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2013-10-27

2013年10月26日 苗栗縣南莊向天湖山 - 小百岳を登る

向天湖と背後の向天湖山(左)、光天高山(尾根上の右の突起)
苗栗県は、台北から南に100kmほど行ったところにある。海側まで丘が連なり、中央には高山も擁する山がちの土地である。台湾第二の高山雪山は、苗栗県と台中市の境界上にある。南荘は山に近い場所で2000mを越える山も多い。台湾原住民部族の一つである賽夏族の領域でもある。賽夏族には、矮靈祭という奉納祭がある。伝説によると河を挟んで対岸に小人族(矮人)が住んでいた。この二つの部族は、奉納祭を一緒に行っていたが、矮人は魔術を使い賽夏族の婦女に対し度々非礼をしていた。ただ、賽夏族は魔術をおそれ報復できないでいたが、ある年の奉納祭のあと策略をたて、賽夏族は三人を除いて矮人族を滅ぼした。しかし、その後農作物は不作が続き、これは矮人のたたりと恐れられ、それから矮霊祭が始まったとされる。

駐車場から反時計回りに三山を回遊する

歩行高度プロファイル
なぜ、長々矮霊祭のことを書いたか。それは、この向天湖山の麓にある向天湖で、この矮霊祭が執り行われ、筆者は十数年前に友人によばれて矮靈祭に参加したことがあるからだ。夜を徹して焚き火の周りを踊り、小米酒という粟で造ったお酒を飲んだ。その時は、山には登らなかったが長い時間を隔てて、向天湖への再訪となった。もうかなり前の事になるので、記憶ははっきりしていないが、実際に訪れると昔日の場面が思い出された。

南荘は山中の集落、その更に奥にある向天湖、北にある五指山も登ったことのある小百岳
山道へ向かう、木々の奥に向天湖山が控えている
向天湖山は、標高1225mで所謂中級山の中では低いほうだが、台湾小百岳の一つに数えられている名山である。西に光天高山、北に伸びる尾根先に三角湖山があり、今回はこの三山をめぐる歩きだ。台湾の山々は、一般的に標高超3000mの高山、それより低い1000mぐらいまでの中級山、そして大都市に近い低山の郊山というように分類されることが多い。筆者は、台北の郊山は多く登っているが、中級山はまだ少ない。アプローチが長く、一般交通機関利用ではなかなか登れない。今回は、登山グループの活動に参加し登った。人数が集まれば、バスや自動車で行くことができる。なお、新店にも向天湖山があるが、これとは別だ。

向天湖山と光天高山との分岐点(看板上の山名は誤記)
朝6時半、台北のベッドタウン板橋駅の前から出発する。高速道路を経由し、頭份ジャンクションから一般道へ、谷の間を南荘の集落へ向かう。ここは、昔日炭鉱で栄えた場所だが、観光スポットしてまた賑わっている。ちょうどマラソンが行われているようで、一休みしている時に選手が道を走って行く。さらに山へ向かい、大きく登って9時に終點の向天湖駐車場に着いた。標高はすでに750mを越える。今回は、全員で40名と大人数の活動である。

身支度後出発する。向天湖は、遊歩道を歩いた先にある。観光地なので、道の両わきには食べ物屋など多くの店がある。商店を抜けると、湖が広がる。快晴の空の下、背後にこれから登る光天高山から向天湖山の稜線が伸びている。湖のほとりにはススキが穂を出し始めている。苦茶の林を抜ける。白い花が多く咲いている。その先の分岐を左に曲り、道は山に向け登り始める。9時43分、駐車場から約30分ほどで舗装路から山道の分岐に着く。山道を進んでまもなく、向天湖山から直接下ってくる道の分岐に着く。ここは右にとり、光天高山へと向かう。

崩れて岩肌が露出した場所を通過する
杉林の中を進むメンバー
この山塊は、山肌はほとんどすべて杉の木で覆われている。全山が植林されている。スクっと伸びる杉林の中を行くのは、日本の山を登っているかのようだ。ただ、下草が多くその種類も違うので、また別の様相ではある。大きく山崩れが起こり、岩肌が大きく露出している部分を過ぎる。山腹をゆっくり登っていく道は、ところどころに丸太の橋がかかっている。滑りやすいので注意深く越す。登山道入口から約40分ほど登ると、土砂で道が流され岩が露出している涸れ沢がある。補助ロープを使用してこれを越す。人数が多いので、通りすぎるのには時間を要する。その先、山腹を登る道は坂が急になり、また補助ロープの岩登りがある。11時20分に、光天高山と向天湖山との稜線鞍部に着く。ここから右に進み、少しの登りで11時28分光天高山(標高1123m)に到着した。引き続き、後部を歩くメンバーも到着する。

