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2013-02-25

2013年2月24日 新店銀河洞 - 鵝角格山 - 杏花林 - 政大 春の木柵猫空歩き

銀河洞
杏花,背後は猴山岳
今月は雨がけっこう多く、期待したほど山に登れていない。今回は、友人のWさん夫妻と猫空の山を歩いた。出発点は新店銀河洞からだ。2011年に同じく銀河洞から登ったが、途中から楣子寮溪沿いの山道を行き、猫空ケーブル駅から上がってくる三玄宮歩道の峠部分を経由して、鵝角格山を越えた。2週間近く前に一度訪れた杏花林は、今回の山行のもう一つのハイライトであったが、期待より早く花が開花しており、少し遅かったようだった。それでも、久しぶりの好天の休日、多くの遊楽客が楽しんでいた。時間を掛けて杏花林を歩いたあと、車道を樟山寺へ、その後茶葉親山歩道を政治大学キャンパスへ下った。

南の銀河洞から北へ、山越えをして政治大学へ歩く
山越えパターンの歩き
最近の木柵近辺の歩き
先週に引き続き、緑12番バスで向かう。8時前にMRT新店駅についたとき、いつものように行列ができていたが、今日は比較的短い。十数分の乗車で8時半銀河洞バス停に着く。進行方向に進み、銀河路に入る。道際には大きな立仏象が建っている。ちょうど銀河路の上の方にある寺で、行事が行われているようで、垂幕がかかっている。台北近郊の山には、廟宇が非常に多い。道脇のあずま屋で身支度をして出発する。

銀河洞步道の石段
昨日まで降り続いた雨で、道はまだ濡れている。雲はあるが、天気は問題ない。鳩競争に使われる大掛かりな鳩の籠が道端に置かれている。銀河路入口の垂幕のお寺のわきを過ぎる。勾配がきつくなってくる。遠く前面の山の中腹に、銀河洞が見える。約20分の歩きで、銀河洞越嶺歩道の入口に着いた。ここから山道の始まりだ。石の階段道が沢のわきを登っていく。古いが概ねよい状態だ。途中、大雨のため少し崩れた部分を過ぎる。十数分の階段登りの後、9時5分に銀河洞に着く。バス停から30数分だ。

銀河洞から見る谷筋、左側山の上に新台北花城
銀河洞の滝から見下ろす
資料によれば、銀河洞は約100年前1914年に発見され、台北の山遊名勝であったということだ。石段はその当時に造られたのだろう。水量は多くないが落差45mの滝と、その背後の洞に造られた廟は、一遊に値する。自分の足で登ってこないければならないことが、その後顧みられなくなった原因だろう。しかし、近年のハイキングブームで訪れる人も多くなっている。今日も多くのハイカーが訪れている。Wさん夫婦は初めてなので、滝の裏側を進んだ奥にある呂洞賓神像へ往復する。

小沢沿い道の分岐点、左は銀河洞歩道
銀河洞の右から、山道が登っていく。急坂の石段道が終わると、楣子寮溪沿いに枕木道が続く。前には鵝角格山が見えてきた。緩やかな登りのあと、銀河洞越嶺歩道はコンクリ製の小橋で沢を越えて進む。沢は右に遡っていく。この橋のたもとが、六分山、沢沿い道、そして銀河洞歩道の分岐点だ。道標は、六分山への道は指していないが、沢沿いの道は四面頭山として示している。この沢沿いの道を取り進む。

朽ちた橋と楣子寮溪、左側渡り進む
沢沿い道は、概ね平な部分が続く。ところどころ石段が置いてある。数日来の雨で、道はぬかっている。10分ほど歩くと、沢に降りていく。沢を越すとその先に、古ぼけた橋がかかっている。踏板が抜け落ちてもう使われていない橋だが、これが猫空から峠を越えて下ってきて、ここから更にまた峠を登り返し北宜公路の六分へ続く道の沢越え部分だ。我々は、ここから左にとり、峠に向けて登る。はじめは沢沿いに進むが、まもなく山腹に取り付き高度を上げる。峠まで100mぐらいの登りだ。上部には補助ロープのかかる急坂が現れる。10時15分峠の鞍部に着く、銀河洞から約50分の歩きだ。峠のあずま屋で休憩する。風がとても強いので、ジャケットを付ける。

