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2013-05-31

2013年5月30日 平溪中窯尖-消墾嶺古道-暖東峽谷 忘れられた古道を下る

中央尖から見る中窯尖(2012/3撮影)、中腹に赤い靈巖寺が見える(マウスクリックで拡大)
汐止の四分尾山、七堵の姜子寮山、そして五分山と連なる山脈は平渓の谷と台北から基隆への谷間を隔てる屏風である。また、この山の麓には多くの炭鉱が栄え、そして廃れた。すでに訪れている姜子寮山と五分山の間には、幾つかのピークがあるが、まだ縦走していないので、いずれは行くことを予定していた。今回は、その内の一つ中窯尖に平渓側から登り、峰を越した後反対側の暖東峽谷へ下った。

南の嶺脚から北へ峰越え
高度プロファイル
中窯尖は、その南側枝尾根の山腹に滴水觀音靈巖禪寺がある。この靈巖禪寺の裏から尾根に取り付いて登る道がよく歩かれている登山道である。一方、北側東勢側は東勢大崙へ伸びる尾根が続く。この尾根の道、また沢を下っていく道がある。こちら側は、過去は集落があったが、今はその片鱗を残すのみで、自然の力に飲み込まれてしまっている。交通の便などの理由もあり、登山者にもあまり歩かれていない。東勢大崙への鞍部から暖東峽谷へ続く道が消墾嶺古道である。踏跡がはっきりっせず、標識テープも非常に少ない。途中渡渉部分も数カ所あり、その先の道筋が草で覆われて、とても判りにくい。石の状態などを見たり、地図と勘で道を探して行かなければならない場所も多く、この道はそれなりの経験者向けだ。

四分尾山から北東方向に伸びる山脈と過去の軌跡一部
平溪行きの795番バスは、一部の便は十分寮まで運行する。十分行き木柵7:15発の便は7:25にMRT木柵駅バス停にやって来た。106号雙菁公路を行くこと50分、8時15分嶺脚村に一番近い慈航宮バス停で下車する。慈航宮わきの道を嶺脚駅方向に下っていく。対岸の向こう遠くに見える稜線は、中窯尖がある稜線だ。嶺脚社区と表示がある橋で基隆河を渡ると、嶺脚駅が見える。河には苔に覆われた昔日の橋が並行してかかっている。手すりも壊れているので、今はだれもわたらない。列車の到着が間近のようで嶺脚駅のプラットフォームには、乗客が待っている。

嶺脚駅の周辺、基隆河の橋から望む
踏切を渡り、集落の間を行く。数十メートルの住宅地を抜けると、あずま屋と公衆トイレがある。この辺りは観光地として、また人が訪れるようになっている。赤いレンガ道は、観光目的で整備されたものだろう。靈巖禪寺への台車道を進む。一度沢を渡り、登りが始まる。振り返ると、特徴ある中央尖が向こうに見える。靈巖禪寺の山門が現れる。これは車道で、歩道はこの先にある。バス停から歩き始め約25分で、第一登山道入口についた。この先にも第二登山道がある。

台車道の靈巖寺山門
第一登山道入口わきの観音菩薩
第一登山道
第一登山道を登る。石畳の道は濡れて、苔ははえていないがとても滑りやすい。入口のすぐ上には、岩壁に観音菩薩の文字が刻んである。菩薩の文字のわきにはこの地の炭鉱、永昌煤礦の文字も見える。道はつづら折れになり高度を上げる。途中橋がかかっている。幅が道よりもはるかに広い、立派なものだ。約20分の登りで高度約120mをかせぎ、9時3分に靈巖禪寺に着いた。山肌に張り付くように建てられた靈巖禪寺は、その上に滴水觀音がある。鍾乳が作り上げた姿が観音のように見えることから、名付けられた。寺の境内から、正面に中央尖やその右に峰頭尖が望める。

靈巖禪寺
靈巖寺から望む、遠く左に中央尖
尾根道
登山道は、境内の奥にある。岩に階段が刻んである。その先の木の枝には、標識テープが何本もかかっている。ステンレス水タンクのわきをゆくと、道は方向を変え登りが始まる。数分の登りで、岩が露出した部分を過ぎる。ここは靈巖禪寺のちょうど上手の部分で、下に伽藍が見える。雑木林の稜線は、補助ロープがかかる岩登りもある。道はずっと登りが続く。30分ほど登ってくると、樹木の間から展望がきく。高度が上がったので、対面の柴橋坑山の奥には、石筍尖薯榔尖が見えるようになる。途中、右側の展望が開け、五分山方向が望める。10時に枝尾根上のピークに着く。右から道が合流する。道標はないが、これは鄉林農場からの道だろう。

