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2013-05-06

2013年5月5日 坪林胡桶古道-梳妝樓山-虎寮潭山縦走 日本統治時代初期に消えた胡桶村をめぐる山歩き

虎寮潭山(左),柑腳坑山,梳妝樓山(一番遠くの霧の山)と虎寮潭の谷あい、胡桶村は谷の一番奥にあった
新北市坪林区は山深いところだ。第五号高速道路の開通から、アクセスはとても便利になったが、山が深いことは変わらない。この深い山の中に、実は100年以上も前に村落があった。台北から宜蘭への交通は、以前訪れた金字牌古道草嶺古道として残っている淡蘭道の表街道に対し、それより短い裏街道があった。石碇には、老街近くに一部が整備されたり、その一部と言われている大格門古道があるが、この胡桶古道は坪林から宜蘭へ向かう街道の一部であった。

街道は山深い中を通過するので、比較的平たい胡桶(湖桶とも称される)には、旅人に商売をする店ができ集落が形成された。日清戦争により、台湾を得た日本は台湾の統治を始めたが、初期は抗日運動が絶えなかった。今まで訪れた山々、例えば深坑烏月山の山中には抗日分子が潜んでいたと言われるところがあるが、湖桶周辺も活動があった。民間に伝わる所では、1897年11月、日本軍は抗日分子掃蕩の目的で湖桶村を包囲、村民全員を殺戮した。このため村は滅亡、付近の人々は、この深い山谷に非業の死をとげた霊魂が残る幽霊村として遠ざけ、次第に忘れられたそうだ。今この遺跡には、その後民間人が小廟や碑を建てている。実際に虐殺があったのか、記録があまりないようで、その真実については議論があるようだが。

南側の乾元宮からスタート、最後は西側の坪林まで歩く
出発点が高い歩き
坪林から宜蘭の間に位置する
日本人として、この場所を訪れることは少しためらいもあるが、今残っている遺跡を見ることは意義がある。そうした意味も含め、今回の山行となった。古道の周辺には、もちろん山々がある。そのうちの三座を歩いた。坪林からタクシーで乾元宮へ、そこから古道を歩き始める。一度峠を越えた後、谷あいの湖桶村へ下っていく。道から分岐して遺跡を見た後、梳妝樓山へ登る。梳妝樓山から下って、谷を上がってくる古道に合流、少し湖桶村側に戻った後、大正11年とある専売局基石の峠部分から尾根道を柑腳坑山へ登る。柑腳坑山から尾根を縦走し虎寮潭山南峰へ、一旦虎寮潭山へ往復した後戻って、急坂を虎寮潭12号の民家へ下った。そこから車道を下って、虎寮潭吊り橋を渡り、坪雙路を歩いて坪林へ戻った。

今日の登山はKさんとLさんの三人パーティだ。MRT新店から8時発の923番バスで向かい、坪林の坪林国中バス停で8時40分前に下車する。ここで予約していたタクシーにのり、十数分で出発点の乾元宮に着く。歩くと7キロほどの道のりで、2時間弱かかるだろう。今日は長い道のりなので、ここまで車で来れると助かる。坪林国中バス停近くには、流しのタクシーはいないので、タクシーを利用したい場合は事前に予約しておいたほうがよい。

出発後乾元宮方向を見る
古道の様子
乾元宮は標高580mほどあり、目の前の山もそれほど高く見えない。胡桶古道から分岐して登れる建牌崙の頂上は霧の中だ。身支度を済ませて9時7分に出発する。緑に苔むした石階段や道幅が広く、古道の様相だ。地元行政による木板で造った階段もある。20分ほど登ると、右に東坑山、建牌崙へ山道が分岐する。山腹を行く古道は、一度下りまた登り返す。蝉の鳴き声が山中に響いている。まだ五月初旬なので、蝉がこれほどいるとは思わなかった。10分ほどで左から虎寮潭より登ってくる、支線と合流する。分岐は峠になっており、ここからは湖桶村に向けて下っていく。山腹を下って行くと、沢音がだんだん大きくなっていく。虎寮潭への分岐から20分ほど下ると、沢を越える。沢を越えて進すみさらに数分、10時8分に胡桶遺跡への分岐につく。