三玄宮山展望台から見る猫空、木柵方面、遠くに101ビルと南港山
鵝角格山への稜線道
鵝角格山は西側だが、先に東側に三玄宮山へ少し登り、展望台へ行く。去年三月に訪れたときは、ぼんやりしていたので木柵より先は見えなかったが、今日はそのさき南港山や101ビルが望める。峠へ戻り鵝角格山へ向かう。峠には十数名の登山客が登ってきて、記念写真を写している。とても賑やかだ。峠から右に猫空駅に石畳の良い道が下って行くが、鵝角格山へは土の山道だ。それでも、観光地猫空に近いので良く踏まれている道だ。登ってしばらく、右側が開けている場所を過ぎる。三玄宮山の鉄塔の向こうに、先週登った二格山から中華電信の通信塔への稜線が続いている。稜線道は一度急坂で下り、また少し登り返すと鵝角格山(標高475m)についた。10時55分、峠から20分の歩きだった。

二格山を望む(左のピーク)
鵝角格山の下り
前回訪れたときは、鵝角格山頂上は北側に開けて展望ができた。その後、樹木が伸びたため、大分視界が遮られている。下りは、急な坂道が続く。約10分の下りの後、道は山腹をトラバースするゆるい坂道になる。樹木の枝に多色の紙のようなものが引っかかっている。平渓の天灯のように見える。こんなところにどうしてあるのか。まさか、平渓から飛んできたのろうか。11時20分、樟湖親山歩道との分岐に着いた。ここからは、石畳道が始まる。

石畳の樟湖親山歩道の分岐点
祝福編鐘
分岐のすぐ近くにベンチがある。最近造られたもののようだ。ここで休憩する。先ほどの山道でも都合七、八人の登山者に出会ったが、この親山歩道を歩くハイカーはとても多い。休憩後少しくだると、祝福編鐘と名付けられた鐘がある。先ほど鵝角格山からの下りの際、しばしば鐘の音を聞いたが、これだったのだ。台北市は、この親山歩道に音楽をテーマに造作をしているようだ。この先にも、楽器を連想させる物を設けている。途中左に銀河洞へ、右に猫空方面へ分岐を分け、親山歩道はゆるい登り下りの稜線を行く。左側には、昨年10月に歩いた雞心尖、中嶺山から直潭山への稜線がある。12時少し前、待老坑山に着いた。

待老坑山から少しもどり、杏花林へ下る。少し行くと、杏花林A区の上にでる。ここはほぼすべて花の時期は終わっている。2週間前訪問の時、この部分はかなり咲いていた。道を先にB区へ進む。B区も、大分花がない樹があるが、幸い花を残している樹もある。青空のもと、遠くの二格山や猴山岳を背景に、花が美しい。大勢の花見客が遊歩道を歩いている。我々も20分ほどゆっくりと杏花林の間を見て回る。入口に降り立つと、多くの露天商がある。人も多い。老泉街45巷の舗装路を樟山寺方向に進む。この道を行く遊楽客も多い。今日は、本当に観光日よりだ。

杏花と背後の二格山
杏花林B区
白とピンクが1枚の同じ花びらにあるツツジ
樟山寺の道すがらには、ツツジが沢山咲いている。寺の近くには、ひとつの花びらに白とピンクの二色がある、変わった花を見かけた。お寺の参拝客が多い。ここからは、あと政治大学キャンパスへ下るだけだ。10数分で親山歩道入口に下り着く。ここから環山路をこえ、公園から行健道の急な階段を下る。公園の登りで振り返ると、手前に猴山岳、その右奥に二格山がある。これら山頂から政大キャンパスが見えるので、ここからこれら山が見えても不思議ではないが、何故か新鮮感を覚える。山際のキャンパスから景美渓を越え、13時45分に政治大学正門に着き行程を終えた。