登り途中から望む、柴橋坑山とその向こうに石筍尖や薯榔尖が見える
野牡丹の咲く道、正面の山は中央尖
中窯尖下の十字路、右が靈巖寺へ、左が中窯尖への道
ここから尾根は北方向に進む。まず急坂を下る。野牡丹の花が咲いている。小ピークを二、三越していく。どれも下り側は急で、補助ロープを頼りに下る。中窯尖の主稜線が近づいてきている。鄉林農場分岐から三十分で左に、谷を嶺脚方向へ下る道を分ける。そここら更に数分で、稜線にたどり着く。中窯尖は右に少し登ったところだ。10時42分に中窯尖頂上に到着した。標高605mの頂上は、周囲がすべて樹木、展望はない。今日はとても暑く、登りではかなり体力を使った。十分な水分と食事をとり、下りに備える。ここが今日の最高地点だ。

中窯尖頂上
東勢大崙への分岐部
11時に出発する。暖東峽谷からの603番バスは、便数が少ない。14時の便を逃すと、16時過ぎまでない。できるだけ14時のバスに間に合わせたい。先ほどの分岐に戻る。直進する道は、姜子寮山へ続く。いずれ稜線縦走で来ることがあるだろう。右に曲り、稜線道を進む。しばらくすると、左側に石積みの低い壁が続く。こうしたものは他所でも見かけるが、何の目的に造られたのだろうか。道は、けっこう草深い。

分岐から10分足らずで、右に石灼門へ下る道、そしてすぐ先に左へ東勢大崙への道を分岐する。石灼門への道は、不人気コースだということだが、東勢大崙への道も負けず劣らずだ。稜線道も草深いが、これはそれに増して踏跡もはっきりしない。標識リボンも多くない。ここからは、自分の道を読む能力が試されるところだ。幅の広くなった尾根部分では、大きく掘り返されている部分を通過する。それでも雑木林のなかで、明るい感じだ。20分ほど下ると、鞍部に着いた。直進すると東勢大崙へ登り返す。左には内西勢坑古道へつながる道があるようだが、これもほとんど歩かれていない道だろう。

主稜線からの下り道
消墾嶺古道の上部
鞍部からは右に消墾嶺古道を進む。この道も、踏跡が微かな道だ。先ほどのように、標識リボンも少ない。山腹をしばらく進むと、谷に向けて下り始める。虫がまとわりついてうるさい。もう、夏になったのだ。全身汗がふきだしている。帽子のつばからも汗が滴る。峠から高度約100m、20分ほど下ると沢を越す。その対岸には段々状の平地がある。石積みの壁は、明らかに過去の遺跡だ。聴くところによると、日本統治時代に西勢坑にダムを作るとき、そこの住人をここに移住させたということだ。このような山奥で大変だと思う。何を生業にして暮らしていたのだろうか。消墾嶺古道は、まさにこの集落との往来に使用されていたのだろう。今は、自然の力で木々が生え、森にもどってしまっている。沢から渡ったあと、標識リボンが付いているが、その先の踏跡がない。こうした場所は、泥の平地なので雨などが降ると、まったく踏跡は消えて全くわからなくなる。少し探し、下流方向に一番下の石壁沿いに進み道を見つけ、それを進む。

沢越え、奥に遺跡
残る石垣
また沢を越す
遺跡から十数分進むと、また沢を越す。越した後、また踏跡がない。少し下流側に右岸を行くが、どうも対岸に渡るようだ。渡ったあともまた踏跡を探す。そうこうしているうちに踏み跡に戻った。このように沢越えの後に踏跡がはっきりしないところが多い。標識リボンも殆ど無いので、石の苔がこすれている状態を観察したり、地図を見比べて見たり、今までの経験からの勘で道を探していく。周りは、沢音と蝉の鳴き声だけ、人気はまったくない。相変わらず纏わりつく虫がうるさい。

