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2013-03-24

2013年3月23日 東北角燦光寮古道 牡丹から尾根を越えて金瓜石へ歩く

牡丹溪から燦光寮山を望む(右のピーク)、燦光寮古道はこの山裾を行く
最近は瑞芳九份周辺の古道を多く歩いている。今回もその古道群の一つだ。一昨年に草山戰備道の牡丹山近くから、貂山古道を下り牡丹駅へ歩いた。今度は、牡丹駅から反対方向に産業道路を登り、定福十三層の奥で貂山古道を左に分けた後、燦光寮古道を歩いた。燦光寮古道は、登りつめると東北角の最高峰燦光寮山の下に着く。そこから草山戰備道へ歩き、さらに本山歩道を経て、金爪石へ下った。もともとは、燦光寮山を登るつもりだったが、古道の登りを終えると、霧が発生し頂上からの展望は期待できないので、取りやめそのまま金爪石へ降りた。


南の牡丹駅から北へ歩く(2枚に分割、マウスクリックで拡大)
最高点は草山戰備道
最近の九份周辺古道歩き
燦光寮山や草山の南側水源流域、牡丹溪の上流にあたるこの地域は、鉱業が栄えまた廃れた。その遺跡が再び密生した森の中に残っている。どのような営みが行われていたのか、資料があまり見つからず全容がわからないが、棚田のような人工の雛壇状平面があったり、廃屋の石壁などが残っている。こうした遺跡を結んでいく、古道が燦光寮古道の入口からすぐの所で右に登っていく。この道は特に命名されていないようだが、燦光寮古道と再び合流するので、燦光寮古道支線と呼称しておく。一方、地元行政が整備をした道は燦光寮古道本線としておく。今回は、支線を経て登った。距離も長く、牡丹溪に沿って登ってくる本線に比べると、登り下りもあり時間を要する。それほど人気のあるルートでもないようで、草深いところも多々ある。実際、天気のよい休日だが、誰一人として出会わなかった。

今回はWさんと二人の山行だ。台北駅6時40分発の区間電車に乗る。時間が早いのでそれほど混んでいない。7時50分に牡丹に着く。瑞芳や侯硐に比べると、下車する人は少ない。山登りと見受けられる人もいるが、行き先は違うようだ。牡丹駅は週末は、無人駅になるようで、切符売口はシャッターが降りて、待合室はガランとしている。身支度をすませ出発する。駅舎階段から前方に遠く、牡丹山のピラミッドが顕著だ。道端には、貂山古道道標が行き先を差している。橋をわたり両側に住居が並ぶ間を進む。地元の老人が世間話をしている。もうひとつの牡丹橋を渡り、左に牡丹小学校を見て進む。突き当りは右に道が分岐するが、ここにも左へ貂山古道の道標がある。

102県道の橋から見る牡丹渓とその向こうに本山(左)と燦光寮山
小学校わきを進み右に折れる。その先は左に102号県道が分岐する。この道は、先月金字碑古道に行った時、その上部を歩いた。橋の上からは、牡丹溪の向こうに金鉱採掘で段々の姿になった本山とその右に燦光寮山がある。右の産業道路を定福方向に歩く。並木を過ぎると視界がひらけ、今度は燦光寮山までの稜線が見える。天気がよく、気温もけっこう高い。汗が流れてくるので半袖シャツ一枚になる。政光一号橋で牡丹溪の右岸に渡る。牡丹山が大分近くなってくる。

定福十三層の老ガジュマロとコミュニテイバス停
駅から歩き始め約30分で、金字碑古道への分岐を過ぎる。柚子の果樹園がある。ちょうど白い花が咲いている。8時40分、十三層の集落につく。新北市のコミュニティーバスの運行が始まっているようで、バス停がある。一日四便あり、時間があえば使えるだろう。更に5分ぐらい、沢沿いの道を進むと、左に貂山古道が分岐する。そのまま直進すると燦光寮登山歩道の案内版と木製ベンチがある。道なりに進む。堤防が現れ道がそこで切れる。沢の対岸に道が続いている。堤防の上端を数センチの水が流れているが、そこを歩いて渡る必要があるようだ。幅は数メートルあるので慎重に渡渉する。渡渉して少し上がると、藍天隊の道標がある。左は燦光寮古道
本線、右は支線だ。本線はまた一度沢を渡って対岸に行く必要があるようだ。時刻は8時54分、牡丹駅から一時間の道のりだった。