政治大学の公園から見る猴山岳(左手前)と二格山(右奥)
今回の山行は、先週とほぼ同じ距離約9.8kmだった。所要時間は、5時間25分だ。峰越えの歩きなので、登攀高度累計は638mある。木柵、猫空の山はアクセスも容易で、多くの人が歩いている場所だ。台北市親山歩道として整備されている道は当然のこと、鵝角格山などそれ以外の道もかなり多くの登山者に歩かれている。この時期は、花も多く見られる。二格山や猴山岳も含め、ハイキングに広くお薦めできる山域だ。

2013-02-18

2013年2月17日 石碇二格山 - 南邦寮古道 - 深坑老街

筆架山から見る二格山(2013/1撮影)
今年の山桜は去年より開花が早く、散るのも早いようだ。昨年三月中旬に同じく栳寮から二格山へ登ったが、その時は僅かな花を残して、すでに花の時期が終わっていた。今年はそれより四週間も早いが、大部分の木は葉桜となっていた。桜を期待していた部分は残念だったが、晴天のもと二格山からはよい展望ができた。それにもまして良かったのが、南邦寮古道だ。苔むした石段は、濡れて滑りやすい上に長く、同行メンバーも含め苦労したが、この道は自然があふれ様々な様相を見せる。つい最近同じく天南宮から下った、尾寮古道よりも古道の風情がある。

南側の栳寮から北に向けて歩く(クリックで拡大)
下りが主体の山行
今まで歩いた深坑の古道群
今回のルートは、北宜公路の栳寮からスタート、二格路産業道路を歩き第二登山口から二格山を登頂、その後猴山岳步道を阿柔洋產業道路まで行き、天南宮から南邦寮古道を下った。南邦寮古道を歩き終えた後は、天南宮から遠くを迂回して下ってくる阿柔洋產業道路を更に深坑老街まで歩いた。旧暦正月最後の日曜休日、天気もよいので深坑老街は遊楽客で溢れかえっていた。

残り少ない二格路わきの桜の花
朝8時にMRT新店駅前バスターミナルで、同行のKさんとWさん夫婦に出会う。北宜公路を坪林まで行く緑12番バス乗場の表示が目立たないので、少し迷ったようだ。すでに行列ができている。8時15分定刻に出発、バスは満員だ。カーブの多い北宜公路を三十分揺られ8時45分に栳寮に着いた。休日の北宜公路は大型バイクが多い。大きな音をたてて通り過ぎる。バス停の手前の二格公園からは、谷の向こうに皇帝殿山が見える。支度をすまして出発する。栳寮は標高が400数十mあるので、674mの二格山まで標高差は200数十メートル、いくつかある二格山登山道の中では、一番楽な道だ。

第二登山口
天気が良いので、日なたの道を歩き始めると暑いぐらいだ。仏清寺の近くを過ぎると、道の両側に桜が植えてある。新北市政府の「賞櫻路線」の看板がかかっている。桜を期待していたのだが、ほとんど木はすでに葉桜、ところどころに花が咲いているものがあるが、今回も残念ながら桜並木を鑑賞できなかった。今年の桜満開は昨年より二週間ぐらい早かったようだ。実際先月末に筆架山縦走路を歩いている時、二格路産業道路方向を見ると桜がかなり咲いていた。同じく道端に植えてあるツツジは満開だ。第一登山道入口を過ぎ、山裾を回りこむ。駐車場があるが、そこからは筆架山の連山がよく見える。駐車場のすぐ先に第二登山口がある。幸いにして桜が咲いている木が二、三本ある。この登山道は、幅がひろく両側に桜が植えてある。ここまで、栳寮から約40分の歩きだ。

餌を食べる赤腹リス
登山口から数分登ると、第一登山口からの道と合流する。わきには休憩のあずま屋がある。大勢の登山客が休んでいる。木製手摺に落花生が置いてある。近くにはリスが数匹やってきている。登山者の一人は、よくここにやってきて餌を与えているとのこと。一休み後、階段道を登る。道はコンクリで整備された道だ。ただ、階段一段の高さがかなり高いところもあり面食らう。約15分で二格山頂上の展望台に着いた。今日はかなり遠くまで見える。台北市の向こうの観音山や陽明山山系、平渓の奥の山、中嶺山や石碇後山の向こうに烏來の山々が展望できる。翡翠水庫の湖面も少し覗ける。一月初旬に雨の中を歩いた、雲海山や風露嘴も近くに見える。今回で四回目の登頂だが、訪れるたびに識別できるピークが増えている。食事休憩を取る。