虎寮潭からの古道支線との合流部

分岐脇には、汐止老人小嬰兒が記したとする黒地に金字の事件来歴石碑が建っている。分岐から下り、遺跡を見に行く。二、三分で小廟の建てられた廟につく。これは汐止老人小嬰兒が、石碑を建てたと同じ頃に建てられたということだ。建てられてから十数年経っているので、周辺に残されている看板の文字は、ほとんど判読できない。この辺りの地形は、傾斜が緩く沢もそれほど遠くないので、集落ができたこともうなずける。薄暗い森のなかで、陰気な感じだ。先ほどの分岐へ登り返す。

胡桶遺址義民廟
霧の山林を登る
胡桶古道に戻り進むことわずか、右に梳妝樓山への道が分岐する。分岐には地元政府による立派な道標があるが、梳妝頂山と胡桶鞍部への表示が逆になっており、正しくない。そこに張ってある藍天隊の紙の道標が正しい。行政による道標は、建立した後おそらくメンテされていないのだろう。梳妝樓山への道は、古道に比べると程度が落ちる。幅も狭くなり、草深い。全面に濡れているので、岩がとても滑りやすい。雑木林から杉林、そしてまた雑木林の中を進む。沢を越えて行き、分岐から約25分で、右に建牌崙への道が分岐する。登りが続く。霧が濃くなってきた。音も殆ど無く、我々の足音だけだ。登りがきつくなって数分、11時に鞍部にたどり着いた。ここは、左に梳妝樓山へ、右に北宜古道と梳妝頂山への道が分岐する。梳妝とは髪を梳かし化粧する意味だ。雨が少しパラつくが、幸いにして本降りにならない。

梳妝樓山鞍部,北宜古道方向を見る
梳妝樓山山頂
一息ついた後、梳妝樓山へ向かう。登り10分ほどで、11時15分に標高889mの梳妝樓山に到着する。本日の行程中最高点だ。霧の中の頂上だが、周囲はすべて樹木なので晴れていても景色は望めない。食事をとって休憩する。休憩後、時々現れる急坂の下りを進むこと10数分で、胡桶古道に合流する。下り途中には、大きく土を掘ったあとがある。動物が掘ったものには見えない。誰かが薬草などを掘り返したあとなのか。分岐には、また立派な道標がある。この指示腕木の一番下には柑腳坑6號民宅と同じ方向に柑腳坑山を指しているが、これも間違いだ。柑腳坑山は胡桶古道を戻り、峠の部分から右に進む。峠には、日本統治時代の專賣局が大正11年(1922年)に建てた基石がある。道を挟んで反対側に苔に覆われた石の祠があるが、中には神像はなく空だ。

胡桶古道に合流、表示に間違いあり
専売局基石、大正11年の文字が判読できる
柑腳坑山山頂
峠から緩い上りで一度小さなピークを越え、12時15分に柑腳坑山(標高750m)についた。広い頂上の周囲はすべて雑木林、霧は晴れているが景色は全く見えない。少し休憩した後、尾根道を進む。概ね下りの道は、あまり登り下りがなく、楽な道だ。途中、二ヶ所右に粗石斛へ降りる道を分岐するが、ほとんど歩かれていないようで、道筋もはっきりしない。今歩いている道そのものも、それほど歩かれていない道なのだから、尚更だ。また、道脇には掘った穴に青いビニールシートを敷いて水を貯めているところがあるが、何の目的だろうか。柑腳坑山から50分で虎寮潭山南峰に着く。その少し前で、後ろからやって来た単独行の登山者が追い抜いていった。明らかに山登りの猛者だ。