古道支線の登りはじめ
支線の古道は、苔の生えた石段などが現れ、高度を急坂で上げていく。数十メートル高度を上げると、坂はゆるやかになり幅広尾根を行く。二十分ぐらい登ると、右側に苔がびっしり生えている墓石がある。百数十年前のものだということだ。こんな山奥では、墓参りもままならないと思うが、当時はそれなりに往来があったのだろうか。その先で右側に石筍古道へ続く道が分岐する。すこし登って行くと、左側の樹木が切られている。そのわきにお墓のような土盛がある。ただ墓石はない。右に大牛埔山への分岐を分けると、道は山腹を行く。下りはじめ、沢を二ヶ所渡る。このへんは深山の感じが濃厚だ。最後に急な登りを上がると、9時48分に幅の広い電線保線路に出た。先に左に折れていくが、様子がおかしいので引き返す。右に曲がるのが正しかった。保線路を10分ぐらい登って行くと、分岐がある。左が古道、右の保線路を進むと草山へ続く産業道路に出るようだ。

沢越えの一つ
細くて草深い古道を進む。しばらくすると、また沢を越える。このあたりから道は方向を90度変え、北方向にに進む。10時10分、古道は平たく切り開かれた場所に下りる。樹木が生えているので、すぐには気づかないが、これは人の手が入った場所だ。ここから、道は北西方向に水量の多い沢に沿って降りていく。石段は湿って滑りやすい。沢の左岸を10分ほど下り、道は沢を越える。沢を越えたところで、一休みする。10時21分、歩き始めて2時間半ぐらいだ。

打ち捨てられたウィンチ
平な道を進むと、また沢を越す。そこから少し登ると、雛壇状に平地が数段に造られている。自然の力で樹木が再び茂っているので、それほど明らかではない。10時38分、右に樹木に埋もれた廃屋の石壁がある。窓枠もしっかり残っており、それほど古くないかもしれない。その先には錆びたウィンチが打ち捨てられている。モーターの銘板が判読できる。ウィイスティングハウスのライセンスによる大同製だ。製造年月日表示が無いのが残念だ。ウィンチから少し下ると、今度は吊り橋の石積み橋頭が残っている。こうして見ると、この周辺はかなり大掛かりな活動が行われていたのではないか。いままでの中で一番幅広の沢を渡る。水の中の石はとても滑りやすい。沢からの登り返すと木製ベンチがある。10時48分、燦光寮古道本線との分岐に着いた。

燦光寮古道主線の枕木階段
滝のある沢を木橋で越える
柑仔店休息站
本線は、地元行政による整備がされているので、支線に比べると歩きやすい。枕木階段も現れる。道標も立派なものだ。数分登ると、右に滝がかかっている。木製橋がかかっているので、楽に通り過ぎる。登りが続くが、歩きやすい。右に土地公の祠がある。ご神体はなく、もう参拝されていないようだ。幅の広い道と十字路交差する。古道は直進する。この幅広道は、鉱山が運営されていた頃の道だろう。11時5分、柑仔店休息站の広場に着く。ベンチや説明板がある。説明板によれば、清朝時代の郵便運搬人が休憩した場所だそうだ。当時は、燦光寮が開梱され集落ができ、この古道を伝って瑞芳方面と牡丹との間の郵便が運ばれた。今は廃屋の壁が奥のほうに少し残っている。