二格山から北方向を見る、左に台北市、正面に陽明山山系
深坑の街
台北市方向
南方向を見る:手前の中嶺山と右の石碇後山、その向こうは高腰山拔刀爾山、左のコブは大桶山
東方向を見る:小格頭と背後の雲海山、粗坑崙,北宜公路がすぐ下を走る
猴山岳歩道の下り
休日の二格山は、登山者が多い。到着した時も数名、その後もまた別の登山者も登ってくる。出発しようとした時、ちょうど登ってきた一人が展望台階段のすぐそばに毒蛇を見つけたという。みな見に行くと、小さな蛇がじっとしている。果たして毒蛇なのかどうなのか、喧々諤々議論している。10時半、登ってきた道を下り、分岐から左に折れて階段道を下る。途中まで降りた後、稜線上の土の道を取り下る。前回登ってきた時と比べると、補助ロープが更に多く設けられている。約20分で筆架山との鞍部に到着、天南宮に向かい左に折れて下る。補助ロープのある岩のセクションでは、数名の年配登山客が登りで苦労している。登り切るのを待ち、すれ違う。阿柔洋産業道路に出て右に折れ、11時半に天南宮に着いた。天南宮の建物のわきにあるテーブルと椅子のある休憩場所で休む。天気がよく気温も程よく、とても気持ちが良い。

小沢を越えていく
20分ほど休んだ後、天南宮のすぐそばにある産業道路わきの階段入口から下り始める。二軒ほど民家のわきを下ると、南邦寮古道が始まる。苔の生えた石階段が続く。倒木の表面に白いものが張り付いている。遠目には溶けているようにも見える、変わった形のきのこだ。小沢を超えると、小さな尾根を超えるため登りが少し続く。峠を過ぎるともう一つの谷を下り始める。右側の尾根は筆架山から北に伸びる枝尾根だ。周りは自然があふれている。朝、北宜公路ではバイクが大きな音をたてて走っていたが、ここは鳥の鳴き声だけが静けさを破る別世界だ。苔の石段が現れる。小沢を越えてすぐ、左に苔のびっしり生えた石壁の廃屋がある。けっこう大きな敷地の廃屋だ。道の両脇の草が深い。その中を石段が長く続く。この古道は、他に比べると石段の数が多い。昔、それだけ多く手が入れられ歩かれていたという事だろう。廃屋の規模が大きいということは、それだけ経済力があったので道の整備もできたのだろう。
静かな森の小径
古道わきの廃屋、かなり規模が大きい
竹林の中にマネキン人形
天南宮から下ること50分、竹林が現れた。陽射しが溢れ明るい。竹林の真ん中に、ぽつんと上半身だけのマネキン人形がある。シャツを着ている。何のためにこんな山の中に置いていあるのか。カカシとしては意味が無い。竹林のふちを下って行くと、また暗い森の中の道となる。石段が長く続く。表面は濡れてとても滑りやすい。登山靴は底がゴムなので、当時履かれていた靴より滑りやすいのだ。同行メンバーも滑って転ばないように緊張して下る。廃屋から約40分ほど歩いてくると、屋根が付けられベンチもある土地公の祠が下り坂の左にある。時刻は13時。1時間半ほど休まずに歩いたので、ここでしばし休憩する。一息のコーヒーがうまい。

草深い石段の道を下る

石段の道はまだ続く。草に埋もれた石段が沢に向かって降りていくが、山道は左に横切っていく。これを進むとコンクリの道が現れた。これを下り切ると畑がある。古道の終了点だ。石段の下りでみな緊張していたいので、ほっとする。畑の中を進むとトタン板の塀がある。扉を開けて出ると、そこは阿柔洋産業道路だ。外から見ると、ここから山道が始まるとは気づかない。かろうじて、認識リボンがトタン板塀の上に付いているので、注意すればわかる。時刻は13時半。のこりは車道を深坑老街まで歩くだけだ。

