35線を登るにつれ、展望が広がる
騎龍古道一番目の入口
5Kのサインを見ると道は途切れずに登っていく。高度も上がり周囲の山が相対的に低くなってくる。車は時々通るだけで、交通量は多くない。ただ工事が行われているようで、不似合いの大型コンクリミキサー車が時々上り下りをして通り過ぎる。12時少し前、右に騎龍古道が下っていく。説明板の脇には樟之細路のリボンが取り付けてある。騎龍山を登るので、ここでは曲がらずそのまま進む。右にまた騎龍古道は、入り口が三か所あり下って行った先で合わさる。12時3分、大山背客家人文生態館を東に見る。

大山背客家人文生態館の入口
大山背客家人文生態館全景、左の一階部分が小学校校舎
左の階段(逃學步道)を騎龍山へ登る

山道を行く
大山背客家人文生態館は、すでに廃校になった大正12年開校の豐鄉小学校の校舎を利用して改装し、併せてレストラン大山北月がある場所だ。中に入り、旧校舎や展示物を見学する。有名な漫画家劉興欽は、この学校出身とのこと。10分ほど過ごした後、裏山になる騎龍山へ向かう。漫画家劉興欽は、授業を抜け出して裏山に行ったとのことで、この道は逃學步道と名付けられている。石階段の道を行くと、右に土の道が分岐する。この道を登っていく。12時24分、杉林の中に騎龍山山頂(標高510m)を見る。

騎龍山山頂
休日だけに営業のコーヒーテラス
テラスから望む、五指山と背後に鵝公髻山
山頂からさらに道を行き、12時40分竹35号道路に降りる。降りたところはコーヒーテラスになっている。土日だけの営業のようで、小屋にはシャッターが下りているが、その手前のテーブルはオープンなので、利用させてもらい昼食をとる。テラスの前には、遠くに山が控えている。よく見ると五指山とその背後の鵝公髻山だ。実はこんな位置関係になっていのかと、驚く。しばらくすると、晴れていた空が曇り気味になり、山も雲がかかり頂上を隠す。

騎龍古道の橋を渡る
最近手入れされたようなセクション
13時12分、舗装路を右に先ほど登ってきた方向に進む。左に騎龍古道の入り口が開く。石畳の道を下り始める。地図上三本ある騎龍古道のうち、一番長くなるこの道は、通行人が少ないようだ。下がっていくと樹木が崩れた場所を通過し、橋を渡り沢沿いに進む。そのうち道は倒木が道に転がり、少し怪しくなる。幸い草木は最近刈られたようで、進むに邪魔にはならない。13時37分、右から二番目の古道を合わせ橋を渡って2,3分進むと金網の門の脇を通り、また右からの道を合わせる。分岐部の道しるべはしっかり北方向の道を示しているが、整備の手が入らずに歩かれていないようだ。

金網門の脇を出て分岐を通る
竹35-1鄉道へ登る
竹35-1鄉道に登りつく
金属ボンベなどで作られた藍鵲鳥
道は上りになる。13時44分、小さな橋を越し、さらに上りが続く。けたたましく鳴くガチョウやアヒルの檻の脇を行く。けっこう勾配がきつい。13時57分、竹35-1号線に登りつく。右に進み道脇の涼亭で小休憩後、大山背山の登山口がある樂善堂に入る。この廟はかなり古い歴史があるという。1889年に建てられた廟は、日本が台湾を摂取したあと土地の名士が抗日運動の中心とした。その後日本がここを攻撃し消失する。今も物は1910年に再建されたものだ。これから歩く大山背山(大旗崠或るいは大崎崠とも称される)への道は、この抗日運動に伴い開かれたという。登山道は、大崎崠古道とも呼ばれる。

樂善堂入口わきの大崎崠古道の石碑
樂善堂
樂善堂脇のテラスから展望

山頂農場脇を登る
廟の背後から石段の山道を登り始める。標高約450mの樂善堂から標高705mの大山背山まで約250mの落差だ。道は登り始めて間もなく右に山頂農場と記されている家屋を見て、車道を渡る。また石段が続く。石段は全部で1600段強ほどあるようだ。一部岩が露出する部分で途切れるが山頂までずっと続く。14時50分、涼亭がある山頂に登りつく。山頂の脇にはテラスが設けられ、そこから広い範囲を俯瞰できる。前回歩いた關西からの山並みが判別できる。次に歩く予定の北埔方向へと続く丘も見える。そして足元は竹東だ。残念なことの遠くは、雨雲なのかぼんやりしている。

石段の山道、山頂はもうすぐだ
涼亭と展望テラスのある山頂
大山背山からのパノラマ、上坪溪(左)と油羅溪が合流する南に発展した竹東
道脇には多くのミカン畑
15時10分、往路を下り始める。数分下ったところで、右に分かれる櫻花步道を進む。道脇には桜の木が続くが、すでに葉桜だ。急な坂が終わり舗装路に出る。この山はミカン畑が多い。舗装路をさらに下り、左に上りにみた山頂農園脇の石段道をとり、15時41分樂善堂に戻る。こもも展望ができるが、山頂に比べると範囲が限られる。休憩の際にビールを取り出しみんなで飲む。まだ少し氷が解け切っていない。

萬瑞渡假村
茶亭古道入口脇の伯公廟

急な階段道を下る 

竹35-1号線を下る。ヘアピンカーブを二回曲がり、大きな萬瑞渡假村の正門前を過ぎるとすぐ、茶亭古道の入口(標高約350m)を見る。入り口わきには伯公廟の祠がある。これも歴史があるようだ。ここも住民が参拝している。石段の茶亭古道は、ぐんぐん高度を下げる。下ること10分で、小さな糯米橋を渡る。糯米橋とは、レンガを糯米(もち米)を使い積み上げた橋である。台湾にはまだ多くの糯米橋があるが、こうした人が歩く以外はにはもう使われていない。橋を過ぎると道は緩やかになり、舗装が始まり16時24分、大きな石碑がある入口(標高約200m)に出る。

糯米橋

茶亭古道入口
橫山國民小學
雨が降り出した。傘を取り出しさして道を進む。16時半、竹34号線に出る。この道には午前中に見た新竹縣觀光六號バス停があるが、一日二便では利用できない。竹34号線をひたすら歩く。と、いっても田園風景や道脇に咲く花をみたり、飽きることはない。大きな規模の横山小学校の前を行く。17時前、台三線にでる。振り返れば先ほど登頂の大山背山が遠い。左に台三線を進み、7/11に立ち寄り休憩する。竹東大橋を渡り、17時35分榮民醫院バス停に着く。待つこと20分で、國光客運1820番バスがやってくる。台北には19時40分に帰り着いた。

竹東大橋から見る大山背山はすでに遠い
1820番バスがやってきた
樟之細路行もこれで第三セクションを歩いた。区分けは自分で行っているが、大体このぐらいの距離が、台北からの交通時間を含めて適切のようだ。距離18.8㎞、登坂808m、下降870m、休憩込み活動時間7時間50分で、コース定数は28となる。