草に埋もれた土地公福安宮
大石のある沢越え、上流側を見る
右岸にまた渡り返し、少し登ると福安宮土地公の祠があった。12時12分、下り始めて約1時間だ。祠の上に、布の帯がかかっているが、そうとう古いもののようだ。祠自身も屋根に草が生えている。ただ、香炉が中にある。祠から10分ほど下ると、また沢を越す。沢の中には大きな石がある。沢を渡ると、同じく踏跡が不明だ。沢を少し下ると、また沢を越すようだ。沢を渡ると、果たして踏み跡があり、沢から離れて登っていく。山腹を進む。涸沢をまたぐが、大きく崩れている。鉄砲水で崩れたのだろう。その後は、道筋がはっきりしてきた。幅も広くなり、古道の様相が伺える。12時46分、左からの道と合流する。この道は東勢大崙から下がってくる道だ。

東勢大崙との分岐、左側から下ってきた
大岩の沢を渡る橋
道には石の階段なども現れ、道の状態は良くなってきた。13時少し過ぎに、大きな岩壁の上を水が流れる部分に来る。橋がかかっているが、注意深く渡る必要がある。滑って落ちたら、そのまま数十メートル流されてしまう。13時10分、暖東峽谷の遊歩道に飛び出る。分岐部分には標識テープがあるが、それ以外は何の表示もない。遊歩道は、とても立派な道だ。道なりに下り、あずま屋などを過ぎる。橋を二度越える。橋から上流方向をみると、右に東勢大崙が見える。13時17分、暖東峽谷園区の入口についた。これで今日の行程は終了だ。入口のわきにはお手洗いや洗面所が新設されているが、使われていないようだ。14時のバスまでしばらく時間があるので、食事や着替えなどしてゆっくり待つ。今日は、幸いにして雷雨はなく好天のままで下山できた。14時ちょうど、603番のマイクロバスがやって来た。暖暖駅から区間電車で台北に帰った。

暖東峽谷、上流方向を見る、右は東勢大崙
山越えの歩きは、縦走と違いピークの登り降りが少なく、単純な登山である。距離は約7.8kmで、休憩も含め5時間と少しで終了した。登攀高度は500mだ。梅雨があけたのだろうか、本格的な夏の山登りの様相である。汗のでかたが、少し前とは異なる。飲水の消費も多くなった。今日下りに歩いた部分は、経験者向けのルートであった。踏跡がもともと少なく、標識リボンも他所に比べたら非常に少ない。道を追っていける能力が試されるコースだ。不人気な山道であるので、ネット上の情報も少ない。

2013-05-29

2013年5月26日 東北角南子吝山-石梯坑古道 野牡丹の咲く草の急峻尾根道

南子吝山と海、右に南雅の集落、左奥には基隆嶼。尾根の登り途中から撮影
台湾東北端の山々は、今まで数回訪れているが、海に近く冬季季節風の東北風が吹き付ける斜面は、いずれも樹木が育たない。その隙間を草が埋めている。草の山道は、夏の強い太陽のもとで歩くには、とても大変だ。今回の南子吝山は、まさに草の山、そこから南に石梯坑山の方向に伸びる尾根道も、かなりの部分が草の道である。標高は最高点でも300数十メートルで、決して高くないが、尾根をストレートに追っていく道は、補助ロープでよじ登るような急坂も多く現れるので、その高さや距離の割りには疲れる。

北側の南雅から回遊するルート
ほぼ海抜0からスタート(後半2キロは表示なし)
昨年11月に、この東北角(端)の山、和美山から西へ縦走し、草山の麓まで尾根を追った。今回の山行は、この尾根方向に向かって進むルートである。今回は歩かなかったが、一番南の石梯坑古道の分岐から更に進めば、数百メートルでこの尾根へたどり着く。石梯坑古道は、付近に炭鉱があったそうなので、草山の麓を通って九份や金瓜石へ、あるいは澳底や福隆へと歩かれた道なのだろう。当時の人が往来安全を祈願した土地公の石造祠もある、歩きやすい山道だ。