母株の上に生える子株の母子樹
車やバイクが時々通り過ぎるが、晴天のもと、気楽な下りだ。淡南福徳正神という道標が示している右の沢に降りていく小道がある。下ると、沢を越えて道がまた登っていく。淡南福徳正神は対岸にあるようだ。車道にもどり更に下る。母子樹とそれを祀る祠が左側にある。その先はあずま屋が並んで二ヶ所ある。すぐ下は水遊びができる堰になっている。ただ、水はあまり綺麗ではないようだ。ここでしばし休む。親子連れがやってきて、沢に降りていく。深坑老街に近づくにつれ、道端には車の駐車が多くなる。遊楽客が停めているいるようだ。交通量の多い文山路を越え、14時半深坑老街に着く。人が通りにあふれている。メンバー皆で老街の店に入り、臭豆腐でビールを乾杯!実にうまい。

遊楽客で賑わう深坑老街
今回は、出発点の標高が高く下りが多いルートである。距離は約9.8km、休憩込み所要時間は5時間40分であった。登攀高度累計は399mで比較的少ない。古道部分は、それなりに時間がかかっている。桜を見るには時期が少し遅すぎたようで、こちらは残念だったが、同行のKさんもWさんも古道の魅力を見つけたようだ。天気がよく、まだそれほど暑くないこの時期の山行は、とても快適だ。

2013-02-15

2013年2月14日 瑞芳小粗坑古道-金字碑古道 金鉱と歴史の道を歩く

小粗坑古道の峠から基隆山と麓の九份を望む
台北の北東に位置する瑞芳地区は、近年有名になった九份等の賑わいで、観光地として活気を取り戻している。九份や金瓜石の近くには、金鉱で活況を呈していた当時、金鉱関係の集落があった。金鉱がさびれ忘れ去られ、その集落との往来に使用されていた道も歴史の彼方に埋もれた。近年、こうした道が整備され、登山目的で歩かれている。今回訪れた小粗坑古道は、金鉱の集落であった小粗坑を九份、侯硐と結ぶ道である。以前歩いた貂山古道大粗坑古道も同じような金鉱に絡んだ道である。一方、下りに歩いた金字碑古道は、鉄道に取って代わられる前に台北と宜蘭を結ぶ主要な街道、淡蘭道の一部だ。以前歩いた草嶺古道も淡蘭道の一部である。当時は、台北から宜蘭へは三日がかりの旅だったと聞く。台北から基隆河を船で暖暖まで遡り瑞芳で一泊、翌日金字碑古道を経て雙溪で更に一泊、その後草嶺古道を歩いて頭城,宜蘭に着いたということである。

金瓜石のゴールドラッシュは、1892年に九份の背後の山、小金瓜のあたりで金脈が発見されたことに端を発する。それ以前にも基隆河では砂金が発見されており、上流でその元を探った結果である。この事が知られると、一攫千金を目論んだ多くの金鉱堀りが山に入り発展した。小粗坑集落は、この流れのなかで形成された。最盛期には、二百人からの住人が住んでおり小学校分校もあった。今はもちろん誰も住んでおらず、当時の遺跡が残っている。

金字碑
淡蘭道は、基隆河から更に奥に進むには、三貂嶺の尾根を越えなければならない。金字碑古道は、三貂嶺の鞍部を峠として越えていく道である。基隆河は、遡って行くと平溪の上流にたどり着くが、侯硐を過ぎると河の両脇は崖が迫り、当時は道を開くのが大変だったので、このルートが選ばれたのだろう。金字碑の名前は、峠が近くなる上部に清朝總兵(知事と同じ役割)である劉明燈の残した詩文が刻まれた石碑にちなんで名付けられている。当時は金箔が文字に貼られていたので金字碑ということである。今はもちろん金箔はない。劉明燈は、草嶺古道でも詩文を残している。有名な虎字碑などがそうである。