苔の生える石段の道、登りはあと少しだ
登りはまだ続く。ロープ手すりのある部分を過ぎ、緩やかな坂から急坂に変わり高度を上げる。枕木以外にも、古来の踏み石階段もある。もう一箇所幅広道の十字路を過ぎる。古道は直進だ。苔の生えた石段を登って行くと、沢状のくぼみにそって石段が上がっていく。坂道がゆるやかになってくると、森を抜けて草原に出る。霧が山肌をはっていく。11時半、道標のあるところで、腰を下ろして食事休憩を取る。ここは、燦光寮山へ続く道が草の間に入っていく。

霧の中の古道、ここで食事休憩
本来は、ここから燦光寮山の西尾根を行く道を登る予定だった。霧はかなり濃く、晴れる気配もない。頂上へ行っても同じく霧で、景色は望めない。同行のWさんは、夕方用事があり早めに帰京を希望していることもあり、今回は燦光寮山登頂は取りやめる。30分ぐらいの休憩後、幅広の道を草山戰備道への分岐へ登る。歩き始めてすぐに右へ道が分岐する。道標は、行き先を九份老街、距離4.5kmとしているが、これは間違いだろう。方向が違う。その先で、別の道標がある。ここは右に折れ登る。周囲は霧で、晴れていればすぐ近くに見える燦光寮山も全く姿がわからない。1時間ぐらい前、古道を歩いている時にはまだ見えていたが。12時10分、草山戰備道に着いた。

歩きやすい本山歩道
車が一台駐車して、そばに登山者がいる。これから山登りをするようだ。左に曲り、本山歩道へ向かう。数名の遊楽客とすれ違う。数分で本山歩道入口に着く。本山歩道は本来、鉱石運搬用に使われていたのだろう、幅の広い道が山腹をつづら折で下っていく。芝生が生えており、膝にやさしい道だ。十数分で降りきり、右に地質公園方向へ石畳の道を進む。少し登り気味の道を行くと、鉱石の説明をしたサークルを過ぎる。その先には、本山鉱山の跡地である地質公園がある。金鉱の沿革、金の採掘方法など、金瓜石にまつわる説明が、道脇に建てられている。

地質公園も霧の中
更に石畳道を行くと、左に階段が山腹を下っていく。ここは昨年11月に歩いた草山戰備道から直線的に下ってくる山道との分岐だ。下り始めて約10分で、黄金神社の入口に着く。Wさんは初めてなので立ち寄り見学する。ここも霧のため、周囲の景色がまったく見えないのが残念だ。黄金神社から下は、観光地だ。大勢の観光客が登ってくる。1時10分、黄金博物館に着いた。少し休憩する。Wさんは博物館を見学する。太子賓館などの観光スポットを過ぎ、1時42分に金瓜石バス停に着いた。しばらくしてやって来た1062番バスで直接台北に帰った。

今回の行程は、距離12.2km、休憩込みの所要時間約5時間40分である。登攀高度累計は、881mとなっている。燦光寮古道本線を登ってくれば、おそらく2キロぐらい短く、1時間ぐらい早く終わっていたかもしれない。しかし、支線は道の整備度は低いが、遺跡などが多く残っており、歩きとしても面白い。将来、主線を歩くこともあるだろう。Wさんには、残念なことに霧が出てきて、九份の山の風景が望めなかったが、次回またチャンスがあると思う。

2013年3月22日 中和南勢角山-土城清水大尖山縦走 近郊の裏山を歩く

南勢角山(2012/5撮影)
新北市中和区は、その南側に標高200~300mの山々がある。山裾まで住宅が迫り、そのすぐ裏から登ることができる、手軽な山々である。この地域の山は、去年五月に土城天上山から中和円通寺をへて景安駅まで歩いた。天上山から北東方向に伸びる尾根は、五尖山で二つの尾根に分かれる。去年は、この左側(北側)の尾根を歩いた。今回は、もう一つの尾根を南勢角駅から反対方向に歩き始め、五尖山の山腹を過ぎた後、北西に伸びる枝尾根上の清水大尖山を越え、青雲路587巷の入口へ降りた。一部は重なるが、ほぼ初めての歩きだ。ただ、南山福德宮は十数年前に友人と行ったことがある。その時、廟の上にある尾根上の登山道を少し歩いた記憶が残っている。筆者の台北郊外登山の原点である。