今回のルートは、東北角の山でもかなり海に近い場所
台北駅を6時35分発の基隆行き区間電車で出発する。日本でも登山経験のあるHさんと落ち合う。次の松山駅では、よく参加するLさんが乗車する。今日は、三人の登山だ。登山口の南雅へは、基隆駅から791番バスで向かう。7時40分ごろにやって来たバスは、乗客もまばらだ。40分ほどの乗車で8時20分に南雅へついた。空は曇っている。雨さえ降らなければ、草の尾根をこれから登るには好都合だ。南雅の集落に入ると、すぐに南子吝山登山道の道標が目に入る。歩道は現在修理中で、不通という案内がある。この道を登らないと、次に行けないのでどんなものか、行ってみる。

南子吝山の登りから見る南雅の集落、その先は鼻頭角
道はすぐに木製の階段が始まる。階段は、ところどころ腐って穴が開いている部分がある。この修理を行うために、不通としているのだろうが、普通の往来には全く問題ない。これよりはるかにひどくても、放ったらかしの道はたくさんある。登りはじめ数分で、解説のある展望台がある。南雅の集落が下に見える。その少し上で木階段は終わり、石と土の階段道となる。ゆるいジグザグの道が続く。木階段最終点から十数分の登りで、尾根にたどり着き、展望が開ける。樹木がないので全方向望めるが、高度が上がったので、半平(屏)山や草山、海のすぐそばの基隆山などが見えるようになる。草山の頂上は、少し雲がかかっているが、青空も見えるようになる。海がとても青い。

南子吝山頂上の風景、左から、草山、半平山、基隆山。沖には基隆嶼
 南子吝山頂上からの風景、東方向を望む
草の稜線に咲く野牡丹の花
前に四人のパーティーが歩いている。後を追いかけるように、尾根を進み8時48分南子吝山頂上(標高196m)に着く。わずか30分の登りだ。ここからの眺めはとても良い。半平山の尖ったピークが空を刺す。尾根を右に追えば無耳茶壺山がちょこっとと載っているが、こちから見ると急須(茶壺)の形は分からない。これから歩く尾根筋は、頂上から少し戻ったところから始まる。草深い踏み跡が下がっていく。身の丈ほどの草をかき分けての歩きとなる。下り始めてすぐ、野牡丹の花が咲いている。この後も、尾根上で野牡丹の紫の花をたくさん見かけた。今がちょうど季節のようだ。しばらく緩やかの道を下り、登り返すと展望台のピークに着く。切り立った谷を挟んで、半平山がそびえる。樹木がない岩のゴツゴツした半平山は、標高の割に人を寄せ付けがたい容貌だ。

展望ピークから半平山と谷を望む、左奥は草山
草深い尾根道、これから登る尾根筋が正面に見える
ロープを掴んで登る急坂
展望ピークは稜線から少し外れているので、分岐部へ戻り進む。また、更に少し下る。ここが尾根道の最低点だ。これから、200数十mの登りが始まる。草をかき分け、また時々灌木の下を歩いて行くと、補助ロープのかかる急坂が現れる。登り切るとまた灌木の平地に出る。野牡丹の他に、白とピンクの月桃の花もたくさん咲いている。この月桃は内側が黄色で美しい。急坂を苦労して登ってきて、美しい花々が咲いていると嬉しい気分だ。少し下り、またぐっと登るというパターンを繰り返す。南子吝山から1時間10分ぐらいの場所で、ほぼ垂直の岩壁が現れた。ロープを掴んでよじ登る。登り切ると、展望が広がる。歩いてきた尾根筋は、小ピークが幾つもある。登り下りを繰り返して来たわけだ。右の谷は、帰り道に下る石梯坑古道がある。その先に大石がある場所で休憩する。幸いにして、空には雲がかかり、草の尾根道を歩いている時は直射日光で暑い中を歩かずにすんだ。

月桃の花が登りの疲れを癒してくれる
垂直の岩壁登り
登りはまだ終わりではない。草をかき分けたり、灌木の中を更に登ること約30分、やっと尾根上の最終ピークを越える。ここから先、大きく下る。下りきると竹やぶの中を進んでいく。また登りが始まり、左に石梯坑山への道が分岐する。ここはそのまま右の尾根上の道を進んでいく。今日の行程最高点のピークを過ぎる。何の表示もないが、標高は400m弱だろう。このあとは、基本下りの道になる。少し下ると、補助ロープがかかる急坂が現れる。下ったその脇には岩をくりぬいたトンネルがある。過去、炭鉱から石炭を輸送するトロッコ用に掘ったトンネルのようだ。平渓の菁桐古道にも同じようなトンネルがあるが、開削はかなりの労力だっただろう。トンネルをくぐって反対側に出てみる。半平山から海に落ちる尾根が見える。その先の青い海が印象的だ。