侯硐から北側の小粗坑古道を登り、南側の金字碑古道を下る
高度プロファイル
以前歩いた古道も併記
今日の二つの古道は、侯硐のスタート地点は近いが、小粗坑古道は北方向に、金字碑古道は南方向に進むので、この二つを歩くためには途中を移動して結ぶ必要がある。今回は、小粗坑古道の峠をこえた後すぐ、東方向に大粗坑山、小金瓜へ歩き、その後102号県道を南方向に歩いて金字碑古道の入口へつないだ。小粗坑古道の峠を過ぎると、東北角の山の特徴である草の山となる。展望は抜群だが、陽射しが強いと苦労する。今日は、寒波が遠のき久しぶりの好天だが、雲も多くこうした山を歩くには最適だった。ただ、旧暦正月の五日目、まだ休暇中なので帰りは付近が観光地となっている侯硐駅は大混雑であった。

侯硐から小、大粗坑山を望む
瑞侯公路から小粗坑山を望む
家を7時に出発、MRTで南港駅へ、台鉄の電車に乗り換える。まだ時間が早いので、車内は混んでいない。約45分の乗車で侯硐駅に着いた。8時43分に駅から歩き始める。駅周辺の商店は、大勢来るであろう観光客を迎えるため準備に忙しい。集落を抜けると、開けた基隆河のわきから、今日歩く小粗坑山から大粗坑山への尾根筋とその右には牡丹山が、くっきり見える。振り返ると、去年八月に登った獅子嘴岩の特徴ある稜線が、侯硐駅の奥に座っている。介壽橋で基隆河を渡り、侯硐の集落を抜けていく。その先、弓橋を越える。ここから金字碑古道と大粗坑古道へ続く産業道路が分岐する。更に瑞侯公路を進み、侯硐国小のわきを過ぎる。バイパス道との合流点に小粗坑古道の入口がある。侯硐駅から約30分の歩きだ。

小粗坑古道の鉄製橋
昔ながらの石段道
はじめの部分は舗装路だ。すぐに登りが始まり、10分足らずでベンチと案内板がある土の古道の入口が現れる。鉄製の立派な橋を二つ越す。昔ながらの石の階段道が始まる。ここの石段は、表面を凸凹に加工してあるので滑りにくい。8時半、瑞侯公路から約20分の登りで土地公に着く。その少し先で、また沢を越える。道は山腹に取り付き登り始める。道脇には、苔むしているが石垣が積み上げてあり、もともとしっかり整備された道であることを示している。瑞芳地区の古道はたくさんあるが、ほかはセメントで覆われたり、花崗岩の石段に取り替えられたりしているが、小粗坑古道は昔ながらの石段のままで最も古道の風情がある。別な見方をすれば、もともとそれだけ程度が高い道だったのだろう。階段道を登りつめ、少し山腹をトラバースしていくと小粗坑集落に着いた。土地公から約20分である。

小粗坑集落の分岐部、左は粗坑口山へ続く
小粗坑集落跡は、苔むした石の壁や石積みが沢山残っている。人気のない路地には、ツツジの花が満開だ。説明板によれば、ここには最盛期には二百数十人住人がいたとのこと。また、日本統治時代初期には、ここを拠点に抗日活動があったということだ。小学校分校もあり、低学年が登校していた。中高学年は、麓の本校まで毎日この山道を通っていた。集落跡の道を登ると、正面には門のある建物がある。山中道場とあるので、ここは修行のために人がいるのか。古道はここを右に折れ登っていく。石段や土の道を登っていく。山神廟が現れる。祠の前の祭壇には、一冊のサインブックが置いていある。開いてみると、外国人も含めいろいろな人がサインをしている。

小粗坑集落の廃屋群
山神廟
道は左に山腹を巻いていく。木の柵がある。その内側には穴が開いている。金鉱入口なのか。このすぐ先で、右に細い踏み跡が登っていく。小粗坑山へ尾根を伝っていく山道だ。これを取り、急な坂道を登る。10分ほど登り、10時半少し前頂上(標高485m)についた。北方向が開けた頂上からは、基隆港、基隆山と麓の九份の街、そして茶壺山と半平山までの広い範囲が眺められる。東側は、これから歩く大粗坑山への尾根が続いている。侯硐駅から歩き始め約1時間50分、ここでしばし休憩する。