東の南勢角駅から西の青雲路へ歩く(マウスクリックで拡大)
縦走路は登り下りを繰り返す
天上山山系、過去も含めての歩行記録
南勢角から南西へ伸びる尾根は、まず外挖子山から始まり、いくつか小ピークを越え南山福德宮を過ぎた後、縦走路最高点の南勢角山を登る。その後下ってしばらく行くと、芝生の小広場が現れる。そのすぐ下で安祥路の別荘群に入る。別荘群からまた山道を行くと、五尖山で南勢角からの尾根は終了する。五尖山からは北方向に尾根が伸びる。これが北東側に曲がる尾根と北西に進む尾根に分かれる。北東側へ行く尾根は、昨年五月に歩いた尾根筋だ。北西に進む尾根は新加坡を過ぎ下ると、また登って清水大尖山がある。そのすぐ前で二尖山を分ける。尾根をそのまま下って行くと、青龍嶺や内冷水坑山が現れ終了する。各ピークは、今回行程中最高の南勢角山でも標高302mと低い。単独で登ればすぐに終了してしまうが、今回のように幾つかのピークを連ねて縦走すれば、面白い山歩きができる。

登山口の道案内看板
出発点MRT南勢角駅は、家から地下鉄一本である。7時半に出発、8時前にはMRT南勢角駅に着いた。今日は金曜日、多くの通勤者とは反対の方向に仁愛街を進む。朝早いので、夜市に近いこのあたりの商店は、朝食を提供する店以外はまだ閉まっている。仁愛街の突き当りから、忠孝街を歩く。左に南山放生寺を見てしばらく、駅から約10分ぐらいで忠孝街58巷が現れる。左に曲がって忠孝街58巷を少し登ると、左側のトタンの囲いが切れたところに、登山口がある。新北市の登山道案内看板の周りは、ゴミが沢山落ちている。人家のすぐ近くの裏山には、よくある場面だ。

外挖子山山頂
踏み石の階段が続く。しばらくするとトタン小屋のあるT字路に来る。先に右に行ってみたが、これは農作業用の道だった。分岐に戻り左に進む。周りは畑で、農民が働いている。今度は丸いコンクリの柱で造られた階段がある。これもよく裏山で見る、手頃な材料で道を整備している手段だ。登山道入口から、寄り道した部分も含め、十数分で尾根上の道に出た。その先、左に急坂が登る。板切れで造った階段を上がり、8時半に外挖子山(標高113m)に着いた。三角点のある頂上は、長椅子が造られ、幹にはフラフープがかかっている。地元の人が運動として登っている。これも裏山の特徴だ。頂上からは、東帝士の高層住宅が見える。かなり前、友人が住んでいたので時々訪れていた。

岩の露出した縦走路
縦走のスタートだ。土の道をすこし行くと、岩が現れる。緑の苔に覆われているが、しばらく続いた天気で乾いた感じだ。送電線塔のわきは、右側が開けてる。五尖山から円通寺へ続く尾根が望める。今立っているいる尾根との間に広がる盆地は、大小様々な住宅が隙間なくびっしり埋めている。平地のその上の斜面は、寺院とお墓の領域だ。その一つ、南山福德宮が遠くの斜面にある。巨大な黄色い土地公の像が目立つ。小ピークを越えていく。左すぐ下は第三高速道路なので、車の走行音が大きい。尾根上のすこし平な場所は、地元の人が手を加えて運動場所になっている。朝陽のなかでハイビスカスの花が印象的だ。下りが続き、舗装された中和と新店安康をつなぐ峠道と交差する。時刻は9時、歩き始めて一時間だ。

尾根から見る中和の市街、住居がびっしり盆地を埋める
山道に咲くハイビスカス
南山福徳宮の土地公像
急な坂を登り返す。ここは、第三高速道路のトンネル直上だ。道路が下方に走っている。山道は、ここからしばらく舗装されている。畑の間の舗装路は直進するが、道標が示している縦走路は右の土の道だ。登りきると児童公園がある。ここから道はコンクリ舗装がしばらく続く。休憩小屋には二、三人くつろいでいる。その先の平地には、テニスコートも造られている。どんなものかと少し覗くと、休んでいかないかと勧められた。犬が数匹、道に寝そべっているが、近づくとわきにどいた。ほとんど吠えない。一度下り、また登り返す。土地公像がある、南山福德宮はもう次の山だ。