トロッコトンネル、右はロープで下る急坂
福安宮土地公の石祠
トンネルから平な道を進む。ここはトロッコが走っていたのだろう。11時半、石梯坑古道との分岐に着く。直進すれば、苦命嶺から草山への尾根道にたどり着く。藍天隊の道標に、石造土地公とあるので、先に進む。そこには、古道の特徴である土地公の祠がひっそりとあった。中はすでに神像がないが、往来の安全息災を祈って古人はここで焼香したことだろう。分岐にもどり、ゆっくり食事休憩をする。森のなか、木漏れ日が眩しい。天気は晴天、のこりは下るだけなので、気持ちが楽になる。

歩きやすい石梯坑古道
沢を渡渉する
12時少し前、石梯坑古道を下り始める。ゆっくりとした歩きやすい道だ。雑木林の山腹を、ずっと下っていく。方向を右に九十度換え下ると沢音が大きくなってくる。下ること二十数分で、右に苦命嶺への道を分岐する。道は、ここから沢沿いに下っていく。枝沢を幾つか越え、さらに下ること20分でまた分岐に来た。この道は、また先で合流する谷沿いの道とのこと。苦苓嶺への道へつながるようだ。我々は左の山腹道をとり進む。

橋と奥には登った山が見える、ここで休憩
今日は、南子吝山で出会ったあと、山中では他の登山者に出会わなかった。先のほうで人声がする。下ってみると、二人の若い外国人男女が写真を写している。仁愛橋からハイキングで登ってきたのだろう。分岐から十数分で、先ほど別れた谷沿い道に合流する。その先道には石が置かれ階段としている。これも古道の風情だ。かなり広くなった沢を渡渉し、わずかに進むと砂利が敷いてある。山道はこれで終わりだ。その先、コンクリ製の立派な橋をわたる。渡った後、沢に下れる場所で休憩する。沢の水で顔を洗う。空は晴れわたり、水が冷たい。

仁愛橋付近の海岸
海岸から見る南子吝山
13時25分、2号海浜公路の仁愛橋に着いた。近くの駐車場には多くの車、大勢の観光客が沢に下りて水遊びをしている。時間も早いので、海岸に下りる。この周辺は東北海岸の奇岩がある場所だ。陽射しが強く、夏が到来したかのようだ。朝登った南子吝山を前方に見ながら、海岸沿いの道を歩き、13時45分に南雅バス停に着いた。近くの雑貨屋でビールを買い、皆で飲む。最高だ。休日の海浜公路は交通量が多い。14時38分に791番バスがやって来た。Hさんは、まだ台湾に来て日が浅い。一緒に基隆廟口の屋台で食事をして、台北への帰途に着いた。

今回の歩行距離は約8キロ、所要時間(休憩込み)5時間20分ぐらいだ。登攀高度は累計598mと、特に多いわけでもない。ただ、南子吝山からの尾根上は登り下りを繰り返すので、気温も高いこともあり、思いのほか疲れるルートだ。帰りに快適な石梯坑古道をとったので、トータルでは愉快な山行であった。海も山も満喫できる、そして古人の歩きを偲ぶこともできるこのルート、経験のある登山者にとっては、お薦めのコースだ。