虎寮潭山山頂
急坂を下る
下山道は虎寮潭山南峰から分岐していくが、降る前に虎寮潭山を往復する。一度下り登り返すと、数分で虎寮潭山(標高566m)の頂上だ。時刻は13時10分、今日最後の頂上だ。シダ植物の説明看板が建てられている。ここも周囲は樹木、展望はない。直進すると粗石斛へ下る道があるようだが、我々は虎寮潭山南峰へ戻り、虎寮潭へ下る。枝尾根上の道はとても急な下りだ。不人気な山なので、メンテもあまりない。それでも本当に必要な部分には、補助ロープが渡してある。ここも長雨のために土が緩んでいて、滑りやすく足を取られやすい。

草むらをかき分けて進む





30分ほど下ってくると、尾根道は緩い下り道になり、大分下がってきたことがわかる。右に山腹を道が下って行くが、その入口には枯れた木の幹が二、三本ほど渡してあり、この道は不通のようにも見える。また、直進するように見える道には標識リボンもかかってある。どちらを進むべきか、確認のため山腹を下る道のほうの標識リボンも比較してみる。何本かあるうちの一本は、今年4月17日と記してある。こちらも行けそうなので、一人先に下ってみる。どうやら問題無さそうなので、大声て他の二人に下がるように伝える。二人も下がってきて、更に十数分くだると、今度は草むらの上に出た。道はどうやら草むらの中をかき分けて進むようだ。草の中にも標識リボンがかかっている。14時22分、虎寮潭山南峰の分岐から約1時間数分で、茶畑のわきにヒョッコり飛び出た。畑のわきを下りきると、石造りの民家(虎寮潭12号)に下り立つ。犬がいるがとても友好的だ。登山者に慣れているのか。沢を渡り、登山道案内板のまえで休憩する。周囲は茶畑だ。時刻は14時30分、山歩きはここで終了だ。

虎寮潭12號の登山口、赤い屋根の民家が奥に見える
坪林のバス乗場は、まだ遠い。幸いにしてあまり車の通らない車道を歩いて戻る、距離は五キロ強だ。ズボンのすそは泥だらけなので、ズボンの下半分をとり半ズボンにする。緩い下り道をキャンプ場のある虎寮潭に来る。修復された吊り橋が上流側にかかっているので渡る。ここからは、坪雙路に向けて登り返す。Lさんは少し疲れ気味だ。坪雙路との合流点からは、先ほど歩いた梳妝樓山から虎寮潭山への稜線が望める。梳妝樓山は頭を霧の中に見え隠れしている。この山の下の谷にはかつて湖桶村があった。

虎寮潭の吊り橋と渓谷
茶畑と渓谷、背後の山、坪林の景観
坪雙路わきに咲く花
坪雙路は一旦下りまた登り返す。歩くとゆっくり周囲の景色や植物を見ていける。茶畑の上から谷を挟んで対岸に並ぶ山々など、車で通りすぎると気づかない美観に巡りあう。最後の峠から下り、坪林が見える。高速道路の雪山トンネル入口が判別できる。高速道路インターチェンジの下を進み、16時23分坪林国中のバス停に到着した。車道歩きは、都合1時間35分だった。日曜日の道は遊楽客の車で混んでいる。待つこと約十分で、923番バスがやって来た。帰りは混雑のため1時間かかって新店へ戻った。

今回は車道歩きも含め13.9kmの道のりを、7時間15分(休憩含む)で歩いた。累計の登攀は844mである。縦走路の登り下りは、比較的少なかった。もし虎寮潭から坪林まで、またタクシーなど車で移動していれば、山道約8キロの道のりである。冒頭に書いたが、胡桶古道は100数十年前の虐殺悲劇がある、特別の意味のある道だ。この虐殺自身は、その事実についての正反二つの見方がある。ネット上にはあったという前提での記述の紀行文や、なかったとする論文もある。

台湾はとても親日的である。長く住んでいると、ひときわそれを感じる。311東日本大地震後の援助や最近のWBCを通じて、日本もそのことに気づき始めている。しかし、日本が昔この地とこの人々を統治していたのは事実であり、その初期には反日運動を力を以て圧殺したことも事実である。日本人としては、そうした事実を忘れてはならない。そうした事があるにもかかわらず、これだけ親日であることに、感謝の気持ちを忘れてはならない。

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