小粗坑山頂上からの展望(クリックで拡大)
右に鉄塔保線路が続く
小粗坑山頂上からは、尾根を忠実に伝っていく道があるがほとんど歩かれておらず、背の高い草薮に覆われている。ここを一人でかき分けていくのは大変なので、一旦小粗坑古道へ下る。下るとちょうど古道の峠部分だ。ベンチも造られている。古道を少し下ると左に折れていく。ここからは鉄塔保線路が分岐して、東に進む。保線路を少しいくと左に良い道が分岐するが、保線路は右に登っていく道だ。しばらく続いた雨のため、赤土の道はぬかっている。坂を登っていくと、右の草むらの灌木の枝に古い標識リボンが結んである。小粗坑山頂上から尾根伝いに来る道だろうが、草に埋もれて全くわからない。送電鉄塔に着く。台座は少し高くなっているので、展望できる。侯硐駅とその谷あいが見える。更にその右奥の方には、三爪子坑山と更に遠くに平溪の中央尖峰頭尖が判別できる。その左側は獅公髻尾山だ。

鉄塔と保線路
鉄塔の下から侯硐方面を望む
平渓方面の山が見える
大粗坑山の近く、奥に河馬の頭に見えるのが小金瓜
保線路を更に登る。10分ほどで大粗坑山の下、小金瓜への分岐に来る。去年五月以来だ。こちらから見る小金瓜は、河馬の頭のように見える。大粗坑山頂上(標高576m)へ登る。ほんの僅かで鉄塔のある山頂に着く。道には米粒が落ちている。道沿いにずっと落ちているので、誰かが何かの目的で撒いたものだろう。この鉄塔台座も格好の展望台だ。これから歩く102号県道やその上の牡丹山、さらに下ると一つ無名の草原の山の右に三貂嶺山がある。五分山の球状レーダーが目立つ。反対側は、基隆山と九份だ。今まで登ってきた方向には、小粗坑山のピークとその先には、瑞芳の街が見える。その遠く向こうは陽明山山系だ。天気は良いが、海側からうっすりと霧がかかってきている。海に浮かぶ基隆嶼も白い雲を頭に冠っている。時刻は11時40分過ぎ、ここで食事休憩をする。

大粗坑山からの展望:手前のピークが小粗坑山、左の谷間に瑞芳の街、遠くの山は陽明山山系
五分山方向を望む
大粗坑山の下りから見る、奥の中央のピークが三貂嶺山、金字碑古道はこの山の鞍部から下る
頂上から下り102号県道へ向かう。数名の観光客が道を歩いている。車を県道に停めて散策しているようだ。鉄ゲートを通り102号県道を右に進む。すぐに大粗坑古道入口を過ぎる。道ははじめ下り気味だ。車やバイクが時々通り過ぎていく。10年ぐらい前、自分も車を運転して通り過ぎたが、歩いてみると変わりゆく山並みや、大粗坑の谷の様子を発見する。大粗坑古道の天橋とそのたもとの廃屋が見える。侯硐の谷にもうっすらと霧が流れ込んでいる。一度下った県道は、少し登り気味になる。歩いて25分で、不厭亭のあずま屋がある展望広場がある。多くの観光客や自転車ライダーがいる。そのあずま屋の名の通り、ここからの展望はいつまで見ていても飽きない。通信中継アンテナのところから牡丹山への山道があるようだが、これも草に埋もれているようだ。

102号県道から見る侯硐の谷あい、霧がうっすらとかかっている
県道と不厭亭、奥は牡丹山
102号県道を更に下る。右に草の山があるので、ここからはもっぱら雙溪方面の展望となる。貂山古道から下ったあと歩いた谷あいがよく見える。雙溪の奥の山々はまだあまり知らないが、桃源谷の灣坑頭山は変わった形状なので、判別できる。そのずっと左のほうで草嶺古道が峠を越える。単独に咲く山桜や満開の白ツバキの花を見ながら、不厭亭展望台から20分ほど歩くと、金字碑古道の入口が現れた。時刻は13時。金字碑古道は、牡丹側に下る部分もあるが、これはいずれの機会に歩こう。古道ははじめ数分登り、三貂嶺山鞍部の峠に着く。奥まったところに探幽亭あずま屋、中央に奉憲示禁碑がある。奉憲示禁碑は苔に覆われて判読できないが、ネット上の資料ではむやみに樹木を伐採するなということが書かれているそうだ。以前からも自然保護の認識があったのだ。あずま屋には家族連れハイカーが数名が休憩している。