2013-05-28

2013年5月25日 四腳亭から五分山へ、八分寮古道を瑞芳東和里へ下る

三爪子坑山から見る五分山、頂上のレーダから下る車道が見える(2013/5/2撮影)
五分山は平渓と瑞芳にまたがる、台湾北部の展望台と呼べる山だ。今回、2011年9月に登って以来の登山である。好天に恵まれた山頂から眺めると、前回は未知の山が多かったが、この1年半の山で判別できる山が随分と増えたことを実感する。前は平渓十分からであったが、瑞芳の四腳亭からの登りである。五分山からは気象レーダーへ続く車道を経て瑞平公路の峠へ下る。そこから最近ボランティアにより道の整備が行われた八分寮古道をへて、三爪子坑へ出たあと、瑞芳まで歩いた。
西の四脚亭から登り、東の瑞芳へ下る(マウスクリックで拡大)
五分山へ登った後、もう一度八分寮古道の峠へ登り越す
現在の新北市瑞芳区管轄区域は、かつて多くの炭鉱があった。瑞芳四腳亭も石炭が掘られ、近くでコークスにする作業も行われていた。このコークス窯(煤窯)などをつなぐ登山道が整備されている。粗坑口登山道などである。上東路産業道路をまたいで、そこから五分山西峰から伸びる枝尾根を登る。五分山の尾根上には、立派な石畳登山道が整備されている。五分山の頂上は、石畳登山道から離れた土の道を登る必要がある。往復したあと、また石畳登山道に戻り登山口からは、気象レーダーの登山車道をずっと下る。自転車ライダーが多く登ってくるこの道は、天気が良い時はとても広い範囲の眺めを提供してくれる。下り切り瑞平公道を左に曲り、萬善祠とあずま屋のある峠から、八分寮古道を辿る。

付近の登山軌跡
粗坑口の集落から見る五分山、レーダーが見える
八分寮古道は、踏跡程度の道で、五分山登山道とは随分差がある。下りきると八分寮頂山への道を左に分岐し、そのまま進むと石臼がのこる石廃屋に来る。ここには百年竹柏と呼ばれている松の大樹がある。炭鉱も近くにあったので、人が暮らしていたのだ。急な登り坂を登り返すと、三爪子坑山から八分寮山へ続く尾根上の峠にでる。今月初めは、尾根を歩いてここへやって来た。今日はちょうど横切る形で、そのまま峠を下る。三爪子坑の蛇子形産業道へ下り、さらにまた古道を経て、三爪子坑路106巷の産業道路を瑞芳東和里へ歩く。もともと1062番バスで台北へ帰るつもりであったが、九份で満員のバスばかりで乗れない。そのため、時間がかかったが台鉄の電車で台北へ帰った。

粗坑口登山道入口、左は滴水山步道へつながる
滴水山步道
滴水山步道わきの池
今日は朝から天気がよい。忠孝復興バス停7時10分発の1062番バスで出発する。休日の早朝は、道が空いている。8時少し前に四脚亭バス停に着く。すぐそばから粗坑口路が沢にそって登っていく。途上の高速道路からは、四分尾山や姜子寮山がよく見えたがその並びの五分山が頭に雲をかぶっていた。ここからも五分山方向が見えるが、頂上はまだ雲の中だ。十数分歩くと、集落を過ぎる。正面には球形レーダーが見えている、今日は天気の問題なしだ。集落からさらに十数分、8時20分に粗坑口歩道入口に着く。この道を登っても次の五分山への登山道へいけるが、少し遠回りになるので、そのまま直進し滴水山步道を登る。煤窯からの良い道と合流すると、土の山道となる。沢を越えて進む。古道の脇役、青苔の石段や壁の崩れた石造廃屋がある。作業小屋を過ぎ、涸れた沢を渡りその先に池がある。小屋も現れ、まもなく上東路産業道路に出る。8時50分、滴水山步道は30分の道のりだった。五分山への山道は、産業道路の反対側だ。先の粗坑口歩道もこの産業道路につながるので、ここへやって来ることになる。
上東路産業道路、対面が五分山登山道入口
十字路鞍部、右から登ってきた
五分山への登りが始まる。十数分登ると、十字路の鞍部だ。龍門山からの道が右から合流する。石の廃墟がある。少し休憩したあと、左に尾根上の道を進む。雑木林の間の道は、はっきりしている。落ち葉が雨で流されて、赤土が露出している。竹林になった後、また雑木林を進み、十字路分岐から約20分で、上東路の福安宮から登ってくる道と合流する。十分そこそこの登坂を登ると、杉林の隙間から遠くに気象レーダーの球形ドームが望める。それだけ高度が上がってきた。補助ロープがある坂道を二、三回繰り返し登り、10時10分過ぎ五分山西峰に着く。特に表示もなく、そのまま下る。前に石畳の立派な山道がある。前回にはなかった、立派な道標が建っている。道標には今やってきた道の方向は龍門山となっている。ただ、経験のないハイカーが歩くには、道整備が不足だろう。