光天高山頂上から北側を望む、向天湖、その背後は三角湖山とその後ろの鵝公髻山
向天湖が見える
東側は向天湖山への尾根、一番奥が向天湖山
向天湖山への杉林尾根道
40名からのメンバーで頂上は満員だ。北側が樹木の間より望める。下方に、先ほどの出発点向天湖、そのすぐ上には今日の最終目的地、三角湖山が、その奥には鵝公髻山(標高1572m)の大きな山容が控えている。鵝公髻山は賽夏族の聖山として崇められていたそうだ。頭には雲をかぶり、威風堂々とした姿である。小百岳の一つでもある。東側も樹木がきれて景色が望める。こちらは尾根を伝っていくと、向天湖山がどっしり座っている。その右奥のほうには、三角ピークが頭を出している。標高2220mの加里山だろう。これも小百岳の一つだ。

向天湖山頂上と三角点




11時50分過ぎに、次の目標向天湖山へ進む。一度鞍部に降り、そこから比較的緩い尾根を登っていく。山のほとんどが杉林の道には、杉の枯葉が絨毯のように落ちている。ワラビの下草も生えている。12時6分、右に加里山方面への分岐を分け左に登る。12時25分、三角湖方向への分岐点に着く。向天湖山頂上は、そのすぐ先だ。頂上(標高1225m)は、山という字がほられた三角点基石が埋められている。そこそこ広い頂上は、四方すべて樹木に覆われ展望はない。全員が登ってきたあと、ここで昼食となる。この慢集団の昼食は、時間に余裕がある場合は、スープや麺などをその場で調理し、皆で分けて食べる。メンバーの中には、ステーキを持参しそこで焼いて皆に分ける人もいる。山頂でのステーキ、皆思わずニッコリである。

三角湖山への分岐
1時間以上の休憩を終え、13時半に出発する。降り始めまもなく、先ほど登ってきた尾根道を左に分け、右に進んでいく。中腹を下る形で進む。頂上から約30分ほどで、向天湖へ下る道を分岐する。こちらの方が多く歩かれているようだ。右に少し登る道が、三角湖山への道だ。尾根を少し進んだあと、大きく下り始める。杉林の中の急坂が終わると、竹林の中を進む。その後、また杉林の中を登り返す。ここからは、けっこう長い尾根道が続き、途中に幾つかの小ピークを乗り越えていく。右側はザクッと切れた断崖で、木々の間から500mほど下に流れる河が望める。遭難救助用の連絡位置を示す番号板が、同じ間隔で幹に取り付けられている。分岐から12番で始まり、歩くにつれ少なくなっていく。15時、8番の番号があるところで、一休みする。ここはちょうど木々が少なく、谷間や歩いてきた尾根の方向が望める。尾根道の約半分の位置だ。

尾根道の右側は絶壁、500m下に河が見える
向天山から三角湖山へは、基本は下り坂である。もちろん途中のピークはあるが、概ね緩い下り坂が基調だ。5番板を過ぎ、山腹を下って行くとまた尾根が始まり、樹木のない開けた場所にポッカリ出た。時間は16時をまわり、夕日の光線だ。南方向を望むと、朝歩いた光天高山から向天湖山への稜線がシルエットになっている。すぐ下は向天湖だ。ここは杉が刈られて、若木が植えられている。16時16分、下り道との分岐に来る。三角湖山は、尾根の突端にある。一度下り、登り返すと頂上だ。標高855mの頂上には、三角点基石がある。それほど広い頂上ではないので、先に到着したメンバーと入れ替えで記念写真などを写す。

樹木のない斜面、遠くに向天湖山のシルエットが夕日に浮かぶ、下方には向天湖
夕日の中を若い杉林の尾根道を進む
分岐にもどり、まだ若い杉林の中を直線的にいく土の急坂道を下る。濡れていないので、助かる。濡れていれば、そうとう滑りやすい斜面だ。20分ほどで、下りきり沢に下りる。沢を越え、反対側に登り産業道路に出る。左に進む。振り返れば、先ほど歩いた尾根道が左上の方に見える。道路はまもなく、朝の商店ちかくに来る。ここには遊楽客が来ている。17時15分、駐車場に戻ってきた。秋の日暮れは早い。バスに乗り坂道を下るころには、すっかり日が暮れた。南荘にある歴史50年の老舗料理店で客家料理を味わい、台北への帰途に着いた。

産業道路から三角湖山(左端のピーク)方向を望む、
歩行距離は約8.5km、活動時間は約8時間である。休憩が長いので、実働は6時間ぐらいか。累計の登攀高度は666mで、それほどの登りがあるわけでなく、また距離も長いわけではない。人数が多く、また体力的にもばらつきがあるので、やはりそれほど速くない。台湾の中級山は、それこそ数えきれないほど多い。小百岳も、これで23座登ったことになるが、まだまだ四分の三が未踏だ。

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