丸太輪切の踏み台
南山福徳宮はもうすぐだ、華八仙の咲く山道
南山福徳宮の裏手から見る五尖山(左)
幹を輪切りにしたものが、二列に土の道に埋められている。ぬかった時の踏み台として使うのだろう。細い丸太の階段や枕木など、いろいろな材料で道が整備されている。直線的にのぼる急坂階段を上がり、尾根上のゆっくりとした道を行く。好地方という看板のかかる休憩場を過ぎ、右にコンクリ舗装の道を進む。南山福德宮が現れた。時刻は10時、南山福德宮の伽藍裏のピクニックエリアで、食事休憩する。木々の間からは、五尖山とその右奥には縦走最後のピーク、清水大尖山がのぞいている。

南山福徳宮の展望台からの眺め
南山福徳宮裏、青春歩道の起点
10分ほどの休憩後、南山福德宮の境内を歩いて廻る。展望台からの眺めは抜群だ。ただ、春の空は、晴天下でも遠くが霞んで見えない。本来なら遠くに、陽明山などが見えるはずだが。土地公の像は、ここからは後頭部が見える。先ほどやって来た南山福德宮の裏手に戻り、案内版の脇から右の急階段を登る。この階段は樹脂製の踏み板だ。以前は石段だったものの上に、新しく階段を造ったようだ。財神の祠わきを登りきると、すぐ木製階段を下る。階段のすぐ下に黒犬の親子三匹がいる。近づくとどいて道をあけた。父母とまだ生まれて二、三ヶ月ぐらいの子犬だ。三匹とも痩せこけている。いじめられたことがあるのか、何かオドオドした様子が痛々しい。明らかに野良犬だが、南山福德宮の加護があることを願う。

南勢角山頂上、奥にあずま屋
土の山道を登り10時28分、南勢角山に着いた。細長い頂上には、三角点がある。その近くには山の形成などについての説明があるが、建てられて大分時間が過ぎ、文字が薄れている。片隅に建てられてるあずま屋からは、中和方向が眺められる。反対方向は、木々の間に獅仔頭山とその手前の粽串尖が霞んで見える。

林の中の山道を行く
青春嶺の頭が黒い白犬
急坂を下る。老夫婦が大声で気合を入れ登ってきてすれ違う。下りきると、新楽園という広場だ。ここも運動器具がある。その先は、右に紫竹寺へ左に聖道院への十字路鞍部に来る。あずま屋が狭い鞍部に造られている。直進する道は急坂の階段道だ。山道らしい林の中を行く道が続く。遅咲きの桜が二、三本ある。石龍洞の観音様の祠前を過ぎる。青春嶺と名付けられた小屋が現れる。だれもいないガランとした小屋に、頭がだけが黒い白犬がやってきた。南山福德宮から続くこの稜線道は青春歩道と名付けられているが、この青春嶺から取ったのか。その先で急坂をくだり、11時に芝生の広場に降り立つ。中央にある大岩で、一人昼寝をしている。

芝生の小広場、奥に住宅群が見える
住宅群の間を歩く
月桃の咲く山道
左には多くの住宅が見えてきた。道は住宅の中へ続く。安祥路を進む。コンビニなどもある住宅街をゆくと、右に公園がある。ここが山道の入口のようだ。地図で確認していると、孫を連れた老人が、道を教えてくれた。また山道歩きとなる。住宅の後ろを進んでいく。無極三清宮への道を右に分け、そのさきから石畳の道となる。造られたあと、おそらく整備がされていないのだろう、石はデコボコ、半分土に埋まっている部分もある。五尖山から下ってくる道と合流する。昨年歩いた道だ。ここからしばらくは、歩いたことのある部分だ。道ばたには、月桃の花が多く咲いている。11時半、北に進む円通寺歩道から左に新加坡への尾根道を取る。五分ほどで新加坡に着いた。どうして新加坡(シンガポール)という名のかは知らないが、ここも地元の人が小屋を建てたり運動設備を設けたりしている。数人が大声で談笑している。南山福德宮から約1時間歩いてきた。腰をおろし休憩する。