雑木林の中を行く、赤土の山道
左が福安宮への道、五分山へは直進
杉林の中を登る
五分山登山道との分岐点、新しい道標がある
五分山歩道から、西峰方向を望む、右の尾根を登ってきた
道わきの草もきれいに刈られている。歩きやすい道を一度下り、登り返すと瞭望亭のあずま屋だ。天気が良いが、今日の風は北東風で涼しい。1年半ぶりの景観だ。前回も好天で、遠くまで見えた。今回も良い天気、緑の萬里長城と言われている、今歩いてきたここから西峰へ続く尾根道の右奥には台北市が見える。101ビルも判別できる。更に西を見れば、陽明山山系がどっしりと存在を示している。內湖の大崙頭山大崙尾山の向こうには觀音山も判る。平渓側は、遠くに獅公髻尾山、その手前には特徴ある中央尖峰頭尖が、谷の北側は薯榔尖石筍尖、それを右にたどると盟主の姜子寮山とその右奥は四分尾山だ。平溪の谷の向こう奥は皇帝殿山、その西側右奥は二格山猴山岳への稜線がある。北側は、陽明山山塊が金山へ落ちるあたりから、ずっと基隆山までの海岸線と内陸が広がっている。目を東側に移せば、雙溪とを隔てる山々、その遠くには草嶺古道から桃源谷への山並みと、その南北へ連なる峰々も判る。

瞭望亭、右に気象レーダーのある五分山頂上
緑の萬里長城、右に台北と陽明山山系が見える
平渓方向を望む、中央に中央尖、その右が峰頭尖、背後には獅公髻尾山
東方向を見る、雙溪とその先の宜蘭の山々
五分山頂上
食事をとり十数分休憩した後、10時50分に出発する。五分山の頂上は、登り返した石畳道から尾根を登っていく土の道を辿る。この分岐にも新しい道標が建っている。ほんの二、三分で三角点のある五分山(標高757m)頂上だ。周囲は身の丈ほどの草がびっしり茂っているので、大きいレーダードームが目立つ以外、景色は望めない。ここからドーム方向に草の間をくぐり下ると、道が分岐する。先に左側をとっていくと、草がきれてレーダー関連設備に出る。これを下ってみるが、しっかり鉄の門があり、出られない。分岐へ戻り少し下るが、これは光孝祠へ下っていく山道のようだ。気象レーダー車道へ行けるかわからないので、今きた道を石畳登山道へ戻る。登山道は、ほどなく車道の入口に着いて終わりとなった。

車道脇の五分山登山道入口
一般的に車道を歩くのは車に排気ガスを浴びさせられ、面白いものではない。ここは、全く異なる。車はとても少なく、自転車ライダーの方がはるかに多い。草原を下っていく道は、遮るものの無い広大な展望を提供してくれる。特に今日のように、涼しい風が吹いている晴天のもと、気持ちの良いことこの上ない。陽射しは強く、陽に焼けるがこの眺めは、代えがたい。瞭望亭からは望めない、北側の基隆や瑞芳が眼下に広がる。三爪子坑山や、その向こうには半平山,茶壺山燦光寮山草山が控えている。こちら側の展望をいれれば、360度の展望となり、五分山はまさに展望台の山だ。つづら折りの道を、自転車が懸命に登ってくる。上までたどり着いた自転車は、軽快に下っていく。ここは、ライダーにとってはとても良いコースだろう。

北方向を望む、つづら折りの道の向こうに広大な風景が広がる
レーダー車道を登るライダー、その向こうに基隆方向が広がる
三爪子坑山がだいぶ近くなってきた、背後は基隆山と、半平山や燦光寮山など九份、金瓜石の山々
瑞平公路の峠部分、あずま屋と萬善祠
数キロの下り道を進む。段々高度が下がってきて、対岸の三爪子坑山などが相対的に高くなる。106号線瑞平公路に合流し、左に曲がる。少し登り返し瑞芳平渓の境界にある平渓のモニュメントを過ぎてまもなく、峠に着く。時刻は12時8分、1時間の車道歩きであった。萬善祠とそのわきにあずま屋がある。萬善祠の裏手から三爪子坑山からの尾根道が始まっている。あずま屋に入り、休憩する。ここからは、三爪子坑山から萬壽山へ伸びる尾根が近い。峠には846番のバス停があるが、早朝と夕方の便だけで山登りには使えない。