県道から見る桃源谷の山並み
峠の奉憲示禁碑
峠の土地公の祠のわきから山道が続いている。三貂嶺山への道だ。もともとは予定していなかったが、そう遠くもないので登ってみる。道は森の中を進む。急坂を過ぎると、今度は岩の間を進む。水気が多く濡れた岩は滑りやすい。15分ほどの登りで三貂嶺山頂上(標高550m)に着いた。狭い頂上は展望も全くなく、そのままきた道を戻る。下りの途中、大岩を下る所で木々の間に、遠く燦光寮山とその右奥の草山が見えた。峠に戻ると、先の家族ハイカーはまだ休んでいる。泥だらけの筆者の靴をみて、尾根道は大変かと訪ねてきた。用意が無ければ歩かないほうが無難だと答えた。時刻は13時40分過ぎ、ここで少し休憩する。

金字碑古道の様子
金字碑古道は、コンクリ製の板が敷き詰めてある。表面は濡れており苔が生えているので、滑りやすい。つづら折りの道を10分ほど下ると、右の岩壁に彫り込まれた金字碑が現れた。大きな碑だ。劉明燈は1867年にここを訪れ、この詩文を残したということなので、すでに150年近く経っているが、金箔はないもの文字はくっきり残っている。更に下ると坂は少しゆるやかになる。道の両脇は大樹で、昔からの街道であることを感じさせる。水場を過ぎて行くと、左に山道が分岐する。後凹古道だ。この道は侯硐の街の上に直接下っていく。途中休憩場を過ぎ、14時38分に金字碑古道入口に着いた。1.8キロの道のりを50分ほどで下ってきた。この道は、全線路面にセメント製敷石が敷かれ、一部はコンクリ舗装され整備されている。ただ、古道という雰囲気は、金字碑や奉憲示禁碑などの文物だけで、道自体はあまりそれを感じない。古いままの石段が残る小粗坑古道とは対照的だ。

大粗坑渓にかかる淡蘭橋から歩いた稜線を見上げる
淡蘭橋をわたると、大粗坑古道からの産業道路に合流する。振り返ると大粗坑溪の上には、先ほど歩いた山並みが高い。旧侯硐小学校の建物を過ぎ、瑞侯公路に合流する。ここからすぐ基隆河にかかる橋を渡り、ビジターセンターのわきを通りすぎて侯硐駅へ向かう。車が多く通り過ぎる。駐車も多い。やっと来た休暇中の晴天日、周囲は多くの観光客があふれている。山中では、あまり人に出会わず静かだったので、この賑わいはひときわだ。駅に着くと構内は、人でごったがえしている。人であふれる階段を登り、ホームに着くとちょうど18分遅れの台北行きの電車がやって来た。帰りは1時間かかって南港駅に着き、MRTで帰宅した。

煤礦博物館の橋から大、小粗坑を振返る
東京のラッシュアワー並の混雑
今回の行程は距離約11.5km、休憩込みの所要時間6時間20分、登攀高度累計811mである。瑞侯公路や102号県道が約4kmを占めるので、山道は三分の二というところだ。そのうち、苦労する道は小粗坑山への尾根道と三貂嶺山頂上への往復だけで、他は歩きやすい道だった。

瑞芳の周囲には、歴史的にも意義深い古道が多い。それぞれ特徴をがある。今までの歩いた道では、国を越えた愛情物語が秘められた無名墓のある貂山古道、金鉱と運命を共にした大、小粗坑古道、そして清朝時代台湾で初めて設定された官道淡蘭道の一部である金字碑古道がある。それ以外にもまだまだあるようなので、おいおい歩いてみるつもりだ。