新加坡からの眺め
石畳の道、金城路への分岐点
前回に比べると遠くが霞んでいるが、ここからの展望はとてもよい。板橋やその先新荘、泰山などの街が広がる。左には清水大尖山のピークが目立つ。10分ほどの休憩後、石段の道を下る。数分で、清水大尖山へ続く山道と合流する。左に折れ進む。そのすぐ先で右に金城路へ下る道を分岐する。石畳のよい道が続く。民家の間を行き、産業道路を越えるとまた石畳の山道が続く。石段をのぼり左に二尖山への道を分ける。急坂を数分登り、12時13分、大尖山頂上(標高274m)に着く。展望があまりないが、北側が開け椅子がある。ここで腰掛け休憩する。休んでいる間に、一人登山者が登ってきた。

清水大尖山頂上、パイフ製の椅子
小広場のハンモック
今日の行程は、あと青雲路までの下りを残すのみだ。丸太の階段を下がる。ここにも広場がある。木製ハンモックがかかっている。そよ風がふく中、ハンモックで昼寝するのも悪く無いだろう。更に下ると、あずま屋、その下には展望台がある。展望台からは、板橋方面が一望できる。青龍嶺に立ち寄る。ここから左に青雲路587巷へ下りる道があるが、尾根伝いの道を取る。標高は100数十メートルだが、なかなか山道の雰囲気がある。後半は、その昔台北市の歩道に使っていたと同じ赤色のタイルが敷かれている。内冷水坑山には気づかず、1時11分に山道を降りきり青雲路に着いた。青雲路587巷入口脇のバス停から、やって来た245番バスで帰宅した。

今回は、歩行距離約10km、所要時間約5時間10分(休憩込み)だ。登攀高度累計は694mある。300m以下の低い山にしては、高度累計がそこそこあるのは、稜線の縦走で登り下りがけっこうあったからだ。キツイわけではないが、それなりに時間がかかる。天上山山系は、油桐花の時期にまた来ることにしよう。

2013-03-18

2013年3月17日 陽明山瑪礁古道-北五指山-瑪蕃山 晴天休日の静かな山歩き

北五指山頂上から:なだらかな山容の山並み、中央の七星山に左は竹篙山
陽明山公園の東側はゆったりした山容だ。ここに点在する草原を、晴天下涼しい風に吹かれながら歩くのは、とても気持ちが良い。同じ思いのハイカーは多く、公園管理下の正規登山道は休日になると、とても賑やかになる。昨年秋歩いた、平等里の奥內雙溪支流流域の古道群は、道標なども殆ど無く、わかっている登山者しか入らないので、そうした雑踏に比べると静かな山歩きができる。単に山頂を目指す道だけでなく、過去人々の生活に使われていた道、歴史的な色合いの道など、それぞれの谷と尾根に存在し、ここ周辺は興味が尽きない。

內雙溪古道:沢を越える
今回は、內寮から始まる三本の古道のうち、瑪礁古道から擎天崗へ登った。竹篙山を登ったあと內雙溪古道から北五指山へ、その後東へ歩いて頂山へ向かう。頂山からは瑪蕃山を経て至善路370巷へ下り、更に內雙溪を渡って至善路の小18バス停へ歩いた。一部は石畳の正規歩道を歩いたが、大部分は土の山道である。雑木林から草原に飛び出る瑪礁古道、沢沿いに進み渡渉もある內雙溪古道など、それぞれ特徴がある。好天の日曜日だが、ここで出会った登山者は忘れた頃に出会うぐらいだった。一方わずかの距離であった正規歩道は、頻繁にハイカーとすれ違った。