八粉寮古道、沢を超える
八分寮古道は、瑞芳に少し下がったガードレールわきからスタートする。新しい藍天隊の道標が無ければ、気づかないだろう。草薮に入り込み下っていく。僅かな踏み跡だけで、標識リボンがなければ山道とはわからない。数分谷に沿って下っていくと、山腹を進むようになる。ここまで来ると、以前は古道であった面影がある。また谷沿いに下って行き、古道に入ってから約30分で、沢を越す。水がわずかに流れ、周囲は蝉と鳥の鳴き声だけだ。山林投がズタズタに切られてて道が切り開かれている。今年初めに行ったと聞く、藍天隊の整備作業で歩けるようになっている。これがなければ進むことが困難だ。視界が開けて、八分寮山方向の稜線が望める。廃坑の入口を過ぎる。入口はほとんど埋まっている。沢を超え、少し登り返すと八分寮頂山への分岐を過ぎる。その先は平らになる。細い樹木の雑木林になっているが、以前は切り開かれた広場だったようだ。石臼とそのすぐわきに崩れた廃屋がある。近くには百年竹柏と名付けられた太い一本松がある。周囲は石が置いてあり、ちょうどベンチになっている。以前は住人たちが、この樹下で世間話をしていたことが、偲ばれる。13時10分、古道を下ること1時間、石に腰をおろし休憩する。

切り開かれた山投林の道、向こうは八分寮山の尾根
廃坑入口
石臼と廃屋
百年竹柏
ここから道は峠に向けて高度差百数十メートルを登り始める。沢を越えた後、しばらくは山腹を行くが、そのうちに尾根に取り付き急角度で高度を上げていく。すでに十数キロ歩いているので、この急坂はさすがにキツイ。13時42分、約30分の登りで峠に着く。ここは、今月初めに尾根縦走で訪れたところだ。少し休憩した後、三爪子坑の谷に向けて下る。こちらの勾配は先の登りに比べると緩い。道の状態もわずかに良い。谷沿いの道は、古道の雰囲気がある。十数分下ってくると、広い土の道にでた。左の道はどこへ行くのか、不明だ。右に折れて進み、草薮を抜けると舗装した蛇子形産業道路の末端に踊り出る。緩い下りを進むと、左の森に山道が入っていく。入口の部分には、炭で造った仏さんが祀られている。とても珍しい。産業道路をそのまま行けば、右に三爪子坑山への登山口がある。さらに進めば蛇子崙山からの尾根を峠で超える。

峠部分
古道入口の炭の仏さん
山道は、苔の石階段などがある古道である。八分寮古道に比べればずっと歩かれている感じだ。竹林が現れ、ほどなく人家につく。三爪子坑路106巷の最奥の人家だ。犬が吠える。子供もいる。この山の中で生活を営んでいる。人家から舗装路が始まる。道を下ると、視界がひらけ谷あいから左に八分寮山、右に蛇子崙山の尾根筋が見える。その少し先に沢が流れている。沢の水で顔を洗い、汚れた靴や登山ステッキをきれいにする。ズボンも下半分を取り去り、スッキリする。残りは、気楽に舗装路を下るだけだ。右に蛇子崙山への道を分けしばらく歩くと、鶏やアヒルが放し飼いにされている農場のわきを行く。振り返れば三爪子坑山がかなり高く見える。30分ほど下ってくると、一度峠へ登り返し、そのすぐ下から住宅地が始まる。大きな瑞慈宮を左に見て下り、15時3分に三爪子坑路に出た。左に折れ進み、15時12分東和里バス停に着いた。10分ほど待っていると、1062番バスがやって来た。ところが、満員で乗車できない(高速道路経由のため、立席は不可)。休日は金瓜石や九份からの観光客が多く、途中乗車は難しいようだ。瑞芳駅まで行けば乗れるかと思い、駅前のバス乗場にいったが、やって来たバスは満員で通過するだけ。バスは諦めて、台鉄の区間電車で台北へ帰った。

三爪子坑路106巷の産業道路から見る三爪子坑山
今回は少し長い16.4kmの行程だった。所要時間約7時間20分だ。途中の三分の一は舗装路の車道だったので、距離の割には時間が少ない。累計で1066mの高度を登っている。近々、大勢の人を連れて八分寮古道などを歩く予定なので、その下見も含めての行程だった。五分山だけであったら、ちょうどよいハイキングコースである。