內寮から北へ歩き、その後南へ(内寮から初期軌跡未記録)
出発点が高いパターン
過去に歩いた内双渓流域の山道群
平菁街93巷の突き当り、左の階段を登る、カイが先導する
今日の山行は同行者二人、都合三人である。MRT劍潭駅でWさんと落ち合い7時20分発の小19バスで終点內寮へ向かう。このバスは途中內曆を経由して行く。昨年このバス停から新圳頭山へ登った。8時に終点內寮に着く。もう一人の同行者Yさんはここまでバイクでやって来た。彼の愛犬カイも一緒だ。身支度を済ませ8時15分に出発する。バス停から平菁街93巷を一番奥まで進み階段をのぼる。土の登山道の始まりだ。すぐ右に涸沢をこえて道が登っていく。これを取る。直進する道は沢沿いに擎天崗へ登る内寮古道だ。出発から十分足らずで尾根にたどり着くと、右から新圳頭山を超えてくる道と合流する。Yさんの愛犬カイはまだ生後五ヶ月の子犬だが、ハツラツと我々の前を進んで行き、時々立ち止まって我々を待っている。

瑪礁古道、ペンキ書きの路程
分岐から進むとすぐ、右に內雙溪古道へ続く道が下っていく。今回は直進し尾根上の瑪礁古道を登る。幅広の尾根上を行く古道は、ゆっくりした登り坂だ。道ばたには100m毎に、劉さんの手書きペンキ路程が苔で緑色の石に書いてある。分岐から20数分登ると左に内寮古道への道が分岐する。朝陽の中の雑木林の道は、落ち葉が敷き詰められ、とても気持ちのよい道だ。更に登ると、道は凸凹が多くなる。放し飼いの牛が歩いているようだ。大分擎天崗が近づいてきた。9時10分に森が切れ草原に出た。背の高い芒草の向こうには、七星山、その左には第一目的地の竹篙山が見える。道は草の間にしっかり続き、迷うことはない。さらに数分進むと、左から内寮古道が合流する。ここからは、昨年九月に歩いた道だ。

草の道を進む、正面に七星山


草の間の道を更に進む。9時20分に擎天崗から登ってくる石畳の歩道に合流する。左にとり、竹篙山へ向かう。この道を行くハイカー数組とすれ違う。時間が早いせいもあるが、瑪礁古道では一人も出会わなかった。9時半、竹篙山頂上(標高830m)に着いた。今日の行程中最高点だ。内寮から1時間15分である。晴天で見晴らしがよく、目の前に七星山が大きい。南方向には大崙尾山の向こうに台北101ビルが霞の上に頭を出している。紗帽山と面天山中正山の間には、八里觀音山も霞の上に浮かんでいる。腰を下ろして休憩する。

左に竹篙山、瑪礁古道ももうすぐ終わりだ
竹篙山から見る、正面の七星山、左の紗帽山の右に微かに観音山が霞に浮かぶ
大崙尾山の向こうに台北101ビルの頭が霞に浮かぶ
內雙溪古道:礁坑溪を右に見て歩く
十五分ぐらいの休憩後、登ってきた道を戻る。瑪礁古道への分岐を過ぎ、トーチカのある分岐で右に擎天崗回遊路を下る。子供連れのハイカーも多い。まだ小さいカイだが、突然現れた犬に驚いている女の子もいる。回遊路を下りきり、小橋を越えると右に土の道が分岐する。內雙溪古道の入口だ。小沢にそって進む山道は、左から別の沢が流れ込みところで、渡渉する。さらに10分ほど進むと別の沢が合流し、もう一度渡渉する。この沢に沿って稜線上の擎風(擎天崗-風櫃嘴)歩道への道が登っていく。右に流れる礁坑溪は下るにつれ、次第に幅が広く深くなる。內雙溪古道を下ること約20分、10時25分に左へ北五指山への道の分岐点にやって来た。ここでは数名のパーティーが休んでいる。

北五指山への登り
ここから道は登り始める。まもなく右に石壁だけの廃屋を通り過ぎる。稜線からの枝尾根の峠を越え、少しくだると北五指山の登り口に来る。左に擎風歩道への道を分けた後、道は南に向かい山腹を登り始める。数分林の中を登ると、草原の道になる。背後に石梯嶺を見て登る。11時に北五指山頂上(標高790m)に着いた。一人登山者が休んでいる。向かいの擎風歩道には、大勢のハイカーが歩いているのが見える。これで四度目の北五指山になるが、いつ来ても広々とした草原はとても気持ちがよい。吹いていく風が心地よい。食事をとり、ゆっくり休憩する。

ツツジの咲く草原道
20分ほどの休みのあと、頂山に向けて進む。今回は杏林山へは向かわず、直進してツツジ(金毛杜鵑)説明看板のある場所で擎風歩道に合流する山道を取る。高頂山から来る道を過ぎ、草原の道を進む。低い灌木の間の道を数分下って行くと、手前に大きな草原が現れた。このあたりの芝生部分はもともと踏み跡がはっきりしないので、そのまま草原を下っていく。草原のヘリに来ると、それを囲む灌木には山道が見当たらない。それらしいものもあるが、牛の踏跡だ。牛の踏み跡は深く掘られていたり、牛は人間より背が低いので低い枝でもくぐっていくので、違いがわかる。擎風歩道を歩くハイカーの話し声が、東側から聞こえてくる。そう遠く無いはずだ。草原を登り返し途中ぐらいの場所で、強引に踏み跡の一つを追って見る。刺のある枝もあり、歩きにくい。しばらく進むが、やはり様子がおかしい。そこで引き返し更に草原を登り返す。すると、草原の上部に右に折れて行く踏み跡がある。どうやらこれが山道だ。草原を出た時点で左折する形なので、見逃したようだ。この道を数分下ると、果たして擎風歩道に出た。

擎風步道への山道から間違って下ったところの大草原、山道はこの上で左に折れ曲がる
瑪蕃山山頂
頂山へは、石畳の擎風歩道を進む。僅かな距離だが、多くのハイカーとすれ違う。12時10分すぎから数分間、頂山で休憩した後、瑪蕃山への道を下る。これも非正規山道だ。入口は、頂山山頂の奥まったところなので目立たない。この道は、朝歩いた古道に比べると、あまり歩かれていないようだ。森を抜けた後、草の頂山西南峰へ登り返す。また、森の中の下りと登りの後、幅広の草の中の頂上に12時47分に着いた。瑪蕃山(標高702m)の頂上だ。基石が埋まっている。カイは子犬なので疲れてきたようで、座って休んでいる。Yさんの話によると、疲れてくるとこうするそうだ。

瑪蕃山からの下り道
下りはじめるとすぐ森の中を進む。土の道は、ところどころ滑りやすところもある。頂上から30分ほど下ってくると、石を積み上げた低い壁がある。これを乗り越しさらに下る。さらに10分くだると、大勢の人の声が下から聞こえる。どうやら我々の先に同じ道を下ってきたパーティのようだ。竹林のわきを下り、13時10分に至善路370巷最奥にある風動草休閒農場わきの登山口に着いた。土の山道歩きはこれで終わりだ。至善路370巷を下り、引き続き坪頂古圳親山步道を田仔尾橋へ下る。途中、Yさんはバイクを置いてある內寮へ戻るため、清風亭への分岐で右に下っていく。Wさんとは、分岐を左にとり田仔尾橋を渡った後、至善路を下り、13時52分小18番バス停に着いた。十数分待つとバスがやって来た。

今回の行程は、距離約11kmである。休憩込みの所要時間は約5時間半、登攀高度累計約620mだ。出発点内寮が標高約520mとそこそこ高いので、登り部分は比較的少ない。歩行速度は、自分の普段とあまり変わらない。YさんもWさんも山慣れてきて、しっかりついて来ている。內雙溪流域の古道は、これで大分カバーできたがまだ全部ではない。內雙溪古道を田仔尾橋からずっと沢沿いに歩くなど、暑い時期にはよいルートなので、いずれは行ってみたい。